ヒーローをおしえて!

koyasumi

「わからないのだ」
 鬼堂院真緒(きどういん・まきお)は、
「わかっていたつもりだった」
 言う。
「わかっていないとわかったのだ」
 告白する。
「どうすればいいだろう」
 アリス・クリーヴランドは、
「……えーと」
 困ったように頬をかき、
「だ、大丈夫だと思いますよ」
「大丈夫ではない!」
「きゃあっ」
 小さな身体に似合わない大きな声に思わず悲鳴をあげてしまう。
「お、落ち着いてください、真緒ちゃん」
「あっ」
 すぐさま激情は冷め、
「すまない。大人げなかったな」
「いえ」
 大人げ――
 というか、彼女はまだ六歳なのだが。
「しかし、大丈夫ではないのだ」
 切々と。心から訴えているという目で、
「私は自分が情けない」
「そんな」
 あわてるアリス。
 真緒が情けない? とんでもない!
「だって、そうではないか」
 彼女は引くことなく、
「私はナイトランサーの妻だ」
 ナイトランサー。
 白い仮面の正義の騎士。
 レディの危機には何処であろうと馳せ参じる。
 真緒が憧れ、心から慕うヒーロー。
「それが」
 再び視線が落ちる。
「……だめだな」
「だ、だめなんて」
 あたふたとするばかりのこちらに、
「だめではないか」
 顔をあげて。
 正面から見つめられ、言葉をなくしてしまう。
(そんな……)
 だめではない。まったく。
 心からそう思っているが、ただ口にしただけでは届かないと感じた。
「……真緒ちゃん」
 心持ち。表情を引き締め、
「だめじゃないです」
「しかし」
「だめじゃありません!」
 声を張る。心ごと気持ちごと届くようにと、
「真緒ちゃんはとってもいい子です!」
 腹の底から。
「だから、大丈夫なんです!」
「大丈夫ではない」
 再び。くり返される。
「真緒ちゃん……」
 無力だった。
「私は」
「……!」
 涙。
「ナイトランサーの妻失格だ」
「なんてことを言うんですか!」
 本来なら、六歳の子が『妻』と言い出すのが「なんてこと」になるのだろうが。
「そうではないか」
 止まらない。
「私は……私は……」
 そして――
 涙ながらに真緒は言った。
「私には、ヒーローのことがわからないのだ!」

 始まりは、
「なあ、アリス」
 ぐるーりぐるり。身体の前で大きく腕を回し、
「どうだ?」
「えっ」
 突然の問いかけに、
「えーと」
 アリスは、
「いいお天気ですよねー」
「コラ」
 むっと。腰に手を当て、口をへの字にして、
「そうではないだろう」
「で、ですよね」
 では一体。
「ほら」
 ぐるーりぐるり。
「どうだ」
「う……」
 すこし考えて、
「上手だと思いますよ」
「そうか!」
 ぱっと。まばゆい笑顔が広がる。
「あ、いや、だめだ」
 しかし、すぐに、
「上手なのは当たり前なのだ。そういう問題ではないのだ」
「そういう問題ではないんですか」
「そうだ」
 うなずかれる。
「えーと」
 また見失いそうになりつつ、
「そういう体操を学校で教わってるんですよね」
「体操?」
 きょとんと。
「あれ?」
 違ったのか。
 お互いに釈然としない顔で向かい合う。
「おかしなことを言うアリスだな」
「す、すみません」
「体操とは『体を操る』と書くな」
「はあ」
 本当にいつもこの子は六歳なのかと思わされる。
「心なのだ」
 言う。
「大切なのは心だ!」
 ぱん、と。小さな胸を叩く。
「心の目で見るのだ!」
「は、はいっ」
 思わずこちらも気合が入る。
「はぁっ!」
 勇ましい雄叫びをあげて。
 再びぐるりと腕を回し、斜めにかかげた状態でビシッと止まる。
「あっ」
 ようやく。ひらめく。
「ポーズですか」
「そうだ!」
 うれしそうにうなずく。
「けど、何の」
「ナイトランサーだ」
「えっ」
 目を見張る。
「え、あ、あの」
 思わずあたふたとなり、
「ないですよ」
「む?」
「ナイトランサーに」
 ない。ポーズというようなものは。そのはずだ。
「ないからだ」
 むしろ当然と胸を張り、
「だからだ」
「だから?」
「作ったのだ」
 誇らしそうに、
「私が作った。ナイトランサーのために」
「……あー」
 それで感想を求めていたのだ。
「どうだ」
 再び。正確には三たび。
「えーと」
 こちらも三たび。返す言葉に迷いつつ、
「い……いいと思います」
「そうか!」
 ぱぁぁっと。大輪の笑顔の花が開く。
「では、さっそく教えに」
「あ、ちょっと!」
 あわてて、
「どこへ行くつもりで」
「おかしなことを聞くアリスだな」
 本当におかしそうに。笑って、
「ナイトランサーのところに決まっているではないか」
「や、だって」
「あっ、そうだな」
 真緒は「しまった」という顔で、
「ナイトランサーは謎の仮面のヒーローなのだ。レディの危機でないときに簡単に現れたりはしてくれないな」
「そ……そうですよ」
 その仮面の下の『本人』のもとへ行くつもりではなかったようだ。ひとまずは胸をなでおろす。
「どうしよう」
「えーと」
 どうすればいいと言えばいいのだ。
「あの」
 すこし彼女の熱を冷まそうと、
「大丈夫だと思いますよ」
「む?」
「ナイトランサーは」
「大丈夫?」
 首をひねられる。
「あっ、だから」
 純粋すぎる疑問のしぐさに、思わずまたあたふたとなる。
「きっと、あの、その」
「?」
 ますますけげんそうな顔を向けられ、とっさに、
「ヒーローですから!」
「そうだ」
 何をいまさらと、
「だから、ヒーローらしいポーズを」
「そ、その、ヒーローは」
 考えるよりも先に口走る。
「ヒーローですから!」
「むぅ?」
(はわわっ)
 何を意味のないことを。同じ言葉をくり返しているだけだ。
「そうか」
 しかし、真緒は納得したように、
「ヒーローだものな」
「そ、そうです」
 うなずく。彼女が何に納得したのかわからないまま。
「あるのだ」
「えっ」
「あるに決まっている」
 我がことのように誇らしげに、
「ポーズだ」
「え、えーと」
 それはつまり、
「ナイトランサーに」
「そうだ」
 ためらいなくうなずく。
「きっとあるぞ」
 わくわくと。目を輝かせて、
「どのようなヒーローらしいポーズなのだろうな」
「それは」
 ない、と思う。
「アリス」
「えっ。あ、はい」
 わたわたと。
「さっきから何をあわてている」
「何なんでしょうね。あはははは」
「おかしなアリスだな」
 またも言われる。
「よし」
 ぐっと。小さな拳を握り、
「私は他のことでナイトランサーの力になろう」
「えっ」
 今度は何を言い出すのか。
「………………」
 しかし、
「なあ」
「は、はい」
「何をすればナイトランサーはよろこぶだろう」
「えっ」
 それは、
「えーと」
 またも考えさせられる。
「たぶん」
 と言いつつ、確信を持って、
「真緒ちゃんが笑顔でいれば」
「何?」
「レディが笑ってくれてさえいれば」
 にこっと。こちらも笑顔を見せ、
「それでナイトランサーはうれしいと思いますよ」
 しかし、
「だめだ」
「えっ」
「それはわかる。わかるぞ。ナイトランサーはヒーローだからな」
 言いつつ、もどかしそうに、
「当たり前なのだ」
「当たり前……」
「そうだ。ヒーローがみんなを笑顔にしてくれるのは当たり前だ。それをよろこびとするのも当然のことだ」
「は、はい」
「その上で、私は」
 言う。
「ナイトランサーのために何かをしてあげたいのだ」
 切々とした。心からの訴え。
「真緒ちゃん……」
 その真摯な想いにふれ、
「わかりました」
 うなずく。
「二人で考えましょう。何をすればナイトランサーがよろこんでくれるか」
「うむ!」
 大きくうなずく。そして、
「むぅ」
 考え始める。腕を組んで。
「難しいな」
「そうですか?」
「そうだ」
 こちらを見上げ、
「ナイトランサーは何が好きなのだ」
「えっ」
 急な質問に、
「えーと」
 答えていいのだろうか。
 その〝仮面の下の人物〟に関してなら言えることもある。
 しかし、それは真緒の求めるヒーロー像とは、たぶん微妙に異なるものだ。
「レ、レディの笑顔が」
「だから、それは、ヒーローとしてではないか」
「ですよね。ごめんなさい」
「ナイトランサーそのものとして好きなものだ」
 いや『そのもの』と言われても。
「むぅ」
 またも難しい顔で考え出す。
「難しい」
 口にも出す。
「私は」
 かすかに。息を落とし、
「知らない」
「えっ」
 ぼうぜんと。そのことにいま気づいたというように瞳をふるわせ、
「知らないではないか」
「え、えーと」
 今度は何を言い出したのだろう。
「ナイトランサーのことだ」
「えっ」
「私は」
 いつもは誇らしげに言うそのセリフが、どこか弱々しく、
「ナイトランサーの妻だ」
「は、はい」
 そういうことになっている。
「なのに」
 ゆれる。
「私はナイトランサーのことを何も知らない」
「そんな」
 あわてて、
「知ってるじゃないですか」
「何をだ」
「何をって」
 言葉につまるも、
「白い仮面に白いマントの」
「それは見た目だ」
「はわわっ」
 懸命に頭をふりしぼり、
「正義の騎士で、レディの危機にはどこであろうとやってきて」
「ヒーローなら当然のことだろう」
「はわわわっ」
 他の――他のことは、
「………………」
「思いつかないのか」
「!」
 あわてて、
「う……」
 やはり。何も出てこない。
「そうか」
 わかっていた。そう言いたげにうつむく。
「失格だな」
「何を!」
 あわてふためく。
「レディであるだけならいいのだ」
「えっ」
「私は妻だ」
 心から噛みしめているというように、
「夫のために何かしてあげられるのが妻ではないか」
「それは」
「してもらうばかりでは……さびしいではないか」
「……!」
 本気なのだ。
「あ……う」
 言わなければよかった。ポーズはあるから必要ないと受け取られてしまうようなことを。あのままだったら「してあげられること」があったのだ。
「あの、真緒ちゃん」
 フォローしなければならない。自分が原因でもあるのだから。
「大丈夫です」
 ああ、これではさっきと同じだ。
「大丈夫ではない」
 今度は、はっきりと。
「そもそも、ヒーローとはなんだ」
「えっ」
 唐突な問いかけ。
 何も言えないでいると、
「私は」
 またも目を伏せ、
「ただ押しつけていただけのような気がする」
「押しつけていたって、何を」
「ヒーローだ」
 顔を上げ、
「ヒーローにはこうあってほしい」
「えっ」
「いや、そのような謙虚なものではないな」
「け、謙虚?」
 確かに、真緒には堂々として押しの強いところはあるのだが。
 それにしても、六歳が『謙虚』とは。
「ヒーローはこうでなければならない」
「は、はあ」
「こうあるべきだ」
 そう言うと、
「私は」
 またも顔を伏せ、
「なんと傲慢だったのだろうな」
 傲慢――
 これまた六歳の女の子が口にするような言葉ではない。
「ま、真緒ちゃん」
 思いこみすぎだ。そう言おうとしたのだが、
「知らないのだ」
「え……?」
「私は」
 せつなく。瞳が訴える。
「私はヒーローのことを……ヒーローの本当を」
 そして――
 現在に戻るのだ。

「真緒ちゃん」
 アリスは。
「大丈夫ですよ」
 またこれだ。
 けど、他に口にする言葉がない。
 そして、確信している。
(大丈夫です)
 真緒は。
「ありがとう」
「え?」
「アリスは優しいな」
「それは」
 つまり、これは。
「わかっている」
「い、いえ」
 その『わかっている』は違う。
 言いたいが、うまく言葉にできない。
「私はだめなのだ」
「真緒ちゃん!」
 とっさに。アリスは真緒の両肩をつかむ。
「違います!」
「む……」
「真緒ちゃんは……真緒ちゃんは」
 瞬間、
「ひっ」
 冷たい感触。
「なっ……あ……」
 喉元。そこに当てられていたのは、
「うー」
 首の後ろにかかる息。
「ユ……」
 間違いない。
「ユイフォン……?」
「う」
 うなずく気配。
「媽媽(マーマ)、いじめた」
「えええっ!?」
 ユイフォン――何玉鳳(ホー・ユイフォン)は。
「いじめた」
「い、いやっ」
 あわてる。
「ユイフォンっ」
 そこに、
「コラっ」
 真緒だ。
「ケンカはだめだぞ」
「うー」
 不満そうな息。
「だって」
 ぶつぶつと。
「媽媽、いじめてた」
「いじめてなんてないですよっ!」
 あわてて、
「真緒ちゃんは、だから、その」
 何と言えばいいのだ。
「いじめた」
「いじめてないですっ!」
「コラ」
 あらためて、
「ケンカはだめだ」
「だって」
 じわり。
「媽媽、泣いてた」
「それは」
 今度は真緒が言葉につまる。
「……私はな」
 言う。
「ナイトランサーの妻、失格だ」
「う!」
「おまえの母親としても失格なのだ」
「う……うう」
 ユイフォンは、
「媽媽!」
 飛びつく。
「おお」
 驚く。が、すぐに、
「すまない」
 愛しみをこめて。その頭をなでる。
「すまなくない」
 いやいやをするように首をふる。
「媽媽、ユイフォンの媽媽」
「ユイフォン……」
 まさに〝母親〟と言うべき眼差しを見せるも、
「すまない」
 くり返す。
「う」
「えっ」
 突然こちらを見られ、思わず息をのむ。
「アリスのせい」
「ええっ!」
「きっとアリスが変なこと言った。だから」
「ちょっ」
 完全な誤解だ。
「コラ」
 すぐさまたしなめられる。
「アリスは何も悪くないぞ」
「悪い。アホ」
「アホじゃないです」
「コラ」
 めっ、と。腰に拳を当て、
「友だちにそのように言ってはだめだ」
「う……」
 すまなそうに目を伏せる。
 と、真緒も同じような顔になり、
「こんなことを言う資格はないな。母親でもないのに」
「う!」
 あたふた、あたふた。
「うー」
 どういうこと? そう聞きたそうにこちらを見られる。
「実は」
 これまでのことを語って聞かせる。
「わかってる!」
 すぐさま、
「媽媽、わかってる! 爸爸(パーパ)のこと、わかってる!」
 爸爸――
 仮面のヒーロー・ナイトランサーのことをユイフォンは〝父〟と呼ぶ。
 そのために、彼の〝妻〟である真緒のことも母として見るようになった。六歳ながら頼りがいあふれる彼女をいまでは心から〝母親〟として慕ってはいるが、その根本とでもいうべきところはやはり絶対ゆずれないのだ。
「ユイフォン」
 仕方ない。まさに母が娘を見る目で、
「おまえがそう言ってくれるのはうれしいが」
「『うれしい』とか関係ない! ホントのこと! 媽媽は爸爸のことを」
「わがままを言うな」
 ぴしゃりと。
「う……」
 じわり。
「うーっ!」
「あっ、ユイフォン」
 泣きながら駆け出した彼女に、
「自分、追いかけます!」
「あ……」
 何かこちらに言いかけるも、すぐにそれを飲みこむ。
(真緒ちゃん……)
 きっと『頼む』と言いたかったのだろう。
 けど、いまの彼女には言えないのだ。
(こんなの)
 おかしい。
 いや、そもそも、六歳の彼女が〝母〟として十三歳のユイフォンを気にかけるのがあまり普通とは言えないのだが。
(でも)
 おかしくない。
 いまでは、はっきりそう言える。
 それくらい、二人は〝母娘〟としてお互いを必要としあっているのだ。
(いけませんよね、このままじゃ)
 決意をあらたに。
「待ってください、ユイフォーーン!」
 あっという間に消えてしまった彼女の姿を求め、アリスもまた走り出すのだった。

「う……」
 見つからない。
「ど、どうしましょう」
 情けない。我ながら。
「って」
 頭をふる。いまは自分が情けないとかそういうことを考えている場合ではない。
「どうしましょう……」
 しかし、出てくるのは、やはり情けないつぶやきばかりだ。
「えーと」
 きょろきょろと。
 ただ辺りを見回しても、当然のようにユイフォンは見つからない。
「ユ、ユイフォーン」
 呼んでみても同じだ。
「う……」
 こっちが泣きたくなってくる。
(って情けなさすぎますよ、自分!)
 いっそう強く頭をふる。
「えーと」
 彼女が行きそうなところは。
「えー……と」
 わからない。
(友だちなのに……)
 わからない。
「あっ、真緒ちゃんに」
 戻って聞けというのか? そんな情けない真似をしろと。
「い、いえ」
 すでに十二分に情けない。
「はぁ」
 ため息。
 と、ますますそれが情けないことに気づき、手のひらで口をふさぐ。
(どうしましょう……)
 口を閉じても考えることは同じだ。
 いや、実のあることは何も考えられていない。
「!」
 はっと。
「え……」
 歌声。
「これって」
 ユイフォンだ。けれど、
「う……」
 なんてさびしい歌声なのだろう。
 こちらまで哀しくなってくる。そんな情感がこもっている。
「あっ」
 見つけた。
「ユ……」
 声をかけようとして。
「………………」
 飲みこむ。
(ユイフォン)
 高いところにある木の枝に座って。
 彼女は。
 歌っていた。
(ユイフォン……)
 しばらくして、
「あっ」
 こちらを見る。
 なぜか思わず気をつけをしてしまう。
「………………」
 ユイフォンは、
「えっ」
 すぐに。
 こちらなど見なかったというように、再び歌を口ずさみ始める。
「うー、るーるるるー」
 ハミング? スキャット?
 特に歌詞らしいものは口にしていないのだが、そこにはやはり胸を打つものがあった。
「わー」
 パチパチパチ。
 思わず。感嘆の息と共に拍手をしてしまう。
「うー」
「えっ」
 にらまれる。
 すっと。下に降りてきて、
「馬鹿にしてる」
「ええっ!」
「アリスのくせに」
「ば、馬鹿になんてしてないですし、『くせに』なんて言い方もやめてくださいっ」
 訴える。
「ユイフォン!」
 声に力をこめ、
「上手だったですよ!」
「………………」
 ぷい、と。
「うれしくない」
「ええっ?」
「アリスなんかにほめられても」
「だから『なんか』なんて言葉もやめてくださいっ」
 やはり訴えてしまう。
「う……」
 じわり。
「媽媽」
 しくしくと。
「媽媽と歌いたい」
「っ」
「媽媽、歌、上手」
「ですよね」
 ついこちらもしんみりとなってしまう中、
「あっ」
 思いつく。
「歌ですよ!」
「う?」
 首がひねられる。
「何?」
「歌です!」
 力をこめ、
「真緒ちゃんのために歌を作ってあげるんです!」
「う?」
「正確には真緒ちゃんのためじゃないですけど」
「う? う?」
「あ、いえ、もちろん真緒ちゃんのためにもなることなんですけど」
「………………」
 すっと。
「きゃーーーっ」
 無言で刀をつきつけられ、悲鳴をあげる。
「や、やめてください、危ないことは!」
「アリスのほうが危ない」
「えっ」
「危ないくらいアホ」
「アホじゃないです」
 そこははきちんと否定する。
「だって」
 口をとがらせ、
「わけのわかんないこと言う」
「いや、つまりですね」
 頭の中で整理しつつ、
「ほら、真緒ちゃんはいま自信をなくしているわけじゃないですか」
「う」
「それは、自分がナイトランサーのために何もしてあげられないと思っているからじゃないですか」
「そんなことない。媽媽、してあげられる」
「だから、そのお手伝いをするんですよ」
「う?」
 そのために必要なのが、
「歌です!」
「う!」
 わかった。そう言いたそうに表情が輝く。
「歌!」
「そうです!」
「歌をプレゼント! 爸爸のために!」
「そうです!」
 ――と、
「う」
「? どうしました」
「ある」
「えっ」
「爸爸の歌、ある」
「あっ」
 言われてみれば。
「ありましたね」
 ナイトランサーのうた。
 真緒が作詞作曲したナイトランサーのテーマソング(?)だ。
「い、いやいや」
 それはそれと頭を切り替え、
「新曲です!」
「新曲」
「そうです!」
 うなずいてみせる。
「みんなで作りましょう。『ナイトランサーのうた』のような素敵な歌を」
「う。わかった」
 こちらのやる気が伝わったのか、ユイフォンも拳を握る。
「行きましょう!」
「う!」
 先を争うようにして、二人は来た道を戻っていった。

「だめだ」
 思わぬ拒絶。
「えっ……」
 一瞬、言葉をなくしてしまうも、
「ど、どうしてですか」
「媽媽、どうして」
 共に問いかける。
 真緒は目を伏せたまま、
「だめだからだ」
「って、理由になってませんよ」
「う。だめじゃない」
「………………」
 答えは、ない。
「真緒ちゃん……」
 いまさらながら。重症だと思い知る。
「真緒ちゃん」
 呼びかける。
「このままだと良くないと思いませんか」
 すこし厳しいかも。そう感じつつ、はっきりと言う。
「………………」
 真緒は、
「良くないのだろうな」
 ぽつり。つぶやいて、
「どうすればいい?」
 顔をあげる。
 そこに六歳らしい弱々しさを見て、息を飲む。
(そうですよ……)
 いくら凛々しいと言っても、やはり年下の女の子なのだ。
 年上として。
 元気づけてあげなければ。
「大丈夫です」
 同じ言葉のくり返しになるが、それでも、
「歌を作りましょう。自分たちも手伝います」
「う。手伝う」
 ユイフォンもうなずく。
「しかし」
 真緒の表情は晴れない。
「私はナイトランサーのことを、ヒーローのことを知らない」
「そんな」
「知らないのに歌など作れないではないか」
「だから、自分たちも手伝って」
「知っているのか」
 すがるように。見つめられ、
「ヒーローが何かということを、アリスは知っているのか」
「それは」
 答えられない。
「ユイフォン、知ってる! ヒーローはナイトランサー! ナイトランサーは爸爸!」
「そういうことではない」
 たしなめるように。再び愛らしい娘に向ける〝母〟な顔を見せ、
「だが、ありがとう」
「うー」
 頭をなでられ、うれしそうな息をもらす。
 が、すぐに、
「あっ」
 しまったという声と共に手が離れる。
「すまない」
「う?」
「ナイトランサーの妻失格の私に、おまえの母としてふるまう資格など」
「媽媽!」
 抱きしめる。
「媽媽! 媽媽!」
 それ以上は言葉にならない。それでもこの気持ちをどうしても伝えたいというように夢中でしがみつく。
「コラ……苦しいぞ」
「!」
 あわてて離れる。
「う……う……」
 涙。
「………………」
 何も言えず。すまなそうにそんな彼女から目をそらす。
「修行です」
 言っていた。
「何?」
「う?」
 二人がこちらを見る。その視線を受け止め、
「こうなったら修行しかありません!」
 言い切った。
「………………」
 沈黙。
 しばらくして、
「何の修行だ?」
「歌?」
「そうではなくて。いえ、その前段階と言いますか」
 二人そろって首をひねられる。
「ヒーローの修行です!」
「ヒーローの?」
 声が重なる。
「どういうことだ」
「つまりですね」
 つまり――
「……ど……」
 思わず、
「どういうことになるんでしょう」
 がくっと。
「アリス……」
「アホ」
「アホじゃないです」
 そこは何があっても。
「とにかく、このままじゃだめということですよ」
 真緒に自信を取り戻してほしい。
 そのための新曲作りというアイデアは、しかし、自信そのものが取り戻されないことには難しい。
 だからこそ、
「基本に戻りましょう」
「基本……」
 つぶやく。
「そうか」
 かすかに。笑顔が戻り、
「そうだな」
 うなずく。
「基本だぞ、ユイフォン」
「う?」
 わからない。そんなふうに首をひねる彼女に、
「おまえは何だ!」
「う!」
 ふるえが走る。
「ユイフォンは……ユイフォンは……」
 あたふたと、
「ユイフォンは……ユイフォン」
「違う!」
「う!」
 さらにあたふたと、
「ユイフォン、ユイフォンじゃない?」
「違う」
「う? う?」
「そういうことではないのだ」
 声に優しさが戻り、
「難しかったか」
「難しかった」
「難しいことではない」
 微笑んで、
「基本だ」
「基本……」
「基本です」
 アリスも言う。
「基本に戻るんですよ、ユイフォン」
「うー」
 やっぱりわからないという顔で、
「ユイフォン……仲間外れ」
「コラ。泣いてはだめだ」
 背伸びをして。頭をなでる。
「ヒーローの基本だ」
「ヒーローの基本?」
「ヒーローの基本です」
 アリスもうなずく。
「ヒーローは涙を流さないぞ」
「う!」
 あわてて目もとをぬぐう。
「あっ」
 真緒もはっとなり、
「だめだな。そのように決めつけては」
 表情を引き締め、
「思いこみからいったん離れて基本を学び直すのだ。そうだな、アリス」
「そうです」
 うなずく。
「どこでだ」
「えっ」
「どこで学べるのだ」
 きらきらと。期待の目が向けられる。
「あるから言ったのだろう。知っているのだろう」
「う……」
「アリス!」
「………………」
 何も答えられなかった。
「やっぱり、アホ」
「アホじゃないですーーーーっ!」

「真緒ちゃんやーん」
「おお!」
 ぱたぱたと。小走りに駆け寄っていく。
「シルビア!」
「っと」
 受け止める。
「いっつも元気やなー、真緒ちゃんは」
 笑顔で。大勢の〝弟や妹〟たちの面倒を見てきた彼女には、さすがというべき頼もしさがあった。
「どうしたん、こんなところに。誰かに会いに来たん?」
 胸を張って。真緒は言う。
「学びに来たのだ」
「へ?」
 目が丸くなる。
「えーと」
 きょとんとした顔で頬をかき、
「ここ、真緒ちゃんの学校と違うで」
「そうだな」
 わかっている。そう言いたそうにうなずくも視線が落ち、
「だめだっただろうか」
「いやいや、ええんちゃう? たまに遊びに来るくらい」
「遊びではない。学びだ」
「はあ」
 そこで再び言葉をなくしてしまう。
「どういうこと?」
「実は」
 真緒の後ろにいたアリスは手短にこれまでのことを説明する。
「はー。真面目っ子やなー。真緒の『真』の字は、真面目の『真』かー」
「真面目というような問題ではない。当然のことだ」
「真面目やなー」
 またも感心の息。
「で、ここに来たわけやね」
「そうだ!」
 ぱっと。両手を広げて、
「騎士の学園にだ!」
 騎士の学園――
 学び舎のある島の名をそのまま冠したこのサン・ジェラール学園は一般にそのように称されている。事実、ここでは時代を担う多くの若手騎士たちが腕を磨き合っていた。
 シルビアも、その若き騎士の一人だ。
「あ、あのっ」
 堂々としている真緒と対照的に、アリスはあわあわと、
「申しわけありませんっ」
「なに、あやまっとるん」
「だって」
 自分は――
「従騎士(エスクワイア)……ですし」
 従騎士。名前の通り、騎士に付き従う者。
 つまりは見習いである。
「ここに通っているみなさんは、すでに正式な騎士の方ばかりです」
「自分は場違いだって言うん?」
「はい」
 うつむく。
「の割には」
 にやり。
「だいぶん気合の入った格好してますなー」
「はわわっ」
 思わず手で身体を隠そうとする。
「これは」
「眼鏡もいい味出してまっせー」
「はわわわっ」
 今度は目もとを覆う。
 アリスは――
 いや、真緒も、一緒についてきたユイフォンも。
 昔の男子学生を思わせる制服――いわゆる学ランに黒ぶちの大きな眼鏡、さらにはハチマキという格好をしていた。
「本気なのだ」
 真緒が言う。
「気合が入っているのだ」
「う。媽媽、気合入ってる」
 ユイフォンもうなずく。
「でも、これは」
 恥ずかしがっているのはアリスばかりだ。
 ここに来るまでも十分に恥ずかしかったが、よりによって向かったのがサン・ジェラール学園とは。
 騎士の学園。
 一人前の騎士を目指す身として、それは憧れの対象なのだ。
 そこに、こんな姿で足を踏み入れてしまうなんて。
(普通だったら怒られてますよ)
 最初に会ったのがシルビアというのが幸いだったとは言える。
(いやいや、でもでも)
 彼女もまた尊敬すべき正式な騎士だ。
 甘えるような気持ちは慎まねばと背筋を伸ばす。
(けど、やっぱりこんな格好じゃ)
 そんなふうに煩悶している間にも、
「おー、さすがやなー。槍も持ってるやーん」
「槍ではない。鉛筆だ」
(確かに鉛筆ですけど)
 なぜ、あんなに大きいのだろう。というか、どこで手に入れたのだろう。
「必勝なのだ」
 意味がわからない。
「ウチ的には合格やなー」
 そうだ、これではまるで受験生だ。
 ヒーローのことを学ぶ。
 そのためにこの場所――自分たちの暮らす島で最も身近な〝ヒーロー〟である騎士たちの学園に来ていると言っても。
「よし、真緒ちゃんらにウチが騎士のことを教えたる」
「騎士ではない、ヒーローだ」
「せやった、せやった」
 ほがらかに。あくまで笑顔でうなずく。
「では、よろしく頼む」
 ぺこり。
 と、すぐに待ち切れないと顔をあげ、
「何をすればいいのだ」
「せやなー」
 軽く考えるそぶりを見せ、
「まずはお披露目やな」
「お披露目?」


「わー」
 歓声がはじける。
「かーわいー」
「むぅ」
 たちまち唇がへの字になり、
「かわいいではない。ヒーローなのだ」
「わー」
 ますます愛らしいものを見る目が向けられる。
「ふふーん。どうや、ウチの真緒ちゃんは」
「かわいい!」
 即座に。短めの袖や裾から健康的な小麦色の手足をのぞかせた女性が笑顔で言う。
 モアナ・モス。
 騎士の学園における学習班――騎生連(サークル)をシルビアと組む人物で、彼女と同じく正式な騎士だ。
「かわわいよね! ナシーム!」
「ええ」
 もう一人の女性。モアナとは対照的に、手足だけでなく顔の下半分をも包み隠すように覆った人物がうなずく。
 ナシーム・アル=カリム。彼女も騎生連のメンバーだ。
 シルビア、モアナ、ナシーム。とても優しい〝お姉さん〟たちだが、実は学園の最上級生である第三騎生の中でも指折りの実力を持つと評判の三人なのだ。
(はわわわっ)
 気をつけの姿勢のまま、動けなくなる。
 緊張で一言も発せない。
 それくらい、騎士を目指す自分にはまぶしい存在だ。
「どうした、アリス」
「!」
 場の空気に何の頓着もなく。いや、そもそも、真緒と彼女たちの間にそんなものは何もなかったのだが。
「は、はいっ」
「? 『はい』ではない」
「です……よね」
 ですなのだ。
「おまえも言ってやれ」
「えっ!」
 言ってやれとは。
「言うのだ」
 びっと。モアナたちを指さし、
「私たちは真剣な想いでここに来たのだと。ふざけているわけではないのだと」
(きゃーーーっ)
 な、なんという。
「真緒ちゃんっ」
 あわてて、
「みなさんたちはっ。そのっ、偉い騎士様たちなんですよっ」
「そうなのか?」
「きゃーーーっ」
 あまりに屈託なさすぎる。
「あははっ」
 モアナは笑い、
「わたしたち、ぜんぜんそんなんじゃないよねー」
「ええ」
 ナシームもうなずく。
「ほら、こう言っているぞ」
「はわわわわわ」
 幼さゆえの恐れ知らずというか。いや、真緒の場合、もともとが堂々としているとも言えるのだが。
「言ってやれ」
「!」
 言われた。
「ほら」
 うながされ、
「じじ、自分は」
「かーわいー」
「なっ……」
 言われた!
「コラ」
 またも真緒が腰に手を当てて怒る。
「だから、かわいいではないのだ」
「う。アリス、かわいくない」
「ええ~……」
 それはそれでどうなのかと、思わずユイフォンを見てしまう。
「えー、かわいいよー」
「コーラーっ!」
 両手をふりあげて。ぷんぷんと子どものように怒る。
 いや、子どもなのだが。
「媽媽のこと、怒らせた」
「ちょっ」
 学ラン姿でもそれだけは手放さなかった刀の柄に手がかかる。
 まずい! いくらなんでも騎士の人たちを相手に――
「確かに」
「う……!」
 止められていた。
「怒らせたのは良くありませんでしたね」
 すっと。
 そんな素振りなどまったく見せず前に出ていたナシーム。その手が柄先に当てられ、鞘から刀が抜かれるのを止めていた。
「うー」
 悔しそうに眼前のナシームをにらむ。腕に力をこめているが柄はまったく動かない。逆に止めているほうはまったく力を入れているように見えないのにだ。
「これだ!」
 真緒が目を輝かす。
「媽媽?」
「これ、とは」
 自然に離れる二人。
「これではないか!」
 興奮にふんと鼻を鳴らし。ナシームを見上げて、
「こういうのが私は見たかったのだ!」
「見たかった……」
「あー、ナシームの素顔?」
「なっ!」
 モアナの言葉にあわてる中、
「ウチも見たいなー」
「シルビア!」
「だって、ウチら親友なのにおかしいやーん」
「お、おかしくは」
「おかしい」
「おい……」
 反論が弱々しくなる。
 と、そこにつけこむように、
「ウチらの仲って、そんなもんやったん」
「い、いえ」
「確かに会ってまだそないには経ってへん。けど、ウチら、めっちゃ気ぃ合ったやん」
「そーだ、そーだ」
 モアナも乗ってくる。
「ですが、心の準備が」
「そんなんええって。ウチら女の子同士やし」
「そういう問題では」
 そこへ、
「コラ」
 置いていかれた形の真緒が二人をにらむ。
「人の嫌がることをしてはだめだ」
「真緒……」
 かすかに。のぞかせた目もとがうれしそうにうるむ。
「凛々しいのですね、真緒は」
「ナシームこそ」
 輝く笑顔で、
「すごいぞ。戦わずして戦いを止めるとは」
「ああ……」
 納得した空気が広がる。
 真緒が『見たかった』と言ったのは、すみやかに刀を抜くのを止めたその行為のことだったのだ。
「賞賛されるほどのことではありません」
「でも、私はああいうものを見たかったのだ!」
 ますます興奮して、
「よく見ればヒーローのようだな、ナシームは!」
「そ、そうでしょうか」
「あー、正体隠してるとことか、それっぽいもんなー」
「別に正体を隠しているわけでは」
「だったら、さらけ出しちゃえーっ」
「それとこれとは……いいかげんにしなさいっ!」
 調子に乗るモアナをさすがにたしなめる。
「けどええなー、真緒ちゃんに尊敬されるなんて。ウチの真緒ちゃんにー」
「えー。わたしたちみんなの真緒ちゃんでしょー」
(いつから、そういうことに)
 そばで聞いていて、さすがにあぜんとなる。
「兄ばかりでしたから」
 つぶやいたナシームはそっと真緒の頭に手を置き、
「年下の女の子に慕われるのは……姉妹ができたようで」
「姉妹ならいるやん」
「えっ」
「わたしたち!」
 当然という顔でシルビアとモアナが並び立つ。
「まー、ウチがお姉ちゃんで、モアナが妹やな」
「なんでそうなるのー」
「そうなるやん、ウチらが三姉妹やとしたら」
「ならないよー。わたしが長女でもいいでしょー」
「ないない。こんな無駄に露出度の高いお姉ちゃんがいたら、妹らが恥ずかしいで」
「だったら、うちのママはどうなるのー」
「ぜんぜんありやん。大人の魅力にナイスバディの融合やね」
「わたし、実際、妹も弟もいっぱいいるのにー」
「って、みんな、イルカやろ。あの子ら、基本的にハダカやん」
「イルカのこと、悪く言うなーっ!」
 確かに〝姉妹〟を思わせる無邪気なやり取りとりではある。
「なあ、アリス」
「えっ」
 不意に真緒がこちらを見て、
「おまえはどうだった」
 突然の質問に「?」となるも、
「ナシームのことだ」
「ああ。はい、すごかったと思いました」
「だろう」
 その顔が今度は、
「ユイフォン。おまえは」
 そちらに向けられた瞬間、息をのむ。
 いつからだろう。
 明らかにしょげているとわかる顔でユイフォンは肩を落としていた。
「どうしたのだ」
「情けない」
「む?」
「ユイフォン、ぜんぜんだめだった」
「あ……」
 それがナシームとのことだと気づき、
「何を言う。おまえは」
「媽媽、ナシームのこと、ほめた」
「それは」
「ユイフォン」
 うるむ瞳が真緒を見て、
「媽媽のためにって。みんなが媽媽、怒らせたから。だから」
「あ……」
 真緒の瞳がゆれる。
「………………」
 そして、
「……そうか」
 力なく。今度は真緒の肩が落ちる。
「その通りだ」
「う?」
「私は」
 くっと。唇をかみ、
「また自分だけのせまい物の見方にとらわれていた」
 今度はユイフォンのほうがあわて出す。
「ま、媽媽」
「ユイフォンは間違っていない」
「でも」
「そうだ。大切な相手のために戦おうとしたことを否定してしまうような態度をとってはだめなのだ」
 またも六歳と思えない意見を口にする。
「媽媽……」
 立場が逆になったように、落ちこむ真緒を前に途方に暮れるユイフォン。
「えーと」
 突然の空気の変化にモアナが頬をかく。
「どうなってるの?」
「真面目っ子なんやなー」
 うんうんと。腕を組んでうなずくシルビアに、モアナだけでなくナシームも共に困惑するのだった。

「おお!」
 その場の空気に。真緒が目を見張る。
「みんな、がんばっているのだな」
「せやから、静かに見学せなあかんでー」
「うむ」
 しーっ、と指を口に当てるシルビアに、きりっとうなずいてみせる。
「しかし」
 眼前の光景に視線を戻して、
「ここは……医療学部なのだろう」
「せや」
 うなずく。
「ならば、なぜ」
 自分たち三人の〝当然〟の疑問を口にする。
「ロープを登ったりしているのだ」
「ふふーん」
 待っていたというようにきどってあごに手を当て、
「なんでやと思う」
「ふむ」
 腕を組んで一思案。
「来る場所を間違えたのだろうか」
「おー。なかなか斬新さんな意見やなー」
「あのっ」
 思わず手をあげるアリス。
「何かの訓練ではないでしょうか」
「正解や」
「わっ、ありがとうございます」
「何の訓練だ」
「えっ」
 真緒の問いかけに、
「そ、それはですね」
 口ごもりつつ、
「身体を鍛えるためじゃないでしょうか」
「何のために」
「それはその、どんなことにも体力は必要じゃないですか」
 ふん、と。拳を胸の前で握って力んでみせ、
「体力づくりですよ。きっと、ごはんだっていっぱい食べてるはずです」
「なぜ、ごはんの話になるのだ」
「アリス、食いしん坊」
「食いしん坊じゃないですよっ」
 あわてて言う。
「体力づくりの一環」
 そうつぶやき、シルビアを見て、
「それでいいのか」
「弱い」
「弱いんですか!」
「あんなに一生懸命やっているのにか」
「いやいや、あの子らのほうやなくて」
 そのとき、
「あっ」
 視線を戻した真緒が驚きの声をあげた。
「冴だ」
「えっ」
 あわててそちらを見る。
 と、向こうもこちらに気づき、
「きゃあっ」
「!」
 とっさに。
「あ……」
 風が吹いた。
 そう感じたほどの爆発的なスタート。
「きゃっ」
 かすかな悲鳴。しかし、それ以上のものはなかった。
 その場の。
 ロープ登攀をしていた者たちも含め、全員が息をのんでいた。
「おお……」
 真緒の感嘆の声に我に返る。
 そして、アリスも『それ』をはっきりと見る。
「す……」
 すごい。
 受け止めていた。
 こちらの突然の来訪に驚いたのだろう。
 登っていたロープから手をすべらせた彼女――五十嵐冴(いがらし・さえ)が。
 受け止められていた。
 シルビアに。
 お姫様だっこで。
「ぼーっとしてたら、あかんで」
「え、あ、だって」
 まだ衝撃が抜けないのだろう。意味のない言葉がくり返されるそこへ、
「!」
 キス――額への。
 周りにいた女子たちから歓声が上がる。
「ちょっ、なっ」
 たちまち真っ赤になり、
「何をするんですかぁっ」
「やー、冴ちゃん、かわいいから」
「やめてください! こんな、みんなが見てるところで!」
「みんなが見てへんかったら」
「そういうベタなボケもやめてください!」
 涙目で声を張り上げる。
(よかった……)
 胸をなでおろす。
 よく見れば、当然というか落下したときのための補助ロープのようなものは装着されていたが、突然のことでとてもそこまで頭が回らなかった。
「……あ」
 と、あらためて気がつかされる。
 冴がいるということは、やはりここは間違いなく医療学部なのだ。
 サン・ジェラール学園医療学部。
〝騎士の学園〟と呼ばれるサン・ジェラールだが、若き騎士たちを教育する『騎士学部』の他にこの学部も設けられている。
 サン・ジェラールの本体。九百年の歴史と一万人の騎士を誇る主権実体・現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)は、もともと聖地に向かう巡礼者たちへの医療行為を目的とした集団だった。それが、危険な地域での自衛の必要に迫られ、結果として『騎士』と呼ばれるような武力を擁することになった。
 その基本に立ち返るという意味もあり、こうして医療教育の場が設けられている。
 同じ屋敷で生活を共にする冴は、そこの生徒なのだ。
「これが答えや」
「えっ」
 目の前に。
 まだ冴を両腕に抱えたままのシルビアが立つ。
「ちょっ、いつまで……下ろしてください、先輩!」
「ええやーん、新婚さんみたいで❤」
「ふざけないでください!」
「ふざけてんと違うで」
 心持ち。真剣な声で言って、
「わかった?」
 再びこちらを見る。
「え、えーと」
 聞かれているのは、自分たちに示した『答え』が何かということだろう。しかし、衝撃がまだ冷めないこともあり、さっぱり思いつかない。
「必要なんや」
「必要……」
「こうやって」
 得意げに。腕の中の冴をかかげてみせ、
「怪我した人をいち早く安全なところへ運んでいける腕力が」
「あ……!」
 わかった。
「そのためのロープ昇りなんですね!」
 そう、ただ『体力』ではない。
 何のためのか。
 もちろん様々なことに身体能力は必要だが、そこにきちんと目的が付加されていたのだ。
 医療学部で学ぶのは、主に設備の整っていない地域での緊急医療に携わるための知識・技能だと聞いている。最低限の護身術も習得するらしい。
「あの」
 ようやく下におろしてもらった冴が口を開く。
「どうして、シルビア先輩が? 真緒ちゃんやアリスちゃんたちも」
「勉強や」
「えっ」
 頬がよろこびに染まる。
「それって、あの」
 期待のこもった目で、
「アリスちゃん、医療学部希望?」
「ええっ!」
 思わず驚きの声をあげてしまい、「失礼だったか」とあわてて口をふさぐ。
「あ……そうだよね」
 特に落胆は見せず、
「アリスちゃん、騎士を目指してるんだものね」
「は、はい」
「じゃあ」
 その目が真緒たちのほうに向けられ、
「え……」
「あっ」
 再び驚きの声をもらすアリス。
「真緒ちゃん……」
 はっと。なぜか瞳をゆらしていた真緒がかすかに頭をふる。
「えーと……どないしたん」
「………………」
 沈黙。そして、
「なんでも……ない」
「いやいや」
 なんでもある、と言おうとしたのだろう。
 しかし、それは飲みこまれる。
 そんな直截的な言葉を口にしていい空気ではない。軽薄そうな普段の態度と違い、シルビアが実は〝大人〟な人であることをアリスはよく知っていた。
「あ、あの」
 代わってというわけではないが、
「真緒ちゃん、その、何かヒントはつかめましたか」
 ヒント――
 自分たちがここにつれてこられた理由。それは「騎士以外にも〝ヒーロー〟な人はたくさんいる」とのシルビアの提案によるものだった。
 そして実際に、真剣にがんばる医療学部生たちの姿を見せられた。
 加えて、シルビアがさっそうと冴を助けるまさに〝ヒーロー〟なところまで目の当たりにすることができた。
 だというのに、
「………………」
 うつむいたまま。
 真緒は何も答えようとはしなかった。

「アリス、いじめた」
「えええっ!」
 誤解だ! そう言いたいが言い切るだけの自信もなかった。
 わからないのだ。
 何が真緒をあそこまで落ちこませたのか。
「い、いじめてないですよ」
 それでも一応は言っておく。
「うー」
 まったく信じていないという目だ。
「責任とって」
「ええっ」
 そんなことを言われても。
「とれない」
「え?」
「アリス、アホ。責任とれない」
「アホじゃないです!」
 そこはどうしても否定する。
「じゃあ、なんとかして」
「えっ」
 そう言われてしまうと。
「う……」
 見る。
「真緒ちゃん……」
 二人の隠れている木の陰から離れたそこに。
 座っている小さな影。
 真緒だ。
 海を見渡せる丘の上で、夕陽を浴びながら彼女は膝をかかえていた。
「そろそろ暗くなりますよ」
「う。帰らないと」
 そう言いつつ、お互いを見る。
「アリス、行って」
「ええっ」
「嫌なの?」
「嫌というわけでは」
 あれから――
 帰り道、真緒に「一人にしてほしい」と言われ、アリスたちはそんな彼女を隠れて見守り続けていた。
「行って」
「う……」
 あらためて真緒のほうを見る。
 とても気軽に声をかけられるような雰囲気ではない。
「ユイフォンこそ」
「う!?」
「その……娘なんですから」
「うー」
 眉を八の字にして、
「行けない」
「そんな」
「だって」
 ますます弱々しく眉が下がり、
「媽媽のこと傷つけたら……やだ」
「ユイフォン」
 気持ちは痛いほどわかる。
「自分だって傷つけてしまうかも」
「斬る」
「って、なんでですか!」
 そこに、
「何をされているのです」
「!」
 背後からの突き刺さるような冷気。
 確かめなくてもわかる。
「きゃーーーっ」
「あうーーーっ」
 ふり向くと同時に悲鳴をあげてしまう。
 そこには、
「アリスさん」
「は、はいっ!」
「ユイフォンさん」
「う!」
 そろって気をつけをする。
 朱藤依子(すどう・よりこ)。
 アリスたちの暮らす屋敷の家事を一手に担い、そして誰からも恐れられているメイド姿の女性。
「このような時間になるまで」
 ぐぐっ。
「!」
 手の内でしなる鞭を見て、共に顔面蒼白となる。
「ア、アリスが悪い」
「ええっ!」
 確かに悪いのかもしれないが。
(ユイフォンだって)
 言えない。言いわけじみたことを口にするのは、より恐ろしい〝お仕置き〟が待つことを意味する。
「ううう……」
 何もできないままただふるえる。
 すると、
「あっ」
「う」
 依子が二人の前を離れ、真緒のもとへと向かう。
「どうされたのですか」
「っ」
 顔をあげる。その瞳がはかなげにゆれる。
「依子……」
 微笑む。そこには、アリスたちに見せた厳しさでなく確かな優しさがあった。
「帰りましょう」
「……うむ」
 うなずき。手を取る。
 歩き出した二人に、あわててアリスとユイフォンも続く。
 しかし――
 屋敷に戻るまで、そして戻っても真緒に笑顔が戻ることはなかった。


「どうしよう……」
 翌朝。
「アリス……」
「ユイフォン」
 言われる前から察しはついていた。
「真緒ちゃんのことですか」
「う」
 うなずく。
「媽媽、ずっと元気ない」
「そうですか」
「昨夜も。何も言ってくれなかった」
 目を伏せる。
 彼女はいつも真緒と一緒に眠る。〝娘〟として〝母〟に添い寝してもらっている形だ。
「ユイフォン」
 じわり。
「媽媽のために……何もしてあげられない」
「そんな」
 しかし、後の言葉が続かない。
 わからないのだ。
 何をしてあげればいいのか、アリスにも。
(無責任すぎますよ……)
 自分に向かって。心の中でつぶやく。
 そうだ、無責任だ。昨日、基本だ何だと自信満々に宣言したのはどこの誰だ。
「自分が」
 口にする。
「何とかします」
「うー」
 不信感いっぱいの目で、
「なんとかできない」
「ええ~……」
「アリスのくせに」
「やめてください、そんな言い方は」
 しかし、昨日のことがあるだけに強く反論もできない。
「うう……」
 それでも何とかしなくては。その思いだけがふくらんでいく。
「あっ」
 そうだ。もうこうなれば、
「ナイトランサーにお願いしましょう」
「爸爸に」
「そうです」
 自身の思いつきに力をもらい、
「こうなったらもう、直接ナイトランサーに真緒ちゃんを」
「だめだ!」
 思いがけず。それを否定したのは、
「!」
 絶句する。
「ま、真緒ちゃん?」
「媽媽?」
 ユイフォンも目を見張る。
「私は真緒ではない」
「ええっ!」
 驚きの声。と、気づく。
「……あ」
 確かに。
 真緒では、ない。
 その顔に――
「私は」
 名乗りをあげる。
「私はマキオランサーだ!」
「な……!」
 マキオランサー!?
「え、えーと」
 何と言えばいいのだ!
「媽媽……」
「媽媽ではない」
 毅然と。薄桃色の仮面をつけた少女は、
「マキオランサーだ」
「う……」
 やはり何も言えなくなってしまう。
 と、仮面の少女は自信なさげに目を伏せ、
「……迷ったのだ」
「えっ」
「マークランサー」
「は?」
「マックスランサー。いや、マイティランサーも良いなと」
「は、はあ」
 早くもついていけなくなる。
「だめ!」
「えっ……」
 身を乗り出したユイフォンに息をのむ。
「媽媽、だめ!」
「媽媽ではない」
「だめ!」
(ユイフォン……)
 思いがけず強気な彼女に期待が高まる。ひょっとしたら止めてくれるのでは。
「かわいくない!」
「えっ……」
「どういうことだ」
「かわいくない! だめ!」
 ユイフォンは、
「マックスとか、そんなのだめ! かわいくないから!」
「ユ、ユイフォン……」
 脱力してしまう。
「いまはそういう問題ではなくて」
「そういう問題!」
「ユイフォン……」
「わかった」
「えぇぇ~?」
「私は」
 びっと。ポーズを決めて、
「マキオランサーだ!」
「う。マキオランサー」
「いやいやいやいや」
 さすがに首を横にふってしまう。
「な、何なんですか、マキオランサーって」
「マキオランサーがわからないか」
「アリス、アホ」
「アホじゃないです」
 そういう問題ではなくて。
「マキオランサーは」
 びっと。またもポーズを決め、
「ナイトランサーのライバルだ!」
「えーーーっ」
「うーーーっ」
 ユイフォンまでも驚声をあげる。
「ラ、ライバル……」
 なぜ、そういうことになってしまうのだ。
「媽媽……」
「! ユイフォン」
 涙。
「うう……ケンカはだめ」
「ケンカではない」
 はっきりと。
「ライバルなのだ」
「うー……う?」
 首をひねる。こちらもひねりたい思いだ。
「わからない」
「そうか」
「アホじゃない。アリスじゃない」
「なんてことを言うんですか」
「コラ」
 すかさず、
「ケンカはだめだぞ」
「う」
「あっ」
 あわあわと。口に手を当て、
「い、いまのは違うぞ。母でなくヒーローとして言ったのだ」
「うー……?」
「疑問に思うな!」
 強引に言い切り、やはりポーズを決め、
「マキオランサーはヒーローなのだ!」
「………………」
 沈黙。
「たあっ!」
「あ」
 気合を放ち。
 走り出したマキオランサーを二人はあぜんと見送る。
「どうしましょう」
「追いかける」
 うなずいて。
 何が何だかわからないまま、アリスたちもまた駆け出した。

「マキオランサーだ!」
「……え?」
 眼鏡の奥の目が見開かれる。
「えーと」
「マキオランサーだ」
 再び。名乗られる。
「マキオランサーなのだ」
 だめを押される。
「………………」
 使用人服姿に眼鏡の彼女――劉羽花(リュウ・ユイファ)は、
「あの、今日はそういう遊びを」
「遊びではない。本気だ」
 胸を張る。
「マキオランサーだ」
「………………」
 ユイファは、
「カ、カッコいいですね」
「そうか」
 満更でもなさそうに鼻を鳴らす。
「どうだ」
「えっ」
「ヒーローなのだ」
「は、はあ」
「だったら」
 もどかしそうに、
「してもらいたいことがあるだろう」
「えっ」
「ヒーローなのだ」
 胸を張る。
「えー……と」
 レンズ越しの目が泳ぐ。
「でしたら、その、お手伝いを」
「何をするのだ?」
 仮面越しの目が輝く。
「洗濯物を広げて渡してもらえますか? わたしが干しますから」
「わかった!」
 元気よく。返事をして、太陽の下、仮面の少女はユイファが抱え持っていた洗濯物のかごに手を伸ばした。


「うーん……」
「うー……」
 じーっと。
 茂みに隠れ、アリスとユイフォンは仲良くユイファのお手伝いをする仮面の少女を見つめていた。
「お手伝いしてますね」
「う。媽媽、いい子」
 当然だと。うなずく。
「これは……いいんでしょうか」
「うー」
 悩ましい。そんな息がこぼれる。
「いいと思う」
「ですよね」
 突然のヒーロー宣言に驚いていた二人だが、
「媽媽、変わらない。やっぱり、いい子」
「ですよね」
 これはこれでいいのかという気にさせられる。
「けど」
 引っかかっている。そのことを口にする。
「ナイトランサーの……ライバルって」
「うー」
 眉の間にしわが寄る。
「よくない」
「ですよね」
 うなずく。
「なんで? なんでライバル?」
「それは」
 わからない。
「アリス、アホ」
「アホじゃないです」
 さすがにここでのその決めつけには抗議すべきだろう。
「なりたい……んじゃないでしょうか」
「う?」
「ヒーローに」
「うーう?」
 首をひねられる。
「だから」
 自分でも確信は持てないながら、
「ナイトランサーに負けないヒーローになりたい。それでライバルなんじゃないでしょうか」
「わからない」
 首をひねられる。
「媽媽、ヒーローじゃない」
「それは」
 その通りなのだが。
「けど」
 くり返す。
「なりたいんですよ」
「なんで?」
「だから」
 心持ち声に力をこめ、
「ヒーローの気持ちを知るためです」
「う!」
 わかった。そう言いたそうに目を輝かせるも、
「うー?」
 やはり首をひねられる。
「だ、だから」
 こちらも言葉を探りつつ、
「近づきたいんです」
「近づきたい?」
 首をかしげたまま、
「爸爸に?」
「そうです」
「うー」
 わかったとも、わからないとも。
「わかった」
「そ、そうですか」
 本当はこちらもよくわかっているとは言えないのだが。
「応援する」
「はい」
「アリス」
「えっ」
「やっつける」
「……え?」
「悪いから」
「え、いや、あの」
 なぜ? なぜそうなってしまう!
「アリス、悪い」
「悪くないですよ!」
「悪い。頭が。アリス、アホ」
「アホじゃないです!」
 懸命に声を張り上げてしまう。
 しかし、向こうは構わず刀に手をかけ、
「コラーーーっ」
 止まる。
「コラっ。またケンカをしようとしているな」
 小さな仮面のヒーローだ。
「媽媽、すごい」
「媽媽ではない」
「マキオランサー、すごい」
「む?」
「だって」
 心から。感動しているという目で、
「すぐに来た。ユイフォンたちがケンカしそうになってるってわかった」
(いやいやいや)
 ケンカというより、一方的に斬られそうになっていたのだが。
 そして、それがわかったのは、隠れていたとは言えこんな近くで大声を出してしまったからなのだが。
「むぅ」
 複雑そうに。腕を組み、
「これでいいのだろうか」
「う?」
「ケンカを止めるのは当然のことだ。ヒーローでなくとも」
「媽媽!」
 あわてて、
「ヒーローもする!」
「む?」
「ケンカ、止める! いい子だから!」
「いい子……」
 ますます複雑そうに、
「ヒーローは……いい子なのか?」
「う?」
「そ、それは」
 アリスも戸惑いつつ、
「いい子……なんじゃないでしょうか」
「う。悪いヒーロー、いない」
「そうなのか」
 納得しきっていない。そんな息がこぼれる。
 そこに、
「アリスちゃん。ユイフォン」
 ユイファが声をかけてくる。
「二人も手伝ってくれない?」
「えっ」
「う?」
「真緒様と一緒に。いいでしょ」
「真緒ではない。マキオランサーで」
「はい。じゃあ、これもお願いしますね、マキオランサー」
「うむ」
 うなずいて。おとなしくまた洗濯物を広げ出す。
「ほら、二人も」
「は、はい」
「う」
 彼女だけに働かせているわけにはいかない。アリスとユイフォンもまた洗濯物を手に取るのだった。


「媽媽」
 昨日と同じように。
 彼女は夕陽の沈む海を一人見つめていた。
「また考えこんでる」
「ですね」
 これまた昨日と同じように、アリスたちはそんな彼女をすこし離れたところから見守っていた。
 今日一日。
 仮面のヒーロー・マキオランサーとして〝活動〟した彼女。
 ユイファのお手伝いに始まり、次々と屋敷のみんなに「できることはないか」と聞いて、仮面をつけた姿のまま、いろいろと働いてきた。
 しかし、それにずっと付き添い続けたアリスにはわかった。
(真緒ちゃん……)
 しっくり来ていない。
 そんな顔だ。
 自分のしていることに自信が持てていないという。
(いいと……思いますよ)
 心の中で。口にする。
 すくなくとも、誰かに嫌われるようなことはしていない。
 嫌われるはずがない。
 真緒は『いい子』なのだ。
(いい子……)
 そう言われることにも微妙な反応を示していた。
(真緒ちゃん……)
 彼女はいま何を求めているのだろうか。
「おい」
「!」
 いつの間にか。
「は……はわわっ」
 あたふたと。意味なく左右を見るも当然ごまかせるわけはなく。
「何しているのだ」
「いえ、あの、その」
 にらまれてますます動揺してしまう。
 こっそり後をつけていた。
 とは、とても言い出せない空気だ。
「ユイフォンも」
 青々と葉の茂った木を見上げ、
「いるのはわかっているぞ」
 ガサガサガサッ。
「あっ」
 いつの間に。
 枝葉の中に身を隠していたユイフォンが、すまなそうな顔で地面に降り立つ。
「ごめんなさい」
「何をあやまっている」
「それは」
 ちらり。助けを求めるようにこちらを見る。
「え、えーと」
 またもあたふたしてしまい、
「心配だったんです!」
 はっと。小さな身体がふるえる。
「う。媽媽、心配」
 その通りだとユイフォンもうなずく。
「………………」
 沈黙。そして、ぽつり。
「だめだな」
「えっ」
「私は」
 うつむく。
「ヒーローになれない」
「!」
「ヒーローの気持ちもわからないままだ」
 気持ち――
 やはりそれを知るために。
「そ、そのことは」
 何か言おうとするも意味のある言葉が出てこない。
「やはり、そうなのだな」
「!」
「私は」
 言葉につまる。
「……わかっていた」
「えっ」
 何を。
「っ」
 仮面がはずされる。
 乱暴につかんだそれを真緒は力まかせに、
「だめーーっ」
 跳ぶ。
「あっ」
 キャッチ。
「うー」
 投げ捨てられた仮面をぎりぎりでつかんだユイフォンは、地面にすべりこみつつほっと息をこぼす。
「大丈夫ですか」
 あわてて駆け寄る。
「う」
 大丈夫。そう言いたそうに仮面をかかげてみせる。
「いえ、ユイフォンのことが」
「う」
 かすかに目がつりあがり、
「そんなことより仮面のほうが大事。媽媽の仮面のほうが」
「『そんなこと』って」
 確かに、身軽な彼女がこれくらいで怪我をするようなことはないのだが。
「あっ」
 それよりいまは、
「真緒ちゃん!」
 いなかった。
「また……」
 昨日のように。走って屋敷に帰ってしまったのだろうか。
「媽媽!」
 ユイフォンもあわてふためき、
「媽媽、いない!」
「いませんね」
「うー」
 スッ。
「きゃーーーーっ」
「なに、落ちついてるの」
「や、やめてください、人の喉元に刀を当てるのは!」
「人じゃなくて、アリス」
「どういう意味ですか!」
「意味はない」
「ないんですか!」
 チクッ。
「きゃーーーーっ」
「アリス、うるさい」
「ユイフォンがうるさくさせてるんですよ!」
「じゃあ、黙らせる」
「やめてください、強制的に黙らせようとするのは!」
 そこに、
「何をされているのです」
「きゃーーーっ」
「あうーーーっ」
 これも昨日と同じだ。ただ違うのは、
「真緒さんは?」
「!」
 たぶん、先に帰ったのでは――
 言えない。
 彼女に『たぶん』などというあいまいな言い方は決して許されない。
「えーと、その、あの」
 言えない。
「ユイフォンさん」
「あうっ!」
 びくびくっと。
「真緒さんは?」
「う……うう」
 言えない。
「媽媽……は……」
「真緒さんは?」
「いなくなった」
「………………」
 無言のまま、
「あうっ!」
 しぱぁぁぁん! 鞭が鳴らされる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 ぶるぶると。ふるえながら手にした仮面を差し出す。
「これは」
「マキオランサー」
「はい?」
「だから」
 その後の言葉が続かない。
 それでも必死に、
「ユイフォン、守りたかった」
「………………」
「媽媽の……心を」
「………………」
 沈黙。そして、
「わかりました」
「……うー」
 ほっとした空気が伝わってくる。
「アリスさん」
「きゃあっ」
 冷たい視線がこちらに向けられる。
「あなたは」
「ふえ?」
「アリスさん……」
 ぐぐぐぐっ。
「きゃあっ」
「アリス、何もしてない」
「そそ、そんなことは」
 言い返せない。
「アリスさん」
「!」
 最後通告。そう聞こえた。
「あなたは」
「い、行きます!」
 走り出していた。
「真緒ちゃんを見つけてきまーーーす!」
「う! アリス!」
 ユイフォンもついてくる。
 恐怖に突き動かされた感は否めないが、事実、真緒を放ってはおけなかった。
(だって)
 友だちなのだ。
 大切な。
「アリスのせい!」
「ええっ!?」
「アリスが」
 言う。
「媽媽、傷つけた」
「……!」
 そんな。
「ユイフォンも」
「えっ」
 涙。
「傷つけた」
「ユイフォン……」
 足が止まる。
「う……うう……」
「………………」
 なぐさめようと。手を伸ばしかけたところに、
「何をされているのです」
「!」
 またもいつの間にか。
「アリスさん。ユイフォンさん」
 ぐぐぐっ。
「きゃあっ」
「あうっ」
 しなる鞭に威圧され、
「ごめんなさーーーーい!」
「あうーーーーーっ!」
 悲鳴をあげて再び走り出していた。

「ううううう……」
 夜。
「ユ、ユイフォン?」
 突然に。
 眠りかけていたところに現れた彼女に目を見張る。
「寝て」
「へ?」
「一緒に」
「………………」
 あぜん。
「え、えーと」
 どういうことかと混乱しつつも、
「あの、真緒ちゃんは」
「う……」
 じわり。
「媽媽、寝てくれない」
「えっ!」
「やっぱり怒ってる。傷つけたから」
「それは」
 そんなことはない。そう言えるだけの自信は自分にもない。
 結局、真緒は先に一人で帰っていた。それから、ずっと笑顔を見せることはなく、心配は続いていたのだ。
「あの」
 とにかくいまは泣いているユイフォンをなんとかしなくてはと、
「そういう日もありますよ」
「そういう日」
「その、たまには、ゆったりひろびろ眠りたいとか」
「ユイフォン……邪魔?」
「そんなことは!」
 しまった。逆効果だ。
「寝るとこ、ない」
「そんな」
 ますますあせり、
「せまいですよ?」
「知ってる。アリス、無駄にでかい」
「無駄にでかくはないです」
 六歳の真緒に比べれば大きいのは当然なのだが。
「………………」
 じーっと。
「わ、わかりました」
 同い年とは思えないすがるような視線に負け、
「じゃあ、自分はお布団を敷いて寝ますから、ベッドはユイフォンが」
「一緒」
「ええぇ~……」
「がまんする。アリスでも」
「いや、我慢するくらいなら、自分は布団で」
「無駄にでかくても」
「無駄にでかくないです」
「アホでも」
「それは何の関係もないですし、そもそもアホじゃないです!」
 結局――
 一人寝をさびしがる彼女に負け、同じベッドで一晩を過ごすことになったのだった。


「すまなかった」
「えっ」
 翌朝。
「あ、あの」
 頭を下げてすぐ行ってしまいそうになった真緒にあわてて、
「それって、ユイフォンのことですよね」
「………………」
「あの」
 できる限り。優しい声を意識し、
「今夜は一緒に寝ますよね」
 答えは、
「あっ」
 ぷい、と。
 何も言わないまま、彼女は言ってしまった。
「真緒ちゃん……」
「うううう……」
「!」
 ふり向くとそこに、
「やっぱり嫌われた……」
「ユ、ユイフォン」
「アリスのせい」
「って、なんでですか!」
 強く言い返しそうになるが、涙にむせぶ姿を前にさすがに勢いが弱まる。
「大丈夫ですよ、ユイフォン」
「大丈夫じゃない……」
「それは」
 続く言葉が出ない。
「やっぱり」
「……う」
 否定できない。
「だ、大丈夫です」
 意味を持たない言葉がくり返される。
「真緒ちゃん、いい子なんですから」
「じゃあ、ユイフォン、悪い子?」
「え……」
 そういうことになって――しまうのか?
「そんなことは」
「ユイフォン……悪い子……」
(はわわわわわ)
 もうどうしていいのかわからない。
「アリス」
「!」
 そこへまさに助けのように、
「葉太郎様!」
 ぱあっと。思わず表情を輝かせる。
 花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)――従騎士であるアリスの〝主人〟である人。
「あの、その、あのっ」
「落ち着いて」
 にこっと。いつも変わらないおだやかな笑みで頭をなでてくれる。
「うわぁ」
 うれしい。
 仕えるべき人のこの優しさにふれるだけで本当に安心させられる。
 ――と、
「あっ」
 かすかに。その笑顔が沈む。
「あ、あの」
「うん」
 一つうなずく。真剣な表情で、
「真緒のことなんだけど」
 やっぱり。
 こちらも顔がこわばるのがわかる。
「何があったの」
「実は」
 これまでのことを手短に語る。
「ヒーローの気持ち」
 つぶやき、目を伏せる。
「そんなの」
 そこまで気にしなくてもいいのに。そう言おうとしたのかもしれない。
 しかし、それが正しくないと気づいたのだろう。
 気にするべきものなのだ。
 真緒にとって。
 ヒーローとはそれだけ〝重い〟ものなのだ。
「どうしましょう」
「うん……」
 そこに、
「なんで葉太郎に聞くの?」
「えっ」
「あ……」
 ユイフォンだ。
「葉太郎、情けない。ヒーローのこと、わからない」
「な、なんてことを言うんですか」
「?」
「アリス」
「あっ」
 口に手を当てる。
「? ?」
 ますます不思議そうに首をかしげられる。
 知らない。
 ユイフォンは。
「えーと」
 騎士を目指すものとして嘘はつけない。それでもなんとか場をごまかそうと、
「い、いい天気ですねー」
「うー」
 ぎろり。
「う」
 チャキッ。
「きゃーーーーーっ」
「ユ、ユイフォン」
 喉元に刀を当てたところをあわてて止められる。
「アリス、ふざけてる」
「そんなことは」
 葉太郎がかばう。アリスも、
「ふざけているつもりは」
「真面目にやって」
「ご……ごめんなさい」
 あやまるしかない。
「真面目にやってるつもりで……」
「ユイフォン」
 なだめるように、
「ありがとう。真緒のことを大切に思ってくれて」
「思う。媽媽だから」
「だよね」
「だけど」
 じわり。あらたな涙がにじみ、
「何もできない」
「っ」
「そ、そんなことは」
「アリス」
 制せられる。
 向き合う。ユイフォンと。
「なんで、そう思うの」
「だって」
 瞳をうるませ、
「媽媽、一緒にいてくれない」
「………………」
「ユイフォンが嫌いだから。だから」
 アリスのときと同じように。
 頭に手が乗せられる。
 言う。笑顔で。
「真緒はユイフォンを嫌いになったりしないよ」
「う……」
 涙でいっぱいの目が向けられ、
「だったら、なんで」
「うん……」
 言葉につまる。が、すぐ、
「わかった」
 再び笑顔を見せ、
「僕が聞いてくる」
「う……!」
 かすかに頬に赤みがさす。
「よろしくお願いします」
「うん」
 折り目正しくおじぎをする彼女の頭を再びなでる。
 きちんと「お願い」と言える。
 まさに〝母〟の教育のたまものだと思えた。
(真緒ちゃん……)
 ある。ちゃんと絆は。
 いまはただそれがかけ違ってしまっているだけなのだ。
「葉太郎様」
 自分も。
 あらためてきちんと向き合いたいと思った。

 甘くはなかった。思っただけでどうにかなるほど。
「真緒ちゃーん。どこですかー」
 当然のように返事はない。
「ううう」
 途方に暮れる。
 葉太郎と共に話をするつもりだった。
 しかし、それより早く、真緒はどこかへ姿を消してしまっていた。
 いや『姿を消す』などと言うと深刻なイメージだが、要は何も告げずにどこかへ出かけてしまったということ。
 帰ってくるのを待とうかと葉太郎は言ったが、いまのこの自分の熱を消したくないと、アリスはこうして島の中を探して回っていたのだ。
 小さな島ではない。学園の施設はあるし、それに関連して暮らす者たちが大勢いる。
 顔見知りの人にも聞いてみたが、やはり真緒の行方はわからなかった。
「どうしましょう」
 無意識に落ちた言葉に気づき、あわてて頭をふる。
「はあ」
 こんなことばかりだ。
 情けない。
 身近の年下の友人に何もできないようなこんな自分が本当に騎士になれるのかと。
「あっ」
 騎士――
(ひょっとしたら)
 確証があるわけではないが、手がかりだってないのだ。
 心当たりはすべて当たる。
 そんな気持ちでアリスは走り出した。


 校舎の中は静かだった。
 それは一昨日も感じたことだ。
(でも)
 こんなに簡単に入れていいのだろうか。そのとき同じように思ったことが再び浮かぶ。
 いや――ここは〝騎士の学園〟だ。学ぶ身とはいえ、みな一人前の騎士たち。下手な不審者など、あっさり返り討ちだろう。
(不審者ではないですよね、自分は)
 思わず心の中でつぶやきつつ、静かな廊下を進んでいく。
(それにしても)
 本当に人がいない。思う。
 理由はわかっている。
〝学園〟におけるカリキュラムは座学でなく実践中心だからだ。そして、騎士は馬と共にある者である。さらに長大な騎士槍も扱う。校舎やその周辺だけでは、とてもスペースが足りはしない。なので必然的に、天候等の悪条件がない限り、主な学習の場は広い野外となる。時間の節約ということで、座学もそこで済まされることが多いらしい。
 一昨日、シルビアたちと会えたのはたまたま騎生連で調べものがあり、それで図書室を利用していたからなのだ。
(図書室……)
 そこには〝騎士団〟九百年の歴史を記した書物、加えて古今東西の騎士、さらにはその範疇に収まることのない英雄たちの記録や物語が保管されているという。
(つまり……ヒーロー)
 それこそ、真緒がいま知りたがっているものではないか。
(あっ)
 はっとなる。
 真緒は六歳だ。大人も読むような本を手にしようと思うだろうか。
(いいえ)
 彼女は賢い。
 そして、強い。
 困難に立ち向かう勇気を持っている。たとえ難しいことが書かれていても、努力してそれを理解しようとするはずた。
「失礼します」
 そっと。扉を開ける。
 たくさんの本棚が並ぶ図書室は、廊下以上の静けさに包まれていた。
 席を外しているのか、普段は司書の人がいると思しき場所にも誰もいなかった。
「真緒ちゃーん」
 とりあえず小さな声で呼びかけてみる。
「あっ」
 ぴくっ、と。
(い、いまのって)
 小さな影。本棚の向こうにかすかに見えたそれは、
(真緒ちゃん!)
 いやいや。決めつけるなと心の中で頭をふる。
 小柄で髪の長い別人かもしれないではないか。
「真緒ちゃーん」
 呼びかける。
 反応は。
 ない。
「う……」
 やはり人違い? そう思うも、はっきり確かめるまではと人影のほうへ向かう。
「あっ」
 逃げられた。
 明確に。
 こちらを避けるように奥へと行ってしまう。
「ま、待ってください」
 大きな声は出せないながら。
 それでも引きとめようと呼びかける。
「待って……」
 返事はない。
「あの」
 逃げられ続ける。
「ちょっ」
 走れない。早足が限界だ。
 つかまえられない。
 歩幅ではこちらが勝っていても、身軽さというか小柄ゆえの機敏さで通り道でないようなせまい空間もすり抜けていってしまう。
「うううう」
 それでも着実に奥へは追いつめているはずだ。
「さあ、もう逃げ場は」
 いなかった。
「あれ?」
 きょとんとなる。が、すぐ、
「はわわっ」
 いた。
 後方に影が見える。
 いつの間にか後ろに回りこまれてしまっていたのだ。
「あっ」
 まずい。このままでは外に出られてしまう。
「待ってください!」
 思わず大きな声で、
「真緒ちゃん!」
 止まる。
「真緒ちゃん……」
 やっぱりそうなのだ。
「逃げないでください」
「………………」
 伝わってくる。
 戸惑い。逡巡。
「そのままでも構いません」
 アリスは、
「自分は」
 語る。
「自分たちは」
 想いを。
「真緒ちゃんと仲良くしたいです」
 伝わってくる。
「真緒ちゃんに」
 言う。
「哀しそうな顔をしていてほしくないです」
「!」
 はっきりと。
 そして、
「……わかった」
「えっ」
「私は」
 そこで言葉が止まる。
 と、小さい声ながらも確かさをこめ、
「だから、仮面なのだ」
「え? え?」
 何を言っているのだ。
「仮面は」
 昨日、彼女自身が投げ捨てたではないか。
「しまった!」
「しまったんですか!?」
 もちろん『収納した』ということではないだろうが。
「あっ」
 飛び出した。
「ちょ、待っ……行かないでください、真緒ちゃーーーーん!」


「たあっ」
 すちゃっ、と。
「マキオランサーだ!」
「………………」
 あぜんとなるしかない。
「マキオランサー、復活」
「そうだ」
 ユイフォンのつぶやきに凛々しくうなずく。
「よかった……の?」
「えーと」
 何とも言いようがない。
 あれから。
 昨日、仮面を投げ捨てた丘の上に真緒は向かった。
「ない! ないぞ!」
「それは」
 ユイフォンが昨日キャッチしたことを伝えると、
「さすが、私のむす……いやいやっ」
 頭をふり、再び駆け出した。
 屋敷に向かって。
 そして、彼女が保管していた仮面をもらいうけ、こうしてまた〝ヒーロー〟が誕生したのだった。
「マキオランサーだ」
「そ、それはわかりましたから」
「わかっていない」
「えっ」
「わかられてはだめなのだ」
 ユイフォンと共に「?」となる。
「だめ?」
「そうだ」
「ヒーローだから?」
「そうだ」
 確かに正体は秘密というのがお約束なのだが。
「あっ」
 たたたっ、と。
 どこかへ行こうとする。
 とっさに追いかけようとした瞬間、
「ついてくるな!」
「えっ」
「う!?」
 言われてしまう。
 足を止めた二人が見ている中、仮面の少女は一人走り去っていった。
 昨日そのままの再現だった。
「よかった……んでしょうか」
「だめ」
 言う。
「ううう……」
「あ」
 涙。またも。
「やっぱり、ユイフォンのこと、嫌いだから」
「そんなことは。仮面を持っててもらって、きっと助かったと思ってますし」
「アリスがアホだから」
「アホじゃないです」
 なぜそうなってしまう。
 ただ、真緒の意図がわからないことも確かだ。
「あっ、アリス」
「葉太郎様」
 一足遅れなタイミングで現れた彼が聞いてくる。
「真緒は」
「違う。マキオランサー」
「えっ」
「あの、実は」
 いままでにあったことを話す。
「また……仮面?」
 葉太郎も困惑は隠せないようだ。
「なんで」
「ヒーローだから」
「いや、その、ユイフォン」
 当然のように言う彼女に、
「真緒は、その」
「マキオランサー」
「えーと」
 言葉をなくしてしまう。
「とにかく、話を」
「してくれない。ヒーローだから。秘密だから」
 そう言いつつ、さびしげに肩を落とす。
「ユイフォン……」
 騎士として、というより兄が妹に接するようにして肩に手を置く。
「ひょっとして」
 ふと。つぶやく。
「さびしい思いをしてたのかな」
「えっ」
「ヒーローの」
 視線が沈み、
「そう呼ばれる人間のそばにいる子たちは」
「そんなことは!」
 逆だ。声を大にして言いたい。
 真緒は――
 自分たちと会うまでは、周りの人たちと心の通わない日々を送っていたと聞いている。
 葉太郎が。
 ナイトランサーが。
 ヒーローが。
 現れたことで彼女は幸せになったのだ。
 断言できる。
「葉太郎様!」
「えっ」
 ずずずい、と。
「そんなことを言ってはだめです!」
「う……うん」
 こちらの勢いに押されつつうなずく。
「葉太郎様!」
「う、うん」
「アリス、うるさい」
「あ……」
「やかましい」
「『やかましい』までは」
 行っていたか。
「ううん、僕が悪いから」
 そう言って、再び目を伏せ、
「打ち明けたほうがいいのかな」
「!」
「実は僕が――」
「ダメです!」
 あわてて言う。
 ヒーローの幻想を奪うようなことは、いまはどうしてもタイミングが悪いとしか思えない。
「そうか……。だよね」
 すぐに頭をふって。言う。
 と、ぽつり、
「そのまま」
「えっ」
 顔を上げ、こちらを見る。
「だったら――」
 言う。
「そのまま向かい合ってみる」
「そのまま……」

ⅩⅡ

「とあっ」
 飛びつく。
「くっ」
 ぐいと。身体を上へ引き上げる。
「ふっ。ふっ」
 小さく息を吐きながら。
 登る。
 岩の間を。
 ロッククライミング。
 というほど大げさではないが、小さな仮面の少女にとって、そこは十分に〝試練〟と呼べるだけの高さがあった。
(負けるものか)
 心の中で。
(ヒーローがこの程度のことで)
 ただ一人。
 誰が見ていなくても全力であるのがヒーローだ。
 いや、そんな頭の中の理屈でなく。
 ヒーローたるべく。
 その魂を身体に刻みつけようと、
「あっ」
 手が。
 つかみそこねた岩の先が崩れ、バランスが崩れる。
「くっ!」
 もう一方の手を。
 すかさず引っかけるようにして身体を支える。
「ふぅ」
 安堵の息。
 と、すぐに表情を引き締める。
 だめだ、だめだ。
 このくらいで動揺して、しかも安心しているようでは。
 平常心。
 そのためにも。
(私は……もっと)
 再び。
 登っていく。
 自分の力で。
 自分だけの力で。
「あっ」
 手を取られていた。
 そのまま、岩山の頂上に引き上げられる。
「レディ」
「ナ……」
 ナイトランサー!
「な……」
 なぜ? 出かかったそれが意味のない言葉と気づく。
 当たり前だ。
 ナイトランサーはレディの危機に現れると決まっているのだから。
(レディ……)
 仮面の下で。唇をかむ。
「……だ」
「えっ」
 かすかにけげんな息をもらした彼を。
 きっ、とにらみあげる。
「よけいなお世話だ!」
 言った。はっきりと。
「ヒーローだ!」
 言う。
 両手を大きく広げ、
「マキオランサーなのだ!」
「………………」
 白い仮面の騎士は、
「失礼いたしました」
 優雅に。
 片膝をついて頭を下げる。
「違う、違う、違う!」
 頭がふられる。
「そうではない!」
 理不尽な決めつけ。そうとわかりつつ止まらない。
「マキオランサーはヒーローだ!」
「はい」
「だったら」
 吠える。
「レディとして扱ってはだめなのだ!」
 胸の痛みを覚えつつ。
「だめ……なのだ」
 くり返す。
「………………」
 沈黙。
 される。
(う……)
 怖い。
 紳士にふるまうヒーローであっても、不快さまで感じないということはないだろう。
 自分は――ナイトランサーを。
 心から慕うヒーローを。
「だめだ……」
 それでも。
「だめなのだ」
 言う。
「わかりました」
「……!」
 ナイトランサーは、
「失礼」
 現れたときと同様、風のように。
 消えた。
「あ……」
 思わず手を伸ばす。
「………………」
 ぎゅっと。
 拳を握り、それを引く。
「………………」
 だめだ。
 心の中でくり返す。
「だめなのだ」
 くり返す。
「私は」
 言う。
「ヒーローにならなければ」


「だめだったんですか!?」
「うん……」
 申しわけなさそうにうなだれる葉太郎に、
(な、情けないですよ)
 さすがに思ってしまう。
「ハッ」
 いやいやいや。これまでずっと情けなかった自分にそんなことを思う資格はない。
「すみませんっ」
「え?」
「あ……」
 思わずあたふたする中、
「情けない」
 言う。
 ユイフォンが。
「葉太郎、情けない」
「う……」
「待ってください!」
 あわてて、
「そんなことを言ってはだめですっ」
「なんで」
「だって」
 その後の言葉が続かなく。
 そして、思わず、
「ユイフォンこそ、なんでなんですか!」
「う……!」
 止まらず、
「ユイフォンだって……何も」
 そこに、
「はむっ」
 ふさがれる。
「ん……むむむ」
 葉太郎だった。
「アリス」
 それ以上は。
 そんな響きに気づき、我に返る。
「す、すみません」
 口をふさいでいた手が離れた後、葉太郎、そしてユイフォンにもあやまる。
「う。あやまって」
「はい……」
「葉太郎も」
「って、なんで葉太郎様まで」
「よくわからないけど、よけいなことした。葉太郎が」
「あ……」
 いまさらながら。
 彼女がナイトランサーの〝正体〟を知らないことを思い出す。
「あやまって」
「ごめん」
「葉太郎様……」
「爸爸にも」
「えーと」
 さすがにその要求には戸惑いを見せる。
「ユ、ユイフォン」
 助け舟というか彼女をなだめようと、
「とにかく元気は出たみたいじゃないですか」
「元気?」
「真緒ちゃ……マキオランサーですよ」
 声に力をこめ、
「ほら、ヒーローの特訓をしてるなんて。前向きになった証拠じゃないですか」
「そうなの?」
 見られた葉太郎は、
「えーと」
「葉太郎様!」
 こういうときは自信をもってうなずいてもらいたい。
「真緒は」
 そこまで言ってすぐ、
「マキオランサーは」
 言い直して、
「がんばっていたのは……確かだよ」
「ほら!」
「けど」
 再び視線が沈む。
「よかったのかな」
「う?」
「わからないんだ」
「葉太郎様……」
 深刻だ。
 真緒だけでなく彼まで――
「情けないし!」
 はっとなる一同。
「ぷりゅったく。家族をなんだと思ってるんだし」
「し……」
「シャラップだし!」
 ぴしゃりと。
「もう見てらんないんだし」
 ぷりゅ。鼻息荒く、
「癒やすし」
「えっ」
「癒しが必要なんだし」
 葉太郎にこれがほしいと思える自信たっぷりの顔で、
「学校につれていくし」
「えっ……」
 それは。
 もうすでに〝騎士の学園〟に。
「馬の学校だし!」

ⅩⅢ

「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 たくさんの馬たちに囲まれて、
「おお……」
 仮面の奥の目が見張られる。
「か……」
 そっと。
「かわいいな」
「かわいいんだし」
 当然だといううなずき。
「馬はみんなかわいいんだし」
「うむ」
 さすさすと。
 一番そばにいた馬の顔をなでる。
「ぷりゅー」
 それに応えるように。向こうもすりすりと頬を寄せてくる。
「ははっ」
 思わずというように笑いがこぼれる。
 と、はっとなり、
「だめだ!」
 びっと。大きく後ろに跳んで、ポーズを決める。
「ヒーローなのだ!」
 次のボーズに移行し、
「かわいではだめだ!」
「ぷりゅー?」
 拒絶の意志を感じ取ったのだろう。
「ぷりゅぅー」
「ぷりゅー。ぷりゅぅー」
「う……」
 哀しそうに。次々と近づいてくる。
「だ、だめだ」
 動揺を見せつつ、
「かわいいなどと、そのようなことに」
「かわいいのはだめなんだし?」
 言われる。
「馬はかわいいんだし」
 言う。
「かわいいがだめということは、馬がだめということになってしまうし」
 その言葉に合わせるように、
「ぷりゅー」
「ぷりゅりゅー」
 ますます哀しそうに馬たちがすり寄ってくる。
「私は」
 マキオランサーは、
「ヒーローだ」
 言う。
「ヒーローは」
 再び。そっと。
「誰かを悲しませては……だめだ」
「ぷりゅーっ!」
 すりすりすりっ。
 頬をなでられた馬が、それ以上の愛情を示そうするかのように顔をすり寄せた。
「ぷりゅー!」
「ぷりゅぷりゅー!」
 自分も、自分もと。群がってくる。
「ははっ」
 また笑みがこぼれる。
「かわいいな」
 やはり。言ってしまう。
「かわいいんだし」
 うなずく。
「さっそく癒やされてるし。ウマニマルセラピーだし」
 満足そうに言う。
「ぷるー。ぷるぷるー」
 そこに、
「ぷる。ぷるる。ぷるるる」
 落ち着いた大人の馬の鳴き声。
「おお」
 軽く目を見張り、
「あの馬が先生なのだな」
「そーだし」
 ぷりゅ。うなずく。
「先生なんだし。くみちょーだし」
「む?」
 わずかに首をひねるも、
「偉いのだな」
「そーだし」
 納得したように共にうなずく。
「ぷる。ぷるる」
 優しくうながされ、マキオランサーも馬たちに並んで〝席〟につく。
「馬の学校か」
 あらためて。
 ここは〝学校〟なのだと感じ入る。
 よくわからないまま、なかば無理やりここへつれられてきた。
〝馬の学校〟と呼ばれるものがあるのは知っていた。騎士たちと同じように、彼らの乗る馬たちもまたより立派な騎士の馬になるべく学んでいるのだと。
「真面目なのだな」
「ぷりゅ」
 うなずく。
 そして、
「ぷる。ぷるるる。ぷるる」
 馬語(?)による〝授業〟が始まる。
 眼鏡をかけたいかにも〝先生〟というべき馬が、おだやかな鳴き声で語りかけてくる。
「ぷりゅっ」
 わかりましたと手をあげるように。
 いななきがあがる。
「ぷりゅ。ぷりゅりゅりゅ」
 答える。
「ぷるっ」
 うなずく。正解ということだろう。
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 拍手をするようにヒヅメが鳴らされる。
「むぅ」
 感心の息がもれる。自分の知る学校そのものの光景だ。
「ぷる」
 眼鏡の先生がこちらを見た。
「ぷる。ぷるる」
「わ、私は」
 思わず気をつけをして、
「マキオランサーだ」
「ぷる」
 うなずく。優しいまなざしで。
「私は」
 語り始める。うながされる思いで、
「ヒーローだ」
 言う。
「ヒーローなのだ」
 くり返す。
「……いや」
 頭をふる。
「とてもそうは呼べない。だから」
 顔を上げる。
「ヒーローになるべく努力を」
「ぷるる」
「っ」
 はっと。
「あ……」
 涙が。
「私……は……」
 だめだ。こんな弱い自分を見せてしまっては。
「ぷりゅっ」
「あ」
 ぬぐわれる。
「私は」
 優しさが染み入ってくる。
「いいんだし」
 ぷりゅりゅ、と。
「私は」
 仮面を――外す。
「やはり、弱くなってしまったのだな」
「なに言ってんだし」
 ぷりゅっ、と。
「マキオはとっても強い女の子だし。凛々しいんだし」
「私はな」
 軽く頭をふりつつ、
「うれしかったのだ」
「ぷりゅ?」
「あのとき」
 数日前、医療学部で見た光景。
 ロープから落ちた冴をすばやく受け止めたシルビア。
 あれは――
 同じ。
 自分も。
 かつて同じように助けられた。
 ヒーローに。
 ナイトランサーに。
「気づいてしまった」
 告白する。
「私は……うれしかったのだと」
 そうだ。
 うれしかった。
 ヒーローは憧れだった。
 しかし、そのときから想いが変わり始めた。
 自分は――
「ヒーローの心がわからない」
「ぷ!?」
 目を見張られるのがわかった。
 苦笑し、
「当然だ。私はヒーローでなく」
 いつの間にか。
「………………」
 言葉がとぎれる。
 うつむく。
 と、顔をあげ、
「お姫様だっこをしたい」
「ぷりゅりゅ?」
「ナイトランサーを」
「ぷりゅ!」
 驚かれるのも当然だろう。
 けど、本当の本気の想いだった。
 レディとして――〝姫〟として甘えているままではヒーローの気持ちはわからない。
 そう気づいたのだ。
「だから」
 ふむっ、と。腕を折り曲げ、
「鍛えるのだ」
「ぷりゅー」
「鍛えて、お姫様だっこできるようになるのだ。そうすれば」
 言う。
「一人にはしない」
 力をこめて。
「ナイトランサーを」
 あふれる。
 想いが。
「でないと、ずっと一人ぼっちではないか!」
 ずっと――
「ぷりゅ」
 馬たちが。
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
「おまえたち」
 あらたな涙がにじむ。
「泣いちゃ、だめだし」
 笑顔で、
「かわいい子に涙は似合わないんだし」
 加えて。言う。
「かわいくていいんだし。かわいいんだから」
「しかし」
 目を伏せる。
「ナイトランサーのことは」
「だいじょーぶだし」
 笑顔のまま、
「一人じゃないから」

ⅩⅣ

「たーっ」
 いまいち締まらない気合の声と共に、
「サニーランサーです!」
 ポーズが決められる。
「カッコ悪い」
「う……」
 冷めた指摘に、太陽を思わせる明るい黄色の仮面をつけた少女は口もとを引きつらせる。
「いいんです!」
 しかし、ひるまず、
「サニーランサーは修行中のヒーローですから! これからがんばりますから!」
「やっぱりカッコ悪い」
「ううう」
 反論できない。
「う」
 しゅんっ、と。
 刃がひらめき、空気が裂かれる。
「シャドウセイバー」
 はるかに。影を思わせる薄灰色の仮面の少女がきりりと締まったポーズを決める。
「ううう」
 結局、ひるんだ息をもらしてしまう。
「シャドウセイバー、強い」
 自ら口にする。それが傲慢と感じられない気のキレがそこにあった。
「サニーランサー、弱い」
「なんでですか!」
 声を大にして抗議する。
「弱いから、弱い」
「理由になってませんよ!」
「弱い」
 だめを押す。
「シャドウセイバー、強い」
 くり返す。
「ナイトランサーの娘だから」
「じ、自分だって」
 こちらも胸を張り、
「ナイトランサーを目指してがんばってます!」
「ぜんぜん違う」
「う……」
「弱い。情けない」
「ううう」
 やっぱり反論できない。
 そこに、
「レディ」
「あっ」
「う!」
 共に仮面の下の顔を輝かせる。
「ナイトランサー!」
「爸爸!」
 駆け出す仮面の少女二人。
 と、はっとなり、
「サニーランサー!」
「シャドウセイバー」
 共にポーズを決める。
「うん」
 白い仮面の騎士がうなずく。
 そして、
「えっ!」
「う!」
 膝をつく。年下の仮面少女二人の前で。
「ありがとう」
「あ、あの……」
「う……」
「私は」
 言う。
「一人ではない」
「……!」
「そして、もちろん」
 その後は。
 言われないでもわかった。
「行きましょう」
 自然と。自分から言う。
 笑顔で。
 うなずいた彼と共に――


「おお!」
 目を見張る。
 マキオランサー。
「シルバーランサー!」
「ハハん」
 その名の通り銀色の仮面をつけた彼女は軽く鼻を鳴らし、
「美少女仮面、参上や!」
「おおっ!」
 さらに目が輝く。
「カッコいいのだ!」
「せやろ、せやろー」
「レアなのだ!」
「レ、レアかー」
 わずかに肩が落ち、
「まー、確かに、出番少ないもんなー」
「そうだ」
「や、断言せんでも」
 さらに肩が落ちる。
「まー、今日は新顔たちもおることやし」
「新顔?」
「顔は隠れてるけど」
 冗談めかして言い、
「ほーら、入ってきぃ」
 現れたのは、
「おお!」
 いっそうの興奮。
「本当だ。新顔だ」
「正確には、新仮面やけど」
「新仮面だ!」
 そこにいたのは、二人。
「ドルフィランサー!」
 あざやかな海の色をした仮面。波がはじけるようにあざやかに。
「ムーンランサー」
 あわく輝く月光を思わせる色の仮面。夜空に浮かぶ月のように静かに。
「おお……」
 それぞれポーズを決めた二人を前に、感動にふるえる。
「カッコイイのだ!」
「あははっ」
 満更でもなさそうに。ドルフィランサーが笑う。
「フッ」
 ムーンランサーも、口もとは見せないながら笑みをこぼす。
 そこへさらに、
「ほら、冴ちゃん、恥ずかしがらないで」
「や、やめてください、名前で呼ぶのは!」
「あっ、そうだよね。ふふっ、ちゃんとやる気あるんだねー」
「やる気とか、そういう問題ではなくて」
「名前だ!」
「えっ」
 ぐい、と。前に出てきたマキオランサーに息をのむ。
「あ、あの」
 あたふたと、
「ごめんなさい、わたし、その」
「名前だ!」
 再び。
「ヒーローネームや、ヒーローネーム」
 シルバーランサーが言う。
「あっ」
 わかったという声を出すも、すぐまたもじもじと、
「いや、その、わたしが決めたわけじゃ」
「だから、照れなくていいのよ、シスター」
「! せ、先輩、やっぱりそれは」
「違うでしょ」
 明るい声にかすかに凄味がにじむ。
「お姉ちゃん。もしくは」
 しゃっ、と。若草色の仮面の彼女はシンプルながらもポーズを決め、
「ナースフラウ」
「おお!」
 目が輝く。
「そして、こっちの子は」
「ええっ!」
 急にふられてわたつく薄桃色の仮面の少女だったが、
「シ……」
 恥じ入りつつもポーズを決める。
「シスターフラウ」
「おお! ナースフラウにシスターフラウか!」
「ううう……」
 喜ばれる中、ますます縮こまり、
「やっぱり変ですよ。どうしてシスターなんですか」
「お姉ちゃんでしょ」
「いや、先輩のお姉ちゃんなわけじゃ」
「先輩?」
「あ、いえ、その」
「わたしのほうがお姉ちゃん。ということは、あなたは妹」
「う……妹も『シスター』ですね」
「その通り❤」
「ううう」
 頭をかかえてうずくまる。
「大丈夫か」
 心配そうに声をかけられる。
「あ……」
 はっとなり、あわてて仮面の下で笑顔を作る。
「大丈夫。だって、わたしは」
 ひかえ目に、だが再びポーズをとって、
「ヒーローだから」
「うむ」
 うれしそうに。うなずく。
 そこへ、
「たあっ」
 やはり、どこか締まらない気合。
「参上です!」
「おお!」
 それでも仮面の少女はうれしそうに、
「サニーランサー!」
 さらに、
「う」
「おお!」
 音もなくすみやかに。影が姿をあらわす。
「シャドウセイバー!」
「う」
 うなずく。
 そして、二人の間から、
「ナイトランサー」
 現れた白い仮面の騎士が、少女の前に膝をつく。
「お待たせしました」
「大丈夫だ!」
 笑顔で。
「みんながいてくれた! 私は」
 確かな。その微笑みを口もとにたたえ、
「一人では、ない」
 笑顔が周りの『ヒーロー』たちにも広がっていく。
「ナイトランサーもそうなのだな」
「ええ」
 うなずく。
「私は、ヒーローとは正体を隠し、誰に知られることがなくても一人で強く正義をなすものだと思っていた」
 そう。
 だからこそ、彼女はヒーローに憧れた。
 孤独につぶされそうな心をその想いで支えていた。
 そしていま、
「孤独ではない」
 確かな想いをこめ、
「仲間がいる」
 言う。
「なぜ私はそのことを忘れていたのだろう」
「レディ」
 手を取られる。
「うむ」
 うなずく。
「みんな」
 自分と同じ。仮面の仲間たちを見渡し、
「みんながヒーローになれるのだ」
 言う。
「それがヒーローなのだ」
 伝わっていく。
 希望――
 彼女の胸にきざした光が。
「行こう」
 うなずく。
 歩き出す。
 手をつないだまま。
 二人の後ろに他の者たちも続く。
 ヒーローたちが。
 仮面の下に。
 笑顔をたたえて。

ヒーローをおしえて!

ヒーローをおしえて!

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-06-07

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. ⅩⅡ
  2. ⅩⅢ
  3. ⅩⅣ