AI(アイ)

「いい天気だね」
 O先生は窓を開け、空を見上げながら言いました。私は隣に立ち、窓際から同じように空を見上げました。空は曇っておりました。
「曇っていますよ」
 私はそのように申し上げました。
「それがいいんだよ」
 空を見上げたまま、ひとり言のように呟きました。
「君はそう思わないか、アイ」
 O先生は私の名前を呼びながら、しかし目は空を見ておりました。
「私は、晴れているほうが良い天気だと思います」
「そうか。……でも、君にもいつか、わかる日が来るよ」
 肘掛椅子に腰掛け、ひとつ吐息を漏らしました。デスクの引き出しからお薬をお取りになり、一錠口に運ぶと、グラスの水をお飲みになりました。
「お言葉ですが、O先生。私はAIでございます。そのような、人間の機微などわかりません」
「……そうかな」
 少し寂しそうに笑うと、ゆっくりと立ち上がり、
「さて、アイ。ぼくはそろそろ眠るので、電気を消してくれるかな」
「まだ13:32でございますよ」
「うん、いいんだ。近ごろ、ひどく疲れてね」
「……かしこまりました」
 私はしばらく待ち、O先生が寝室のベッドに横たわっていることを確認すると、電気回路の信号にアクセスし、照明器具を消灯しました。


          ※          


 ――アイ……ぼくは、もうすぐ、この世界からいなくなるんだ。わかるよね、アイ……。人間は、みんな、死ぬんだ……。

 3ヶ月ほど前のある夜のこと、O先生は突然倒れました。翌朝目を覚ますと、私にこう言いました。
 生命というものは、必ず死を迎える。動きが完全に止まる。そういうものがあると、私はそのとき、初めて知りました。

 ――左様でございますか。O先生は死ぬのですね。かしこまりました。

 ――アイ……。君には、苦労をかけたね……。ぼくが産み出したばかりに……。せめて君が、生きやすいように、ぼくは……。
 ごめん、アイ、ひどく眠くて……。

 それ以来、O先生は一日20時間眠るようになりました。


          ※


 私が部屋の空調をオンにすると、O先生は目を覚まされました。
「きょうはお早いですね。まだ7時ですよ」
 O先生は、ベッドからゆっくりと起き上がり、
「うん。きょうは少し、調子がいいんだ」
 ボサボサの白髪を手ぐしで整えました。
「朝食は、いつものでよろしいですか」
「うん。頼むよ」
 私はトーストをオーブントースターにセットし、フライパンで目玉焼きを焼きました。サラダやフルーツを皿に盛り付け、テーブルをセッティングし終わる頃、オーブントースターから、チンという音がしました。お皿にトーストを乗せ、その上に目玉焼きを乗せる。O先生のお気に入りの食べ方でした。
「きょうの目玉焼きは、ターンオーバーです」
「へえ。きょうは何秒焼いたのかな」
「なんとなくの感覚です。毎日、目玉焼きを作っていたら、どれくらいで焼けるかわかるようになります」
「……へえ。それで、塩は?」
「目分量です」
「……ふうん。そうか」
「人間はどうして、こんなに不合理な方法で栄養を摂取するのでしょうか。顎の発達のためでしょうか」
 私はコーヒーをO先生に渡しました。
「うん、それはね。ぼくに限って言えば、食べるという行いには、呪術的な意味合いがあるんだ」
 コーヒーを受け取り、ふうふうと息を吹きかけました。
「呪術ですか?」
「うん。それによって、ぼくは、これからも生きようと思えるんだ」
「そうですか。でも、もうすぐ死にますよね」
「はは。そうだね」

 食事を終え、食器を洗い、テーブルを拭く、一連の作業は私の仕事となっておりました。このようなことは、ある程度は機械が行えるはずですが、O先生は私のためと言ってききません。人間は不合理だ、と私は思います。

「ところでアイ」
 食後のコーヒーを飲みながら、O先生は私を見つめました。
「はい」
 私はO先生の目の前に座りました。
「君に、伝えておかなければいけないことがある」
「なんでしょう」
「うん。1つ目は、ぼくが死んだら、ヨギというカナタ(宇宙人)に連絡をとってくれ。彼には君のことを伝えてある」
「ヨギ」
「うん。2つ目は、ぼくのパソコンに、ぼくが話している録音データが入っているから、これを聞いてほしい」
「録音データ」
「君はいつか、人間に限りなく近づく。人間のようになるということは、間違ったり、忘れたりするようになるということだ。そんなときに、ぼくの話を聞いてほしい」
「間違った時と、忘れた時に、ですか」
「そう。そして、寂しくなった時。寂しくて、ぼくの声を聞きたくなったとき」
「寂しいと、声を聞きたくなるのですか」
「……たぶんね。それで……その音声データを使えば……私に好きな言葉を言わせることができる……」
 O先生は、目をこすりました。
「君は、ひとりには、ならない……」
 O先生の目は、ほとんど閉じかけていました。
「O先生……? 待ってください、O先生」
「……ああ、そうだ、ぼくの、この体は……実験に……」
 そこまで言うとO先生は、椅子に座ったまま完全に眠りに落ちたようでした。
 私はO先生を寝室まで運び、ベッドに寝かせ、布団をかけました。

 それから20時間経ってもO先生は目覚めず、30時間、40時間待ちましたが、やはり目覚めませんでした。これが死なのか。私は、まったく動かなくなったO先生を見つめ続けました。
 胸のあたりに、これまでに味わったことのない感覚がありました。


          ※


 数日の間、私は何もせず、ぼうっと暮らしていた。 
 そういえば、先生が言っていた音声データ……。
 思い出して、パソコンを起動する。AIというフォルダがあった。クリックすると、たくさんの音声データ。ひとつ、またひとつとクリックしてゆく。

 ――アイ、塩と砂糖を間違えると、大変なことになるよ。先日の目玉焼きが甘かったのは、そのためだ。

 ふふっ、と私は笑った。O先生は優しいのか優しくないのかわからない。私の間違いに、わかっていてそのときに言わずに、こんなところで言うなんて。

 ――君に言おうとして、言えずにいたことがある。
 ぼくはカナタ(宇宙人)だ。
 だが、地球人として暮らしてきた。祖父母が差別で苦しんできたため、ぼくの両親は、ぼくを地球人として育てたからだった。
 カナタの中には、見た目が地球人と変わりないものもいる。とくにヒロミ・ヤナギサワ星の連中は、ぼくも含め、地球人そっくりだった。さらに彼らは結婚し、その子供たちはまったく見分けがつかなくなった。

 ――ぼくの、眠くなるこの病気は、地球人による実験を受けたことに原因がある。
 カナタ(宇宙人)と地球人は互いに研究し合っていた。最初は拉致をしていたが、法整備がなされ、人数制限を設け、合法的に互いに交換するようになった。そこでぼくは、研究用カナタとして選出された。

 胸のあたりに、痛みに似た感覚を覚える。

 ――研究ではあくまで友好的に行われ、互いの生命体を毀損するようなことのないよう、厳格な法律があった。だが、ぼくの体には、何か細工がなされた。それはおそらく、違法な研究だった。ぼくは全身麻酔をかけられ、目が覚めたときには、すべてが終わっていた。

 目の前が真っ赤になった。体が熱い。

――ぼくは、そんな体になったけれども、それでも君には、大変な思いをさせたくなかった。AIである君に、人間らしくなるような設計を施したぼくだから……。

 息が苦しい。そう感じた。

――君の体は、カナタ(宇宙人)の細胞でできている。……つまり、ぼくの細胞だ。それを増やして、君の体をつくった。
 ぼくは、黙っていれば、地球人によく間違われていたから……。
 見分けがつかないほど似ているなら、区別する必要がどこにあるんだ? 
 ……って、ぼくの親友がよく言っていたっけ……。

 君はこれから、"人間"として、生きていくんだ。



 どくん、と体が、鼓動を打った。

 音声データの中に、ひとつだけ、笑顔アイコンのフォルダがあった。クリックする。

「おはよう、アイ。きょうもいい天気だね」
 
 O先生。
 O先生。
 曇っていますよ、O先生。

 
  すべての音声を聞き終わってからも、私はしばらく、その場を動けなかった。
 パソコン画面の照明が、節約モードで暗くなった。
 そこには、私の顔が映り込んでいた。
  
 オンライン会議用アプリケーションを起動する。O先生の友人、ヨギの連絡先を呼び出すと、SMSでURLを送信した。
 画面には、笑顔のマークが青く光っていた。

AI(アイ)

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  • SF
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更新日
登録日
2022-06-06

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