Y氏と隣人
この世にまたとない発明だ、とYは思った。ようやくできた。これぞ我が人生で唯一にして至高の毒薬だ。これなら間違いない。彼らを殲滅するのだ。
「Y博士。ねえ、Y博士ったら」
体の小さなミクロが、パタパタと音を立ててYに走り寄る。
「こら、ミクロ。研究室の中を走ってはいかん」
Yはたしなめると、ミクロと目線を合わせるためしゃがみ込んだ。Yがその小さな頭に手を乗せてなでてやると、ミクロはにこにこと嬉しそうにした。
「へへ」
「それでどうした、慌てていたようだが」
「あっ、そうだ。大変だよY博士」
「まあ落ち着け。そんなふうに手をパタパタするのは、痛っ……、やめなさ……痛っ。殴らんといて」
「あっ、ごめん博士。実はトモヤくんが爆発しそうなんだ」
「爆発?」
トモヤはミクロと同じ学校に通う地球人だ。同級生の多くが、ミクロのことを異質なものを見るような冷たい目で見るのに対し、トモヤは、ミクロがカナタ(宇宙人)であると知りながら、ときに兄のように優しくし、親しい付き合いをしていた。
「うん、爆発だよ。だからY博士、なんとかしてよ」
「いや待てミクロ。爆発するというのがわからん。トモヤくんは、何かを我慢をしていたのか?」
「何を言っているの?」
「トモヤくんは、何かに怒っているのか?」
「トモヤくんは怒ってないよ。爆発しそうなんだよ。ボカーンてなるんだよ」
「えー……っと、そうか。うん。わかったよ。わからないけど、わかった。それで」
「それでねえ、Y博士、トモヤくんの爆発を止めてよ」
「うーん。それは止められるものなのか?」
「Y博士ならできるよ」
ミクロはYの頭をなでようと、手をぴんと伸ばす。Yは少しかがんで、なでやすくしてやる。
困ったな。爆発を止められる何かか。なんだろう。だいたい爆発ってなんだ? トモヤくんはダイナマイトか何かなのか?
ミクロは自分のことを過大評価しているな、とYは思う。それはくすぐったくもあり、少し引け目もある、複雑な気持ちだった。
公園に捨てられているミクロを拾ってきたのは、一年前だった。ミクロは何もわかっていないような、呆けた顔をしていた。以来、研究室とYが読んでいるアパートの一室で、ミクロと二人で暮らしている。ミクロはYにとてもなついた。
カナタ(宇宙人)が地球に移住しはじめて数年が経った昨今であったが、捨てカナタの問題が多発していた。カナタは地球では働き口が少なく、生活が苦しい。そのため、子供が産まれても育てることが難しいと、産まれたばかりの子カナタを捨てる事案が頻発しており、いまや社会問題となっていた。
捨てカナタを拾った地球人の子供が、カナタを飼いたいと親に言い、うちでは育てることができないと怒られ、泣く泣く元の場所に戻しに行く、といったケースも枚挙にいとまがない。
「わかった。ミクロがそう言うならやってみよう」
「わーい、やった。じゃあY博士、トモヤくん連れてくるね! いまそこまで来てるから」
「えっ」
「おーい、トモヤくーん! おいで!」
「ちょっと待って、もうそこにいるの?」
部屋、片付けなきゃ。Yが慌てて研究室中を見渡すのもおかまいなく、ミクロはトモヤを呼び込む。
研究室の扉が開く。
「大丈夫? 入れる?」
ミクロが扉に近寄る。Yはミクロ越しにトモヤを見た。
あ、爆発しそう。Yは思った。
風船のようにパンパンに膨れあがったトモヤが、そこにはいた。
「うわーっ、爆発する!」
「だから言ったじゃない、Y博士!」
太っている、というのではない。まったくのまんまるで、しかもつるつるなのだ。風船そのものである。
「トモヤくん、トモヤくんはなぜ、こんなことに? そ、そうだ、飲み物を出してやろう。麦茶でいいかな」
Yはそばにあったコップを3つとり、冷蔵庫を開けた。茶色い液体を注ぐと、すぐに自分が飲んだ。
「しかしびっくりしたな、今にも爆発しそう……。うっ、なんだかしょっぱい」
あまりのことに気が動転し、麦茶とめんつゆを間違えた。
「もー! Y博士、口からだらだらこぼしてないで早くトモヤくんを助けてよ!」
Yは台所に行き、タオルを取って濡れた首元を拭きながら考えていた。
正直、地球人のことは助けたくない。私も地球人だが、彼らのカナタに対する仕打ちを見ていると、だんだんと憎しみが湧いてくる。いつか彼らに、思い知らせてやろう。そして毒薬を作った。
だが、そうは言っても、とYは立ち止まる。大切なミクロにとって、トモヤくんは友達だ。ミクロを悲しませることはしたくない。
「わかった、私がなんとかしよう」
「あっ、Y博士!」
「ん? なんだミクロ」
ミクロの視線の先を追う。
Yが先ほどこぼしためんつゆで、床は濡れていた。そこでトモヤが転び、つるつると滑ってYへと向かってくる。
「あ、うそ」
Yが動けないでいるうちにトモヤは転がり続け、避ける暇もなく二人は衝突した。
ガシャン、と何かが割れる音が響いた。
「……あっ」
Yが作ったばかりの毒薬が、トモヤに振りかかっていた。
や、やばいんじゃないか。Yは慌てた。これはそれなりにやばいはずだ。ダーナというカナタから譲り受けたやばいやつが入っているんだ。ふだん何をしているか知らないが、信頼できる口からの紹介だから、確実にやばいやつのはずだ……そんなやばいやつが振りかかったら……。
「あれ?」
トモヤはむくりと起き上がった。
「あれ?」
ミクロは目を丸くした。
「なんか小さくなってない?」
さっきまで風船のようだったトモヤは、いくらか人形(ひとがた)になっていた。膨らんだヒトデのような格好で、トモヤはそこに立っていた。
あの毒薬が効いたのか……?
Y博士は訝しんだ。地球人を殲滅するつもりで作ったやばいやつが、どういうわけがトモヤの爆発を阻止したというのか。
どういう仕組みだかわからないが……。
Yが考え込んでいるうちにも、トモヤはみるみるうちに萎んでいった。
「あれっ、すっかり元通りになっちゃった! Y博士、さすが! 天才! 天才!」
「ははは、ミクロやめろよ。私が天才なのは前からだろ」
なにがどうなっているのかわからない。おそらく毒薬を作ろうとして、どこかの段階で私が間違えたんだろう。しかしトモヤに怪我ひとつなくてよかった。ミクロも嬉しそうだ。
「じゃあ遊んでくるね! トモヤくん行こう!」
そう言うとミクロはトモヤの手を引き、さっさと外へと出ていった。
Yは研究室の奥にある書斎で、PCを操作した。画面には、笑顔のアイコンが、青く光っていた。
「今回は失敗です」
Yが画面に向かって言うと、画面の笑っている顔が少し歪み、怒っているような表情になった。
「……そうか」
画面の顔は思案げな表情へと変わる。
「次に期待している」
通信はそれで終わった。
Yはコップを取り、一口飲んだ。
「うっ、なんだかしょっぱい」
Y氏と隣人