カヒコ

トザマ

 精神科医Tは、目の前の患者に笑いかけた。
「それでカヒコさん、近ごろはどうです?」
 患者は、名をカヒコと言った。カヒコは自分のにおいを嗅ぐような仕草をすると、さも臭そうに顔をしかめた。
「ええ……ぼくは、そのう……みんなと、仲良くやるのは、……なんていうか」
「職場のひとたちと、うまくやるのは難しいと、そうお感じになりますか?」
 Tは穏やかに促す。
「なんていうか、そのう……、そうです。はい」
「そうですか。どんなとき、そう感じますか?」
 カヒコは診察室の天井を見上げ、うーんと唸る。
「……たとえば、ぼくが……みんなの前で、ヘマをすると……あ、このあいだ、面器をひっくり返しちゃって……、面器っていうのは、作ったエビフライとかを、入れる、やつで」
「うん、なるほど。面器とか、バットとか、ああいうやつですね。作ったものを並べるバットをひっくり返してしまった」
「そう……厨房に……あ、ぼくはその、食べ物の、お店で……働いていて……」
「そうでしたか。飲食店の厨房で働いていたんだけれども、そこでヘマをしてしまった。うん、なるほど。それで、どうなりました?」
 カヒコは俯き、少し言いにくそうに話し続けた。
「あ……上司が……これだからトザマは、って……」
「なるほど」
「……だから、ぼく、ぼくの……せいで……みんなは…、怒っ……」
「カヒコさん。大丈夫ですよ、落ち着いて」
 今にも泣き出しそうなカヒコを前に、Tは思う。また宇宙人差別か。なくならないものだな。

 カヒコはいわゆる"宇宙人"だった。
 ここ数年、宇宙人の地球への移住が活発になっていた。世界各国の、宇宙人の受け入れを推進しようという動きがあり、各惑星にとってもそれはメリットのあることだった。

 おもに日本では、コンプライアンスの観点から宇宙人のことを「カナタ」と呼ぼう、と宇宙人権団体が叫んでいた。だが、この言葉はまだそれほど浸透してはいなかった。

 出稼ぎなどの理由で地球に来ている宇宙人を「トザマ」と呼んで差別する風潮が、ここ一、二年の間に生まれていた。

宇宙人権団体の運動も虚しく、トザマという言葉はまたたく間に日本中に広まっていた。

 カヒコはヒロミ・ヤナギサワ星という星から遥々やってきた、夢見る学生だ。
 地球へ移住したのは、いつか地球でビッグになり、そうしてヒロミ・ヤナギサワ星に帰ったら、すごくモテるかなと考えたからだった。カヒコは、それはもうめちゃくちゃモテたかった。
「だけど、そこをやめたら……やとっ……」
「やとってくれるところがない、と?」
「ええ……」
「カヒコさん。お仕事を少しお休みするといういうわけにはいきませんか」
「……い、いき……」
「お休みすることは、できませんか?」
「……ああ、ええ……」
「ハローワーク・コスモに行って、相談してみるのも、いいかもしれませんよ」
「……?」
「この宇宙はひろいですから、働く場所は、ありますよ」
「……そ、……」
「お仕事をお休みして、元気なときにハローワーク・コスモに行く。できそうですか?」
「い……いま……」
「今すぐとはいいません、あなたの都合のいいときでいいですよ」
 カヒコは少し考えたのち、こくりと頷いた。
「じゃあ、お薬はいつもどおり出しておきますね」

 カヒコが精神科クリニックから出ると、今にも降り出しそうな曇り空が広がっていた。
 思わず脳内のデバイスにアクセスしたが通信がうまくいかず、はっと気づいた。ここではこれは使えないんだった。地元ヒロミ・ヤナギサワ星では通信機器の技術は発展していたが、ここではそれは使えない。スマートフォンを見るとLINEの通知が来ていた。母からだった。
「夕ご飯は地球食がいい? それとも宇宙食?」
「ちきゆうしよく で いい よ。
 うちゆう しよく は、まだ、もつ から。もう少し、とつて おこう よ」
 慣れない手つきで返信をする。カヒコにとって、日本語の読み書きは難しかった。
 カヒコは母と二人暮らしをしていた。母は高齢で働いていない。カヒコは日雇いのため母のことを養いきれず、国の保護を受けて生活していた。国からの保護費は微々たるものだったが、地球に来た宇宙人はまだ少なく、困っている宇宙人がいたとしても、その小さな声はどこにも届かなかった。
 カヒコはため息をついた。
 こんなことで、いったいいつになったら、モテモテになれるんだろう。みんなは元気かな。どうしているのだろう。
 遠く遥か彼方、ヒロミ・ヤナギサワ星に思いを馳せる。
 ミコちゃんはとてもキレイだったな……。ショウコちゃんは歌がうまかったし……ツグミちゃんはいつも、えくぼが可愛くて……ケイちゃんとハナちゃんは、なんかとにかく可愛くて……それから……。

 カヒコはホームセンターへと向かった。
 チャッカマン、ロープ、ガムテープ、カッター、包丁など、思いつく限りをかごに入れた。
(あれ……ぼく、なにを……?)
 カヒコは、なぜこれらの道具を買おうとしたのかわからなかった。頭がぼんやりとして、考えることが難しく感じた。
(T先生が、うつ、って言っていたやつかな)
 早く帰って、母の作るご飯を食べよう。カヒコはレジで会計を済ませると、母が待つアパートへと急いだ。

翌日のニュース

 ──昨夜未明、東武東上線で無差別殺傷及び放火事件が起きました。死者3名、重軽傷者26名……宇宙人カヒコ容疑者は容疑を否認しており……。
 現場は騒然としており、車内防犯カメラには、逃げ惑う人々の姿が映り込んで……。
 カヒコ容疑者は、職場で差別を受けており、専門家らは、カヒコ容疑者は差別をされ、鬱屈していた。事件は怨恨によるものである、と……。

診察室

「それで、どうでした」
 PCの画面から、上層部の声が響く。リモート会議ではいつも、上層部は画面をオフにしていた。なんの上層部なのか、Tも知らなかった。真っ暗な画面にTは答える。
「ええ、うまくいきました」

カヒコ

カヒコ

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-06-02

CC BY
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  1. トザマ
  2. 翌日のニュース
  3. 診察室