2. Sereia

夕立に傘を

鈍色の模様

私は自転車を転がしながら無機質を見るような目で街を見渡していた。



前と右側からは笛と金属音で奏でられる交差点の音楽会。

一瞬で消えたように扉に吸い込まれる男。

この前まで嘘を吐き続けた看板。

こちら側を、足を固定された鳥は薄っぺらい壁の向こうから覗いていた。



私は小学校の帰りに見た情景を思い出しながら脳裏に映し出していた。
昔はもっときらきらと輝いていたのに。

…いや、この町一帯は観光客を呼ぶとかで新しくなっているのだ。
むしろ前よりきれいなのだ。綺麗に見えないのは自分の心の問題だろう。
目を閉じて、深呼吸をしてから、私は道を進んだ。



それから10分後のことだったか、

季節外れの、豚の姿をした蚊取り線香はテーブルの上で
相棒である煙草の捨て皿と愉快に喋っていた。
居酒屋の前で、きっと店内に置けなくなったのだろう。それでも愉しそうなのが、羨ましく思えた。

向こう側のライトが青色に染まる時、半身だけ振り返って私は

「もういいんだ。」

言い聞かせるように呟いて、
向こうの道を目指して自転車を引きずった。

頬を撫でる風はどこかなまぬるく、一昨日体感した喉の痛みが愛しく感じた。

これが夏を知らせるものだということも、あの痛みがただの渇きだということを知ったのも、
この時間になると同じ事をを考えているようだって知ったのも。
やっとこの前知ったのだ。
綺麗に見えないのはこのせいなのかな。

一人納得して、後ろを見た。

今、
彼が追い付いてくることも、
私の前に現れることも無い。
だから、
ただ、
虚しかった。

それだけ。
それだけなのだ。

決して彼が悪かったんじゃない。むしろ私からすれば彼に悪い所なんてなかった。
自分が不器用で、分かりにくいのが悪かったんだ。
いつも察してくれることに甘えていた。

だからこれは、勝手に彼のせいにしているだけなのだ。

鼻の先がつん、と苦しくなる。


ふと、空を見ると、
夕焼けが雲で隠れ、ほんの一部しか見えなくなるのが私の視界に映る。
そんな空が自分に似ている気がして
なんだかとても心地よくなった。

自動車が後ろから駆け抜けていく。

髪が靡く。落ちた葉は夕焼けに舞い上がる。

黒猫が、
猫が、
とびだしていく。


私はそれを見送って、何もないアスファルトに自転車を投げ捨てた。

黒猫の瞳に催眠でもかけられたのか、それともこれを口実にしたいだけだったのか。
いや、あるいはどっちもかもしれない。



一瞬、追いかけてくる君の顔が見えた。







なんでわらってるんだろ、わたし。


ごめんね


              鈍痛
                  破顔 
                               ―――暗転。

占いと天気

晴れ。


今日は珍しく彼女は上機嫌だ。

今日は何かが起きる。
彼女の機嫌は今日の運勢。
だから占いも当てにできない。

今日はみずがめ座が一位らしい。
どうせ逆なのだろう。

僕は今日を期待することはなかった。

彼女も僕と同じように時間が過ぎていくたび、
朝と同じような機嫌ではなくなった。



随分今日は部活が長引いた。

見慣れた顔は今日はそこにはなかった。

いつもは遅れても待っててくれたりとか、

…するから少し不自然に感じただけなんです。

今の言葉に羞恥心で負けそうだ。
別に僕と彼女の間に何かあるわけじゃないし、ただの友達だ。うん。



待て、

手に顔をうずめて考える。


今日。

彼女は珍しく自転車での登校だった。
自転車だからどう…ってわけではないのだが、
少し前に、彼女が言ってたことを思い出す。

母親からの贈り物らしいのだが、
中学を卒業したあたりから乗らなくなったという。

この前、つい最近のこと。その、彼女の母親が亡くなったというのを知った。

病気だったそうだ。


どう声を掛けたら分からなくて、それを知った日はただ無言だった。

そのとき彼女が僕に助けを、同情でも求めていたのだろうか。
何か、何か、言えばよかったのだろうか。

今更になって後悔が、想像が、こみ上げるように溢れるように脳裏に浮かんだ。

一気に血の気が引いた。


夕方。

一羽の鴉が電線に止まる。

背筋に冷たい汗が伝う。


濁った空。

その空は冷たく、泣いていた。

寒い。いや、体は熱い。

酸素を吸ってはまた吸って。短く、浅く、貪欲に。


忘れてきてしまった。傘。

すべて、置いてきてしまった。

息が荒い。一歩ずつ踏みつけたコンクリートの道は雨に染みていた。
ぼやける視界。

赤煉瓦を敷き詰めた道と、
城下町の景色が残る雁木の道を抜け、
鳥も、
人も、
音も、無視して走った。


いつも別れるあの場所で。


焦点が合う。その時には。

君はもう道路に、猫に手を伸ばしていた。



一瞬。そう、一瞬。君がこちらを向いて驚いたように見た。



加速を続けていた自動車はブレーキを慌てて押した。

勿論間に合うはずもなく。
車のブレーキ音は景色を狂わせた。


黒猫は逃げて行った。こちらを振り向きもせずに。

膝から崩れ落ちる。

布が水分を吸収していく。

じわじわと。しみこんでいく。

破れた布に新たな布を合わせていくように、貼り付けられた新品のアスファルトには
雨と、赤い何かが滲みこんでいった。

じわじわと。しみこんで。


届かなかった、間に合わなかった。


陳腐な言葉しか出てこない。

いや、そんな言葉さえも僕の中でしみこむように溶けて、
そして、ゆっくりと現実に引き戻していく。

喉の奥で、火をつけたような熱さが込み上げる。


熱をすべて飲み込んだ。

現実も飲み込んだ。

やっと俺は立ち上がった。


夕立。

アスファルトを叩き付けるように降り続けていた。

君の一部は雨に溶けた。

激しく降る雨によって、君の体は押し出され赤を吐く。
また、大粒の雨によって、その赤は色を失う。


なんで、君は笑顔なのさ。

なんで、なんで、言ってくれなかったのさ、なんで、

疑問を投げ掛けても応えるものはなにもない。

熱くなる、暑くなる、あつくなる。

雨に濡れて僕は今、どんな顔をしてるかわからない。

いろんなものが流れてるんじゃないかなんてことも、あつさでなにも考えられなかった。


どんどん近づいてくる救急車のサイレンに掻き消され、もう何も聞こえなくなった。

夕立の友

彼女は雨が好きだ。

髪を伝う、肌を伝う、
服の濡れる、靴の濡れる、
染みていく、
沁みていく、
浸みていく、
滲みていく、
凍みていく、
この感覚がたまらく好きだ。

赤レンガが敷き詰められた道は2か月前までに咲いていた桜の跡がまだあった。
もう茶色くなっており、それが桜だったのか曖昧であった。

赤レンガも、桜もすべて雨水に濡れている。
雨によって少し濃くなった景色は晴れの時よりも鮮やかに見える。
これも好きなのだ。

彼女は傘を使わなかった。
好きな感覚が奪われるこの道具は使いたくなかったんだろう。
兄には
「(傘持って行ったのに)なんで濡れてんの!?」
と言われていたそうだが今では何も言われないという始末。

しかし、僕たちの住むこの町は豪雪地帯のため昔から雪よけに雁木造の道となっており、
それによって雨を遮られているわけだが、こればっかりは彼女にはどうにもできないことだった。



『雨が好き。』

この感情は彼女自身、感じてはいたもののほとんど自覚症状がないものだった。

だから、彼女になぜ雨が好きか訊いてはいけない。訊いたところで苦い顔をする。
実際、訊いてみてそうだったから確かである。

…なら、さっきまでの感覚が好き、景色が好きときっぱりと言い切れたのはなぜか。
それは、この一年間一緒にいた結果だ。

ほとんど顔には出さないが微かに目に出るのだ。



…時は一年前に遡る。

その日も、雨だった。

入学から二ヶ月が経ち、クラスのほとんどの顔を覚えるころになったころ。
同時に入学当初の初々しさは消えたころ。

その日は雨だった。
厚い雲の先はどんな色だったのか忘れるほど最近の天気は曇りか雨が続いていた。

梅雨の時期に傘は欠かせなかった。
忘れる人なんてほとんどいない。

だが、
目の前にはびしょ濡れの少女が歩いていた。


見たことがある、同じクラスの一人だ。

彼女は傘を持っていた。

淡々と前を進むその姿は勇ましくもあり、また哀れに思えた。
でも、それよりも美しく見えた。

否、髪は濡れてるにも拘らずぼさぼさであり、
いろいろなところがはねていたし、
制服に準じた服装ではあったがボーイッシュさが隠しきれない服装であった。
具体的にいうとなかなか気持ち悪いのであえて言葉にはしないが、
一般的な女子とは少し離れていたことは伝えておくことにしよう。

まぁ、それでも僕の目にはきれいに見えていたのだ。
これが一目惚れってやつなのかもしれない。

この感情が確かになるのはまたあとのことなのだが今は述べないことにする。


歩幅的な関係で一歩進むごとに彼女との距離は少しづつ近づくことになる。
声が届くところまで近づくと思い切って声をかけることにした。

「おい、」

確かに声に出したつもりだった。

だが何の反応もなく、ただずかずかと前を進むのみで止まる気配はなかった。
仕方なくもう一度声をかけることにした。

「おいってば、」

反応はない。

「お前だよ、津田千春!」

一度立ち止まり、こちらを横目で見た後何事もなかったようにそのまま進もうとする。

「ちょ、なんでだよ、待てよっ」

少し離れた彼女を止めようとして反射的に手を掴んでしまう。
自分でも予想外のことに頭は真っ白になってしまう。

「なに、痛い。」

やっと立ち止まった彼女の目はいかにも不快そうであった。

半ば無理やり引き留めたので不快に感じるのは仕方ないが、
少しは隠してほしかったという言葉は胸の内に置いておくことにした。

一時的に白紙になった僕の頭の中は、どうでもいいことを考えられるほど回復した。
その時にはまた彼女は前に踏み出そうとしていた。

今までの努力が無駄になるのは避けたかったのと、
これ以上目の前の彼女が濡れるのを見ていたくなかったため、
とりあえず彼女が手に持っていた傘を取り、差して出した。

彼女はその傘を取り返そうとしたが、僕は力強く握っていたため、
彼女は取り返すのを諦め、差されるがままになっていた。

一連の攻防を終え、僕は口を開いた。

「傘、なんで差さないんだよ。」

率直な疑問を投げてみた。

「…関係ないでしょ。」

愛想のかけらもない返事だった。

彼女はきっと、傘を持っている僕のほうが有利だと知ってる。
それ故に、さっきまでの一方的な前進はしなかった。

だからといって、彼女は理由を話すような様子ではなかった。
こちらが引くのを待っているのだ。

最初はこちらも引くまいと強く傘を握っていたのだが、
一秒一秒一向に進まないこの状況はなんだか不慣れであったのと、
雨の中自分でもよくわからない攻防戦はなんだかどうでもよくなって、

僕が先に折れることになった。

「まぁ別に話したくないなら話さなくていいけど、風邪ひくからせめて差して行けよ。」

呆れた顔でそういうと、彼女は傘をつかんだところで僕も彼女の傘から手を放した。

相変わらずの無表情ではあったがさっきよりも表情が柔らかくなっていたのが分かった。
柔らかくなったというより、少し不思議そうな顔をしていたとも取れる表情だった。

僕が歩き始めると、隣で彼女も歩き始めた。

隣にいる彼女の顔はビニール傘に遮られ歪んで見えたが、
雨に濡れた髪は艶やかに見えて、
黒のアクリルガッシュをそのまま垂らしたような黒髪と曇り空の白い光によって照らされた肌のコントラストが、
綺麗だった。

ハッと我に帰ると前を向いて歩いた。

一歩踏み出すたびに靴から染み出す雨水は今は気にしないことにした。
もっと気になるのが隣にいたから。
慣れない感情を必死に隠すが、当事者は全く気付いていないようでその日の帰りは僕だけが無駄な努力だけしていた。

何事もなく、ただ終始無言で帰った前日から今日の帰りに至るまで、
お互い何か話すことも顔すら合わせることはなかった。

いつもよりそわそわした僕の態度に旧友はさすがに気付いたのか、
もともと口数は少ないのだが、今日は表情筋一つも動かそうともしなかった。

僕はそのやさしさと読むべきか無関心と読むべきかわからない態度を知っているから特には言及しなかったし、
今の感情を引きずり出されても困るため、互いに口を噤むことにした。

放課後のチャイムが鳴り、それぞれ帰路に向かう頃、
完全に嫌われたかな、と溜息を吐いて傘を差したとき、
さっきまでの思いは杞憂だったことが分かった。

隣では傘を差し始めたそいつがいた。



口の両端が緩やかに上がる頃、

前方に進んだそいつは、

傘を少し傾けて、

愛想のない顔を緩ませた。




これは、過去の話。


そして、僕の一目惚れの話。

鮮やかな蛙

視界はモノトーンであった。


見慣れた顔はらしくもない化粧をして、そこに横たわっていた。
いつものような無表情で、ただそこにいた。
ただ一つ、
違いを上げるとするならば、
紅色の、
一見濁ったような、
でも、
何色にも浸食されたことがないような、
純粋な紅を持った、
その瞳が見えないことぐらいだろうか。


最後を見てしまっている以上、何も言葉は浮かばなかった。
彼女が今、何も思えないように、自分自身、何も考えられなかった。

それは、彼女の最後を見た時のような茫然とした状況での無ではなくて、
すべて受け入れたうえで、今更何も思えなくなった状況下での無であると思う。

席は空席が大半を占めていた。
親戚らしき人たちが彼女の家族に挨拶をしていた。
家族、すなわち残された父親と兄の二人が無理に顔を繕って受付をしていた。

旧友の顔には長旅の疲れが出ていた。
一人、都会へ行ったこいつは、彼女の死を知って駆け付けてくれたようだ。
特別仲が良かった様子はなかったが僕と一緒にいる以上、顔を合わせる機会が多かったのも事実で、
ただ、いつもの無表情を保ちながら僕の隣に立っていた。

今日もこいつは無言だ。
これは確実に彼のやさしさであった。
僕対して、自分に対してのやさしさである。

きっと彼女はこんな気持ちだったんだろうなと思う。
ただ茫然としかいられない状況に、
僕のこの後悔を知っている、隣の旧友は口を開いた。

「災難だったな」

相槌を打とうとして開いた口からは嗚咽の声が漏れる。
顔を見せたくなくて必死に隠した目は布で擦れてすぐに赤くなった。

あたまがいたい。
空気の音が頭の中で谺していた。

旧友は少し僕の肩に触れてからゆっくりと背中にかけて撫でた。

「ご、…ごめん……、ごめ…ん…、」

そんなを繰り返していた。

隣のこいつに対してか、それとも、正面に眠る彼女に対してか。


還る孵る蛙。

雨の中で、低い声が啼いた。

2. Sereia

暗めの話になりました。
最初の 鈍色の模様 は人生3作目の作品でした。
小学6年の時に書いたものを大幅にリメイクをしたものです。内容自体はほとんど変わっていないんですけどね。
小学校のころから殺伐とし過ぎじゃないか???

夕立の友 の執筆中に書いていた紙を失くしてしまってうろ覚えの内容を書いていたのでだいぶ変わってると思います。
本当は千春ちゃん視点で書いていたんですがうまく思い出せず、結局男の子視点に…(◞‸◟)
最後の話なんて付け足す予定もありませんでしたし…
計画なんてなかったんや…!

男の子の名前と、旧友の名前はたぶん後に出すと思うんですが、
旧友についてはきっと気づく人がいると思われる…
(こういうことを言うと勘付く人が増える)
2人とも考えてる話ではめんどくさいことに巻き込まれます。巻き込みます。

シリーズ一作目とか見ててきっと気づくと思うのですが、花の名前をちょいちょい参考にしてます。
ユーザーネームとかもろもろにもたくさん使わせてもらってます…!
花は可愛い上にたくさん意味とか別名とかあって楽しいです。めっちゃめるへん。

そんなこんなでここらへんで。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

2. Sereia

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 鈍色の模様
  2. 占いと天気
  3. 夕立の友
  4. 鮮やかな蛙