常緑の箱

 旧市街「若草の塔」はこの街の生きる化石である。今となっては稼働するエレベータ等中々お目に掛かれる物ではない。エレベータだけでも名所足り得るが若草の塔は通名「二十二階」と呼ばれている。高いのである。高い建物は軒並み崩壊したがこの二十二階は今尚現存する歴史的価値のある名所の筈だが、中は面白いくらい閑散としている。
 馬鹿兄の友人に連れられて二十二階へ訪れ、私はそんな歴史的価値のあるエレベータに乗った。二十二階のエレベータはよく止まると噂だった。所詮噂は噂。大体止まると言っても毎回止まる訳ではない、きちんと稼働している時の方が多いのだ。席替えのくじ引きで狙った席を引き当てる運のいい私である。
 しかし、止まった。それも私達が乗り込んだ後にである。閉じ込められた。私はエレベータの扉に両手を付け「エ……ッ。」と声を発した。
 二十二階のエレベータは鉄、蛇腹、鉄、と三重扉になっていて叫んでも声が届かない、と言うのは夏になると囁かれ出す学園の定番の話である。
 兄の友人を振り返ると彼はヤレヤレと言った風に首を振った。
「止まったね。」
「最低ね。」
 私の焦りをかんじ取ったのか彼は、
「まあよく止まるってことはね、助ける方もよく助けるってことだよ。」
 成程、と私は頷く。
 ……二人きり。私は奥でじっと立っている彼の隣へ立ち、助けを待つことにした。全部兄の所為だ。
 最近、兄は裸体画にはまっている。モデルを呼んで裸体画を描くのだが、私を邪険にするのだ。それを家へ招かれた彼が見かねて、裸体図を描く日はきまって彼と出掛けることになったのである。
 雨で外をウロつくのは難しいし、食事処に何時間も居座る訳にはいかないしで今日は二十二階へ訪れたのだが普段しないことをするもんではない。
「大人しく階段でいけば良かったわ。」
「まあまあいいじゃないか。」
「頼もしいわね。もしかして前にも閉じ込められたことがあったりして。」
「君の兄さんは多趣味だね。」
「何よ突然……高尚なヘンタイ趣味よ。」
「気が利かないのが玉に瑕だけどね。」
「わるかったわね。」
 黙って、エレベータの扉をみつめる。エレベータ内は全面若草色をしている。古い額が一つ飾ってあるが、中も全面若草色の紙で、何がしたいのかわからない。
 隣の彼の視線を受け止め吟味する。
「フム……私が好きなの。」
「イヤ……聞いてどうするんだ。」
 口元を抑えて彼が笑い出す。
「別に、いいでしょ。」
 ちょっと苛立って私は言った。
「あれ。」
 ごめんごめん、と彼は謝り、額を指す。
「ずっと見ているとあれが段々草に見えてきて……段々、初夏の草むらの中に居るような気持ちになるんだけど……って引かないで。距離をあけないで。」
 私は再び元の位置まで距離を詰める。
「ヨユウがあるようで何よりだわ。」
「三度目だからねぇ閉じ込められるの。」
「……私、あなたと一緒だったから閉じ込められた気がするわ。」
 額を抑えてはあーっといきを吐く。三度閉じ込められたことよりも、二度閉じ込められて尚乗ろうとする能天気さに呆れた。
「誰と閉じ込められたのよ。」
「君の兄さんは多趣味だよね。」
 又話をかえられた。それにしても彼も大概兄の扱いが雑だ。
「裸体図、興味ないの。それで呼ばれたんじゃないの。」
「始めはね。でも興味無いよ。芸術も、他人も。君の兄さんは始めストッパーとして僕を呼んだんだよ。そんな度胸無い癖にね。」
「じゃ、今とても苦痛でしょうね。」
 彼を苦しめてやろうと私はウキウキして言った。
 けれど彼は気にした様子もなく、
「一人で閉じ込められたんだ。おかげで草の揺れる音まで聞こえてきてね。気がおかしくなりかけたよ。」
「今日は話し相手が居て良かったわね。」
「そうだね。」
 外が騒がしくなってきた。そろそろ助けがくるのだろう。
「今度、広野へでも行こうか。幻じゃなく。」
「行くなら長野か栃木がいいわ。」
「遠いな……。まあ、構わないよ。」
「本当にいいの。兄さんが私を追い出すのは月金の午後と土曜の午前だけよ。」
「ああ、いいよ。金曜に出て月曜に戻ればいい。その代わり月曜は学園を休んでもらうけど。」
「出席日数なんてハナから気にしていないわ。……約束よ。」
 私はハンカチを取り出して、ハンカチに挟んだクローバーの栞を取った。学園で学友達とクローバーを探し、かわかし、ラミネートして作った栞だ。昼間、使っていないハンカチに挟んでそのままになっていた。
「あなた、運がわるいから。」
 栞を彼の手の中に入れると彼は、
「気が早いよ。約束を踏み倒すかも。」
 と言いつつ栞を上着の内側へとしまった。
「反故にしたっていいわよ。これは、今の私の気持ちを表しただけ。あなたには良さがわからないでしょうけど……。」
「良さはわからないけど、大事にするよ。」
 ぽんぽんと彼は私の頭を撫でるのと同じ調子で叩く。
「精々大事にして頂戴ね。」
 私は顔をあからめて運命を委ねた。

常緑の箱

常緑の箱

兄の友人と訪れた二十二階のエレベータに閉じ込められて……。 #ペーパーウェル08

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-20

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