愛のうごき

二十六~二十七くらい。


 さながら、湖のおもてに映る不幸に、身投げしたようにして始まった恋だった。
 もしやすると、かれらはみずから、孤立と不幸を求めたのかもしれなかった。
 ふたりの少年は手を繋いで、波紋に揺らぐ不幸へ身を投げ、その冷たく徹るような湖のおもてに叩かれて、うら若き双の躰は、空へ腕を伸ばしたまま、仰向けでだんだん沈んで往き、やがては白鳥が水面にそっと頭を隠すかのようなしずけさで、白いゆびさきさえ見えなくなることを希んだのだった。
 跡にはきっと、他人行儀な日光が、硬い、鏡のような水面へ、燦々と降りそそいでいるのみなのだった。

  *

 代々、大手企業の重役を勤める家系、その一人息子である雪彦が、そのやや治安の悪い田舎町へ越してきたのは、父親の転勤にしたがって、折角なら、自分が夏の休暇に育ったところで生活しようという、父の独断があってだった。
 くわえて、やや根性論にかたむきがちな新支社長の考えでは、気持の弱い雪彦は、田舎で、身も心も鍛えなおしたほうが好いだろうというものがあったのだった。雪彦は、奴隷根性にも似た殊勝さで、その意向に従うのをよしとした。その態度は、ある種かれの無精さでもあるのだった、そしてそれこそが、父が矯正せんとする、かれの弱さの本質の一つであるのだった。
 その田舎の中学に転入し、放課後、かれはすぐさま不良少年らに肩をつかまれ、軽い暴行を受けた。雪彦はその無礼な歓迎に甘んじた。かれは抵抗というものを知らなかった、ただ襲ってくる外の現象をすべて宿命とみなし、諦め、天命を待つというのがかれの唯一のモットーなのだった。
「秋仁くんに挨拶に行くから、来い」
 躰の大きな少年がかれに命令した、雪彦は力なく頷いた。唇には、うっすらと笑みさえ浮んでいた。かれは今回の宿命が、かれに大いなる苦痛を被らせるだろうということを予感し、そこに在らざるを得ぬみずからを、嘲ってみたのだった。まったく、たいした人生だった。どこだって一緒だった。
 不良少年らに連れられて、うつむいて廊下を歩く。窓から見える景色はばかげたように綺麗だった、自然の美しさというのは、果して、こんなにも人間の生活と関連がないものだろうか。森は太陽を称えるように茂り、鳥たちは陽気に歌い、青空は無邪気なほどに清澄だ。そうであるのに、自分はいまから、顔も知らない不良グループのボスに暴行されに、重い脚をうごかして歩いているのだ。
 青空の美しさは、さながら無垢な少年達の侮蔑のように、あっけらかんと残酷である。ふたたび、憔悴したような顔で、うっすらと微笑する。
「なに笑ってんだよ、舐めてんのか」
 髪をつかまれ、壁に頭を打ちつけられる。この程度だった、かれの人生なんてこの程度だった、雪彦にはそうとしか思われなかった。
 屋上の扉を開ける、射しこむ陽光が眩しい。
 秋仁は、数人の子分を連れて、その長身痩躯を佇ませていた。
 かれは冷酷な美貌をもっていた。
 あらゆるものを撥ねかえすような蒼白の肌、すべてを侮蔑する切れ長の眼は、暴力の悦びに爛々と瞳をかがやかせたかと思うと、不意に伏し目がちになり、黒髪はもの憂そうに眼にかかる、酷薄な印象の唇はうすく、細身にかくされた筋肉には、獰猛な意欲がみなぎっているようにおもわれる。
 かれは反抗のための肉体をもっているようにみえた、世界の形状を変えんとする、ちかと閃くような暴力の意欲が耀き、それを終えると、重い憂鬱と倦怠に、頭をかかえるのだった。雪彦は一目で、かれの体力の甚だしさを見抜いた、そして、英雄に対するそれのように、秋仁へ憧憬したのだった。かれは秋仁の強さを、その豹のような躰つきから予感したのだ。
「こいつか、××雪彦ってのは」
 低い、しわがれた声である、声変わりの途中なのだろう。
「弱そうだな」
 秋仁はいった、されどそんな印象が、かれが暴力をためらう理由になるわけがない。かれはただ、雪彦の雰囲気にふと惹かれたのだった、それは華奢な、薄幸な少年の媚態であった。地に転がって、誘うように上目遣いをする、虐げられた者のそれだった。すなわち意図せずして、最も卑怯なそれなのだった。
 秋仁は雪彦の胸倉をつかむ。雪彦は首に力をいれない、黒髪の乱れる頭は重たく垂れて、視線は、どこか遠いところへ向けられている。
「どこ見てんだよ」
 雪彦は頭をそのままに、眼だけをうごかし、その傲然な視線を投げて言った。
「雲」
 かれはいつからか、空に浮ぶ雲に、みずからの運命を見いだしていた。むしろ、もっと雲になりたかった、そう宿願していた。
 秋仁に凝視され、その瞳の、奥ゆきのないオニキスの暗さを見たとき、雪彦は、かれの不幸を決定したのだった。かれもまた、どうしようもない苦しみに苛まれていることを確信したのだった。雪彦はかれを憐れんだ、そいつはむろん、崇高な感情ではなかった。少年らしい軽蔑が、みずからのなにかに対する無意識な傲慢さが、あらゆるものへの冷笑が、その感情の底に流れているようだった。涙が落ちた、陽を反映し、きらと光った。
「なに泣いてんだ」
 秋仁はその涙が、僻みの感情によって、みずからへの憐憫によって流されたそれだと見抜いたらしかった。それに我慢がならなかった、かれは自分よりもすこぶる小柄で華奢な少年を、おもいきり突き飛ばした。
「てめえ、腹立つ顔してんじゃねえよ」
 コンクリートに転がる雪彦の頭をつかみあげ、躰のいたるところに、幾度も拳を振りおろす。火花を散らすような、刹那の悦び。のちに疲れと罪の意識のどっとのしかかる、一時的な快楽。周囲の不良少年達は、ボスの暴力がふだんより狂気の色を帯びていることに気がついて、唖然とした。
 やがて、投げ棄てられた真白のアネモネのような躰が、灰いろのコンクリートに横臥す。きんと透明な絶叫のはりつめた、澄んだ青空の下で。
 …息を荒げて、秋仁は立ちあがる。
「俺に逆らったら容赦しないからな、おい、行くぞ」
 雪彦は、痣だらけの躰を横たわらせていた。かれが泣いていたのは、口惜しいからではなかった、ただ、生きてあるのが悲しくて、そして尊大にも、秋仁が生きてあるのが悲しくて、そうせざるを得ない自分たちが憐れで、滑稽で、ずっと涙を流していたのだった。
 そいつは、麻薬めいた神経作用を与える心のうごきであった。

  *

 秋仁は家に帰ってきた、幸い、昔よくかれを殴っていた、大嫌いな父親はぐっすり眠っていた。かれは一部屋の片隅で、よごれた布団にくるまった。殆どヒモ、そして半グレのような生活をしている兄は、時折家に帰ってくるが、酔うと秋仁に暴力をふるうのだった。惨めだった。平均的生活水準、機能不全家族、これらの概念が酷く憎かった。ひとびとは、いつもその価値基準を振りかざし、自己と秋仁を比べ、軽蔑の混じる同情を腹に叩きこむのだ。同情されるくらいなら、かれはそいつに雨のような暴力を降らせ、獲物を貪る肉食獣のような優越感を味わいたかった。しかしその暴力的な欲望、そいつはむろん、社会秩序から毀れる悪徳なのである。
 雪彦。
 かれは、しばしばこの古色蒼然な名が、遠い角笛のように脳裏で響くことを、なぜだと疑うのだった。雪彦のかよわき容貌、悲劇の似つかわしい力なき表情、打たれることへの無抵抗、それらは風のようにひとまとまりになり、果ては、波のようにその悲愴な名へ打ち寄せるようにおもわれた。

  *

 雪彦もまた、その痣だらけの躰を引きずって、周囲の田舎らしい風景と乖離したような、西洋風の豪奢な家へ帰ってきたのだった。
 かれは、「悪」について考えた。
 悪へ向かう者、もしかれらに何らかの信念があったとしたら、その行為には、みずからの意欲・力に頼り、事を成し遂げようとする、現実への積極性ともいうべきものが伴うことがあるように思われた。
 雪彦はみずからの弱さを自覚していた、そいつはいわば、スクールカーストや社会のピラミッドの話ではなく、奴隷根性、屈従の精神に支えられた、内に閉じ籠った、みずからの意欲を押し殺す、消極的な態度のことであった。かれはみずからの弱さを、心から慈しんでいるわけではなかった、しばしば自己憐憫へ傾きながら、憎もうとし、軽蔑し、そして突き放そうとする意欲くらいはあった。それはしかし、いつも巧くいかないのだった。
 ひるがえって悪というものは、巨大になる程に、ある種の自立した強さを帯びてゆくように、かれには思われるのだった。
 そこには、善人のするような心遣いはなく、世界の形状をおもうがままに変えんとし、たとえ卑劣な、非情な手段をつかってでも、自力で目的を達成しようとする、欲望を充たそうとする、積極的な生があるように思った。甘え、こいつは大悪党には発見されにくいように感じられた。
 そして、たとえ善心に操作された行為であろうと、それを真に実現しようとすれば、その行為には、現象としてある種の悪が含むのではないかと考えた。注意ぶかく思慮を重ねれば、どこかで、何かが損なうことに気付くのではないか。そう考えるがゆえに、雪彦は、父親を含む社会的強者の多くに、やや悪の現象を発する傾向がある為に、かれらがうす汚い低劣な人間であるという風な、青年らしい考えには与さないつもりだった。強者には強者の、悪人には悪人の、掌に汲まれた悲哀があるのかもしれない。とはいえ、かれはしばしば、強い者へ逆恨みしたのだけれども。
 秋仁は? とかれはつぎに考えだすのだった。
 かれはそういった、強い大悪党ではなかった、けっしてそうではなかった、かれの決めつけに過ぎないけれども、雪彦のわるい癖だ、おそらくや、かれは喧嘩の強い、ただの不幸な不良少年だった。秋仁が強いとかれにおもわせた原因の暴力は、きっとまっとうな社会では、強さでもなんでもなく、ただ社会秩序、権力に潰される類のものでしかない筈だった。しかもかれの暴力には、なんの善心もありはしない。ただ刹那の凶暴な激情と、またたくまに消え往く優越感があるだけだろう。それでは自分は錯覚をしているのではないか、そうとも思われた。
 しかし雪彦は、どうにもかれを憧憬してしまうのだった、それはおそらく、ある意欲をもって、みずからにない一つの現象を、秋仁が起こしているからであった。現実への抵抗。

  *

 再び、雪彦は不良グループに呼び出しを受けた、かれは薄ら笑いを浮かべて、それに甘んじた。
 その気味の悪い笑みは暗鬱であった、月夜に浮ぶ、ひび割れた玻璃窓にも似た雰囲気があった。その人相は殆ど廃墟めいていた。不良達は、そのぞっと冷めたい笑いに恐怖をおぼえた、それゆえに、牽制のつもりで、いちど壁へ突き飛ばしてみたのだった。やはり無抵抗だった。不良達は、それに安堵した。
 この時雪彦は、自分を可憐にさえおもっていたのだった、悲劇の運命にさだめられた、鮮血を流す、かよわき姫のような自分を想っていたのだった。
 こういった夢想は、麻薬のような作用を与えるのである。敗北者にこそ美をみいだすような感性が、自己憐憫の心のうごきと、完全無欠な被害者となることによって、醜悪な肉体が緊縛されエゴから解放されて、肉に属すあらゆる悪徳が白い光りに蔽われ、娼婦の海にどっぷりと浸かり、のっぺりと等価に肯定されるというような、かれに都合のいい美意識とが交配して、ついに生殖されて了うのかもしれなかった。
 屋上に辿り着いた、秋仁の姿は、そこにないのだった。
「ボスは?」
 と不遜な声で訊くと、
「質問すんじゃねえよ」
 と腹を殴られる。乾いた笑いがこみ上げた、かれはみずからを含むなにか巨大なものを、徹頭徹尾、軽蔑しているのかもしれなかった。たかが知れている。一切が。
 かれは、「愛」という感情の存在の有無を、いま疑っていたのだった。情緒的な共感に導かれる憐憫、その解消の為の施し、残りは虚栄と自尊心、社会への適応に捧げる、優しさの欺瞞ではないのかとかんがえていた。社会的な仮面、人間の仮面、優しい仮面、そんなものを被りでもしないと、他者への貢献を前提とする世間はまわらないのではないか。その仮面の美しさを、自己の人格・心のそれだと錯覚するのは自己欺瞞だ。親の子への愛、それは時に自己犠牲へも導く、しかしそれは、個の遺伝子を残そうとする、肉に付属された本能なのではないのか。
 思春期にしばしばみられるような、浅薄で幼稚な考えであった。ただ一つ言えるのは、雪彦に限ってはそうなのだった。怖ろしい犯罪行為へも導きかねない、なにかの憎悪と繋がれば、反社会的な感情を容易に産み落とす、思想にもならない、ひねくれた危険な感性ともいえた。
 しかし睡る水晶、奉仕をさせる心のうごき、どこかに、魂の衝動が人間に秘められているのではないか、そうも希っていたのだった。この矛盾はかれを孤独にした、二重の乖離に挟まれて、幼少期から巣食うていた、どこにも座る場所がないというような疎外感を、さらにかれに煽った。
 傍らには数ばかり多い不良少年、辺りには冷たい空気が張りつめているのみ、いったい、この学校の教師はなにをしているのだろう? 不良達は、捕らえた罪人を縄でくくり行列する様にも似て廊下を闊歩し、職員室の前だって通過したのだ。
 雪彦はどこに行ったっていじめを受けたが、教師に助けてもらったことなど、一度としてなかった。
 前述した人間観は、「ひとになにもしてもらったことがない」という錯覚、ある種の自覚の欠如が生んだ、根っこに甘えと、被害者意識の発見される心のうごきに出発したものなのかもしれなかった。ひとが自分に優しくしてくれるのが本来当然だというような、他者依存的な、甘ったれた感覚が満たされない為の反動のにくしみ、あるいは諦め、そうなのかもしれなかった。
 歩いている時、窓の外を眺めながら、雪彦は想い起こしていた、なにもかもを与えられていた、とおく翳のうつろう追憶のヴェールに蔽われる、御姫様の宴さながらの、幼少期の美しき日々を。
 いつからだろうか、両親は忽然と厳しくなり、成績や優れた交友関係、まっとうな性格・振る舞いを要求し、どうにも雪彦は、その期待に応えられなかったのだ。小学校の途中までは百点ばかり取った、そのたびに父と母はかれを褒め称え、国立の医学部への進路を決定し(かれは詩人になりたかった)、雪彦には、過剰ともいえるプライドが育った。しかし、やがて憂鬱と自殺への衝動が膨らみどっと蔽われるようになって、成績は下がっていった。どこへ行ってもいじめられ、友人もできなかった。男らしくない、内気で陰気な性格は治らなかった。しかし両親には、きっとかれへのなんらかの愛情、そしておそらく、雪彦を社会で通用する人間に仕立て上げる、義務の意識があったのではないか。
 たしかに雪彦は、その要求を満たす人間になろうと努力はした、ただ、かれらからまた褒めてもらう、その為だけに。しかし、結局そうはなれなかった。諦めた。かれは両親を裏切ったという意識にさいなまれ、みずからに失望した。しばしば心中で謝っていた、ときに壁に頭を打ちつけた、それがすべて自己満足であると、かれは知っていた。
 雪彦はこの現実に対し、格闘するのではなく、みずからと色彩の違う、正しく美しく善い世界、それから突き放される、まちがった醜悪な自己、そんな、もしや幻想めいている、暗い被害者意識でもって自己防衛したのだった。
 かれには、自分の内にあるものに対する信頼の一切がなく、それによって、他者からの言葉をいちいち気に掛けるようになり、果ては心のなかを蔽い隠し、閉じ籠って、ただ表面的な振る舞いのみを意識するようになった。こんな処世的な生き方は、様式にこそ価値を見いだす、単純な考え方へかれを導いたようだった。それをしか信じられないのだった。高貴なる様式・ダンディズムを憧憬する、うす汚いピエロ、それがかつての雪彦の自画像、かれの仮面の裏側は、まさにがらんどうであった。しかもかれには、その仮面がうしろめたかった。
 雪彦はお洒落だった、百貨店で母親に購入してもらった、目立たない、しかし整然な衣服が、自分の何かを隠してくれると思い込んでいた。
 こういった意識は、仮面の向こうの自分の醜悪な心はだれにだって受け入れられない、届かない、他者・世界と自分は不連続なのだ、そんな、根深く巣食う、渇望のような、あるいは重たく鉛の垂れかかるような、そんな淋しさを与えたようであった。しかしこの不連続性というのは、一面的には誤りでないといえるのかもしれなかった。
 この淋しさを癒す愛の幻想、詩や絵画、音楽に見られるようなそれ、そういったものには、ふしぎとエロティックな翳があるようにおもわれた、霊肉を融かす神秘の交合、そんな、幻の森へとかれを連れて行った。
 かれはこんな経緯で、喪失、そんなものを意識したのかもしれなかった。追憶、こいつは眩暈のように眼の裏を打つことを発見したのだった。
 雪彦はそんなモチーフの詩を書いた、無償の愛への憧れが見られる、象徴詩の表現を真似たような、過剰に様式を意識したそれであった。あらゆる詩誌は、それらの原稿を載せてはくれなかった。かれはまだ十四歳であるのに投稿を諦め、ただ書きたいという意欲に従い、見返りは求めないのだというような、みょうに清潔な自画像を偽(つ)装(く)った。
 かれは殆どを諦めきり、みずからの意欲をおし殺して、ただ屈従し、わが意欲を世界に働きかけるタフな人間を、けたたましい笑い声を立て血みどろの死骸をまたいで渡る者、とおくで悪の現象を引き起こしそれに気付きもしない人間ども、そんなひねくれた見方で結局憎悪し、軽蔑して、いじめっこへやり返しもできないか弱き自分を、悪になり切れないナイーヴな美しい姫君さながらに想うという、もっとも閉塞的で、誤りばかりの、むしろすこぶる邪悪な態度の一つを有した。
 こんな反社会的な考え方をして了うことに、後ろめたい気持はあった。みずからに対し後ろめたい、こんな感情は、わが安堵の為に為される、他人行儀な自己嫌悪ともいえた。
 この逆恨み、敗北者の裏返しのプライド、こいつは、自尊心回復への心のうごきによるものだろうか。比較による自尊心、かれのこいつは、つねに太りたがっている。軽蔑も憎悪も悪口も、卑屈でさえも、すべてこいつへ捧げる心のうごきであるように、かれには推測される。
 かれはどうにも自分が、学校秩序・社会秩序のなかで劣等であるという事実を真正面から受け止め、優れた人格へ向かうという意欲で努力することから、逃げつづけてしまうのだ。とるに足らない、そんなからんと虚しい音を、かれの傲慢にして無精な意欲がひびかせる。そんな努力をするくらいなら、油脂を塗るような手付で自己欺瞞を丁寧に施し、滑るように現実からすり抜けていたいのだ。そんな自分を心中では知っていた、しかし、なんらかの自尊心は、たとえカラクリが生んだものであろうと、生きるのに必要なのではないかともかれには言訳された。
 ここに浸ることは安楽であった。これはただ無気力と消極性、他者依存の態度を守りつつの現実との馴れ合い、処世術であり、むろんその心理の根底には、むりに自分を納得させようとする、あざといカラクリが施されているのだった。
 すなわち、雪彦は、ほんとうは、こんな風には生きたくなかった。
 かれは自分に似た人間を見ると、喉元から泥の込み上げるような嫌悪をおぼえた、臆病さゆえに言えはしなかったけれど、いくらでも、かれらを傷つけえるだろう罵詈雑言が浮かんだ。自己否定こそが、他者を傷つける悪の攻撃の素材であった。「自分とおなじ苦しみを味わえ」、そんな心のうごき、かれは知らずに、悪人そのものへと堕落していたのだった。
 ひるがえって秋仁、かれの横柄きわまる暴力は、はや青空のように、清々しかった。
 いじめられっ子は、たとえばこんな風に、不良少年へ憧れるのである。
「てめえ、いつも生意気な顔してるだろ。どっちが上か解らせてやるよ」
 人間の優劣。そんなもの、果してあるのだろうか? 心に貴賤なんてあるのだろうか?
 かれは人間、くわえて人間の心に、優劣・貴賤の格差を測る考え方から、とっくに逃げだしていた。ダンディズムへの憧れは過去のものであった。尺度を、放棄した。仕事、努力、道徳等、それらと人間の格を切りはなし、前者のみを尊敬した。高貴、それはかれいわく、ひとの本心を蔽い隠す様式美だ。秘められた心は、たいしたものではない。
 社会的価値。それと人格の価値を切りはなしてかんがえるのは、それほどに難しくなかった。かれには浮浪者も大統領もおんなじであった。立派な人格なんてないとおもっていた。心の底は一緒だとおもっていた。あらゆる感情を等価に視たがゆえに、誰のことも尊敬しなくなった。
 この切断はかれを救った、いや、順番が逆なのだ、かれは楽になりたくて、人格否定から防衛したくて、人間の価値の格差という、学校でも家でもかれに劣等感のみを植えつける観念から逃避したくて、そんな俗悪な意欲に操縦されて、懸命な無精さで、さまざまなものを理屈で虚空へ突き落し、(夥しい言葉達が、幻の燐光を上げ燃えて往った)、そうして、「人間は、みな、同じものだ」、そんな、色気もへったくれもない、落ちこぼれのうす汚いため息を、ようやく持てたのであった。
 いわば雪彦は、かれの考え方を借りるなら、現実と闘うことをしない、俗悪な意欲で、積極的に「認識」を踏みにじり変えつづけた「悪」人なのだった。
 いま、かれには、わが心臓に毛深い脚をがしとつかむ、空白の痛み、きんと神経を打ち据える、硬く血管を這うような淋しさのみがあるようだった。
 この期に及んでいてもこう叫んでいた。
 愛されたい。理解されたい。
 愛と理解、かれにはこの二つが、自分には足りないものだと思い込んでいた。が、もしやすると、この叫び声にある問題点は、「足りない」というそれでなく、「もっと欲しい」という横暴な渇望にあるのかもしれなかった。
 頭を掴まれた、白い壁に叩きつけられた、眼の前が真白になった。頭から血が垂れた。なぜかれは抵抗しないのだろう?
 ところで、血を流すほどの怪我を与えられることは、前の学校では殆どなかった、都会のいじめっ子達は、みな節度をもって、バレない程度に暴行を制御していたのだ。雪彦は暴力に対してではなく、その処世的な節制を何より軽蔑した。かれは背徳でもいいから、勇気ある極端をこのんでいた。
 親にどう説明しよう、習慣となった痛みのなかで、そればかりをかんがえていた。かれの親は、息子がいじめを受ける弱者であることを受け容れられず、もしばれたなら、かれをつよく打つのだった。
 少年達に囲まれる。雪彦は血を流しながら、囚われた小鹿のような自分を想い、身をうずくまらせている。かれは一切の抵抗をせず自己憐憫に身を委ね、みるみるうちに自分が美しい姫君へ昇華される、まるで殉教者、そんな「不幸ごのみ」、いいかえれば、「可哀相な自分フェチ」ともいえるようなそれによって、甘い痛みが神経を奔っていた。殆ど、自己のシチュエーションに、欲情していた。
 かれはしばしば男達に暴行・強姦され、罵詈雑言を浴びせられる夢を見、起きると勃起していた。どんなポルノの性描写よりも、「O嬢の物語」の虐待のそれによって、かれは陶酔をえた。あらゆる悦びと自尊心から剥ぎとられて、疎外のきわみの内で、悲痛な死を迎えたかった。ぼくの、不潔にして余計な苦しみを与える自尊心なんか、消えて了えと思っていた。こんな虐待からの忍耐を阻むのは、まさに比較によるプライドだと感じていた。「ぼくがこんな仕打ちを受けるのはおかしい」、こいつが邪魔だったのだ。かれの希望どおり、だんだん、そいつは剥ぎ落されていった。
 蹴られた、鈍い痛みが腹を奔る、髪を掴まれ、頬を打たれた、地に叩きつけられる。腹を踏みにじられた。
 すべてがとるに足らなかった、いや、そう思いたかった。
 突如、飛来するようにしてすらりとした少年が現れ、敏捷なうごきで雪彦を打ちつづける少年の一人を突き飛ばしたとおもうと、転がる少年の頭を掴み、非情にも手加減さえ感じられない強さで、地に叩き潰した。かれは動かなくなった。
 秋仁だった。
 雪彦を抱きとめ、やや強引に壁の端にやり、呆然と立ちすくむ少年達からかれを蔽い、屹立した。
「こいつにはもう何もするな」
「秋仁くん、どうしたんだよ」
 少年達の一人が、驚きのままにそう呟いた。倒れ込む少年、副リーダー格だろうか、秋仁を、憎々しげに睨みつけていた、秋仁は、燃えあがる凶暴な瞳でかれを牽制した。かれは眼を逸らした。
「帰れ!」
 かれの恫喝には、声変わりとくゆうの喉にひっかかる感じがあった、しかし、その怖ろしい雰囲気に、不良達は走って逃げていった。
 …
「大丈夫か」
 秋仁は、手折られた真白のアネモネのような躰を抱いた、弱いというのはともすれば可憐なのだ、ひとは、まるで自分のそれを慈しむように、他者の弱さを慈しめるのではないか。
 淋しい雨粒のように照る血をぬぐい、病める色したネモフィラが、そっとこちらへ背を折って、アネモネは他者への期待の悦びに花弁をふるわせる、そうして、美貌の不良少年は、その蒼じろい頬を、そっと、砂の散る黒髪に埋もれさせた。高級シャンプーのそれと、血と泥の薫が混じっていた。
 気品に降りかかる虐待の匂い、こいつは秋仁には媚態であった。
「どうして」
 雪彦は涙を流していた。
「どうして、助けてくれたの」
「お前が、」
 雪彦の顔を覗きこむ。かれはその不良少年の瞳に、棄てられた砂漠の果てを視た。
「好きだから」
 なにかを突き放すような、そんなしわがれ声であった。
 それはかれと会っていない短い日々に、追憶の反芻によって、みずからに都合よく彫刻され、夢を投影され思うがままに美しく装飾された、さながら、砂いろの薔薇の造花のような恋であった。かれはそれを後生大事にするつもりで掌に秘めていた、されどいつや砕け散るか、こいつは不可解な錯覚に近いのかもしれなかった。
 この恋に、果して善い感情は含まれているのだろうか? そもそも感情に善なんてあるのだろうか? 雪彦は、ふたたび疑っていた。
 道徳、それはぼくらのあらゆる心と不連続である様式に過ぎず、それを摂りいれることが不能であるからこそ壮麗な美をも宿し、(かれにとって美とは、かれに蠱惑を与えながらもみずからをきんと突き放す、欲望を満たすという意味においてナンセンスで不合理なものであり、こいつは単に、かれの性癖ともいえた、おそらくそれは、かれと親との関係性に出発していた)、ぼくらはそれを、なんの欲求を満たすわけでもないのに、つまりその意味においてナンセンスに過ぎないのに、欲望するのだという可能性はないだろうか。
 美と善の落す翳の重なる処、仄青い陰翳の脈、この蠱惑へのそれよりもどかしい欲望は、はやないようにおもわれる。
 美と善、ぼくらはそれらとセックスし連続して、摂りいれることは不可能なのではないか。触れもできないのだから。それを霊肉ひっくるめて体現できたと錯覚した人間は、もしやなにかをはき違い、自分は善く美しいというプライドだけが膨れ上がって、ふと気付くと、美と悪の配合した狂気、背徳へも向かい得るのではないか。ぼくらはそれを、影絵の向こうに在るがらんどうの道化者さながら、様式として真似ることをしかできないのではないか。
 お洒落でからっぽの、雪彦らしい推測であった。かれは、自分以外の人間を自分のところへ引きずり降ろす、わるい心のうごきから抜け出せなかった。他者と自分との境界線が、引けていなかった。
 いったい、一度暴力をふるっただけの秋仁が、ぼくのなにを知っているのだろう? そうも考えた。これだって雪彦らしい、まるでお姫様のような感情であった。
 奴隷化された、お姫様。
 かれの守りたい現在の自画像の一つは、こうもいえるのではないか。こいつは皮肉にも、かれの欠点だって、言葉の陰翳に這入りこむ塵のように、すみずみにまで満ちているようだった。
 秋仁はしかしよく識っていたのだ、雪彦に投影された、すべてを無垢に染める純潔な積雪に蔽われ、空降らす憐憫の白光を浴びた、敗北者のほのぐらい美を。
 それはこの国で数千年来、妙に愛されてきたそれに近いのかもしれなかった。雪彦にはただ、先人と異なり、悲壮な勇気といえるべきものの一切が欠けていた。
 雪彦もまた、かれに、恋した。
 秋仁の為に生きよう、そうまで思った。
 生きる意味がない、それならば、他者の為に生きよう。これはむしろ純粋なエゴではないのか? ここに善なる自己欺瞞を蔽い、無償の愛めいたカラクリを施せば、無惨な悲劇さえ引き起こす、怖ろしいモットーにもなりえるのではないか?

  *

 雪彦はそう自己欺瞞しなかった、闘争の話において、愛の欺瞞、そいつとの格闘だけが、ほんのすこしだけかれに発見されるのかもしれなかった。
 なぜって、かれは無償の愛に憧れているがために、そうでない自己の感情を責めつづけ、いちいちそれを取りだして、エゴの箱と愛の箱に仕分けする、無益な趣味があったのだった。神の愛・アガペー、そいつが人間に、実現できると信じていた。自尊心をズタズタにさせる、神経の健康によくない趣味であった。悪臭を放つエゴの箱ははや溢れそうであった、仰々しい神秘の詩を掘り込まれた愛の箱は、終に空っぽであった。『トリスタンとイゾルデ』、そいつの酒臭い息が、そのがらんどうへ吹き込んでいた。
 雪彦は自分達の不幸を、可憐に想っていたのだった。手折られた花のような不幸、思うがままに、それへ注ぎこむ憐憫。あたかも、みずからのそれを慈しむように、雪彦は、恋人の不幸を慈しんだ。
 かれには世界が、表層の配列の美しい、硬質な硝子盤のように視えていた。こいつはあるいは地獄の風景であった。それがかれをきんと突き放す、そんな幻想をもっていた。こいつはきっと、禁じられた風景画であった。その角度から、視てはならなかった。社会秩序、それはおしなべて精緻な様式であった、さながら表面の装飾、かれはそれを、仕立てたダークスーツに純白のドレスシャツ、鈍い光沢のソリッドタイを着こなした、父親の完全無欠な身形どうように、それをさせる感情の美を信じず、表面の様式を美しいと思った。
 かれが抱いたのは、いわゆる、腐敗した翅の破片さながらの、うすっぺらいニヒリズムであった。こいつは思想などではなかった、深みなどなかった、身も蓋もない茫然な照りかえし、あるいは、単なる情緒に過ぎないのだった。
 何故人生は、あるひと達にとって苦しみのほうが甚だしく多いのにも関わらず、全員が生きねばならないのかが、彼にはよく解らないのだった。
 彼が自殺しなかったのは両親の名誉のためだった、あるいは自殺した後のかれらの悲しみを想ってだった、こいつは自己欺瞞を多く含んでいた。両親の涙、これを想うと、やはり、自殺を踏みとどまってきたのは確かであるけれど。こいつは単なる情緒であった、利他的な感情ではなかった。かれは利他へ向かう、純粋な愛の意志を信じていた。
 十四歳に指摘するのは酷だろうか? かれは両親に執着し、かれらに生をゆだねたくて、甘えているから、両親の期待に応えたいという意欲と、決別できないでいるのだった。成績や交友関係、性格、それらは全然期待通りになれなかったけれども、しかし雪彦は、まだかれらの期待を裏切りきれなかった。
 社会不適合な敗北者、そんな自意識に苛まれたかれが夢みた、裏がえしの優越者への道、そう、自己表現である。いつか詩人になって、賞を取って、優れた人間になって、周囲を思うままに軽蔑して(かれは軽蔑をする不潔な自分が嫌いで、そうであるのに、こんな感情があったのも事実であった)、そして何よりも、お父さんとお母さんに、久しぶりに褒めてもらおうと企んでいた。頭を撫でられ、抱き締められて、「ぼく頑張ったよ」、そう泣きついてみたかった。
 どんでん返しの誇大妄想、そんな言葉を、本で見つけた。そうであった。かれは自分を否定する言葉、そして被暴力をいつも探し、そいつに依存した。撥ねかえされるのが、快楽であった。いうなれば、否定と暴力に甘えた。かれに美しいと感じさせるものはいつも恐怖をひきおこすものであって、蒼ざめた硝子の廃墟、漆黒の禁断の花、悉くを撥ねかえす真白の恩寵、そんなもの、しかもそれは、いつもかれを否定の鞭で打つのだった。
 しかし、はやそんな願いさえ遠い過去だった。野心を失った。人間の優劣、こいつをみずから虚空へ突き落したのだ。自業、自得であった。生き抜きたいのなら、かれはそれから離れた努力を見つけなければいけないのである。
 書きたい衝動が起きたときに、詩にもならないそれを書き殴り、紙を引き千切って、引き出しにしまうだけになった。胸が張り裂けそうだった。かれははや泣きもできなかった。
 それが産まれて了うのは、雪彦には禁じえないのにもかかわらず、自己憐憫、そいつが産み落とされると、その感情への詳らかな鞭を想い起こし、涙は出ず、ヒキツリのような泣き笑いが起きるのみになった。痛みのなかで、みずからを憐れむ自分が愚かで、滑稽で、嗤っていたのだった。切なかった。
 かれの両親への感情は、かの奴隷根性の発露の一つのように思われた。やはりこれだって、悉くエゴの箱へ投げ棄てられるにあたいする、そう考えた。
 自分の心に、一切の美と善を発見できなかった、それだけが真であるとおもった。人間の優しさがすべて欺瞞なのではない、そう気がついた。どうやら、雪彦がそうであるらしかった。気遣いが苦手だった。ひとを愛せなかった。優しくなれなかった。はや、自分の感情に、美と善の表出を、宴のお姫様の態度で待ち望むのをやめた。
 美と善の落す影の重なる処、そこに彫刻された仄青い陰翳の脈、かれいわく「愛の様式」、それを、がらんどうの感情でいいから、行為としてなぞっていこうと思った。形式主義。かなしかった。かれはどんなに正直で優しいひとに憧れていただろう。愛とおなじうごきをしようと思った。十四歳、いまかれには、他者がどうやってひとを愛しているのか、どういう感情で生活をしているのか、見当もつかなかった。エゴの化け物、そんな風に自分を想った。
 かれはまず、恋愛や家族愛を主題にした本を読んで、そのうごきを真似てみることにした。新たな仮面を構築しようと思った。
 善く生きてみたかった。いや、善を欲望した。善行、なにより愛の行為、そいつがかれには、非情な美しさをもって迫るからだった。それは氷の宮殿さながら、あるいは美そのもののように、きんとかれを突き放すようだった。
 雪彦にはいまいち、美と善の区別がつかなかった。
 ぼくはエゴイスト、そうなのだろう。愛の感情、何を否定し操作し行為しても、そいつは待ち合わせ場所に現れなかったじゃないか。ぼくはこれまで、いつもいつも早すぎる到着をして、かれをずっと待っていたのだ。お姫様だったのだ。あらゆる感情が、それによるうごきが、すべて道徳さえ不在した利己に往き着く。それならわが意欲で、様式としてだけでも、道徳的になるしかないと思った。
 魂のない人魚姫、王子に恋し、かれからの愛を欲し、愛の様式をなぞろうとするエゴの魔物、そんなふうに自分を想った。やはり姫であった。自己への憐憫を投影するには、切ない姫の寓話はうってつけであった。
 伝承によると、人魚には魂がないらしい。それは西洋らしく霊肉二元論的に読むと、自分の為の欲望しかないと言い換えられるのではないだろうか。アンデルセンの「人魚姫」、脚の痛みに耐え王子の為に踊ったそれ、この行為をさせた心は、たしかに欲望によるものと読むこともできる、しかし、王子の殺害を拒み、ナイフをなげ棄て、みずからの死をえらびとった瞬間、肉体は泡沫となって霧消し、ついにかの魂が発現して、空へ昇ったのだ。この童話は、実は怖ろしい悪書としての側面をもっているのかもしれない。
 かれにはこの寓話が、殆ど聖書であった。愛の様式、それの究極を視た。
 罪滅ぼし。
 こいつは、借金返済の心のうごきであるように推測され、それならば、他者の何かを損なわせる類の、リターンは求めないのではないかと思われた。すでに受けとっているものを、返すだけなのだから。清潔だ。すなわち、与えられた愛の追憶を、復習すればいいのだと考えた。
 この罪滅ぼしという努力は、恩返しにもなりえそうで、無償の愛のうごきに、様式としては近いのではと感じられた。自負、安堵、こいつらは報酬としてうけとれるといえるけれど、これらのリターンは、かぎりなく他者へ悪の現象を起こしづらいのではないか。
 雪彦は、親や社会が自分に与えてくれたものを意識的に想い起こして、それに罪の意識、そして感謝を持つようみずからを操作し、それを返済していく心のうごきへ導こうとした。
 ひとの役に立つことをした。相手の立場に立って、押しつけがましくないように気をつけながら、言動を注意ぶかく決定した。恋愛ドラマを模し、喜ばせられるとおもう振舞を秋仁にした。両親にマッサージをし、「いつもありがとう」と言った。朦朧とする頭で勉強した。いじめに耐えて学校に通った。
 すべて自分の為、だから、これによる比較のプライドを育ててはならない。自己満足ともいえるそれだが、心の励みは、自負だけでいい。そう考え、自尊心を監視し鞭で打ち据え、それによる自負のみを、「ぼくはちゃんと還せている」というそれのみを、みずからに許したのだった。
 かれは何をしていたのだろう?
 かれは、人間になろうとしていたのだった。魂のない人魚、醜悪な魔物、自分は、人間ではないと信じ込んでいたのだ。化け物だと想っていた。
 こんな、「人間の条件」ともいうような考え方は、「あいつは非人間だ」というような、他者を傷つける差別を生む為、また、方向転換の先を考えた。最終的に、世界中で自分だけが化け物であるという、はや欺瞞としかいいようがない考え方を、みずからに強いた。かれの根ぶかい疎外感が、それをスムーズに肉体に染みこませられた。
 正しく善い生き方、そいつの一切が解らなかった。
 与えてくれたものへの感謝、それはやはり、淋しさをほんのすこしマシにさせたのだ。もう与えられていると、心の空白を満足させるのだから。通説、これは以前の雪彦が考えていたよりも、よっぽど好いものであった。
 が、これらの心の操作、返済の行為に対してさえも、自分がやると、心はがらんどうであるという意識に苛まれるのだった。魂のない人魚であった。純粋な愛の意志、これを、どうにか発現させたいとおもっていた。
 他の人間とおなじように、ひとを愛してみたかった。かれは秋仁さえ愛していなかった。美しく善い自分だけを愛していた、それはどこにも見付からなかった。
 自分の醜悪さを想うと、かれは自分をズタズタに引き裂いてやりたい衝動に駆られ、罰するように内部を凝視し、どうにか悪をしりぞける為に自己欺瞞をえぐろうとし、どこかに美と善が見付かるのではないか、内へ潜る、血まみれの掌を見て自己陶酔(かれにはボオドレールが友達だ)、すると更なる醜悪な自己が見付かる、矯正しなければいけない、そうでないとだれからも愛されない、まだ為さねばならない、無我夢中、こんなことをやっていれば、いつや、自画像に轢き殺されるのではないかと予感した。
 これも、愛ではないのか。大切なみずからのみへ向けるそれ。かれはそう疑った。
 気持や生活が損なうとわかっていようと、どうしようもなく求め、凝視し、潜り、掻き分け、殴り、鞭打ち、引き裂いて、否定し、征服しようとし、傲慢さを満たそうとし、いつのまにか類似していくことさえある、まるでやがては一体化を求める、そのくせ真実の明瞭さを欲する、どこかエロティックな、慈しみの殺意にも似た、そんな、自画像ばかり描かせる、凶暴な眼の衝動。
 他者への軽蔑、こいつは、決めつける手前の複雑さに佇んで、不可視の事情への注意ぶかい思慮を重ねていないからこそできるものであり、決めつけて了うから生まれるように考えられて、しかし、どうせ視えないのだから、他者の視えない事情を決めつけてもいい場合なんてないのだと考えた。だからそれを、拒まなければいけないとみなしたのだ。
 かれはエゴイストだったが、ひとを傷つけることを極端に怖れる、ある種の臆病な情緒がつよかった。情緒がいたむのが、嫌だった。それだって、かれを内気な性格へ導いたのかもしれない。世界には悲しみが多すぎるとおもっていた。なぜ外国で紛争が起きているのに、とおくで子供たちが飢えているのに、教室の隅で外れ者の泣き声が聞こえるのに(自分も含んでいたが)、みんな、楽しそうに笑えるのだろう。授業中、いろいろなひとの痛みや喜びに融けるように共感し、疲れ果てた。
 バラエティ番組が見れなかった。あ、あのひと今傷ついたんじゃないか。いじられキャラ、表面では笑っている、けれども、心で泣いているんじゃないか。テレビを消し、勝手に共感して泣きじゃくった。それをひとにいうと、みんな嗤った。傲慢だと罵られた。かれは無口になった。
 ふと授業中に生徒がいったジョークに笑いそうになると、外れ者は笑ってはいけないという暗黙のルールがあったが、かれはきちんと対応を知っている、戦争で親を失った子供の表情を想い出せば、すぐさま沈み込めるのだった。涙を、そっと隠した。
 けたたましい笑い声を立て死骸をまたいで渡る者、こんな風に考えるぼくが悪く卑しいんだ、ぼくだけがおかしいのだ、化け物なのだ、可哀相なものを憐憫する自分が好きなのだ、傲慢なのだ、それだけだ、そうおもっていた。
 かれは、こんな勝手な情緒でプライドを持ち、ひとを軽蔑してはいけないというルールを、ずっと前につくっていた。繊細さを衒い、そうでないひとを軽蔑する態度がキライだった。マイノリティの逆襲、そんなものをことごとくにくんだ。差別を差別で復讐する、とんでもないと思っていた。悪を享けたなら、おなじ悪に魂を染まらせない努力をすべきだとつねに考えていた。かれが暴力を返さない理由であった。かれは批判とは何かというのを考えていた。
 かれは自分を否定しすぎるところもあり、やはり、それだって自己欺瞞であった。何かに甘え、何かから逃げているように推測された。
 自己否定、こいつを、自己批判へ変える勇気がいるのかもしれなかった。これを阻むのは、おそらく既存の尺度、他者に与えられた思考であるように疑われる。知性を、純化させねばいけない。かれは、もう一度ニヒリズムを凝視しようと考えた。
 自己への軽蔑、みずからのことは視えた気になりやすい、それを、右のやり方で打ち消すことも可能だ。が、それをすると、どこまでも自分を許すことができる。それは嫌だった。しかし、自分のことだけ許さず突き放すという態度、それこそが雪彦らしい、自分しか大事なものがない人間の、特徴的な態度であるようにも疑われた。
 おそらく、その凶暴な自己愛によって描き殴られた自画像、醜悪な自己を赦させると錯覚していた唯一の聖なる涙、それが、被暴力であったのだ。暴力がそいつを、雪降るように純白へ描きかえてくれていたのだ。罪の赦し、ある種、釣合を取ろうとしていたのだ。赦されようとする、この態度ではないものへぼくは向かおう。そう考えた。
 仕分け作業、かつて、かれは美と善の重なる処、ただその聖地を、劇しい自己への愛、自意識過剰な眼の衝動に従って、みずからの心中に捜索していたのかもしれない、されどそんなもの、雪彦の内部にはその一切が無いのだった。すべてはエゴに帰結した。空無。空無であった。
 かれは思春期に見られやすい、こんな強迫観念に憑かれていたのかもしれない。
 美しく、善くなければ、生きてはいけないと。

  *

 少年達は恋人になっていた、雪彦は秋仁に守られ、いじめから解放された。どこか淋しい気持があった、まるでふるさとを恋うように、被暴力をなつかしんだ。
 秋仁は英雄に憧れているように見えた、守る相手を、探していたのかもしれなかった。雪彦らしい邪推、しかし、決定だけは保留した。勝手に共感する情緒はどうしようもない、しかし、境界線を引かなければいけない。
 この噂はかれらを、学校中の疎外者へと導いた。
 雪彦は、世界を二つに隔ててみて、こちら側には、自分達しかいないことを夢想していたのだった。疎外感、これは裏がえすと誇りになりえる、しかしいま、その心のうごきを許さなかった。あらゆる感情を美化せず、ありのままを凝視しようと考えていた。
 かれは、秋仁から愛されていると実感することはできなかった。愛されたいという渇望が消えていないのは、これにもよるものだった。しかし自分だって、秋仁を愛せていなかった。そもそも愛とは何かが、まったくもって解らなかった。
 淋しい風の吹き込むような、あらゆる意味で後ろめたい恋愛だと感じていた。同性愛、こいつは淋しいのだ。理解されないということは淋しいのだ。軽蔑だって淋しい、尊敬だってそうだ、尊敬なんて、殆どされなかったけれど。かれはいつも淋しかった、何からも受け容れられていないという意識があった。甘えん坊であった。
 雪彦は、恋人としろい頬を寄せ合い、さながら、自分達の貌に眼を投げるように、湖のおもてに映る、その翳ふかく艶めかしい不幸、それを眺め遣っていたのだった。その先には、きっと悲劇的な死があるのだろう。そう信じていた、甘美な予感であった。
 かれはあたかもナルキッソスだったのだ、かの神話の美少年が予知できなかった死を、みずから希んだという違いさえあれど。
 雪彦と交際をはじめたタイミングで、秋仁は不良グループから抜けた。あの出来事から、既に孤立しがちであった。
 不良達は、かれらをねじ伏せる機会を、あるいは復讐を、虎視眈々と狙っているようだった。

  *

 不幸ごのみ。そうであった。
 なぜ雪彦は、ある種横暴な自分への愛がつよすぎるくらいに疑われるのに、魂の純粋さに憧れ、自己無化、無償の愛を欲望するのだろう。拒絶に、純粋さを見いだすのだろう。こんな善の行為は、角度を変えれば、ほとんど悪の形状をしているのに。
 腹を切る、餓死する、敵兵に犯される前に集団で毒を飲む、なぜかれに印象ぶかく残っていた死は、孤立と不幸をみずから希んだようなそれで、拒絶性がつよくみいだされ、たいていの罰が、腹に集中しているのだろう。
 想いかえせば、雪彦は幼少期しばしば自分の頭を壁に打ち付けていたが、いま、もっとも憎いのは自分の腹だ、内臓の有機性が、かれには気味悪いのだ。かれにとって、命とは有機性なのだ。死にも似た、硬い無機性に憧れるのだ。かれは鉱石や金属が好きであった、なによりも、あらゆるものを混濁し燃え上がらせてえた透明性、硝子を愛していた。世界にそれを投影したのは、世界への片想いともいうような、そんな、自己憐憫の混じる恋心に出発したのかもしれなかった。
 なにもかもを拒絶する、いたみさえも感じない、大理石でできた、硬く冷めたい、完全無欠に美しい人形になりたかった。筋肉も脂肪も不潔であった。傍らに、青いネモフィラを添えてほしかった。
 突き放すものに、焦がれて了うのだ。突き放された自分が、好きだったのだ。かつては、憎たらしい自分を無に還して、真白の天へ吹き飛ばし、ただ疎外されたプライドをきわみまで回復して、とおく貴く消えて了いたかったのだ。
 自分の醜悪さへの凝視、愛という不合理な言葉でも用いないと、あまりにもナンセンスな心のうごきではないだろうか。
 純粋なる「黒」と「白」、どちらも色彩学でいうと同じものであり、あらゆる色相を拒絶した、ぞっと神経的なおそろしさをもっている。
 かれは洋服が好き、その愛し方は軽薄なほうである、あちらこちらの花へ、まるで蝶のように飛びまわった、だから様々なファッションスタイルを試し、その日その日のみずからの心理との調和をはかろうとした為に、他人に当てはめることはしないけれど、その服装の色合いに合う、自分じしんの心の状態をなんとなしにつかめたのだった。
 黒づくめは拒否の自尊心、自己の内部に潜ったがゆえの差別主義者。下へ向かうデカダンスの様式。暗い深みへの希求。なべてを呑み込む、拒絶色。
 白づくめは死装束と花嫁衣裳の重層、死と黎明の光りの一致、空にたなびく真白のカーテンへの悲願。上へ向かうデカダンスの様式。恩寵への希求。なべてを撥ねる、拒絶色。
 ふしぎにどちらも、月光の青が似つかわしい。それにほの青く濡れると、はや、ラクリモーザの旋律が鳴るよう。死へ向かおうとする翼のそれ、破滅的な双の色。
 かれはそれらの美を怖れ、それゆえに、惹かれた。

   *

 自分が生きていてもいいと思えない。自分をどうにも信じられない。
 十四歳、早すぎるだろうか、かれは試しても実現が不可能だった様々な生の方法論を「向かない」と敬遠し、はや、なにものも信じないことに決めた。信念をもたないのが、雪彦の信念であった。世界と人間心理の複雑さに佇み、あらゆる角度から、すべてを注意ぶかく疑いつづける。
 自分を信頼できなくてもいい。醜くてもいい。悪人でもいい。思想なんてなくていい。
 ただ自己批判と、その心理的省察から得た善への運動、そして、自己操縦さえ怠らなければ。
 正しいとはおもえなかったけれど、まずは、そう考えた。
 何もかもを虚無に吹き飛ばすのではなく、幽閉された知性をそとへ出して、ゼロ地点に回帰し、あらゆる行為、考え方には、あらゆる批判点がある、そう考えて、だからそれを、角度を変え注意ぶかく見つけながら、注意ぶかく生きていこうと思った。
 かれはかつて、すべてを無精な意欲で肯定し、投げ遣りな努力で虚空に呑み込ませた。
 その虚無から出発して、わが感情との折り合いを考えながら道徳を構築し、それへ向かい、生き抜こうとすればいいのではないかと考えた。
 善を抱いて生き抜く、この態度そのものだって、善いものであるように思った。そんな人間は、はや平等に可憐であるように思った、林立する真白のアネモネ、平凡なる庶民の花の一群、そのひとしき愛らしさのなかに、わが淋しい心を、そっと埋もれさせようと思った。ぼくは可憐だ、そう想うことを許した。可憐。けっきょく、劇しく愛に執着していたのだ。
 しかし自己肯定、こいつは拒絶した。こいつは、悪人であるという意識を麻痺させて了うように思い、一度悪に堕ちた自分はしてはならないと考え、後ろめたい自責の継続を決意した。そもそもできる気がしなかった。
 かれは、賤しい悪人の自画像を敢えて心臓に飾り、そのありのままの醜悪さを凝視しつづけ、愛されたいという渇望を、仮の水で満たし突き放して、理解し合うことへの期待を止め、境界線を意識的につくり、太ろうとする比較の自尊心をつねに監視し、鞭打って、自負のみをすこしずつ育て、みずからの意欲でもって、美と善の重なる青みががる翳の脈を、「愛の様式」を求め、そして、道徳を模するエゴイスト、あるいは、まるで愛のようにうごく魂のない人魚として、死がゆるされるまで生き切ろうとした。

  *

 ふたりはしばしば、きんと透き徹った、水晶さながらの湖畔を散歩した。
 傍らには、ほうっと夢のように浮ぶ花畑があった。さながら悲劇が兆すような、身がすくむような、そんな茫洋な風景であった。
 日に日に、秋仁への恋は募った。かれへの感情、むろんそこに、一切の利他的な意志、感情はなかった、すべては自分の為に往きついた。ただ、かれの不幸が、くるしかった。単なる情緒、憐憫であった。だが、中途半端に救おうとするくらいなら、ただ隣にいるだけのほうが好いという風に思っていた。『マイプライベートアイダホ』のスコットのそれ、ああいう半端な同情による施しが、もっとも相手を傷つけることだって多いのだ。
 恋人からの愛も疑っていた。しかし、はや愛されなくてもよかった。かれは雪彦を、大切にしてくれた。充分すぎるくらいだった。
 君が好きだ。この、くるし紛れのうめき声のみが、かれには信じられた。
 そして、かれがいつか、現在の苦しみから解放されることを希んでいた。これもまた、やはり自分の為であった。見ていられない、それに過ぎなかった。かれは地獄に在るような眼をしていた。いや、おそらく、地獄の風景を視ていた。地獄とは、外界にはない。ただ病める魂のみせる、冷たく炎ゆる風景のことである。ふしぎなことに、その風景には花がある。美しいのだ。
 雪彦は、かれと、ずっと一緒にいたかった。
 恋人へのあらゆる不純な感情から、ただ一つのそれを純粋な状態で抽出した気になり、月夜にはためき翳うつろわす、幻の絹のように果敢ないこの感情に、恭しい手付で、恋という、まるで着色された綿菓子のように甘ったるく、キッチュな名をつけた。
 この感情は、なんだか愁(さみ)しく、可憐な感じがして、かれには気に入った。
 かれは高貴の美なんかはや嫌いだった、リアリティのある俗悪さにだって、もの悲しい美をみつけられた。
 かれらはふたりで煙草を喫った、後ろめたく摂取するニコチンと罪の意識は、快く血管をふるわせた。それが他者の健康や気分を損なわせることは知っている、しかし、煙草くらい吸わないと、こんなにも苦しい生はやってられないのだ。そうおもっていた。犯罪者の思考であった。なにかが、麻痺しているのだ。
 自分の、悪人になれない繊細さ、あるいは生き辛さを与えるイノセンスのようなもの、それらは幻想にすぎないという説を、この行為は、かれへ毎度突きつけるようにおもわれた。自分の醜さを確認する為、かれは、煙草を吸った。
 善く生きたい。ひとを愛したい。そんな意欲、こいつは自負に捧ぐ、道徳への欲望にすぎない。そいつをいだいて現実に臨むと、硝子盤、かの冷めたく硬い神殿は、かれをきんと突き放す。この撥ねかえす硝子盤への、劇しくも淋しい反逆心、それこそが、いま生き抜く気力のようなものを、かれに与えていたのだった。親の庇護に在る不良少年のようなそれ、幼稚な感情、しかしその分、根深くつよいものであった。幼稚なエゴだって、生き抜く為に利用していいとおもった。しかしいつかは、そうでない生き方を見付けたかった。心の底から、それを求めていた。ひとを、愛したかった。
 この闘争心をいいかえると、テストステロンの分泌だと思っていた。かれは憂鬱や倦怠、情熱、そんなものを魂や人格の貴賤とからめるロマン派めいた思考はやめ、できるだけ脳内物質の話に持っていこうと考えていた。限りまで唯物的、合理的にかんがえ、その果てを突き抜けたところで、限りなく不合理で神秘的な思考を飛翔させようとかんがえていた。
 ふたりは叢に座り、たがいの手を握って、その乾いた冷たさに、夢みるような心地なのだった。
 秋仁がこちらを向いた、雪彦は何か問いかけられたような眼をする、恋人のまえでは、姫君でいてもいいのである。荒々しい与太者・美貌の不良少年は、恋人の頬に、やさしくゆびを触れさせる。椿の花が落ちた、はらはらと、死の翳さながら墜落した、双の翳が繋がろうとし、真紅の花弁が、それを隠す。風が吹き、清澄な水音の硬さは、こつぜんと融けだしてゆく。孤独感が、ほぐれたような心地だ。
 雪彦の淋しさが霧消するのは、この時だけなのである。
 秋仁の接吻には、いつも、小鳥がとっておきの果実をついばむような、そんな、ささやかな雰囲気があったのだった。ふしぎと、肉感というものに欠けていたのだった。それが雪彦には好ましくもあり、物足りなくもあった。
「俺、」
 と秋仁が話しはじめた。
「夢ができた」
「なに?」
 と雪彦は訊いた。
「俺頭悪いから、いい大学は行けないと思うけど、だから奨学金を借りて短大に行って、保育士の資格を取って、児童養護施設で働くよ。俺達みたいに不幸な子供たちを、少しでも楽にしたい」
「素敵な夢だね」
 という言葉をかけた。かれにははや、幸福も不幸も、セロトニンの話のほかは、いまいち解らなかったのだけれど。ただ人間には、仕合せがあるように思っていた。
「学校も家も苦しくて、生きていても何もいいことなんてないとおもっていた。でも、雪彦とずっと一緒にいたいし、生涯を添い遂げたいと思うようになって、急に生きる為には働かなきゃとか考えだして、俺、いま学校から帰ったら勉強してるんだぜ? 馬鹿みたいだろ、あんな最低な人間だったのに。暴力からも足を洗った。つぎにひとを殴る時は、お前を守る時だけだよ。恋ってすごいんだな」
「ぼくも、」
 と雪彦は返した。
「秋仁と、ずっと一緒にいたい」
 心からの言葉をなげ合うこと、仮面をずらし、口元だけ晒してそっと呟くこと。これだって、不連続な淋しさを癒すのである。
「雪彦には将来の夢の職業ないの?」
 秋仁が微笑して訊く。
「ないかな。なんでもいい」
「ふうん、そっか」
「昔はあった」
「なに?」
「永遠の詩人。で、二十歳で死ぬ」
「なんだよそれ。典型的だな。二十七にしろよ」
 ふたりは笑い合う。この黄金いろの幸福が、それを断ち切る鈍いろのなにかが、怖くて、怖くてしようがなかった。
 ふたりはこの不安を埋めるように、あるいは未来の不可解を呪うようにふたりの将来を語り、しかし、この年齢の孤立した同性愛という状況に、未来への確信なんてもてるわけがないのだった。信じられるのは現在の感情のみ、それに泣きつくように縋った、それがいつか消え失せること、しばしば響く終焉の鐘の予知、だが、この幸福が永遠につづくような、そんな気だってしていた。なぜといい、お互い初めての恋人だったから。
 不意にざわつく音がした、湖の面が柔軟にゆらぐ、不穏な波紋、ふたりは急いで立ち上がる。かれらは、不良少年達の襲撃を、いつも怖れていた。
 雪彦は忽然と肩に衝撃を感じた、視界がまっしろになる、はしりゆく激しい痛み、倒れ込んだ。秋仁は振り向いた、以前の副リーダー、現在のボスが、その貧弱で華奢な少年を、金属バットで殴ったのだった。
 すぐさま隣の秋仁を打とうとする、かれの頭はかっと燃え上がった、激情に従って、恋人を打った張本人へ猪突猛進し、頭から腹へ体当たりした。ボスは撥ね飛ばされ、バットは金属音を立て転がる、子分の一人がそれを持った。
 秋仁へ一瞥を投げる、元リーダーは狂気じみた眼で元子分を睨み、すぐさま立ち上がろうとした、するとバットを持ったかれはその迫力に押されたか、弱いほうの雪彦へ走り込み、思い切りかれの背へそれを振り降ろした。
「やめろ! やめろ!」
 幾度も、幾度もそれは繰り返された。視界に、まっしろな火花が散るよう。雪彦には、はや抵抗の体力さえ残っていない、うずくまり、悲鳴を上げ、痛みにのたうつのみであった。
 かれは識った、虐げられた美しい姫君なんて、どこにもいないということを。ただ冷めたい現実が、ぞっと張りつめているだけだということを。
 リーダーはコンクリートの欠片を子分の一人からうけとった、それを秋仁の頭へ打ちつけた。断末魔にも似た叫び声、しかし秋仁は、朦朧とする頭で、ある衝動、無償の愛ではないかもしれない、しかし、はやそれとも混同させる運動を引き起こすそれ、その心のうごきは、純粋無垢にも紛う、不合理な行為へと、かれを操作したようであった。
 夥しい、真紅の薔薇の花びらが、豊かな薫を立てどっと墜落するように、雪彦の躰に、蔽いかぶさるものがあった。
 デカダンスとグラマラス、こいつらは、どうやら永遠の恋人であるらしい。
「どうして、どうして、離れて、離れて…! どうしてこんなことするの、ねえやめて、どうして…!」
 こんな行為が存在するから、それが余りに眼に美しく焼きつくから、人間は、魂という、あるいは純愛という、在りもしない虚数を創りだしたのではないのか。
 肉欲に反抗するなにものか、そんなものを。
 他者が自分の為に身を犠牲にする、いうまでもなく、こいつはすこぶる重いのだ。心を損なわせる、壮絶な苦痛を与えるに決まっているのだ。
 秋仁の衝動の話ではない、しかしひとの為に死にたい、その意欲が膨れ上がり、自分は美と善を摂りいれられたと錯覚すると、むしろ自分の為に、ひとを殺せるのではないか。雪彦はそう疑ったことがあった。かれはかつて、自分にこの感情の萌芽を見つけた、そいつをズタズタにして殺してやった。武器は論理であった。快感であった。雪彦と秋仁は、じつは、似ているのだ。
 この行為、巨大なる悪を内包した善、いや、殆ど悪が、はみ出しているようにもみえた。
 自己犠牲。
 愛の様式、そうであった。きわみであった。
 しかし感情の話において、秋仁は何へわが身を捧げているのか? なにをも虚偽で美化したくない雪彦は疑っていた。ぼくか? 罪の意識か? 愛そのものなのか? もしやキリストか? 国か? 武士道か? 家か? それとも、日輪さながら昇り往く自尊心であるのか?
 血まみれの秋仁の顔は鬼気迫るそれ、まさに鬼であった、ひとではなかった、人間の力ではないような剛力で、雪彦の身をがしと掴んでいる。
 こんなこと、して欲しくなかった。
 秋仁がこんな仕打ちを受けるのが、だれよりも大好きなひとがこんな行為を自分の意欲で選んだのが、雪彦には悲しく、心ぐるしかった。利他的な感情ではない、しかしかれには、どうか、仕合せに生きて欲しかったのだ。地獄に在る眼が、切なかった。幸福がよく解らない、しかし、仕合せになって欲しかった、かれのかんがえるそれなら、何でもよかった。絶対にそうはなれないのなら、そんな場合があるか解らないけれど、かれがたとえみずから死を選んでも、自分が耐えなければいけないのだと思っていた。雪彦の情緒が、それを希んだ。ただ、かれのくるしみを想うと、情緒がいたむのだ。情緒、こいつは、いつもいつも自己本位だ。
 人間に、純粋な愛の意志による自己犠牲は可能なのか? ましてや、所属する集団への利他的な愛なんて持てるのか? それはもしや、太りすぎた自尊心の視せた幻にすぎないのではないか?
 激痛のなか、血まみれの秋仁を引きはがそうと精一杯じたばたし、しかし、どこか冷め果てたような心で、みずからを蔽う雄々しき英雄を、見すくめていた。
 かれは識っていた、人魚姫のそれ、純粋な愛による自己犠牲、そんな、かつての自分の憧れの出発点、それは喘ぐような孤独感と、殺してしまいたい自分への、凶暴な破壊衝動であったと。
 かれのそれは、自殺の大義名分にすぎなかった。根っこにあるのは、苦しみから解放されたい、それだけであった。ひとの為なら自殺してもいいという、途中まで気付かなかった処世的な心のうごき、エゴとエゴとの馴れ合いがあった。自殺を否定はしない、事情が不可視だ、しかし、美徳で偽装したと推測されるそれ、あるいは後世の評価には、虫唾がはしった。
 かれは十四歳、ちいさなホールデン、欺瞞と処世術、それらをきらう、幼稚な年齢。
 空で他者と連続する、それが、不連続な淋しさを霧消させるような幻想をもった。ついに疎外のきわみのなかで誇りを回復できる、そんな錯覚をもった。
 かれはこの憧れを、妄想に過ぎないと惨殺した。
 かれのことを、秋仁という、ほかと隔てられた特別な個を、いま雪彦は、わが分身のように、宝物のように、大切に想っていたのだ。林立する可憐の同胞、そう想っていた。かれはかんがえていた、すべての魂は、貴いのだ。かならずや、真善美へ視線を向けられるはずなのだ。
 ひとはやはり、自分を愛するようにしか、他者を愛せないのかもしれない。
 純粋な無償の愛、もしそれがあるとしたら、こいつは悪の狂気ではないのか? むしろ、神の為に民衆を虐殺した、むごたらしい大悪党のそれではないのか? なぜって、道徳を守るのが自分の為に往き着くと仮定するとしたら、真に利他的な感情が純化され、あらゆるエゴよりそいつがうわまわった時、はや、道徳や情緒を蔑ろにしえるようにおもうから。
 あるいは、ひとは自分を愛するようにしか他者を愛せないのだとしたら、自分を無償で愛したもの、すなわち、あらゆる喜びから疎外され、あらゆる自尊心を剥ぎとられ、くるしみと不幸のどん底にいる自分を、なんのリターンもなく愛せた人間だけが、なにかを無償で愛せるのではないか。シモーヌ・ヴェイユ。まさか貴女は。
 雪彦はそんな人間にはなれなかった、いるかもよく判らなかった。前者なんて、なりたくもない。怖いと思った。かれは淋しく卑俗な、醜い悪人ではあるけれど、ひとりの恋する、詩を書く庶民であるようだった。
 ふたりで逃げて、お互いできるだけ無傷に近い状態で生き延び、また、こんなロマンチックな湖畔の花畑で、だれよりも大切な秋仁と恋愛を、いや、恋愛関係ではなくても、ずっと、一緒にいたかった。そんな人間だった。そんな人間だったのだ。
 ずっと一緒にいること、それが、かれのきっと不可能な願いだった、秋仁は、それを解っているのか? 自己犠牲なんて淋しいことやめてくれ。恋、いつか消え失せる感情、それだって識っていた。本で読んだ。永遠の恋、あったらいいなと今でも思うけれど。いや、一緒にいれなくても好かった、秋仁がそうしたいのなら、どこにでも行っちゃえとおもっていた。いや、行って欲しくなかった。どこまでも勝手であった。だが、自分が我慢しなきゃいけないことだ。そう思っていた。しかし、かれがもし死んだら、たとえそれがかれの仕合せだったとしても、この情緒はいたみにのたうつのだ。死んで欲しくなかったと泣きつくのだ。そんなら情緒なんてしろものは、やはり自己本位なものではないのか。
 この秋仁の自己犠牲が愛なのか? キリストよ、教えてくれ。愛とは、こんな情緒のことなのか? そんなら結構エゴなんじゃないか? LOVEのふるき和訳、お大切、やはりこいつか? それとも利他へ向かう純粋な意志か? 純粋な意志ってなんだ? そんなものあるのか? 哲学者よ、教えてくれ。愛とはなんだ? 愛とはなんだ? ほんとうにキリスト教が決めた四種類か? 愛国心はアガペーになりえるのか? 保守よ、答えてくれ。あなたたちの愛は、神のそれなのか? かの誠実きわまる心理通・三島由紀夫に、そんな自己欺瞞はなかった。
 純粋な愛なんて、ほんとうにあるのか? ぼくにはない。もういらない。
 ただ、秋仁が好きだ。それだけだ。同性だなんて知ったことか。ぼくははやこの感情に、一切の後ろめたさをもたない。
 お洒落な防衛服は引き裂かれていた、泥にまみれ、かれはいま、仮面をさえも脱ぎ棄てた。秋仁の前では、こんなものいらなかった。
 恋にうるんだ卑俗な童顔であった、苦痛にやつれた貧乏くさい貌であった、しかし、ひたむきに生にしがみつく、花のような平凡人の姿があらわとなった。かれは、いたましいほどに澄んだ瞳を、恋人へ投げかけていた。もしや雪彦は、いま、秋仁を愛していた。
 激痛の中で、蔽い被さるかれをどうにか突き放そうと、ひっしで暴れまわる。
「生きて、」
 かれは秋仁に要求した、それがすべてエゴであることをついにひらきなおって、恋人に要求した。
「生きて。生きて。ぼくの隣にいて。ぼくの隣で生きて。そしていっしょに、ちがう善でもいいから、各々のいだく善へ歩いていこう。隣で歩こう、ときには手を繋いで、どうしようもない時は涙もぬぐうよ、たまには並んで泣いてもいい、けれども善は棄てないで、だからふたりで、これからも歩きつづけよう。
 生きている君は可憐だ、花のように可憐だ。たかが人間が善く生きようとする姿は、どこか憐れで、なべて愛らしいんだ。恋愛の意味ではなく、全ての人間には、きっと愛される資格があるんだ。そしてその善への心のうごきは、きっと人間に産まれつき付属され、きっと心の奥で睡っているんだ。
 生きて。生きてよ。生きて欲しい。ぼくはきみに生きて欲しい。なぜって、弱さと苦しみに抵抗し、現実に抵抗し、善く生き抜こうとする人間の姿は、どんな投げ棄てられた花束よりも、どんな高貴な死よりも、ぼくには美しく映るから。
 ねえ、どうして自分を犠牲にするの。どうして。ぼくはそんなこと希んでない」
 降りそそぐ銀の流星、打ち据える金属バットは、玻璃の硬き音曳き散らせて、秋仁のあらゆる肉を暴行する。かれははや青銅さながら、身じろぎもしない。たしかに硬く、あたかもしろく聖化されているよう。聖化。聖化とはなんだ。
「貸せ!」
 現リーダーが恫喝した、かれは、その金属製の凶器を受けとった。
「お前が、」
 秋仁が、力なく呻いていた。なんとしてでも聴きとらねばならない、しかし言葉そのままを信じてはならない、愛とは、愛とはなにかを、けっして様式なんかではなく、愛のさせるうごきとはなにかを、ぼくはあかるめねばならない。
 雪彦は、かれを突き飛ばすことを不能にさせる強烈な痛みのなかで、ついにそれを諦め、耳を澄ませた。
「俺を、自殺から、救ってくれたから。棄てようとした命を使うだけだよ。雪彦、ありがとな」
 水晶さながら凝固した秋仁の脳天に、むごたらしい現実の鉄槌が打ち落とされ、せつな、雪彦は恋人を、この愚かな行為をも、虚空のように呑み込んだ恋人のすべてを、あるいは、かれの眼の裏に張る冷めたく果敢ない幻影にすぎないものを、しかし、たしかに肉の奥に睡る澄んだ水晶の煌きのようなものを、祈りのようなうごきで、無責任きわまる、燃ゆるようなエゴイズムによって、「すべてそれでいいよ」と抱きすくめた。
 俗悪な風に仮面もろとも吹きとばされ、うなだれるように埒外へ投げだされた少年達の愛欲の果て、そいつは空無。空無であった。

愛のうごき

愛のうごき

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-18

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