銀河鉄道の夜についての考察
電車で眠ってしまった私は懐かしい彼に会った。
振り子のように揺れる電車の中で私は、窓に頬を付けて眠っていた。
旅客電車であるここはそれぞれの窓に対して座席が向かい合うように設置されている。
進行方向を向くように座っている私は、腕を組みながら端へと身を寄せるようにして窓ガラスをほんの少し曇らせている。
しばらくすると電車はブレーキを掛けモーターの音を低く濁らせていきとある駅で停車しようとし始める。私は電車が止まる重力に抗うことなく前へ前へと倒れていき思いっきり首を落とすとようやく意識を取り戻しいつの間にか寝てしまっていたことに気づく。
電車は私が意識を取り戻したと同時に駅へ着き、ふしゅうっと言って扉を開く。私は降りる駅なのかどうか確認するため窓の外に目を向けて、駅の名前が表示されている看板を見つけると、ここはまだ降りる駅でなくてもいいかと、座っていようと思った。シンプルな電子ベルが数秒鳴った後に扉がスライドして閉じると、今度はおそらく電車の下からふしゅうっと音を立てて進み始める。
ゆっくりと移動していく駅を顔で追いかけて、見る気もないのに電光掲示板とか時計とかを見る。
電車の線路のつなぎ目を踏む感覚が早くなり変わらなくなったあたりで私はまた寝るために座っている位置を整えようと正面を向くと、視界に自分以外の乗客が一人入った。
驚いて思わずそちらを二度見してしまう。正面に座っているわけではないが、向かい合う四人掛けの座席の点対称な位置に座って本を読み俯いている。
この車両には他に人はいないのに。それに私は起きてから今まで全く気が付かなかった。
目の前で二度見した手前、少しだけ気まずく思ってしまうがよく見ると彼は私の知り合いだった。小学生の頃のクラスメイトだと思う。彼の顔の半分は青い痣でうめられていた。
話しをかけなくてはいけないと私は思った。
ただきっかけがなくてどうしようか悩んでいると、彼が読んでいる本に覚えがあるような気がする。
カバーは外され水色の単行本がタイトルははっきりとわからないが、その単行本の厚さと電車で読むならきっとこれだろうというお話がある。
私は独り言のように窓のほうに目を向けながら話す。
「銀河鉄道の夜でさ。途中、子供たちと青年が乗ってくるじゃん。この子たちっていうのが沈没した船に乗ってたわけなんだけど。この子たちに最後浮き輪を投げたのってジョバンニのお父さんなんじゃないかなって思うんだよね。
お父さんは船に出てて、色んなものを持って帰って来ては学校に寄付してたじゃない。家族のために船にのって長く働いて、帰ってきたら学校に鹿の角とか寄付しちゃうんだよ。でも、カムパネルラのお父さんはもうジョバンニのお父さんが帰って来てると思ってたけど、今日着くはずの船はいなかった。きっとあの子供たちと同じ船に乗って事故に遭ってたんだよ。そこで懸命に救助をしていたと思う、最後の時まで。その最後の瞬間まで、絶対に誰も見捨てたりしないと思うんだよ。だからその最後の時、あの子供たちを見つけて浮き輪をなんとかそっちに投げることができたんだと思うんだよね」
私はなんでこんな話をしたのだろうか。
彼に伝わっているかどうか全く分からずそちらの様子を確認する勇気もない。せっかく話すチャンスを不意にしてよくわからない考察をしたことに情けなく本を読んでもいない私が俯いてしまう。
「で、ジョバンニのお父さんは死んだの?」
彼の声が聞こえて驚いてそちらを見る。
本を指で挟んで閉じ膝の上に軽く載せて、会話の返答を待つようにこちらをじっと見ている。何年ぶりだろうか。
私はゆっくりと口を開いて、
「それは、生きてるにきまってるじゃない」
考察の続きを話すことにした。
「なんだそれ」
彼は笑いながら、意外そうに呆れてそう言った。
「いやだって切ないもん。そんな人を助けようと懸命に動いた人が死んじゃうなんて」
「そもそも、あの三人組と同じ船に乗ってたからもわからないのに」
「でも、わざわざ船が遅れてるなんて言う?」
「あくまでも嫌な予感だよ。それこそいい方向に考えとけ」
「そうだけどさ」
私は思ったよりも普通に話せているのかもしれない。
電車の走行する音が大きくて耳を澄ませていないと相手の言葉が聞こえないけれども、私も彼も静かに話していた。
私の緊張なんて気づいてないように彼は話しかけてくる。
「何、銀河鉄道の夜ハマったの?ってか久しぶりじゃない?」
彼の読んでいる本は銀河鉄道じゃなかったかもしれない。彼とは久しぶりのようで結構会っているような気がする。同じ電車に本当に長く一緒だったような。
「そうだっけ?四年ちょっとじゃない?」
「いやもっとだろ。小学卒業してから会ってなくない?」
そんなに経っているのか。それならもう九年ちょっと会っていないかもしれない。私はどう返答しようか母音を少しづつ口から漏らしながら、
「あー、そうともいう」
とへらへらした風に答えた。大丈夫。これが今までの私に相違なくてこれからもそうだ。
「なんだそれ、曖昧なんじゃん」
彼も私の空気を読んでくれて軽い雰囲気で返答した。そのまま、指で押さえていた本のページを開きまた少し俯いて続きを読み進め始めた。
電車の揺れを全く感じさせないように佇む彼は存在がとても不思議な気がした。
色々なことを聞きたいが怖くて聞けない。
だから私は聴きたいことを遠巻きに、遠巻きにずっと遠回りして聞いていこうと思う。
「鳥捕りのおじさん好きなんだよね」
私は世間話でも始めるかのようにまた、銀河鉄道の話しを持ち出した。銀河鉄道の夜は彼ではなく私が好きだったのかもしれない。
「鳥捕り?」
「そう、そう、ジョバンニとカムパネルラが旅してる時に相席してくるおじさんなんだけど、デリカシーがちょっと無さそうなおじさんなんだよね」
おじさんのデリカシーの無さは銀河鉄道を読んでいて嫌だなと思いつつも全然いる類だと思った。
「へえ、そのおじさんが好きなの」
かなり唐突だったけれども話に乗ってくれた。彼は思ったよりも優しいのかもしれない。
「そうなの、まぁキャラが好きって⾔うか⼀連の流れが好きって⾔うか」
「そんな印象に残るっけ」
彼は少し顔をあげて電車の天井を見ながら眉をしかめて考えるそぶりをとる。
私は彼にまくしたてるようにしてそのシーンのいいところを話す。
「残るよ。あの、最後話しかけようとしたら、いつのまにか消えていた時が⼀番⼼にくるって⾔うか」
「あぁ、言ったほうがよかったのに言えなかった後悔みたいなね」
彼の話を人づてに聞いたのはいつが最後だっけ。懐かしいねって思い出話を誰かとするたびに彼の名前は出てきていたっけ。
「就活どう?」
彼はものすごく驚いていた。面を食らったように少しのけぞって目を見開いた後、喉から息を漏らすようにして笑い始めた。
「会話下手くそか」
「え?」
「もうちょっと待てよ。流れ的に後もう少しで会話の切り替え来てただろ」
「いや、今言わないと後悔するかなって」
この話を少し耳に挟んだ時の私は懐かしかったっけ。それとも悲しかったっけ。
「そんなすぐに消えたりしないって」
私の気持ち的にも会話が尻すぼみしていくように途切れていきそうなので改めて本題に入ろうと座席に座りなおす。
「で、どうなの?就活」
「うまくやってるよ」
今度は私が面食らってしまった。驚いて彼を見てうまくやってるという言葉を飲み込みながらへらへらと話す。
「ホントに?お前のことだからてっきり、うまくいってないかと」
「俺のことどう思ってたんだよ」
実際に抱いていたイメージはたくさんあるがはっきり言うか迷いつつこれもふざけながら言うことにする。
「あー、ちょっとうざい、可哀そうなやつ」
「いや言葉強いって」
彼は笑ってそう言ってくれたが実際ひどいことを言ったかもしれない。
彼の持ってくる文化は特異で私に影響を与えた。しかし、彼とその文化のことで深く話をしたことはなかった。
彼は一体なぜ決意したのだろう。
「ああ、ごめん距離感間違えたか」
「いやいいよ。そういえばさ、さっき鈴村が前の車両に行くの見たんだよね」
「鈴村?」
彼は小学のクラスメイトの名前を挙げて嬉しそうにこちらへ話しかけてきた。
そうか、いつの間にか先の車両に行っていたから見なかったんだな。
「すごいよな、あんな前の車両に行っちゃって」
凄いよ。近くの席にいないだけでこの車両にはいると思ってたから。
「あー、すごいよね。俺なんてここで座りっぱなしだし」
「大森も木村もあんなに前に進んでさ」
なぜみんなあんなに前に進めるんだろう。
私はみんなが前に進むことを喜ぶ言葉を話すが、私はその度に辛くなる。
「むしろ俺が⾞両を逆戻りしてる説まである」
「なんだそれ」
彼は笑いながら話をやめると、また本を開いて続きを読み始めた。
彼が話すみんなはきっとキラキラしている。私はそれが耐えられないくらい辛い。私は変わらない。
私と彼は実はそんなに仲が良くなかったかもしれない。
私がなんとも思っていなくとも、彼は私に少なからず憎さを抱いているかもしれない。許せないという感情があるかもしれない。子供だからと許されないことをしているかもしれない。謝ったところで二度と手に入らないだろう。
私は窓の外を見ながらこの空間が気まずくなる。
彼はあんまり気にしていないように本を読み進めている。
ふと彼の名前は蒸気機関車のようだと思った。姓は普通で名は映画の主人公だと思った。
「あのさ、ちょっと前に蕎麦屋であったの覚えてる?」
彼はまた本を読むのを中断してこちらに話しかけてきた。
私は少しだけ驚いた。
「ちょっと前だっけ」
最後に顔を合わせたのは四年前だったと思うが、そんな最近に会っていたっけか。
彼は指をこめかみに充てて思い出すようにして言う。
「えー、八年前だったっけ」
「全然ちょっとじゃないじゃん」
思わず二人で笑ってしまった。
彼からしたら五年前くらいなのかもしれない。
彼は話を続ける。
「俺が気づいてさ。手招きしたけどこっち来てくれなかったでしょ」
覚えてる。離れた席だったけれどもはっきりと彼と目が合った。お互いに違う中学へ行き一年ぶりくらいだったかもしれない。
確かに、彼が嬉しそうに笑い手招きをしていた。でも私は行かなかった。
「それは、思春期で。人見知りしちゃった」
誰と話すにも緊張してストレスになった時期だった。だから私は目の前の蕎麦だけに集中していた。
この時行けばよかったのかな。
「そっか」
彼も納得したのか、でも簡潔に寂しそうに言った。
私はいくつもの枝分かれしたもしもを考える。でも私の行動で分岐したもしもは、彼に至らないような気がして意味がないと思う。
でも考えてしまう。
私は通過駅であり終着駅でもあるあの駅を思い浮かべる。地下鉄の改札には昔シュークリーム屋さんがあって、地上に出ると路面電車のあるあの駅。
久しぶりの再会はそこだった。
「ジョバンニって冷たいやつだと思う?」
私はほんの少しだけ冷たいなと思ってしまう。
「カムパネルラじゃなくて?」
「いや、物理的にじゃないよ」
私はとっさに返したけど気分を害すものだったかもしれないと反省した。
彼は特に気に留めず「なんで冷たいって?」と返す。
冷たい理由はそこまで共感できるものじゃないかもしれない。
「だってカムパネルラが死んだかもってなってあんまり悲しんでないというか」
「うーん、旅をするうちに⼼の整理をつけたんじゃないの?知らんけど」
束の間でも一緒に旅をしてしまったら別れに敏感になるかもしれない。
「そんなすぐに⼼の整理つくか?つかないだろ」
「そもそも、ひねくれて考えすぎだろ。ちゃんと悲しい気持ちで⼀杯⼀杯になってどうしようもできないから急いで帰ったんでしょ」
ひねくれているのはわかっている。悲しい気持ちでいっぱいだったのかもしれない。でも悲しい気持ちがどこにも処理することができなくなったら。あの日皆は涙を流して別れを告げたんじゃないのか。
「でもさ、涙とか流さないもんかね。大森だってあんなに泣いてたのに」
あんなに泣いた大森は初めて見た。他のみんなも複雑な顔をしていた。
それなら私は?
「何の話ししてんの?」
電車が踏切を通り過ぎ私の言葉は少しだけ隠される。勢いよく過ぎていく踏切は落ちているような、弾き飛ばしているような。本当のところはわからない。
「だから涙を流さないのはおかしいし後悔もするべきなんだよ。忘れるべきじゃないし、ね」
本当に最後の別れの瞬間を、別れだと思えずに二度と会えなくなると分かっているのにまた会えるだろうと希望的観測を抱き続ける私は永遠に後悔すべきだ。
「いいんじゃない」
彼はきっとこちらを見て話しかけているだろう。
私は今彼を見てはいけない。今話している彼を見たらもしかすると救われるかもしれないが、絶対にそんなことはできない。
「泣いてどうなるとかじゃないし、あくまでも夢。ジョバンニが全部知ってるわけじゃないでしょ」
そう、銀河鉄道の夜はきっとジョバンニが見た不思議な夢なのだ。
彼の夢の中のカムパネルラや他の人たちの状況が現実とリンクしていたような不思議なお話。
でも普通なら夢は私にとって都合のいいことを言うかもしれない。
私は夢では救われない。
「そうかなあ」
彼の言うことは間違っていない。でもきっと彼はこう言わないだろう。
電車は、音はうるさいくせにゆったりとその車両を左右に揺らしごとんごとんと線路を踏み鳴らす音が車内を落ち着いた空間にしている。
私はこれを言いたかったはずだ。
「何かさ、悩んでることある?」
「いきなりなんだよ」
彼は少し訝しむ感じでこちらを見る。いきなりこんな質問されたら誰でもそうなるかもしれない。でも聞くべきだと。
「いや聞いとこうと思って」
彼はそんなに悩むこともせずにさらっと言った。
「それは四年前の俺に聞いてよ」
「そっか」
私の中にその言葉はずっとあるよ。
その言葉が彼に対する私の想いだよ。
電車の駆動音が鈍く低くなり始めた。駅に止まるらしい。
「なあなあ、この電⾞さ。俺以外にも乗ってる?周りに誰もいなくて」
駅に着くたびに不安になるだろう。
「乗ってるだろ、俺は知らんけど」
「何で俺はこの電⾞に乗ったんだろう。寂しいじゃない」
みんなはとっくのとうに前へ進んでいて、本当に私は駄目なやつで寂しくなってしまうんだ。
「鈴村とか木村とか大森はずいぶん先の車両にいるぞ」
「なあ俺ってこの⾞両から移動できると思う?」
ずっと私はここに座ったまま。移動する頑張りができなくなって後ろめたいよ。
「移動しなくても終点にはつくよ」
電車はブレーキをきっちりかけ切って停止すると、ふしゅうっといって扉を開く。私はどこの駅に着いたのか窓の外を確認していると、彼が立ち上がった。
「じゃあ、ここで降りるわ」
彼はここで降りてしまうらしい。
「ここなのか?」
「ホントは前の駅だよ」
乗り過ごしていたのか。最後は私らしくへらへらと彼に話しかける。
「おい、乗り過ごしてたのかよ」
「お前のせいで 4 年分乗り過ごしたよ」
彼はそういうと電車を降りた。
彼が下りるとすぐに電子ベルが数秒間鳴り扉が閉まる。ふしゅうっと空気の抜ける音がしたら電車は進みだし、彼の降りた駅が離れていく。
「はっや。久しぶりなのにあっさりしすぎだろ」
電車はスピードを上げていく。音もどんどん大きくなる。
私はまた俯いてしまう。さっきよりも暗い気がする車内には私だけがいる。
次はいつ駅に止まるかな。
電子ベルの音で私は目を覚ました。
目を覚ました瞬間に立ち上がりすぐに窓の外を確認、駅の名前を確認したあたりで扉が閉まった。降りるかもしれなかった駅の看板を見てため息をついてしまう。また進み始めた電車の外は様々な景色をスライドさせて映している。
しばらくぼうっとして外を眺めていたが、また眠ろうと座席に座ろうとすると私の座っていたすぐ隣に水色の単行本が置かれている。手に取ってその水色の本をまじまじと見る。
私はこの本を見た気がする。
車内を見渡しこの本の持ち主が近くにいないか探すが、車内には私以外人はいない。
私が持っているのも違うかもしれない。
私は対面する座席、点対称に位置する場所に水色の単行本を置いた。その位置が一緒に電車を旅するうえではまっているように思える。
このまま座って眠るのが正しいかわからない。
今なら移動することができるかもしれない。そう思ったが、この本を置いていくのが忍びなく思いゆっくりと座席に腰掛ける。
いつになったらこの電車は終着駅に着くのだろうか。
先の見えない線路を想像しながら私は目を閉じる。
そういえば一つだけ心残りがある気がする。
言うべきなのにその言葉が出てこなかった。
そうだ、私は彼にさようならと言いたかった。
銀河鉄道の夜についての考察
もしかしたらこれを見て不快に思う人がいるかもしれない。
くだらないと言う人もいるかもしれない。
そんなお話しなんです。
殆どの人が乗り越えられたことを、私は乗り越えられないでいて最後に頼ったのは作品でした。