灯 台
この時代に思いをよせて
あなたは漆黒の暗闇に光る灯台を沖合いから見たことがありますか?
真っ黒な海で陸地を知らせるために立っている灯台は、そこがどの灯台か分かるようにそれぞれ色や光り方が違ったり、光る間隔が違っている。海図を見るとその種類と高さ、光達距離(どれだけ離れてその光が見える距離)も分かるようになっていて、たとえばfl10とあればそれはフラッシュでピカッと光り、光が消えて次のピカッと光るまでの間隔が10秒であることが分かる。
GPSやレーダー、またPCを使った情報など航海機器が発達し、灯台の役割が以前に比べ薄らいできているようだ。昔は今どこだろうと数個の灯台の明かりをコンパスで確認し、それを海図に落とし現在位置を確認していたが、今では何もしなくても画面が表示してくれる。
仲間とデッキの上の与太話で「そのうち太平洋のど真ん中をヨットで航海してて、ピザが食べたくなったら電話すれば届けてくれるようになるね」といったことがある。
何もない大海原のど真ん中でも、そこが地球上のどこか数メーターの誤差で表示されるのだから、宅配ピザ屋が飛行機でピザを運んできても不思議ではないわけだ。
高知県の室戸岬にある灯台は光達距離が日本一で26.5海里、キロ換算だと沖合い49km先からもその光を確認することが出る。室戸岬はプレートの衝突により隆起している山で今尚その高さを増しているようだが、突き出た山に立っているのと、大きなレンズのお陰で遠くまで光を放つことが出来、この海域を通る船の安全を担っているわけだが、海の上で49kmというのはそれは恐ろしく遠い距離なのである。
高速フェリーや軍船ならいざ知らず、ちいさな小船、特にヨットだとスピードが無い。もっとも今の最新鋭レーシングヨットはボート並みのスピードを持っているがクルージングを行うヨット(セーリングボート)にそんなスピードは無い。あってせいぜい6ノット。
1ノットつまり時速1海里は1.8km/hなので時速10キロほどの遅いスピードなのである。
陸上と違う点が海にはもうひとつあり、それは風と潮で流されるということだ。陸上で車を走らすと1キロを時速60キロで走るときっちり1分で着くが、海の上だとそうはいかない。風で流され潮で流されるので対地スピードが上がったり下がったりするのである。
日本の沖を流れる黒潮は私たちに海の恵みを与えてくれ、春になるとかつおを運んできてくれそのおいしさを味わうことができるが、この黒潮を別名黒瀬川といい、その潮の流れに入ると、誰もが「おお、まさしく黒瀬川だ」と納得するほど黒い川のような流れで海を流れている。そのスピードは流軸の早いところで3ノットにも達するほど。
足の遅いヨットだと自分の対水スピードが6ノット、それでこの流れに逆らうと対地スピードは3ノット、つまり陸地に対して時速5km弱、歩くほどでしか近づくことができないのである。
そんなスピードしかない船で沖合いを進み、ピカッと光った灯台を発見して「おお!!あれが室戸岬だ」と安心してもそれからそこへ行くまで10時間近くを要するわけである。
穏やかな海面だとウエーキに光る夜光虫を楽しみその時間も楽しむことも出来るが海が荒れていればそうはいかない。行うことを行い、あとはただ黙ってそれを受け入れ我慢し、耐えるしかないのである。
その航海機器が発達した現在でも陸に生きる人間とすればGPSの座標より光る灯台のほうが陸を存在できる安心感あり、なによりピカッと光を放ち続ける灯台は、勇気を与えてくれるのである。
暗闇で光り続ける灯台をみて、自分は本当に近づいているのだろうかと不安になったことは幾たびもあり、その都度慌ててもしかたない、あの灯台までまだ数時間はかかると自分に言い聞かせたものだ。
この世知辛い世の中、人は夢や希望、将来のへ明るさがが無いという。それはまるで灯の消えた灯台で航海機器も持たず航海を続けるようなものだろうか。ややもすると不安感が増したクルーは漁り火や他船の航海等を灯台の明かりと見誤る。そのため舵をいらぬ方向へ切ることもあるから始末が悪い。
海と違い人生には、さも導いてくれる灯台と惑わす、誘蛾灯のような光を放つものまでいるから困ったものなのだ。
しかし自分の位置をしっかりと推理し、コンパスと星を読みそれを海図に落とすことが出来れば自ずとその先に目的地を見つけることは出来る。現に過去の人たちはそうして航海を続けてきたのだから。
決して動かずただ黙って光を放つ灯台
もしあなたに大切な人がいるのなら、あなたが灯台となって導き、人生航路を照らしてあげればいいのではないだろうか。
また小さな光を灯台と見誤らないよう気をつけたいものである。
灯 台