俗悪美の歌(詩集)

二十八。「キッチュの歌」、とお読みください。

    1.俟つ賤民


  蜘蛛の銀飛沫

 悲哀に重たく 銀の瞼降ろす
 荘厳な 遥かなる硬き天空が、
 余りの切情に、亀裂から涙落し、
 わが肉 ぞっと神経へ染むがように、

 俟ちびと 一途に俟ちつづける蜘蛛、
 片恋の恋人の不在 わが巣で不断に耐え、
 死の時が来て、腹に溜め膨らませた涙を、
 滅びながら 絞るが如く銀に飛沫かせるのであった、

 その銀の体液 さながら聖き光の清むいきれ、
 神経さらす雪景色に かのシモーヌの(こぼ)した
 一条の 鮮血の詩性(ポエジー)に、照りかえしが似るよう、

 銀の蜘蛛の淋しさに わがそれ重ねる、
 賤しき詩人の僕なれば 君が涙の飛沫、
 爪に塗ろうか、されば歌 引掻いてもみせようか。



  亡き王女のソナタ

         ──エドガー・ポオへの愛着の詩

 かの一音… はや亡き貴女のましろく繊細なゆびさきで、
 さながら銀の雨粒、澄む青玻璃にたんと落ちるがように響くのなら、
 ぼくが心は夢の追憶へと、かの喪失の日へおのずと連れこまれるのに、
 淡いゆびさき ぼくが夢想(ゆめ)に翳と揺れるばかり、音楽は鼓膜、揺らさない。

 その音楽は銀の月夜に まさか霧のように青く霞んでいたかしら?
 あるいは夜の群青 冷然と貫くしろき(いかづち)であったであろうかしら?
 いずれもまたわからぬこと、ぼくが識るのはその一音さえ鳴れば、
 聖なる光を浴びる幼き日々 聖歌を想起するということ、ほかはない。

 ああ あれは少年期のぼく等、無垢という名の神経の糸を弾く、
 涙と涙の綾織る、まっさらな 清むいたみではなかったろうか?
 あお紫に病むぼくが頬、いたみを純粋に感受したそれ、もはやない。

 それは不連続の閉ざされた淋しさ、真紅の薔薇の流血による連続の幻、
 死と憐憫とに飾られた絵画に四方を覆われた、暗い城の一室の啜泣、
 其処で鳴りぼくを生き抜かせた、汝が姫の一音を聴くのは、またとない。


   2.肉体賛歌


  背骨の美

 地下生活者のぼく、よもすがら 趣味とし愛しているもの等は、
 硝子に金属、鉱石に砂。みな、如何にもぼく好みな女たちのように、
 みごとな程に冷たく硬質、ぼくを突き放し、硬き音楽散らすように美しい。
 果ては世界、硝子盤へと変貌させた、ディレッタントとして世界を抱いた。

 けれども好きだよ、熱帯びる肉感、やさしい弾力、淡く昇る肌の薫、
 そこに命と花巡り、立ち昇るのは 鮮血と綾織る聖性の香気、
 ぼくは柔かい肉体に抱かれるのが好きだ、頬と淋しさを埋めていたい、
 愛され交じれるものならもっといいが!──されど人体、悉く美しい、

 君はそうは想わない? ならみておくれ、君の美しい硬質な真鍮を。
 まずは鏡のまえに立って。誰もいないから、そのコットンの白いシャツ、
 降る黎明さながらに、するすると肌からすべらせてご覧。後ろを向くんだ、

 手鏡で、君の背を眺めて──ほらご覧、君が苦肉の生を生き抜くために、
 さらさらと拡がる無垢、鈴色に堅く締め、欲を尻目に冷たく身振をして、
 背骨に流し込み、されば君が在る。壮麗な銀の彫刻(レリーフ)の突起、君が背に。



  黒と赤

 官能打つ通奏低音と (しず)かに湖の心中と沈められる 穿たれた黒の空間、
 沈鬱な花 はらはらと墜ち呑むが如く、其処にめざめるは絶世の絵画よ、
 腰の不連続な焔 夢想と閃かす舞台に溶け、深淵に糸曳けば肉の底毀え、

   *

 ふと(まなこ)打つ刺激に華みひらけば、めいっぱいに真紅の風景拡がり、
 どぎつく毒と這入りこむは 沈む淋しさの連続と迸る絶頂の音楽よ、
 紅き薔薇の花弁(はな)剥かれた如き眸に映るは 紅に染まった戦慄く肌で、

   *

 されば風景は肉に染む詩歌さながらに 漆黒へと乱暴に剥きなおされて、
 欲掻きまわしありとある色混濁し 如何なる芸術も憂鬱清ますことなく、
 乱雑と焦燥と欲心の儘に、濁りうねった灰の翳およぐ海の躰横臥わって、

   *

 幻惑音楽の圧潰す狂った眼差に 砕け剥き曝された内奥に鮮血の滲み、
 畳み込まれるように波と押し寄せる 躁がしく鍵盤叩くピアノソナタ、
 その湧きあがる赤き悪酒の酩酊の儘に、血奔った歌の幾夜へと跳べ。



  夜は饒舌


 親愛な夜よ、ぼくにはきみの対となる昼こそが無口で、
 あなたこそ饒舌だ。剥かれめざめているのは何処までもきみ、
 なべてをのみこみ 靄として光と闇をふっくらと孕み秘め、
 されどきみが壮麗な表面に鏤められた翳、まるで様々を語るね、

 くわえてその陰翳 蛇の如くglamourousな艶とうねりうつろい、
 真善美なるもの等翳に秘め、霞んでちらと月のように赫い、
 ぼくがうでのばし掴まんとすれば さながら敏捷な猫の如く、
 毛並に蔽われた強靭な筋肉を美しく律動させ、して逃げるようだね。

 昼よ、ぼく白き肌黎明し溢しているも 寡黙なきみを愛さないんだ、
 きみ、一切を語らず悉くを曝し、視線のっぺりと光の粒子の曲線に滑る、
 まるで蠱惑のない。そうだ、あなたに黒のスウェーターを着せてみたい、

 豊穣(ゆた)かな白い曲線には きっと上質なハイゲージの官能がにあうよ、
 然れば夢に浮ぶ発達の突起にそっと触れ、指に伝う電流奔ればね、
 アフロ音楽の奏でるよう──景色の美を希むなら、装飾蔽うか、夜に剥け。



   3.低く、賤しく、誇り貴く、されば報われてはならぬ。


  蓮の花

 膝折って、泥の暗みに沈むぼくの話、君は上から聞いてくれるかい?
 ぼくのかんがえではね、めくるめく痛みこそが人生の花であり、
 わが水晶、薔薇へ剥きつづけるうごきの源もまた、痛みであるのだった。
 痛みと花のシノニム──蓮の花咲く泥沼は、わが身ただよう澄む青空。

 地獄──あるいはそうといえるかもしれぬ、それはぼくが決めること。
 されどたっぷりと蠱惑と血の薫孕む真紅の花が、突き放す妖婦が、
 そういうものが好きなんだ。いわく、愛されないぼくが、ぼくは好き。
 自己憐憫と卑俗を撰びとった詩人のぼく。痛みに、潔く磨かれたいのだ。

 ところでぼく、此処をはや 地獄と呼ぶことはないのだった、
 何故って、苦しみたい苦しみを苦しめるエゴ そいつはや歓びであり、
 それ撰びとれるぼく、何かから恩恵を受けているのは明らかであるから。

 何から? それを追究()え。或いは聖性を。苦痛澄ませよ、痛み清ませよ、
 コジツケでいうのなら、ぼくが生れ落ちたわけ──淋しさを苦しむこと、
 痛みに肉轢かせ、それ花と清ませ、昇る詩性喉から込みあがらせること。


  悲しみに棄てられて


 私は私の悲しみにさえ棄てられて、
 投槍に、一切を抛ることを決意するのだった、

 私は私の淋しさにさえ突き放されて、
 独りきり、孤独を青薔薇へ剥こうともするのだった、

 私は私の焦がれる死にさえ死に絶えられて、
 唯蜘蛛のように、それ清ませんと俟っているのだった、

 私の私の追憶にさえ忘却させられて、
 後ろ髪引かれ、宴をわが夢に描いてもいるのだった、

 私は私の自己憐憫にだけ憐れまれて、
 然し、それをすら呑み切れぬ。してはならぬ。

   淋しさに突き放された 淋しい私が、
   藻さながらに、うでを翳と揺らめかせている。…



  咲かない花


 そこは夢の湖のように霞んで浮ぶお花畑であって、
 かずかずの名花が各々の美を示していたのでありましたが、
 ひっそりと暗がりに背をひねる植物があり、
 花咲くまえに、わが身のうちへそれ蕾と秘めていたのでありました。

 けっきょくその植物は花を咲かせることができず、
 ただ一途に幾夜の月へ、淋しさに翳るお顔をさらしもして、
 されど花の美を外部へ放られなかったことを悔いるわけでもなく、
 ひたむきに生涯を全うし、それ固有の葉の艶を投げだしていたのでした。

 さて、植物に愛されたお月様はその夜霧から顔をだし、
 萎れ果てたその植物へも、立派な花々どうようにひとしく、
 青みのかかる銀の光 うるおい濡らすように降りそそぎました。

 植物ははやいのちはなかったのでありましたが、
 かつての蕾に秘められた光、花の美の可能性が、
 それもまた花だと褒められ、ぴかぴかと光り歓ぶのでした。

俗悪美の歌(詩集)

俗悪美の歌(詩集)

  • 自由詩
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-13

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