嵯峨野へ

嵯峨野へ

第一章

 人気の無い診察室で担当医はパソコンの画面を見ながら壮一の顔を見ずに告げた。
「三谷さん、先日の内視鏡検査でのポリープと腸内壁を採取した結果、大腸の悪性腫瘍で既に癌化している事が判りました。ステージがどのくらいかは開腹手術の結果次第ですが、所見によるとリンパ節への転移も進行が確認されましたので今の状況を大腸癌のステージ三と診断しました。多臓器への転移も推測されますが、それは開腹しての状況次第ですが」その医師の淡々とした口調に壮一はそれが我が身の事なのを一瞬分からずにいた。
 二週間程前の深夜、突然の便意にベットを跳ね起きた壮一は便器を染める大量の鮮血に思わず目を疑った。明け方、近所で馴染みの医者へ開院と共に駆け込むと内視鏡検査を勧められ、1週間後、この医大病院で専門医による検査の結果が、今告げられたのだった。「俺が癌、なんでだ」瞳孔か開いたままの様に医者の画面を覗き込み壮一は言った。
確かに還暦を過ぎた頃から先輩や同輩の何人かが癌を告げられ、中には暇も言わず旅立った旧友もいた。
そんな悔みの席でもみんな故人を偲び、酒を酌み交わしながら、俺は大丈夫と誰しもが思っていたはずだ。勿論、壮一本人も又然りだった。
 精密検査入院、手術、入院、投薬治療、抗がん剤治療、放射線治療等、今迄無縁と思っていた言葉が壮一の脳裏を駆け巡った。
「今日はお独りのようですが、奥様やご家族の方とも相談されて、早急に手術の予定を組みますので、宜しいですか、三谷さん」
「あっ、はい、ですがやはり手術になりますか、手術を受けないと、どうなりますか?」
多分答えは無い、そう思いながらも壮一は尋ねた。
「どうなると申しますと?」医師が少し驚いて困惑した顔を見せた。
「つまり余命といいますか」決して聞きたくは無い言葉を壮一は医師の顔をのぞき言った。
「いいですか三谷さん、癌の余命宣告はそう簡単に答えられるものでは無いのですよ、兎に角開けてみないと、其れが先決ですね」
当然の答えが医師から告げられた。
三谷壮一 六十五歳、神奈川の生まれだが大学時代は京都で過ごし、都心の中堅の出版社に就職、書店周りから始まり六十歳で退職する前まで副編集長を勤めた。退職後は小さな出版社を立ちあげ写真専門書を細々ではあるが愛好家向けに出版したり、自分でも過去に数冊の写真集を出版した事もある。アマチュアでも、壮一が気に入った写真家の個展やイベント等を手掛けたり、他に自分が撮った写真を基に私小説を書いて電子書籍で出版もしてみた。出版社勤務時代は仕事柄、沢山の新進作家の本を読みあさったが、最近は昭和初期の作家の作品を読み返す事が多い。
好きな仕事と写真撮影、小説書きの日々を過ごして、妻と年に一、二度の小旅行をする、そんな老後をこのまま続けて、やがて妻か自分が先かは分からないが、淡々とした日々を過ごしながら生涯を終えるのだろうと壮一は思っていた。
 丘の上に立つ白い病院を出た壮一はバスを待たずに緩い坂道を降りていた。
 大腸悪性腫瘍つまり癌、其れもかなり進行している様だ。突然降ってわいた様な、その言葉からは逃れられない今の自分の影が、夕暮れの路上に長く尾を引いていた。
家の近くで市バスを降りた壮一は家路を歩きながら考えた。今日の事を妻の奈津子に話すべきなのか、歩みを止め、歩道に立ちすくんだ壮一は、いや今は辞めておこうと決めた。
 奈津子は神経性潰瘍大腸炎を患っていて、一年の投薬治療で回復したばかりだ、もし其れを話したら再発は間違い無い、そして今週は毎年彼女が楽しみにしている京都への旅行もあるし、旅から帰ってから話そう、そう決め見上げた壮一の目に自宅の部屋の明かりが滲んでいた。
 「ただいま」いつもと変わらずに声を上げてドアーを開ける壮一に、「検査の結果どうでした?」とお帰りを言う間もなく不安を隠せない声で問う奈津子に「うん、ちょっとポリープが多いので先生には切除を勧められたけど、まぁ心配ないよ」と何気無い振りで壮一は言った。
「あーその程度で良かった、とても心配してたのよ」と言う奈津子の顔を見ずに壮一は言った。
「今日のご飯は何?」
「鰤の良いのがあったから、大根と煮付けたの、それと、貴方の好きな蓮根のはさみ上げよ」と奈津子は言った。
「あっそうなんだ、いつもすまんなぁ」と言う壮一に「何よ、改まって?」と奈津子が少し怪訝そうに言ったので、「だって今日は十一月二十二日だからな
ほら、良い夫婦の日だろ」と照れ臭そうに壮一は言った。
「あら、知ってたんだ」と奈津子が微笑んだ。そのまま自室に入り着衣を脱いだ壮一は、「風呂、入るわ、出たらビールだな」と言うと浴室の鏡に自分顔を映した。映し出されたその顔は目が窪み、頬も急に痩けた様に蛍光灯の光りの中に浮き上がった。
身体を洗う間もなく湯船に沈んだ壮一の脳裏に今日医師から告げられた言葉が浮かび上がった。その言葉を呑み込み、自分に言い聞かせるように湯面に小さく言葉を吐いた「今は決して言うまい」と。

        第二章

 コロナ禍が収まりつつあるとはいえ、仕事や旅行に出掛ける人波で驚く程にホームは混んでいた。早めに駅に着いた壮一と奈津子はコーヒーショップでカフェオレを呑み昼の弁当を買う為に駅へのスロープを上がった。
「私はこれにするわ」ショーケースの中の鯖のバッテラを指差して言う奈津子に「じゃ俺はこれかな」と壮一はちらし寿司を選んだ。
新横浜発 十一時四十分 博多行き、のぞみ二十九号。
キャリーケースを棚に上げ指定席のシートに腰を下ろすとのぞみはホームを離れ加速し始めた。暫く流れる車窓を見ていた壮一は奈津子に言った
「さーて今回は紅葉見物だけど、色々行先を考えると、市内の名所はこれまで色々観たしな」
「今回は嵯峨野にしようかな」
壮一はここ数年、毎年必ず京都を奈津子と訪れる様になった。
 春の桜、初冬の紅葉、大学時代に過ごした京都は懐かしい町ではあるが、観光客の多いこの時期は余り出歩かない京都人にならって敢えて名所などは避けていた想い出がある。そして今の自分の状態を思うと、とても人波が多い華やいだ場所へは行く気持ちにはなれなかった。いや、京都に旅する事自体が精神的に乗り切れずにいたが、唯もしかするとこの旅が奈津子との最期の道行になるかもしれないという想いが一方で壮一を駆り立てた。
 奈津子にも京都には彼女なりの特別な想いがあった。其れは二十年程前まで亡き両親が営んでいた呉服屋の時代、大学生の頃から仕入れ先の招待で父母と一緒に何度も京都を旅した想い出があるからだった。料亭で観た舞妓さんの踊り、加茂川川床での宴、祇園祭り、西陣での呉服の会等、嫁入りする前の数々の想い出が奈津子の中で京都にはある。そして二人の孫の顔を見た数年後、奈津子の母は悪性リンパ腫で世を去り、その後を追うように父も死んだ。
 富士川を渡ると車窓には雪を湛えた見事な富士がその裾野を広げていた。カメラを持った壮一はいつもの癖でデッキへ向かった。
「また撮るのね」と奈津子が壮一の背中に言った。
 デッキに出た壮一は愛用のレンズを車窓に押しつけてシャッターを切った。そして何枚か撮るうちに自分が今抱えている重たいものが、ファインダーを流れる富士のダイナミックな稜線に、ひと時でも消えていく事を願っていた。
 「さっお昼ご飯にしましょ、貴方は先ずはこれでしょ」と奈津子は差し出しす紙コップにビールを注いだ。「いやー毎年の事ながら富士を眺める新幹線でのビールは格別だな」と壮一は喉越しを通る其れが本当に美味いと思った。
「今回の京都は嵯峨野の紅葉にするよ」と切り出した壮一に「嵯峨野って嵐山でしょ、混んでない?」と奈津子が鯖寿司を摘みながら言った。
「うーん嵐山というより小倉山方面かな」
「へーあの百人一首の小倉山?」
「そうそう、小倉山のふもとに常寂光寺と言うお寺さんがあってね、其処の紅葉は、観光客には余り知られていないが、見事らしいよ」
「わーそれは良さそうね、何せ一昨年の嵐山は観光客で渡月橋渡れない位だったから」
「僕も小倉山方面は学生時代に一度行ったきりなんだ」ちらし寿司を食べながら壮一も少し心が弾んでくる自分に気付いていた。
名古屋を過ぎ、二人を乗せたのぞみ二十九号は既に琵琶湖畔沿を京都へと疾走していた。
いつも定宿にする四条烏丸のホテルでチェックインを済ませた壮一と奈津子は部屋へのエレベーターを上がった。ここのホテルは最上階に市内で唯一の天然温泉付きの大浴場を備えているのが、いつも利用する理由だ。
「未だ夕食までかなり時間あるな、何処か行こうか」バケッジを置いて暫く窓際に座り眼下の烏丸通りを眺めていた壮一は言った。
「そうね、お風呂入るまでの時間まで、まだあるし」少し考えて奈津子が言った。
「ねえ、そう言えば、二条城って行った事なかったよな、ここから近いし、ちょっと行こうか」
「あれ、行ってなかった?あの広いお城見たいな場所」「あはは、あそこは京都御所だよ」と壮一は笑った。「そうなんだっけ、何時も貴方について行くだけだから」と奈津子も笑った。ふとその笑顔に、二人で笑い合う時間、こんな時がいつまで続けられるのだろうか と湧き上がる不安を消す様に「さっ行こうか」と部屋を出ると奈津子の手を取った。「あら、貴方もこんな事するのね」と不思議な顔をした奈津子に「介護、老々介護だよ」と壮一は笑い顔を作って見せた。
 二条城は思いのほか団体客が数組入って賑わっていた。入場券を買い少し歩くと、目の前に二の丸御殿の大きな容姿が二人の行手に現れた。
徳川家康により建立されてから途中幾度かの修復を重ねたのだろうが、大きく覆い被さる甍と金装飾が施された太い柱によって組み上げられたその姿は正に御殿と呼ぶにふさわしい圧倒的な威厳と様式美を備えている。其れを見上げていた壮一は遥か昔中学の修学旅行でこの場所に来てきたのを想い出した。
それは大雪の降る日で城内に降り積もる雪で唯、寒さに震えていた想い出、それだけだった。
 しかしこの歳になり訪れた二条城は絶対的な何かを見せていた。白壁を背景にして落ち敷き詰められた銀杏、天守閣跡から観る掘割の石組みの巨大さと、寸分の狂いも無く揃い削られた石が堀の水面に没する、その絶対的な美に壮一は目を奪われた。
「あっ可愛い、このお菓子」とみやげ屋が何軒か連なる場所で奈津子が足を止めた。
市内では老舗の和菓子屋の出店みたいだが、ここ二条城内で店を構えるのは並大抵では無いだろう、そう思っていた壮一の隣で饅頭で出来た子供向けの菓子折を見て「孫達に買って行ってあげようかな」と思案顔をしている。「可愛いね、折角だから買おうよ」と壮一は言った。
奈津子もはしゃいだ様に他の店の軒先も見歩いている。
帰路の玉砂利を踏む二人が最後に見上げた御殿の菊の御紋が夕日に眩く光っていた。
ホテルに戻った壮一と奈津子は最上階の温泉スパへと上がった。男湯の源泉風呂に浸かり壮一は目を閉じて源泉の湧き出る音を聴いていた。
「こうしている間も癌は俺の身体を蝕んでいるのだろうか」その後なんら兆候の無い見えない病魔の不安が壮一の脳裏に又浮かび上がった。それをかき消す様に浴場の窓の外に目をやる壮一に日の落ちた五山の黒い稜線が切り絵の様に写った。
 五山をいつも眺めては京都を感じていた大学時代を、ふと想いだした壮一の脳裏から
あの医師の言葉が迫る闇の中に消えていった。
「さっお食事に出ましょ」風呂から上がって部屋で化粧を終え衣装を整えた奈津子が少し上気した顔を壮一に向けて言った。
「おーいいね、そのドレス似合ってるよ」壮一は幾何学模様をあしらったプリントのロングドレスを着た奈津子に言った。
奈津子も歳を重ねたが本当に綺麗だと思った。温泉の温りで寒さを感じず、壮一と奈津子はホテルを出て烏丸通りを渡ると、高倉通りを上がり、今夜の食事処へ向かった。
 「べっこう亭」その店は壮一にとって縁の深い料理屋だった。壮一はこの街で大学生活をしたが女将の東山逸子とは奈津子と知り合う前からの仲だった。壮一がこの町で下宿生活を送り始めて間もなくの時、逸子とは偶然の出会いだった。
高倉通りと姉小路が交わる角から数軒先屋号の入った提灯に照らされた町屋の一角に、打ち水がされた玄関の格子戸を壮一は開けた。
「今晩は」カウンターと奥に小上がりのある座敷をしつらえた店内はそこそこ客が入っている。
「あっ三谷さん、ようこそおいでやす」
「あっ奥様、ようこそおこしやす」
丁寧に挨拶をする逸子はそう言ってアップにした黒髪の顔を上げて改めて壮一を見た。花の飛び柄をあしらった黒の小紋に渋い金糸の名古屋帯を装った彼女に、如何にも京女の色香が漂っている。
「奈津子です、いつも主人がお世話になりまして、京都へは何度か来てますが、女将の店へは始めて連れて来てくれました」
と奈津子も挨拶をした。
「いえいえ、いつもだなんて、三谷はんが見えはるのんは、ほんまに久しぶりなんどすえ」
 奈津子に気を使った様に逸子は言った。
壮一は出版社時代には京都へ仕事に来ると必ずここを訪れていた、そして会社を始めてからも折にふれて壮一は予約を入れ、独りで逸子の店を訪れていた。独り寂しい学生時代を過ごした壮一をいつも癒し、迎えてくれたこの町の懐かしさと逸子への昔の想いを今でも壮一は心の底に持っている。   そして今回の京都旅行を決めた時直ぐ逸子が女将を営むここへ予約を入れていた。
コロナ禍をなんとか凌いで来た彼女への慰労も兼ねてと考えていた壮一だったが、まさかその後にあんな診断が自分に降るのとは、他の客に挨拶をしながら調理場へ入る逸子の着物の裾から覗く赤紫の八掛が壮一の目に入った。
「さー何から頂こうかな」品書きを見ながら言う奈津子に「先ずは刺身だね、其れと生ビールだな」と壮一が言った。暫くして「お待たせしました」と刺身の器を置いた女の子は「最初のお造りはヒラメの薄造りでございます」と言った
「これって河豚のてっさみたい、ヒラメをこんなに薄く、しかも花びらみたいな盛り付け」
「そうなんだよ、ここの板前さんは相当年季が入ってる人だからね」と壮一は奈津子の喜ぶ顔を見て何か自慢げな自分を感じた。
本鮪、剣先いかと刺身を楽しみむ壮一と奈津子に、「三谷はん、お酒は何にされますのん」と逸子女将がカウンターの向こうから聞いた。
「そーだな、じゃ京生粋にするかな」と壮一は答えた。「ほな、二合を片口でグラスをおふたつご用意させてもらいます」と逸子女将は言った。
「それと湯葉も頼んでおこうかな、お前好きだろ」
「わー頂きたいわ、それと九条葱の出汁巻き玉子、あん肝のオレンジ煮、小株のあんかけも食べたいわ」いつもは食が細い奈津子の注文に驚いたが、壮一は内心嬉しかった。今夜は馴染みの客が多いらしく、女将は白足袋に草履の裾さばきも鮮やかに、客に挨拶をしながら若い子達に細やかな指示をしている。「女将さん、綺麗なお方ね、そこそこのお年だとは思うけど、なんてお肌が綺麗なんでしょう、本当の京美人とは女将さんみたいな人を言うのね」
「そうだね、奥に居るのがご主人さ」と壮一は小声で奈津子に伝えた。
カウンターと調理場の間で忙しそうに動く年配の男性が目に入っていた。
「ご主人は僕と同じ同志社大学なんだ、ここで働く子達はね、皆んな京大、同志社の学生さんなんだよ、それも昔からね、客筋も大学関係の方が多いいんだ」と言う壮一に「あら、そうなのね、流石女将さんね」と奈津子が相槌を打った。
「貴方は良くここへ来ていたの」と問う奈津子に、「うーん、京都にはそれこそ星の数程の料理屋があるけどね、偶々ここを知ってね、それ以来他には行かないね」と敢えて無用な詮索はされたく無いと、壮一は女将逸子との出会いは奈津子には話していない。奈津子も敢えてその事を壮一から聞こうとは思っていなかつた。
カウンターに背を向けご主人と話し合いながら客の注文を調理場に伝えたり、酒の準備を手際のよくこなす逸子女将のアップにした黒髪に蒔絵の紅葉の簪が仄かな光を放っていた。
 客が引き始めて、落ち着いた逸子女将は壮一と奈津子の傍に来て話しを始めた。
「ほんまにこのニ年はしんどかったんです」
「京都には外人はんも沢山来とったのに、ここ二年は全く町で姿を見しまへんどしたさかい」
確かに今日も駅でもホテルや二条城でも以前あれだけいた中国人や欧米人の観光客の姿は全く見なかった。
「いやー女将さん、想像以上に苦労したでしょうね」と壮一は心から思い言った
「はい、それはもうどちらはんも一緒どすけど、ようやく光りが見えはりましたわ」
「壮一はんもお変わりなく?」と言う逸子女将の言葉に壮一は酒の注がれた切子のグラスを運ぶ指を止めた。「うーん、まぁ相変わらずだよ」壮一は何かを悟られまいとする様に何気に答えた。
 女将が壮一の名前を呼んだ時、湯葉を掬っていた奈津子の手の動きが一瞬止まるのを壮一は見逃さなかった。「三谷はんは、いつもぎょうさん写真撮らはりますなぁ、フェイスブックでいつも拝見しとります」逸子さんがそう言うと「そうなんですよ、仕事してるか寝てるか以外はいつもカメラ離さないんですよ、ほら今もでしょ」
と奈津子は本音とも冗談とも付かない事を女将に言った。
「三谷さんの写真は何か語りかけるものがあって凄く好きなんです」
壮一はカウンターの下に置いた角の禿げた一眼レフを取り出して女将に向けて素早くピントを合わすとシャッターを切った。 
「まあ、堪忍しとぉくれやす、こないなばあさま撮ってどないすんのどすか」とは言いながら逸子女将はレンズに向けて少しボースをとりマスクを外すと微笑んだ。
逸子を撮るのは何年振りだろうか、ファインダーに映る彼女を見ながら壮一は思っていた。オールドレンズの滲む画像が一昔前の記憶を蘇らせていた。
暫く三人で世間話しをして楽しい時を過ごし、その間にも奈津子は出されてくる料理を堪能していた。
 壮一は好きな京野菜の天ぷらを頼み、三杯目の片口から奈津子と自分のグラスに酒を注いだ。そして逸子女将にも薦めた。袂を少し捲ると盃を向けた女将の抜ける様に白い二の腕に、酒を注ぐ壮一はかすかに手を揺らした
 久しぶりの酔いが壮一を包み込んで客達の声が遠のいた。「なんかご飯ものでもお待ちしまひょか」と伺う逸子女将に、品書きから壮一は鰻のぶぶ漬けを頼んだ。「貴方、結構食べてるけど、大丈夫?」と言う奈津子に「大丈夫、明日は結構歩くからね
米で体力つけないとね」と壮一は言ったが、内心、体の事を思うと不安がよぎった。
「明日は嵯峨野へ行こうかと」と言う壮一に、「まあ、そらええどすなぁ、丁度紅葉も見頃ちゃうかしらね」と小紋の袂をまくると、鰻の甘露を沈めちりめん山椒を浮かせたぶぶ漬けと香の小鉢を差し出した。逸子の二の腕に濃い赤紫の襦袢の裾がまとわりついていた。
「さあ、ぼちぼち宿に戻りますわ、お勘定をお願いします」と言う壮一に
「いつもおおきにありがとうさんにごさいます」注文表を持ったご主人が滑らかな口調で言った。社交的な逸子に比べて寡黙だが実直そうな人だな、それがお似合いの夫婦なのかもしれない、レジを打ち込む主人の姿に、そう壮一は思った。
「あら、お帰りどすか、今日はおおきにどした」
「うちもこのコロナをなんとか凌いで行きますさかい、三谷はん、奥様もどうかお体に気ぃつけて」
「お会い出来てほんま良かったどす、感謝しとります、どうか明日の嵯峨野がええ旅であるん様に」「ほんまおおきにどした」
腰に巻いた藍染の前掛けを解いて、逸子女将は深々と壮一と奈津子に頭を下げた。
「ありがとうでは又」と差し出した壮一の手のひらを逸子の両手の細い指が柔らかく包んだ。其の感触はあの時と同じだった。
店の表に出た逸子女将は、壮一と奈津子が姉小路の角を曲がるまでいつまでも見送ってくれた。
 高倉通りの街灯に逸子の白足袋が浮かんでいた。
もう、これが最期かもしれないと見上げた壮一の目に、上がった満月が滲んでいた。

         第三章

 昭和五十一年春、二十歳の壮一は京都での大学生活を始めた。この歳になるまで親元を離れた事の無かった壮一は、中学の修学旅行以来訪れて居なかった京都でアパート暮らしを始めた。引越しの荷と言えば好きで集めて来た蔵書、寝具、当座の衣類や身の回り品、僅かな家財道具と祖父が残してくれた古い一眼レフ一台だった。
 学部は文学部で学友を作る目的で部活動は写真部に入った。京都での暮らしを初めた頃は碁盤の目状に仕切られた通りを歩いているといつの間にか方向感覚を失い、何度も道行く人に尋ねたりしていた。中古の自転車を買い、先ず覚えたのは当然だが学部のある御所の裏手のキャンパスへの道のりとアパート周辺の道だった。壮一のアパートは中心部から離れてはいたが、直ぐ近所にはその名前を代々受け継いできた浄土宗金戒光明寺、京都人が言う黒谷はんがある。学生生活も半年になり京都での日々も少し慣れて来た頃、家からの仕送りでは賄い切れない生活費を都合する為、壮一は週に三日は四条河原町の大衆割烹居酒屋で夜のアルバイトを初めていた。
 市内の有名な寺や門前町は休日になると観光客で溢れ、とても行く気になれず、平日は勉強に時間を取られて、気晴らしに黒谷の周辺を歩く程度だった。
 そんなある日、いつもの様にアパートを出た壮一は光明寺の境内にある大きな石段の下からカメラを構えて山門を撮影していた。傾き初めた夕陽を背景にレンズを山門の甍に向けると、見事な光輪がファインダー越しにできていた。カラーフィルムなど高くて買えない壮一はもっぱら白黒フィルムで撮影していたが、当時流行っていたコントラストを極端に効かせた様な写真は好きでは無く、素人なりに光線の柔らかさを求める作風になっていた。
 ふとレンズを石段に向けると、先程から石段を見ながら途中で登り降りする一人の少女が目に入った。
「どうかしたの、落としもの?」とセーラー服姿のその少女に壮一は声を掛けた。
黒く長い髪をポニーテールに結んだ少女は顔を上げると「はい、お財布と定期をこの辺で落としてもうた様で、私暗なると目ぇ良う見えんで、おかしいな、この石段や思うんどすけど」
と壮一を見上げた。顔が小さくて、目鼻立ちのはっきりした、眉毛の細い美しい顔の高校生だった。
「そうなんだ、一緒に探してあげるよ」と壮一は言いながら辺りを探し始めた。それが壮一と逸子の出会いだった。貸したバス賃を彼女は壮一のバイト先まで翌日届けてくれ、その時自販機の缶コーヒーを二人で飲みながら名前を聞いてみた。「はい、東山逸子です、あんたさんは?」セーラー服姿の口角の上がったエクボの顔ではっきりした口調がとても初々しく可愛いかった。
「あっ改めて僕は三谷壮一、同志社大学の一回生です」
「わー同志社大学どすか、凄いどすなぁ、うちなんかにはえらい無理どす」
はにかむ様に言う逸子の京都弁の響きに尚更壮一は惹かれた。
「今、何年生、進学するの?」と壮一は尋ねた。
 逸子は府立女子高校生の1年生で西陣界隈で生まれ育った生粋の京都人で家は八十年程経つ乾物屋の娘だった。
「もう、観光客相手とちゃう、うちらの様な町内の人相手のお店は厳しいんどす、うちは未だ一年生やけど、大学へ進学出来るかどうか分からへんのどす、塾にも行けへんし」
「そうなんだ、もし良かったら僕が少し勉強見てあげるよ、勿論
お金は要らないから」と逸子に言った。
 其れから壮一は学業とバイトの合間をみては、平日は逸子の下校時壮一のバイトが無い時は大学のホールや時には御所の休憩場所で逸子に勉強を教えた。勉強の後二人は玉砂利を踏んで別れ道の丸太通りまで歩いた。
其れは二年の間であったが、何故か逸子はその事を両親にも誰にも言わずいた。壮一も同じ様で逸子に勉強を教える日は敢えてプライベートな話しはせずに、そして好きなカメラのレンズを彼女に向けた事はなかった、其れは壮一なりに彼女が未成年である事への配慮だった、たった一度を除いては。それは夏の昼下がり勉強を終えた二人が足を伸ばし賀茂川の土手で涼んでいる時の事だった。
突然の激しい夕立に会い、ずぶ濡れになってしまった浴衣姿の逸子を止むを得ず自転車の荷台に座らせ壮一のアパートに連れて行き、二階の粗末な部屋の窓際に座らせて濡れた身体を乾かさせた時だった。
逸子の濡れた長い黒髪、白い肌に張り付いた浴衣の赤と薄紫の朝顔、赤いちりめんの帯、裾から覗いた細く白いふくらはぎ、それを見てしまった壮一は思わずカメラを構え、そしてゆっくりとシャッターを押した、その音に少し驚いたが、あがらうでも無く、ポーズを作るでも無い自然体で窓の外を見る逸子と其の背景に写り混んだ光明寺のぼやけた山門の輪郭、焼けて変色した畳に落ちた逸子の影、その写真だけは今でも壮一の自宅の引き出しの奥で眠っている。
そして年に何度か勉強を休んで逸子は壮一に京都の街を案内した。祇園祭りの宵山、熱い夏の日に上がった三千院の坂道、春には下鴨の河原や光明寺真如堂の桜、秋には東山の紅葉、並んで話しながら何時迄も歩いた哲学の道、勉強帰りに2人で頬を膨らませて食べた出町柳の屋台の熱いベタ焼き、セーラー服にポニーテールの後ろ姿を見送った夕暮れの上七軒の辻子、逸子は壮一が京都で過ごした勉学とバイトに明け暮れた年月の中で、唯一鮮やかな思い出となっていた。逸子と歩いた日々は壮一の中での京都そのものだった。
 就職先も決まり大学の卒業式を終え、壮一が京都を離れる日、京都駅の新幹線ホームで差し出した壮一の手を、両手で包んだ逸子の柔らかな細い指の感触に、この街とも逸子とも別れる想いが胸に込み上げてきた、そして逸子は言った。
「ほんとうにおおきにどした、壮一はんの事は、この先何時迄も、何があっても忘れはしまへん、お仕事おきばりやす、うちはいつも黒谷さんでお祈りしてますさかい」
目に涙を一杯溜めた逸子は壮一の目をしっかりと見ていた。
 黄八条の着物に赤い帯、白足袋に赤い鼻緒の下駄姿で、動きだしたひかりを追い、いつまでもホームで手を振り見送ってくれた逸子の立ち姿は今でも壮一の中で生き続けていた。
 そして壮一が都内の出版社に勤めて三年後、逸子から届いた手紙は実家の稼業が廃業しその同じ場所で彼女が始める割烹酒屋べっこう亭の開店案内状であった。逸子は進学はせずに、調理専門学校を出て名のある料理屋で修行し、食の道を選んだのであった、生まれ育ったその場所で。

         第四章

「今日はおつかれはんどした」表で最後の客を見送った逸子は、店の行灯を消すとアルバイトの子達に声を掛けた。調理場の板さんにも同じ声を掛けると、一息入れて急須に残った番茶を湯呑に注いでゆっくりと飲んだ。亭主の郁夫はレジ閉めをしている。
 逸子は今日初めて会った壮一の妻を思い出していた。矢張り想像していた通りに美しく、都会生まれの洗練された人だと思った。そして壮一とはお似合いの夫婦だとも思った。一息入れカウンター廻りを片付け終わると前掛けを解きながら「ほな、お先に上がらせてもらいまっさかいに」と郁夫にいうと信玄袋を下げて表へ出た。
 逸子と郁夫が暮らす家は、べっこう亭から五軒下にある、やはり同じ町屋だ。昔、日舞のお稽古場だった二階造りで、逸子は郁夫とここに暮らして三十年になる。
 表の格子戸の鍵を開け、電灯を点けると狭い階段を上り、襖で仕切られた居間へ入った逸子は、黒い座卓の前に座った。なんか今日はとてもほっこりどすな、と独り言を吐くと、帯を解いた。
 逸子は湯舟に浸かりながら、手のひらを開いて湯にかざしてみた。はらはらと手を踊らすと、そこに今夜の壮一の手の感触を思いだしていた。もう四十年近くも前になる壮一と別れた京都駅のホームが逸子の中に浮かんだ。壮一を見送った十七歳のあの時、逸子は、何故か自分はこの京都からは出ることは無いだろうと思った。京都に生まれて、この街で暮らしてきた自分にとって、壮一は、この街でいう、いつまでも一見さんでいて欲しかった。
多くの一見さんを迎え入れ、やがて虜にするこの街に生きる事が、逸子は好きだった。

        第五章 嵯峨野へ

ホテルの部屋で異変を感じた壮一はベットから起き上がると枕元の時計を見た。午前三時を回っていた。隣りのベットで背中を向けて寝ている奈津子の浅い寝息が聞こえている。
薄あかりを頼りにトイレへ向かい、便座に腰を下ろした壮一は極所に違和感を感じて腰を浮かし背後を覗きみた。
 真っ白の陶器に赤い一筋の血が滴り落ちていた。 
昨夜飲んだ酒の酔いが一気に引いていった。「矢張りか」と水洗をひねり、壮一はベットサイドに戻りポーチの中の医者から渡された錠剤を二粒飲んだ、止血剤だった。奈津子を起こさない様に、ベッドに横になり、天井を見た。「あと一日なんとか凌がなければ、この旅が終わるまでは」旅が終わったら自分の容態を奈津子に話そう、そう決めて出た旅ではあったがその先を思うと不安と焦燥感が夜の波の様にひたひたと寄せて来た。「俺がもし死んだら奈津子は一体どうなるんだ」答えの無い想いが闇の中で渦巻いていた。再びベットから起き上がると、壮一は安定剤を噛み砕いた。
 浅い眠りから覚めた壮一は窓から見える東山の山並みを見ていた。「今日一日だ」と息を吐くと上階の温泉浴場へ向かった。
風呂から戻ると奈津子は鏡に向かい化粧をしながら
「昨晩は。余り寝られなかった様ね」と言った。
「うーん久しぶりに床が変わると、どーもね」と
壮一は言いながら着替えを始めた。
「わー結構混んでる、矢張りコロナ禍が大分収まりみんな気分変えたいのね、ほら、去年はガラガラだったでしょ」モーニングビュッフェのテーブルについた奈津子が驚いて言った。流石に外国人は居ないが沢山の笑顔の旅行客がトレイを持って室内を行き来していた。「さて、きょうの予定は?コンダクターさん」普段は朝食も小雀ほどしか食べない奈津子はトレイに沢山の惣菜を乗せて席に着くと壮一に言った。余り食欲の出ない壮一は朝粥過を啜りながら「うん、そうだな、予定通り嵯峨野だね、でも以前は嵐電の嵐山駅の混雑ぶりには参ったから今日はJRにするよ」と前に調べておいた道程を奈津子に話した。「わー楽しみだわ、でも歩けるかな?」と笑ってコーヒーカップを揺らした。
京都と南丹市薗部を結ぶ山陰本線の三十四キロを称して嵯峨野線と言う。壮一と奈津子は観光客で混雑する嵐電嵐山駅を避けて嵯峨野線嵯峨嵐山で降りる事を決めていた。途中では映画撮影所で有名な太秦(うずまさ)を通る。壮一は今回は小倉山の裾野に点在する寺を見て歩こうと考えていた。特にこの時期は紅葉が見所の寺が多いいが、案内地図では歩けそうでも実際は相当な距離だったと言う経験を過去に何度かしていたし、まして今回は前とは更に事情が違う自分の体力と二人の脚力を考え観る箇所は三つに絞った。
しかし嵯峨嵐山駅は思いの外、観光客が多かった。
「そーだったんだ、俺はえらい勘違いをしてたよ
てっきり嵐電嵐山駅がトロッコ鉄道の始発だと思ってたんだか、なんとここだったんだね」駅からトロッコ電車の乗り継ぎ場へ向かう人波に驚かされた。
それで無くても最近思い違いが多くなった壮一は気落ちしていた。がしかしタクシー乗り場だけは空いていてそこは壮一の思惑通りだった。
狭い嵐電嵐山駅前では恐らく一時間待ってもタクシーは捕まらなかっただろう。
「常寂光寺までお願いします」運転手にそう伝える壮一は改めて案内地図を奈津子に見せて「今日はここら辺りを散策だね」と言った。
 「じょうじゃっこうじ」珍しい名前のお寺ね
奈津子が寺の名を読んで言った。
「なんでも千五百九十年代に開山したと言うから
四百年以上前だね、小倉山百人一首で有名な藤原定家の別荘だったんだ」「小倉百人一首は当時近隣にすんでいた法師が自分の別荘の障子に貼る為に定家に諸国から百人の優れた歌人の歌を選び描かせたんだ」と壮一が言うと
「貴方凄いのね!」と言う奈津子に
「あはは、一様文学部卒だからな」と壮一は笑って言った。「住所も凄いよ、左京区嵯峨小倉山小倉町だからね」「まあ、正真正銘じゃない」と奈津子も笑った
手前でタクシーを降りて少し歩くと山門があった。材木で組まれた思いの他質素な山門の寺額に常寂光寺とだけ刻まれている。
受付を済ませ奥へ進むと山の傾斜に沿って石段がじぐざぐに造られている、壮一と奈津子は石段を見上げて思わず声を上げた。
 そこには一面の楓と桜の紅葉が空間を埋め尽くしていた。間に立ちはだかる巨木から漏れる太陽の光が茜と翠の葉を照らして絶妙な陰と陽の幽玄世界を創り出している。壮一は京都でも数々の紅葉の名所を見ては来たが、市の中心地から離れたここ小倉山の中腹に密やかな程にこれ程見事な紅葉の杜があるとは想ってもいなかった。壮一と並んで石段をゆっくりと上がる奈津子も見上げる紅葉の見事さに声も出ない。壮一は階段の苦手な奈津子の手を取り仁王門をくぐり更に折れる石段を上がった。
本堂も派手さ豪華さは微塵も無く小さな社台だつた。境内にある小さな休憩場に腰を下ろした壮一と奈津子はそこも見事な茜の重なりを見せていたがそこに小さな鐘楼があった。一休みしていると一人のやや背の曲がった老人が鐘楼の石段を上がっていく、庭師の様な法被を着て手には木槌を持っている。そして腕時計をみて暫くすると吊るされた小ぶりの鐘の前に立った。そうか此処の鐘楼はよく見る大きな釣り鐘ではなくてあの小さな鐘なのだと、壮一は気づいた
 その時鐘がつかれた。よく聞く除夜の鐘の様な音色とは違う、半鐘の様な高い音色が境内に響き渡った、正午だった。
その音の余韻が紅葉の重なりの中に響き、そして消えると、再び老人は木槌を鐘に打ちつけた。
 お寺で梵鐘を打つのは僧侶の仕事とばかり思っていた壮一は一瞬虚をつかれたが、「そうか、この老人は定時の鐘をつく為だけが仕事なんだ」時を告げると言う間を知り尽くした様に鐘の音の余韻が消え次を打つまで微動だにしないその所作に壮一は敬服していた。その人が打つ梵鐘の音色が茜色の中に消えて行くと、壮一の中に例えようのない感慨が浮かび上がった。壮一の中にある記憶に柔らかな靄が掛かった様な、それは虚無の世界とでも言うのか梵鐘の音色以外何も無く、何も聞こえず、そこに感じるのは生でも死でも無い、唯とてつも無く普遍なものの様だった。
「貴方、貴方大丈夫?」鐘突きが終わっても目を瞑っている壮一に気が付き奈津子が心配顔で言った
「あっあー大丈夫だよ、ちょっと瞑想しただけだよ」と壮一は言った。
 常寂光寺の山門を抜けた二人は道しるべの示す方角へ歩いた。
ふと見ると細い小径の先に茅葺屋根が見えた。
「ちょっと入ってみるか」と言う壮一に
「私少し疲れたからここで待つは、写真でしょ」と奈津子は路端の積み石に座った。 
「あーちょと見てくる」と独りで小径に入った壮一はカメラを下げて奥へ進んだ。そこは数軒の古民家が建ち並んでいたがどの家も瓦屋根の門が在り、その横柱には庵の額が掛かっていた。
「なんでだろう、みんな何処も茶室なのかな?」と不思議に思った壮一は気付いた。
「ははん、これが嵯峨野小倉山の住人の粋なんだな」と壮一は想っていた。
道は行き止まりになっていたが、そこに先程見えた茅葺屋根の家があった、その家は瓦屋根の門は持たず踏み石だけが敷かれていたが、蓑と傘と茶色の瓢箪が玄関横に掛かっていた。ファインダーを覗きシャッターを切った壮一はこれも細やかな嵯峨人の心意気なんだなと思った。暫く眺めていた壮一は元来たところに戻ると奈津子が同じ積み石に座ったまま言った。
「良い写真撮れたの、小路に入っただけでこれだけ静かなのね、表通りは結構観光客がいるのに」と言う奈津子に「何処かで昼にするか」と壮一は言った。
 常寂光寺から暫く歩くと少し広い通りに出たところで蕎麦屋の暖簾を見つけた。京都はうどん屋は多いが蕎麦屋は以外と少ない、うどんを食べない奈津子の為に昼間四条界隈を歩く時、壮一は一度入った蕎麦屋の場所は必ず覚る様にしていた。
「いらっしゃいまし、、お二人はんどすね」
暖簾をくぐり店内に入ると壮一よりかなり歳上と思われる女将さんが会釈をして迎えてくれた。
席に座った壮一は店内を見廻した。板張りの高い天井から時代を感じさせる蛍光灯が下がり、所々には傘の付いた電球が磨かれて光る木のテーブルを照らしている。奥に小上がりの在る小部屋も見えて小さな床の間には掛け軸と花が生けられている。
「中々の店だな、かなり古いぞここは」一通り店内を見廻した壮一が奈津子に小声で言った。
「何か美味しそうね」と品書きに眼を落としながら奈津子も答えた。
「私は鴨南蛮にするわ、貴方は?」
「京都で鴨はいいね、俺はざるにするわ、それと
一本つけてもらおうか」と壮一は女将を呼んだ
暫くしてお銚子とお猪口が2つ、あての板わさが運ばれてきた。奈津子に酒を注いだ壮一は手酌で注ぎ互い目配せをして杯をあげた。辛口で美味い酒だった。
「美味いね、多分伏見の山田錦だね」猪口を空けた壮一は言った。
「はい、お待ちどう様どした、鴨南蛮は熱いどすさかい」と女将さんが年季の入った四角い木の盆に乗せた蕎麦を運んできた。
「お蕎麦の腰が丁度いいわ、鴨も柔らかくて、又出汁が薄口で美味しい」蕎麦を啜りながら満足気に奈津子が言った。年代ものの蕎麦猪口で啜ったざる蕎麦も歯触りが良くなんとも美味しかった。
「ところで女将さん、ここはどれくらい経つのですか?」
店内には他に客が居ないのを幸いに壮一が丁場に立つ女将さんに聞いた。
「はい先々代からで、もう八十年やらしてもろうてます」と女将さんは着物の襟元を整えて言った。
「八十年、戦前からじゃ無いですか!」と言う壮一に「はいそうどすなぁ、昔太秦がえらい盛んな頃は、ここのお寺はんに沢山の有名な役者はんが撮影に来られてや、カツラつけたままお蕎麦を召し上がっとったどす、阪妻はん、月形龍之介、片岡千恵蔵、市川右太衛門はんから最近では裕次郎はんや北大路欣也はんやら」と女将が役者の名を並べた。「それは凄いですね、まるで日本の時代劇博物館じゃないですか、ここは!」と壮一か驚いて言った。
「はーそうなんどすかね、いま思たら色紙をぎょうさんもろうといたら良かったんどすかね、殆どあらへんのどすえ」と、そして「何んせ、先々代がえらい変わりものなお人で、商人は芸人はんの色紙やらを店にやたら飾るものちゃうとの教えがあったようなんどす」言った。
「で、女将さん、最近どんな芸人さん来ました」と尋ねた壮一に
「そーどすなぁーコロナの前に氷川きよしさんが見えたけどなぁ、沢山のお供つれてや、なんやらポスターの撮影とかで、私ファンなんどすけどな、そやけど家訓やさかいサインはもらわへんかったんどす」と女将さんは屈托の無い笑い顔をみせた。
締めに蕎麦湯を呑んで店を出ると
「面白い女将さんだったわね」と奈津子が吹き出しそうに言った。
二人は再び嵯峨野を歩き始めた。

「あっ人力車」と奈津子が指指す先に腹掛けに半股引き姿の若い車夫が客を乗せて止まっていた。
客の男女は如何にも貸衣装と思われる着物を着ていたが、車夫が腹掛けの上に羽織る藍色に嵐の白い一文字が染め抜かれたいなせな法被と合わせて辺りの風景に溶け込んでいた。「嵐山から乗せてきたんだね」と言った壮一に「コロナで散々だったけどああいう姿が京都に戻って来てるなんて良いわね、車夫さんも嬉しそう」と奈津子は言った。
車夫は客の二人に広く広がる畠の向こうの風景を指さし案内をしていた。側により聞き耳を立てると
しきりに「らくししゃ」の言葉が聞けた。
「あっあれが落柿舎だよ奈津子」とその方向を壮一は奈津子に示した。
壮一は落柿舎が嵯峨野の地では有名な菴である事は知っていた。そこは芭蕉の門人俳人向井去来の手で営まれた三百余年を越す民家で、遠く畠越しに見る茅葺屋根は周りを高い柿の木で囲まれたその風景は幾何にも嵯峨野の枯れた風情を見せていた。
「行ってみよう」と壮一と奈津子は広い畠を回り込んだ。門前に立つと低い瓦屋根の垂木の下に落柿舎と見事な書体の木額が上がっている奥を覗くと茶色の土塀に蓑と傘が掛かっている。
壮一は下げたカメラをモノクロームに切り替えシャッターを切った。午後の斜光が陰影を造る無彩色の世界を壮一は捉えてみたかった。敷地内は本庵と次庵に別れて建てられている。
内部には入れないが、開け放たれた木戸や縁側から菴の中の様子は充分に見てとれた。幸い撮影は全て可であった。
 木戸から覗いた土間のつるべ井戸、貧乏徳利と言われる注ぎ口に縄が巻かれ太い筆で酒蔵の文字が描かれた大徳利が並んだ木棚、柱に打たれた鋳造の蝋燭立て、釜戸の上の煤けた米炊き釜、壮一のファインダーに入るもの全てが絵になっていた。
庭に廻ると縁側に斜光が当たる狭い部屋が在る
そこがこの菴の主室であった。四畳半程の部屋と奥に小さな書間らしき部屋も見えた。床の間は無く角の畳の上には板だけが置かれてあり、その上には素焼きの花瓶に一輪の白い椿が生けられている。
側には小さな香炉が置かれ、背後の漆喰壁に一人の笑う男とたんざくを差し出す女、その後ろで袂で笑い顔を隠す様な女が軽妙な筆で描かれている。壮一はファインダーから眼を話し、その光景に釘付けになった。それが単なる戯れ絵には見えなかったからだ。
あの鳥獣戯画と同じ様な楽しさや愛おしさをその絵の中に壮一は見たからだった。
芭蕉は師弟のこの菴に三回程訪れて長泊していたという。柿の木に囲まれたこの静かな菴で何を想っていたのか、庭の石碑に一句残されていた。
「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」
確か今見た漆喰の陽にやけた壁に書かれた絵は他とは違い変色が少なかった。
きっと芭蕉の句を観た何れかの御人が後世に描いたのでは無いだろうか、いずれにしても三百年の時を経ている。芭蕉は五十歳で没する三年前にこの菴に長逗留して「嵯峨日記」を誌している。
壮一は思った
人は遅かれ早かれいずれは死を迎える
其れが病であろうが、天寿のまっとうであろうが
大切なのは日々を如何に生きるかであり
寧ろ余命を宣告された方がある意味幸せでは無いだろうか、されば日々の大切さ、その愛おしいさが判るのでは無いだろうか
芭蕉はこの菴で其れを悟ったのではないのではないか
 自分はもうこの嵯峨野の地を歩む事は出来ないかも知れない、だからこそこの光景を自分の記憶のフィルムに焼き付けておきたい、そこに映る奈津子と共に。
そう感じた壮一の目に落柿舎の前の畠が湖の如く眩く光を受けていた。
庵の庭に出ると奈津子が石座に座り葉の落ちた柿の木の空を見上げていた。沢山の熟した柿が今にも落ちそうに細い枝に残っていた。
 壮一はカメラを構えシャッターを切った。そこには今だかって見た事の無い憂いのある眼差しの奈津子がいた
落柿舎を後にしてニ尊寺迄の道を壮一と奈津子は並んで歩いた。其処は思いの外近かったが嵯峨野唯一と思われる大きく聳える山門を見上げ二人は驚いた。今しがた見てきた風景と趣が違っていた。天台宗の大寺院で本堂には阿弥陀如来と釈迦如来の金箔が施された巨大な立像が祀られてあるそうだが、それは京都の中心部にある幾多の寺院と同じ様に何か仏教の力を示す威厳と威圧感が今の壮一の心境には馴染めなかった。本堂には上がらず回廊の廊下や庭園を見て境内を後にした。

 山門を出ると小さな門前町があり並んで歩く壮一と奈津子はお土産物を店先に並べる小さな店の前で立ち止まった。奥で年配の婦人が鼻眼鏡をあげてこちらを見ていた。店内を見ると小さな人形から能面、おかめや狐のお面まで全てが陶器で出来ている。
「みんな手造りなんどすえ」とおばさんが言った。
「生徒はんのも少しはあるけど殆どは私が土から創ったんどす」とおばさんは眼を細めて言った。
壮一と奈津子は腰を丸めて店内の棚を見ていた。
陶土を捏ねて、手捻りで形を創り、素焼きしてそれから絵付け、小動物、幼な子、着物姿の女性たち、能面、鬼面、祇園の舞妓さんまでそして小さな来年の干支の虎が大中小、陶器で作られたあらゆるものが所狭しと並んでいる。
 嵐山から比べたら遥かに観光客も少ないこの門前町で手作り陶器の土産を作り続けてきたおばさんの曲がった背中には嵯峨野の人達の心情が出ていた。「これ、孫達に買って帰ろうかな」虎を手に取って奈津子が言った。
「少し休もうか」といい壮一は休める場所を探した。テラスのある喫茶店を見つけて入ってみた。
 十一月なのに結構日差しがある、二人はアイスカフェラテを注文してテラス席に座った。通りを客を乗せた人力車が通って行く。「帰りはバスに乗ってみようか」と奈津子に言った。そう言えば以前読んだ京都在住の学者が書いた「京都の平熱」という本があり、市バスの停留所毎に面白い場所を紹介してたな
ふと、そんな事を壮一は思い出していた。
「ちょっとバスの時間みてくるわ」と停留所を探しに出た壮一は京都市立嵯峨野小学校と門柱に書かれたクラッシックな建物と並んだ近大的な校舎の前に出た。
広い道路に出ると壮一はフェンスに沿って歩くとバス停があった。丁度三十分後に四条大宮行きがある。ベンチに腰掛けた壮一は日の傾き始めた道の先を見ていた。霞のかかった小倉山がこんもりと姿を見せている。
 「此処が嵯峨野の旅の終点か」そう想う壮一に旅の終わりに何時も感じるものとは違う思いが浮かんだ。それを振り払う様に立ち上がった壮一の前を授業を終えた学校帰りの数人の小学生が通りすがった。女の子も男の子も互いにふざけ合いながら壮一の前を通り過ぎた。
「そないならうちのマフラーしてみたらどうや?
ほら女の子みたいになるさかいな」と男の子の首に自分のマフラーを巻こうとしている「わーそんなん辞めてーや、おなごの匂いが体につくさかいさ」と男の子が逃げた。
それを聞いていた壮一は「あー子供達も京都弁なんだな、いいなあ」としごく当たり前だが、その響きは何か柔らかく、不思議な感じに包まれた。
結局時間を二十分過ぎてもバスは来ず、壮一と奈津子はタクシーを捕まえて乗り込んだ。
「バス、全然来ないんですね」と言う壮一に「お客はん、京都のバスはいつもこんなんどす時刻表は目安どすさかいね、どちらまで」と年配の運転手は答えた。「そうだな、四条までお願いします」と言うと「今は混んでますさかい、裏道を行きまひょと」と言うと国道を裏道に入った。
京都の裏道は入り組んでいるが、その道と道をつなぐ細い路地を逗子と言う。そしてそれが又、この街の風情を作っている。「何か良いいな、こんな京都もあるのね」裏道を走る窓からの通り過ぎるズシを珍しいそうに覗きこみながら奈津子が言った。
「良いだろう、学生時代には、よくズシを歩きまわったよ」と壮一も懐かしそうに、奈津子の肩越しに車窓をから眺めた。
「おおきに、この辺で良ろしおすか」運転手の言葉に四条通りと烏丸通りの角でタクシー降りると、奈津子は以前京都に来て見つけた八百屋に寄りたいと言った。「京野菜の店」そう店先に大きく書かれた倉庫の様な店内は以前より遥かに沢山の野菜をぎっしりと並べている。「わー繁盛したのね、凄いわ」と奈津子は喜び店内に入っていった。
 冬の斜光が刻々と烏丸通を渡って行くのを壮一は店の外で眺めていた。行く人の沢山の影が長く路上に落ちている。「同じ京都でも嵯峨野と四条では同じ市内とは思えないな、たった三十分で趣きがこれほどに違う町は無いな」
 壮一はコンビニもスーパーもコーヒーチェーンすら一軒も見なかった嵯峨野、小倉山界隈のまるで時が止まっている様な光景の中に佇む自分と奈津子を思い出していた。
「お待たせ、色々買っちゃったわ、矢張りここはいいな、好きな野菜が沢山で、しかも安いのよ」
膨らんだビニール袋を持ち上げて奈津子が嬉しそうにしている。
「それは良かったね、帰ったら又手料理が楽しみだよ」「さっそろそろ時間だね、いつものとこで惣菜と弁当買って京都駅へ行こう」壮一と奈津子は並んで、すっかり日の落ちた地下鉄四条烏丸の階段を降りた。京都駅に着いた壮一と奈津子はコンコースを
新幹線乗り口へ向かってた。あらかじめホテルから
バケッジを自宅に送るのはいつもと同じで、身軽な二人は車中で食べる夜食の柿の葉寿司とビールを買い、ホームへのエスカレーターを上がった。
のぞみが滑る様にホームへと入ってきた。
夕方の上りホームは混んでいた。
重そうに膨らんだ黒いショルダーバックを肩に掛け缶ビールと弁当を下げたビジネスマン、京都土産だろう、両手に大きな紙袋を下げた婦人、娘だろうか、手を取られて乗り込む老人、未だホームで写メをする数人の婦人のグループ
エアーの抜ける音と一緒に白い扉が空いた
壮一と奈津子が座席につくと、のぞみの車窓にゆっくりとホームの照明が流れた。
駅を離れ徐々に速度を上げていく、のぞみの心地良い加速感に壮一は目を閉じた。
壮一の中に、昔の逸子との別れが浮かんだ。
あれから40年か、そして奈津子と逸子は初めてお互いを知った。それが何を意味するのでも無く
唯、一期一会である事を思った
 そして壮一と奈津子の旅も終わった。
僅か二日ではあったが、壮一はこの旅で見て来たもの、会った人、その触れたもの全てに愛おしさを感じていた。心からありがとうと言いたかった
 たとえ我が身が癌に侵されて果てようが
この先、老いを生きながらえて果てようが
其れはどちらでも良いではないか
いずれ人は必ずこの世を去るのだから
だとすれば、この世に生きている間さえ、又愛おしいものに巡り合い、其れを感じ、愛し、其れを自分の記憶のアルバムに残す事か出来れば、それで良いではないか、今迄気づかなかったそんな幸せがまだ在るではないか、壮一はそう思っていた。
「ねぇ、あの嵯峨野小倉山、さくらの季節もいいでしょうね、又来年も行きたいな」奈 
「そうだな、きっと素晴らしいと思うよ、又必ず一緒に行こう」奈津子の言葉に目を開いて、遠くに流れていく街の灯を追いながら、壮一は自分に約束するかの様にそう答えた。
 京都発十八時半、壮一と奈津子を乗せたのぞみ二四六号は、闇を切り開く一筋の光りとなって夜の中を疾走していた。

嵯峨野へ

嵯峨野へ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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