百歳の遺言

1 財務コンサルタント赴任

平成16年1月
 新宿から中央線に乗り換え、吉祥寺駅のホームの一番後ろで降りる。
私は月末の今日、マスターズ信託銀行の吉祥寺支店に財務コンサルタントとして赴任してきた。

 昨日までは東京の八重洲口にある東京本部に1ヶ月間缶詰めにされ新任財務コンサルタント研修を受けていた。民法、税法、登記実務等など信託銀行の財務コンサルタントとしての必要な知識・ノウハウを弁護士、税理士、司法書士などが交替で登場して集中的に詰め込まれた。
 若い頃受講した研修をはるかに超えたレベルの講義を今回は必死に聞いた。これからの業務ではこれらの知識が必須なので、あの頃とは受講姿勢が全く違う、真剣である。
 東京リテール本部の相続センターでは、我々5人の新任財コン(当社では財務コンサルタントを略して財コンと言っている)の研修中、先輩の歌田財コンが専属で面倒を見てくれた。
 彼は既に58歳、当社の財務コンサルタント制度が発足した時の第一期生の財コンで、法律にも詳しくまた経験も豊富な財コンの中でもトップ財コンと呼ばれる重鎮である。
 ある日、午前中の研修が終わり、歌田財コンが昼ごはんを誘ってくれた。
「少し歩くけど、うまい穴子食いに行くか。」
「穴子ですか、珍しいですね。どこまで行くんですか。」同じくマスターズ銀行から出向で研修を受けている1級下の坂本が聞く。
「高島屋の裏だよ。君らは研修が終わればどこかの支店に配属されるんだから、東京の真ん中の旨いもん食っておけ。」
「ありがとうございます。連れてってください。」二人は歌田財コンの後について出掛けた。
 八重洲口から6、7分歩いて日本橋高島屋の裏まで行くと、年季の入った「日本橋玉ゐ」ののれんが見えた。歌田財コンは慣れた様子で引き戸を空け、女将に声を掛けて奥の席に着く。店内の古めかしく重々しい雰囲気に多少気後れしながら、我々も続いて席に着いた。
「ここの箱めしは一番だよ。何と言っても、穴子の柔らかさがたまらないんだよ。ぜひ食べてってくれ。」
「分かりました。僕らも同じものをお願いします。」
「女将さん、箱めしの小箱を三つ、頼みます。」
しばらくすると、小振りの重箱が出てきた。
「割と小さいですね。これで1600円ですか。」
「君たちは若いから、中箱にすれば良かったかな。でも、見た目より結構量はあるんだよ。」
確かに、柔らかく蕩けるような、こんな穴子は初めてだ。そしてそれなりに量もあり、満足であった。
「上手いですね。ところで、歌田さんは何年財コンをやっているんですか。」坂本が聞いた。
「そうだな。かれこれ16年かな。信託部の部付部長の時に、財コン制度を作って自分も財コンになったんだ。」
「何件ぐらい遺言作ったんですか。」今度は私から質問。
「そうだな、本店営業部に10年居たから、100件以上は作ったんじゃないかな。その後は遺言の審査やマニュアル作りかな。」
「財コンは大変ですか。」
「そうだな。うちのリテール業務の看板だからね。責任重大だよ。支店の入り口にでかでかと顔写真が張り出されるんだから。変なことはできないぞ。」
「地銀出身の俺なんかに勤まるんですかね。」と私。
「そんな弱気でどうするんだ。出身銀行なんて関係ないよ。財コンは信託銀行の中で一番信託らしい仕事なんだ。みんなも今までのセールスマン根性を忘れて、とにかく顧客第一、コンサルタントとしてお客様の家族になったつもりで、自分の持っている知識とノウハウで徹底的に尽くすんだね。そうしたら、必ず信頼してもらえ、仕事もスムーズに進み成果も自然とついて来るんだ。これができなければ、真の財コンにはなれないぞ。」
「分かりました。そんな信託マンになれるよう頑張ります。」
歌田財コンとのこの会話は今でも私の信条となっている。
おいしい昼飯と貴重な話が聞けた昼休みとなった。

 私は、杉山勝、45歳、大学時代は体育会ラグビー部、卒業して千葉シティ銀行に就職して、千葉市近郊と東京の下町の支店中心に営業で必死に駆けずり回ってきた。お蔭で順調に役職も上がり、4年前、亀戸支店の支店長に抜擢された。ところが、その3ヶ月後、銀行はメガバンクのマスターズ銀行に吸収合併されてしまい、副支店長などに格下げされた後、2つの支店を異動してきた。どんなに頑張ってみても、支店長はもう無理かなと思っていたところ、今回系列の信託銀行へ出向となり、なんと全く経験のないコンサルタントに指名されたのである。
 職場も仕事の内容も全くの未知の世界である。しかし、多分もう戻る所はないのであろう。
ここで、やっていくしかないと思ったら、不思議と吹っ切れ、よそ者の私に優しく声を掛けくれた歌田財コンの言葉を頼りに、マスターズ信託銀行の吉祥寺支店にやってきたのだ。

 吉祥寺は住みたい街ランキングで全国1番になるなど、人気の住宅地で、デパートなども多数進出しており、金融機関もほとんどが支店を出している金融激戦地である。
マスターズ信託銀行の吉祥寺支店は駅前通りが整備された昭和53年に駅前に開店した店で、総勢90名、ローンセンターなども併設され、中央線沿線では新宿支店の次に中核となる支店である。
私は、支店長席付きとして、財コンのリーダーの岸田さんの下、3人の財コンで武蔵野、三鷹を中心に近隣地域を分担して相続・遺言業務を担当することになっている。

 支店に着いてまず驚いたのは、支店の入口にずらりと並んだ3人の財コンの顔写真。既に、私の写真もデカデカと飾られていた。歌田財コンの言っていた通りだ。いきなり、信託銀行のリテール業務の先頭に立たされた重圧を感じた。
 次は財コンルーム。財コン専用の応接室があるのだ。重厚なデスクと応接セットが置かれ、重要なお客様が落ち着いて相談できるように当店としては大奮発して作った部屋である。
勿論、3人の財コンの共用だが、自分専用の個室であり、ちょっと偉くなった気分だ。
お客様3人まではこの財コンルーム、それ以上の人数になる場合は隣の契約室を使うこととなっている。
支店の2階に上がり、支店長に挨拶。しばらく支店の状況などの話を聞く内、岸田財コンが迎えに来て、支店内の各課に挨拶に回る。午後からは、いよいよ信託マンとしての仕事が始まるのだ。

平成16年2月
 財コンの辞令を受けてから、1ヶ月間の研修を受け、吉祥寺支店に赴任したその日から、前任の井上財コンと案件の引き継ぎを始めた。井上財コンは名古屋営業部に転勤となるそうだ。辞令から赴任まで休日を含めてたったの2週間、銀行員の宿命である。名古屋での引き継ぎなどを差し引けば実質の引継ぎ期間はたった4日間しかない。
 財コンの担当業務の内、最も難しいのが遺言の執行業務、亡き遺言者の相続手続きである。
既に当社に遺言を託した顧客が亡くなり、その相続手続き中に担当財コンが替わると相続人は不安になったり、チャンスと見て自分にだけ有利になるよう仕掛けてくる人もいる。前任の財コンと同様に全ての相続人に配慮しつつ、あくまで遺言に忠実に公正中立の立場を貫き、遺言執行者の事務を進めなければいけないのだ。
しかし、私にとっては初めての業務である上、複雑な家庭の事情まで細かには引き継げないことも多く、財コンの仕事の引き継ぎの難しさを感じた。
財コンのリーダーである岸田さんからは、とにかく信頼関係が崩れないよう、前任の担当の倍以上にお客様に尽くしてようやくスムーズな引き継ぎができるんだと言われている。
 この日は、遺言執行中の竹川様の自宅を井上財コンと訪問して、引き継ぎの挨拶をする。西久保1丁目は三鷹駅から歩いて3分程、自宅は山の手の高級住宅地の一角にあった。
私が長く営業していた下町と違い、ゆったりとした街並みを歩いていくと、あの活気溢れる喧騒が懐かしく思い出された。
 広々した日本間で会ったのは、故人の奥様竹川政子と独身で同居している長男の竹川義之の2人。最初は正座だ。学生時代のラグビーの古傷で膝が痛い。
きれいに掃除された部屋には、無垢の黒檀だろうか高級そうな座卓と分厚い座布団、雰囲気はとてもいいのだが、寒い。部屋の隅に小さな電気ストーブが1つ。手入れの行き届いた凛とした住まいだが、暖房等は最低限に節約されているようだ。昔からのお金持ちの多くは決して贅沢でないと聞いてはいたが、まさにその通りであった。
 ご主人が、昨年12月に他界され、当社が「遺言信託」で遺言書を預かっていた。既に遺言書は井上財コンが開示済で、内容は相続人全員が知っている。
相続人は妻の政子と同席している一人息子の義之、そしてもう1人。矢野芳子と言って、先妻との間の一人娘である。
勿論、政子たちは以前より千葉に住んでいる彼女の存在を知っていて、亡くなったご主人が、それなりに面倒をみていることも承知していた。
しかし、やはり血の繋がっていない間柄、やはり微妙な関係があるのだろう。ご主人は相続で揉めないよう8年前に遺言信託で、当社に遺言書を預けたのだ。
遺言書の内容は、西久保の自宅は妻に、ご自身が経営していた竹川印刷の自社株式と金融資産は3人に均等に分けることになっている。

 相続財産を金額換算すればバランスのとれた妥当な配分と思えたが、自社株式を3人に分割するのは、将来禍根を残すのではないだろうか。竹川印刷は亡くなったご主人が起こした会社で、跡を継ぐ親族がいなかったため、親族ではない当時の専務に社長を引き継いだ経緯がある。本当は長男の義之に継がせたかったようだが、彼は病弱であり、会社に出て来てもぶらぶらしているだけで、まともに働こうとはしなかったようだ。
 中小企業で競争の厳しい印刷業界、配当も出せない自社株式の価値はそんなに高くなく、換金性もないため持っていてもあまり価値がないように思える。相続人のバランスを考え、均等にしたのだろうが、現在の社長はご機嫌をとる株主が多くなり、迷惑であろう。思い切って他人ではあるが、現社長に遺贈してしまった方が、良かったような気もするが・・・。

 さて、挨拶してみると、78歳だという奥様は着物が似合う上品を絵にかいたような方で、印刷工場で経理担当としてご主人と共に働いていたとは思えない、いいとこのお嬢さんという感じだ。
ゆっくりとご主人の思い出や最後の病状などを詳しく話してくれた。やはり癌、肺癌だったそうだ。最後は呼吸器が離せず、咳き込むととても苦しそうで見ていられなかったと涙を溜めていた。タバコはいけない、皆さんタバコはやめてねと訴えていた。
こちらからは、担当が変わりますが、きちんと執行手続きをさせていただきますと、丁寧に挨拶した。
「まずは、ご主人様の財産を調査して、財産目録を作成します。その後、それらの財産を収集して、遺言に書かれた配分方法に従って皆さんに財産をお渡しいたします。今日は矢野さんがおられませんが、同じ説明を後日こちらからしておきます。」
「彼女とは、俺たちあまり会っていないんだ。お葬式の時会ったのが2年振りくらいかな。親父には時々会って小遣いをもらっていたみたいだな。」と義之が冷たく言った。
「財産の調査、収集にあたって、まず最初に、当社の貸金庫に何が入っているか、解約して中身を確認いたしましょう。貸金庫には、何が入っているかわかりませんので、相続人全員で立ち会っていただきます。皆さんが揃う日を決めていただかないといけませんので、矢野さんとご相談の上、ご連絡いただけますか。」
「申し訳ありませんが、杉山さんが彼女に連絡される時に調整していただけますか。こちらの都合は後でご連絡しますから。」
「分かりました。それでは、こちらで調整します。」
「中身は大体分かっていますから、こちらは、母一人でもいいですか。」
「そうですね。お二人はご一緒ですから、どちらか来ていただければいいでしょう。」
「助かります。私は体調が悪くて、あまり出歩きたくないので。」
「でも、矢野さんには来ていただいた方がいいでしょう。後で何が入っていたかが、問題になることがあるので、立ち会っていただきましょう。」
「大丈夫ですよ。権利証だけしか入っていないと思いますから。」と政子。
「ですが、万一何か特別な物が入っているということもありますから、こちらから連絡しておきましょう。いつ頃なら、ご来店いただけますか。」
「来週は忙しいけれど、再来週なら予定はないので、合わせることができますわ。」
「分かりました。では、こちらで矢野さんと相談して日程を決めてご連絡いたします。」
と、次回は支店に来てもらうことを約束して帰ることとした。
 三鷹から1駅、中央線に乗って支店に帰ると、早速、矢野芳子に電話。竹川家での報告と同様、担当者の交代報告と貸金庫の解約に来て欲しいとお願いした。
再来週水曜日の午後1時と決まり、政子にも電話で連絡を済ませた。

平成16年3月
 貸金庫解約の日、11時半。アシスタントの沢柳有紀に貸金庫の解約の準備を頼んだ。
すると横から同じアシスタントの中山裕子が口を挿んだ。
「竹川義之さんは、来れないんですか。」
「ああ、お母さん一人で来ることになってるよ。」
「委任状は持って来られるんでしょうね。」
「えっ、そんなもんいるの、いらないでしょ。親子だよ。」
「マニュアル読んでないんですか。相続人全員の立ち会いが原則で、立ち会えない人は、委任状を出してもらうように書いてありますよ。」
「うんーん。そうなんだ。だけど、もう間に合わないよ。」
「ダメですよ。マニュアル違反は、検査部に指摘されますよ。」
「でも、大丈夫だよ。前回自宅でお母さんに行ってもらいますと言っていたんだから、実質、委任しているということだ。」。
「じゃあ、委任状を省略しても問題ないことを解約稟議書に書いておいてくださいね。」
「分かったよ。ちゃんと書いておくよ。」
ようやく裕子は納得した。
 中山裕子は、40半ば、若い時に結婚して、今はシングルマザーできっちりと仕事をこなすキャリアウーマンである。スレンダーで髪は長く、若いころは美人で鳴らしたであろう。皆に裕子さんと呼ばれている。信託の契約事務を長く担当してきており、遺言や相続の手続きは我々財コンより経験豊富である。普段の会話はいつも明るく楽しいが、事務手続きには厳しく、いい加減な事務依頼をすると財コンに対しても手厳しい。マニュアルを熟知しており、融通が利かないところが、玉に傷である。しかし、過去の事例なども沢山知っており、他の財コンに聞くよりよほど頼りになる存在である。
 もう1人のアシスタントは有紀ちゃん。沢柳有紀は入社3年目。勿論独身。こちらは、誰にでもにこにこ。仕事はやや頼りないが、頼まれれば嫌な顔せず引き受けるので、男どもからは人気がある。他の係との兼務で、財コンの事務は私同様まだまだ駆け出しである。

 午後1時になり、2階の貸金庫の受付に竹川政子と矢野芳子が揃ったところで、貸金庫の解約手続きに入った。事前に準備していたため、解約事務は簡単に終わり金庫室に入る。
 吉祥寺の貸金庫は今流行りのカードの自動開閉式ではない。顧客の鍵と銀行のマスターキーを合わせて貸金庫の扉を開ける昔からのシステムである。
その金庫の1202番の扉を開けると内箱がある。それを私が引き出し、皆のいる机までは運ぶ。貸金庫は天井から床ぎりぎりまで20段あり、1202は、上から3段目のため、移動式の階段が必要になる。お客様は高齢者が多いので、階段を踏み外して怪我でもしたら大変だから当社の社員が代わって引き出さなければいけないのだ。
「奥様お開けください。」と、私が勧める間もなく、政子は内蓋を開けた。
芳子も覗き込むが、中には不動産の権利証が1通入っているだけ。
「何もないのね。」期待外れだったのか、芳子はぼやいた。
政子は何事もなかったように、権利証が自宅のものであることを確認すると、私に渡した。
それもその筈、ご主人の晩年は政子が開閉代理人として、金庫の中身の出し入れをしていたのだ。
 但し、開閉代理人と言えども、契約者が死亡してしまえば、開けることはできない。政子はそのことも知っていたのである。
権利証を預かり、アシスタントの有紀ちゃんに預かり証を作ってもらう。
 しかし、権利証を預かってもあまり意味がない。権利証は所有者が死んでしまえばもう使う必要がないのだ。不動産の相続手続きは、相続人の戸籍や遺言書又は分割協議書などを添付して誰が相続したかを登記所に申請するのだが、権利証はいらない。
また、多くの方が、銀行の貸金庫に権利証を後生大事にしまってあるが、無くすと再生はできず面倒ではあるが、「事前通知」か「本人確認」の制度を利用すれば土地の売買はできるので、必死に金庫で守るほどのものではないように思う。最近は登記の仕組みが変わり権利証、正式に言えば「不動産登記済証」が「登記識別情報通知」に置き換わったが考え方は同じだ。
権利証や通帳は自分が所有者であるという証であり、大事な物ではあるが、あくまで証明書だ。現物そのものが資産価値を持っている現金・金の延べ棒・宝石・無記名債券などの方が金庫にしまう意味があると言えるだろう。

 竹川政子は、当社に遺言執行手続きを任せてあるからその指示に従うこと、相続税の申告は竹川印刷の顧問税理士の馬場税理士にさせることだけを芳子に伝え、さっさと帰ってしまった。
立ち会っていた有紀ちゃんが事務室に戻ってから、きれいで物静かだけど、芯が強くて少し怖いような方でしたねと話し始めた。若い有紀ちゃんも、人を見る目は一人前、女性の目は侮れないものだ。

2 妻の預金

平成16年5月
 しばらくして各金融機関の残高証明書が揃い始めたので、財産目録の作成準備に入る。
自宅の不動産と竹川印刷の自社株式の評価額は申告を担当する税理士に算出してもらうため、政子から要請のあった会社の顧問である馬場税理士に連絡、諸資料を送り評価額の算出を依頼した。
電話で話しをした感じでは、非上場の会社の株式の評価をしたことがない様子でやや不安を感じた。しかし、こちらもこの業務は駆け出しで、表面的に勉強した知識だけであり、とにかくお願いしますと依頼して資料を送ることとした。
 2週間して評価額の算出資料が送られてきたので、預貯金などと合わせ財産目録を完成させ、相続人に説明する段取りを組む。
政子が単独で相続する自宅不動産の評価は、約1億円だが、小規模宅地の評価減の特例を使えば80%減額を受けられるため、約2000万円。
竹川印刷の株式は、税理士の評価額は約1500万円なので、1人あたり500万円相当だ。
預貯金は、当社分を含めて1億5000万円、2人で均等に分け、相続税などを支払っても、これからの生活には十分であろう。
 早速、政子に連絡して、3日後の木曜日に自宅を訪問して、説明する約束を取り付ける。
千葉の矢野芳子にも同様の連絡を入れるも、郵送で結構とのことで、訪問・面談の手間が省け、助かった。
 木曜日の午前11時に、財務相談課の入社4年目の清水FAを連れて自宅のベルを押した。
FAとは、ファイナンシャルアドバイザーの略で、一般的な感覚では銀行の得意先係だと言えばいいだろう。個人の顧客から、定期預金を集めたり、投資信託や生命保険などを販売するのが主な仕事だ。
本来、信託銀行は財務のデパートと称しているのだから、FAは資金運用だけでなく、不動産の活用から相続対策まで財産に関わることならなんでも相談に乗るべきだが、これがなかなか難しい。金融危機から公的資金が注入されて以来、収益確保が優先され、彼らは投資信託などの販売に注力するあまり、相談を受ける余裕やノウハウを持てない状況が続いていた。
しかし、当社では昨年公的資金完済を機に社長が代わり、本来あるべき信託銀行の姿を取り戻そうと、方針を大きく変えたので、早晩若い優秀なFAが育ってくることであろう。

 その清水FAと前回と同じ日本間に案内され、政子と息子の義之に財産目録の内容を説明してから、漏れている財産がないか、また債務控除できる入院費用などの確認を行った。
既に、債務控除として故人の財産から税務上差し引ける葬儀費用などの領収書は預かっているが、その他細々としたものが漏れてしまうことが多いため、再確認が必要なのだ。
 一方、政子たちの関心事は相続税がいくらかかるかだ。
さすがに政子は配偶者控除で税金がかからないことは承知していた。
「俺には、いくらぐらいの税金が来るんですか。」
息子の義之からの質問である。
「税金のことは、馬場先生にお任せいたしますが、概算では、500万円程度になると思いますよ。」
「えっ~。どうしよう。」義之は自分の手許の資金から支払わなければならないと思ったようである。
「心配は要りませんよ。だってお父様の預金がありますから。相続税はもらった遺産の中から払えばいいんです。遺言の中には、預貯金は遺言執行者が換価手続きをして、換価代金を皆さんに分けなさいと書いてありますから、私どもが現金化して配分いたします。」
「そうだったね。最初の時に、現金を分けてもらえると聞いたんだ。」
「芳子さんも同じように税金を払うのですか。」今度は、政子からだ。
「そうです。息子さんと配分額は同じですから、税額も同じです。相続税の申告は相続人全員で一緒に申告するのが基本ですから、馬場先生に皆さんでお願いすることになりますね。」
「既に先生にはお願いしてあります。先生には、竹川印刷を会社組織にした時からお世話になっていますから、杉山さんが推薦してくださった別の先生という訳にはいきませんの。」
「勿論結構です。私からお話ししたのは資産税の専門で私どもと提携している先生なので相続税に関しては、信頼できると推薦したまでです。お客様に顧問の先生が付いていれば、当然その先生にお任せするのが一番です。私の方から、馬場先生にはこの財産目録と手続きが終了した時点で作成する最終報告書をお送りいたします。」
「よろしくお願いします。」
「ところで、預貯金を換価処分してお渡しするわけですが、その際の受取口座を是非私どもの支店に開設いただきたいのですが。今日はその資金の運用などを担当しております、清水をご挨拶に連れてまいりました。」
「改めまして財務相談課の清水と申します。その時期が参りましたら口座開設のご案内にまいりますので、よろしくお願いいたします。」
「はい。分かりました。主人が長くお世話になりましたし、吉祥寺には買い物などでしょっちゅう行きますから、お宅にお世話になるつもりです。」
清水は心の中で、やったと喜んだが、顔には出さず「ありがとうございます。何なりとお申し付けください。」と神妙な顔でお礼を言った。
 相続税の申告と納付は馬場先生に任せることにして、執行者としての名義書換と換価処分を進めることで、了解をいただき、清水FAと数寄屋門を潜り帰路についた。
吉祥寺駅を降りて時計を見れば、既にお昼を過ぎていた。
「清水君、飯食っていくか。どこか安くて早くて旨いとこ連れてってくれよ。時間あるんだろ。」
「はい。いいですよ。今日は1時半に来店客がありますが、それまでは時間があります。」
「よし。で、どこだい。」
「さくらい、知ってますか。」
「吉祥寺は全く知らないんだ。何屋だい。」
「ソニープラザの地下のラーメン屋ですけど、ボリュームもあって、タンメンやかた焼そばなんかもいけますよ。」
「そうか。じゃあそこ行こうよ。」
駅前のサンロードを少し入った左側のビルの地下に降りて行くと、さくらいの親父さんの威勢のいい「いらっしゃい」の声が掛かる。
2人は一番奥の席に座り、味噌ラーメンを注文した。

「杉山財コン、ありがとうございました。先行きの商材が確保できました。」
「まだ先だぞ。」
「はい、分かってますが、いつ頃になるんですか。」
「そうだな、これから遺産の換価処分だからな。でも、8月のアテネオリンピックが終る頃には配分できそうだから、今期の数字にできるんじゃないか。」
「助かります。楽しみだな。」
相続人の悲しみなんか気にせず、自分の成績しか目に入らぬ後輩を見て、少しさみしい思いを感じながら、ラーメンを啜った。

 事務所に戻ると、矢野芳子と馬場税理士宛に財産目録を送る手配をアシスタントの裕子さんに頼み、芳子に電話を架ける。
芳子からは、どんどん手続きを進めて早く配分して欲しいと、また税理士の馬場先生は以前から知っている方なので、竹川家と一緒に申告をしてもらう旨、返答を得た。
 遺言執行手続きは順調に進み、当社を含めた4行の預金の解約、自宅の相続登記も済み、竹川印刷の株式の名義書換も同社の総務部長の協力があり、問題なく完了した。預金の解約手続きが終わると、当社の執行者専用口座に解約した現金が集められ、その中から当社の報酬などを差し引き、遺言書で指定された3分の1ずつを各人の口座に振り込んで配分完了となる。最後に、相続人全員に対し手続きの顛末を報告し承認をいただき、ようやく執行業務が終了する。

平成16年6月
 そろそろ執行手続きの終了報告書の作成を始めようと準備を始めた日に、FAの清水が私の机にやってきた。
「財コン、ありがとうございました。3人とも、口座を作ってもらえました。皆さん快くこれから運用の相談に乗ってくださいと、全額うちに預けてもらえそうです。」
「そうか、よかったな、清水君は抜け目ないね。いつの間にか、上手くセールスしてくるんだから。まあ、あの3人はどう見ても運用に関しては、素人なんだから、手堅いのを勧めてあげてくれよ。中国とかブラジルとかリスクの高いのはダメだぞ。」
「でも財コン、これからの運用は、BRICSですよ。」
「こらこら、定期とバランスファンド、それだけで十分、頼んだぞ。」
「は~い。分かりました。」
 FAとしては、できるだけ、営業成績の評価の高い商品を買ってもらいたいのは分かるが、そのような投資信託は大概手数料もリスクも高くなり、投資の仕組みをよく理解していない方には、勧めるべきでない。顧客の投資経験やニーズと販売サイドの思惑をどこで折り合わせるのか、販売員の良識とモラルが試されているのだ。

平成16年7月
 いよいよ終了報告の日、午前10時。支店2階の財コンルームに、竹川政子、義之、矢野芳子の3人が揃った。私はFAの清水を連れて、分厚い終了報告書を4部抱えて、丁寧に挨拶してから、席に着き、説明を始めた。
終了報告自体は初めてではなかったが、自分がほぼ最初から最後まで担当した案件は初めてであり、思い入れもある。
 故人の死亡から遺言の執行手続きの過程を詳細に記載した資料を一気に説明する。肝心な各人の現金の取り分は、現金配分明細表に沿い、細かい説明が必要だ。預金の解約金から執行に要した費用や当社の執行報酬を差し引いた後、3分の1ずつに分けても、1人4000万円近くになった。既にその金額は、清水FAが開設した各人の普通預金口座に振り込み済である。
自宅は政子名義に相続登記が完了して権利証ができあがっている。竹川印刷の株式は非上場なので、株券は発行されておらず、会社からの書き換え済の通知書を手続き完了の確認資料とした。
 遺言執行は、遺言に指定された配分に従い財産を分け、相続人に引き渡すことが最大の職務である。一方、相続税の申告・納税は遺言執行の職務の範疇ではない。
相続税は遺産をもらった相続人に課税され、税金の納付は相続人がすべきことであり、理屈を言えば、死亡した被相続人はもとより遺言執行者の関与することではない。
だから、遺言書では相続税のことには、触れていないのだ。しかし、相続人から見れば相続手続きの一環であり、信託銀行に執行手続きと合わせて面倒を見てもらいたいと思うのが人情である。
 相続人の要請により銀行から税理士を紹介する場合もある。その時は、申告、納税まで連携してお世話するのが一般的であるが、この税務面でのサポートはあくまでも銀行のサービスで、執行者の仕事ではないのだ。
今回の相続税については、顧問の馬場税理士に申告を頼みたいとの希望から、当社は財産交付を本日で完了させ、後は顧問の先生の指示に従うよう伝えれば、執行者の仕事は終了である。3人は静かに説明を聞き、全て納得して執行終了の承認書に署名してくれた。
 後は、清水FAの出番。それぞれの意向を聞きながら定期預金の金利や投資信託の特徴などを説明し、相続税の納税資金を除いたほぼ全額を契約してもらったようだ。
遺言執行の最終報告と投資信託などの契約で約2時間、既に12時を過ぎていた。3人を、財コンルームから出口まで案内して、深々と頭を下げ送り出す。
「杉山さんには、本当にお世話になりました。主人も感謝していると思います。おたくに遺言を預けておいてくれて、主人には感謝、感謝ですわ。」
「お世話様でした。預けた外貨投信が増えるのを楽しみにしていますわ。ありがとう。」と矢野芳子からも、お礼を言われ、ようやく緊張が解けた。
「こちらこそ、至りませんでしたが、今後も何かございましたら何なりとおしゃって下さい。」
「これから3人で、伊勢丹の上の食堂で食事して帰ります。御機嫌よう。」と、仲良く3人で出て行った。
財コンルームに戻ると、アシスタントの裕子さんがお茶を片付けていた。
「裕子さん、お茶ありがとう。あの3人、結構仲いいんだね。3人で昼飯食べに行ったよ。」
「え~っ。そうですか。私がお茶をお出しした時、芳子さんが死んだご主人からお小遣いをせびっていたと文句言ってましたよ。それもわざと私に聞こえるように。相続人の関係は表面だけじゃ分からないから気を付けてくださいよ。」
「へえ~。そうかやっぱりね。そんなことをちらっと言ってたな。これからは、そんな一言を見逃がさないようにしなきゃな。」また、裕子さんに教えられた。
「俺たちも飯行こうか。竹川さんの最終報告も無事終わったから、この前教えてもらったシャポールージュのロールキャベツでもご馳走しようか。」
「やったー。」裕子さんも結構子供っぽいところもあるようだ。
 吉祥寺で戦後間もなくから続く本格洋食店だ。昔は「バンビ」という名前であったが、店を改装して名前を変えたそうだ。店内は綺麗になっているが、可憐な水彩画が飾られ、レトロな昭和の雰囲気を感じさせてくれる。店に入り、入口近くの狭い階段を上り2階の奥のテーブルに座り、お勧めのロールキャベツを頼んだ。
久々にゆったりコーヒーまで飲んで、裕子さんと有紀ちゃん、岸田財コンも、皆満足した。

平成17年12月(それから1年半)
 朝9時半、本店から社内メールが届く。メール封筒を開けながら、アシスタントの裕子さんが突然声をあげた。
「岸田財コン、これ東京地裁からですよ。」
「えっ、何だ。」
「総務部経由ですけど、吉祥寺支店長宛の訴状ですよ。」
「見せてくれよ。そんな話聞いてないよ。」と、口を尖らせて書類を受け取り、さっと読んだ。
「杉山財コンの案件じゃないのか。去年の竹川さんの執行案件だよ。杉山君呼んで。」
岸田財コンに呼ばれ、私は次長の大利と3人で財コンルームに籠った。昨年の竹川氏の遺言執行の相続人矢野芳子から、訴訟を起こされたのだ。
 訴訟の概要は、遺言執行が終わり、相続税を馬場税理士に申告してもらい、納税を済ませたが、その1年後の税務調査で竹川政子名義の6000万円の定期預金が発覚。死亡した被相続人の名義預金であると認定され、追徴課税を受けた。納税は済ませたものの、その預金が被相続人のものならば、遺言に書かれてあるとおり3分の1は芳子本人にも配分されるべきである。遺言執行者であるマスターズ信託銀行は政子から6000万円の3分の1、2000万円を取り返し、自分に支払えというものであった。
 さらに、当社には、いい加減な執行手続きを行った責任を取り、執行報酬を返却しろとあった。また、政子宛にも同様に2000万円を払えとの訴訟を起こしていることも付記されていた。
 私は全く知らない、寝耳に水であった。
昨年、終了報告をしてからは、相続人の誰にも会っていないし、連絡もない。とんでもないことになっていた、どうしよう。初めて自分の案件で訴えられたことで、動揺が隠せない。
 一方、岸田財コンは落ち着いて切り出した。
「まずは、事実関係を確認しましょう。」
「そ、そうですね。竹川さんと馬場税理士に電話してみます。」
「既に訴状が来ているのだから、こちらも弁護士を立てないといけませんね。」
「誰に頼めばいいんですか。」
「東京リテール本部の相続センターと相談して、誰を使うか決めてもらうんだ。」
「はい。早速、うちの担当の中村さんと相談します。」
「ところで、どうしてこんなことになちゃったんですか。」と、大利次長はいらいらと落ち着かない。
「この問題は営業推進本部に報告ですよね。法務部にも行くのかな。今期は業績が調子良いんだから、こんな問題で足引っ張られたくないんだけどな。」
この発言にむっとして「こんな問題でとは・・・。」と私が爆発しそうになったところを、岸田財コンが引き取った。
「我々財コンの仕事は思わぬところにリスクが隠れているんですよ。単純な銀行の事務処理とは全く違うんですよ。相続人の中には自分の不利益を文句の言い易い銀行に八つ当たりしてくることもよくあるんです。次長なんだから、成績のことだけでなく、こういう時こそ的確に指示を出してくださいね。」さすが、岸田財コンは年季が違う。
「次長は、支店長に話しておいてくださいね。後で、過去の経緯と合わせて訴状を通覧しますから、支店長がびっくりしないように、頼みますよ。」
「分かった、話ししとくよ。でも、どうなりそうですかね。」
「大丈夫じゃないですか。でも、やっぱり迫間先生に頼めばよかったんだよな。その馬場さんっていう税理士、相続に慣れてなかったんじゃないか。」
「確かに、ちょっと頼りないところがあったかも知れないですね。」
「名義預金の確認をしてなかったんだろう。一番気をつけなきゃいけないのに。」と、舌打ちをした。
 ここでいう名義預金とは、被相続人が自分のお金を家族などの名義で預金することである。自分の現金や預金を家族名義の預金に変えることで、自分の財産から外し、その分の相続税を減らす効果がある。ついうっかり名義を変えてしまうこともあるが、脱税目的で悪意を持って名義を変える人もいる。
毎年の贈与税の非課税枠110万円の範囲で、家族に贈与した形を取って、預金通帳を自分で管理しているケースなども、この名義預金として、被相続人の預金であると認定される可能性がある。
相応の資産家や有名人が死亡した場合、相続税を申告してから、1年以内に、税務調査が入ることが多い。税務署はプロであり、隠しても無駄である。申告された内容は当然、家族名義の預金や株式の残高、異動状況など銀行などに依頼して綿密に調査してからやって来る。
 贈与したことの証拠を残しておくことが大事だと専門書に書いてあるが、間違いではないが、本来は、本当に贈与することが大事なのだ。そして子供たちが使えばいいのだ。
預金の届出印鑑は別の印にしろ、登録住所は子供の住所にしておけなどのアドバイスは脱税を勧めているようなものだ。子供が親から本当に贈与を受けたなら形式的な証拠より真実の方が強いはずだ。逆に言えば、本当に贈与したのなら、税務署も贈与でなく名義預金だと言える証拠は出せるはずがないからだ。

 私は席に戻って、まず竹川政子に電話を入れた。やはり、彼女の元にも2000万円を払えと訴状が来ていた。
政子の声からは、当社と馬場先生の専門家に任せたのにどうしてこんなことになったのだろうかと、かなりの不満が漂っていた。確かに、税務調査で6000万円の預金のことが問題になったが、あくまであのお金は主人の退職金の中から、自分が貰ったもので、自分の物だと主張したそうである。
 しかし、馬場税理士が税務署と相談、名義預金だと認めてしまったもので、自分は全く認めていない。税理士の顔を立てて、税務上は名義預金として修正申告はしたが、芳子に分けるなどもってのほかであるとお怒りであった。あの大人しい奥様の強い口調が強烈に印象に残った。
 次に馬場税理士だ。事務所には不在で、事務員に折り返しの電話を依頼した。
夕方、馬場税理士本人から電話があった。事情を聴くと当社からの終了報告書に基づき申告したら、税務調査を受け、逆に迷惑したような言い方である。名義預金を確認しなかったかと問うと、怒ったように電話を切ってしまった。
おおよそ事情は分かったが、訴訟は受けてしまった。
 本部の支店担当の中村調査役と相談して、原弁護士に依頼することとなり、秋葉原の原先生の事務所に行くこととなった。
今回の訴状と当時の資料を全部カバンに詰め込んで、中央線と総武線を乗り継いで、秋葉原で降り、三井記念病院の方へ5分歩けば、先生の事務所だ。
 初めてのことで緊張している私に、原弁護士は自信満々に大丈夫と頼もしい発言で励ましてくれた。
「杉山さん、大丈夫だよ。遺言執行者の使命は被相続人の財産を遺言の指定に従って配分して、引き渡すことでしょ。その通りやってるじゃない。奥さんの預金は名義預金だと断定できる状況でなければ勝手に解約できないでしょ。できなきゃ、やっちゃいけないの。税務上の判断と執行者の判断は違う訳よ。安心して待ってなさい。」
「お、お願いします。」
「もっと自分の仕事に自信を持ってやんなさい。」
べらんめえ口調で励まされ、少し安心して事務所を辞す。

平成18年1月
 2週間後、財コンルームには、竹川政子、義之の二人とその正面に大利次長と私が渋い顔で座っていた。
竹川親子の要件は、預けてある定期預金の中途解約である。事情を聞けば以前から自宅を改装しており来週には完成して1800百万円を業者に支払う約束になっている。
 そこで、当社に預けてある定期預金のうち2000万円を解約してそれに充てたいとのことである。
「ちょっと待ってください。お互いに矢野さんから訴訟を受けている状態で、万一、いえ万一裁判で負けることはないと思いますが、万万が一、矢野さんに2000万円を渡さなければならなくなった場合、当社としては今お預けいただいている3000万円の内から引き渡しをすることになると考えています。そのうち、本日2000万円を払い出されたら、足りなくなってしまいます。なんとか、2000万円だけは残しておいていただけませんでしょうか。」大利次長がお願いする。
実は、裁判はまだ始まっていないが、本部からは、政子名義の預金2000万円はできる範囲でキープしておくようと言われていた。そんな折に、その資金を使いたいと言われ、さて困った。トラブルになれば、当社では次長の出番である。解約したいとする2人に理由にならない理由をつけて本部から言われたことを守ろうと必死である。
「次長さん、それではなにを根拠に解約できないとおっしゃるんですの。裁判で決着がついたのならまだしも、今時点ではそちらが私のお金を拘束することができますの。」
「え~。その、ですから、ご協力いただけないかとお願いしているのでありまして、なんとかなりませんでしょうか。」
「こちらも困ります。支払いができません。」ときっぱりと言い切った。
しばらくの沈黙の後、やむなく私が口を開いた。
「奥様、ここはひとつ私どもの立場をご理解いただき、奥様分を1000万円解約して、大変恐縮ですが、息子さんの定期を1000万円崩して、合わせて2000万円を捻出することでご了解いただけませんでしょうか。遺言執行を担当させていただいた者のお願いということで、恐縮ですがひとつご了解いただけませんでしょうか。」
「杉山さんにそう言われるとね。貴方にはお世話になったから、止むを得ないかと思うけれど、義之、それでいいの」
「そうだね、杉山さんの立場もあるようだし、そうしようか。俺はいいよ。」
「ありがとうございます。本当に助かります。裁判でも協力して勝ち取りましょう。」
無理を通してようやく納得いただき、解約の手続きを裕子さんに頼んで、ほっとする。
「そちらの裁判は始まってますか。弁護士はどなたに頼まれたのですか。」
「まだ始まっていないようですわ。もう、芳子の顔も見たくないので、会社の顧問の立石先生に全部お任せすることにしましたの。それと馬場先生はもうお断りしました。」
「馬場先生はまだ証言とかお願いすることもあるんじゃないですか。」
「その時はその時です。構いません。」
この大人しい方がこんなにスパッと割り切れるものか、裁判という日常とかけ離れた事態に直面しても全く動じない意志の強さはどこから来るのだろう、感心しきりであった。
2人が帰った後、大利次長から
「助かりましたよ。財コンが切り出してくれなかったら、解決しなかったですよ。」
「でも、なにも2000万円を無理に残さなくても良かったんじゃないですか。」
「本部からの指示だったんですよ。」
「そうだったんですか。本部はどうしても銀行の保身を優先して考えてしまうんですよね。でも僕ら現場は本部じゃなくてお客様の方を向きましょうね、次長。まあ今回は、竹川さんも納得してくれたからいいことにしますか。」
「そうですね、ありがとうございました。お疲れ様でした。」
次長は杉山より6歳年下で、本部から支店に異動してきてまだ半年、順調にエリートコースを歩んでおり、本部と支店長の顔色を見るのが仕事のような男だ。

平成18年6月
 それから、5ヶ月、原弁護士から朝一番で連絡があった。
「あっ、杉山さん、ようやく昨日決着したよ。完全な勝訴だよ。一審で勝ったら、向こうはもう控訴しなかった。当たり前だよね。」
「ありがとうございました。やっぱり執行者の責任じゃないですよね。」
「そうだね。以前の打合せでも言ったけど、執行者は被相続人の財産を遺言に従って配分するのが仕事だ。税務署と違って捜査権があるわけじゃないので、被相続人の財産かどうかは、一般的な判断で調査すれば善管注意義務を果たしたと言えるでしょう。今回の奥さんの預金は、本人も自分のものだと言っているし、執行者にはご主人のものだと決めつけられる根拠はないからね。」
「そうですよね。」
「まあ、こちらの裁判の論点は執行者の職務の範囲だったから、裁判所もこちらの意見を全面的に支持してくれたよ。でも、あちらの審議は縺れているようだよ。」
「そうですか、政子さんも困っているんでしょうね。でも、こちらは助かりました。」
「でも、杉山さん、気を付けないとダメだよ。名義預金なんて、相続のプロなら、いろはのいじゃないの。事前に聞いておけば対処できたんじゃない。」
「はい、これからは、税理士任せにせず、確認するようにします。」
「じゃあ、本部の方にも連絡しておくから、後はよろしく。」
「それで、先生の報酬はどうしたらいいんでしょうか。」
「いつも、本部の中村さんと相談して決めるから後で聞いといて。」
「はい、分かりました。ありがとうございました。引き続きご指導ください。」
良かった、ようやく決着した。早速、次長に報告して席に戻った。席について、岸田財コンに報告するより早く有紀ちゃんが、
「良かったですね。今日はお祝いですか、私たちお昼、早番で行けますよ。」
「良かったけど、執行の詰めが甘かったのは反省点だな。杉山の罰金でみんなごちそうになろうか。」と、岸田財コンも口を挿んだ。
「まあ、しょうがないですね。ロールキャベツに行こうか。」と私は笑って答えた。
その後すぐに、竹川政子に電話し、先方の裁判の状況を聞いた。
「こちらは、まだまだ決着してません。ただ、私は決して負けません。」と、きっぱり。
この方の芯の強さを感じられたことが、この案件での最大の収穫だったかもしれない。
 その後、3ヶ月経って原弁護士から聞いた話では、裁判所から和解案が示されたようだが、政子は妥協せず、判決を求め、裁判が続いているそうだ。

3 百歳の遺言

平成16年3月
 「おい、新米、早く行くぞ。」まだ支店業務に慣れない私に乱暴な誘い方をするのは、財務相談課の大先輩川崎さんである。
川崎先輩は財務相談の担当一筋で2年前に60歳の定年を迎えたが、まだ現役を続けたいとして、特殊ケースだが嘱託として再雇用となっている。定年を過ぎ再雇用となれば、事務方に回るか、特殊な仕事をじっくり取り組むのが普通だが、彼は今でも20代の若手と同じ重たい鞄を持って営業に駆け回っている。パワー全開、口は悪いが、ハートが熱い。お客様の良き相談相手として信頼は抜群である。
財コンとしては、同じことはできないが、理想として見習いたい先輩である。
 今日は、当社の元会長、堀相談役からの紹介で、吉祥寺南町に住む重田一郎に会いに行く。
彼の父親の遺言相談だ。
支店から井の頭通りを東へ歩いて10分ちょっと、歌舞伎の前進座劇場を右に曲がると閑静な住宅地の一角に重田の家はあった。吉祥寺は便利な割に緑が多く、劇場など文化的な施設もあり、確かに住宅地として人気があるのが分かる気がする。
 一郎は75歳、きれいな白髪の紳士で、当社の掘相談役と高校の同期だそうだ。
相談は何と百歳で同居している父親和夫が今も元気で、遺言を書きたいとのこと。「遺言信託」で預かって欲しいというものである。
 百歳で遺言が作れるのか。意思能力は大丈夫だろうか。初めてのことで、やや戸惑っていると、一郎から、大まかな説明があった。
 父親の財産は、ここの自宅の土地と建物だけで、貯金は医療費などで全て使い切り、今では兄弟姉妹5人で均等に生活費を支援しているそうだ。
 自宅には長男の一郎家族が同居して面倒を見ている。敷地は約300坪もあり、坪あたり200万円としても、6億円だ。その敷地には本人と一郎家族が住んでいる母屋の他、夫に先立たれ未亡人となった長女の自宅と、敷地の一番いい東南の角に二男が自宅を建てて住んでいる。
 父親は自分が死んだら自宅の土地を売って、5人に現金を分けて欲しいと言っている。但し、均等ではない。最近では、その配分の割合をしきりに考えているらしい。やはり、面倒を見ている長男一郎にはやや多い配分を考えているようだが、他の子供にもそれぞれ思い入れがあるそうだ。その配分割合は直接聞いてくれとのこと。
 兄弟姉妹は、年齢順に同居している長男の一郎、未亡人となっている長女の熊野美津子、三鷹で工務店を興した二男の重田清二、その会社の社長を継いだ三男の重田昭三、等々力の眼科医に嫁いだ二女の東佐和子の5人。
 長男家族と長女で父親和夫を介護しているが、同じ敷地にいる二男の清二はほとんど寄り付かない。他に住んでいる2人は、たまに顔を見せる程度で介護の負担の大半はやはり長男家族が負っている。

 いよいよ父親和夫の登場である。百歳の高齢の方とお話ししたことはあっただろうか。
奥の居間から応接室に杖をついて自分で歩いて入ってきた。耳にがっちりしたヘッドホンを付けている。一郎から、皆さんの声が聞けるように付けてきたのだと説明があった。
革張りの応接セットにどっかりと腰を下ろした和夫はゆっくりとお辞儀をした。
 そして、口をもごもごさせながら、メモ用紙を取り出し話し始めた。
一郎の説明のとおり、土地を売って5人に分ける遺言書を作りたいようだ。
メモを見せながら、「長男に34%、長女に28%、二男14%、三男14%、二女10%、これで100%になりますか。」
「はい。合計100%になりますよ。この配分でいいんですね。」
「良かった。よろしくおねがいします。」肝心な会話はこれだけで十分であった。
メモには、何回も数字を書き直した跡が残っており、このお年寄りが、悩んだ末に出した子供への評価を見た思いであった。

 今回のような単純な遺言なら、百歳でも作成可能であろう。もう少し複雑であったなら、公証人も意思確認ができないと作成を諦めたであろう。
 重田家を出て、角を曲がったところで先輩に話しかけた。
「川崎さん、あれなら大丈夫ですよね。」
「当たり前だ。まさに、あのおやじの意思そのものじゃないか。すぐに作ってくれよ。堀相談役の紹介なんだから、頼むぞ。」
 川崎先輩は、遺言の作成に意思能力が問題になるなんて、一切心配しないお気楽ないい性格をしている。
でも、まさにそのとおり、あの歳で考えられる思考の全てを結集して出した結論なのだろう。その思いを尊重して早く遺言を作ろうと神妙な思いになった。

平成16年4月
 それから3週間、公証人の茂村先生に出張作成をお願いして吉祥寺駅で待ち合わせた。
茂村先生は、地検の検事正まで務められ、鬼検事として鳴らしたらしいが、公証人になって既に7年、仏の茂村と言えるほど、遺言者に優しく接してくれる。
 公証人は検事や判事でそれなりの地位にいた人が、60歳で退官した後に、希望して準公務員として任命されるのだ。全国に約300ケ所ある公証役場に、公証人は500人ほどの狭き門である。
通常は公証役場に出向き、公証人の前で遺言者と証人2人が立ち会って公正証書遺言を作成するのだが、遺言を作る人はお年寄りが多く、公証役場に行けない人も結構いるのだ。
 そんな時は、公証人が自宅や病院まで出向いて作成してくれる。勿論、出張費用がかかってしまうが、安いものだ。
「遺言信託」は、私のような財務コンサルタントが遺言者の気持ちを聞き、財産の分け方を何度も相談し、固まった案文を公証人に見せてほぼその通りに公正証書を準備してもらう。 そして、作成当日に公証人が遺言者の口述と準備した遺言書の内容を確認し、遺言者、証人と共に署名捺印して、公正証書遺言が完成する。その完成した遺言書を信託銀行が預かっておき、遺言者が亡くなったら銀行が遺言執行者として相続手続きをする仕組みだ。
 公正証書遺言の作成には、証人2人が立ち会うことが法律で決められている。相続人などは証人になれないため、誰に頼むか苦慮することも多いが、「遺言信託」の場合は、銀行員が2人立ち会うので、心配不要だ。当然、今回の証人は案文を作った私が務め、もう1人は当初から同行している川崎先輩だ。
 公証人と3人で吉祥寺駅から歩いて自宅に到着。自宅の応接間で待っていると一郎に付き添われ父親の和夫が現れる。これでお会いするのは、3度目だ。いつものとおりヘッドホンを付けている。
 早速、茂村先生が、準備してきた書類をテーブルに出し、今日の遺言書の作成方法や公正証書遺言の構成などの説明を始める。
 公正証書遺言は、原本・正本・謄本の3種類の書面が作られる。それぞれに書かれている遺言内容はもちろん同じだが、原本は、遺言者と証人が正式に署名押印して1通だけ作成され、公証役場で遺言者が亡くなるまで保管される。公証役場からは門外不出なので、別に正本が1通作られるが、これには遺言者、証人の名前が印刷されており押印も不要で、公証人が正本である旨を証明してある。正本は遺言者に交付されるが、「遺言信託」では、銀行が預かり、遺言者が亡くなるまで銀行の金庫に保管される。
 もう一つは、謄本。これは、正本の写しである。これは、写しなので、何通でも発行してくれる。今回も遺言者である和夫に1通、銀行の控え用にもう1通、合計2通を作ってもらう予定である。
茂村先生がこの説明を2人に聞かせると、和夫は聞き取りにくいのか時々一郎の方を見て、補足説明を求める。私もやさしく噛み砕いて解説を付け加えた。
 いよいよ遺言書の作成に入る。
「それでは、私は隣で待っていますので、終わりましたら声をかけてください。」
相続人は作成に立ち会えないと事前に伝えてあったので、一郎は退席した。
「それでは、準備してきました遺言書を読み上げますので、ご自分のお考えと違ったり、よく分からない時は、その時点で言ってくださいね。最後にまとめて聞こうと思っていると忘れてしまいますからね。よろしいですか、始めます。」と、茂村先生が読み始めた。
「遺言公正証書、第1条 遺言の本旨 遺言者である私は、子供たちの幸せを願ってこの遺言をしたためます。遺産の配分には、若干の差がありますが、私の気持ちを察して仲良く分けてください。第2条 ・・・」とゆっくりと読み上げていく。いつもより少し大きな声で聞きやすくしているようだ。特に、配分割合の数字は、ゆっくり確認しながら進めていく。
和夫は頷きながら聞き終えたところで、目を閉じてため息をついた。
最後は署名、押印だ。和夫の署名は乱れたが、思いのほか短時間で済み、引き続き証人2人に遺言書の原本が渡され全員の署名が済んだ。
あとは、押印だが、和夫が印鑑を押すのは無理そうなので、公証人が私に代わって押すように指示する。
「和夫さん、実印を代わって押しますからね。」と、断って実印を借りる。
 公証人は遺言者の本人確認を印鑑証明書ですることになっているので、提出してある印鑑証明書と照合できるよう実印で押印することが必要となる。
 一方、証人は既に運転免許証などで、本人確認は済ませてある。証人になるほとんどの社員は先生と顔見知りであり、印鑑は認印で構わない。実印を使う者もいるが、印影が遺言者のそれより立派だと失礼になるので、ほとんどが認印だ。私も会社に入社した記念に作った真ん丸の横書きの認印を使っている。
 和夫の実印を押して、自分の押印を済ませ、川崎先輩に「お先に」と書類を渡した。
「重田さん、杉山さんがきれいに押してくれましたよ。これで完成です。お疲れさまでした。」
茂村先生が押印を確認して、百歳の遺言書が完成した。
 隣の部屋で待っていた一郎に手続きが終わった旨報告すると、長女の美津子が準備していたお茶を運んできてくれた。美津子も気になって来ていたのだ。
「ありがとうございます。もうお構いなく。それにしても、お父様はお元気ですね。」
「そうですね、来月には101歳になるんですよ。」
「私の方が先に逝ってしまいそうですよ。」確かに、かなり痩せている一郎の方が、心配かもしれない。
お茶で一服しながら、先生への手数料の支払いや、銀行との約定書の調印など、付随の事務を片付けた。
本日作成した遺言書の原本は茂村先生が、正本と謄本1通は私がそれぞれ持ち帰る。もう1通作った謄本を和夫にと言っても実態は一郎に渡して、帰路に就いた。
支店に戻ると、川崎先輩にお礼を言い、遺言書の保管事務をアシスタントの有紀ちゃんに頼んだ。
「杉山財コン、明治37年生まれって、この人何歳なんですか。」
「百歳。でも意思ははっきりしてるんだよ。杖はついてるけど、自分で歩いてるし。」
「すごいですね。」
「遺言を作ったお客さんの中でも最高齢じゃないか。」
「そうですね。私の知ってる中では最高でしょうね。」と、裕子さんが口を挿んだ。
「とにかく、うちのお客さんは、元気だよ。この前川崎先輩と同行してお見舞いに行ったセントラル物産の元会長は95歳だけど、今体調が良くないから会社を休んどると言うんだ。95歳だよ、まだ会社に行こうとしてるんだ。実際、兼務だけど秘書も付いてるし、机もあるって言うから驚きだよ。もう一人、浜田山の市川さんなんか、91歳なのにスーツにネクタイでうちの店頭に来るんだから、すごいよ、全く最近のお年寄りは。」
超高齢化社会を肌で感じた1日であった。

平成18年6月(それから2年)
 朝のミーティングが終わり、ドイツで開催されているサッカーワールドカップでの日本の惨敗を岸田財コンと残念がっていると、財務相談課の泉FAが報告にやってきた。
 私に重田和夫を紹介してくれた川崎先輩は、3ヶ月前に退職しており、後任として異動してきたのが、泉FAである。
彼からの報告は、吉祥寺南町の重田和夫が一昨日亡くなったとのこと。長男の一郎から連絡があったのだ。
あれから2年、私も多くの遺言書を作ってきたが、重田和夫は最高齢として印象に残っている。103歳になっており、大往生だ。
「そうか、あれから結構経ったな。」と、ポツリ。
「すごいですね。103歳ですよね。」
「これから執行だ。泉にも手伝ってもらうからな。」
「はい。了解です。」
「まずは、葬儀に一緒に行こう。」
「でも、ご長男からは内輪でやるので、参列は無理しないで結構ですと言われましたよ。」
「そう言われても、これから最低半年は執行でお付き合いするんだから、行っておこう。」
「今日お通夜で、明日が葬儀、自宅でやるそうです。」
「自宅か。そうだな、百歳超えたら本人の知り合いはもういないから、来る人も限られるんだ。今日の夜は、約束があるから、明日の葬儀に行こうよ。いいかい。」
「はい、大丈夫です。お伴します。」
「それで、死亡登録はしたのか。」
「えっ。そうか、誰に頼めばいいんですか。」
「お前が電話を受けたんだから、登録票を書いて、有紀ちゃんに渡せば、オンライン登録と貸金庫閉鎖を手配してくれるよ。すぐにやっておけよ。5分以内だぞ。」私も当社に転籍し財コンになって早2年、業務にも慣れたことで、後輩への言葉使いがやや粗くなっている。
 銀行が預金者の死亡を知った時は、その人の預金口座や貸金庫を即座に、閉鎖して相続人などが払い出せないようにする。特定の相続人が、配分方法が決まらないうちに被相続人の預金を払い出し独り占めしてしまうと、相続人間でトラブルに発展する。銀行は死亡した人の預金をなぜ払い出したのかと、へたをすると訴えられることになる。
だから、銀行はその預金の正当な承継者が誰なのかを確認するまでは、口座を閉鎖しておく訳である。その手続きは1日、1時間たりとも遅れてはならない。遅れた間に払い出しがあったら、銀行の責任は免れないからだ。

 翌日、午前10時45分、南町の重田宅の前に黒ネクタイの2人がいた。
やはり、親族以外の人はほとんどいないようだ。5人いる子供さんたちが60代から70代であるため、広間には年寄りばかりだ。2人だけ中学生であろうかセーラー服の女の子が目立つ、曾孫さんであろうか。
 定刻の11時からお経が始まり、前の方に案内された2人は静かに目を伏せていた。
私は読経を聞きながら、既に遺言書の開示の進め方や自宅の土地の売却など、これから始まる執行の手順を考え始めていた。すぐに兄弟間のトラブルに巻き込まれるなど考えもしなかった。

4 親の土地に子供の家 

平成18年7月
 葬儀の翌月、吉祥寺支店の2階の契約室に相続人が集まった。
長男の一郎、長女で未亡人の熊野美津子、二男重田清二の妻幸江、重田工務店の社長の三男重田昭三、もう1人、二女の東佐和子の五人である。二男の清二は体調を壊し入院中なので代わりに妻が参加したのである。
 この日は、遺言書の開示。相続人に遺言書を見せて、遺言内容を全員に認識してもらう遺言執行の最初の儀式だ。
初めて会う相続人もいることもあり、一番緊張する会合である。この会合で、突然相続人から文句が出たり、いきなり内輪喧嘩が始まることもあるらしい。また、この時の相続人の表情で執行が円滑に進むかが分かるのである。
 遺言の開示は、思わぬ展開になることもあり、進行は必ず2人以上で行うこととなっている。
私は先行きの取引展開も考え、泉FAに立ち会わせ議事を始めた。
私は、まず全員に遺言書の正本を見せ、そのコピーを各人に配布した。そして、その遺言書を、ゆっくりと読み始めた。
とにかくゆっくり分かりやすく、そして感情を込めることに心掛けている。
この遺言書の読み方が悪いと遺産配分に不満を持った人の感情を逆なでしてしまう。逆に遺言者の気持ちを上手に伝えられれば、不満も我慢に変わり、遺言を残してくれた愛情を感じた方は涙を流すこともある。極めて人間味のある仕事だ。
 重田和夫の遺言書の内容は、単純である。自宅の土地を遺言執行者である当社に処分させ、その売却代金をそれぞれ指定した割合で相続人に配分するというものだ。ほとんどない金融資産は均等配分としてある。
 土地の売却代金の配分は、長男34%、長女28%、二男14%、三男14%、二女10%となっている。
百歳の和夫が考え抜いた割合である。面倒を見てくれた貢献度と当時の家庭環境を考慮した結果であろう。私は遺言を作った当時から、なるほどと感心していた。
また、結果的には、遺留分にも配慮された割合になっている。
 今回は、相続人となる子供が5人、相続人全体の遺留分は2分の1で、それに各人の法定相続分5分の1を乗じた10分の1が、1人の子供が最低限相続できる権利である遺留分となるが、一番少ない二女にもこの最低限が配分されているのだ。偶然なのであろうか。作成当時、私からアドバイスしたわけではない。
思い起こせば、多分和夫は、それまでに調べてあったのであろう。知識がない、素人と思われる人も自分の相続となれば、必死で調べたりするもので、財コンでも驚くほど研究している方にお目にかかることも多いのである。

 さて、遺言の内容を聞いた相続人たちの様子はどうであろう。開示では、遺言書を読む係の人間は朗読に集中するので、私は相続人の挙動を見ていることができない。同席しているの泉FAだけが相続人の表情で、その遺言に納得しているのか、不満なのか感じ取ることができるのだ。
「皆さん、お父様の遺言書は今読み上げたとおりでございます。内容は、ご理解いただけましたでしょうか。」私は、相続人の顔を見廻した。
「ご理解いただけましたら、今後の進め方をご説明、ご相談させていただきたいと思います。」
「お父様の遺言書で私どもマスターズ信託銀行が遺言の執行者に指定されておりますので、執行者就任の手続きを経て、私どもが一切の執行手続きをさせていただきます。まず、お父様の遺産を調査して、財産目録を作成して皆さんにお示しします。それと、並行して残された預金の解約、土地の処分などを進めます。土地の売却代金や預金の解約したお金は一旦私どもの銀行に集め、今回のご相続専用の執行者口座を開設して、そこに集約いたします。先行きは執行に要した費用や私どもの報酬などを差し引いて皆様それぞれに指定された割合で配分することになります。」
ここで、三男が初めて口を開いた。
「おやじは、だいぶ前から医療費などで、現金を使い切ってしまい我々全員で生活費を出し合っていたんですよ。だから、預金口座を解約したって、たいした金にはなりませんよ。それより今まで出した金は、返してもらえるんですかね。」
「はい。一郎様からも、ほとんどお金は残っていないとお聞きしています。今回のご相続で一番の問題は預貯金よりも、ご自宅の売却です。遺言書に書かれていたとおりご自宅を売却すれば、相当の金額になりますから、皆さんが今まで支援された分は十分返って来ることになると思います。」
「大体いくらぐらいで売れそうですか。」
「実際に売りに出してみないと分かりませんが、今の相場なら坪あたり最低でも坪200万円として、大体300坪ありますから、おおよそ6億円ぐらいと思いますが、こちらのような広い土地は1人の人が個人として買い切れないので、不動産業者に売ることになると思います。そうすると、やはり彼らは商売として仕入れるために、安くしないと買ってくれないんです。ですから、1、2割は安くなってしまうことを覚悟しておいてください。」
「じゃあ、区割りして3、40坪ずつ売ればいいじゃないですか。」
「それはできないんです。不動産の法律で免許のない個人の方が、業者が分譲するように土地の売買を繰り返すことは禁止されているんです。登録された不動産業者でないとだめなんです。」
「ほんとですか。私の友人で親の土地を別々の人に分けて売ったと言ってましたよ。」
「確かに、2、3区画ぐらいならあり得るかも知れませんが、こちらの土地は広いのでまず無理だと思います。」
「分かりました。ならば、少し安くてもいいから早く売ってくださいね。」
三男は早く売ってお金が欲しいようだ。
しかし、そこに住んでいる人は事情が違う。長女からは、
「私たちはいつまでに引っ越さなきゃいけないんですか。どこに行けばいいか、マンションを買うにもいくら手に入るかも分からなければ、移りようもないでしょう。」
「そうですね。まずは私どもの銀行の不動産部にいくらで売れるかを査定させます。その結果で皆さんの手取りがいくらぐらいになるかご案内いたしましょう。」
「再来週に四十九日の法要で集まるのでその時に見通しが分かればありがたいのですが。」
さすがに、長男の一郎が冷静に収めた。
「了解しました。再来週の土曜日ですね。それまでには、査定させておきますので、その時にはご案内できると思います。」
「ちょっと待ってください。」ここで、二男の代理で出席している妻の幸江が乗り出してきた。
「この土地はどうしても売らなくてはならないんですか。夫の清二は今入院中ですし、私はここで学校に勤めていますので、このまま居られないでしょうか。」
「そうですね。難しいと思います。お父様の遺言で土地を売って分けるようになっていますので、お1人の希望だけで変更することはできないんです。但し、皆さんが全員で合意されれば遺言の内容を変えて遺産分けすることは可能ですが・・・。」
「夫はお父様の了解を得て、15年前に家を建てたんです。まだまだ、使えるのに出ていかなきゃならないなんて、おかしいんじゃないですか。居住権ってものがあるんじゃないでしょうか。」
「姉さん、貴方が文句を言い出すのは逆におかしいんじゃない。相続人じゃないんだから。」
「相続人でない私がお話しするのはおかしいかもしれませんが、入院している夫の代理できていますし、うちは引っ越しできる状態じゃないんですよ。」
そこで、長男の一郎氏が止めに入った。
「幸江さん、貴方の立場も分かるが、その件はまた改めて相談しよう。」
「そうですね。今日は遺言書の内容を理解していただくのが目的ですので、まずは私どもで執行をさせていただくことをご了解いただければと思います。」と私が納めようとすると、更に、三男の昭三。
「遺言に書いてあるとおり、土地を売らなきゃ分けようもないんだから早くして欲しいんだよ。でも、この割合、ちょっとおかしいんじゃない。なんで俺と清二兄貴と一緒なんだろ。兄貴は土地をタダで借りて家を建ててるんだ。」
「昭三、もう、やめとけ。」一郎が押さえるが止まらない。
「その上、結構建築費も出して貰った筈だぜ。納得いかないね。」
「何ですって。貴方は、重田工務店に入れて貰い、社長にまでしてもらった上で、そんなこと言えるんですか。」
あまりの会話に二女の佐和子が宥めた。
「お兄さんたち、いい加減にしましょうよ。恥ずかしいわよ。こちらの銀行にお任せして法律的に処理していただけば公平でいいんじゃないですか。」
 この一言でこの会は気まずいままではあったが、終わることができた。
一応、執行者に就任する旨の通知を出すこと、土地の査定をすることなどを了承してもらい、次の段階へ進むこととなった。

 事務室に戻ると、裕子さんと有紀ちゃんがすぐに寄ってきた。
「すごかったですね。」
「そうだね。ちょっとヤバかったな。これからが、思いやられるよ。」
「有紀ちゃん、手続き間違えないようにね。揉めてる時に間違えるとお怒りがうちに来ちゃうからね。」と、裕子さん。
「これからは、あの2人の調整に時間を取られそうだな。」
「杉山財コン、注意しろよ。財産分けの調整となると、微妙なとこだが弁護士の仕事だ。俺たち銀行員は執行者として相続事務をするだけだ。非弁活動はしちゃいかんのだ。」岸田財コンが口を挿んだ。
「非弁活動ってなんですか。」有紀ちゃんが質問する。
「弁護士でない者が弁護士の仕事をすることだよ。十分な法律の知識がないのに、弁護士が携わる紛争の調停などをしてはいけないんだ。」岸田財コンが説明する。
私もそのことは知っているが、本当に揉める前には多少の調整は必要だ。
「分かっています。長男の一郎さんが兄弟の状況を良くご存知なので、彼に相談しながら、上手く進めますよ。」
私は、言い終わるとすぐ、不動産仲介部の日下に電話をした。
「日下さん、先日話した吉祥寺の300坪、正式に査定してくれ。相続人から了解をもらったから、査定依頼書は後からメールで送るよ。来週中に上げてね。よろしく。」
電話が終わると、遺言執行者に就任する旨の稟議書を書き始めながら、あの2人の会話を思い出しやや不安が過った。

 3日後、事務室の外線電話が鳴る。私が直接取ると、「重田幸江です。」と、二男の妻からであった。驚いたことに、幸江は力ない声で清二が亡くなったことを告げた。
「えっ。ご主人が亡くなったんですか。」
「昨日、肝臓の摘出手術をしたんですが、結局うまく行かずだめだったんです。」
「それは残念でした、お具合が悪いとお聞きしていたんですが、ご愁傷様です。息子さんはまだ大学生ですから、お気持ちを強くお持ちになってください。」
「ありがとうございます。こんな事情ですから、義父の相続のことは少し待っていただけますか。」
「勿論です。ご主人の相続の手続きなど分からないことがありましたら、何なりと言ってください。お手伝いしますから。」


平成18年10月
 秋の気配を感じるようになった週明けの月曜日、長男の一郎から清二の納骨が終わり、四十九日の法事を吉祥寺第一ホテルの車屋で兄弟親族が集まって済ませたと連絡があった。
 その法事の席で、それまで兄弟が一様に口を閉ざしてきた土地の処分の話が出たが、やはり、幸江は今の住まいを移りたくない、息子も同じでどうしてもいやだ。銀行の調整でなんとかならないか、遺言の効力と居住権はどちらが強いのか、などと一歩も引こうとしないようだ。
義父の相続人ではなかった幸江が亡夫の相続権を承継したことから、自分の意見に重みが増したことにより彼女の意思を強くしてしまったのではないだろうか。
 長男の一郎からは、解決に向け珍しく強い申し入れがあった。
「杉山さん、銀行が執行者なんだから、そちらで法律的に説得してくださいよ。昭三なんかは裁判でもなんでも早くやるべきことはどんどんやってもらえとうるさいんだよ。」
私も話しながら、どうなんだろう、確かに彼女には居住権があるだろう。間違いなく建物は二男名義から彼女と息子の名義に変わっていくのだから・・・。
 法律的に言えば、父親と二男は土地の使用貸借という関係だったはずだ。
使用貸借契約は、貸主である父親が死んだ場合は、契約は生きたままであるが、借主が死んだ時は契約が終了するのだ。契約が終了すれば出て行けと言えるのではないか。しかし、あの建物は彼女と息子の物だ。強制的に追い出せるのか。私は答えに窮した。
「分かりました。皆さんのお考えは分かっておりますが、もう少し時間をかけましょう。やはりお身内で説得していただくのが、一番の早道なんです。ご長男からのお話しが最も効果的なんじゃないですか。」三男の昭三からプレッシャーを掛けられた一郎には申し訳ないが、もう1度説得をお願いした。
 しかし、このままでは、執行業務を進められない。近々、一郎に会って相談する約束をして電話を切ったものの、解決策は見えてこない。
2日後、母屋の一郎を訪ねると、こちらから切り出す前に諦めの言葉が出てきた。
「杉山さん、お恥ずかしい限りです。昨日も美津子と一緒に話しに行ったんですが、全く言うことを聞かないんですよ。動きたくない、その一点張りなんですよ。」
「困りましたね。」
「法律的にはどうなんですか。弟の昭三は強制執行してしまえなんて言ってましたが。」
「そうですね。遺言の執行と居住権とどちらが強いかの問題でしょうかね。住んだままでも売ることは、理論上は可能ですから、必ずしも出ていかなくてもいいと言う理屈もあるんですよ。」
「住んだまま。そんなことできるんですか。」
「借地・底地などを安く買って追い出しをかける怪しげな業者なら買うかも知れませんが、あまり常識的ではないですね。」
「そんなことしたら、うんと安くなっちゃうんじゃないですか。」
「そうです。居座った本人はいいですが、皆さんが本来受け取れる分が大幅に減ってしまうので現実的ではありませんね。」
「それでは、やはり出て行かせなければいけないでしょうね。」
「だから、兄弟の皆さんで説得してくださいよ。」
「それが出来ないから困っているんですよ。」
「堂々巡りですね。私どもはトラブルの解決係ではないので説得は皆さんにお願いしていますが、そうも言っていられないので、私もこれから幸江さんの家に寄ってみますよ。」
「お願いしますよ。もう、我々の手には負えないんです。頼みますよ。」
結局、説得を頼まれて隣の幸江の家のベルを押した。
「こんにちは。その後いかがですか。」
「なんですか。私は、動きませんよ。息子も動きたくないと言ってますし。」
「でも、遺言には全体を処分して分けろと書いてあるんですから、ご兄弟のことも考えて、一旦立ち退いていただき売却活動に入りたいんですが、いかがでしょうか。」
「冗談じゃないですよ。この家は死んだ夫が建てたんですよ。何で出て行かなきゃならないんですか。弁護士も居住権があると言ってましたよ。」
「まあ、そう頑なにならず、いろいろな方法を考えてみましょう。全体を売らずに、幸江さんの所以外を売って処理できないかも考えているんですよ。でも、こちら幸江さんの地所は、ここ全体の一番いい所を占めていますので、多分ほかの方に不足分を払うことができれば皆さんも納得できる配分が可能じゃないかと思います。」
「じゃあ、計算してくださいよ。でも、私お金持ってないから、そんな不足分なんかは払えないわよ。」
「そうですか。でも、ここに残るならご義兄弟へ不足する差額の支払いはやっぱり必要でしょうね。それができないならやはり立ち退いて皆さんで全体を売るしかないでしょう。」
「いやですよ。動かないって決めたんです。弁護士に相談してますから、もうその話は弁護士とやってください。」
「どちらの弁護士さんですか。」
「銀座の浅井弁護士さん。ご存じでしょ。」
「いやあ、すみません。私は存じ上げません。」
「結構有名な先生なのよ。それじゃ、連絡先を教えるからそちらで相談してください。」
 弁護士事務所の住所と電話番号を書いたメモを渡され、茫然と幸江宅を出る。
 翌日、早速浅井弁護士に連絡をとり、面談した。しかし、浅井弁護士は、幸江から困っていると相談は受けたが、まだ正式には依頼を受けてないので、代理人として具体的な交渉をする立場にないと言って話にならない。一般論としてどのような解決策があるのか聞いてみるが、のらりくらりと先延ばし作戦のようだ。幸江と同様、困ったもんだ。
このままでは埒が明かないので、本部の中村調査役に聞いて顧問の原弁護士に相談することにした。
 しかし、原先生からも居住権と遺言の効力のどちらが強いという単純な議論ではないので、裁判になれば相当長引くぞとアドバイスを受けた。
その後も幸江宅を残して他を売却した場合の試算や、底地だけを買い取る業者は居ないか等などあらゆる方策を考えたが、妙案は出てこなかった。

平成18年12月
 早いもので、重田和夫が亡くなってから、半年が経とうとしていたが、問題は全く解決していない。幸江が頼んだと言った浅井弁護士はいまだに忙しいとか、正式に頼まれてないと交渉の相手方にも立ってくれない。そんな状況下、しびれを切らした三男から呼び出しがあり、泉FAと2人で南町の重田家に向かう。
 重田家の母屋には、一郎と美津子とそして三男の昭三がいた。
一郎はご苦労様と迎い入れてくれたが、昭三は不満を露わにしている。
「杉山さん、だいぶ経つけど、進展しているんですか。」
「先日もお兄様にご報告したんですが、幸江さんが頼んだという弁護士が相手にならず困っているんですよ。」
「そんなこと言ってないで、義姉さんと直接やって下さいよ。執行者として執行義務があるでしょう。法的に強制執行できないんですか。」
「勿論、私どもの顧問弁護士にも相談していますが、強制的に立ち退かせることは難しいんですよ。強引に底地のみを買い取ってくれる業者も、探せば居ると思いますが、筋がいいわけはありませんし、皆さんの取り分だって大幅に減ってしまうんですよ。」
「たとえば、残りの土地を先に売る手はないんですか。」
「それも検討しましたが、幸江さんの家が東南の角地にあって1番いい所なんで、他の所を先に分けて売ったら、やはり皆さんが損をしますよ。」
「じゃどうすればいいんだよ。」
「私どももあらゆる機会を見つけて説得しますが、この問題はご義兄弟間の意見が揃わないのが原因なんで、もう1度初めに戻って皆さんで話し合ってみてくださいよ。感情的にならずに。」
「無理だよ。あの人は偏屈なところがあるからな。」
「そうは言っても、杉山さんも一生懸命やっていただいてるんだから、今度機会を見て、もう1度、私から話してみましょう。」
「一郎さん、お願いします。我々は銀行員で弁護士ではないんで、限界があります。」
一旦、交渉の当事者を兄弟に投げ返すことになった。これは、兄弟間の確執が高じて、トラブルになったのだから、そこを解決しなければ進まないだろう。父親が遺言書を作った訳がようやく分かったような気がした。
重田家を出て泉FAと吉祥寺駅に向かうが、相談を始めたのが5時を過ぎていたため、既に日は落ち、お腹も減ってきた。
「泉、今日はもう終わりだな。店に帰って片付けたら、飯でも食いに行こうか。」
「そうですね。腹減っちゃいましたよ。」
「じゃあ、焼き肉はどうだ。」
「いいですね。李朝園に行きましょう。吉祥寺では安くて旨くて有名なんですよ。」
 支店に戻り残務処理を済ませた二人は、伊勢丹の南側にあるコスモビルの4階の朝鮮焼肉店「李朝園」に入った。
店内は若い人で一杯、待っている人も沢山いたが、女将さんがてきぱきとお客をさばいており、2人は思いのほか早く席に着けた。休日の夜は、30人1時間待ちは当たり前だそうだ。
カルビ、塩タン、上ミノ、ナムル、キムチ、サンチェ、それに、生中2つ。真冬でも焼肉にはやっぱりビールが合う。勿論最後の締めには、カルビクッパだ。
 焼肉を摘まみながら泉FAが聞く。
「重田さんのとこ、解決するんですか。裁判になっちゃうんじゃないですか。」
「そうだな。俺も困っているんだ。」
「結構苛立ってましたよ。あの昭三さんの言い方。」
「実は、退かないと言ってる幸江さんは、あの昭三さんと一緒の配分にも不満があるらしいんだ。同じ割合なんだから文句はないと思うんだけど、彼女、亡くなった清二さんと一緒に重田工務店を大きくしてきたんだが、結局後から入ってきた昭三さんに会社を乗っ取られたと根に持っているらしいんだ。そんな気持ちのところにさっさと出て行けみたいなことを言われたので、それに怒って意地になっているらしいんだ。」
「何かいい手はないんですか。」
「本当、俺も困ってるんだ。でも、会ったことがないんだが、大学生の息子が居るんだ。息子から母親を説得してもらえないかと思っているんだが、なかなかチャンスがなくてね。一郎さんの説得が上手くいかなかったら、母親が居ない時にでも直接行って息子さんに頼んでみようと思ってるんだ。」
「へ~、息子さん作戦ですか。さすが財コン、色んな手を考えるもんですね。きっと上手く行きますよ。」
「そんなに簡単にいくかよ。ほんとにお前は調子いいよな。でも、まあ頑張ってみるよ。」
 次の作戦を頭に描きながら、満腹で箸を置いた。

平成19年3月
 期待していた一郎の再度の説得も幸江は全く受け付けなかったようで、時間だけが経っていく。
年が変わって何度も接触を試みるが、幸江との話し合いは肝心なところに来ると話の腰を折られ逃げられてしまう。息子さんにも会うことができない。
 しかし、時間は止まってくれない。土地の処分が進まないまま、相続税の申告期限が迫って来る。
相続税の申告期限は、被相続人の死亡から10ヶ月後だ。既にいつも依頼している迫間税理士に申告の準備を始めてもらっているが、その話にも幸江は乗ってこない。
 相続税の計算は、やや複雑で分かりにくい。被相続人である父親の財産を法律で決められた方法で評価した上で、相続人の数などを考慮して全員で払うべき税金の総額を算出する。最終的に税務署はこの金額を納税してもらえればいいのだが、相続人達はこの算出された税金の総額を、もらった財産額の割合に応じて支払うことになっている。だから、沢山の財産をもらった人はその分多くの税金を払う訳だ。
 また、税金は現金一括納付が原則であり、今年4月の申告期限にはその現金を用意しなければならない。勿論、不動産だけを相続して、支払う現金がない人等には、延納や物納の制度も認められているが、今回は土地の問題が決着していないので、物納も難しい。
 亡くなった二男の妻の幸江は、立ち退きを拒否して義兄弟たちとは断絶状態となっており、相続税の話もしたくないと突っ張っているが、自分の夫の相続について別の税理士に相談していた。
亡夫清二の遺した財産は、生命保険金を含めて約5000万円、父親の土地の14%相当の相続分約8000万円を加算すると、総額1億2000万円程度となる。妻が全部相続すれば、配偶者の税額軽減を適用すれば、相続税は掛からない範囲だ。しかし、父親から清二への相続には全体の財産額が多いため、400万円の相続税の納税が必要である。
 一方、兄弟たちの怒りはピークに来ており、あんな義姉はほっておいて、自分たちだけで申告しようということになり、本来は5人の連名で申告するところ、4人だけで申告することになった。
極めて異例であるし、申告する財産額も、幸江が依頼している税理士と擦り合わせもしてないので、きっと申告額も違っているのだろう。そんな申告でいいのだろうか。初めての経験だ。
また、今回は遺言により土地の配分割合が指定されているので、評価額をその配分で分けたと仮定した金額で申告することになる。幸江もそうするのだろうか。心配は尽きないが、申告の準備は進めなければならない。
今回の申告で1番のポイントになる土地の評価額について、迫間税理士と検討する。3年前に税務通達により広大地の評価方法が変更になっている。
 住宅地にある広い土地は、将来戸建住宅などを分譲する場合、敷地の中に道路を作らないと開発ができない。その道路は宅地として利用できないし、単独で売却もできないので、その分の評価を安くするとの考え方がある。
その考え方は以前からあったのだが、3年前の通達で評価を減額する計算式が定められ、減額率が大幅にアップされ、納税者に有利となったのだ。
 重田和夫の自宅の土地は300坪程あるので、500平方メートル以上という広大地の基準をクリアしており、十分適用可能として通達に従い路線価基準の価格のほぼ半値となる3億2000万円の評価とした。
これで申告すると取り分の1番多い長男一郎で1000万円、1番少ない二女佐和子で300万円程度の納税額となる。
三男の昭三は重田工務店の社長であり、金は持っている。二女の佐和子も嫁ぎ先が金持ちで納税額も少ないので問題ない。困ったのは、長男の一郎と長女の美津子だ。二人ともその金が工面できない訳ではないが、貯金を叩いてしまうと次の引っ越しができない。土地を売った代金で次の棲家を手当てしようとしているのだが、手許資金が無くなってしまうのは、心もとない。
しかし、止むを得ない、2人も手持ちの預金を崩して払うという。
 初め、一郎は幸江との話が決着するまでは、今の母屋に住んでいたいと言っていたが、いずれにしても土地を売ることになるのだから、近々西荻窪の賃貸アパートを借りることにすると言いだした。
 一方、長女の美津子は、いずれ出て行かざるを得ないなら、幸江の隣なんかに住んでいたくないと、分譲マンションを探し始めた。既に一人息子は埼玉で就職して結婚生活を営んでいるので、1人で気楽なマンションライフを考えたのだろう。三鷹、武蔵小金井など、やはり吉祥寺に住みなれた感覚から中央線の沿線を探している。私も子会社のマスターズ住宅販売の担当者を紹介して探させている。
 そんな中、美津子から連絡があり、気に入った新築マンションが売り出されており、ほぼその物件に決めたと言うのだ。ついては、自己資金では足りないので、父親の土地代金を当てに住宅ローンを貸してくれと言う訳である。
銀行の立場から美津子のローンは土地が売れれば、あっという間に繰り上げ返済されてしまうし、万一、トラブルにより処分ができなければ返済が受けられない。どちらに転んでも銀行にとってはあまりメリットがなく取り組みづらい案件である。当然、当社以外の銀行では断られてしまうだろう。
 重田家の敷地は、3家族が全部移転しなければ、処分できないため、問題になっている幸江は勿論、長女の美津子にも移転してもらわなければならない。美津子や一郎が移転して敷地内の建物を取り壊せば、幸江の家だけが取り残される。そうなれば、幸江の気持ちも移転に傾くのではないだろうか。是非とも美津子のローンを実行して、移転を後押ししたいところだ。
早速、ローン課の中野課長に経緯を説明する。やはり、中野は渋い顔だ。
「土地を処分して返済になるのはいつ頃になりそうなんですか。」
「俺にも分からないけど、半年いや1年近く掛かるかも知れないな。でも、頼むよ、この人に早く移って貰わないと進まないんだ。」
「う~ん。じゃ、1年超でいいですね。短期じゃ業績評価に跳ねないんですよ。」
「おお、大丈夫。1年は借りてもらうよ。」
「担当にやらせるにも、評価されない仕事じゃあ可哀そうなんで、そこだけは頼みますよ。」
 確かに、このようなイレギュラーな案件は特別に稟議書を作成して支店長の決裁を取り付けなければならず、それだけの手間を掛けて短期のローンでは、金利収入は少なく、銀行は儲からないので、評価されないのだ。
業績評価の最低限1年をクリアしなければ、決裁を受けることは難しいので、課長はその条件を確認して前向きに取り組むと約束してくれた。やはり課長ぐらいになると部下の気持ちや案件の重要性など総合的に考え、バランスを取ることができるようだ。

平成19年4月
 いよいよ、申告期限が迫ってきていた。今日は、税理士の迫間先生から亡清二の相続人である幸江と息子の研一を除く四人に申告内容を説明して、正式に納税金額を伝えるため、集まってもらった。遺言執行者の職務としては、相続税には関与する必要はないが、相続人にとっては、申告・納税は相続手続きの中でも重要な手続きで、銀行としてはサポートしていくべきである。
財コンルームに揃った4人を前に、迫間税理士から申告書の記載内容、財産の評価額などの解説が始まる。先日相談した広大地の評価減なども詳しく説明して、申告金額の了解を求めた。
 300坪の敷地の売却処分は済んでいないが、その土地を遺言書の配分に従って分けたと仮定して各人の納付額を決めるのだ。全体としての納税額は2800万円、これを取得する財産の割合で按分すれば、略々長男が1000万円、長女が700万円、二男と三男が400万円、二女が300万円の納税額となった。
 4人とも頷きながら聞いてはいたが、やはり初めて聞く相続税の仕組みは完全には分かってはいないだろう。とは言え、申告書や申告のための代理権限証書などに各自押印してもらい、翌週の月曜日には、先生に税務署宛に申告してもらうことになる。
一方、税金は申告期限までに現金で納付しなければならない。期限は来週木曜日なのでその日までに、先生から渡された納付書を自分の預金のある銀行の窓口に持って行き、預金から振り替えて納税すればいいのだ。
手続き終了後、また三男が切り出した。
「杉山さん、先日兄貴が義姉さんの所へ話に行ったけど、やっぱり埒が明かなかったようですね。そろそろ、おたくが法律に従って解決してくださいよ。」
「それでは、ご兄弟による説得は諦めるんですね。裁判になったら長引きますよ。」
「だって、しょうがないじゃないですか。言うことを聞かないんだから。」
「分かりました。もう1度私が行って、ダメでしたら弁護士マターにしましょう。どなたかお付き合いある先生はいらっしゃいますか。」
「居ないこともないけど、これはおたくの銀行として、執行者としての仕事でしょ。おたくの業務の範疇で処理するのが筋じゃないですか。」
「トラブルになって執行ができない時は執行を辞退することは認められているんです。執行者として裁判を起こすことも法律的には可能ですが、そこまでやるのかを本部と相談したら辞退しろとなってしまいます。私としては、やり掛けた仕事は最後までやり遂げたいので、兄弟間の調整として皆さんから弁護士を立てていただきたいのです。勿論、先生をご紹介することはできますが。」
「なる程、銀行は上手い屁理屈を付けますね。いいですよ、誰から頼もうと解決さえしてくれればいいんですから、最終的にはお任せしますよ。」
「どちらにしても、そうならないように、もう1度やってみます。来週早々には、一郎さんの所に伺いますので、幸江さんの家にも行ってみます。その結果をご連絡します。」
また、ボールが返ってきてしまった。しかし、本当に弁護士を立てることになったら、執行辞退も現実となってしまう。そうなったら、今までやってきた仕事は何もなかったことになってしまう。そして、遺言を作った和夫に対しても、それだけは避けなくてはならない。

 翌週になり、火曜日の午後、相続税の納付手続きに泉FAと一郎を訪ねた。振替伝票への押印が済むと泉は今日中に事務手続きを廻すため、急いで支店に戻っていった。
 一方、私は、説得は無理かなと半分諦めながら、幸江の家のベルを押した。予想に反し、玄関に出てきたのは、初めて会う大学生の息子さんであった。玄関で立ち話をしてみると、思いのほかしっかりした若者であった。
母親を悪者にして、ここまで延ばし延ばしにしてきたことを詫びた。
「僕もこのままじゃいけないって言ってるんですよ。でも、お袋も先週、不動産屋の友達から 早く売って新しい所へ移んなさいと言われて、どこに行こうかなんて話してるんですよ。」
「えっ。本当ですか。」
「はい。その人は松丸不動産といって、死んだ親父の親友で、立川で手広くやってる人なんで、引っ越し先は俺が探してやるから、任せろって言ってました。」
「そうですよ。移転先を早く決めてください。こちらの土地は我々で高く売ってあげますから。」
「お袋は国立に気に入った物件があるとかで、今度見に行く予定にはしているようですよ。でも、ここがいくらで売れるか分からないから金額交渉ができないって困っているようでしたよ。」
「我々は、最低でも六億円、いやもう少し上、10%増しくらいでは売れると見ています。それを最低の数字と思って移転先を探してください。次回不動産の専門を連れて売却方法や処分価格などをご案内に来ますので、移転先の検討をお願いします。その旨、お母様によろしくお伝えください。改めて連絡すると言っておいてくださいね。」
 飛び上がりたいような衝動に駆られた。トンネルの先に光が見えたとはこのことだ。さすがに、居残っていることはまずいと思っていたようで、知り合いの不動産屋に相談していたのだ。それにしてもしっかりした息子さんで良かった。
その松丸不動産に移転先を紹介させれば、ことはスムーズに進むであろう。実は、私は松丸不動産の名前を知っていた。立川支店の取引先なのである。私が直接は取引したことはないが、 支店の取引先なら協力してくれるだろう。よし、これで前に進むぞとはやる気持ちを押さえながら帰路に就いた。

 翌日、不動産仲介部の日下に連絡して、吉祥寺の土地の査定価格を再確認して、どのように売却するかを相談した。
「杉山さん、今回の物件は結構いいですよ。300坪あれば、建売屋が飛び付きますよ。それもそれなりに金額が張りますから、小さな信用力のない所ではなく、中堅から大手ですよ。買いを入れるのは。」
「じゃあ、入札にするか。」
「そうですね。うちと取引のある先に声をかければ相当の札が入るので、結構高値が付くかも知れませんね。」
「最低入札価格は決めるの。」
「決めてもいいですが、公表しなければ、気に入った価格に届かなかったなら、その時流局しちゃえばいいんですよ。」
「そうか。いくら位かな。価格によって移転先が変わっちゃうんだ。今度一緒に行って見通しを説明してくれよ。」
「いいですよ。ご一緒しましょう。ようやくですね。」
「それから、中央線の立川方面の戸建ての情報出してくれよ。例の転居を渋ってる相続人の移転先。最低40坪以上だよ。駅近で頼むよ。」
「価格はいくらくらいですか。」
「そうだな、上限8000万円ぐらいかな。」
「了解です。訪問日程が決まったら連絡してください。用意しときます。」
 日下には、執行開始の時から、売却の仲介を打診してあったので、彼からすれば、ようやく大きな仕事がやってきたという感じであろう。
日下は不動産仲介部の中でも、個人の大口取引を担当するなかなかのやり手で、任せて安心な男なのだ。

5 土地の売却

平成19年7月
 その後、何度か幸江と電話やFAXで移転先の情報を提供していくと、だいぶ仲良くなった。息子からの口添えも功を奏し、移転に前向きになったところに、松丸不動産から気に入った物件の紹介があったと連絡があった。
 7500万円の一戸建て。その金額が父親の土地の売却代金の分け前で賄えるだろうか、心配になり、相談して来たのだ。
ここがチャンスと私はこれからの段取りを考える。ここで一気に解決を図るには、全員を集め、売却の方法、処分価格の見込み額、処分までの日程などを全員に了解・合意してもらい、幸江の逃げ場をなくしてしまうことだ。幸江にも説明会に参加させることに成功、他の兄弟姉妹もようやく前に進むと喜んで参加を了解した。
 4日後の午後、5人全員の参加を得て、説明会が始まった。
まずは、私が切り出した。
「幸江さんが移転に前向きになっていただきましたので、皆さんに処分方法や価格の見通しなどをご説明して、これからの段取りをご理解いただき、お父様の遺言の執行を進めて行きたいと思いますので、よろしくお願いします。まずは、処分の方法について当社の不動産仲介部の日下から説明させていただきます。」
「今回、お父様の遺された大切なご自宅の売却を担当させていただくことになりました、不動産仲介部の日下でございます。まず、売却の方法でございますが、本件の土地は住宅地の中、300坪の広さがございます。一般の個人の方が一括で購入できるものではありません。建売住宅の用地としてデベロッパーつまり建売をする不動産業者が購入するのに適した物件です。そこで、今回はシールドビット方式で売却することを提案させていただきます。」
「シールドビットってなんですか。」長女の美津子が口を挿む。
「はい。簡単に言えば入札です。購入者をある程度限定して入札する方式をシールドビットと言います。先程ご説明したとおり、今回の買主はデベロッパーになりますので、私どもで、価格以外の売却条件、例えば契約の日程や支払条件などを決めて一斉にデベロッパーなどに、入札に参加するよう呼びかけ、自社の購入したい金額を申し込んでもらいます。購入者の素性や信用力なども考慮して、一番高い値段を付けた所に売る仕組みを取ろうと考えています。」
「そうすれば、公正に、しかもより高い金額で売ることができるのです。万一、皆さんの希望する価格が入らなければ、売却しなければいいのです。いかがでしょうか。」私が補足する。
「不動産業者は世の中に山のようにあるのに、全ての会社に声をかけることはできないでしょう。」と三男の昭三。
「勿論、全部に声は掛けません。今回の物件は路線価ベースでも6億円を下りません。後で、処分見込額をご案内しますが、入札すれば7億円は超えると見ています。そんな金額を出せる業者は限られているんです。そこそこの実績のある業者でないと資金がありませんし、銀行から借りるにしても信用力のある会社でないと無理です。そのクラスの業者のほとんどは、私どもの会社と何らかの取引や情報交換をしています。世間で、また業界で名の通った会社が対象なので、皆さんも安心いただけると思います。」
「でも、個人の大金持ちが買いたいと言った場合、デベロッパーに限ったら折角の買主が参加できないじゃないですか。」
「その場合は、不動産会社が仲介者として参加して来ますから、大丈夫です。逆にそんな方をご存知でしたら、ご紹介ください。」
「大体分かりました。確かに公平で売却価格も期待できそうな方法ですね。私はいいと思いますよ。」長男の一郎が先に進めた。
「それでは、次に一番ご興味のある、売却価格のお話です。運よく今年に入ってから低迷していた不動産の市況も好転してきています。今からなら業者も分譲用地を積極的に仕入れていますので、いい価格が入ると期待しています。入札ですのでいくらとは断定できませんが、7億円は超えると見ています。一般に路線価格は、公示価格すなわち時価の80%に設定されていますので、路線価ベースで約6億円ですので、公示価格ベースは7億5000万円になります。不動産業者は時価で買っていては儲けがでないので、時価より安くないと買わないのが常識ですが、ミニバブルの今の市況からすれば、公示価格ベースを上回るかも知れませんね。」
「日下君、あまり皆さんに期待を持たせては、困るよ。皆さん、勿論期待はしていただいてもいいんですが、その配分金で次のご自宅を購入される方は、堅く見積もっておいてくださいね。不動産は代金を貰うまで何が起きるかわかりませんから。」私が少し慎重にと念押しして、入札の日程などの話に繋げた。
「最後に契約などの日程について今考えております概要をお知らせいたします。」
「ちょっと待ってください。先程の売却金額の件ですが、例えば7億円で売れたとしたら、最終的にいくら手許に入るか教えていただけませんか。」買い替えをする長女の美津子が心配顔で聞いた。
「はい、概算ですが計算してあります。」
私は準備しておいた試算資料を各人に配りながら解説する。
「売却価格が、かなりぶれる可能性がありますので、想定売却価格を6億円から5000万円刻みにしてあります。それぞれの売却金額から仲介手数料や測量費、今回の執行に掛かった経費と私どもの執行報酬などを差し引いた残額を、皆さんの配分割合で按分してあります。更に、手取り金額から、土地を売ったことによる譲渡所得税も先行き払わなければなりませんから、差し引いていくら残るかを表示しておきました。税理士の迫間先生に計算していただいておりますので、大筋この数字を目安にしていただければ結構かと思います。よろしいでしょうか。」
「はい。これなら良く分かります。ありがとうございます。」
「では、改めて日下より、入札から契約、決済までの日程を説明させていただきます。」
「まずは、測量を始めます。その一方で、入札の条件を詰めた上で、私どものネットワークを活用して不動産会社に入札要綱を配布します。その後、日にちを決めて現地内覧会をすることになると思います。実際に現地の状況を見せた上で入札金額を決めてもらいます。今の見通しでは、入札は最短で二ヶ月先と思っています。入札の当日は、各社が金額を書いた札を持ち寄りますが、締め切り時間が過ぎましたら、すぐに皆さんと相談して売却先を決めようと思っております。」そのまま日下が続ける。
「そしてすぐに先方に通知して売買契約の準備に入ります。売買契約を入札から約半月、その後2ヶ月後に残代金を決済する日程を計画しています。」
 日下が説明した後、私が補足する。
「ですから、遅くとも9月には入札を実施して、年末までには決済できるようなスケジュールを考えています。また、10月頃に売買契約を締結すると、多分20%の手付金が入りますので、いろいろな事情でお金が必要な方は、ご自身の配分割合の範囲で前渡しすることは可能ですので、おっしゃってください。一方、最終の残代金を決済してお金が入ってからは、私どもで最終的な配分精算の計算がありますので、皆さんにお金を配分できるのは、年が明けて1月の終わりになると思います。ご自宅を住み替える方は、そちらの資金繰りの関係があると思いますので、早めにご相談ください。」
そこまで聞いて幸江が発言した。
「分かりましたが、まだ私は移転先を正式に決めた訳ではないんですよ。希望に合いそうな物件が出てきて検討している段階なので、もう少し待ってくださいよ。」
「義姉さん、まだそんなこと言ってるのかい。いい加減にしてくれよ。もうおやじが死んで1年以上、経っているんだぜ。」
「だって、しょうがないでしょ。あなたは動かなくていいからそんなことが言えるのよ。」
「一郎兄貴はアパートに移るって言ってるんだ、万一いい物件が出てこなければ、取り敢えず賃貸に移ったらいいじゃないか。今のスケジュールで行こうよ。」
「そうですね。多分、購入する業者も年末までには決済したいと思いますし、このままずるずると行っては、以前と同じ繰り返しになってしまいますから、このスケジュールで進めさせていただきたいと思います。」
「でも、研一にも相談しないと。」
「何言ってるんだ。研一に何が分かるんだよ。」また昭三が悪態をつく。
「まあ、とにかく進めて行かないと解決しないんだから、問題が出たらその都度考えて行こうよ。杉山さんたちが一番いい方法を考えていただいてるんだから、こちらも協力していかなきゃいかんのじゃないか。」
 最後の一郎の一言で、入札方式により予定した日程で進めることとなった。

平成19年8月
 夏のお盆休みが明け、ようやく不動産業界も動き出した第4週の火曜日の午後、背広姿の男たちが、12、3人、吉祥寺の重田家の庭に集まった。内覧会と言っても、家の中は関係ない、土地を見るのだ。日下が隣地との境界や灯篭の撤去などにつき説明している。質問も隣地からの越境物や上下水道の埋設状況、井戸の処理などプロの会話だ。
 また、吉祥寺は井の頭公園があり、その付近からは古代の遺跡が発見されており、財埋文化財包蔵地に指定されており、業者たちは皆そのことを気にしているようだ。日下の説明では南町3丁目の公園に近い南側は包蔵地に指定されているが、ここ3丁目の北側は大丈夫だそうだ。確かに、建物を建てようと掘り返し、万一文化財が出てしまうと購入者がその保存に掛かる費用を負担しなければならないから、慎重になるはずだ。

平成19年9月
 この現地内覧会から2週間後、いよいよ入札の当日。
幸江も12月の初旬には、移転することを約束したので、ようやくこの日を迎えることができた。あとは、いい値段が入ることを祈るだけである。
 入札の締め切りは午後3時と決められた。銀行が閉まる時間だ。
16社の不動産会社が札を持ち込んだ。いずれも、中堅から大手ばかり、3社程知らない会社があったが、まずまずの数である。
 支店のシャッターが閉まったのを確認して、入札を締め切った。
隣の財コンルームで待っていた一郎、美津子、昭三の3人にも契約室に入ってもらい、皆の前で箱を開け、札を出す。札と言っても、購入希望金額と先方の希望条件が書かれた記入用紙が入った普通の封筒だ。
16通の封筒を私と日下、今日は泉FAにも立ち会わせたので、3人で封を切り記入用紙を金額の高い順に並べて行く。重田家の3人は、興味津々で見つめている。
 驚きである。3時ぎりぎりに持ち込んできたスイスハウジングがトップ、7億8500万円。
次が、新宿の山の手線不動産で7億8300万円。たったの200万円の差、びっくりだ。
3位以下はだいぶ離れている。
 私は、この2社の用紙に特別な希望条件が書かれていないことを確認して、重田家の3人を見ながら日下に話し掛けた。
「日下君、スイスハウジングは信用面、資金調達面で問題ないかい。」
「ええ。全く問題ないですよ。あそこは、今流行りのツーバイフォーの建売を得意として、業績も順調なはずです。」
「それでは、皆さん、この2社の金額が断トツの上位です。特段、信用力に問題ないようなので、スイスハウジングが200万円高いので、ここと契約することになりますが、何かご質問がありますか。」
「我々は素人ですので、特に異論はありません。」
「それでは、明日にでも、日下の方から、スイスハウジングに連絡して、契約の準備に入りましょう。幸江さんと佐和子さんには、私からご連絡しておきます。」
「いや、いいですよ、私からしておきますから。でも、かなり高く売れたのでびっくりしましたよ。二人とも喜ぶと思います。」と、一郎も喜んでいる。
「本当にありがとうございました。」美津子もほっとしている様子だ。
「1年も待たされたんだから、このくらいあってもいいだろう。」昭三も機嫌を直したようだ。
 私も1年以上苦しんできただけに、正直、ほっとした。だが、不動産の取引は決済するまで何が起こるか分からない、まだ諸手を挙げて喜んではいけないと戒める。

平成19年10月
 翌月に入り、スイスハウジングの担当が挨拶といって、入札での指名のお礼にやってきた。
担当者に聞いてみると、大体60坪くらいに区割りして同社の高級輸入材住宅を建てて分譲するとのこと。敷地の形状は長方形ではあるものの、奥行きがやや深く単純に蒲鉾のように切る訳にいかない。そのため、道路に直接面する正方形の土地と、道路に接する間口が狭く奥が広くなっているいわゆる旗竿地とを組み合わせて区割りするそうだ。
敷地に突っ込み道路を入れて、奥を分割すると道路部分を損してしまうからだ。
やはり、プロは上手く区割りして効率よく敷地を売り易くするもんだと感心する。
 その翌週、いよいよ売買契約だ。この日も3人、朝10時に集まって貰う。幸江と佐和子は都合が付かず、前日までに彼らの分の調印など必要な手続きは済ませて、当日に臨んだ。契約書の調印が済んだら、当社の執行者口座に手付金1億5700万円を振り込んでもらう手筈となっている。
吉祥寺支店の契約室で双方の調印を確認したスイスハウジングの担当者が同社本社に電話して振込を指示、本社から取引銀行に指示が回り、振り込みがなされる。
 今日は、この振込を確認すれば手続きは終わりだ。手続きは意外と早く、11時半に振込を確認、3人にも伝え解散とした。
不動産仲介部の日下も喜んだ。リテール部門では、久々の大口の契約だ。
「契約も終わったから、ゆっくり何か旨いものでも食べに行こうか。」
「杉山財コン、ダメなんですよ。うちの部長から終わったらすぐに戻って報告しろと言われているんですよ。」
「そうか。じゃあ、簡単にラーメンでも食べるか。」
「いいですよ。また、さくらいですか。急いで行きましょう。」

平成19年11月
 契約が無事終わり1週間、最終分配の見通しを計算していると、幸江から手付金の内、2000万円を先に渡して欲しいと電話が掛かってきた。
 亡くなった清二の取り分は14%、幸江はその全てを相続しているので、2000万円なら自分の取り分の範囲内であり問題ない。移転先の契約の手付けにでも使うのだろう。
翌々日、払い出し依頼書に押印してもらうため、自宅に向かった。ダイニングキッチンに通されしばらく雑談に付き合った後、入札から契約までの一連の状況を詳しく報告する。
 話し終えると、幸江から思わぬ言葉が。
「ダメになりそうなんですよ。」
「えっ。何がですか。」
「立川の松丸さんから国分寺の物件を紹介してもらい気に入っているんですが、借地なんですよ。西多摩信金の融資も松丸さんに手配してもらって準備していたんですが、地主のお寺が担保提供は承諾しないと言ってきたらしいの。そしたら、融資はできないことになってダメになりそうなんですよ。」
「だって、今回の手付金の内、幸江さんの取り分を前渡しして欲しいって、移転先の契約金じゃないんですか。」
「そうですよ、契約の手付金を払うために準備をお願いしたんですが、昨日電話があったのよ。ダメになったら、ここの契約も少し延ばしてもらえないかしら。」
「冗談じゃないですよ。あれだけ念を押したじゃないですか。今度は絶対にダメですよ。あれだけ多くの人がここの契約に関わっているんですよ。多少の無理・無駄があっても絶対引っ越してくれなきゃ大変なことになりますよ。」
さすがに、私も熱くなった。万一、契約を反故にでもすることになったらもう終わりだ。必死で説得、いや説得というより叱り飛ばした。いつも穏やかな私がこの日だけは眼を釣り上げた。
「分かった、分かったわよ。できることならと思って聞いただけよ。まだ方法はあるようだから相談してみるから、そんなに怒らないでくださいよ。」
「お願いしますよ。今回上手く行かなかったらもう見放しますよ。予定通り12月の10日までには必ず引っ越ししてくださいね。」
 本当に冷や汗もんだ。全くいつまでも困らせてくれる。

平成19年12月
 あと5日、来週の水曜日には残金決済、土地の引き渡しだ。
一郎と美津子の自宅は先月の初めに既に取壊しとなり、最後に残った幸江も担保問題が解決して国分寺に家を買い、今月10日に約束通り引っ越して行った。
 今、最後の建物の取壊しが始まっている。後3日もすればきれいな更地になるだろう。更地になると一段と広く見えるはずだ。なんとかここまで来たという感じだ。

 いよいよ、引き渡しの日。吉祥寺支店の契約室にスイスハウジングの担当者が2人と司法書士、こちらは私と不動産仲介部の日下そして資金運用の担当者泉FA、重田家からは風邪をひいた長女以外の4人が揃った。
司法書士の先生が引き渡しに必要な書類のチェックを終え、OKを出すと、前回の手付金と同様、スイスハウジングの担当者が残代金の振込を携帯で指示する。
 実はこれから振込確認まで待つ時間が長い。最初は土地の分譲はいつからか、どんな建物を作るのかなど会話を繋ぐが、そのうち話題もなくなりなり、重たい時間が続く。やはり気を使うのは私の役目だ。重田家の移転先の状況など場を持たせようとするが間が持たない。沈黙が続く中、振込があったと連絡が入り、皆緊張から解放される。
スイスハウジングの2人と挨拶を交わし送り出した後、重田家の皆さんに語りかけた。
「お疲れ様でした。なんとか今日の日を迎えられました。いろいろとありましたが、既に皆さんも新しい場所で新しい生活を始められております。私どもはこれから最終の精算をいたしまして、皆さんに残金を配分する準備に入ります。来年、準備ができましたら、最終報告をさせていただきますので、最後にもう一度お集まりいただきます。よろしくお願いいたします。また、分配金を振込む口座を事前にご指定いただく依頼書をお送りしますので、返信をお願いします。重ねてのお願いで恐縮ですが、できましたら、すぐにお使いにならない資金は是非私どもで運用していただきたいと思っております。そのため、今日は資金運用の担当をしております泉にも同席させております。」
「財務相談課の泉でございます。是非ともよろしくお願いいたします。」
「それにしても、高く売れて良かったですね。けがの功名ということにして、皆さん仲良くしてくださいね。」
「本当にお世話になりました。本当にどうなるかと思いましたが、杉山さんが粘り強くやっていただいたからここまで来れました。本当にありがとうございました。」と長男の一郎から労いの言葉があった。
「できるだけ早く配分してくださいね。早く貰えればそれだけ早く借金を返せるから。お願いね。」
 ここに来て、今度はちゃっかりした幸江の発言だ。良く言うよと思ったが、口に出さず良いお年をと挨拶して散会した。

平成20年1月
 昨年の12月に土地の売却代金が入金して執行の実務は終わり、後は精算手続きだ。
精算事務手続きをアシスタントの裕子さんに依頼する。彼女の作成した精算計算票を精査・確認して最終報告書を作成する。それら一連の資料を支店長まで決済に廻し、決済が下りれば、各人の口座に精算した金額が振り込まれる仕組みになっている。
吉祥寺支店に口座を開設してもらい、振り込んだお金は泉FAが運用の提案をする段取りだ。
 長男の一郎は執行の苦労を共感してくれており、全額預けてくれるだろう。長女の美津子はマンションを買った時のローンを返さねばならないが、それでも十分余り、運用に廻してくれる筈だ。
 一方、幸江とはもう付き合いたくない。西多摩信金に全額振り込んでしまった方がすっきりする。
また、三男の昭三は何度も口座開設をお願いしても、良い顔をせず、結局外銀の口座を指定してきた。やはり、当方の執行に不満があったのだろう。最善を尽くしたつもりでも評価してもらえないこともあるんだと少し寂しい思いだ。
二女の佐和子の分は等々力支店に口座があったので、そちらの支店にフォローを依頼して振り込んだ。
最後に、全員に集まってもらい終了報告書に基づき執行手続きの顛末を報告して、了承してもらえば執行終了だ。
 1月の下旬に契約室に集まってもらい終了報告の会議が始まる。今回は三男の昭三の都合がつかなかったが、構わず進めてくれと言われ4人に説明することとした。しかし、全員から終了確認の承認書は取り付けないといけないので、改めて昭三には会わなければならない。
 まず、和夫氏の死亡から、預金の解約手続き、土地の売却の経緯などを説明すると、苦しかった時期を思い出し、ようやく終わったんだと実感した。また、当社の報酬については、既に個別に了解を取りつけた上で精算しているのだが、ここでも最終説明が必要だ。
 執行報酬は、遺言の対象財産の評価額に銀行で定めた一定の料率を掛けて算出するが、今回は400万円を少し越えた金額だ。財産の大半が自宅の敷地であり、広大地の評価減を適用して評価額を半分程度に減額したことで報酬も安くなってしまったのだ。
いつもは割高に感じる報酬もたった400万円か、倍貰っても釣り合わないと思う程、長く苦しい執行であった。
 亡き二男清二の妻幸江の我が儘で、皆が嫌な思いをしたが、そのため土地の売却が1年遅れたことにより、不動産市況が好転し、金銭的には良かったのかも知れない。しかし、逆に市況が悪化していたらと思うと・・・。
説明を終えると、4人から重ねてお礼を言われ、長かった執行の重荷から解放された。

平成20年3月
 もうすぐ桜の開花宣言が出ようとしいてる3月下旬、迫間税理士から電話があった。
「杉山さん、ちょっとヤバイんですよ。例の重田さんの案件、武蔵野税務署から広大地評価は認められないと言ってきたんですよ。」
「何言ってるんですか。事前に確認するって言ってたじゃないですか。」
「勿論、打診はしてますが、担当者ベースなんで絶対はないんですよ。」
「だって、突っ込み道路を入れた図面まで添付して申請したんじゃないですか。」
「最近不動産価格が上がってきたこともあり、広大地の評価減を使う人が多くなり、当局がナーバスになってきてるんです。」
「認められなかったら、評価額が倍になって、税金も相当追徴されるでしょ。まずいですよ。何としても折衝して認めて貰ってくださいよ。」
「勿論、全力で交渉しますが、相続人の皆さんにも状況説明はしておいてくださいね。」
これは困った。ようやく重田案件から手を引けたと思った矢先である。
 確かに、土地を売ったスイスハウジングも道路は入れずに、区割りを工夫して分譲すると言っていた。そのように分けることが可能なら、評価減の適用は受けられなくても仕方がない。
スイスハウジングの分譲計画が発表されてしまったら、税務署の言うとおり評価減はまず認められないだろう。時間との勝負となるかもしれない。急いで電話を折り返し、すぐに交渉を進めるよう先生に念を押して、長男の一郎にだけ状況を報告した。遺言執行者としては、相続税のことは職務外だとは分かってはいるが、ここで逃げ出すわけにはいかない。

平成20年4月
 翌月、渋い顔の迫間税理士と幸江を除く4人の相続人が契約室に集まった。
重苦しい雰囲気の中、仕方なく私が切り出した。
「お忙しい中お集まりいただきまして恐縮でございます。お電話でおおよそお話しいたしましたが、昨年のお父様の相続税の申告で税務調査がありまして大きな問題が発生してしまいました。これから迫間先生よりご説明いただきますが、対応をご相談して参りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。」
「では、ご説明いたします。昨年申告の時にもご説明したとおり、お父様の自宅敷地につきましては、300坪の広さがあり広大地として評価減を受ける対象地であるとして申告いたしました。勿論その根拠として測量会社に依頼して戸建分譲した場合の道路計画の図面まで添付して申請いたしました。その件は、当時皆さんにもご説明してご了解いただいたと思います。」
迫間先生は続ける。
「ところが、今般税務調査と言うことで武蔵野税務署が本件を検証し、広大地の評価減は認められないと言ってきました。当然、当職としては、強硬に反論いたしましたが、頑として受け付けられませんでした。杉山財コンからも再交渉を頼まれましたが、やはり聞く耳持たずという感じです。どうやら、この評価減の制度が広く認知されて利用する人が増えたため、当局も適用条件を厳しくしてきたんだと思います。昨年の申告前は担当者ベースで、問題ないようなニュアンスだったのですが・・・。」
「それで、私たちはどうすればいいんですか。税金をもう一度払い直すんですか。」
「今の税務署のスタンスですと、評価減を受けられない普通の土地、自用地として計算し直して、差額を修正申告して納めざるを得ない状況です。」
「いくら納めなきゃいけないんですか。」
「一応計算してきてあります。この表を見てください。」
迫間先生が各人に試算表を渡して説明する。
「皆さん個人毎に納めなくてはならない差額とその分に対する延滞税が掛かりますので、その合計額を一番下に算出しておきました。」
「冗談じゃないよ。倍、いや倍以上だよ。」 「困ちゃうわ。」などと口ぐちに文句を言い出した。困り顔の迫間先生を見かねた一郎が、皆を宥めながら口を開いた。
「これからまた税金の追徴とはなんともやりきれないが、評価額以上で売れているんだからしょうがないかもな。」
それを受けて、三男昭三が切り返す。
「確かに、先生から評価減が認められないかもしれませんとお話を聞いた記憶はあります。もっと慎重に調べてから申告していただきたかったですね。それと、延滞税のことは聞いていませんよ。それは我々が負担するものなんですか。」
「そ、そうですね。結果的に延滞税が掛かってきてしまうので・・・。」なんとも歯切れが悪い。またまた、詰まってしまった。そこに昭三が追い打ちをかける。
「万一、その評価減が認められないとなって、相続税の差額を払うのはしょうがないとしましょう。でも、延滞税は払わないですよ。どうしても払わなきゃならないんなら、先生の事務所で、いや杉山さんの銀行でもいいですからそちらで払ってくださいよ。」
「ちょっと待ってください。」やむなく私が口を挿む。
「まだ最終決定ではないんで、今日、何かを決めなくてもいいんです。皆さんのご意向も踏まえ、もう一度先生に交渉してもらおうと思っています。ですよね、先生。」
「はい。ご意見は良く分かりましたので事務所に持ち帰り相談して、再交渉してみます。」
またまた、困った問題だ。いや、一番の大問題だ。下手をすれば紹介責任で実損もあり得るかも知れない。
取り敢えず散会してから、迫間先生と打合せる。
「先生、これはかなり大きな問題ですよ。私も適用できると思っていましたが、ダメとなったらやはり延滞税については責任を問われますよ。ダメだった時の説明をしておかなきゃいけなかったですね。」
「そうですね。すみません。」
「なんとか方法はないでしょうかね。」
「事務所の顧問の先生方にも相談してみます。」
「頼みますよ。本当に頼みますよ。」

平成20年5月
 10日が経って迫間先生から連絡があった。
「いろいろ検討して、当局とも何回か折衝したんですが、最終的には広大地の評価減は使えませんでした。すみません。でも、妥協案を引き出しました。これで何とか説得したいので、杉山財コン協力してください。」
「どんな妥協案なんですか。」
「税務当局はこの土地を分譲するとしても道路を入れる必要はない、正方形の土地と旗竿地を組み合わせて分筆すれば分譲は可能だから、広大地の評価減は認められないと言ってきました。どうしても、広大地の評価減は適用できないなら、その分譲の組み合わせの土地ごとで相続税の評価をしてくれと申し入れました。全体を自用地として、評価すると6億2000万円になりますが、5区画に分割して評価すると、5億9000万円となります。これを強引に認めさせました。評価額が3000万円引き下がれば、税額で約800万円は減額となりますから、これに延滞税を払っても、当初から全体を自用地評価で納税するより有利になります。皆さんにこれで手を打って貰えないでしょうか。」
「なるほど。良くそんな交渉ができるもんですね。」
「うちの事務所には、それなりの顧問の先生がいますので、それなりの知恵が出てくるんですよ。」
「あの昭三さんが何と言うか分かりませんが、先生が交渉していただいた妥協案で行ってみましょう。」
 早速、長男の一郎を通じ集まってもらい、迫間先生から詳細を説明、多少は有利になった旨を理解してもらい了解を得た。いつも必ず文句を付ける昭三も今回はすんなり了解してくれた。さすがに彼も、もうこの件で文句を言うのはうんざりなのかも知れない。こちらもくたびれたと言うのが本音だ。
契約室から事務室に戻ると、決着が付いたかと次長が心配そうに聞きに来た。
「はい。なんとか納得してもらえました。あとは、先生が無償で修正申告してくれますので、大丈夫でしょう。」
「そうですか。良かった。実損になるんじゃないかと心配しましたよ。」と、安心して自席に戻って行った。隣の岸田財コンからも声が掛かる。
「今回は、迫間先生も少し甘かったね。広大地が適用できない恐れがあったら、評価減を適用せずに一旦申告、納税しておいて、後から更正の請求をかければ良かったんだよ。」
「なるほど、そういう方法もあるんですね。でも、去年の申告する時はまず問題ないと思っていたんですよ。」
「それから、今回のトラブルは、亡くなった二男の家の立ち退きが問題になったんだろ。遺言を作る時に兄弟間でコンセンサスを取り付けておけば良かったんだよ。」
「そう思ったので、あの時、川崎先輩が長男を通じて、兄弟に伝えたんですが、清二さんが死んでしまいましたからね。」
「確かに死んじゃあしょうがないな。それに、そんな話をすると生前に揉め出すケースもあるから、注意しないとな。」
「難しいところですね。」
「そうだな。当初いくら完璧な遺言書を作っておいても、時が経てば、相続人も財産の状況も変わってしまう。だから我々財コンは、その状況に応じて知識とノウハウをフル活用して、相続人のため公平にしかも柔軟にこの仕事を進められるか真価を問われているんだよ。まあ、言ってみれば人間力の勝負だな。単なる執行事務をするだけなら、その辺の銀行員にやらせておけばいいんだ。杉山もこの2年間でだいぶ成長したよな。」
「ありがとうございます。結構辛かったですけど、何か掴めたような気がします。」

平成20年6月
 その後、迫間先生が無報酬で4人の修正申告で請け負い、納税を済ませて、重田案件は終息した。
少し落ち着いたところで、アパートに引っ越した一郎の新居を訪ねた。特に銀行の手続きがある訳ではないが、今回のトラブル続きの執行を支えてくれたお礼も言いたいと思い、ぶらっと寄ってみたのだ。
突然の訪問であったが、一郎は歓待してくれた。奥さんとお茶を飲みながら、兄弟たちの近況を聞きながら、この2年間を振り返った。
「お父様が亡くなってから、もう2年ですね。」
「色々ありましたが、やはり親父が遺言を残してくれて助かりました。杉山さんのような第3者が入ってくれなければ、とても解決できなかったと思いますよ。間違いなく裁判になってまだ終わっていなかったでしょう。本当にありがとうございました。」
「私もこんなケースは初めてでしたが、遺言の執行者として、委託を受けたお父様を思い出しながら、その意思を実現してあげようと必死でした。」
「この年になって遺産をたくさんもらっても使いようもないので、兄弟均等でもよかったんですが、今になって私の取り分をみんなより多くしてくれたことにも感謝していますよ。」
「それはそうですよ。同居していた一郎さんが一番面倒をみられたのですからね。」
「違うんです。親父の世話をしたのは、女房ですよ。親父は直接言わなかったけど、女房には感謝していたんです。だからご褒美を残したんでしょう。」
「あら、そう言われたらうれしいですわ。お父様は最後まで惚けずにしっかりされていましたから、介護はそれなりに大変でしたが、嫌な思いはしませんでしたよ。」
「お前がそう言ってくれたら、親父も喜んでんじゃないか。こう言えるのも杉山さんとお宅の遺言信託のおかげだね、改めてお礼を言わせてもらいますよ。」
 重ねて礼を言われ、一郎がこの「争族」の戦いでの同志のように思えてきた。
これからは、個人的に親しくお付き合いくださいと言って帰ろうとすると、一郎は妻と共に外房の老人ホームへの入居を決めたと寂しそうに笑った。

6 2通の遺言書

平成16年10月
 5年前まで海老沢薬品の常務をしていた西田良夫が長い療養生活の末、亡くなった。
昨日、奥さんの西田美登里から死亡連絡が入り、地域担当の清水FAが訪問した。清水は支店に戻ると、自席に着く前に私の机にやってきた。
「財コン、明日、高井戸の西田さんの所へ一緒に行ってもらえませんか。」
「西田さんって、遺言書の保管客かい?」
「いいえ、うちの保管客じゃないんですが、ご主人が亡くなって自筆の遺言書が2通出てきて、奥さんがどうしたらいいか教えて欲しいって言ってるんですよ。」
「行くのはいいけど、その遺言書見たのかい。」
「きちんと読んだ訳じゃないですが、1通は奥さんに全部、もう1通は菩提寺に一部を寄付して残り全部を奥さんにってなってるらしいです。」
「そうか。後から書き直したんだな。検認は済んでるの。」
「いえ、まだそこまでいっていないと思います。」
そこに、アシスタントの有紀ちゃんが口を挿んだ。
「財コン、検認ってなんですか。」
「えっ、有紀ちゃん検認知らないの。この業務をやってて検認知らなきゃまずいんじゃない。」清水FAが得意げにからかった。
「だって、私、兼務ですから。」
「まあまあ、お二人さん。検認とは自筆の遺言書を発見した人や相続人が、家庭裁判所に遺言書を持ち込んで、その存在を確認、証明してもらう手続きのことだよ。この検認をしないと、自筆遺言は効力を持たないんだ。うちの遺言信託で預かっているのは全て公正証書遺言だからその手続きは要らないんだよ。」
「へ~え。そうなんだ。面倒くさいんですね。」
「じゃあ、明日行って遺言書を見せてもらおう。その遺言に従って、うちで遺産整理させてもらえたら仕事になるんだがな。」
「多分、奥さん、何も分からないと言っていましたから、お願いすれば遺産整理業務も受託できるんじゃないですかね。」
「遺産整理業務」とは、信託銀行が相続人全員から委任を受け、代理人として一切の相続手続きを行う信託独自の有料のサービスである。相続人は相続財産の分け方を決めれば、不動産の名義書換や預金の解約などは全て信託銀行が手続きしてくれる。悲しみの中、煩わしい手続きから開放され多くの方々から喜ばれている業務である。
「よし、じゃあ明日、何時だ。」
「できれば午前中がいいと言ってましたから、10時出発で行きましょう。」

 翌日、吉祥寺から井の頭線で高井戸まで行き、5分程で西田家に着いた。こぢんまりとした一戸建てのチャイムを押すと、小柄で今にも折れそうな奥さんが現れた。
セーター姿で現れた美登里は、72歳、夫の死が余程こたえたのだろうか、年齢以上に年寄りに見えた。聞けば、ここ4年間は看病、入退院の繰り返しで渋谷までも出掛けたことがないと言う世間知らずの奥さんである。
「どうぞ、どうぞ。」と、美登里は我々を招き入れると、居間で熱いお茶を出してくれた。
「お忙しいところ、連日来ていただいてありがとうございます。私、夫の看病しかしてなかったので、亡くなって何からどうしたらいいのか分からなくって。清水さん、ごめんなさいね。」
「今日は、うちの銀行の相続の専門家を連れてきました。杉山と申しますので、何でも聞いてくださいね。」
清水FAが切り出してくれたので、こちらの自己紹介から始めた。私は、初対面の方には、自分のプロフィールを渡すことにしている。会社での経歴や得意としているコンサルティングの分野、趣味や座右の銘まで書いてある。これから長く付き合う相手がどんな人間かを知ってもらうことが信頼関係構築の第一歩と考えているからだ。

「わざわざ専門の方に来ていただいて、ありがとうございます。ほんと、何から聞いたらいいのか、皆目分からなくって。」
「でも、ご主人が遺言書を残されているとお聞きしましたが、まずそれを見せていただいてから、順番にご案内いたしましょう。」
「ああ、そうですね。遺言書が2枚も出て来てどうしたらいいのか、それで清水さんにお聞きしたんです。」と、言って2通の遺言書を持ってきた。
2通とも白い封筒の表に遺言書と書かれてあり、封はしていなかった。中身はそれぞれ1枚だけ。広げて見ると、堂々とした筆跡で、遺言が書かれてあった。
「こちらは、平成6年の2月、もう1通は翌年の平成7年5月に書かれたんですね。」
「その当時はまだ会社にも出てました。何かお友達にいいことを聞いてきたと言って、何やら書いていました。これがあれば、お前は安心だよ。と言っていましたね。」
「お二人にお子様がいらっしゃらないのですね。」
「はい。残す者がいないのも寂しいものです。」
 遺言を書いたのは、10年前。海老沢薬品に勤務していた西田良夫の夫婦には子供がいなかった。残された妻の生活と相続を心配した彼は、友人のアドバイスで、自分の3人の妹と揉めないように遺言書を残したのだ。
子供がいない夫婦は、先に片方が亡くなると残された配偶者と共に、亡くなった人の親か兄弟姉妹が法定相続人となる。親が生きている場合は妻と親が相続人になるが、親が存命の場合は極めて少なく、兄弟姉妹が相続人となるケースが圧倒的に多い。
法定相続人になるということは、残された財産の配分を受ける権利がある。その法定相続割合は民法で決められている。妻と兄弟姉妹が相続人の場合、妻が4分の3、兄弟姉妹は4分の1が法定相続分だ。
 若い時、兄弟姉妹は一緒の家族として生活しているが、相続が発生する頃はそれぞれ別々の家族ができていることが一般的で、それぞれの家族が作り上げてきた財産を相続で兄弟に分けるのは、かなり違和感がある。子供がいれば法定相続人は配偶者と子供で問題ないが、子供がいなければ兄弟姉妹が相続人として登場してきてしまう。
意外とそのことを知らない人が多い。社会的にそれなりの地位にいる人でも、家族は妻しかいないから、当然俺の財産は妻に行くんだと思い込んでいる人が結構いるようだ。
 妻からすれば民法で決められた義理の兄弟姉妹への配分には納得できないことが多く、トラブルになることも少なくない。但し、私は要らない、放棄するよと言ってくれる兄弟姉妹も多いことも書き添えておこう。
また、民法では遺言と遺留分という制度を設けている。
 遺言は、遺言書を作成することにより、自分の財産の遺し方を自分の意思で決めることができる制度である。法定相続人であろうとなかろうと、残したい人には多く、あげたくない人には何も残さないことが可能なのだ。
一方、遺留分は逆、一定の範囲の相続人が最低限の相続分が受け取れることを保障する制度だ。
被相続人の意思とはいえ遺言や贈与などにより、本来相続で受けられるはずの財産を引き継げず、生活が危うくならないための制度だ。
 極端な例だが、遺言により同居している妻に全く財産を残さなかったら、妻は翌日から住む場所さえ失ってしまう。それを防ぐため、最低限相続できる遺留分を取り戻すことができるのだ。
この遺留分は、生活保障の観点から作られたものなので、妻、子供、親だけに認められており、兄弟姉妹には遺留分の権利はない。やはり、兄弟姉妹は、既に別生計になっているケースが大半だから最低保障は要らないのである。
ここまでくれば、子供のいない夫婦が遺言を書く理由が分かるであろう。自分の全財産を妻にあるいは夫に相続させると書けば、遺留分の権利のない兄弟姉妹の登場を阻止できるのだ。
 当社の遺言書の保管件数の内、一番多いのは、このお子さんのいない夫婦の遺言だ。
西田良夫もこのケースである。自分の亡き後、大人しい性格で争いごとなどできない妻が3人の自分の妹たちと渡り合えるとは思えず、友人のアドバイスに従い、10年前に遺言書を書いたのであった。

「これを読みますと、最初ご主人は奥様に全部残すと書かれて、後で菩提寺に300万円の寄付を付け加えられたんですね。」
「財コン、平成6年の方は2月末日となってますが、具体的な日にちじゃないですよ。あっ、もう1通は、5月吉日ですよ。両方とも無効じゃないですか。」清水FAが重要なことに気が付いた。勿論、私は気付いていたが・・・。
「そうだな。吉日は無効だ。研修会で弁護士が明確に言ってたから間違いないよ。ただ、末日は日にちを特定できるから、有効かもしれないよ。若干自信がないから、帰って確認しよう。」
 日付以外、自筆遺言の必要な要件は整っているようだ。全文を自筆で書く、自署と押印、問題となっている日付がその要件だ。あとは、相続発生後に検認を受けることも要件と言えるだろう。
「杉山さん、両方とも無効でしたら、どうなるんですか。」美登里が心配気に聞いた。
「万一、両方の遺言書が無効ですと、奥様とご主人の妹さんたちと分割協議をすることになります。妹さんは何人ですか。」
「3人ですけど。あの人たち、私あんまり得意じゃないんです。」
「多分、最初の遺言書は有効だろうと思いますよ。戻って調べたらすぐご連絡しますから、少しお待ちくださいね。」
「よろしくお願いします。よろしくね。」
「それと、遺言書が有効でしたら、検認という手続きをしなければなりません。遺言書の保管者が裁判所にそれを提出して遺言の存在確認をしてもらわないと無効になってしまうんです。」
「さ、裁判所ですか。」
「そうです。都内にお住まいの方は、霞が関の本庁の家庭裁判所に行くことになりますね。」
「無理です。私そんな所、恐ろしくって行けません。」
「でも奥さんが行かなくてはご主人の意思が実現できませんよ。よろしければ私がご一緒してもいいですけど。」
「裁判所に行って何をするんですか。」
「最初は、遺言書の検認の申請をするだけですよ。奥さんを含め相続人が誰であるかを確認できる戸籍を準備する必要はありますけどね。その後、相続人全員に呼び出しがあって、その場で遺言書が開けられ存在確認の手続きがなされるんです。」
「遺言書を開けると言われましたが、主人のは初めから開いていたんですけど。私が開けたんじゃありませんよ。」
「大丈夫ですよ。法律では検認前に開封すると科料と書かれてありますが、悪意がある場合などは別として開封についてはあまりうるさいことはありませんから。」
「でも、杉山さんにご一緒いただくのは申し訳ないですね。お礼はどうしたらいいんですか。」
「家裁への同行は一度きりの話ですから、お礼なんて特にいりませんが、もしよろしかったらご主人の相続手続きを当社にお任せいただけませんか。」
「勿論、初めからお願いするつもりよ。」
「遺産整理業務と言って信託銀行が相続人などの代理人になって相続事務を代行するサービスがあるんです。今回は、遺言書に執行者を奥様に指定するとありますから、本来執行者である奥様が全ての遺言の執行事務、言い換えれば相続手続きを行わなければならない訳ですが、その仕事を信託銀行に委任すると言う形になります。」
「私には執行事務なんて分かりませんから、是非お願いします。ほんとお願いしますね。」
「分かりました。ただ、お引き受けすると費用が掛かりますし、これからその報酬や業務の内容を説明させていただきますので、十分検討した上で依頼してくださいね。」
焦る美登里を押さえながら、当社で行う仕事の内容と報酬を説明する。特に報酬は遺産額によって異なるが、相続財産の評価額合計の0.5~2.0%程度で、最低でも100万円となるので、十分な説明が必要なのだ。
更に当社ではできない生命保険金の請求や相続税の申告などは手続きの仕方や税理士の紹介などのアドバイスも忘れてはならない。
「ところで、奥様、死亡届けは出されましたか。」
「はい。葬儀社の方が手配してくださいました。」
「それでは、ご主人の除籍謄本と相続人の方々の戸籍は手配できますか。」
「よくわかりません。義妹たちに頼めばいいんですが、あの人たちも忙しいようで嫌がるんじゃないかしら。」
「それなら、若干費用は掛かりますが、戸籍は司法書士に頼んで全部揃えて貰いましょうか。」
「お願いできるのなら、そうしてください。」
「分かりました。それでは、今日はこれで失礼しますが、会社に戻りまして遺言書の日付が有効かどうか確認してご連絡いたします。それから司法書士に手続きを頼む委任状に署名・捺印が必要になりますので、一両日中にまたお伺いいたします。」

 支店に戻り、早速遺言書の日付について調べてみると、思った通り、「吉日」は日にちが特定できないので、遺言書は無効、一方、「末日」は月の最終日が特定できるので、有効との判例が見つかった。折り返し奥さんに調べた結果を報告、来週の月曜日に訪問すると約束した。

 翌月曜日に清水FAと訪問すると、立川に住む弟の杉原信夫が来ていた。
「姉がお世話になっているようで、ありがとうございます。姉は何も知らないんでよろしくお願いします。何か親族がやれることがあれば言ってください、お手伝いしますから。」
立川の砂川で自動車の修理工場をやっているそうだ。社長にしては腰の低い感じのいい人だ。
一緒にこれからの手続きなどの説明を聞いて貰うことにした。
「まず、今日は戸籍を取る作業を司法書士に頼む委任状に署名・捺印をお願いします。」
準備してきた書類を出して署名してもらう。
「これで、司法書士に依頼しますので、戸籍が揃ったら、検認に行きましょう。先日ご連絡したと通り平成7年の5月吉日となっている方は無効ですが、最初に書かれた末日は有効ですから、奥様は全部を相続できますよ。良かったですね。」
「その話は姉から聞いてほっとしましたよ。あの義妹たちと分割協議だなんてややっこしいですからね。」
「でも、後のが無効ということは、正連寺への寄付はできないんでしょ。何か悪いような気もしますね。」
「いいんですよ、寄付しても。奥様が一旦全財産を受け取った上で、ご主人の代わりに奥様が寄付すればご主人の意思も叶えられますよ。」
「そうなんですか。」
「法律的にはご主人の遺言により寄付がなされれば、遺贈となります。奥様が受け取った後に寄付すれば、相続財産を寄付したことになり、相続税の対象からも除かれますので、税法的にも効果は一緒になります。菩提寺に寄付するとした後の遺言書は無効ですが、ご主人の意思を尊重するなら、正連寺に寄付されたらよろしいと思いますよ。」
「いいことを聞きました。正連寺の住職にはお世話になっていますので、そうさせていただきます。ところで、杉山さん、主人の生命保険のことですが、やはりそちらで手続きはしていただけないんですか。分からないので、弟に来てもらったんですけど。」
「それは申し訳ありませんでした。でも、ご主人が被保険者になっている生命保険なら、保険会社に請求すれば1週間ぐらいで受け取れますよ。受取人は奥さんですよね。」
「はい。3本とも全て私が受取人です。」
「生命保険金は被保険者が死亡すると、その時点で、受取人の固有の財産になるので、相続財産ではないんです。遺言は相続財産をどう配分するかを指定するものなので、生命保険は遺言執行の対象外なんです。ですから手続きもご自身でやっていただくことになります。」
「でも、そんなことしたことないから出来るかしら。」
「大丈夫です。難しいことはありません。保険会社に電話すれば必要な書類のことから、どこに送ってくれと丁寧に教えてくれますから。」
「分かりました。さっき弟に保険会社の連絡先だけは確認してもらいましたから、後で連絡してみますわ。」
「よろしければ、保険の証券を見せていただけませんか。先方に連絡するなら保険証券をお手元に置いて電話した方がいいですよ。契約の番号などを聞かれますからね。」
奥の部屋へ行って証券を探すが、書類が錯綜しており、なかなか戻って来ない。
「姉さん、もういいよ。後で俺が探してやるから。すみませんね。忙しいのにお待たせしちゃって。」弟の信夫が気を使ってくれる。
「ごめんなさいね。私、もう混乱しちゃっているので。」
「結構ですよ。落ち着いて探してください。最後にもう一つ、遺言書の検認の前に、ご主人の義妹さんたちに遺言書のことを知らせておいた方がいいかなと思っているんですが、いかがでしょうか。ちょうど弟さんも来られていますので相談しておきましょう。」
「ですが、検認すれば相続人全員が裁判所で遺言を見ることになるんじゃないですか。」と、弟。
「おっしゃるとおりですが、彼女たちはわざわざ裁判所まで行って、1銭も貰えないんですよ。何で事前に教えてくれないのって怒る人もいると思うんですが。」
「そうね。あの人たち何を言い出すか分からないわ。どうしたらいいかしら。」
「やはり、奥様が事前に遺言の内容と検認の手続きをするので呼び出しが行くことをお知らせしておくべきでしょう。」
「私が・・・。杉山さんがお知らせしてくれませんか。」
「お気持ちは分かりますが、当社は検認が済まなければ、業務をお受けできないので、やはり奥様にしていただくしかありません。頑張ってください。」
「そうね。あの人たちも話せば分かってもらえるでしょう。」

「ところで、ご主人の妹さんは3人ですよね。彼女たちには遺言書での配分はないのですが、遺言書を見る権利はあるんです。法定相続人として相続権がありますので、遺言書でその権利がどうなっているのか確認しなければ納得できないでしょう。ですから、検認の手続きで遺言書を見せなければならないのです。」
「わざわざ集まってもらって、全部私が貰ってしまっては申し訳ないですね。」
「そうなんですよ。わざわざ来たのに何だと怒り出す人もいますので、義妹さんたちがこの遺言の内容をどう受け止めるのか、ニュアンスをお聞きしておきたいのですが。それとまだ検認まで時間はありますが、早めに3人にお会いしておいた方がいいと思います。」
「そうですね。皆さん、忙しいと言っても、お子さんは独立されているので時間は取れると思いますが、母の世話に交替でホームに行ってますから、その調整だけでしょうね。」
「えっ。母って誰のお母さんですか。」
「主人の母ですけど。」
「え~っ。お母さんはおいくつなんですか。」ずうっと黙って聞いていた清水FAが口を挿む。
「103歳になりますが、老人ホームで健在なので、義妹たちが交替で会いにいっているんです。」
「それじゃあ、相続人が違ってきますよ。奥さんとお母さんが法定相続人になるんですよ。」
日本では人が死ぬと、民法によってその人の相続人と相続分が決められる。法定相続人は家族構成によって自動的に決まるのだ。
まず、配偶者はどんな時でも相続人になる。次に、第1順位は子供だ。万一、子供が死んでいて孫がいれば、その孫が子供に代わって権利を引き継ぐ、代襲相続という制度だ。子供など直系卑属がいなければ、第2順位は親など直系尊属、第3順位は兄弟姉妹という順番となっている。先順位者がいれば後順位には権利はない。今回の西田良夫のケースでは、子供がいないので、配偶者である美登里と第3順位の兄弟姉妹の妹たちが相続人と思っていたら、第2順位の母親が存命であったため、法定相続人を勘違いしていたのだ。


「でも、遺言書で私が全部貰えるんじゃないですか。」
「そうですが、一つ問題があります。妹さんたちが法定相続人なら遺留分がありませんが、お母さんには遺留分があるんです。」
「遺留分ってなんですか。」
「被相続人、つまり死んだ人からみて、配偶者、子供、親が相続人になる場合は、それらの人はそれぞれ遺留分と言って最低限相続できる財産割合が法律で決められているんです。例えば、今回の場合、お母さんは法定相続分として3分の1の権利がありますが、その権利を遺言書によってゼロにさせられてしまっています。その分は奥さんに来ていますね。お母さんがゼロにされて不満であれば、奥さんに対して遺留分の財産を返せと請求できるのです。これを法律用語で遺留分減殺請求といいます。遺留分権利者であるお母さんは、その権利を行使すれば6分の1までの財産を、奥さんから取り戻すことができる訳です。但し、請求しなければ、遺言のとおり全部が奥さんのものになります。」
「お母さんはそんなことを説明されても分からないと思いますよ。もう、生きているだけで精一杯ですから。」
美登里の言うとおり103歳では、説明しても分からないだろう、だか、遺言書の検認はしなければならない。どうしたらいいのだろう。
美登里から、年長の義妹は3姉妹の中では物分かりのいい方だから相談してみるということになった。

 帰りがけに清水FAが、腹が減ったと言い出した。それなら、がっちり食べようということになり、高井戸駅からちょっと離れた人見街道に面した洋食屋「イート」に行くことにした。
ここの名物料理は、やはりミートパトラだ。グラタン用の皿にひき肉を敷き、上にトマトと卵を乗せ、オーブンで焼きあげた唐辛子を利かせたハンバーグのような代物だ。とにかく辛いので、辛いのがお好きな方にはお勧めだ。
「杉山財コン、あの人に保険の手続きできますかね。僕が手伝ってあげますよ。そしたら、保険金を預けて貰えるんじゃないかな。」
「そうだな。お前がサポートしてあげれば喜んで預けてくれるぞ。でも、受取人が連絡すれば簡単なんだよ。あの人でも問題なしさ。」
「そうですか、結構高額な保険だったから、取れたら大口なんで、次も同行させてくださいね。お願いしますよ。」
「おお、分かったよ。」と話しているうちに、熱々のミートパトラが運ばれてきた。

7 怖い目

平成16年12月
 司法書士に依頼した戸籍の取り寄せは、完了するまで1ヶ月半を要した。その間、遺産整理業務の受託の準備を進めていた月初1日の夕方に机の電話が鳴った。
「杉山さん、杉山さん、大変なんです。怖いんです。助けて、助けてください。」
西田美登里からである。彼女は慌てると人の名前などを連呼する癖がある。
「どうしたんですか。そんなに慌てて。」
「今日、義妹たちの所へ行ってきたんですが、3人で私のことを怖い目で睨むんですよ。簡単には判は押さないわと皆で睨むんで、怖くて逃げ帰ってきたんです。」
「どういうことですか。意味が分かりません。ゆっくり事情を話してくれませんか。」
美登里曰く、先日訪問した時にアドバイスした生命保険の手続きをしようと保険会社に連絡したところ、保険金の受取りには相続人全員の承認印が必要になると言われた。そこで遺言書の話をした上で保険の書類への捺印を頼みに、年長の義妹の家に行くと、3姉妹が揃い遺言に母の相続分のないことが分かると、判を押さないと言うのだ。
「義妹さんたちの様子は分かりましたが、まず、生命保険金の受取りに当たって、受取人である奥様以外の相続人の判がいるとは理解できませんね。前回もお話ししたように、生命保険金は受取人の固有財産ですから、受取るのに他の相続人に了解を得る必要などはないはずですが。」
「でも、保険会社の方が全員の承認印がいると言って書類を送ってきたんですもの。ですから、無理して義妹に頼みに行ったんですよ。そうしたら、これからお母さんのことはどうするの。お兄さんは療養費を出さないつもりだったの。お姉さんも自分だけで相続して後は知らないとお母さんのことは無視なんですか。等など大変な剣幕なんですよ。私怖くて何も言えず逃げ帰ってきたんです。」
「それは、大変でしたね。でもおかしいですね。明日お宅に伺いますから、その時に私が直接、保険会社に聞いてみましょう。」と明日訪問して相談することにした。
隣の席の岸田財コンに聞いても、やはり生命保険金の受取りに他の相続人は関係ないと言うのだ。
「亡くなったご主人が、受取人を指定していなかったんじゃないか。だって、生命保険金はみなし相続財産だから税務上は相続税の対象だけど、相続人の分割対象になる相続財産には入らないよ。保険会社は指定された受取人に払えば問題ないんだけどね。」
「私もその認識で奥さんにも説明したんですけど、変だな。」
 翌日、高井戸の自宅を訪ね、早速、保険会社へ連絡を入れる。
勿論、私から直接電話しても個人の情報は簡単に教えてくれないので、初めに美登里が出て、私に代わってから具体的な質問をする。しばらく間をおいて調べた結果を教えてくれた。
「お客様の保険契約は3本ありまして、2本は受取人に奥さまが指定されており、お支払いは可能ですが、もう1本は昨年の11月に満期を迎えておりまして、満期金を弊社でお預かりしております。ですから、こちらは、単なる預かり金となりますので相続人様全員での受取承認が必要となります。ですので、先日奥さまに承認書類をお送りさせていただいたんですが。」
「なるほど。証券を良く見てみましたら、そうですね、去年の11月に満期になっていますね。失礼いたしました。」
と、いうことで契約の1本が既に満期を迎えており、その満期金が保険会社での預かり金となっていたのだ。
既に生命保険金ではなくなっているため、生命保険金の受取人の請求では受け取れないのだ。
しかし、この預かり金は相続財産となる。相続財産なら遺言書により奥さんのものに指定されているから、結局は奥さんが受けとれるはずだ。
その旨保険会社に申し出るも、生命保険の約款で相続人全員の承認を受けなければいかに遺言があってもお渡しできないと頑強に拒否された。多分、裁判でもすれば、遺言の効力が認められるとは思うが、先方から保険約款を盾に主張されれば、話は簡単ではない。
 保険会社も相続人全員の承認された先に振り込むことを徹底して、相続のトラブルに巻き込まれないようにしているのだ。今回のケースは相続人ではないが義妹たちの承認を取り付けた方が、早く解決が付くのだろう。
美登里には、いずれにしても遺言書の検認をしなくてはならないから義妹たちと再度会って説明して解決しようと話し掛けた。
勿論、美登里は怖くて会いたくないと言うが、私も立ち会うことでなんとか説得し、吉祥寺支店に3姉妹に来てもらうことになった。

平成17年1月
 吉祥寺支店の契約室に3姉妹が揃い、その前に恐る恐る美登里が座る。私は美登里の横に座りお悔やみの挨拶をしてから、遺産整理業務を依頼されていることを前提に、遺言の内容から検認の流れなど一連の説明を始めた。
また、美登里に変わり生命保険金の手続きにも言及して彼女たちの反応を見た。
 本来はお母さんに説明をしなければならないが、ほぼ寝たきりの103歳では意味がない。実質的には、面倒をみている3姉妹に理解してもらうべきであろう。
既に、遺言書で母親に配分がないことは皆承知している。
一番上の妹はおっとりとしているが、真ん中の妹は眼が鋭く、一番下の妹は神経質そうな顔つきだ。
「お兄さんはお母さんのことを考えてなかったのかしら。」真ん中の妹がつぶやくように口火を切った。
「この遺言を作られたのは、10年も前ですので、ご自身が亡くなる時には、お母様は亡くなっていると考えたのは常識的だと思いますが。」と私がカバーすると、一番下の妹が目を釣り上げて美登里に詰問を始めた。
「ところで、お義姉さんは、お母さんのことをどうするつもりなんですか。遺言に母の取り分はありません、判を押してくださいってことは、自分は兄さんの財産をいただいて西田家とは、はいさよならということですか。」
「いえ、そんなつもりは・・・。」消え入りそうな美登里は言葉にならない。
「だって、母のお見舞いにも来ないで、書類だけ揃えようなんて、これからも母の介護にはお金もかかるし、そんなことは関係ないっておっしゃるんでしょね。」
嵩にかかって、妹は、
「兄さんが入院していたから、しかたなく私たちだけで面倒見てきたんですよ。いくら遺言書があっても、遺留分があるじゃないかしら、母には。そうじゃありません、杉山さん。」
「はい。ご承知の通り、お母様には遺留分がございます。」
「ほうら、ごらんなさい。母には権利があるんだから、きちんとしてもらう権利があるのよ。」
何をきちんとするのだ。何が言いたいんだ。遺留分のことを調べて来ているということは、かなり手強いぞ。一方、美登里は一言も言葉が出てこない。
また私は、この「争族」に巻き込まれていくのだろうか。ただ、隣の弱々しい未亡人だけは守ってあげなければ・・・。

平成17年2月
「奥様、司法書士に頼んでおいた戸籍が揃いましたので、来週にも霞が関の家庭裁判所にご一緒しましょう。」
「はい、ありがとうございます。私はいつでもいいですよ。」
「それでは、来週の月曜日にいたしましょう。朝一番でいいですか。家裁は、朝は空いているんですが、遅くなると案外混むらしいので、高井戸駅に8時半でいかがでしょう。」
「いいですよ。朝早いのは全然平気ですよ。でも、私は何をしたら、何を持っていいのか、教えてくださいね。」
「大丈夫ですよ。私が申請書類は準備してありますし、戸籍は全部揃っていますから。」
高井戸で待ち合わせ、渋谷で乗り換え、銀座線、丸ノ内線と乗り継いで霞が関に着いた。
岸田財コンに聞いていた通り、早い時間は空いていたので、すぐに受付をしてもらえた。係官は申請書類をさっと見ると、戸籍のチェックをしますので、呼び出しがあるまでそこでお待ちくださいと事務的な対応。
美登里が遺言書を取り出し渡そうとすると、
「遺言書は呼び出しの当日に持ってきてください。」
「えっ。この遺言書はいいんですか。」
「当日に持ってきていただければ検認しますから、大丈夫ですよ。」
「2通あるんですが。どちらも有効なんですか。」
「2通でも3通でも検認はいたしますが、その遺言書が有効かどうかはこちらでは判断できないんです。ここでは、遺言書の存在を確認したという証明をするだけです。」係官が型どおりの解説をしてくれた。
 今日は検認の申請を受け付けるだけで、本来の検認手続きは相続人を呼び出し、集まった所で遺言書を開封して確認するのだ。今回は封閑されていないのでそのままの状態で持って行き、立会人全員に見せればいいのだ。
 また、検認では遺言の有効性は判断してくれないが、検認証明がなければ遺言書は有効に機能しない。自筆遺言の場合、銀行や登記所での相続手続きの際、検認証明の付いた遺言書でなければ手続きをしてもらえないのである。
検認の受付は簡単に済んだ。後は呼び出しの当日を待ち、検認を受ければ遺言執行の準備が整う。遺言執行者は妻の美登里が指定されているので、その執行者から当社が遺産整理業務の委託を受ければ、執行者の補助者として遺言の執行業務を執り行うことになる。
 ただ、気掛かりなのは、母親の面倒を見ている3姉妹の動向だ。これ以上揉めるようでは、当社が関与することはできない。彼女が単独で執行手続きを進めることはまず無理であり、なんとか受託して執行してあげたいのだが・・・。

平成17年6月
 西田良夫の相続は母親が103歳で存命であったことから、その遺留分が問題になり、妻の美登里と義妹たちとの対立となるかと思われたが、美登里は初めから争うつもりはなかった。
 亡くなった良夫は病床に臥していながら母親の面倒は自分が見ると言い、葬儀となれば費用は勿論、喪主を務めるつもりでいた。それを良く知る美登里は義妹たちが思っているより母親のことを心配していたのだ。
吉祥寺支店での義妹たちとの会談からすぐ後、美登里から夫の良夫が残してくれた金融資産の一部を母親の介護費用に当てて欲しいと申し出があった。その意を受け、私はおっとりしている一番年上の義妹に、遺留分である6分の1に相当する金額を母親に渡すことで了解して欲しいと頼んだ。2000円余の金額に2人の過激派の義妹たちも大人しくなり、美登里の提案を意外とすんなりと受入れてくれた。
 義妹との問題も解決し、検認も済んだ美登里は「杉山さん、ほっとしました。本当に、本当にありがとう。私一人ではとても彼女たちと話し合うことはできなかったでしょう。」と涙を流さんばかりに感謝してくれたが、彼女が受けた心の傷は癒されていなかった。
 契約室で遺留分に関する合意書に署名した後、「お義姉さんもたまにはお母さんの顔を見に来て下さいね。」との義妹の軽口に引きつった笑いを返すのが精一杯であった。
 しかし、遺言があって良かった。遺言が無ければ6分の1の遺留分では済まなかったであろう。もっともっと嫌な思いをしながら、法定相続分である3分の1はきっちり取られていたであろう。
 また、良夫の遺言には妻の美登里が執行者に指定されていたが、現実には彼女が単独で執行することは無理であった。たまたま、今回は第3者の当社が専門家として公正な立場で参画したことで、拗れかけた親族の関係も破綻せず、円滑に執行が終了できたのだ。遺言を作る時には、執行者の年齢や処理能力などを考慮しなければいけないのだ。

 争族の怖さと遺言の大切さを痛感した美登里は、遺産整理業務が終了した翌月には公証人と私の前で自身の遺言書に実印を押していた。

8 社長の悩み

平成17年7月
 西田美登里の遺言を作った翌週、彼女の自宅で会った弟の杉原信夫から電話があった。
「杉山さん、姉がすっかりお世話になったようでありがとうございました。足を向けて寝られないと言ってましたよ。」
「いいえ、そんなにたいしたことはしてませんから、よろしくお伝えください。」
「ところで、今日は私自身のことなんですが、姉に引き続きで申し訳ないのですが、今度そちらに伺いますので、相談に乗っていただけますか。」
「勿論、良いですよ。どんなお話しでしょう。来週でしたら火曜と木曜なら時間は取れますよ。」
「では、火曜の午後2時にそちらの支店に伺います。要件はやはり私の相続のことなんですよ、詳しくはその時に・・・。」

 翌週来店した杉原信夫は、西田美登里の実の弟で立川の砂川十番で㈱杉原自動車という自動車修理工場を経営している。妻に先立たれ、子供たちは皆独立して一人住まい、会社へは毎日出社してそれなりに忙しくしているが、家庭に帰ればやや寂しい生活のようだ。
信夫は、若くして独立して苦労と努力を重ね、地元のお得意先からの信用も得て、今では会社を立派に育て上げたが、跡を継がせる者が居ない。
 自分も70歳を過ぎ、そろそろ会社の承継も含め相続のことを考え始めたところだと言う。一度専門家に相談しようと思っていた時、義兄の相続で私に出会い、姉の強い勧めもあり、相談に来たというのだ。
3人の子供の内、長女の川井さとみと二女の久保ひろみは既に嫁いでおり、会社を継ぐ気は全くない。長男の博は、工業系の大学に進んだので跡を継いでくれると思ったが、途中から化学にはまり、現在は関東ケミカル産業の研究所で研究員をしている。修理工場などには全く興味がなく、信夫としては家族に継がせることは諦めてたようだ。

 昭和の時代は、中小企業の跡継ぎは家族・親族がなるのが常識であり、9割が親族内での承継であった。しかし、近年は、少子化や職業の選択肢の多様化、経営の大変さなどから親族内での承継が6割程度までに減ってしまったとの統計があるようだ。
勿論、M&Aなどで新たなオーナーに承継されるケースもあるが、跡継ぎがいないことで、廃業したり倒産したりする企業も多いようである。
 こんなことでは、日本を支えてきた中小企業が衰退してしまうと、様々な政策が打ち出され始めたが、どこまで効果が上がるのか注目されているところである。
さて、信夫の工場はどうしたらいいのであろう。
彼の気持ちは、お得意様も大事、まして長年勤めてくれている従業員をなんとか守りたい。自分が身を引いてもここまで育ててきた会社は存続して欲しいというのが本音のようだ。
 彼の気持ちは分かったが、具体的には、会社の状況が分からなくては話にならない。頼んでおいた決算書を見てみる。前期の決算は黒字だが、ここ数期は売上が伸び悩み、なんとか収支トントンを保っている状態だ。ただ、長年の蓄積で資産はかなりある。修理工場はある程度面積が必要であり、借地を徐々に買い増して来たため、含み益を持った土地をかなり所有している。
株式会社の価値は株価に発行株式数を掛ければ算定できるのだが、上場していない中小企業の株価の算定は簡単ではない。また、相続や贈与で承継する場合と他人に売却するのではそれぞれ株価の評価方法が異なるのだ。
杉原自動車の決算書を開いてみる。純資産の欄を見ると、約5億5000万円。単純に考えれば、これに含み益を加算すれば純資産価格が計算できる。含み益からは税金相当分を差し引くルールなどがあるが、そのあたりの詳細な計算はこの場ではできないので、大凡の見当を付け、話しを続ける。
「まず会社の株式の相続税評価額を把握することが第一歩ですね。会社の純資産を見ますと、約5億5000万円ですね。これに含み益分が加算されて純資産価額が算出されます。一方、杉原さんの会社の規模は「中会社の小」に該当しますので、もう一つの算定方法である類似業種比準価額を算出して二つの価格を4分6分で掛け合わす計算になります。複雑な計算になりますので、こちらで概算を出しておきますので、次回ご説明しますね。」
「2、3年前に、税理士の先生から何となくそんな話を聞いたことがありますよ。」
「そうでしたか。その時、株価はいくらとおっしゃっていましたか。先生は。」
「え~と、確か12000円とか言っていましたよ。」
「そうですか。すると発行株数、4000株の全部を杉原さんが持っておられるので、評価額は4億8000万円になりますね。」
「多少前の話ですけど。」
「ここ数年はあまり業績に変化がないとおっしゃってましたから、目安としては5億円と考えましょう。そのほかの財産はどんなものがありますか。自宅とか。」
「はい。自宅は国立の一ツ橋大学の裏に80坪、隣にアパートも持ってます。金融資産は少々と言ったところです。」
「相続税を計算したり、お子様への配分を考える場合にはある程度正確な金額を教えていただかないと具体的な提案ができませんので、その際はもう少し詳しく教えてください。ところで、会社の経営を任せる社内の人はいないんですか。」
「古くから一緒にやってきた常務がいますが、彼もそれなりの歳なので、もう少し若いもんにと思っているんですが・・・。」
「そうですね。これからの経営は若くて行動力と決断力が必要になりますからね。」
「一人候補は要るんですが、本人が本気でやる気があるのかを確かめないと、このまま会社を任せるわけにはいかないんですよ。」
「細かい計算などは次回までにしておきますが、今日お聞きした範囲では、今の杉原自動車を不動産を保有して管理する会社と修理工場を経営する会社に分けたらいかがでしょう。不動産の管理会社は修理工場の会社に工場を貸して賃料を貰う。その会社を子供さんたちに残し、実業である修理工場の会社は社内のやる気のある方に譲ったらいいんじゃないでしょうか。」
「工場の裏にも使ってない駐車場があるんだけど。」
「それは不動産管理会社の所有にして、アパートでも作って家賃が入るようにすればいいんですよ。」
「な~るほど。でも、何か上手過ぎる話だな。」
「勿論、簡単ではありませんよ。承継する人たちの合意や資金繰りの問題、税務面の確認などもありますからね。でも、この考え方は良くあるパターンで、実際にこんな形になっている中小企業は多いんですよ。」
「そうですか。いい話を聞いたので、自分なりに考えてみましょう。株価の試算ができたら連絡いただけますか。」
「はい、ご連絡いたします。」
現在の杉原自動車は、中小企業によくありがちな資本と経営が信夫に一本化されている形であるが、株式会社は株主と経営者が別々でも問題はなく、大企業では資本と経営の分離が当然となっている。今回の提案はそれを一歩先に進め、事業をする会社と資産を管理する会社に分離してはどうかとの提案である。事業会社はやる気のある社員に任せ、創業した杉原一族は管理会社のオーナーとして、父親の財産を引き継いで行けばいいのである。

平成17年8月
 1週間で、会社の株価の試算ができたと連絡すると、会社が休みの時に来店したいと、しばらく時間が空いてしまった。
お盆の中日に来店した信夫は、財コンルームに座ると鞄から財産の一覧表を取り出した。これは本気だ、自分の資産を公開してくれる方は真剣なのだ。逆に都合のいいことだけを聞こうとしている方は、財産の内容を教えたがらないものだ。
我々専門のコンサルタントでも全てを把握していないと正しいアドバイスができないこともあるので、こちらを信じて隠さないで貰いたいものだ。
 財産の一覧表を見ると、金融資産の明細のほか、自宅と隣接アパートの固定資産税評価額まで記入してある。土地の相続税評価は原則路線価で評価するのだが、固定資産税評価額の1割増しで評価しておけば、当たらずとも遠からず。建物は固定資産税評価額がそのまま相続税評価額だ。あとは、貸家にしているなど利用方法による減額を加味すれば評価額が計算できる。
試算しておいた会社株式の相続税評価額は約6億円、2、3年前より少し高くなっている。その場で概算を計算した自宅など個人所有の不動産が2億円程度、金融資産は生命保険を合わせ1億8000万円、概算の財産合計は約10億円であった。
相続人は3人、相続税を計算すると1人あたりの税額は1億円を超えてしまい、現在の金融資産ではとても払いきれない。
 しかし、杉原の場合は会社に現金が潤沢なので、相続人の子供たちは会社から税金分を借りることもできるだろう。また、金庫株として会社に相続したその会社の自己株式を買い取ってもらい、そのお金で相続税を払うことなども可能であろう。
世の中の優良中小企業のオーナーさんにはこんな方が多いのも事実。ただ、その相続税の支払いが原因で会社の資金繰りが苦しくなったり、立ち行かなくなるケースも少なくない。
「会社の承継も大事ですが、相続税の納税資金対策も考えなくてはいけませんね。」
「そうですか。そう言われると何から手を付けていいのか分かりませんよ。でも、会社の方は眼を付けていた部長が跡を引き受けてやってみると言ってくれたので少し希望が湧いてきましたよ。」
「それは良かったですね。それと会社に結構現金がありますから、対策はいろいろとやりようはありそうですね。」
「会社を分割することも商工会にも聞いたら、いい案だと言ってましたよ。」
「そうでしょう。それでは、具体的に会社を分割して、会社の資金をうまく納税に使えるように考えてみましょうか。」
「お願いします。でも、最近は売上が伸び悩んでいるので、工場の会社にはある程度の資金を残しておかないと資金が詰まってしまうかもしれないので、少し余裕を持たせてください。」
 
平成17年9月
 次に会った時は、税理士の迫間先生も同席してもらって税務面も含めて相談した。
修理工場の事業を継承する新会社には、現在の会社の資産の内、営業用資産1億円分を分離すれば、立ち上げには十分だ。残りの全ての不動産と現預金の大半、5億円分の資産は子供たちに残す管理会社に移すことになる。
「不動産管理会社はやはり長男に経営してもらいたいんです。まだ本人には話していませんが。」
「そうですね。やはり跡取りは息子さんですね。」
「でも、先生。この会社の株を子供たち3人に均等に分けていいもんでしょうか。」
「それはどういう意味ですか。」
「いかに管理会社といえ、会社の方針を決めるのに、株主が3人いるのは如何なものかと思います。やはり会社を引き継いでもらうのは長男なのであの子に運営は任せたいと思いますが、娘たちが異を唱えたらどうなるでしょう。」
「そうですね。経営の安定性を考えれば、ご長男に5割以上、できれば3分の2の株式を残される方がいいでしょうね。」
「でも先生、そうしたら子供たちに遺す財産のバランスが取れなくなりませんか。」
そこで私が口を挿んだ。
「それでは、無議決権株式を活用してみてはいかがでしょう。今は全株式4000株を杉原さんが保有してますから、その2倍の8000株を無議決権株式で発行するんです。種類株式として株式を無償で割当てるんです。ご長男には議決権のある従来からの普通株式4000株を残し、お二人のお嬢さんには財産権はあるが議決権のない新たに発行する無議決権株式を同じ株数ずつ残すようにすれば、会社の経営はご長男が掌握でき、相続財産の金額は公平が保てます。どうでしょう先生。」
「そうですね。今からなら、種類株式を発行しておき、遺言書で指定しておけば、杉山さんの言う通り経営は安定しますね。お嬢さんたちは、必要なら自社株買いをして貰って現金を手にすることも可能ですね。」
「なるほど、そんな手があったんですか。検討する価値がありそうですね。これから真剣に考えますから、もう少し具体的に相談に乗ってくださいね。」
「勿論です。これからじっくり研究してみましょう。」
会社が絡む相続対策は、単なる配分や税金対策だけでなく、株式の配分による経営権の問題や従業員の処遇などが複雑に絡み合うため、あらゆる角度からの見当が必要なのだ。

 信夫はこれから半年を掛けて、提案通り会社を分割したが、子供たちとも話し合い資産管理会社の株式は息子に全て残すことにした。
娘たちは、会社の株より金額は少なくても現金がいいと言い出したのだ。信夫の退職金を娘二人に均等に残すことであっさり兄に譲ることに合意したのだった。
検討してきた無議決権株式は発行する必要はなくなった。退職金規定を整備するだけで済ませられ、後は遺言書を作るだけとなり、社長としての信夫の顔には、ほっと安堵の表情が広がった。

9 工程表

平成17年1月
 先月末の人事異動で吉祥寺支店へ新任の財コンが転入してきた。何と2年前に私を財コンに任命した人事部の上沼担当部長、いや今は上沼財コンであった。彼はその後、名古屋営業部長に転出して、今回希望して財コンになったそうだ。何かの縁であろうか、奇しくも同じ支店でコンサルタントをすることになるとは・・・。
 1ヶ月間の八重洲の東京本部での研修が明け、彼が着任した時は全店で「相続・遺言おまかせ相談会」が開催されていた。
新任とはいえ部長経験者の上沼財コンにも早速相談を受けてもらう。予約の相談客をどの財コンに割り振るかはグループリーダーの岸田財コンの仕事だ。元部長に気を使い、相談客との会話が弾むようわざわざ系列のマスターズ物産のOBを割り振った。
ところが、・・・。
 マスターズ物産では取締役総務部長であった森信樹は74歳、なかなかのうるさ型であった。
信樹の父親が昨年亡くなり、善福寺にある実家の250坪の土地を姉と共に相続した。敷地の真ん中に父親が一人で住んでいた母屋があり、南東の角に古くなった信樹本人の家が建っている。将来自宅を建て替えるべきか、マンションなどに住み替えるか、それとも妻と共に老人ホームに入居するかなどこれからのライフスタイルを迷っていた。
また、姉の相続分は土地全体の5%だけなので、何らかの手法で早く処理したいと考えていた。
 相談日当日、初めて財コンとして相談を受けることになった上沼に対し、信樹は財コンルームに入るや否や、京王沿線の新築マンションの建築予定や近隣の老人ホームの優劣、実家の土地の売却価格など矢継ぎ早に具体的な質問を始めた。
財コンの研修で詰め込まれた知識は、相続や不動産の法律などの一般論がほとんどであり、直近名古屋勤務の上沼には東京でのマンションや老人ホームの個別事情や土地の価格は即答できなかった。勿論、部長経験者である上沼は、信樹の話をじっくり聞きながら、一つ一つの質問に「後ほど調べて回答します。」と丁寧に対応したものの、その場で満足なアドバイスが受けられず、信樹には不満が残ってしまった。
 翌日、支店に信樹からクレームの電話が入った。彼にとって今回の相談の応対も不満ではあったが、お怒りの理由は、それだけではなかった。実は、信樹は当社の元役員と学友で、その勧めで平成2年にマンションローンを借りて、文京区根津に小振りのマンションを1棟購入していた。ご多分にもれず、その後バブル経済が崩壊して家賃は半分に、空室も多くなり、苦労しながら返済を続けていたのだ。
 一方、支店のローン課からは、担保としていたマンション価格の下落に伴い、追加で担保を出してください、だめなら一部返済はできないか、金利を上げてくれませんかなどと言ってくる。当初は借りてくださいとぺこぺこ頭を下げていたのに、情勢が変わると対応が一変した銀行の態度を以前から苦々しく思っていた。
たまたま昨日、相談会で不満を持ちながら自宅へ戻ったちょうどその時に、ローンの担当者から電話があり、次回の書換時から金利を引き上げますと一方的に言われたことが、今まで積もり積もっていた彼の不満を爆発させてしまった。
「ローン担当の口の聞き方がなっていない」、「きちんと金利の説明をすべきだ」、「対応したコンサルタントでは物足りない」など、電話で次長がお叱りを受け、平身低頭で対応した。

 そこで、支店長から私に声が掛かった。ローン課の課長と同行して、謝罪と今後の相談に乗ることで、了解を得ようと善福寺の自宅に向かうことになった。
広々とした応接で恐る恐る挨拶し、訪問の主旨を話始めた。むずかしい顔をしていた信樹であったが、怒りの電話ですっきりしたのか思いのほか、聞き分けは良かった。ローン課長は言い訳を重ねながら部下の非礼を詫び、許されるとさっさと帰ってしまった。
 残った私は自分のプロフィールを渡しながら、ゆっくりと切り出した。
「これからのご相談ですが、お父様から引き継いだこの土地はどうしてもそのまま次の世代にバトンタッチしなくてはいけないんでしょうか?」
「いや、特にどうしてもと言うわけではないけどね。」
「やはり引き継がれたこの土地をうまく活用してこそ、お父様も喜ばれると思います。また、残されたご家族の皆様が快適な生活を過ごすことがなにより重要なのではないでしょうか。」
「まあそうだね。親父もそんなに土地に固執していたわけではないから、うまく切って売れるならそれもいいと女房とも話しているんだ。」
「バブル期にマンションの購入をお勧めしたことは、結果的に失敗でしたが、あの時代は誰しもが浮かれており、銀行も担当者も良かれと思い、お勧めしたのだと思います。時代の流れは止むを得ないとして、これからのことを前向きに考えて行きましょう。私が専属のコンサルタントとして総合的にアドバイスをさせていただきます。」
「う~ん。でもお宅のローンでは随分苦労させられたからな。」
「それを挽回するよう最善を尽くしますので、ご信頼いただき相談してください。」
「分かったよ。このプロフィールを見れば杉山君はいろいろと経験も豊富のようだから、ここは一つ頼んで見るか。ところで、そのアドバイスはお金が掛かるのかい。」
「いえ、勿論アドバイスは無料です。但し、計画を実行していく過程で不動産の売買などが発生し、当社の子会社などが仲介した場合などはその手数料をいただくことはありますが、私のコンサルティングは全くの無料です。」
「分かった。では、なにから始めるのかな。」
「まず、基本方針を固めましょう。私のイメージをお話ししますと、これからご自宅を建替えるにしても、マンションに住み替えるにしても、どうしても資金が必要になります。お父様には申し訳ありませんが、土地の一部を売却して、住み替え資金とお迷惑をおかけしてますローンを繰上げ返済することを計画されてはいかがでしょう。」
「漠然とはそんなイメージを描いているんだが、何から手をつけたらいいのか、いくらで売れるか、税金もかかるだろうし、いくら手許に残るかも心配だ。姉さんにも金を渡さなくてはならないしね。それと、建築資金はどのくらい掛かるのかも良く分からん。」
「分かりました。今、信樹様がおっしゃったような諸々の検討事項を、こちらで洗い出し、組み立ててご提案しましょう。それを見てからお考えください。」
「しかし、君の提案通りにするとは限らんよ。」
「勿論です。私はご提案しますが、決断して実行するのは信樹様ですから。」
 当然、この土地を売却すれば、いくらになるか、姉への支払い金額や税金、建替えに掛かる建築費などはおおよそ調べてきているので、頭の中で筋書きが出来上がっている。
 しかし、ここでは具体的には話さず、次回正確な数字を持ってプレゼンテーションをする予定だ。
期待を持たせて自宅を出てきたので、次回のプレゼンは気合を入れなければと思いながら、プレゼン資料の構想を練り始めた。

 不動産の有効利用はまず何を目的にするか方針をはっきり決めることが重要だ。
事業収益を追求するのか、社会貢献のための施設を作るのか、土地の承継・相続対策が狙いなのかなどを明確にしておくのだ。
自宅の土地は父親から相続したものであるが、信樹は次の世代に全てを残すことに固執していないので、一部を売却してその代金で自宅を建て替え、マンションローンを返済することを主目的とすればいい。
 この目的は絶対に外せないが、合わせて将来の収入確保と相続対策も加味していけば万全といえる。
信樹の希望を叶え、将来に備える提案を作り出すには、外部の専門家の力も借りる必要がある。いつも測量を頼んでいる平成測量事務所に敷地の分割案を出してもらい、売却部分を決め、マスターズ住宅販売に売却可能価格を見積もってもらった。
 さらに、マスターズハウスに自宅と賃貸住宅の建築プランとその概算見積りを頼んだ。
これらを組み合わせ資金繰りに問題が無いかを検討していく。
敷地が奥に長いため、真ん中に道路を入れ、南北に振り分け、60坪毎に4区画に分ける。そのうち北側の2区画を、時間をかけて順次売却する予定だ。売却価格の見積りは最低でも坪200万円で、手数料などを差し引き、堅くみても2億2000万円は手許に残る計算だ。
その中から、姉の持分5%相当の約2500万円を渡すことになる。
 なお、相続した土地を申告期限から3年以内に売却した場合は、譲渡に係る所得税が減額となる特例があることは分かっている。本件で適用となることは初めから確認、織り込み済みだ。
残した土地2区画には、夫婦二人の自宅と高級感のあるアパートを建てる計画で、敷地の整地作業など含めても、建築費用などは1億円で十分足りるだろう。
そうすれば、当社のマンションローンの残額6000万円を返済しても4000万円程度は手許に残る計算だ。老後のゆとり資金も確保でき、今後はマンションやアパートからの家賃も全て生活費に使えることになる。
また、アパート建築により土地の相続税評価額も低減でき、二人の娘たちに2区画の土地をそれぞれに残すことができ、相続対策にもなっている。これで万全だ。
 しかし、土地を売却する前に新しい自宅を建て引っ越しをしなければ、敷地を整備・分割することができない。一番の問題は、信樹に今その自宅建築資金がないことだ。どこからか資金調達が必要なのだ。
当社として、信樹のマンションローンは担保不足で回収方針としているので、この計画を示して追加で貸出ができるだろうか。なかなか難問だと思いながら、その心配はこのプランを信樹が採用してくれてから改めて考えることとした。
さて、このプランを分かりやすく説明するのが、我々財コンの腕の見せ所だ。説明資料としてプラン全体が一覧できる工程表を作ることにした。
 今回の工程表は、時間軸を月単位で区切り、上段に土地の整備・売却スケジュールを記入、中段には自宅やアパート建築と引っ越しスケジュール、下段に資金の受け渡し・ローンの借入・返済の資金繰りを記載することで、いつまでに何ができ上がり、資金の授受と最終手許資金がいくらになるかを明示した。
この工程表を持って信樹に会いに行く。
 さすがにマスターズ物産の役員をした方だけあって、説明を始める前に、この工程表を見て、資料の意図を読み取った。
「杉山君、これだよ、一目瞭然じゃあないか。俺が欲しかったのはこれなんだよ。」
「ご理解いただけましたか。ありがとうございます。作ってきた甲斐がありました。」
「売却価格や建築コストは断片的には調査してあったんだが、それを繋ぎ合わせてまとめることができなかったんだよ。」
「この工程表は1年半の最短の計画ですが、余裕を見て2年がかりと思ってください。あくまで計画段階ですから、これからご相談しながら、また専門家も交えて一緒に進めて行きましょう。上手くいったら、過去の嫌な思いも払拭していただけると思います。」
「ありがとう。これからよろしく頼むよ。」と、詳細を説明する間もなく握手を求められた。

平成17年3月
 それから1週間後、いよいよ具体的な検討を始める。
測量士、司法書士とマスターズ住宅販売の担当者西川に善福寺の現地に集まってもらい、打合せを行う。250坪の敷地の真ん中に道路を入れ、南北に振り分け120坪ずつとする。更にそれを半分ずつ、60坪を1区画とする。もっと細かく分けた方が高く売れる筈だが、この地区は建築協定があり、120平方メートル以下に分割できない。また、個人の地主は不動産業者が分譲するように、土地を細かく分け、反復継続して売却することが宅建法で禁止されていることもあるので、この敷地分割案を採用したのだ。
 但し、本件は北側の第1区画に姉の持ち分を共有物分割という手法で集約させ、第1区画は信樹と姉の共有、第2区画は信樹単独の所有としたので、宅建法の規制はクリアできている。

 一方、信樹からは工程表に沿って早く進めて欲しいと言われたので、最大の問題である自宅建築資金の捻出方法を検討する。単純に考えればコンサルティングしている当社で融資するのが筋だ。しかし、当社内では既存のマンションローンでの担保不足により、信樹は注意貸出先ランクCに指定されているので、追加融資は簡単ではない。
ローン課長に計画を説明、追加融資を依頼したが、やはりいい顔をしなかった。
「杉山財コン、計画は良く分かりましたが、土地が上手く売れるか分からないし、売れたら売れたですぐ返済ですからうちのメリットがないじゃないですか。」
「そんなことは分かって頼んでいるんじゃないか。最終的には問題の今のローンを回収できるんだから、文句ないだろう。」
「でも、この方の過去の経緯からすると、単純に稟議しても支店長に決裁してもらえませんよ。注意先Cですし。」
「えっ。店長決裁なの。本部稟議じゃないの?」
「だって、今回の申し込みが3500万円位でしょ。前のマンションローンの現在残が約6000万円ですから、合計しても1億円以下になるし、今回自宅の土地を担保に出して貰えれば、担保不足も解消するので、店長決済でOKですよ。」
「そうか、それなら簡単、直談判だ。俺が直接支店長に説明しておくから大丈夫だよ。了解を貰ったら連絡するから、その時はよろしくな。土地の仲介手数料はローン課の成績にするから頼むぜ。」
「しょうがないな、分かりました。支店長の了解が取れるんだったらやりますよ。財コンにはかないませんね。」
早速、支店長に説明すると、さすがに物分かりがいい。これからは、FAの若手担当者を同行させ、折衝・進捗を体験させることを条件に了承してくれた。今の支店長は3年後輩であるが、 人材育成に熱心で、事あるごとに若手に実戦経験を積ませようと意識している。後輩ながら最近では数少ないナイスガイだ。
ローン実行の基本的な了解が得られたからには、早く準備を進めるため、自宅の建築プランの詰めをマスターズホームに急がせる。
しかし、自宅のプランとなると奥さんの意向が優先され、どんどん夢が膨らみ、趣味の部屋が増えたり、使用する部材のグレードもアップしていく。なかなか固まらない最終プランを待っていたらいつまで経ってもローンの稟議が進まない。とにかく間取りが固まった時点での暫定見積りを出させて、稟議の準備をしてもらった。勿論、多少の計画変更、金額調整があっても対応できるようローン課には言い含めてある。
ローンの金額は、余裕を持って3800万円として、支店長に決裁してもらい、いよいよプロジェクトのスタートだ。
母屋を取り壊した後、南側の奥に新しい自宅を建築する。建物は木造のツーバイフォー工法なので、工事を始めれば意外と早い。基礎工事が済み、建物に着工してしまえば、たったの4ヶ月で完成、引っ越しができた。その後、住んでいた自宅を取壊し、敷地に道路を敷設し、売却予定地を分筆するまで着々と進行していく。その間、先手を打って土地の売却活動を水面下で始める。
 不動産は、正式に売り物になった時点では、レインズなどインターネットで公開されるので、俗に言う「掘り出し物」でなくなってしまう。掘り出し物は売り出す前に買い手が決まってしまい、世の中に出ないのが、この業界の不思議なところなのだ。

平成17年10月
 敷地分割後、マスターズ住宅販売で北側の手前側の1区画を売りに出す。事前の活動の成果かすぐに東伏見の開業医から買いが入った。多少の価格交渉を経て、1億2900万円で成約した。売主、買主の両方からの仲介手数料は、3%ずつ合計約770万円となり、マスターズ住宅販売の担当西川も喜んだ。契約から1カ月後、年末が近づいた頃、最初の1区画の決済が済んだ。当初の相談から既に1年近くが経過していた。
 この売却代金から、まず姉へ2600万円を渡し、権利関係を精算した上で、当社の自宅建築資金のローン3800万円を返済し、残り約6000万円は次のアパート建築資金に充当する。
一連の事務手続きは支店長との約束通り若手FAの志摩に手続きさせることにした。
今回の売却代金では、当社の既存マンションローンの返済までは廻らないので、次の区画の売却が事業成功の鍵になる。

平成18年2月
 第1区画の決済が済んですぐ、アパートの着工と同時に、北側の奥の区画60坪も売りに出し、第2ステップに入っていく。
奥の区画は突っ込み道路の突き当たりとなり、既に売却できた手前側の角地より条件が悪いので、価格は1億2500万円として、売りに出した。
 ところが、こちらの区画にはなかなか買いが入らない。2~3ヶ月は止むを得ないとゆったり構えていたが、買い手が付かず、いよいよ半年が経過しようとしている。その間マスターズ住宅販売の西川からは、売り出し価格の引下げを打診したが、信樹は最初の区画がほぼ予定通りに売れたことで強気になり、価格引下げには応じず、時間だけが経過してしまった。

平成18年8月
 買い手が付かず、痺れを切らした信樹から何とかならないのかと問われ、私も腰を上げざるを得なくなってきた。確かにイラク戦争などの影響で日本の株価も低迷、不動産の取引も活発とはいえない状況だ。
「ここは、思い切って価格を下げざるを得ないでしょう。今後、市況はさらに悪化するとの見通しのようですから、1億円を越す高額物件は余計に動きが悪くなるでしょう。」
「じゃあ、いくらなら動くんだい。」
「最低1割ぐらいは下げないと難しいでしょうね。下げたからと言って売れる保障はないですが。」
「専門家なんだろ、売れる値段をピシッと示してくれよ。」
「ピシッとはいきませんが、西川とも相談した価格は1億1000万円です。1億円を越せば既存のローンを返済して、今後の余裕資金も確保できますので、十分でしょう。処分が長引くと「さらし物」として叩かれてしまいますので、思い切って一気に下げましょう。」
「分かった。杉山君の意見に乗るから、早く売ってくれよ。」
販売価格を思い切って下げた翌9月中旬、早速ⅠT企業の社長から買いの打診が入った。先方の仲介業者から聞けば、以前からこの物件が欲しかったそうだ。場所も広さも希望にぴったりだったが、ローンを打診した銀行からは、満額は無理と言われ、手許資金を投入できる範囲まで価格が下がるのを待っていたようだ。
そんな客だから、値引き交渉があり、結果1億500万円で決着をみた。しかし、とにかく、売れて良かった。今から思えば、その後のリーマンショックまで売れ残っていたら3割引きでも売れなかったであろう。
 当初の工程表からは、半年遅れ、はらはらしたが、2物件合計すれば、ほぼ予定通りの価格で処分でき、自宅もアパートも完成した。当然、アパートはマスターズホームエステートで一括借り上げのため、テナントの心配も要らない。

平成18年11月
 売買契約から2ヵ月後、買主の取引のあるABC銀行渋谷支店で決済・引渡しを行うため、FAの志摩と共に10時に信樹と待ち合わせ、渋谷の道玄坂に向かう。
買主に権利書や印鑑証明書など必要書類を引き渡し、司法書士が確認すると、ABC銀行の行員が融資を実行、決済資金9450万円を当社の信樹名義の口座に振り込んでもらった。
 この受け渡しが終了した後、信樹と共に井の頭線で吉祥寺支店に向かう。
3人で、財コンルームに入る頃には、振込金が信樹の口座に入金され、入金を待っていたローン課では既存のマンションローンの返済手続きを済ませてあった。
 返済完了、担保解除の書類を持ってローン課長の岩城が入ってきた。2年前にお詫びに行った課長は既に異動しており、初対面の岩城は緊張気味に各書類に署名などを求め、長年の懸案であったローンは無事、完済となった。
「今日はお世話になりました。無事に決済も済んだから、お昼ぐらいご馳走させて貰いましょうか。南町に後輩がやってる店があるので、そこに行きましょう。」
 末広通りを100mほど東に行くと南欧の田舎風ビストロ「TALKBACK」があった。
自慢のピザとパスタ、サラダを頼みと終わると、信樹から重ねて礼を言われた。
「杉山さん、この2年間、いろいろとお世話になりました。済んでみるとそんなに難しいことではなかったけれど、当初の計画がしっかりしていたから、ここまで来られたんだろうね。」
「やはり、2年がかりでしたね。2区画目が売れない時は、正直はらはらしました。私も売れなかったら、責任を問われかねない立場ですので、契約できた時はほっとしたんですよ。」
「これで、借金から開放されたんで、ゆっくり暮らせるよ。ところで、今回の計画で相続のことまで考えてくれていたけど、俺もそれなりの歳なので、遺言書を作っておいた方がいいのかな。もし作る場合は、杉山さんが作ってくれるの?」
いつの間にか、「杉山君」と君付けだった呼び方が、さん付けに変わっている。それだけ、この2年間で信樹の役に立てたのだろう。
「勿論、お手伝いさせて頂きますよ。先日もお話ししたとおり、資産を残す方の責任として、誰に何を残すかをきちんと指定しておかなければいけません。それには、遺言書が必須なんですよ。」
「君に再三、言われたから、財産の配分は考えてあるんだ。ここに考えた案があるから、見ておいてください。年が明けたら正式に公正証書で作ってもらおうと思っている。お宅の銀行の遺言信託で預かってもらうつもりだ。」
「ありがとうございます。もうすぐお正月ですので、年が明け1月の中旬になりましたら、遺言書の案文を持って伺います。それから、その時一緒に志摩を連れていきますので、資金運用の提案もさせてくださいね。」
「そうだね。年明けに連絡をもらおうか。今日は世話になった、本当にありがとう。」
 最後に、洋梨のシャーベットまでいただき、一区切りがついたとほっとした。

10 突然の死

平成19年1月
 1月8日、森信樹が突然亡くなった。
「うそだろ。先月遺言を作ってくれって元気だったんだよ。」
電話を受けたアシスタントの有紀ちゃんから、死亡の一報を受け頭が真っ白になった。
2年間、付きっきりでコンサルして計画実行も手伝い、ようやくゴールした途端である。しかし、まだまだこれから資金の運用や遺言書の作成など手伝うことはたくさんある。
 病気ではなく、心臓が突然止まって元に戻らなかったそうだ。そんなことがあるのだろうか。
確かに、思い出してみると昨年の夏頃から少し元気がなかったような気がする。杉山君から「さん」付けに変わったのも、何か気弱になっていたのかもしれない。とにかくショックである。

 葬儀が済んだ3日後、志摩FAと妻文江の元へ改めてお悔やみに向かう。
仏前に座り手を合わせると、2年前に遡り、ローン課長とお詫びに来た時の会話が蘇る。
文江と今後の相続手続きの相談を始めようとすると、改めて娘二人を呼ぶのでその時に具体的な手続きを教えて欲しいとのこと。

 信樹からは、財産明細と配分方法を書いた資料を預かっているので、それをベースに当社で遺産整理業務を受託した時の段取りと報酬額を検討する。
当社の報酬は遺産額によって異なるが、相続財産の評価額合計の0.5~2.0%程度で、最低でも100万円だ。信樹の遺産はおおよそ3億5000万円なので、報酬は概算350万円、結構な金額となる。
 1週間後の土曜日に善福寺の自宅に志摩FAを連れて訪問する。銀行は土曜日で休みだが、相続の相談などは、休日でないと遺族が集まれないケースも多く、顧客の都合優先で休日出勤も厭わない。
 応接室には、文江とともに、女性雑誌の副編集長をしている独身の長女明子と公務員に嫁いだ二女岡松亜紀が待っていた。森家に2年以上通っているが、二人とも初対面だ。
志摩FAを紹介して、改めてお悔やみを申し上げ、相続手続きの話しに入る。
信樹の財産のおおよその評価額と残されたメモの配分についても説明すると、早速、長女が切り出した。
「杉山さんには随分お世話になったように、母から聞いております。ありがとうございました。ところで、相続の手続きをお宅の銀行に頼むことができるようですが、何をして下さるんですか。」
「先日、お母様にお渡ししました私どもの「遺産整理業務」のパンフレットに詳細は書いてございますが、まず、お父様の残された財産を調査します。それを皆さんでどのように配分するかを決めていただき、それを遺産分割協議書に落とし込んで、その配分に従い名義書換や換金手続きをして、皆さんに遺産をお渡しいたします。相続税も掛かってくると思いますので、必要なら税理士をご紹介することもいたします。」
「それで、私どもは何をすればいいのですか。」
「当初、私どもの銀行と委任契約を結んでいただければ、生命保険金の請求等一部の手続きを除いて基本的には全て当社で手続きいたします。」
「私も亜紀もそれなりに忙しいし、詳しいことは分かりませんので、お願いしたいとは思ってはおりますが、費用はいくら位かかりますの?」
「生命保険金を除く全財産の評価額に当社の所定の料率を掛けて計算することになりますが、お父様の場合、概算で計算しますと、約1.0%、350万円くらいになると思います。」
「えっ。350万!」
「はい、お父様の遺産は3億5000円以上あると思われますので、どうしてもその程度の金額になってしまいます。」
「そんな金額ありえないでしょ。だって、素人だって手続きできないわけではないでしょ。高すぎるわよ。」
「勿論、相続人の方がご自分で手続きすることは可能です。但し、専門的で煩わしい事務をお忙しい方が手続きするのはなかなか大変だと思います。我々は専門家として法的にもきっちりと手続きいたしますので、お父様が「遺言信託」していたとお考えになって、ご依頼いただけませんでしょうか。」
「でも、高すぎでしょ。私がやってみるわよ。亜紀、貴方も協力してよ。」
「私は、無理よ。全然分からないもの。」
「明子、杉山さんにお願いしたら。貴方だって忙しいんじゃないの。」
文江からも依頼するよう諭すも、長女は頑として受け付けない。
「申し訳ないけど、私がやります。杉山さんには税理士さんを紹介していただいていいかしら。」
「分かりました。お嬢さんがご自身で手続きされると言うのなら、止むを得ません。相続税の申告に強い税理士をご紹介いたしましょう。ただ、お困りになったらいつでも言ってください、途中からでもお引き受けすることは可能ですから。」
「いいえ、大丈夫ですわ、お友達にも相続を経験した方もいますので、教えてもらいますわ。」
休日出勤が無駄になり、志摩FA共々がっかりである。

平成19年2月
 しかし、それから3週間、妻の文江から、電話があった。
「先日は、わざわざお越しいただいたのに、娘があんなことを言って失礼しました。」
「いえ、確かに報酬は高いと思いますよ。しかし、銀行としては、いろいろな段階でチェックもしますし、コストがかかってしまうんです。」
「その明子が、もう嫌だと言ってきたんです。何でも、杉並の戸籍を持って銀行に行ったら、もっと古い戸籍があるはずだと言われ、江戸川区の区役所まで行ったらしいのですが、もっと昔があると言われたらしいんです。確かに主人は、江戸川の前に宇都宮に居ましたし、実家は千葉なんです。戸籍を取り寄せるだけで四苦八苦していたところ、あの子が会社で編集長に抜擢されたんですって。忙しいし、責任もあるので、そちらに任せたいと言って来たんですよ。」
「編集長ですか、すごいですね。」
「杉山さんには失礼なんですが、改めてお宅に遺産整理をお願いしたいんですけど、よろしいですか。」
「勿論構いません。戸籍を調査するだけでも大変なケースがあります。1ヶ月以上掛かることもあるんです。遺産整理をお受けするには、事前に戸籍を集めて書類で相続人を確認させていただいてから、皆さんと委任契約を締結することになります。まずは、今週中に、戸籍調査の委任状を頂戴に伺います。」
「それでは、明日の午後の早い時間でしたら、家におりますから、来ていただけますか。」
「明日ですか。申し訳ありませんが、明日は、既に予定が詰まっているので、先日ご紹介しましたFAの志摩を行かせますので、調印をお願いします。」
「分かりました。1時から2時くらいでお待ちしています。」
先日の休日出勤が無駄足にならず、志摩FAも喜ぶことだろうと社内電話のダイヤルを廻した。

平成19年3月
 信樹は実家のある千葉から始まり4ヶ所も転籍しており、戸籍の確認には時間は掛かったが、司法書士に依頼して洩れのないよう収集でき、無事に遺産整理業務の委任契約を調印することができた。
次の遺産の調査は、信樹のメモもあり順調に進んだ。不動産の謄本を確認し、銀行と証券会社の残高証明書を取り寄せ、財産目録が完成した。

平成19年6月
 いよいよ、遺産分割協議書を作成する段階となった。遺産の分割は信樹の残したメモのとおり分けようと合意されていた。メモには、新しく建てたアパートは長女へ、文江の住んでいる自宅は将来を考え二女へ、文京区のマンションは生活資金捻出のため妻である文江へ、また約7千万円の預金も全て妻に残すとなっていた。

 一方、話を進めて行くと、文江は数年前、実家の兄と2分の1ずつの共有で目黒の実家の土地を相続していたことが分かった。
目黒の駅近くに70坪、評価額約4億円と価値ある物件だ。兄とはその土地を早く売ろうと合意ができていたが、借家人とのトラブルがあり、売るに売れない状況にあった。
と言うことは、これから亡くなった信樹の財産を承継する文江は、既に2億円の財産を持っていることになる。この2億円に信樹から相続するマンションと預金が上乗せされると、文江の相続、所謂二次相続の時の相続税率が高くなる可能性がある。
 今回の信樹の相続は残されたメモで分けようと合意ができているが、今回の分け方次第で、二次相続との合計の納税額が大きく違ってしまうケースがあることは、本物のコンサルタントならピンと来るはずだ。
今回のケースを試算すると、できるだけ文江が相続しないほうが、税務上は有利との結果となり、試算表を持って、三人に説明した。
「杉山さん、比較して試算してくださってありがとう。この試算表を見ると、二次相続までを考えれば、今回は母が全く相続しないほうがいいという結果ですね。」さすがに、利に聡い長女。
「はい。でも、これはあくまで税金面の試算ですので、お母様の今後の生活資金や皆さんの相続税の支払いなども考慮しなくてはいけないと思います。」
「じゃあ、どう分ければいいの。」
「お父様のお気持ちを尊重しつつ、相続税を極力圧縮する配分案を考えて来ていますので、ご案内させてください。」
「父は、60坪ずつに分けた土地を私達姉妹に均等に残す意図があったと思います。マンションの家賃は母の生活費に当てようとしたんだと思います。」
「そうですね。私もそう思います。ですから、お嬢さんたちには均等、お母さんには生活資金を、そして税金も少なくするというプランを考えました。アパートとマンションの家賃はほぼ同じですし、評価額も概ね一緒ぐらいです。ですから、お姉さんはアパートの土地、妹さんがマンションの土地を引き継ぐ。逆でもいいですが。そして、それぞれの建物はお母さんの名義にして家賃をお母さんがもらえるようにするんです。家賃というのは建物の所有者がもらえるからです。」
「じゃあ、土地をもらう私達に収入はないのですか。」
「そうです。でもその他の財産、自宅の土地や預金などをお二人で均等に取得すれば、相続税の支払いにも困らず、現金も手にできます。勿論、お母様が生活に必要な現金は、先にお分けすればいいですね。また、お嬢さんたちが、収入が欲しいのならお母様から地代を貰うなり、建物の名義を共有すればその分の家賃はお嬢さんたちが貰えますので、所得分散にもなり税金上有利になることもあります。自宅の建物はやはり住んでいるお母様が相続するのがいいでしょう。」
「なるほど。建物は評価額が低いから、私の財産があまり増えないで済む訳ね。でも、現金を持っていないと心配だわ。」と、文江。
「そうですね。預貯金の解約代金は三人で均等に分けたらいいんじゃないですか。あまり節税のことばかり考えて、生活が不安になっても本末転倒ですからね。」
「私達は家賃をいただかなくてもいいから、お母さんがもらえるようにしてください。でも、固定資産税は誰が払うのかしら?」
「土地の分はお嬢さん方に請求が来ますが、それをお母さんが地代の代わりとして払えばいいんです。その辺は、所得税も絡んできますので、今後ご紹介する税理士さんと細かい点を打ち合わせましょう。それでは、今、打ち合わせた方針で分割協議書の案を作ってきますので、もう一度集まってください。その時には、税金の解説などもいたしますので、税理士を連れて参ります。」
 今日、相談した配分案を今回の相続に適用すると、二次相続との合計の相続税額は、信樹のメモでの配分するのと比べて2000万円近くも減少する計算となる。配偶者が、かなりの資産を持っている場合は、二次相続のことも含めて配分を検討しなければ、プロのコンサルタントとしては、失格である。

平成19年7月
 早速、迫間税理士にも同様に試算してもらい、分割協議書の案を作成して再度三人と会い、今度は税理士から説明してもらう。今日も志摩FAを同行させている。当然、税理士の試算も同じ結果で、特に長女は大いに喜んだ。
「杉山さんにお願いして、手数料の350万円はとっても高いと思ったけど、これで十分元を取ったわね。」
「そうでしょう。じゃあ、もう少し報酬を上げてもらってもいいですか。冗談ですけどね。」

 試算の結果を参考にしながら、全員で最終分割案を検討した。結局、文江は自宅を含め、アパート、マンションの建物を相続して今後の家賃収入の全部を収受することとなった。
 一方、長女の明子は独身であり、文京区のマンションの現在空室になっている部屋に移り住むことを希望したので、マンションの敷地を取得、将来は母親から建物を譲り受けることにした。
 逆に、二女の亜紀は、信樹が新築したアパートの敷地を取り、姉と同じように母親から建物を相続する予定だ。また、預金の解約金の内3000万円を文江が受け取り、残りを姉妹で2000万円ずつ折半し、文江亡き後は売却する前提で自宅の土地も二人の共有とした。
 これで最終案が固まり、迫間税理士が再度計算してみると、文江の取得資産額は、全体の2割強と少なくなり、子供達の取得割合が多くなった。配偶者は税額控除の特例により納税は不要であるが、逆に今回は子供達が財産を多く取得するようになったため、それに応じて納税額も約5500万円、信樹の考えた分け方より、1600万円も多く納めることになった。
 しかし、将来の文江の相続では3600万円も納税額が少なくなり、2回の合計税額を比較すると、2000万円も安くなる計算となった。
「本当なんだ。今回は少し納税額が多くなるけど、将来の二次相続は随分安くなるんですね。」
同席していた志摩FAが驚くと、文江が一言。
「志摩さんも、杉山さんに良く教えてもらって立派なアドバイザーになってくださいね。お役職はファイナンシャルアドバイザーなんでしょ。」
「すみません。まだまだ修行の身なので、名前負けしていますね。」
「しょうがないですよ。杉山さん達はもう何年もプロとしてこの仕事をやってるんだから。我々も教わることだってあるんですよ。」と、迫間先生がフォローしてくれた。
 今回のように我々が遺産整理業務などで配分の相談に乗る場合は、二次相続までの納税額を検討して提案するのがプロとしての務めだ。
ただ、税金は少ないことに越したことはないが、相続人の先行きの生活資金が確保できる配分でないと意味がない。そこのバランスをとることが大事なのだ。

平成19年9月
 さて、分割協議が整い、協議書を作成、調印が済めば、名義書換や預金の解約などの手続きを進めて行く。
手続きが全て終わり、終了報告書を作成していると、志摩FAが私の机までやってきた。
「杉山財コン、この遺言の案文をチェックしてもらえませんか。」
「えっ。誰の?」
「文江さんのです。財コンには内緒でしたが、奥様にお願いして、相談しながら私に案文を作らせてもらったんです。勿論、これからは財コンにお願いしますが、自分で直接お客様と相談しないと実力は付かないと思って少しルール違反ですが、やってみたんです。」
「本当かよ。よくできたな。」
「前期の本部での遺言・相続のオープン講座に参加したので、そこで教わったことを試してみたかったんです。」
「そうか。文江さんはお前を可愛がってくれているからな。よし、案文見ておくよ。」
こんな若手が増えてくれたら、信託銀行としての当社の先行きも、そして将来もらう私の年金も安泰だろう。

11 終の棲家

平成18年5月
 銀行の開店は9時、その直後に篠田克昌が吉祥寺支店に入店し、カウンターに座った。
1階のテラーから連絡を受け、克昌を財コンルームに案内した私は、彼の叔母の相続について、改めて相談を受け始めた。
彼の叔母、北村路子は78歳、夫は早くに亡くなり、お茶とお花の師匠をして一人で生きてきた。子供がいないため、現在は甥の克昌と姪の松本紀子の二人が面倒をみている。面倒と言っても、路子は健康面では全く問題ないので、たまに訪問して話相手になっていればいいそうだ。
 路子から、今はしっかりしているが、将来認知症にでもなったら困るし、相続人は甥姪が7人もいるので遺言も書いておきたいなど、相談されている。しかし、自分が後見人になり遺産を多くもらうことにでもなったら、他の甥姪などから何を言われるか分からないので、第三者にきちんと手続きしてもらいたいというものであった。

 早速、本人に会うこととする。路子の自宅は練馬区の立野町、成蹊学園の裏の閑静な住宅街にあった。日本風の家屋は数寄屋作りで、趣がある。勿論玄関もドアではなく、引き戸である。 奥の茶の間に通され相談が始まった。
 まずは、財産の遺し方の相談からだ。甥姪が7人いるが、可愛がっているのは、相談に来た篠田克昌と松本紀子の二人で、他の5人との交流は少ない。そのため、二人にやや多くの財産を遺してあげたいとの希望である。自宅の土地は約80坪、立野町はバス便だが利便性も高く住宅地としてはかなりの価値がある。その他は親から引き継いだ銀行預金が5000万円程とのこと。遺族年金とお花の教授料で堅実に過ごしてきたようだ。
路子は、自宅の不動産を克昌と紀子の二人に、残った預金などは他の5人に均等に渡そうと考えていた。
「その配分が路子さんのお気持ちならそのまま遺言書を作ればいいと思いますが、自宅を二人に遺した後のことを考えておきましょう。このお宅に住んで欲しいのですか。」
「いえ、二人とも家庭があり、今住んでいる所もありますから移り住むことは期待していないですよ。」
「それなら、遺言の中で、この家を売却してその売却代金を二人に分けるように指定したらいいんじゃないでしょうか。単純に二人に遺すと、片方が売りたくないと言い出したり、売却価格で意見が合わず揉めてしまうこともあります。また、売却するには時間もかかりますし、面倒な手続きもありますから、亡くなった後もお二人にご苦労をかけることになりますよ。」
「なるほど。でも二人に売って分けてくれと書いておいてもどちらかが嫌だと言い出すかも知れませんね。」
「そうですね。但し、遺言の中で、売却を条件に承継させることは可能ですよ。また、どうしても必要なら遺言執行者に処分を任せることもできますね。」
「執行者って誰なんですか。」
「遺言執行者とは、遺産の分配を実際に手続きしてくれる人のことです。遺言を書く人が遺言書の中で指定することができるんです。当社の遺言信託の場合は、その遺言執行者に私どもの銀行を指定していただきますので、当社が責任を持って分配手続きをいたします。相続の手続きは原則全て遺言執行者が執行しますので、お二人やその他の甥姪の方は何もしなくて遺産を受け取ることができるんです。」
「それは便利でいいですね。」
「但し、私どもの銀行が手続きしますので、その分の執行報酬は頂戴しますよ。それなりの金額になります。」
「それはそうでしょう。お金が減ってしまうのは心細いですが、いくら位掛かるのですか。」
「執行する財産の評価額によって料率が決まっておりまして、路子さんの場合は、1.5%程度でしょうか。報酬額はその時点にならないと正確には分かりません。亡くなった時の財産額が基準になるんです。」
「それじゃあ、今払えないじゃないですか。」
「ですから、遺言の執行報酬は亡くなった後、相続の手続きが全部終了した時に頂戴するものなので、その時計算するんです。」
「私が死んだ後に払うんですね。じゃあ、取っておかなければいけないですね。」
「いいえ。ご自身の財産ですから使いたければどんどん使ってください。残った財産の中から報酬をいただきますから、別に取っておく必要はありません。」
「そうなの、いいことを教えてもらいました。では遺言書を作る方向で準備してくださいね。」
「分かりました。但し、ご自宅の評価額がいくらになって、税金がいくら位掛かるかなど検討してから、遺言書の案文をお作りします。それを見てもう一度配分方法を考えてください。2週間ぐらいで準備して来ましょう。」
「よろしくお願いします。それから、後見人のことなんですけど、後見人は複数の人、具体的にはあの二人にお願いすることができるんですか。」
「できますよ。でも、二人に頼むのなら後見人の仕事を分けてお願いした方がいいと思います。大きく分ければ、財産管理と身上監護です。分けずに頼むと、例えば財産の管理方法の意見が異なり揉めてしまうことがあります。例えばAさんは、お金をA銀行の定期預金にしておこうと言い、BさんはB証券で国債を買おうと言って譲らないなんてことになる可能性があります。」
「そうですか。私の場合は、克昌さんに財産管理、紀子さんに身上監護をお願いするのが自然かしら。」
「そうですね。ご親族の関係はまだ良くお聞きしていませんが、一般的な分担のように思いますね。任意後見制度を利用されるのですか。」
「はい。克昌さんが色々と調べてくれました。遺言を作る時に合わせて後見人もお願いしようと思っています。」
「そうですね、共に公正証書で作ることになりますから公証役場に行くのは1回で済ませる方がいいですね。」

平成18年6月
 自宅の敷地は約80坪、相続税評価額で1億2000万円、相続税を試算した上で、遺言書の案文を作って約束の2週間後、路子の自宅を訪ねた。
すると、事情は大きく変わっていた。克昌が同席して先週の出来事を話し始めた。路子は永いこと元気にお茶やお花を続けて来ていたが、私が訪問した翌日に家の廊下で転んで膝を痛めてしまった。この怪我により元気だった自分が動けないことで急に弱気になってしまい、一人住まいが怖いと介護付きの老人ホームに入ると言い出した。
車いすで見に行った近くの「安らぎホーム武蔵野」が気に入り、仮申し込みをして来ていたのだ。遺言を作る前に自宅を売ってホームに入るつもりである。
「そうですか。ホームが気に入られたんならそれもいいんじゃないですか。一戸建てに一人住まいはそれなりに大変ですし、ホームなら何かあった時にすぐサポートしてもらえますから。」
「もうこの家にも未練はないし、どうせ私が死んだら売ってしまうんですから、思い切って、今売ることに決めました。杉山さんのところで、売っていただけますか。」
「はい。うちの子会社のマスターズ住宅販売で売却させましょう。こちらは、いい住宅地ですから結構な値段で売れると思いますよ。ただ、80坪もあり総額が張りますから、買える方が限られるので少し時間がかかるかも知れませんね。」
「取り敢えず、手持ちの資金で入居を決めます。」
「入居金はいくらですか。」
「一時金が2600万円です。」
「それなら、大丈夫ですね。ただし、土地を売るにあたって境界などに問題がないかを確認してからホームの契約をしてください。土地自体に決定的な瑕疵があると、多少価格を下げても処分ができないことがありますので、その点だけは確認しておきましょう。」
 遺言書を作成するのは、しばらく延ばすことになったが、自宅売却の仕事が舞い込んだ。会社に戻り、早速セントラル住宅販売の練馬区の担当渡部に連絡して物件調査を依頼した。
「杉山財コン、ありがとうございます。すぐ現地を見させていただき、役所で隣地や道路、上下水など調べて報告します。」

平成18年10月
 自宅の売却は、7月に販売を開始してから翌月には買い手が付き、10月10日に残金決済・引き渡しとスムーズに進んだ。
既に安らぎホーム武蔵野に入居している路子は膝の調子もだいぶ快復して、自宅の処分も上手くいったことで、安心したようである。
 今日は、売却代金をどうするか、そして持ち越しとなっていた遺言書の内容を相談するために訪問した。
安らぎホーム武蔵野のロビーの横の応接室を借り、克昌、紀子の二人も同席している。こちらは、資金の運用担当の泉FAと一緒だ。
「ご自宅は上手く売れて良かったですね。」
「はい。お蔭さまで、ありがとうございます。」
「これでこちらの管理費などの支払いも心配しなくて悠々と過ごせますね。将来は克昌さんにお金の管理をしてもらえば安心ですし。」
そこで克昌が口を開いた。
「そこで相談なんですが、杉山さん。将来、私が後見人となって財産管理することは、叔母さんに再三頼まれているので引き受けようと思っているのですが、金額が金額なんで、ちょっとビビっているんです。」
「そうですね。今回の売却で来年税金を払っても1億数千万円が残ります。確かに大金ですね。」
「勿論、元本保証の定期預金や国債などで管理・運用していくつもりですが、他のいとこ達から、あいつだけ何かいいことしてると疑われるんじゃないかと心配なんですよ。」
「そんなことないわよ。」紀子が言う。
「でも、嫌なんだよ。なにしろお金のことだから、責任あるし。」
「そうですね。それなら、うちの「未来安心信託」を利用しましょうか。この商品は、路子さんが委託者になって、受託者である私どもマスターズ信託に、お金を信託するんです。委託されたお金を信託銀行が安全に運用しながら、委託した方が指定した信託目的に沿って受益者に将来の配当や元本の払い戻しを行うものです。受益者とは、この信託から利益を得る人です。委託者である路子さんが自分自身を受益者に指定しておけば、自益信託と言って信託からの交付金を定期的に自分が受け取ることができるのです。そして万一、路子さんの判断能力が無くなった場合を想定して、銀行へ交付金の増減などを指示することができる人を決めておきます。その人を指図人と言って、克昌さんになっていただけば、路子さんに必要な資金交付の指示などが可能です。そして、信託目的を「路子さんの老人ホームの管理費など生活資金を交付すること」としておけば、他の用途に使うことはできないので、たとえ指図人といえ克昌さんが勝手に引き出すことはできません。ですから他のいとこさんに難癖を付けられることもないのです。」
「でも、私が大病して特別にお金が掛かる時は困るじゃないですか。」
「大丈夫です。生活費とは入院費用などその方が生活していくのに必要な資金です。私どもは路子さん、あるいは指図人の克昌さんから特別に資金が必要だと申出を受けたらそれが路子さんの生活に必要なものか、信託金の管理者として確認した上でお支払いします。一方、路子さんが認知症になってしまった後、万一、克昌さんが自分の為に信託金を不正に払い出ししようとしても、路子さんの為の支出でなければ銀行がストップをかけるのです。」
「でも、私がお小遣いを増やして欲しい時は、克昌さんにお話しして、銀行の了解を貰わなければならないなんて不便ですね。」
「いいえ、ご自身が使いたい時はいつでもOKです。克昌さんが銀行に指示できるのは、路子さんの判断力が無くなった後のことです。ご自身の意思がはっきりしている時は、自分の意思で自在に使えるんですよ。」
「それならいいかもね。ホームの管理費を定期的に払ってもらえるし、大金は安全に守ってもらえるし、克昌さんの負担も軽くなるでしょう。」
「そう、助かりますよ。結構プレッシャーだったんですよ。」
 信託の仕組みはなかなか理解しづらいが、今回のケースでは大半の財産を銀行で安全に守りながら、必要な資金は定期的にまた特別な場合はまとまって受け取れ、万一の時は、最終の帰属者も指定できるこの信託がぴったりであった。
もうひとつの課題であった遺言書は、自宅を売却したことで、財産が全て金融資産になり、分けやすくなった。単純に配分割合を指定すればいいのだ。
克昌と紀子に25%ずつ、他の甥姪は10%ずつで分ければ、ちょうど100%となり、路子の希望に叶うであろう。その配分を提案すると路子も喜んで賛同し、遺言の案文も決まり、準備に入ることになった。
その日の帰り、アシスタントの有紀ちゃんとFAの泉を誘った。
正式に遺言信託の申し込みを受け、合わせて大口の未来安心信託の受託も決まり、ご苦労さん会といったところだ。
「どこへ行こうか。」
「財コンの奢りなら旨いとこにしましょう。」
「たまには、うな鐵にでもするか。」
「いいですね。あそこは鰻屋ですけど、焼き鳥も旨いんですよ。」
「よし。焼き鳥とうなぎで一杯と行こう。」
うな鐡はサンロードの脇道をちょっと曲がった奥にあるうなぎ屋で吉祥寺では老舗のひとつだ。焼き鳥の正肉・肝焼と銀杏・椎茸などの串焼きでビールとなった。
「北村さんの安心信託、あの人にぴったりですね。でも、万一、惚けちゃった後、あの甥っ子さんが勝手にお金を使っちゃうなんてことはないでしょうかね。」
「何言ってんだよ、だから信託するんじゃないか。だから、我々信託銀行が資金使途を十分確認して本人のための出費かを見極める責任があるんじゃないか。」
「そうですよ。私が担当している他の方でも定期給付以外の払い出しには、何に使うのか請求書とか出して貰って確認してますよ。」有紀ちゃんは信託後方事務の兼務なので、特殊信託の手続きも担当しており、事務面から信託の仕組みを見ているのだ。
「泉さん知らないんですか。特定贈与信託も同じようにチェックする仕組みなんですよ。」
「特定贈与信託って、障害者への贈与が非課税になるやつだっけ。」
「そうよ、6000万円まで非課税なんですよね、財コン。」
「そうだね。税務面の特典があるかないかの違いで、基本的には、まとまったお金を渡したい人のために信託するというところは、おんなじだね。泉も有紀ちゃんに事務面を良く教えてもらわないとな。」
「分かりました。ところで、財コン。北村さんの安心信託は僕が受託稟議を書くんですか。初めてなんで教えてくださいね。」
「ああ。稟議は型どおりに書けばいいんだけれど、契約書を良く読み込んで理解しておけよ。特殊な信託契約だから、ここでじっくり勉強しておけば他の案件にも応用できるはずだよ。」
旨い串焼きを食べながら、飲み物はビールから焼酎に変わっている。うな重は頼めば、すぐ出て来てしまうので、もう少し杯を重ねてから、注文することにした。泉は、未来安心信託の受託に向けての社内稟議が気になってかペースが上がって来ない。一方、有紀ちゃんは焼酎を抹茶で割ってぐいぐい飲んでいる。最近の若い女性は良く飲み、良く喋り、良く働くもんだと感心しきりである。

平成18年11月
 公証役場に行く3日前、膝の痛みも無くなって歩けるようになった路子は未来安心信託の契約のため吉祥寺支店までバスに乗って出掛けて来た。膝が痛く老人ホームへの入居を決めた人間が元気になったものだ。未来安心信託から受けとる3カ月に1回の分配金も小遣い分を増やしてくれと言ってきた程だ。
支店に着いて、自宅の売却代金の大半1億円を未来安心信託に信託して、月30万円程度のホームの管理費と彼女のお小遣いを合わせて3カ月ごとに150万円を交付することで、契約を済ませた。万一、路子が認知症など財産の管理ができなくなった場合の信託の指図人には篠田克昌が指定された。
 そして3日後、改めて公証役場に路子と克昌、紀子が集合した。こちらからは、遺言の証人としてFAの泉と私が立ち会うことになっている。
 まず、遺言書の作成だ。この間、克昌と紀子は別室で待っている。遺言作成に相続人が立ち会う訳にはいかないからだ。茂村公証人が遺言の文面を読み上げると、路子は聞きながらいちいち頷いて納得している様子だ。読み終わり公証人が貴方の意思のとおりですねと最後に念を押した。
「はい、このとおりです。」とはっきり答える。
遺言書の原本に署名をして、実印を押す。私と泉FAも署名、捺印して原本を公証人に返す。
「はい、結構です。これで遺言書は完成です。次に、任意後見契約に移りましょう。杉山さんたちは、お待ちいただいている後見人さんと交替してください。遺言書の正本と謄本は後でまとめて後見契約書と一緒にお渡ししましょう。」
「はい先生ありがとうございました。それでは手数料のお支払いも後でまとめてさせていただきます。」
克昌と紀子が入って来る。すると路子が、
「先生、杉山さんに残っていただいては、いけませんか。」
「いいですよ。契約当事者にはなりませんが、皆さんが良ければ残っていても構いませんよ。」
「今回の契約は全て杉山さんに教えていただいたので、最後まで立ち会っていただきたいんです。」
「勿論、私は構いません。最後まで立ち会わせていただきますよ。それでは茂村先生お願いします。」
 任意後見契約は公正証書にすることが法律で決められている。自分の将来の後見人を自分で決めて、その人にどのような後見事務を頼むのかを契約で取り決めるのだ。路子は私のアドバイスに従って、財産管理を克昌に、身上監護を紀子に頼むと契約した。契約の詳細は一般的なひな型に路子の個別要因を加味して茂村先生に作成してもらい、契約当事者の三人に理解してもらって準備したものだ。この契約は銀行の関与はないので、本来は我々が関わる必要はないので、あくまで三人と公証人の取り継ぎの役回りである。
「先生、この契約の内容は理解しているつもりですが、一つ確認です。我々が後見事務を始めるのは、路子さんの判断能力が無くなってからですよね。」克昌から質問。
「そうです。皆さんが路子さんを見ていて、判断能力が無くなったと思われたら、家庭裁判所に任意後見監督人の選任を申し立ててください。裁判所が皆さんの後見事務を監督する監督人を選任してからが、後見開始です。」
「分かりました。そうなったら、杉山さんの銀行にも連絡するんですね。」
「はい、その時は連絡をお願いしますね。路子さんは未来安心信託の受益者で且つ委託者ですので、後見が始まるまでは、分配金の指示などは、路子さんご本人の意思でできますので、安心してください。」
「はい。分かりました。できるだけ元気で克昌さんや紀子さんのお世話にならないよう頑張りますわ。」
「そうですね。叔母さん世話を掛けないでくださいね。」冗談も出る程、和やかな契約の締結となった。
公証役場を出て、遺言書を持って帰ろうとすると、安らぎホーム武蔵野まで来て欲しいと言われ、遺言書を泉FAに持ち帰ってもらい路子と共にホームに戻った。
自室に入り路子はほっとしたのであろう、大きくため息をついた。
「杉山さん、本当にありがとうございました。ほっとしました。遺言も作れたし、二人にも後見人になってもらえました。これで私の相続は争族にならないですみますね。私はこのホームを終の棲家としてもう少し生きてみようと思っています。膝を痛めた時は、もういいかなと思いましたが、これですっきりして元気が出てきたようです。」
「良かったですね。路子さんはまだ70代ですよ。今は百歳も珍しくない時代ですよ。これから大いに楽しんでください。」
「そうね。もっとお小遣いを増やして貰わなくちゃね。」
「いつでも言ってください。自分のお金は自分で使っていいんですよ。」
「杉山さんには、すっかりお世話になりました。ここまでやっていただけるとは、本当に助かりました。杉山さんだからお話しするんですけど、私のお友達にやはり相続のことで悩んでいらっしゃる方がいるの。それも二人も。今度紹介しますから、相談に乗ってあげて下さらない。」
「勿論、いいですよ。是非ご紹介ください。路子さんのお友達ならうんとサービスしますよ。」
「ありがとう。近いうちにお願いしますね。ところで、今日はお礼を差し上げたくて、ここまで来ていただいたの。銀行の方は現金など受け取っていただけないと聞いていますので、私の書いた色紙を受け取ってください。」
「えっ。書道もなさるんですか。」
「そうなんですよ。母が書道の師範だったので子供のころからずっと続けてきましたの。気に入っていただけますか。」
 立派な額に入った色紙を見ると、私の座右の銘が書かれていた。
『桃李不言下自成蹊』

百歳の遺言

百歳の遺言

信託銀行のコンサルタントが次々と起こる相続問題を解決していくフィクションです。 読むだけで相続に関する知識と問題点が理解できます。相続対策を考えている方必読です。

  • 小説
  • 長編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1 財務コンサルタント赴任
  2. 2 妻の預金
  3. 3 百歳の遺言
  4. 4 親の土地に子供の家 
  5. 5 土地の売却
  6. 6 2通の遺言書
  7. 7 怖い目
  8. 8 社長の悩み
  9. 9 工程表
  10. 10 突然の死
  11. 11 終の棲家