母の日

 さくらがおわりました。欠片でもいいから、やさしさのあるひとになりたいと思ったとき、彼らは、月をながめていました。きょうは、おかあさんありがとうの日なので、わたしは海にいて、おかあさんありがとうとひとりつぶやきました。わたしはきっと、ながいあいだ、迷走していたのだろうと、朝を迎えて感じました。きのうまでのわたしも、まぎれもなくわたしではあったのだけれど、なんだかうそくさい、いつわりの、きれいなお洋服で着飾っただけの人形、そして、虚栄を塗り固めた、ただの物体だったのだと思うのです。

 わたしは、おんな、というひとであるまえに、にんげんで、おとこ、というひとになりたいときもあって、でも、それ以前に、わたし、というにんげんでありたい。

 いのちは有限であることを、ときどき思い出してはいたのだけれど、でも、日々のくらしのなかで、そういうのを忘れてしまうこともあって、ふと、わたしは、素直に好きなものを好きであるかと、まわりばかりを気にして、わたし、を見失っているときが、いままでにも何度かありました。見失っては、我に返り、わたし、をとりもどして、でも、つねに進化し流れつづける世界のなかで生きていて、ふたたび、わたし、が、わたし、でなくなってしまう。
 そのくりかえしが、人生なのかなぁなんて想いながら、いちごのショートケーキを買う。
 カーネーションを一輪添えて。

母の日

母の日

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-08

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