メトロ

  田中は自分のことを、ユークリス179という惑星からやってきた宇宙人だといった。
 僕は田中が嘘をついていると直感的に思ったのだけれど、そう直感的に思ったところで、彼が宇宙人でない確証みたいなものは何一つなく、絶対にいないとは言い切れない宇宙人のことを否定することもできず、かえって僕は彼が宇宙人であることを、取り合えず疑いながらも、なんとなく、宇宙人であるという体で接してきた。

 宇宙人である、といっても、別に何か特別気を使うというでもなく、見た目も大の大人と大して差はないから、普通に接してきた。

 田中という苗字も、なんだか偽名らしい。当たり前だけれど、本名はピカソの本名よりも長いらしいから、もはや自分でも覚えていないといった。


 僕は田中について、何も知らない。知りたくもない。けれども田中はここに存在している。存在していて、明日の天気について、地球の天気はコロコロ変わって面白いとか、カップラーメンは世紀の大発明だ、とニコニコしながら語っている。

 彼は地球を侵略しに来たのだそうだけれど、全然やる気にならないと言っていた。地球の文明が進みすぎていて、単純に攻撃しても運が悪ければ負けるかもしれないし、自滅を誘おうにも人類は完璧だからとっかかりがないらしい。
 とりあえず一般人として、ぽんぽこの生き残った狸みたいに人間に紛れて生活しているけれど、それが案外面白くて、侵略などしなくてもいいような気がしてきたのだという。

 僕はその時、かなり精神的に参っていた。
 田中とかいう人間は、ひょっとしたら、僕の病んだ精神から生まれたイマジナリーフレンドみたいな、実際には存在しない人物で、妄想みたいなものから生まれた、僕の中だけの人物なのではないかとも思った。

 実際に存在していると思い込んでいるだけで、実際には存在しない、挙句の果てには自分は宇宙人だなどと言い張る、全部それで説明がつく気がする。

 それくらい僕は、甘ったれているかもしれないけれど、疲れ切っていた。

 思えば地球自体も、存在する証拠なんかないのだ。田中が生まれたところを誰も見たことがないように、地球が生まれたところを見た人も、誰もいない。
 たぶんビックバンという爆発が起こって時間と空間と物質が生まれて、それから隕石が衝突し、大きな塊になって地球ができて、その確率、プールに沈めたバラバラの時計が勝手に組みあがるのと同じ確率だとかなんとか、宝くじで一喜一憂している場合ではなく、本当に、天文学的な数字だ。そんな確率、ほぼ無いに等しいし、なんだか胡散臭い。胡散臭いけれども、生まれたら地球があった、そしてその先にどうも宇宙という空間があるらしく、お父さんとお母さんの上にはおじいちゃんとおばあちゃんがいて、そのおじいちゃんとおばあちゃんにはまたお父さんとお母さんがいて。

 とにかく、僕がいる。
 電車の椅子に座って、その隣に、田中がいて、スマホの中のyoutuberが料理をしている様を食い入るように見つめている。

 隣からのぞき込むと、生きたままのイカがぶつ切りにされていく動画だった。たぶん、海鮮丼とかを作る動画だと思うけれど、生きたままのイカが斬られていく様は割とショッキングだった。
 僕の中の宇宙人のイメージは、ヘルメットをかぶったイカだかタコだったから、余計に胸糞が悪くなったけれど、田中はお構いなしに、興味津々気にディスプレイの向こうのバラバラ死体を眺めている。
 

 僕は少し閉口して、少し考えて、海鮮丼とか食べたことある、と恐る恐る聞くと、一度目は聞き返された。電車がレールの上を走るときの鉄がきしむ音の方が大きくて、うまく聞こえなかったらしかった。
 彼の眼は、日本人とは思えないぐらいに青かった。そもそも、日本人の体をした宇宙人なのかもしれないけれど。

 「いつか食べたいとは思ってるけど、できるなら、これが食べたい」
 ニコニコしながら画面を指さして、口の中に腕がくっついたと悶絶しているyoutuberと、僕を交互に見ながら、田中は言った。


 「いや、俺たちの計画は順調に進んでいるんだよ」
 この間言ってた、ダイエットの話かと思って、そうか、と、疑問形で投げかけると、普段は声を荒げない田中が初めてちょっと声を荒げた。
 「違う。地球侵略の話」

 僕はすっかりそんなこと忘れてしまっていた。おしゃれに世界征服でもするつもりか。ちょっと前の歌みたいに。
 というかまだそんなこと考えていたのか。ロシアとウクライナが喧嘩を始めて大ブーイングが起こっているこのご時世で、世界征服などと、よく言えたものだと感心していると、ちゃぶ台の向こうで田中は、両手で三角形を作って目の前でその三角形をのぞき始めた。

 「冗談じゃないよ」
 僕が笑うと、田中はニコニコしながら、その三角形で僕を見つめた。
 「君が初めて僕に話した話、とても面白かった」
 
 地球なんて星はそもそも存在しないんだよ。
 君は確か、生まれた時に地球という星があって、そこにお父さんとお母さんがいて、いろいろな国があって、そこにはいろいろな歴史があって、なんて言ってたね。あれは僕たちが作った、捏造した歴史なんだ。日本なんて国も存在しないし、世界なんてものも存在しない。お金も存在しないし、病なんてものも存在しない。
 地動説だの天動説だの、ダーウィンの進化論だの恐竜だのホモサピエンスだの、いろいろな作り話を君に植え込むのは結構苦労した。君だけじゃなく、この世の中のすべての人たちだな、大変だった。

 始まった、と僕はつぶやいた。それは田中が大好きな話で、聞くのは三回目くらいだった。


 田中が言うには、今僕たちが常識だと思っているほぼすべてのことが作り話であり、僕たちの行動はそれによって制限されている、という、都市伝説ファンなら誰でもうんうんと頷いてしまうような内容だった。

 自分が観測できたことでしか人は確信をもって断言できない。らしい。僕が生まれた日、僕が生きてきた毎日、見たこと聞いたこと、それによって世界はできている。言い換えると、世界は一つではなく、一人一人一つずつあるのだということ。
 ただみんなが違う世界感を持っているといろいろ面倒だから、とりあえずの大まかな歴史なり規範を宇宙人が、というか田中が、でっち上げ、それを僕たちが何も疑いもなく信じている。

 世界とは僕自身であり、世界は人類一人一人が持つ知識や規範そのものなのだ。
 それを宇宙人が操っていて、人間が難なくいうことを聞いてくれるように洗脳することが田中たユークリス人の目的で、うまくいけば攻撃なんかしなくても、勝手に人間は宇宙人を受け入れてしまうようになってしまうらしい。

 そんなことは許せない!
 と、この狭い四畳半の部屋でいきなり立ち上がって正義のヒーローに変身して、田中と白黒はっきりつけたら面白いと思ったりしたが、そんなことはテレビの中だけの話だし、こんな陰鬱な気持ちを植え付けた社会が宇宙人によって少しでも変われば、もっとましな世の中になるんじゃないかとさえ思えてしまうから、僕は別に、それが本当だったにせよ、作り話だったにせよ、ユークリス人の好きなようにさせてやるのがいいのではないか。

 人なんか、だれもお互いを信じちゃいない。
 弱み、悩みに付け込んでは蹴落とし、本当の善意は疑われ、悪は称賛される。それが今の世の中ではないか。

 仮に僕が正義のヒーローだったとして、悪の宇宙人を退治したところで、動物愛護団体やら、宇宙人にも平和的解決ができるんじゃないかと非難をうけ、本当の悪はどっちなんだと誰に聞いたところで、知らねぇよの一言で片が付いてしまう、田舎から街に出てきて、初めて思い知った、真実の世界ではないか。

 ある意味、田中たちユークリス人の洗脳は、かなり浸透しているんじゃないか。


 「叫んでみれば?」
 田中はちゃぶ台のしたの足をパタパタと上下させながら言った。
 「何を?」
 「愛を」
 キリストみたいに、と悪魔みたいに田中は笑った。

 「うるせぇで終わると思うけど」


 これは、ほんとに、おしゃれに世界征服だ。

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  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-02

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