Monochrome World
変わりたい自分と、過去に苦しむ自分。 『真偽の私』の葛藤。
SS作品
――だから私は人が嫌いだ。
この言葉を他人に放つと、他人は誰しも悩み事があったのかと聞く。
そうじゃない。 何も悩んでなんかない。
ただ自身の心が繋がれている『鎖』が鬱陶しいだけなんだ。
「大丈夫じゃねぇっつーの。」
フラリと立ち上がる私に他人は皆『大丈夫?』と声をかける。 きっとかける言葉がそれしかないからだとは思うが、大丈夫に見えないのに大丈夫かと声をかける人が嫌いだ。
切れた唇から滴る赤い液体を右手の中指で無造作に拭い、男口調で言葉を吐く。
幼い頃は色鮮やかだった世界も、今はモノクロでしかない。
なんとも言えない緊張感が漂うこの『現実世界』は居心地が悪く、過ごしているととても疲れる。
だから私は『偽りの世界』を創造し、『偽りの自分』を作り出した。 つまり、カラーフィルムを通してモノクロの世界を見るという事だ。
こうすれば幼い頃に見ていた、色鮮やかな世界で『色鮮やかな自分』として過ごせる。 私の目に映る全てのものが『偽り』だと思えば、どんなに辛いことでも痛みを感じない。
ただし『偽りの自分』はまだまだ未熟で、少々辛いことがあると『本当の自分』を表に出してしまう。
そうなると、また『大丈夫?』の嵐だ。 また心の傷が痛んでしまう。
「私だって誰かに頼りたいもんだよ。」
『本当の自分』から出た本音。 そう、私は弱いんだ。
弱いから強がって、何もないように笑って。
きっと誰かに分かってもらいたくて。
不器用だから盾になって、傷ついて。
本当は心の奥底から泣いて、
怖いものには怯えていたい。
でも、私は歩き続けないといけないんだ。
歩くのを止めたら、『本当の自分』も『偽りの自分』も、二度と歩けない気がするから。
「もう時間か。」
時計を見ると、家を出なければいけない時間だった。
中指についた赤い液体を舐めると、少し鉄臭く、しかし生きていると思える味がした。
目を瞑り、一息吐く。 目を開くと、殺気立った『本当の自分』はもう居ない。
カラーフィルムを通した、もう一人の理想の自分。 『偽りの自分』が鏡の向こうで涼やかに笑っていた。
「数学の宿題どこだっけー?」
「美術の教科書貸してくれない?」
「今日放課後空いてる? 遊ぼうよー。」
何もない。何もない。
日常というものは本当に何もない。 ただ七時間に区切られた授業を何となく過ごし、隙間の時間は教室に居る他人と何となく話し、お昼時になれば家から持ってきた少し右に片寄った弁当を口に運ぶ。 それだけで日常だった。
「お前、何か悩んでるのか?」
しかし日常は意外にも簡単に崩れる。 一分、一秒。 たった一つの言葉で。
今は『偽りの私』の筈なのに、何故君はこの言葉をかけられたのだろう。
「別に、大丈夫だよー。 宿題が多すぎて頭抱えてただけ。」
朝に切れていたせいか、一点が瘡蓋のように赤黒くなっている唇の端を結んで笑う。
きっと『偽りの自分』の笑顔の裏には、『本当の自分』のSOSを受け取ってほしいという意味があったのかもしれない。
それでも、『大丈夫』と答えた私に君は頷き、宿題の話に花を咲かせる。
――そう、これで良いんだ。
パリンッ
もう一度言うが、日常は一分、一秒で簡単に崩れるものだ。
この一つの音でも、他人は日常だと思っていても、私の日常は崩れていった。
『偽りの自分』の儚く、また平凡な日々はこの音と同じように、ガラスが割れるのと同じように呆気無く崩れるものだった。
その音に身体が条件反射してビクリと震える。
その後に足が震え始め、全身に鳥肌が立ち始める。 顔から血の気が引くのが自分でも分かる。 奥歯がガタガタと鳴り、頭が一瞬にして真っ白になる。 カラーフィルムで浄化しきれない程の非日常茶飯事なことが起こったからだ。
今怯えてるのは『本当の自分』――
「……大丈夫?」
「……」
「保健室、行こうか。」
「……うん。」
青ざめた私に気づいた君。 ほら、また『大丈夫?』って聞く。
それでも此処に居ると『大丈夫?』の嵐だと思い、震える足を精一杯動かして歩く。 これ以上君の心配な顔を見たくないから、これ以上他人の上辺だけの『大丈夫?』を聞きたくないから、何よりこれ以上この空間に居たくなかったから。
例えばガラスの割れる音。 例えば怒鳴る声。 折れた木製バット。 野良猫の死体。 哂い声。
この全てが『本当の私』を壊していく。 その音を聞いたり、ものを見たりすると、過去の情景がまるでスライドショーのように私の脳内に映し出される。 音やものに怖がっているのではない。 その情景という名の鎖が、心を締め付けている、ただそれだけだ。
「……大丈夫だから、ありがとう。」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だからっ。」
「……そう。」
半ば強引に君を押し退けるようにして保健室のベッドに倒れこむ。 君は何かを察したように、カーテンを閉めて私から離れていった。 独りになると急に涙が溢れ出してきた。 『本当の自分』なりに一生懸命に君に涙を見せないように耐えた。 耐えた後の安心感と、記憶の中で苛めてくる他人への恐怖感で涙が出てきた。
「……ごめんなさい…ごめんなさいっ……」
『本当の自分』は謝る。 謝りながら泣き叫ぶ。 ここが学校というのも忘れて、ただただ泣き喚く。 自分が謝っている相手は、その姿を見て更に哂い声をあげて私を見下す。 哂う、嘲笑う。
「どうした?」
涙がたまって、ろくに何も見えない私がかろうじで認識できたのは、君の姿が近づいてくるということだった。 咄嗟の出来事に戸惑うも、とにかく怯えている自分を隠そうと必死で涙を拭った。 それでも目の前に見えるのは、見下している他人や殴りかかろうとしている他人。 小声でも謝る声は止まない。
――その時私を包み込んだのは一つの暖かさだった。
涙でグチャグチャになって、目が赤く腫れて、体が震えている私を君は大きな手で、筋肉質な身体で、包み込んでいた。 その瞬間カラフルな世界を見るための『偽りの自分』も、モノクロの世界しか見れない『本当の自分』も、心が繫がれていた鎖を君に砕かれたように自分が出る最大級の声で泣き叫んだ。
「ごめんなさいっ……ごめんなさい…ごめんなさいっ……!!」
「いいよ、いいよ。 大丈夫、大丈夫だから。 君は何も悪くない。 思い切り泣いて。」
それ以上君は何も言わずに、私が落ち着くまで思い切り泣かせてくれた。 疑問系じゃなく、肯定系の『大丈夫』は私の怯えている心を落ち着かせて、気が付くと謝るのも止めていた。
「それで、どうした?」
ようやく落ち着いてきた私に、君は静かに問いかけた。 はじめは沈黙でやり過ごそうかと思ったが、君の優しさに負けて弱い私は色々なことを話してしまった。
元々はクラスのリーダー的存在で、輝いていた私のこと。 その正義感で女子特有のグループに入れなかった他人を助けようとしたこと。 そのせいで他の女子の反感をかってしまったこと。 助けた他人も裏切ったこと。 独りになった私のこと。 他人を信じなくなって、一匹狼で過ごす日々のこと。 女子の嫌がらせに耐える日々のこと。 そしてカラーフィルムの私のこと。 そのフィルムは脆く今のように怯えてしまう私のこと。
君は嫌な顔一つせず、頷きながら、時々私の頭を撫でて最後まで話を聞いてくれた。
「それで、謝らないと……また、またっ…殴られるから……」
「大丈夫、大丈夫。 ここには殴る人は居ないよ。 居たとしたら俺がそいつを殴ってやる。」
君の心臓の音が私の右耳から聞こえる。 規則正しいその音で私の中で分けられていた『真偽の自分』は一つに合わさった。 その先にあったのはモノクロではなく、元の色鮮やかな世界だった。
「もう、私は一人じゃないの?」
「そう、俺がいるから大丈夫。」
「うん…うんっ……うんっ!!」
「こらこら、もう泣くなよ。 学校の保健室なんだから……」
「そ、そうだけど…でもっ……」
「はいはい。」
結局学校で鳴る最後の鐘まで私はベッドの上で君に慰められていた。 後々思うと凄く恥ずかしくなったが、それ以上に色々な意味での開放感に溢れていた。
「もう大丈夫?」
「……大丈夫だっつーの!!」
照れ隠しをするように目線を君の方から逸らす。 すると君はクスクスと笑って私の頭に手を置く。 その行動に反応したように私の頬は赤く熱くなっていく。
「……ありがとね。」
「ん? 何がだよ。」
「私に世界を教えてくれて。 君が居なかったら、私はこの学校生活もこれからの人生も、モノクロの世界でしかなかったと思うから。 君のおかげで カラフルな世界を見ることが出来たから。 カラーフィルムを通すんじゃなくて、自分の目で見える世界を知らなかったから。」
「俺も君に教えてもらった。」
「何をだよ?」
「日常の大切さ。 一つの音で崩れてしまう儚い日常の重要さを教えてもらえた。」
「お、教えたつもりはないけどな…っ!!」
夕日が地面に隠れるころ、長く伸びた私と君の影が並んで通る並木道。 唇の瘡蓋は知らないうちに取れていたことに気が付いた。
振り返って見てみれば、夕日は紅く見えた。
Monochrome World
高校生になって、昔と新しい生活とのギャップがあるなぁ
…と思いつつ夏休みの夏期課題に書いた作品です。
トラウマの情景が上手に描写できるようになりたいです。