予習ノート

愛川すぐる

難聴の私が恋したのは、いじられキャラの男子だった

予習ノート
             

真琴田市立江南中学校二年B組。騒がしい教室の窓側で、高城彩奈は一人英語の予習ノートを書いていた。
そして教室の前では、いつものようにまもるがヤンチャな男子のおもちゃにされていた。
「ヘイ、パス!」
「ほら取ってみろよ!」
「ちょっとぉーやめろよー」
まもるの筆箱が宙に舞っている。追いかけようとすると逆の方向に回される。 皆気づいているのかいないのか、自分たちのグループで固まって振り向こうともしない。
鳥かごみたいなもんか。バカな男子たちだ。いつも彩奈はそう思いつつ見ていた。
「こっちこっち!」
「ほらとれよ!」
「ちょっとーまじだるいってー」
か細いまもるの声がする。
今日は特にひどい。いつもなら二、三ターンで返して終わるところだが、ヒートアップして関係ない男子まで巻き込んでいる。
散々回されたところで、一人がコントロールをミスった。
「オラ! あっ……」
そして投げられていた筆箱は、彩奈の机目掛けて飛んでいった。それは彩奈のノートを巻き込むと、そのまま床にぶちまけられた。
とっさのことに彩奈はしばらく固まった。気が付いた時には、机の下にキャップの外れたペンや、ボキボキに折れたシャー芯、そして自分のノートが散らばっていた。
「あーあ、やっちまったよ」
「あー、かわいそーう!」
その時、誰よりも早く彩奈に近寄ってきたのはまもるだった。
「ごめん、ごめんね。大丈夫だった?」
そう言うなり、まもるは彩奈ノートを拾い上げた。
それを見て、彩奈はゆっくりと顔を上げた。
「ちょっと、めっちゃ汚れたんだけど」
「ごめん、ほんとごめん!」
「あんたじゃない」
そして、投げていた男子達を睨みつけた。
「ちょっと、そっちが謝ってよ。あんたが投げたんでしょ」
一瞬その空間は静まり返った。
ミスった男子は何も言おうとしない。 
その空気を断ち切るように、一人の男子が口を開いた。
「はーい、すみませーん」
リーダー格の男子。確かケイゴとかいう奴だ。
「マジで迷惑だから」
更に口調を強めてやった。
彼は戯けていたつもりだったと思う。態度こそ舐めていたが、その奥に少し怯んだのを彩奈は見逃さなかった。耳が悪いと僅かな表情や細かな口調に敏感になる。だから彩奈にはわかる、こいつらは、大したことない。
案の定、彼らは一度顔を見合わせ、少しきまり悪そうに廊下へ出ていった。
奴らに手をつないで引かれながら、まもるはもう一度彩奈に振り返り、申し訳なさそうな表情をした。 
その時見たまもるの表情は、本当に弱々しかった。

そんなことがあってからも、彩奈は度々まもるを見かけた。
教室や廊下ですれ違ったり、校庭で外周しているのを見たりしたが、わざわざ話しかけるまでのことはなかった。いや、正直に言えば話しかけられなかった。
いつもまもるは沢山の人に囲まれ、弄られていた。パンを横取りされたり、女子トイレに入れられそうになったり、広場でテストの点数を読み上げられたり。
そいつらはいつもケイゴを中心に、腰巾着のようについて回っていた。あいつらは友達なのか?そんなわけない。男はプライドの塊。自分がいじられたくないんだろう。常にまもるの隣にいて、安心したいだけなんだろう。かわいそうな奴らだ。
でもケイゴは少し違った。弄りの主導権は握るが、たまにまもるをかばったりもする。そして先生の前では大人しい。教室では聞こえよがしに、「俺ら仲いいからできんだよ」と言いながら肩を組んだり。やはり軍を率いているだけあって、その辺は考えているようだった。

そんなことを一人で考えていると、昔の記憶が入道雲のように襲ってきた。

小学生の時、ヤンチャな男子に難聴を揶揄われた。何と言われたのかは忘れた。それぐらいどうでもいい内容だった筈だ。言われ慣れていた彩奈は、無視を貫いていた。
しかしその時、それを遠くで聞きつけた教師がすっ飛んできた。
生活指導兼学年主任の高部とかいう中年の女教師だった。
「ちょっとあんた達、なんてこと言うの!」
すると、それまで黙っていた近くの女子達が、乗っかるように言い始めた。
「ひどい!」「謝んなよ!」「かわいそうじゃん!」
アンチコメを叩くアンチコメを書いているのは、たぶんこんな奴らなのだろう。
男子たちも言い訳を並べ立てたが、高部は彼らの弱点を知っていた。
「じゃあ、親御さんに報告させてもらうからね。先生、こういうのは絶対に許せないから!」
この程度の脅しで、彼らは黙った。やがて彼らは言い負かされた。
「謝んなさい!」
「すみませんでしたー」
彼らは目を合わさず、彩奈に頭を下げた。
「もう大丈夫だからね」「気にしなくていいからね」
彼らが去るなり、女子たちが口々に言った。
あの時の正義を振りかざして気持ちよくなっている顔は、今でも忘れられない。
そして高部が彩奈の肩に手を回し、鬼の首を取ったように言った。
「高城さんには、先生もいるし、優しいみんなもいるのよ。だから心配しないで」
その瞬間、彩奈の頭には一気に血が上った。気付いた時には、その手を思いきり振り払っていた。
「余計なことしないでください!」
そう叫んだ目からは、涙があふれていた。

さすがにプライド高すぎたな、と今では思う。しかし未だに根本は全く変わってないのかもしれない、とたまに不安になることがある。
その日から、彩奈は孤立する人生を歩み始めた。男子はもちろん、女子も誰一人として話しかけてこなくなった。教師からも、腫れ物に触るような扱いを受けた。とくにあの女教師とは口も聞かなかった。 
人のことはあまり信用できなくなり、新しい人間関係を築くのも苦手になった。もともと少数派だったのが、完全にぼっちになったのだ。
今でもこの記憶が急に蘇り、その度に叫んで消したくなる。
まもるにとって、いまの状況はやがて消し去りたい記憶となるのだろうか。いやいや、私には関係ないじゃないか。

そんなある日、席替えが行われた。本当は前のほうが聞こえやすいのだが、もちろんそんなものは断っていた。誰が隣になろうと私には関係ない。つまらないイベントが早く過ぎ去ることを、彩奈は願っていた。
しかし、くじで自分の番号が読み上げられた時、彩奈は動揺を隠せなかった。
「あ、どーも」
まもるは机を隣に付けるなり、そう笑いながら言った。対して彩奈は、軽く頭を下げることしかできなかった。
彩奈は、あの時まもるを助けたことで気まずさを感じていた。女にかばわれるなんてきっと相当プライドが傷ついただろう。
しかし意外にも、すぐにまもるの方から話しかけてきた。
「ごめん、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど……」
「ん、なに?」
振り向くと、まもるは彩奈の耳を見つめていた。
「ねえ、耳、何かしてるの? イヤホン?」
こんなにあっさりと聞かれたのは初めてだった。嫌味で聞いていないというのは今までの経験上で分かる。ていうかなんでいきなり?言葉を飲み込んで言った。
「違うよ」
「確かに、イヤホンにしては大きいか」
普通ならはもっとチラチラ見てきて、遠くでコソコソと話す。大人だともっと厄介で、何も言わずに勝手に察して妙に気を遣ってきたり……そういうのに比べたら百万倍いい。
「これ補聴器なの。昔っから右耳だけちょっと聞こえ悪くてさ」
まもるの反応を見ずに、彩奈はいつも難聴を打ち明ける時の決まり文句を続けた。
「あ、でも全然軽度で、左は完全に聞こえてるし、右もこれすれば大抵聞こえるから。普通の人と全く一緒。だから全然気にしないで」
これは、ちょっと強がっていた。本当は片方だけくすぐったいような音になる。しかも少し遅れて聞こえてくるから、かなり面倒くさい。また片耳だけで聞こうとすると頭が痛くなったりする。でもそんなことを言って余計に心配されるのはマジで嫌だった。ましてや、こんなまもるなんかに……。
「あ、そうなんだ。ごめんね変なこと聞いて」
「いや謝んなくていいって。で、何?さっきなんか言いかけたじゃん」
とっさに話題を変えると、またこれもケロッと忘れたように頭を下げてきた。
「あ、そうそう。ごめんほんと悪いんだけど、もしやってたらでいいんだけど、今日までの英語の予習ノートみせてもらえたりする?」
捨てられた子犬のような目で見られたのは、生まれて初めてだった。
「もしほんとにできたらでいいんだけど、昨日の数学のノートも見せてくれたら嬉しいんだけど……」
ただのバカなんだな。と思った。

それからというもの、まもるは彩奈によく頼ってきた。予習や課題用のノートはもちろん、授業中よく寝ているので、先生に急に当てられると、今読んでいる場所や、答えをこっそり教えた。忘れ物をしたら、教科書をみせてあげた。
頼み事をされる度、またー?なんて言いながら、彩奈の心の中には密かな喜びがあった。これまで一方的に「大丈夫?」「無理しなくていいからね」「困った時は何でも言ってね」なんて言われっぱなしだったから。

まもるにノートを見せるようになってから、彩奈は前よりも字が綺麗になった。更に予習の時は念入りに調べて、ミスがないようにした。気がつけば、彩奈の方から、「どうせ今日もやってないんでしょ」と言って予習したノートを渡すようになっていた。
それを見る度、「えー字うますぎでしょ!」「なんでそんなに頭いいの?」とまもるは屈託なく言うのであった。
「そんなことないよ」
敢えてつっけんどんに返してしまった。
まもるはいつも笑っていた。あんなにみんなから弄られているのに、いや私からしたら弄りの域を超えているのに。なんでいつもそんな純粋に笑えるの?無理しなくていいのに。心の中でそう呟いていた。
彩奈はこの頃になると、補聴器から聞こえてくるまもるの声に、他の人とは違うくすぐったさを感じていた。

ある日の放課後、彩奈はいつものようにノートを作っていた。英語のほうは明日まで貸すことになっている。数学は学校にいるうちにやって、明日見せよう。
そう意気込んでいると、後ろから小さな声が聞こえてきた。
「ねえおまえ、いつもノート誰に借りてんの?」
ケイゴだ。いつか来ると思った。何だろうこういう奴って、うまい飯の種を見つける嗅覚は異常に鋭く、速い。芸能誌のスクープを書いているのは、たぶんこんな奴らなのだろう。   
彩奈も彩奈で、遠くで自分に関係がある話題が出た時の耳の良さは、おそらく健常者以上だ。
彩奈がノートを見せるようになってから、まもるは授業中に当てられても間違えることがなくなった。小テストの成績が悪くて、前に張り出されることもなくなった。その度に笑っていた彼らは、捌け口を失っていたのだ。
「いや、別に……」
ここでまもるがはっきりと否定できる性格ならば、苦労はない。
「なーんか最近、気付いたらさきに帰ってること多くない?」
「そんなことないよ……」
横にいた奴らも話しかける。
「その完璧なノート、俺らにも見せてくんない?」
「俺ら友達じゃん、ちょっとだけいいだろ、ほら!」
「ちょ、やめっ!」
意識せずとも、彩奈はやっぱり叫んでいた。
「無理!」
彩奈はそのまま立ち上がり、ケイゴの持っていたノートを奪い返した。
「これ私のだから!」
男子達が一斉に彩奈の方を振り向く。
「やっぱ高城さんじゃーん」
まただ。都合が悪くなるとヘラヘラ笑う。どうせまた、強く押せば一瞬で崩れるだろう。
「あんたら自分で恥ずかしくなんないの?大勢で一人の人間弄って」
しかし彼らは笑ったままだった。しかもその笑い方は、嘲笑するようなものになっていた。
「何がおかしいの?」
「恥ずかしいのはそっちだろ」
「……はあ⁉ どういう意味……」
 ケイゴの言葉に返しが一瞬遅れ、慌てて理解不能のフリをした。言葉尻で、少し怯んだというのが自分でも分かった。ケイゴはその隙を逃さなかった。
「見せてること、先生に言ったらどーなんだろーね」
畳みかけるように、取り巻きの連中も言った。
「大好きなまもるくんのことは俺らにまかせてー」
一気に頭に血が上った。これまでの彩奈なら平手打ち一発ぐらいかましていたところだ。しかし声が出ない。動くことができない。
ケイゴは容赦なく続ける。
「おまえさ、こんなん見せて好かれると思ってんの、てかこれでまもるのためになるわけ?」
彩奈は答えない。まもるの表情も、今は見ることができない。
「悲劇のヒロイン演じて、買いかぶんないほうがいんじゃない?」
そしてずっと黙っていたまもるが、横から言った。
「悪いけど、もう大丈夫だから。やっぱりこういうのは自分でやらないといけないし」
そのこもった小さな声だけが聞こえた時、彩奈は完全に言葉を失った。一斉に響いた周りの男子の笑い声も、徐々に遠のいていく。
男子たちに引っ張られていくまもるの後ろ姿を、彩奈は無力な眼差しで見ているしかなかった。最後まで表情はわからないままだった。
気が付いた時、教室の中には、彩奈とノートだけが残っていた。

予習ノート

予習ノート

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-04-26

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