ラブレター

 冬枯れにひさぐ街の隙間に小ぶりの椿がそっと艶を供えている姿を見かけ、愛おしい季節の到来に感じ入っております。
 大椿という伝説上の巨木をご存知でしょうか。『荘子』に語られているこの木は、八千年を春とし、八千年を秋とし、三万二千年が人間の一年にあたるそうです。人間の生命の尺度をはるかに凌駕するこの大椿が花を咲かせた姿などめったに立ち会えるものではありません。そこから、珍しい出来事を椿事と言いならわすようになったそうです。

 こうして私からお手紙を差し上げる椿事、さぞや不思議がられておられることでしょう。
 私が貴女を見初めてから早二年の月日が経ちました。その間に私もつい、年を重ねてしまったようです。気を張ってさえいればいつまでも若くいられたものを、貴女を見初めた瞬間に、あの気もその気も緩んでしまい、どうやら私は、時が進めばそれだけ老いる、尋常の人間になってしまった。恋は人を狂わせるかのような噂ばかり聞きますが、とんでもない。恋は人を尋常にします。尋常になり果てた私は手紙だって書きます。まだ書いているさなかですから送り届けまではしていませんが、書き上げ次第、どうしたことか、送り届けもするでしょう。 
 これはラブレターです。渾身のラブレターです。ところどころラブレターの領分をはみ出しているよう見受けられるやもしれません。なにしろ、およそ人さまへと充てた書面になしうる意味合いのことごとくをこの手紙に表してみようというのです。私の全生命を込めてしたためているのですから、そのくらいの挑戦はさせてやってください。
 人生のすべてを賭けて、貴女に私の恋を伝えてみたいと、この野暮天は勇み立っているのです。

 さて、貴女はきっと、この黒々ときらめくインクのよく染みた世にも美しい手紙を手に取るやいなや、その重み、玄妙さ、神々しさ、ただごとでなさにハッとして、片手間にとりかかるはずであったつまらない雑事を片付けてから、ただこれだけに集中して、それは謹厳実直に、入学したての諸学生のような面持ちで、じっくり文面をお読みになってくださっていることでしょう。そのスバラしい気合をいったんほどいてもらいます。目を瞑り、なるべく時間をかけて…いえ、遠慮はいらない、この世の時間を止めるような深呼吸をしてください。そうして目を開けたらすぐ、右手を御覧ください。右手というのは、右腕の先っぽにくっついてる割れた塊ではなく、いま貴女のいる空間の右側という意味です。そこから上へ視線をそっと、…誰にもばれないようひそやかに、ゆっくりゆっくり、そっと流してみてください。いかがですか。いえ、そこに何があるか、何が見えたかなど知ったことではありません。私は時間のおぼつかなさ、空間のたよりなさを体感してもらいたかったに過ぎない。いかがでしたか。恐怖しましたか。その恐怖の実感を覚えていてください。その恐怖の裏にひそむ秘密こそ、私がこの二年間大事にしてきた××なのです。この××については、まだ名付けられてはいませんが、この手紙を読み終わる頃には、貴女が至適の名をあてがってくれるものと期待しています。
 ところで…これだけは了解していただきたいのです。私は貴女に恋しております、が…くれぐれも、その恋を理解しようなどとは、ましてや理解し得るなどとは、自惚れないことです。私の恋は、言うなれば衛星のようなもので、惑星の都合におもねらず、ただ勝手にまわっているのです。つかず離れず、ただ勝手にまわっているのです。月は地球に懸想しているでしょうか。まさか、恋い慕っていないはずはない。月は気まぐれに地球上に降り立ち、気ままに走り、転び、その地表をなでまわし、ねぶり、その海面にたゆたっては、しゃぶりつくします。ところが、果たして地球の方は月をどれだけ知悉していることでしょうか。なぜ月が自分の周りをまわり続けているのやら、まったく地球は預かり知らないのです。
 人類に達成しうる恋愛とはおおよそそのような構造にあります。
 地球は衛星を一つだけしか配偶しませんが、火星には二つ、木星や土星にいたってはおよそ八十もの衛星をはべらせているようです。おさかんなことだ。私も負けていられません。

 ご存じの通り、私には七人の恋人と五人の妻、十七の愛人、そして三人の運命の女がいます。
 彼女たちは総じて嫉妬深く、且つは物分りがよく、私の口先のいちいちに深く頷きながら、まったく私のことなどどうでもよい、路傍の石に過ぎないかのごとき袖にする、思わせぶりな素振りを見せて、そのくせいつ何時も、どうにか私の気を惹けないものか、昼も夜もなく隙をうかがっています。貴女はもしかすると、彼女たち全員の素性はご存じないかもしれませんね。三十二人の恐るべき女たち…。よくも集めに集めたものをと、アッパレな所業に我ながら感心します。雨を怖がる女。彩度の薄い女。足音を使って笑う女。橋を渡りたがらない女。竜舌蘭しか食べない女。まぶたを鳴らさずにはいられない女。狸の親子を飼う女。天狗を知る女。足先を尻尾に見立てている女。嫌がらせ代行を生業とする女。視界に気に食わない色を見出しては自前の塗料で塗り替える女…。このあたりにしておきましょう。こんなあげつらいをしてみたところで紹介にはなりませんし、ましてや、うっかり、貴女への礼を失しかねない。要点を絞ります。彼女たちには疑い得ない、確固とした、共通の性情があります。もれなく全員が、心から私を愛しているのです。そしてまた、もれなく全員を、私は愛しております。ですが困ったことに、長らく私は恋を知りませんでした。よくある話です。私はその人間ばなれした愛の深さと大きさで、昼間には山林を弾みながらくぐり抜ける清風のように、夜中には星々を飛沫で撃ち落とす荒波のように、ときに強く、ときに寂しく、一人一人の胸中に巣食いました。ところが誰にどんな愛を試みようとも、恋の熱線が私をつらぬきはしなかったのです。
 私の恋は貴女だけに実現しました。
 他の誰でもなく、私は貴女だけに恋しています。
 他の女を愛しながら、抱きながら、口説きながら、噛み、頬張り、味わいながら、私はなお、貴女一人にだけ、とろけるような恋物語を捧げたい。

 ただ、彼女たちは揃いも揃って聡明ですから、私の恋心の不在はきっと、とうの昔から気取られていたことでしょう。また私は私で、人心の機微に敏いところがあり、それだけに、私のうわべの恋心の不在は感知されようとも、その奥底に芽吹いたばかりの恋心の真相だけは必ず隠し通してみせると、この二年間苦心したものです。
 思えば二年前はまだ呑気していました。私も尋常ではなかった時分ですし、彼女たち全員を相手どってなお、ほとんど等分の愛を分配しているつもりでいました。ですが、相対と絶対、主観と客観、惑星と衛星といった二項には必ず認識のズレが生じるもので、彼女たちからすれば、平等な愛を実感できた日などなかったのでしょう。とはいえ何度彼女たちとの日々をやり直したとしても、結局私は同じように彼女たちを平等に愛したつもりになって、そうしてあの日、愛人の一人が言い放った言葉に、何度でも辿り着くのです。
「他の連中はいい。でも、恋人面してる女たちは許せない」
 とうとう漏れてしまった一言でした。妬気が口に出された事実だけが大事なのであって、意味内容の充満している言葉には思えませんでしたが、周囲の女たちからは、そうだそうだ、とハ長調の声が上がりました。その場に居合わせた私は黙っていました。正直にいいます。怖かったのです。決して私に意見など求めてくれるなと祈るばかりで、ただ黙って、事勿れよろしくジッと俯いてしました。
 
 愛人の一人に泥棒師がいます。
 泥棒の業界とは不思議なもので、一流の腕があるからといって、有名にはなりえません。馬鹿らしいほど当たり前の話ですが、お縄となった者から名が知られていきます。達人ほど無名であるわけです。一方で、どの世界でもそういうものですが、その道を究めれば究めるほど、独自の術、技、癖が発展していきます。すなわち、素性が暴かれないながらも、その手口から、あぁあの泥棒かと同定されていくのです。彼女は一度どこぞの泥棒に入られた家ばかりをねらって盗みを働いていました。一度泥棒に入られた家というのは、それまでと生活様式が一変してしまいます。防犯設備の手入れ、貴重品の隠し場所、金庫の種類、扉の留め具の調子、鍵周りの埃の具合、家具の配置、動線に由来するトータルデザイン…。かつてどのような泥棒がどのように侵入しどのような犯行に及んだかは、以後の生活静態および生活動態へ、確実に反映されます。彼女にはその有様を鑑賞する趣味がありました。どの世界でもそういうものですが、その道を究めれば、成果物から声が聞こえるようになるものです。刀鍛冶はよその刀鍛冶が手掛けた刀一振りを見れば、その刃紋がいかなる哲学に裏付けられて焼き入れされたものか、即座に感得するものです。これはプログラマーがソースコードを見ても、パティシエがケーキを見ても、教育者が家庭の子供を見ても、同じことです。当の彼女も泥棒としては一流ですから、以前その家に入った泥棒がどのような判断を犯行中に下していったか、すっかり整えられ直された部屋からですら、手に取るようにわかるのでした。彼女はそうした部屋で顔も素性も知らぬ仲間の声を聞くのが好きでした。そして対話するように、あたかも平安貴族が恋の歌に返歌するように、自らの泥棒術を披露してきました。
 話を戻します。恐るべき女たちから私の恋人を除く二十五人が、私の恋人七人に害をなそうという企てを立て始めたのは、まだ藪椿も花を咲かせない冬のはじまり、二年とちょっとばかし前のことでしたね。妻の一人に、時代が時代なら一端のフィクサーにも化けたであろう興行師がいます。この女の手練手管で、ふだんバラバラに生活していた恋人七人はひとところに集められました。二十五人は襲撃の準備を整えて、街の寝静まった静かな夜、目的地へと向かいました。
 知っての通り私は古今東西の双眼鏡集めだけが趣味のつまらない男です。収集癖にもいろいろありますが、私は積極的に実用していくタイプで、独学ながら超望遠の技術もありました。その夜、私はまるで狙撃手さながら、彼女たちの動向を観測するに最適の立地を選定し、人払いしおおせたビルの屋上に陣取って、とっておきの双眼鏡を構えていました。白状します。とても、わくわくしていました。しかしそれ以上に二十五人の足取りは弾んでいて、双眼鏡越しの狭い視界のどこを眺めてみても、文字通り浮足立つ調子なのです。ある妻は足音で笑い、ある愛人はまぶたで音頭をつづみます。ある運命の女は不意の小雨を怖がって、橋の下に駆け込みました。その姿を見たある愛人は、橋の上を渡らず済んで嬉しかったのでしょう、ぱたぱた走り寄って、そのまま川を渡っていきました。川渡りに続くべきか二十四人が戸惑っている間隙を縫って、ある妻のふところから飛び出した狸がそれを追っていきまいた。砂れきと土くれの合間に置き捨てられた鉢植えが倒れ、暗闇に横たわる緑を竜舌蘭と見紛ったある愛人が這いつくばり、ためらわず葉をもぎとりました。すぐ横では、ある妻が鈍色の橋脚をそれとほとんど変わりない色味で勢いよく塗りたくり、あたりへ飛び跳ねる塗料のしぶきを余さず浴びようとするある運命の女の手足の敏捷は異界の踊りめいて、ますます彩度を低めていました。ある愛人が天狗を呼ぶための笛を短く鳴らしてみせると、停滞しかかっていた一同は感電したように大きく飛び跳ねて、着地したそばから溌らつと駆け抜けていきました。出遅れたものたちは手を取り合って、あわてずのんびり歩いていきました。のんびりでもやはり弾んだ足取りでした。
 どう見ても、ピクニックか遠足にでも繰り出しているありさまなのです。
 この襲撃は失敗すると私は見通しました。実際、あえなく失敗しました。彼女たちのあまりに明るい調子もさることながら、まったく、準備が不足していたのです。遅刻しないこと、忘れ物しないこと、こまめな点検をこころがけること…優等生になるためとばかり思われていた能力は、あろうことか、凶行の計画にも不可欠なのでした。これは盲点でした。二十五人と七人はこのあまりにもお生憎な始末に大笑いして、肩を組み写真を撮って、歌い、踊り、いきおいパーティーへとしゃれこみ、飲み、食べ、眠くなったものから眠り、目が覚めたものから起き、延々おおいに乱痴気を楽しんで、誰も宴を終えようとはしませんでした。

 さて、私の妻、愛人、運命の女たちに襲撃された貴女のお部屋はその後、私の恋人たちまでをも加えた一同の秘密の住処になったと聞いています。貴女がたは秘匿してきたつもりでしょうが、私だってこれでなかなか、ユニークな消息筋に通じているのです。その部屋には扉が一つもなく、ただいくつかの間仕切りと、あとはお粗末な寝台が二十も三十も並んでいる。貴女がたは疲れを癒したくなるとここへ訪れ、夢の中で見るような部屋の中で夢を見る。夜に来れば昼のような明るさの、昼に来れば夜のようなあやしさのその部屋で、どこまでも夢と現実の境を曖昧にして、憩いの拠点としているのでしょう。
 ここで貴女がたは一種独特の、格別の間柄を築いているようです。全員が全員と均分に縁を結んでいるわけでもないが、それぞれ、それなりに親しい仲を達成しながら、気まぐれにその仲を転換し、移譲し、好意を転がして、昨日誰かに途中までした話の続きを、今日は他の誰かに聞かせる、そんな奇術によって幻想めいた平等を成就している…。というのは私の胡乱な絵空事に過ぎませんが、どうでしょうか、当たらずとも遠からず、貴女がたはあの部屋で、似たような秩序のもと、名前を失いのけていったのではありませんか。

 ところで、なぜ襲撃計画の現場が…二年前恋人たちが集められた居場所が、他ならぬ貴女の部屋であったと私に知りうるのか。泥棒師の話を思い出してください。一度ある泥棒に入られた部屋は、この泥棒師の極意にかかれば、どんな泥棒であったか見抜かれてしまうのです。まさに、貴女の部屋は過去に一度、泥棒に入られましたね。かつて貴女が決して人目に触れぬようベッドの床板裏に隠していた双眼鏡を盗んだのは私です。三年か五年か、あるいは十年ほど前の出来事だったかもしれません。とにかく、それは私が長らく探し求めていた双眼鏡でした。以後私はこの双眼鏡を覗き込む度に、過去このレンズがいかなる景色を映していたか、しみじみ思い馳せました。しかし、持ち主にまでは気を払いませんでした。
 あの日、二十五人が辿り着いた現場がその部屋であると気づいたときには、恥ずかしながら仰天しました。震え上がりました。ヒッと息を吸ったついでに喉そのものを呑み込んでしまいそうになるほど…。コレクションを揃えるために窃盗に近い真似を働いた経験は二度三度ありますが、空き巣に及んだのは一度限りです。どんな因果がこんがらがってあの部屋が現場となったものやら、得体の知れない運命の影法師にからくられたつもりで、すっかり錯乱しました。
 錯乱しながらも観察は続けていました。この双眼鏡は世にも奇々怪々の代物、天下に誇る特級品です。見た目に派手なところはなく、装飾もところどころ僅かに凹凸が凝らしてある程度で、それが却って全体を安っぽく見せ、昆虫が天敵から身を守ろうとするように、うまく擬態を果たしていました。この双眼鏡の精妙はレンズに込められていました。レンズの周縁から中央に向けてうっすらと、色とりどりの模様が描かれています。この色合いの微妙な濃淡や、今にも消え入りそうな細線の些細なうねりと、それらのあることで初めて効果が発揮される程度に屈曲した平面が光度を幽かにまやかして、覗き込んだ人間の視覚を通じ裏道の働きかけをします。ある箇所からは微小のストレスを与え、ある箇所からは副交感神経を刺激し…といったいくつかの効能が編み込まれ、有り体に言ってしまえば、感情が倍加する、感度が激化する仕掛けとなっているのです。人によって、脳科学とも、認知神経学とも、催眠術とも、呪術ともとれる細工が施されているのです。この双眼鏡で絵画を見れば、えもいわれぬ弩級の感動がドッと押し寄せてきます。雨あがりの街を見れば、ネオンを透かして詩の十や二十が字ともなく音ともなく明滅します。試してはいませんが、これで生きものの最期など看取ろうものなら、ともに死んでしまうかもしれません。
 恐るべき女たちがはしゃいでいる一夜目をその双眼鏡で見ていた私は、あふれっぱなしの涙に溺れていました。彼女たちの騒ぐ姿は生命そのもので、常日頃から彼女たちの肉体に潜む美を抽出していたつもりの私でしたが、しかしこれほどまでの美しさにありついた覚えはなく、その魂の発散に酔いしれる思いでした。視界は初めて入る海のなかに等しく、人影だけは捉えたものの、輪郭の定まらない像がぼんやり浮かんで左右するばかりで、挙動まではうかがえませんでした。それだけ頼りない視界でも目を離す寸秒が惜しく、しかし像の結ばれた姿も見届けたいもどかしい気持ちとどうにか折り合って、ようやく目と目当ての間にハンカチを差し込み水分をぬぐってみると、ベッドの上に女たちが寝転んでいる情景が見えてきました。するとやにわに、そのうちの一人、泥棒師の女が、ベッドの裏、例の床板裏に手を伸ばしたのです。私は直感しました。彼女はこの部屋に立ち入ってすぐ、昔私が及んだ犯行に勘付いたのです。そして部屋中あちこちに埋め込まれた声をヒアリングして、いともたやすく盗まれた物品のあった座標を見出した…。
 もしかすると彼女は犯人が誰かまで特定しえたのかもしれません。しかしあの日から今日にいたるまで、私は摘発されず、詳細は省きますが、私を前にした彼女の細やかな仕草一つとっても、従来と変わるところはまるでありませんでした。彼女こそ貴女なのかもしれないと勘ぐってみたりもしましたが、それこそ下衆な勘ぐりというやつで、私が彼女に摘発されない以上、私にも一定の節度が課せられているのです。
 節度を保った範疇で不思議がってはいます。あの部屋が襲撃の現場に偶然選ばれたとは到底思えません。私は三十二人のうちの誰かがあの部屋の住人であったとにらんでします。何も犯人捜しをしようというのではないのです。節度を抜きにしても、そんな、探偵小説の真似事をするつもりはありません。あんなものは、いうなれば個人情報のコラージュだ。容疑者の時点では容疑者と見なされた全員が犯人の霊性を潜在させているのです。容疑者さえ絞れないとしたなら全人類が犯人かもしれない対象となる。誰しもが犯人である可能性を秘めている。それは可能性を閉じない、拓けた未来です。過去そのものである個人の情報を収穫して、誰かが何者にもなりうる可能性を絶やしてしまうなど、まさしく冒とくではありませんか。
 価値を認めるから個人の情報は際限なく細分化され加増していく。価値がないのなら、個人の情報は取り沙汰されるはずもありません。当たり前のことです。今や尋常の私は、尋常の考えを好むのです。
 果たして恋は情報でしょうか。私は貴女個人に恋しているのか。貴女の情報に恋しているのか。もし宇宙が空っぽならば、座標など打ちようもありません。惑星がある、衛星がある。星たちは自分の名前を知らないが、各々を相互に観測して、互いのリレーションだけを大事に大事にしている。

 たしかに、私には双眼鏡の持ち主であった人物の声が聞こえるのです。
 前の持ち主は私をはるかに凌ぐ泣き虫だ。双眼鏡を身に構えればいつも感激に打ち震え、構えの維持もままならず膝上に落としたりもしている。これは右手だけで支える横着に親しんでいたためで、左手はといえば、なにか油分の多い…ジャンクフードかなにかをつまんでいる。菓子なりつまみなりを平らげながらむせび泣く外法の愛嬌! 「いいえ、たしかに菓子を食べてはいましたが、しかしそれは、はじめから感激しようと意気込んで双眼鏡を構えるわけではなく、その時間が日常のひと時とともにあったからで、これはこれで、自分なりに誠実な運用をしていた証なのです」そんな声も聞こえてきます。そのくせ手入れは欠かしがちなものだから、涙が乾燥しきったあとの塩分が結晶化されたままになったりしている。涙の結晶は、当事者からどんな契機から流された涙かで形状が変異するとは、よく知られた話です。私はまた別の特殊な双眼鏡を駆使して、当該結晶を観察しました。一見すると不規則なパターン模様でしかありませんが、ある一点をまじまじ注視し続けてみると、無数の粒模様に輪郭と光が浮かびだし、まるで涙が敷き詰められているように感じられるのでした。
 涙のなかに生まれる涙。その小宇宙の創造主が、私を取り巻く女たちの誰かである事実が、私には嬉しかった。歓喜にあふれました。
 あの瞬間、私は恋を知りました。

 余人であれば、すでに実っているともえいるこの恋は、持て余されもするでしょう。私は貴女と恋仲でありながら、それでいてなお、秘中の恋に焦がれているのです。ところが尋常化した私はそう難しく考えはしない。貴女が三十二人のうちの誰か知れない限りは、三十二人の誰もが貴女であるのです。この仕組みを完成させるために私は貴女へラブレターを書くことにしました。今から二年前のことです。この二年前とはいつのことでしょうか。決意から二年経ったのち今ひと息でこの手紙を書きあげているのか、それとも、私が恋を知った直後から書き始め、二年かけて今その文を書き終わろうとしているのか。なにしろ、読んでいる貴女からすればこの手紙の時間は静止しているけれども、書いている私からすれば時間は刻々過ぎているのです。すなわち、手紙は時空を超えるものです。ラブレターは恋の手紙ですから、この恋も時空を超越してくれることでしょう。
 
 ひとつ種明かしをします。この手紙は少しずつ書きあげました。この二年間恐るべき女たちと過ごしてきた何百回という場面のさなかで、彼女たちいずれかのすぐ横で書いてきました。こうしている今もです。読まれない工夫はしてきたつもりですが、誰かには読まれていたかもしれません。誰かが誰かはわかりません。わからない限り、全員に読まれたようなものです。
 だからこの手紙に宛名はありません。
 宛名なくしては手紙は手紙たりえませんが、送り届けるくらいのことはできます。
 今度は屋上からでなく、私も橋の下から川を渡り、溌らつと駆け抜けて、あの部屋に向かうとします。
 この愛おしい季節におあつらえの冷たい小雨に濡れて、走っていきます。

ラブレター

「ある特定の相手」に充てながら、
それが誰であるのか書き手にもわかっていない、
しかしその人と両思いであることは確定している…
というヘンテコなラブレターを書きたくて書きました。
書けました。

ラブレター

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-04-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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