2B
そう聞いて鉛筆ではなくおもちゃの花火を連想するのは結構なお年の方だろう。
昭和35,6年頃、爆発もの花火で2B弾という棒状のリトルダイナマイトがあった。当時ガキだったものは2B弾などというハイカラな名前では呼ばす短に「ニービー」と読んだ。
点火すると白い煙が出、やがて黄色に変わるとそろそろやばくなり「バン!!」と爆発する
悪ガキどもは肝ためしに着火後それをロシアンルーレットのように回して遊んだり持ったまま爆発させていた。
その花火はその後クラッカーや爆竹になったのだが、それらと大きな違いは着火にある。
爆竹などは火種がいり、それから点火するのに対し、2Bはマッチのごとく先端部をこすれば火をつけることが出来た。下手なものはマッチの箱についている赤い部分を持ってくる。器用なものはそんなものも持たず、滑らかなコンクリートや硬い板でもあると先端部を持ち、さっと擦り火をつけた。ドンくさいのに良いかっこしたい奴はそれを真似るが火がつかず、捨てるか折れて使えなくなってしまう。
さてこの2B、威力はというと牛乳瓶を割るくらいのものだったそうだ。
おまけに水中でも発破することが出来たので私など水路で小魚をこれで捕った・・・
近所に綺麗な水が流れる水路があり、そこにもろこがいた。ただもろこと子供たちは呼んだがもろこかどうかは知らない。針金を一本用意して、2Bを持ち水路へ行く。おもむろに火をつけるとそれを針金の先に付けて、煙が黄色くなると魚が居そうなところへそれをつける。
「ボン」という音と共に黄色い大きな泡が出ると魚が浮いてくる。まるでどこかの島のダイナマイト漁法である。
今思い返せば可愛そうな事をしたと思い、あれだけで私はもう天国へ行くことは出来まいとあきらめる。なにせそんなものを近くの雑貨屋で売っているのだから危なくて仕方ないが、子供は喜んで買う。しかし、着火は簡単、威力は強いとなれば子供が遊ぶと当然怪我も事故も多発したそうな
ある日私がその2Bで遊んでいるとなぜか近所??のおまわりがやってきた。
まだ4,5歳の子供が一人でそんなもので遊べばそりゃおまわりも注意をするだろう。ましてや全国で事故が多発した花火である。
「あの、お宅のお子さんね、花火で遊んでいるから危ないです。注意してください」というようなことをそのおまわりは母に言ったらしい。
うちの母はハチキンなものでその言い方が気に入らなかったようだ
「あんた!こんな物事の分からんまだ小さい子供や!それが友達が花火しよったら買うなといっても買いとうなるろうがねいかんいうがやったら、売らんように元をとめんといかんのやない?!」
なんか薄っすらと記憶にあるがそんな会話をしていたようで、その後ろで私はおまわりが持っている南部式拳銃が気になっていて、それをじーっと見ていたらその目線におまわりは気が付いた。
「なんや僕ピストルに興味があるんか」と聞かれ、うなずいて前へ出たように思う
そしたらそのおまわり「こんなものもあるで」と手錠を取り出して私にかけた!!
今なら大事、大事件になるであろうが、それがおおらかな昭和30年代
私は怖くて大泣きしたが、笑い話で終わった。しかしそれが原因なのか未だに警察官は大嫌いである。あの頃から警察嫌いになったような気がするが、幼い頃のトラウマだろうか!?
ちなみ小学生になるとクラッカー、爆竹に走ったわけだが、爆竹は傘の柄を銃身にしバネのところを壊しそこから導火線を出し、先込めで小石をいれ銃にして遊んだ。夏休みは墓場へ行き敵味方に別れロケット花火(私どもは矢といったが)で打ち合う様は、さながらギリシャのロケット花火祭りのようだった。一夜明けた後の墓石の上は花火の痕が一杯だったが誰も咎める者はいなかった。当然クラッカーの応酬もあるわけで拾って投げ返そうとしてバックスイングに入った時、手の中で破裂することもあった。
今の難聴はその名残かもしれない。
いまやライターすらつけることも出来なければマッチもすれない子供が要るそうだ
そんな子供昔はいなかったしいたら仲間はずれにされたろうが、それでも一緒に遊んでやっていた。
危ないからそんなことしては駄目!!
それすら教えてもらえなかった幼年期だった。
2B