カチカチ

 カランカランとドアチャイムの軽やかな金属製の音と共に扉が開く。
「いらっしゃいませ」私と横川さんは声をハモらせる。
 お客は30代の男女二人連れで、おそらく夫婦だろう。入り口よこに置かれたトレイとトングを手に取るとパンが並べられた棚の前に立ち、それぞれが神妙な面持ちで品定めにはいった。右手に持ったトングをカチカチと鳴らしている。
「ふふ」思わず漏らしてしまった笑いに横川さんが反応する。「ん、どうしたの」
「あ、すみません。面白いなって思って。あのカチカチ」
「ああそっか、藤田さんまだアレに慣れてないもんね」
「不思議とみんなやりますよね。私も無意識にやってたのかなあ」
「やってたんじゃない。カチカチ、カチカチって」
 私たちは小声で話しながらお客さんの後ろ姿をさりげない視線で追っていた。すると、焼きたてのクロワッサンが入った大きなトレイを両手で抱え、後藤店長が店の奥の加工室から出てきた。店長は私たちの会話を聞いていたようで、クロワッサンのトレイをカウンター後ろの台に置くとお客さんたちの様子をじっと見ていた。そして私に言った。
「あの女性のお客さん、ガーリックフランスを取るよ。見ててごらん」
「え、ほんとですか」見ているとそのお客さんはガーリックフランスをトングで挟むとトレイに載せた。「え、なんで分かったんです」
「ふふふ、次は男性のお客さんだ」そういうと店長は口をつぐんだ。聞き耳を立てているようにみえる。「なるほど、カレーパンの辛口だな」
 見ていると男性のお客さんは辛口カレーパンを取った。
「え、え。なんで分かったんです」
 驚いた表情で見つめる私に、店長は種明かしをするマジシャンのような顔で説明をした。
「モールス信号だよ」
「モールス信号って、ツートンってやるアレですか」
「そうそう。あのお客さんたちはトングの音でモールス信号を使い、お互いに何が良いか相談しながらパンを選んでいたんだ」
「へえ」
「店の中でしゃべるのもはばかられるご時世だからね」
「なるほど。でも店長はなんでモールス信号なんて知ってるんです」
「パンの職人になる前は自衛隊に居たからね」
「へえ」ふむふむと感心をしながら横川さんの方を窺うと、彼女は今にも噴き出しそうな顔をしていた。というか目が合ったとたんに「ぷぅー」と噴き出してしまった。
「あはは、もう店長ったら」
「え、なんです」わけが分からず店長をみると、さっきまでの真面目な表情を崩し、おかしくてたまらないといった表情になっていた。
「藤田さん面白いなあ。店長もあんまりからかっちゃ悪いですよ」
「ごめんごめん、ついね」
「え、ええ。嘘だったんですか」
「ごめんね」
「もう、ひどいなあ。でもなんでどのパンを選ぶか分かったんですか」
「あのお客さんのご夫婦って常連さんで、いつも決まったパンをお買い上げされるのよ。ね、店長」
「そういうこと。マジックのネタなんてそんなもんだよね」
 店長はクロワッサンのトレイを再び抱えると売り場の方に行こうとした。そのとき男性のお客さんがこちらに振り向いた。無言でこちらを見つめている。手に持ったトングがカチカチと鳴っている。すると、店長はトレイをまた台に置いて言った。
「アンパンですね。そろそろ焼き上がる頃だと思います。見てきますんでちょっとお待ちください。藤田さん、悪いけどこのクロワッサンを並べておいてもらえるかな」
 そう言うと店の奥に戻っていった。
「はい」私はクロワッサンのトレイを抱え上げカウンターを出て行こうとすると横川さんが不思議そうな、なにか言いたげな顔でこちらを見ていた。
「どうしたんですか」
「うん、あのお客さんがアンパンを買ったことなんて今までなかったはずだけど、どうして店長わかったんだろう」
 そして二人で顔を見合わせたまま声をハモらせた。
「あれっ」

カチカチ

カチカチ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-04-11

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