理想。
俺の姉貴がおかしくなったのは、一週間前、あの宅配便が届いてからだった。
十二階建てのマンションの十階の一室に、俺と姉貴は二人暮らしをしている。父親はいろんな店を経営し、母はエステサロンの社長だった。金だけはあったが、夫婦仲はこの数年で最悪になり、それぞれにマンションを借りてほぼ別居状態だった。
子供である俺たちはもともと四人で住んでいたマンションに住むことになり、たまに帰ってくる母親から手渡しされたり、口座に振り込まれる生活費で、金には困ることなく生活していた。
だが、俺は姉貴のことが心配だった。
姉貴は両親が家に帰ってこなくなった時期から、家にいるとずっと食べ物を口にするようになっていた。 ストレスのせいで、食べることに幸せを感じていたのだろう。そして見事に体は膨らみ、コンプレックスの塊になった彼女は、もとからの人見知りに拍車がかかって、学校でまったくしゃべれなくなったのだ。
人一倍太っていて、しかもいつも俯いてばかりの姉貴に、友達どころか、ろくに話しかけてくれるクラスメイトもいないらしい。そしていつしか、いじめにまで発展してしまった。
姉貴は、この広いマンションに、いつも一人でいた。真面目な姉貴はずる休みもすることなく学校は行っていたが、学校が終わればいつも暗い顔をして帰ってくる。それでも俺に与える食事だけは忘れず、そのときだけは笑顔であり、俺はほっとしていた。そうしてずっと、俺たち二人は暮らしていた。
……そんなある日。家に宅配便が届くようになった。
それはそれほど大きな小包ではなかったが、何回かに分けて送られていた。姉貴はそれをすごく楽しみにしていたらしく、届くとすぐに部屋に閉じこもって、何時間も出てこなかった。どうやら何かを組み立てているらしいのだ。
何気なく送り主を見てみると、それは大手のロボットメーカー会社の名前があった。その会社は最近になってアンドロイドの開発に力をいれており、今はネット販売で、いろいろと役に立つロボットを売っているらしい。初めはメイドなどの機能を重視したものばかりだったが、今の技術のロボットは、より人間に近いものを作っているんだとか。
こんな会社から、いったい姉貴は何を買ったんだろう? 不思議に思ったが、姉貴はすぐに部屋に閉じこもってしまい質問するタイミングを逃し、俺はそのまま忘れてしまっていた。
それから三日後。見知らぬ男が家に居座っていて、俺は目を張った。
「はじめまして、オレは明日香さんの恋人です」
透き通るような声、きりっとした整った顔。
「ここで一緒に住むことにしたの」
あまりに急なことに俺は言葉を失った。友達もいなかった姉貴に、突然彼氏ができるなんて?
しかし、姉貴は微笑んでいたので、何も言えなかった。
そして三人で同居することになり、姉貴は見違えるように明るくなった。弟の俺の前でも、二人はいちゃつき、それを恥じている様子もなかった。
なんとなく気に食わなかったが、姉貴が幸せそうだったので、何も言わずにいた。
しかし数日後。俺は家にたまっていた段ボールをまとめて捨てようと、片づけていた。
すると、姉貴が取り寄せていた箱を見つけた。そこにはこう書かれていた。
「『理想の恋人売ります』……?」
パッケージを見て、ぎょっとした。あの恋人とそっくりの男の写真が写っていたからだ。
そして俺は理解した。姉貴はあの会社から、アンドロイドを買ったのだ。そしてそれを恋人として、一緒に暮らしている。
俺は背筋に冷たい感覚が落ちるのを感じた。
――姉貴は明るくなったんじゃない。
頭がおかしくなっていたんだ。
「どうしたの? 何を見てるの?」
後ろから声をかけられ、振り返ると、姉貴が不思議そうな顔をして俺を見返していた。
そのいつもと変わらない表情に、俺は胸を衝かれる。
「……姉貴!」
俺は泣きそうになって、さけんだ。
どうしてこんなことをするのか。両親に捨てられてからは、たった二人っきりでこの場所に住んできた。
俺がそばにいるのに、どうしてこんな人形に心を寄せるのか。
「どうした?」
姉貴の後ろからのうのうとやってきた、ロボットであり――姉貴の偽の『恋人』。
俺はすばやく男の後ろに回り込んで、男の服を捲った。男の背中には、ロボットには必ずあるという、非常用の「緊急停止スイッチ」があった。
「やっぱりお前はロボットなんだな」
わかっていたものの、やはりショックは大きかった。
俺は目の前の男を睨みつける。だが男は俺の言ったことに反応せず、無表情で見下ろしてきた。
「出て行けよ。この――マネキン野郎!!」
すると、男は、意外な反応をした。急に笑いだしたのだ。
何がおかしい。
俺は図体だけはでかい男に殴りかかり、しかしすぐに手をとめられた。
「オレがマネキンだって?」
男はせせら笑った。
ぐいっと引っ張られ、思わず呻くと、男が耳に口を寄せて囁いた。
「じゃあ、お前の背中も見てみろよ」
――なんだと?
無理やり腕を引っ張られ、俺は無理な姿勢のまま、自分の背中を触らされた。
そこには、硬い感触があり、俺は目を剥いた。これは――スイッチ。どうしてこんな場所に?
「確かにオレはロボットだが、自覚していないお前よりはましだよ」
まさか、そんな。
俺が――俺も――ロボット――。
信じられなくて、すがりつくように姉貴の顔をみた。
――そして俺は、叫び声をあげそうになった。
目の前で俺たちがもみ合っているというのに、姉貴は何の感情もなくそれを見ていた。
内向的で口べたで、自分のコンプレックスのせいでいつも暗い顔をしていたが、それでも人一倍優しかった姉貴。俺の面倒もかいがいしくみてくれた。
『あなたがいてくれるから、私は今でも生きていけるのよ』と、震える手で抱きしめてくれた――。
だが、今の彼女が、弟である俺と、恋人だという男を見つめる瞳には、ただの機械をみるような感慨しかない。
もしかしたら、俺が気付かなかっただけで、ずっと彼女はあんな目で俺を見つめていたのかもしれない。
そう、彼女はずっと一人だったのだ。
――広いマンションで、こんなにも寂しい空間の中、彼女はずっと前から決定的に、たった一人きりだったのだ!
「用済みなんだよ、お前は」
吐き捨てるように、姉貴の『恋人』は言った。
目の前のこいつが姉貴にとって『理想の恋人』であるなら、俺は姉貴にとって『理想の弟』。
たしかに。姉貴はいつだって自分のそばにいてくれる弟、自分を心配してくれる弟が欲しくなり、大金をはたいて『理想の弟』を買った。
そしてそれに飽きたから、次は『恋人』を手に入れた。じゃあ、次は何だ。友達か。結婚相手か。両親か。
男は俺をはがいじめにしたまま、背中のボタンに手をかけようとした。
何となく本能で、もう俺の命はこのまま切られるものなのだと理解する。
――どうか、いつか。姉貴が満足できるものが、この家に届きますように。
薄れゆく意識のなか、俺は自分が死ぬ直前まで、俺は姉貴のことを一番に想っていた。
理想。