「連載小説」大江戸鳥部青春時代劇
江戸の町の一角、間もなく夕闇が迫る川辺にギーッ、ギーッとカワセミの鳴き声が響く
桜のつぼみがふっくらと丸みを帯び、春を迎えた江戸の一角では、毎日夕闇が迫る頃、つがいのカワセミが力強く鳴くのが常であった。
川辺にたたずむ店の窓から、ひょっこりと顔を出し、仲睦まじく寄り添うカワセミのつがいを見つめるあどけない娘の姿がある。
「もうカワセミの鳴く時間かい。お店もお開きでい。はいはい。みんなご苦労さん。あまった菓子は、手分けして全部家に持って帰ってね。」
さきほどのあどけない娘の声が店中に響く。あどけない顔の割に意外と低く、だがよく通る声だ。
ここは和菓子屋「翡翠堂」。従業員総数10人ほどの店である。15歳の小春が生まれた頃に、江戸ではかりんとうブームが起こった。天下泰平の時代が落ち着き、戦乱に巻き込まれてきた庶民に菓子を楽しむ余裕ができたからかもしれない。
翡翠堂は現代で言うところのベンチャー企業になるだろうか。ただ、ベンチャー企業にありがちな大風呂敷を広げるようなことはなく、一店舗のみでかりんとうブームの終了後も、手堅く営業を続ける、堅実的な店だ。
小春は、これは現代で言うところの「店長代理」あるいは「副店長」にあたる。小春はパチパチと手を叩き、その場にいる従業員達をねぎらった。
小春はなかなかの好人物である。
小春の顔を一瞬見やると、つんととがった鼻とこぶりであるが、血色の良い唇が目につく。
鼻と口のバランスだけだと、一瞬きつく見えがちな顔であるが、程よい大きさの垂れ目が柔和な印象を引き出している。
江戸っ子らしいちゃきちゃきとした物言いだが、キツさや嫌味な印象がないのは、垂れ目から織りなす柔和な顔立ちが一因であろう。
「はいはい。小春ちゃんにはかなわないなぁ。いつもありがとさん。」
翡翠堂の従業員達は笑いながら、思い思い懐に売れ残りの菓子を入れて、帰路につく。
従業員から見た小春は、憎めない若女将といったところか。
「はいはい。みんなお疲れさん。雨に降られるかもしれないから、気を付けて帰っておくれよ。」
小春は店の戸口に立って、従業員一人一人に声をかける。
全ての従業員を帰して、小春の仕事は終了、あとは自由時間といったところだが、今日は店の店長である女将から、夜に大切な話があると通告されていた。
まだまだ解放されなさそうだと小春はため息をつく。ため息には疲れが感じられるが、それ以上に高揚感も含まれている。最も、この若女将は忙しい生活は全く苦にしない。菓子の話だろうか、もしくは、売り上げの話だろうか、いやいや、従業員の話だろうか、翡翠堂の経営を考えるとわくわくするのであった。根っからの商売人である。女将も同じような気質を持っており、この母娘は翡翠堂の将来について一度話し始めると、まあ止まらない。朝早いというのに、夜通し議論を交わしたことも何度かある。
翡翠堂の女将とは、小春の母、正式に言うと「継母」であり、血の繋がりはないのだが、似たもの親子である。
封建制、男尊女卑といった言葉が江戸時代と結び付く面もあるだろう。
だが、近年江戸時代が再評価され、制約の中ではあるが、庶民が生き生きと力を発揮した時代であったとも言われている。
このお江戸にあるベンチャー和菓子屋翡翠堂もその例にあたるだろう。
翡翠堂の女将である美冬は、自ら和菓子をつくる職人でもある。美冬が目を付けた、奄美の黒砂糖でつくったかりんとうが評判を呼び、江戸市中から買いに来る常連がいるほどだ。
評判が評判を呼び、将軍家の使いもお忍びで訪れているとの噂がある。
美冬と小春の出会いは、小春日和の日であった。美冬が外に出て、心地よい春風にあたろうとしたところ、生まれたばかりの赤子の声がした。捨て子だった。正直にいって、当初美冬は捨て子の声を全くかわいらしいと思わなかった。だが、ギャーッ、ギャーッとこの世の終わりのようにしつこく泣き続ける捨て子を放っておくことはできなかった。そこには、当時の美冬の事情もあったのかもしれない。
美冬と夫との間に子供はいなかった。現代の世の中では、不妊と定義されるのであろう。不妊について医学的な治療が確立されていないこの時代、何に原因があったのかはわからなかった。
とにかくこの捨て子を放っておくことができず、我が子「小春」として、美冬は御年15まで立派に育てた。
美冬の夫は、小春が3歳の時にあっけなく亡くなってしまった。夫は、妻子に暴力はふるわないものの、飲む、打つ、買うの三拍子。典型的な働き者の妻と放蕩夫の夫妻であった。夫のはっきりとした死因は、これも当時の医学では分からなかったが、堕落した生活であったから、いつ体を壊してもおかしくなかっただろう。
本音をいうとほとほと愛想をつかしていた美冬は、夫の死をすんなりと受け入れた。4つくらいですでに気の利く娘であった小春も、なんとなく世の中の道理が分かっていて、あっけなく義理の父の死を受け入れた。
美冬は小春に対して、客観的に見て不幸である出自を当分話すつもりはなかった。
しかし、美冬のやっかいな亡き夫は、亡くなる数日前に酔っ払った勢いで小春本人に向かって話してしまったのである。
「お前捨て子だよ。」と酩酊した夫は、小春を呼びつけてニヤリと話した。
すでに瞿曇な夫にあきれて、放置していた美冬であったが、この時ばかりは夫に対して怒り狂った。
「なぜそんな大事なことを勝手に何も考えずに言うのだ。」と。美冬は小春に自身の出自をいずれ知らせてやる必要があるとは思っていた。
しかし、それはしかるべきタイミングと言い方、その他諸々の状況を勘案して慎重に行うべきものであると考えていた。
小春は義理の父の言葉に傷付いた。
ついさっきまで、疑いなく「本当の」父と思い込んでいた人物の発言であったからだ。若干3歳の小春が受けた傷が、相当な深さであったことはゆるぎないだろう。
だが、聡明な小春は一瞬沈むところまで沈んで悲しみ、すぐに決意を固めた。「捨て子である自分はここで生きていくしかない。」と。
先述したように、その後すぐ義理の父は不養生で亡くなった。
小春は新たな決意を加えた。「母さんを支える。そして、自分がいずれ翡翠堂を継ぐ。」と。
夫が亡くなり、女将1人で和菓子屋翡翠堂を切り盛りしていく美冬に、相当な苦労があったことは、想像にかたくない。
しかし、小春はすぐに美冬の片腕となり、この聡明な母娘は持ち前の明るさで、和菓子屋を切り盛りした。生きのいい母娘に元気をもらうために、店を訪れる常連客も多いようだ。
すくすくとあっという間に成長した小春は、将来を期待されて「女性ではあるが」いわゆる寺子屋に通うこととなった。
なるほど、職人としての腕前は器用な小春は申し分ない。だが、江戸で海千山千の中、翡翠堂を経営していくには、もっとなんらかの知識なり経験が小春には必要だと美冬は考えた。
小春の生まれは確かにひどく、ボンクラな義父に頭を悩ませたが、翡翠堂の後継ぎのお嬢さんとしてなんだかんだで大切に育てられている。
その環境が小春のよい人柄をつくったとも言えるが、もっと揉まれた経験をしてほしい。
例え将来ボンクラ亭主と結婚したとしても、女手1つでやっていけるくらいの力量を身に着けてほしいと美冬は願っていた。
かくいう美冬は実の親に捨てられてはいないが、幼い時に、両親を亡くし丁稚奉公先で色んな経験を積んだ苦労人である。
かわいい小春に経験を積ませたいからと丁稚奉公をさせるのは忍びなかった。
そこで、学問を身に着けさせる寺子屋を思いついたのである。
「女性ではあるが」とあえて書いたのは、この時代のお決まりで、女性が学問をすることは、積極的に奨励されていなかった。
美冬も小春もなんとなくそんなことは知っていた。
だが、この寺子屋の師匠はなかなか人間のできた人で、頭の回転が早く巷で話題の看板娘の入塾を拒むような、無粋な人間ではなかった。
「もっと学んで、女将さんの役に立ちたい。」
小春の思いを、その活きや吉と師匠は快く受け入れた。もっとも、美冬と小春は後から知ることになるのだが、この寺子屋は元々男女の区別なく学ぶ意欲があれば、受け入れるのがモットーであった。
この粋な師匠が主催する寺子屋の名前は「翡翠塾」。わりと近くにあったこと、「翡翠」のつく名称に縁を感じたことから、美冬と小春は門を叩いたのだが、たまたまよい師匠に巡り会えたのである。
翡翠塾にはもう1つ大きな特徴があった。原則全寮制なのである。江戸以外の地方からも希望があれば、受け入れた。
そんな先進的な寺子屋であったから、インターネットなどない時代であっても、口コミで評判が高かった。
希望者全員を受け入れることは不可能であったため、入塾試験を行っていた。
これが師匠による、面接と筆記試験である。
小春の人柄は申し分なかったし、読み書き算盤だってすでに一流のものであった。後の話となるが、小春はこの寺子屋翡翠塾でぐんぐん学力を伸ばしていくことになる。
面接の際に小春は師匠の知識量にあっとうされたし、何よりその寡黙であるが、穏やかな佇まいに好感を持った。
結果を待っている間も、翡翠塾にぜひ入塾したいと考えていたが、一点ネックがあった。
翡翠塾が全寮制であることだ。これは、翡翠堂に通っている間は学問に集中し、何より全国から集まる学友との絆を深めてほしいという師匠肝いりの制度であった。
とはいっても、小春は、翡翠塾のわりかし近くに住んでいるため、当初は自宅から通塾するかたちが認められると考えていた。
塾の合間に店の手伝いをする気満々だったからだ。自分が相当な戦力になっているのを自覚していた。
翡翠塾合格の手紙が届いた際は純粋に嬉しかったが、すぐに全寮制の件はが気になった。
幸いにというべきか、その心配は杞憂に終わった。
美冬が寮生活を強く支持したのである。
「店の手伝いは寺子屋での修行が終わったら、いつでもできる、というより、やってもらわなければならない。そして、将来的にはこの店を継いで切り盛りしていかなければならない。今いる従業員達は、店長である私と同世代なので、いずれ世代交代していくことになるし、その際は小春が仕切っていってほしい。そのため、小春が店の実務から離れて、学問に専念できる機会はいましかない。絶対に専念すべきである。何より、同世代の子供達と友情を育んでほしい。いままで、店の手伝いばかりで全くそんな時間はなかったから。」
美冬はこう主張した。
同世代の友達ができるよりも、店の手伝いでもっともっと実務を経験した方が役に立つ。
小春はそう言い返した。いや、言い返したという表現はあてはまらないだろう。
この義理の関係にある母娘は、本物の母娘以上に気が通じ合っていた。
美冬からすると、小春の言い方は、幼子が駄々をこねるようなかわいらしい反撃であった。小春も美冬の包容力がわかったゆえの反撃であった。
この育てのたくましい母に小春はよい意味で逆らうことができない。全幅的な母への信頼とともに、申し訳ないという気持ちを持ちながらも、寮に入って寺子屋生活に、この際どっぷり浸かろうと思った。
同世代との人脈も後々、商売に活きてくるかもしれないと、母に劣らずたくましい小春は考えた。
「連載小説」大江戸鳥部青春時代劇