手 紙
古いですが由紀さおりの曲にもありましたね「手紙」
今メールといいますと携帯やPCのEメールが一般的ですが、その昔はすべて手書きの手紙でした。SNSやメル友募集宜しく、ペンフレンド募集、文通相手募集など週刊誌などに掲載されていたもので、その方へ自己紹介を含め便箋二枚程度の手紙を出したものです。いまだと個人情報保護とそんな募集載せられないかもしれませんね。
意気投合すれば週に一回程度、多いときは月に6通ほど、少なければ月に1,2通来たでしょうか。日頃の生活や好みなどから始まり、長く続くと人生相談めいたことまでやり取りした覚えが有ります。やはりメル友と同じように会ってお茶したこともありますが、それは今の出会い系とは程遠いもので有ることは言うまでもありません。
今の携帯と違い自宅に帰ったとき、郵便受けや机の上に置いてくれている相手からの手紙を見るのは、それは楽しいものでした。封を切りますと時にはプリントされた写真が同封されていたりするものです。
相手も同じ気持ちで待っていてくれるだろうかと、いつも同じ封筒では能が無いから、便箋や封筒を選び、それにあわせてインクを使い分け、折り方まで工夫したものです。
それが今やボタン一つでピッ!!あっけないものです。
瞬間的に相手に伝わり、短く内容の無い、文ともいえぬ文に蟹の爪を思わせるVサインがついた写真を添付して、きらきら動く絵文字まで添える。歌詞の内容ではありませんが訳あって別れる時「さよなら」と書いても涙で字がにじむことも無く、濡らすのは画面だけです。それが駄目とは言いませんが、あまりに寂しすぎやしませんか?それが自分の深い所で残っていくコミュニケーションとは到底思えないのです。
物は手間隙、時間を掛けてこそ、それに思いやエネルギーが移入していくもの。相手に伝える内容も同じで、言葉を選び何度も書き直し、便箋や葉書、封筒を選び、インクもペンも拘って相手に伝える。だからこそ自分の気持ちがダイレクトに伝わるのです。
「そんな手間かけなくても電話かけりゃいいのよ、要は内容が伝わればいいの」とおっしゃるでしょうがそれが違うから面白い。別に何があったわけではないが、文通が終わるときには「今までありがとう、そしてさようなら」の文字が最後に書かれていて、それを読むのは切ないもの。今のメールで手を振る絵文字があったり、無言のまま着信拒否されるのとは大違い。
そのような経験を積むと、これが心の奥深くに一旦仕舞われ、長い年月がたった時ふと思い出として芽を出すのは、何か植物の種が芽吹くようにも感じられます。
もしあなたに大事な人がいるのならどうです、一度その携帯、スマートフォンの電源を切り、文房具店で自分の気持ちにあった便箋のセットを探して、心をこめて手紙をしたためてみてはいかがでしょう。勿論PCで書くのではなくあなたの手で書くのです。そうすればきっと今のあなたの気持ちが届くのではないでしょうか?仮に届かなくてもそれはあなたの人生の中で思い出となって生き続けると思いますよ。
100通の携帯メールより1通の手紙のほうが重いと私は感じますけどね。
ラブレター、恋文は言わずもがなです。
手 紙