ゆうばり物語 第二部

ゆうばり物語 第二部

わずか100年前の明治中頃、北海道の山間に拓かれた炭砿町で生まれた少女。彼女のたどった人生は、近代日本の歴史そのものである。それも時の流れとした時代があった。
戦争も平和も炭砿に数えきれないドラマを残した。
私がその語り部になれるならば……。

 その日北川は仕事を休んで市街の郵便局に行った。春秋の彼岸前には、両親と妹の遺骨を預けてある尾去沢の寺へ金を送らなければならない。どこに住もうと北川にとっては欠かす事のできない供養の一つなのだ。
 郵便局で小為替を組み受取をもらって外へ出た。朝から降っていた霧雨はいつか小雨に変わり、暗い上空には不気味な風の唸りが聞こえるようになっていた。雨でさえなければ街でもぶらつこうと考えていたが、諦めて飯場へ帰る事にした。
 一日一往復の下り列車が終点の駅が近い事もあって速度を落として通りすぎた。それでも北川が駅前に差しかかった頃、降りた客は急いで雨の中に散って行ったと見えて、辺りにまったく人影はなかった。
 午後とは言え日没までにはまだまだ間があったにも拘わらずかなり暗くなっていた。風も雨も次第に強くなってくる気配があった。出掛けにはこんな霧雨ぐらいと思いつつも、なんとなく気になって番傘を手にしてきたのが役立った。それでも半纏の襟元袖口からぞくっとするような冷気が忍び込んでくる。急いで帰ろうと足を早めた途端に呼び止められた。
「アノ……。少し、お伺いしたいのですが……」
 目を上げると通りからステンションへ下ってゆく分かれ道の辺りに、傘も持たずに濡れたままの女が一人立っていた。見ると、この頃流行りになっているらしい合財袋を胸に抱き、濡れた地面に置きかねてか柳行李を足の上に立てている。
「へえ」
「この辺りに俥屋さんはないのでしょうか?」
 口調はハッキリしているが、物言いに世馴れない固さがある。雨でひたいに張り付いた髪の毛から雫が滴っていた。北川は腕を伸ばして番傘を差しかけた。ずぶ濡れになってはいるが若い女のようである。
「ここは見だ通り坂ばっかりだハッて、俥屋なんて一軒もねえのセ」
「え……。そうですか」
 見る見る困惑の表情が広がり、途方に暮れた顔は今にも泣きそうになった。
「どこサ行くつもりだのセ?」
「……アノ、炭山番外地という所なのですが、ここからは遠いのでしょうか?」
「炭山番外地だハッて、一軒や二軒の長屋でねえンだや。探すってもこの雨だバ……」
「……石川飯場、という所へ行きたいのですが」
「えッ、なんと……。俺ラどこの飯場だや」
 北川は驚いた。だが雨の中で立ち話もできず、取り敢えずすぐ下に見えるステンションを指さした。北川は柳行李を抱えて待合室に駆け込んだ。
 訊くと今朝札幌を出てたった今降りたばかりだが、夕張は初めてとの事であった。石川飯場に知り合いを訪ねて行くという。
「飯場の誰のどこサ行くのセ?」
「伯母です。伯母の滝沢とくを訪ねたいのです」
「なにッ、とくさん? とくさんだバ、俺ラどこの飯場の……」
 飯炊きだ、と言おうとしてとっさに言葉を呑み込んだ。どんな用事で訪ねてきた姪か知らないが、初めてここに来た者に余計な事は言わないほうがいいと思った。
 とにかくこのヤマでは人力車が使えるような平地はほとんどなく、どこへ行くにしても歩くより仕方がない事をまず説明した。だが行く先を聞くより一緒にくれば一番簡単だ。自分はその石川飯場にこれから帰るところなのだと話した。
 その女は話を聞きながら北川をじっと凝視めていた。だが不意に視線をそらした。ムリもない、いかに何でも話がうまく運びすぎると思ったのであろう。
 だが実は北川のほうこそ驚くと同時に、チョッピリ気が重くなっていた。
 辺りに人影がなかったとは言え、尋ねられた行き先が自分の住む所であり、しかもそれが後家ばあさんとくの姪であったのは偶然だった。だが若い女だったのを知った途端に煩わしくも感じたのだ。かと言ってこのまま見過ごす事はもうできない。とくの姪と聞いた以上何としても連れて行ってやらなければ、後でとくに何を言われるか分かったものではない。
「そうだなや。とくさんには毎日世話になってるもんだども、何と喋れば信用してもらえるか……。俺ラは、北川栄治っちゅうもんだや。何も怪しいもんでねえ!」
 初対面の女に対して、ムキになってわが名を名乗っている自分が腹立たしくもあったが、行き掛かり上どうしてもこのままにしておく訳にはいかない。そのうちふと思いついて腹掛けの物入れを探った。さっき郵便局からもらった小為替の受取があった筈だ。それには住所氏名が書いてある。
「ホラ、これ読んでけれでや。間違いなく夕張炭山番外地、石川飯場方、北川栄治って書いであるべ。な?」
 目の前に突き出した受取に目を走らしたのであろうその女は、深々と頭を下げた。
「済みません。ここには、初めてだったものですから……。本当に申し訳ありません」
 言いながら何度も頭を下げた。そのたびに濡れた髪が北川の目の前を上下した。
「イヤ、いいんだや。女だもセ当たり前だや。ンだバ、降りひどくなンねえうちに行くかや?」
 外を見ると雨は更に勢いを増している。これでは行李を引っ担いで行くのも大変だと思案した。見ると待合室の突き当たりに出札口と並んで荷物の受渡し口がある。その土間に何かを荷解きしたらしい荒縄と荒むしろがあった。
「駅員さんよ。済まねえども、そのむしろとりいらねえもんだバ、俺ラさけで(呉れて) けさい」
「気軽く投げてくれたむしろでぐるぐる巻きに行李を包み、縄で自分の背中にくくりつけようとした。
「えッ。あの、どうなさるんですか?」
 驚いたように女が言った。
「この雨風で荷物背負って歩くのは、女にはムリだや。俺ラが背負ってくから、あんたはその袋持って傘さへばいい」
「イエ、それではあんまり申し訳ありません。アノ、この駅で預かってもらって、後で受け取りにくる事に……」
「そったら面倒だ事さねえほうがいい。結局誰か取りに来ねばなンねえンだハッて、俺ラが持ってってもおんなじ事だね。さア急いで行くど!」
 何度も恐縮する女を促して駅から出た。女は慌てて番傘を広げ北川に追いついた。
 先ほどまでは気がつかなかったが、女は合財袋の外に風呂敷包みなども持っていた。ちょっとの用事で来たにしては携えた荷物が多すぎる気もした。
「悪い日に来たネハ?」
 黙って歩くのも気詰まりで、何となく話しかけた。
「ハイ。伯母には明後日行くから、と前もって知らせてあったのですが、私の都合で二日ばかり早くなってしまったのです」
「ンだったのセ。ま、あさってだバ、とくさんもきっと迎えサ来るつもりであったんだべも……。運悪かったなス?」
「ハイ。でもご親切にして頂いて、ほんとに助かりました。私一人でしたら、どうする事もできませんでした。どうお礼を言ったらいいのか……」
 いつの間にか更に風も強くなり、時折背中から吹きつけられて傘ごと前に運ばれる事もあった。しかも雨はこの季節とは思えないほど冷たかった。女の腰から下がびしょ濡れになり、素足に履いた下駄が泥まみれであった。そのせいで一層寒々しく見えた。
 しっかりした物言いで受け答えする女を、何となしに二四、五ぐらいかと思っていた。だが一つ傘に肩を並べてみると意外に若く、もしかしたら二〇才前かも知れないと感じた。
「なに、俺ラだって帰るどこであったのセ。礼なんか喋る事はいらねえじゃ」
「申し遅れましたが、私、滝沢とくの姪で飯島佳代子と申します。伯母同様よろしくお願いします」
 若い娘にこんな丁寧な挨拶をされるなど思ってもいない。不意打ちを食らってすっかり慌てた。
「イヤア、まンズこりゃ。アノ、俺ラは石川飯場にいる北川栄治っちゅうもんでなス」
「ハイ。先ほど伺いました」
「ハア? あ、そうか。イヤ、ンだったっけな? ハハ……」
 北川は自分でも収拾のつかないほど狼狽えたのだった。

 この朝から降りだした雨で夕張川や石狩川が氾濫し、鉄道がズタ ズタになり暫くは夕張への交通も遮断されてしまった。もしもこの日のこの時刻以後であったならば、佳代子は当分の間夕張に入れなかったろうし、又この日がこんな大雨でなかったならば、二人が肩を並べる事などなかったであろう。まして北川のような男にとっては、どこかでこんな偶然とぶつかっていなければ、決して佳代子に近づく事などなかったのは明らかであった。
 その日から始まった開道以来の大水害は、人々の脳裏にも災害の記録としても悲惨な現実として長く印されたのは間違いない。被災者にとってその光景は生涯忘れられない悪夢の一つでもあろう。
 だがそれ故に鮮烈な印象として刻み込まれる出会いもあった。北川の口から即座にその日付までが出てきたのも、決して故のない事ではなかったのだ。 「だども北川よ。それからもう半年以上も経ってるんだや。ンだのにお前え、一回もあの娘の事バ話した事ねかったなや?」
 正造は先日来疑問に思っていた事を口に出してみた。
「ン?……。そうだったかや?」
 とぼけた返事だったが、故意に佳代子の事を話題にしなかったとしか思えない。何か心にやましさがあると睨んだ。そうでなければ、先ほどのように佳代子に声をかけられただけで、はた目にも分かるほどうわずる訳がない。
 女と花はホメられながらキレイになるもんだ、と勝手にほざいている男たちはどこにでもいる。日頃は口数の多くない北川も、そんな連中の仲間に入って女の評判や噂を結構楽しんでいる。なのに佳代子の場合に限ってしないというのは怪しいし、何かあると勘繰られても仕方がない。
 正造は北川をからかってみたくなった。
「そうだでや。俺ラ初めで聞いだもセ。ンだどもよ、お前えとあの佳代ちゃんは、もしかセバ、ただの縁でねえかも知れねえでや。ウン、こりゃお前え楽しみだなや……」
「なに喋ってるんだお前え。俺ラもう三三になるんだや。お前えより一つ上でねえか。ンだのに佳代ちゃんはまだはたちかそこらだど。俺ラの娘みでえなもんでねえか……」
「大袈裟だ事喋るもんでねえ。なんも、お前えど一緒になれって喋ってる訳でなかべ。だどもよ……。だども北川よ、よく聞けでや」
「なんだや?」
「向こうが、なんと思ってるかわがんねえんでねえかや?」
「なにバカだことを……」
 結局二人とも何か確信あって話している訳ではない。噂の相手がいないのを幸いに話題を楽しんでいるにすぎないのだ。
 男二人では大して話す事もなかった。だが正造はどこか引っ掛かるものを感じた。それが、殺伐とした飯場にはおよそ似つかわしくない佳代子のせいだったのか、彼女との出会いをこれまで口にしなかった北川のせいだったのかは分からない。だがもう一つ正造が不審に思ったのは、佳代子が親とではなく伯母と一緒に暮らしているという事であった。
 人には秘すべき事情の一つや二つは必ずある。それを詮索する気になれば恐らく無限にあるに違いない。それを知りたがる者、敢えて耳をふさごうとする者それも人さまざまであろう。
 正造は他人の身元を詮索するほうではない。だが知り合ったばかりの佳代子やとくの過去には、自分たちとはまったく違う世界がありそうに思えてならなかった。

 思った通りさぶは大奮闘だったという。
 秋夫を背負ったまま先頭に立ち北山の神社に参拝した後、向かい側に見える東山や斜坑の上部落について佳代子に説明を始めたそうだ。ふさはこの夕張に住んでほぼ五年になるが北山に登ったのは初めてであった。佳代子もここに暮らしては日が浅いので、地理や方角すらよく判らないとの事であった。それを聞いたさぶはイヤが上にも張り切り、見晴らしのいい場所までみんなを連れて行き、見える限りのものについてこと細かに説明をしてくれたという。
 神社が斜坑の上部落と真向かいの位置に建ったため、ステンションや選炭場などはいつもの反対側から見下ろす事になる。更にプトマチャウンペの沢一つ隔てた三番坑の上部落などはもちろん、山腹の長屋群から炭砿指定商の店や風呂屋から水場なども見たし、延々と連なる輸車路のその先が坑口であった事をこの目で見たのもまったく初めてであった。
 ふさや佳代子にとっては、違った角度から眺める風景が新しい景色に映る不思議な感動と驚きがあった。見下ろすような風景が箱庭でも見るように目に焼きついた、とふさは興奮気味に語った。
 それから山を下って市街地へと向かったが、ふさや佳代子が喜んでいる事に勢いづいたさぶは、ゆきや秋夫にはもちろん二人が持て余すほど、次から次と何かを買い求めたという。
 常打ちではないが一区には貸し座敷の寄席がかかり、三区の外れの小さな芝居小屋にも怪しげな演し物の看板が上がり、声を嗅らして木戸番が呼び込みをしていた。その時その辺をウロウロしていた半やくざの白兵児帯が、佳代子に目をつけてちょっとひやかしたらしい。それを本気になって怒ったさぶが食ってかかり、あわやというところでとめる人があり何とか納まったとの事。
「オラ、ホントにおっかねかった! さぶちゃんの怒り方、そりゃア只事でねかったもの。秋夫もハア泣きだしたぐらいだったもセ……」
 普段は軽口ばっかりでおどけてみせるさぶだったが、いざとなればありったけの力を振り絞る事もあるのだろう。特に女の前ではたとえ見栄でもやせ我慢でも、ここが男の見せ所とばかり火事場のクソ力を発揮したのに違いない。
 佳代子はどうだったか知らないが、そんな男の姿にのぼせ上がる女はいるものだ。その日のさぶは、渾身の力を出し切っていい男になろうとしたのであろう。餅や味噌田楽などを買い、子供たちには飴や駄菓子を買ったりして奉仕に努め、懸命の大活躍をしてくれたようだった。
 聞きながら正造は可笑しくなった。その分だとさぶはこの次の割当日までは、死んだ気になって稼がなければならない筈だ。大盤振る舞いをしてしまった以上、間違いなく煙草銭にも事欠くようになるのは目に見えていたからだ。

 祭りを追っ掛けるように例年より少し早い桜が咲き、あっという間に散った。今年はいつもより春が早く暖かい日が多かったせいで、人々は何となく穏やかな年になりそうな予感と期待を抱いた。去年があまりひどかったので、誰しもそう願うのはムリもなかった。だが市場では、鉄道、石炭ともに何かと波立つ気配があった。
 それにしても北海道の春の話題は、常に決まったように鰊が獲れるかどうかから始まってゆく。三月中旬に小樽近海の初鰊が報じられ、厚田、小樽近海、福山と好漁が続き、ほとんど第一期の漁獲でもとを取ったと言われるほどの豊漁で幕を明けた。
 昨年一昨年とひどかったため今年こそはの期待が大いに高まった。この五年間の平均漁獲高である一〇二万石(鰊一石は約七五〇キロ)は軽く超え、恐らく一五〇万石は下るまいと久方ぶりに浜は沸いた。だが第二期第三期の漁はガックリと落ちて殊に江差沿岸は今年も又ひどい不漁に泣いた。
 だがどういう訳だったのか大漁に沸いた地方でも、鰊がかかったのは近年になって普及しだした建網あるいは角網だけで、昔から使われていた刺し網にはまるで鰊が寄りつかなかった。結局漁期が終わってみれば豊漁だったのは石狩沿岸と後志の一部地方だけで、後は去年より更に悪かった。総額では一○○万石を割り五年間の平均を一割以上も下回る結果となった。
 それにしても、北海道では鰊の不漁が単に漁民の不幸だけに止まらない。
 不漁は自然気象と密接な関わりを持つとして、海水温度の低下説をあげる学者もいる。その正否はともかく、原因と言われる低温海流の発生する年にはしばしば天候不順がつきまとうという。その事は直ちに道内の農産物の成育と密接な関わりを持ってくる。
 鰊に限らず収量が低く不安定な状態が続いたとしたら、まだ完全に定着したとは言えない開拓農家や小作農がぐらつくのは当然だ。その結果、苦闘の過程にある農民が脱農業を決意したり、離農後の生活を真剣に考えたりするようになったとしても又止むを得ない。
 かと言って農業漁業を捨てた人々が、家族と共に暮らしてゆける場所は決して多くない。ほんの一握りは商人かその下働きになる。だが多くは道路鉄道河川工事の現場でその日暮らしの日雇いになるしかなかった。もちろんその一部が炭砿に入ってきたのはいうまでもない。
 炭砿はそんな人々を常に受け入れていた。慢性的な人手不足のせいであったが、それに乗じて食い詰め者や、質の悪いごろつきまで何食わぬ顔でもぐり込んでくる。真剣に職を求めて入ってきた人々と違って、こうした手合いはロクに働こうとしない。飯場長屋で小博奕を打ったり、酒を食らって喧嘩に明け暮れたりするのだ。その果てに借金を踏み倒し、もっと性悪な輩になると行き掛けの駄賃とばかりに、人の物を盗んでドロンしたりしてゆく。
 会社でも飯場でも常日頃警戒はしている。だが定住定職を希望して入山してくる離農漁民と、そうした人々を装ってくるならず者を見分ける事はほとんど不可能に近いのだ。それは所帯持ちや独り者を問わず、着いた翌日からでも稼ぐ事ができ、最低限の暮らしを立てられるのが炭山だ、と触れ回る周旋や募集の口上のせいでもあった。
 その条件に引き寄せられるのは何かの都合で前職を失った人々であり、始めからその条件の利用だけを企むのは飯つきのねぐらがあればいい無頼な連中であった。もちろん会社は落ち着いて長く働いてくれる者を望んだには違いないが、そのために格別な努力をしたとは思えない。何故ならヤマを見限って出て行く者は多かったが、口利きや身元保証なしでも入れたために採炭所を訪れる者が結構いたからであった。言い換えれば、入山希望者をえり好みできるほど 炭砿事業は評価されていなかったし、まだ世間一般から認知される 業種とはなっていなかったのだ。
 だがどういう訳かその炭鉄の株価がしきりに動いていた。特に買われる理由や見るべき内容もない筈であった。それどころか国内経済の不振による影響で、本州市場では下級炭の投売り競争が始まるとの噂が飛び交っていた。そうなれば九州、磐城(常磐)ばかりではなく、炭鉄の北海道炭もそのあおりをうけるのは必定だ。三井三菱のような大資本による炭砿はいざ知らず、小ヤマの経営者たちはその噂にさえ怯えていた。
 そんな中で炭鉄株が異常に高騰していた。誰かが買いあさっているとみる憶測はともかく、当然の事とは言え仲買店がその仕手筋を明かす筈はない。ただ誰もが同じ疑問や不審を抱いてはいた。近い将来鉄道の国有が確実になっている現在、ただでさえ鉄道株は実勢以上の高値になっている。それを買って更に値を吊り上げるなど玄人筋のやり方とは思えない。さりとて素人が手を出しているとも考え難い値動きであった。仕掛けの意図も読み筋も見えない不気味な動きに首をひねり、警戒感を強める空気があった。

 踵をついてやっと歩けるようになった北川は、二週間ほどの入院で飯場に戻ってきた。
 その間のふさの働きは肉親も及ばないほどで、よくぞ堪えたと言っていい大変な毎日であった。始めのうちは日に三度通っていた世話を、北川のたっての頼みで二度にしたとはいうものの、降っても照っても診療所までの道を往復する毎日であった。その上でわが家の事、子供たちの世話と休む間もなく体を動かした。
 しかしふさは、飯場に戻ってからでも北川の世話を続けるつもりであった。
「ふさちゃ、もう大丈夫だ。何とか俺ラ一人でやれる。今度はゆきや秋のほうサ手ッコかけでやってけれ。俺ラの事で、まるくた子供や三原の面倒見でやれなかったんでねえかや。ホラ、この通りだ。見でけれでや……」
 一足はやっとあぐらをかける程度曲げるぐらいの事はでき、腕もゆっくりならば肩の高さほどは上げられるようになったのを見せながら、北川はふさに何度か訴えた。
 かなりムリをしているのは誰の目にも明らかだが、これ以上ふさの手を煩わせまい、と必死になっている北川の懸命な努力も解らないではない。
「だども北川さん。洗濯物だのなんだのは……」
 言いかけたふさの言葉を、北川の退院を気づかってやってきたとくが遮った。
「大丈夫だよ、ふささん。飯場へ戻って来さえすれば何とかなるよ。今まで散々世話してきたんだから、もうこの辺で誰かと交代してもいいよね? それに北川さんだって、そろそろ一人でやるようにしないと……。ね?」
 いつの間にか佳代子も来ていた。とくの言葉にふさのほうを見ながら何度も深く頷いている。引き受けたと言っているようにも感じられる。だがそれを見たふさはホッと安心しながらも何故か妙な気落ちも感じた。それは子供の頃兄と一緒に歩いた夜道のどこかで、遠くに見えていた微かな火影が不意に消えていった一瞬の不安にも似ていた。
 退院と聞いてその夜飯場に行った正造は、北川の部屋から食器を下げてくる佳代子の姿を見た。
「北川よ。佳代ちゃんサ飯の相手さへでるのかや? めっかったらお前え、そこら辺の若え者にハア、ぶっ殺されるど……」
 冷やかし半分にからかった。
「冗談いうなでや。俺ラは食堂サいって食うって喋ったんだども、運んでやるって聞かねえのセ」
「ホウいい塩梅えでいかったな。しっかり面倒バ見でもらえでや。そうか、もしかせバ佳代ちゃん、いつかの借りバ返す気だかも知れねえなや?」
「何の借りだや?」
「去年、ここサ連れで来てもらった時のよ」
「俺ラ、そったら事、恩に着せる気なんかねえ!」
「お前えになくても、向こうにあるかも知れねえ」
 ムキになっている北川が可笑しくて、正造はいつまでも彼に逆らった。そのうちフッとつい先頃さぶから聞いた話を思い出した。
 あのお祭りの日以来、さぶは完全に佳代子にのめり込んだようだ。今までは噂や遠目で騒ぐ野次馬の一人だった。しかしあの日案内役を仰せつかった事から、単なる野次馬の位置から一歩抜け出たと思ったのかも知れない。佳代子の事を話す口ぶりからして違ってきた。
「やっぱり学問のある女は違うよな正さん。ただ顔や姿がいいばっかりでねえし、なんかこう品みでえなもんがあるんでねえべか? したから気安く口が利けねえンで俺ア参ったよ。ンでも俺ア決めたど正さん! 女ときたら尻(けつ)追(ぼ)っかけで歩くふけ猫みでえな助平どもに、俺ア絶対佳代ちゃんバ渡されねえ! 下手にチョッカイ出す野郎バめっけだら、タダおかねえ!」
 さぶは間違いなく本気なのだ。表情までハッキリとは見えない坑内での会話だったが、その並々ならぬ気の入れ方は伝わってきた。正造はさぶのそののぼせ方に火がつく前に、少しはガス抜きしてやったほうがいいような気がした。
「さぶよ。佳代ちゃんと何か約束でもできだのかや?」
「とんでもねえ。約束どこか、ろくたま話もできなかったでや。したって、あの日初めて口利いたんだもや」
「ンだども、半日も一緒にあっちこっち歩いだんでねかったかや?」
「そりゃそうだけど、佳代ちゃんて口数ねえのよ。俺なに喋っていいんだか分かンなくなって……」
 ここで一発さぶに威しをかけた。
「頭が違うんだ、頭が。お前えと話したって合う訳なかべ! いいかや今でこそ飯場の飯炊きなんかしてるども、女学校出だど。え? お前えなんか学校も勉強もキライで、まるくた尋常科サも行かねかったっちゅうんでねえか。お前えのおどさんから聞いたでや」
「ダメだべか?……」
 急にさぶの声に元気がなくなった。
「そったら事決まってるべ! それとも、これがらわったわったど勉強して、も少し上の学校サでもいってみるか?」
「冗談やめでけれ! 勉強やる気あったんだら、正さんの後山なんかやってねえよ」
「コノ野郎!……」
 いつもの通り終いはふざけた掛け合いになったが、決して佳代子から目をそらしてはいなかったようだ。その証拠に、どこで仕入れるのか毎日のように新しい情報を持ってきた。
 つい先日の夜、とくと佳代子の部屋に夜這いをかけた奴がいるという。気づいたとくの凄まじい剣幕に追われて、ほうほうの態で逃げだしたそうだ。その時表まで追っ掛けて怒鳴りつけたとくの大声は、飯場の連中みんなの耳に届き、ますますとくさん恐しの評判が高まったとか。
「夜中忍び込むなんて、男らしくない真似するンじゃないよ! 昼間堂々と顔を出せない奴に指一本触れさせるもんか! そんな卑怯な意気地なしに渡すほどこの娘は安っぽくないンだ! 見損なうンじゃないよ!」
 手には多分心張棒かなんか持っていたに違いない、と見てきたようなおまけつきの噂だったそうだ。
 もう一つは佳代子が入っていた札幌の女学校とは、アメリカ人女性が開いたスミス女学校だとか。従って佳代子は、アメリカ語だかイギリス語だかの外国語の読み書きができるそうだ。
 更にもっともらしい日く付きの噂もあるという。
 佳代子の父親は、黒田長官時代に東京から赴任してきた開拓庁官吏で、都落ちを嫌った奥方は東京に残ったため、札幌で囲った権妻 (めかけ)との間に生まれたのが佳代子だ。その後父親は東京に戻り一層出世したが、佳代子母娘との縁は切れてしまった。と、まるで新聞連載の読み物風身の上話まで伝えられ、人の口を経るごとに尾ひれがついているともいう。
 とくについては、札幌で旅館のお内儀であったらしいとか、いや古手屋(古着屋)の女房であったとか、どこまで本当か分からない噂がいくつも流れているらしかった。
 何にしてもとくが男勝りの気丈な女であり、そのとくにしっかり護られている佳代子に近づくのも、こちらの思いを伝える事などもかなり面倒に違いないという気はした。
 二、三日して正造は又北川の部屋に行った。
 右肩の辺りはかなり快くなったと見え、少しずつ腕を回したり筋肉をほぐしたりして見せた。大分歩けるようになったとも話していた。
「遊んでれば、まんま食えなくなるもセ」
 救済制度として「鉱夫救恤(きゅうじゅつ)規則」なるものがあるにはあった。もちろん仕事上の負傷による治療費は会社持ちであったが、その休業中にもらえる賃金は出面日当の約三割程度にすぎない。それでは飯場暮らしの独り者でさえ食うのがやっとである。だから〈怪我と弁当はてめえ持ち〉と坑夫らはやけ糞のようにいうが、実際にもわが身はわが手で守るしか方法はないのだ。
 子供の頃から遊んで食えるような事は一時たりともなかったに違いない北川は、恐らく習性的にも働かないで過ごす日々への不安や怯えがあるのであろう。
 正造にしても貧しい少年時代を過ごした事に変わりはないが、彼ほどにつらくて重い荷を背にした記憶はない。兄が二人いた事もあって家や親たちの事で悩む必要はなかった。それをいい事に各地の鉱山を渡り歩き、イヤになれば飛び出すという気ままな暮らしを暫く続けた。それだけに所帯を持つまでは、まったくといっていいほど蓄えを持たなかった。だが北川が届けてくれた叔父政吉の手紙を読んで急に帰りたくなり、それから半年余りの間、必死になってムダ遣いを抑えたのが貯金というものの始まりであった。
 その程度では大して貯められる筈がない。それなのに思いがけな い運びでふさとの結婚話が進み、始めて母親に金のない事を打ち明けた。母親は黙って一切の事を取り計らってくれたが、いかに身一つの嫁を望んだとは言え、かなりの出費があったのは当然だ。その金についても貸した借りたの話は一度も出なかったが、正造はそのままに済ます気はなかった。仕送りはおろか季節の便り一つ出さぬ十数年に及ぶ気ままな暮らしを続け、今更親がかりで嫁をもらうのは情けない話であった。いつかは何倍にもして返したい思いはあったが、それを果たさぬうちに父親は逝ってしまった。
 所帯を持ってからの正造は、暮らし向き一切をふさに任せてただ働く事に専念したと言っていい。ふさがどれほど切り盛りがうまいか、読み書きができるかなどまったく考えた事もなく財布を預けた。だがホントのところは自分の苦手をふさに押しつけただけの事である。
 正造は自分の家に今どれだけ金があるのかまるで知らない。貯えがあるのやらないのやら訊いた事もない。割当日に受け取る金はそのままふさに渡してはいるが、それが誰かとの比較で多いとか少ないとか、それをふさがどんな使い方をしているのかなども、一切気にした事はない。
 それに対してふさは、正造の稼ぎが月によって少なくなったりした時でも、不満顔をしたり愚痴ったりした事はない。反対に気張って稼いだ月があっても、浮かれてムダ遣いするような事もない。
 正造にとってはこの目立たない女房が、近所のかみさんや仲間坑夫の女房たちとどこか違っていて、安心のようなそれでいて物足りないような思いをする事もある。
 だが本当はふさが一体どんな女なのか、まだよく解っていないのかも知れない。
「まンズそうだでや。早く治して稼がねばな?」
 北川は正造も驚いたほど付き合いが広かったので随分見舞いもうけたらしいが、もらいっ放しで済まされる筈はない。このヤマから逃げ出しでもしない限り、いつかは相応のお返しをしなければならない。そのためばかりではないにしても一日も早く仕事に戻りたいのであろう。
「この頃、さぶがよく俺ラどこサくるんだ」
 突然北川が言った。
「お前えどこ見舞いするふりして、佳代ちゃんの顔バ見にるんだや」
 さぶの魂胆は見え見えだが、そんなに頻繁に顔を出しているとは知らなかった。
「若えからなや。ンだども、さっきまでここにいて、ちょっとおかしだ事喋ってだんだや……」
「何だや?」
「お前えの組に、さぶのほか、川っちゅう男いだな?」
「おう川原か。野郎がどしたバ?」
 今日仕事の帰りさぶと一緒だったという。川原は何かの用事でこの先へ行くつもりだったらしいが、飯場の傍を通りかかった時、ちょうど出てきた佳代子と顔が合ってさぶが挨拶をしたそうだ。
 二言三言話して別れたのだが、傍にいた川原が佳代子の顔に見覚えがあると突然言い出した。あれだけ目立つ人だものというと、イヤこの夕張で会ったのは今日が初めてだが、間違いなくいつかどこかで会ってる筈だと考え込んでしまった。もしかしたら札幌ではと訊いたが、川原は札幌に行った事はないという。自分が行った事のある小樽か古平か、あるいは江差辺りかも知れないが、どこだったのかハッキリ思い出せないと言っていたそうだ。
 佳代子が札幌以外の土地に住んだ話をしていなかったかとさぶに訊かれたが、もちろん北川はそんな事は知らない。それどころか佳代子がどこで何をしていた娘なのか、何でここへ来たのかも一度も訊ねた事はない。
「この頃、毎日顔合わせでるお前えが知らねえのに、俺が知ってる訳なかべ。もしかしたらふさが知ってるかもわがんねえから、こんだ聞いでおくでや」
「イヤ。俺ラは佳代ちゃんが、どこの土地で暮らしてなにしてだんだ、なんて聞きたくもねえ。そったら事どうでもいい事でねえか!」
 妙に気負い込んだ北川の口調だった。だがそのせいで却って正造には反対の思いが籠もっているようにも聞こえた。
 正造はその夜ふさに訊いてみた。ところがふさも正造と同じぐらいの事しか知らなかった。
「だどもオラ、佳代ちゃんは、結構苦労してる娘さんでねえかって思う……」
「何でだ?」
「いつだったか、賄いの仕事だバゆるくないでしょ、ってオラ言った事あるのセ。そしたら佳代ちゃん、慣れでるからそうでもないって喋ってだ。そん時オラ何でだったかわがんねえども、もしかセバ佳代ちゃん夕張サ来る前に、そした水仕事してらんでないかって気イしたのセ……」
佳代子の話では、自分の母親が亡くなる前からとくの許にいたとの事であったが、それは一体どういう事情によるものなのか。更にとくが石川飯場へ来たのが三年前の秋で、佳代子がやって来たのは去年九月頃と聞いた。母親がいなくて伯母と暮らしていた一九か二○才の娘が、二年もの間どこで何をしていたのか。
「女学校も、家の事情で卒業前にやめだって喋ってらし、いろいろつらい事もあったど思うのセ」
 他人の身の上話をあれこれ語る事などほとんどないふさが、これだけ言葉数を費やすのは珍しい事であった。それだけ佳代子に対しては並々ならない関心や親近感を持っているのだろう。
「父親はどうしたんだや?」
「それがオラにも不思議だンだども、一回もおどさんの話バ口にした事ないのセ」
だからといって疑うべき事ではないのかも知れない。家族の事を 語りたがらない人は世間にいくらでもいる。何にしても、あれこれ詮索する事を好まない夫婦と、更にいっそう輪をかけたような北川とでは、佳代子やとくの過去など到底知り得る筈もなかった。
「そう言えば、佳代ちゃんこの頃、オラ家さ来なくなったネハ」
 ふさが思い出したように言った。
「北川どこサ三度三度飯運んだり、何だかんだ世話焼いでるえンた話だも、暇ねえんでねえのかや」
「やっぱり……。ねエあんた。もしかセバ佳代ちゃん、北川さんどこ好きなんでないのセ?」
「ン?……。そう見えるかや」
「……お祭りの日、診療所サ行ったねハ。あん時オラ佳代ちゃんの顔バ見で、アラッて思った……」
 いつもと変わりなく見えても、佳代子のどこかに微妙な変化が表れていたのであろうか。
 ふさは長屋のおかみさんたちの間で、日常的に交わされる男女の話題が好きなほうではない。そんなふさの目にも佳代子の思いのようなものが見えたのだとしたら、正造が何となく感じていた事もあながち思い過ごしではなかったのかも知れない。
「……ンめえごといけばいいども……。あれは難しい男だハッて……」
「そうだねえ……」
 二人とも、佳代子について知る事は少ない。だが北川の気性やものの考え方はよく知っている。それだけにすんなりいきそうにもない何かを予感している。本当は北川に一日も早くいい相手が見つかってくれる事を望んでおり、亡き両親や妹に対してもそうするのが一番いいとは思いながら、彼にそれを納得させる事の難しさについて、又よく分かっているからでもあった。
 北川は何一ついい事なしにこの世を去った家族を思う時、自分一人だけが人並みの幸せを得ていいものかどうか明らかに迷っているようなのだ。妹と母親を死に追いやったという思い込みは、おいそれと北川の心の中からは消えてゆきそうにもない。
 それが何よりも厄介な事であった。
 偶然の出来事から父親を失って以来、北川を取り巻く事情はきわめて厳しかったに違いない。そのつらさに耐えて早く一人前の鉱夫になろうと決心したのも、必死に働く母親と妹への思いがあったればこその事だったろう。それだけにこれからという時に相次いでその二人を失い、生きる張り合いや目的を奪われた挙げ句に残ったものが、償いのつけようもない負い目だったとしたらどうだろう。もし仮に佳代子が北川を好きになったとしても、そこまで踏み込んで彼を理解するには容易な事ではないだろう。何といっても佳代子は若すぎるという気がした。
 正造とふさが漠然と感じた不安はその辺にある。この先の成り行きを思い二人は何となくため息をついた。

 六月に入ってもう大分経っていた。一年中で一番日の長い時季だ。この頃は出坑(上がり)も割合早くなっていたので、なんとか日のあるうちに家にたどりつける。
 帰るとわが家に北川の顔があった。
「オウ。ご苦労さん!」
「来てだのか。どんだや?」
「この通りだや」
 北川は右腕をぐるぐる回して見せた。血色もよくなっていたし、頬にも肉がついたように見えた。
「足はよ?」
 立ち上がって軽く足踏みしながら言った。
「まだホントでねえども、そったごと言ってだバこれだ……」
 首を吊る真似をした。ゆきがそれを見て北川に訊いた。
「おじちゃん。それ何だ?」
「首かかりよ。ゆきサ喋ってもわがんねえか。ンだなア、いつまでも仕事さねえで休んでれば、とくさんや佳代ちゃんから、飯ンま食わへでもらえなくなるんだや。セば俺ラ困るもの」
「フーンそうか。したら腹すくよネ……。よーし、ゆきがとくさんと佳代ねえちゃんに頼んでくる」
 ゆきはそのまま出て行きそうだった。これには北川が慌てた。
「オイオイゆき。待で、待ででバ。まンズそれは冗談コだや。イヤあのつまりうそンコちゅう事だから、本気にしねえでけれ。俺ラうそ喋って悪かった、勘弁してけれでや。とくさんも佳代ちゃんもそした人でねえ。俺ラバ大事にしてけるから大丈夫だ。イヤほんとだだや!」
 正造とふさは、ゆきに対して本気で頭を下げている北川を見ながら思わず笑ってしまった。彼の弁解やその態度があまりにも真剣で、まるで大人にしているのと少しも変わらないのが可笑しいのだ。
 ゆきは不思議そうにみんなの顔を代わる代わる眺めていたが、出てゆくのだけはやめたようだ。
「オウたまげたでや。あのまんまとくさんのどこサ行かれだンだバ、話はハアやちゃくちゃになってしまって、俺ラ、とくさんに引っぱたかれるどこであったでや。ンだどもゆきよ。お前えはホントにめんこいやつだなア……」
 言いながらゆきの手をとって怪我をしていない側の膝に座らせ、何度も頭を撫でた。それを見た秋夫は伸ばしている右足の腿の辺りに、姉と向かい合うように腰を下ろした。
「これ秋ッ!」
「ふさが急いで抱き取ろうとした。
「いいんだや、ふさちゃ。座らへでおけでや。俺ラもう何ともねえ。何たっておぼこっちゅうもんはよ、大人の膝ッコが一番好きだんだ……」
 両腕にゆきと秋夫を抱えすっかり相好をくずしている北川は、怪我の前より表情が明るくなったように見えた。
「北川よ。俺ラ風呂サ行ってくる。わらしらど遊んで待ってでけれ」
 正造は急いで松尾の湯に行った。ふさは北川がわが家で夕飯をとってゆくものと決めて支度にかかった。北川はゆきと秋夫を相手にふざけ合い、何が可笑しいのか三人とも声を上げて笑いころげている。こんなにも楽しそうに過ごしている北川を見た事がないような気がした。ふさは何故か自分も嬉しくなり、流し前での仕事にいっそう弾みをつけた。
「ふさちゃ。俺ラの晩飯だバ心配さねっていいからな」
「アラ何で? 久しぶりだもセ。ゆっくりして、食べでいってたンセ」
「イヤ、あの……。飯場に、支度してあるンでねえかって。食わねば悪りいべから……」
 何か歯切れの悪い返事をする北川を見ているうちに、ふさは気づいた。佳代子の手による食事の世話が、まだ今も続いているのだろう。
「あア、そうだねえ……。ンだバ、又この次だね」
「済まねえなア、ふさちゃ」
「なアンもセ……。その代わり、怪我治ったら佳代ちゃんもとくさんもみんな呼バって、オラ家で全快祝いやらねバね?」
「そうか、みんなサ世話になったもなア。ンだな、そした時には又頼まれでけれ」
 足慣らしに歩いてきた北川は、正造が風呂から戻ってくる前に帰るつもりのようだった。
「三原サうまく喋ってでけれや、ふさちゃ……」
 事情を察したふさへ、少しばかり照れくさそうに片手拝みしながら北川は帰って行った。
 だがこの足慣らしで自信をつけたらしい北川は、それから毎日のように顔を出した。時にはゆきを誘って連れて行き、又送りがてらやって来る日もあった。その度ごとの話でとくや佳代子との連絡もつき、全快祝いの日取りも決まった。それに連れてとくのほうも、佳代子と二人一日暇をもらえるよう交渉して許可になったらしい。そのため正造もその日は仕事を休む事にした。
 会社はこの春頃から少しずつ出炭を減らし始めていたので、一時のように追いまくられる事もなくなっていたのだ。

 九州の門司、若松両港には下級炭を中心に貯炭量が増加して、凡そ一二〇万トン余りの在庫が積み上げられているとの事であった。一方磐城炭に至っては置く場所もないほど停滞し、北海道でも山元を主として一○万トン以上の貯炭があると言われていた。日清戦争によって飛躍的に需要を伸ばした石炭だったが、品質や用途に関係なくむやみやたらに産出した各炭砿会社の乱掘のせいで 供給過剰となり、ようやく不況の気配が濃厚になってきた。それは何も炭砿ばかりではなく、国内産業全般が異常に昇りつめた戦争景気の反動をうけだした事を、そのまま映し出していたにすぎない。
 在庫がほぼ限界近くに達した九州では、上級炭を下級炭の価格まで下げても売ろうとする動きが出ていた。上級炭を産出しない磐城では、本州への運搬経費が他より割高につくため値下げしにくい北海道炭の弱点をついて、これとの価格競争で必死に販路をつなごうとしているとも伝えられた。
 又一方では滞貨の山に焦った販売業者が、投売り同然の値をつけて買い控えの需要をあおったとの噂も流れていた。いずれにしても炭砿会社や売炭業者双方とも、一時も目の放せない市場の動きになっていた。
 そんな情勢の下では炭鉄も新規の開坑は見送り、採炭中の現場でさえも整理して減らそうとの腹らしく、成績や条件の悪い切羽は稼働中止になるらしいとの噂が坑夫を不安にさせた。
 そんな頃室蘭からやって来た旅商人の話では、先頃までは活気に溢れて賑やかだった街中が閑散として、まるで商売にならなくなったというのだ。それは休みなく続いていた炭鉄の海岸埋立工事が縮小されて、人影さえ疎らになったせいだという。そこに加えて海外への石炭輸出が今年に入ってバッタリ途絶え、外国船の入港がまったくない。お蔭で荷役人夫が仕事にあぶれ、酒を控えるどころか飯を食うのさえやっとになり、そのせいか気が立ってちょっとした事でもすぐ喧嘩になる。危なくてうっかり街も歩けないとこぼすのを耳にした。
 声をひそめて語る旅商人の顔が、客の気を惹く話題として事々しく吹聴している、という風には見えなかった。話半分に受け取ったとしてもかなり深刻な模様に聞き取れた。
 同じ歴青炭でも熱量の高い上級炭の多い夕張だったから、今年初めから市場を覆っていた不況の翳に逆らって強気の出炭を続けていた。しかし国内全体の産業事情を超えられる訳はない。更にこれまでは僅かとは言え販売を補っていた輸出も振るわないとなれば、そのまま山元に影響が出ない筈はなかった。
 炭鉄の二月中出炭は四一,○○○トン余りであったが、五月になると三六,六○○トンと、かなりの減産になっている。何と一一%もの出炭調整をしていたのだ。
 稼ぎが減ればまず独り者坑夫の尻が落ち着かなくなる。二、三人やめるとたちまち周りに影響して何となく波立ってくる。急かされるように後を追う者が必ず出てくる。そうなるとやがて所帯持ち坑夫にも伝わってしまう。身一つで飛び出していける筈もないのにソワソワして仕事にも力が入らなくなり、心ここにあらずの状態がひとしきり続く。
 わった源の槌組からも、手子の若い者が二人相次いでやめた。こんな空気の中なので正造の組分け話もどこかへ消し飛んでしまった。

 北川の全快祝い当日は朝からよく晴れた。
 飯場の朝食やその後片付けを手早く済ませ、代わりの女たちに後を頼んだとくと佳代子は、嬉しそうにふさやゆきの待つ長屋にやって来た。
 とくがこの家にやって来たのは初めての事だ。ゆきはそれだけで大はしゃぎしており、それが秋夫にも伝わり二人ともかなり興奮しては、ふさに叱られてばかりいた。
 だが肝心の主役である北川がいつまで待っても姿を見せない。正造は女ばかりの家の中でする事もなく、時間も体も持て余してしまった。
「何してンだや北川は? 俺ラ、ちょっとそこら見で来るでや」
 表へ出た正造は思わず大きな息を吐いた。八畳一間のわが家を女たちに占拠されたようで、相手のない正造はひどく居心地の悪い思いをしていたのだ。
 ダラダラ坂を少し下ってゆくとシホロカベツに出る。その上に架かる吊橋は誰の命名かしぐれ橋と呼ばれている。その下流一○○メートルほどの辺りに見えるのが第一斜坑の坑口だ。第二斜坑はこの橋からシホロカベツ上流へ一キロ半ほども北の一番坑の隣にあり、第三斜坑はこのしぐれ橋のほとんど真下といっていい場所で、西に坑口を向けていた。
 夕張採炭所内にある坑口は川の東側つまり左岸に多い。炭層の分布や運搬経路の都合で片寄るのは仕方がないが、都合の悪い事に東側には切り立った崖が多く、本来は坑口付近に欲しい各種設備の建設場所がとれなかった。それに比べて右岸側には僅かながら平坦な土地があった。そこを整地して更に広げ、そのほとんどを土場(貯木場)、製材所、選炭場、貯炭場、輸車路といった事業施設が占有している。
 第三斜坑の真ん前を川巾一〇メートル足らずのシホロカベツが流れている。坑口から川を挟んだ対岸には捲揚機や扇風機、あるいは坑底の水を汲み上げるポンプの動力源となる汽罐場が建っている。かなり大きな赤煉瓦造りの建物である。それもその筈で一基の直径 が二メートル近く、長さが七、八メートルもあるランカシャーボイラーが六基も収められているのだ。それに付属する設備と石炭庫や 同じ赤煉瓦の大煙突も含めれば、このヤマでは選炭場に次いで目立つ大きな建物であった。
 この頃の動力源は、すべてが蒸気機関であった。斜坑の炭車を引き上げる捲揚機のために、坑口のすぐ横に建っている機械室まで蒸気パイプが汽罐場から川の上を横断している。更に坑口の真上の崖に設備した扇風機も蒸気で回っており、坑内排気の土臭い空気と真っ白い蒸気が休みなく吹き上げられている。
 坑内で厄介な問題の一つは水の処理である。絶える事なくどこからか湧き出る地下水を汲み上げなければ、採炭どころか坑道を維持する事すらできない。そのために水平坑道には幾分傾斜をつけて水を集めるバック(水溜め)を掘って、一旦土や泥を沈殿させる。それを坑外に汲み上げるポンプの動力ももちろん蒸気しかない。
 だが引き込んだ蒸気パイプのせいで坑内の温度や湿度がすこぶる高くなり、支柱の腐りを早めてしまう。そればかりでなくただでさえ蒸し暑くて居心地の悪い坑内を、いっそうムッとさせて不快な気分を高める結果ともなっていた。
 蒸気ポンプは坑夫に甚だ評判が悪かった。
 一番坑の近くにも第二斜坑と共同の汽罐場があり、ボイラー四基が交代で稼働していた。だが規模では第三斜坑前の汽罐場には到底及ばない。四基のうち二基は去年六月に入れたばかりだ。これは空気圧縮機(コンプレッサー)を動かすためとかで、何でも空気機関車を走らせる計画があるとの話であった。
 坑内はガスが多いので火を出す恐れのある動力は一切使えない。そこで圧縮空気を動力源とする機関車が走るとの噂は大分前から聞こえてはいたが、どんなものかまだ見た坑夫はいない。

 しぐれ橋から手がとどくように汽罐場の大屋根が迫り、一年中開け放っている窓からは居たたまれないほどの熱気と水蒸気が、音を立てて吹き出している。だがそれはいつも通りの光景であった。しかし橋を渡りながら目に入る一帯の様子や騒音は、数年前とは大分様変わりしている。轟々と唸りを上げている捲揚機や扇風機も以前より大型になっていたし、輸車路を往復する炭車の数も、怒鳴るような男たちの声も間違いなく増えていた。
 しぐれ橋の上から眺める日中の風景は、こんな時間こんな場所に立った事などない正造には、奇妙に新鮮ではあったが、何となく自分が怠けているような後ろめたさも感じさせた。
 橋を渡りきって左へ曲がればすぐ石川飯場だ。ところが北川の姿はなくとうにどこかへ出掛けたとの事だった。途中で行き違いになる筈のない一本道なので見落とす事はないし、今日の予定を主人公たる北川がウッカリ忘れるとも思えなかった。
 やむなく引き返して再びしぐれ橋のたもとまで来た時、思いがけなく永岡に出会った。
「やア三原さん。こんな時間に珍しいですな」
「うん。ちょっと用があって北川のどこサ行ったんだども……。あんたこそ今頃なんだや?」
 普通ならばお互いに行き合う筈のない時間であった。
「三原さんには話しておらんかったかな。この前会社から命令が出て、組ごとそっくり四番坑に替えられたんで、ついでに東山の新長屋に移る事に決めました……」
 今日がその引っ越しでたった今その長屋を見てきた。これから帰ってすぐ家族みんなで取っ掛かるつもりだが、ロクな荷物もないので身一つとほとんど変わらないと永岡は笑った。彼に限らず坑夫の家移りなど大体似たり寄ったりである。
 それにしても彼がこの前訪ねてきたのは確か四月の初め頃だったと思うが、その時には何も言ってなかった筈だ。
「帝国鉱夫組合会」なるものを作るからと加入を勧めに来ただけではなかったか。
 切羽整理で各所の現場にぼつぼつ統合や分散が行われているのは知っていた。それを嫌ってやめてゆく坑夫も増えたので、組ごとの異動などという思い切った入替えが始まっていたのかも知れない。
 永岡が越して行く新長屋と呼ばれる辺りは、鶯谷の奥にある四番坑に近い東山の一角で、市街地一区を上から見下ろすような山腹に建った文字通り新しい部落であった。
 かみの山一帯に坑夫長屋が建ち始めてからもう一〇年近くにもなるというのに、どういう訳かまだ正式な区割りもされていないし、地域の名称すら決まっていない。沢や小川についていたアイヌ語の呼び名そのままだったり、近くにある坑口名で呼んだりしてまるでいい加減であった。
 正造らの住む斜坑の上とは、第一斜坑のほぼ上にある長屋群一帯を指していう。沢一つ隣の部落は三番坑の上と呼ばれていたし、家族持ちで着山した人たちが取り敢えず入居する西山一帯は、移住民長屋と呼び慣らされている。従ってこのヤマ草分けの一番坑を取り巻く部落は、もちろん一番坑長屋と引っくくられていた事はいうまでもない。だが長屋それぞれに至っては、誰がつけたとも知れない綽名が罷り通っていて、坑夫らは指を差すだけで住んでいる部落や長屋を言い当て何の不自由もない。
 永岡の移った四番坑が大事故を起こし、四が死にかかる語音を嫌われて南坑と改められるのは大分後の話である。だが命名も改称もいつも突然だったり、迷信や因縁にからんでいたと知っても誰も驚いたりはしない。災害を逃れるには、神頼みか縁起をかつぐぐらい しかない、と考える坑夫も多かったからだ。
 東山の新長屋ならば、正造の長屋からは一〇分とかからない距離だ。しぐれ橋を渡って石川飯場へ行くよりは大分近い。
「……実はその前に市街地一区にも一戸借りました。これは会社とは関係ないので自前です。私は家族も多いし、それに伝道やいろんな集会にも使おう思いましてね。何かの時は利用して下さい。そうだ。ここで会ったついでと言っては悪いが、この前話した鉱夫組合の事や共済会の件で、どうしても三原さんの力を借りねばならんと思っておったところです」
「イヤ。俺ラなんか何ンもできねえし、力もねえ……」
「いやいや三原さん。本人を前にしていうのも何だが、三原正造いう名前は自分で思っておるよりも、このヤマでは信用になっとるのと違いますか?」
「とんでもねえ……」
見え透いたお世辞をいう永岡とは思えなかったが、それだけになお正造は返事に窮した。
「本当の事です。最近知り合った友人も、是非あんたに会いたいと言っております。近いうちに一緒に伺いたいと思ってました。構いませんか?」
「俺ラは構わねえども、友人て誰なのセ?」
「若いが中々の男です。多分あんたより年下とは思うが、炭山坑夫としては傑物だと思います。今にきっと何かやってくれる男ですよ」
 正造は永岡を畏敬の目で見てはいるが、別な意味では異端の人という思いもないではない。それはやる事考える事すべてが正造の物差しで計れない人間だからだ。そこに惹かれもするが、又何となく不安を感じてもいる。ところが永岡は正造を自分の仲間か、あるいは支持者の一人と見ているようでもある。それを頭から拒否する気はないが、幾分の戸惑いや躊躇いを感じているのも事実であった。
 永岡が過去に積み上げてきた同盟罷業や坑夫救済の運動は、久平のいう通り立派な仕事だったのだろうとは思う。だが正造はどんなに頼まれても、自分にそんな事ができるとは思えない。従ってあまり深入りしたくはなかったし、一緒に何かをするという気など毛頭持っていなかった。
 正造は、永岡とは坑夫同士の言葉で話せないような妙な気後れを感じてしまう事がある。何故だかよく分からない。だがもしかしたら彼が時折口にする、神とか伝道という耳慣れない言葉のせいだろうかと思ったりもした。
「ところで、北川さんの怪我の具合どうですか?」
さすがに付き合いの多いらしい永岡は、北川の休業を知っていた。
「まだ本当でねえども、いつまでも休んでられねえって、明日から稼ぎサ出るつもりなのセ。今日は俺ラどこで全快祝いの真似事やるどこセ」
「そうですか……。イヤ、中身のない規則というやつだけでわれわれは飯が食えんのですよ。ま、そのためにも、一日も早く共済会か組合が必要ですな。三原さん?」
 やはり最後は永岡らしい話になって別れた。家に戻ってみたが北川はまだ来ていなかった。それにも拘わらず家の中は賑やかな雰囲気で、ふさも佳代子もよく喋っていた。とくの声が大きいのは知っていたが、今日のふさや佳代子も負けてはいないようだ。よほど女たちの気が合っているのだろう。
 北川が姿を見せたのはかれこれ昼に近かった。両手に風呂敷包みを提げ大汗を掻きながら玄関に入って来たところを、待ちくたびれたみんなから一斉攻撃されたのは当然の事だ。
「北川よ。今までどこで何してらんだや!」
 まず正造から口火を切ったが、女たちからも次々と質問や非難を浴びせられ、玄関に立ちつくした。
「イヤ済まねえ。勘弁してけれ。ちょこっとアノ、買い物サ行ってきたんだ」
「北川さん。昨夜あれほど言ったでしょう? 明日は私たちが全部支度するから、体一つで三原さんのとこへ来なさいって……」
 とくは北川の風呂敷包みを見ながら口をとがらした。
「北川おじちゃん、何してた? みんなして待ってたんだから」
 ゆきまでが大人たちの口真似をした。しかしそれを待っていたように北川が弁解を始めた。
「悪かったゆき。アノな、ゆきや秋夫にも喜んでもらうべと思って、ホラ……」
 言いながら、たくさんの菓子や飴などの外に子供用の下駄を取り出した。
「北川さん。まず上がってけさい」
 ふさが勧めなかったら、押し売りさながら立ったまま上がり框の上へ包みを広げかねなかった。
 遅刻の詫びを言いながら解いた包みの中には、酒やら肉やらの外に女物の下駄が二足あった。
「こんだの事で俺ラ、ふさちゃと佳代ちゃんサまるっと世話かけたども、何として礼セばいいんだか分がらねえんだや。こったな物で済むどは思ってねえども、まンズ、俺ラの気持ちだけ受け取ってもらいてえど思ってハア……」
 真剣な顔つきで薄縁に下駄を並べ、両手をついて深々と頭を下げた。
 下駄屋に見立ててもらったものにせよ、表が莫産打ちで鼻緒だけを色違いにしてある品物は、一見して普段履きとは比べ物にならない上物と判る。これをふさと佳代子と分けた鼻緒選びに迷い、贈り物らしい心遣いで入念に仕立てさせたとすれば時間もかかる訳だ。その上にあれこれの買い物だ。
「こんな事してもらうために、オラたち世話したんでねかった……」
「ホント。どうしてこんな高いものを……」
 ふさや佳代子も、事の次第が分かってみればむやみに遅刻を責める事もできない。とにかく礼を言って受け取るしかなかった。それほど大真面目で融通のきかない頭の下げ方でもあった。
 正造も仕方なく言った。
「まったくお前えっちゅう男だバもう……」
 言いながら何気なく目をやった風呂敷包みの中に、もう一つ紐付きの袋があった。そこからチラリと貯金通帳が覗いていた。恐らく今日のために貯金を下ろしたに違いない。市街とヤマを合わせても、たった一カ所しかない郵便局の開くのを待っていたのだろう。ほぼ一ヵ月休業した北川に金の余裕などある筈はない。
 いつの日か身内の墓を建てる目的で、こつこつと積み立てていたのを正造は知っていた。その中から幾許かを割いたのであろう。だが北川は正造の視線に気づくと急いで風呂敷を丸め、腹掛けにねじ込んだ。
 北川がわざわざ買ってきた肉を予定外の一品に加えるため、女たちは又大騒ぎして準備にかかった。こうして北川の全快祝いは販やかに幕を開けた。 主役はもちろん北川に違いないが、もう一人の主役は佳代子であろうと正造夫婦は見ていた。二人の仲がこの暫くの間にどれほど進展したか、この目で今日確かめられるのを別の楽しみにしていた。
 普段は物入れに使うダイナマイトの空函を二つ重ね、卓袱台代わりにしている木箱との間に板を並べ、急ごしらえの広い食卓を作り上げて全員が席に着いたのは、それから更に大分経ってからの事だ。何やかやと朝から作った料理を盛る器が足りなくて、ふさはうめやトミからも皿小鉢を借りた。
 戸棚押入れといった収納のない長屋のせいや、転々と渡り歩く坑夫稼業の習わしで、余分な家具什器のない家はヤマで珍しくはない。何か寄り合いの必要が起きた時にそれらの物を借りるのは少しも恥ずかしい事ではなかったし、又他人に貸すのをイヤがったりもしない。貸せるほどの余裕があると見られるのは決して悪い気分ではないからでもあろう。
 食い物の好き嫌いやその月の稼ぎ、酒癖から寝言の果てまでも知られている以上、なまじの遠慮や気遣いは却って長屋暮らしの障りになりかねない。
 うめもトミも皿小鉢どころか鍋や七輪まで運んできてくれた。お蔭でにわか造りの食卓に載せ切れないほど料理ができた。それで大人五人子供二人がその周りを囲むとなると、どんなに夜具衣類を隅っこに押しやっても、身動きするのさえままならないほどであった。
「北川、お前えは今日のお客だハッてここサねまれ(座れ)。それから隣は佳代ちゃんねまってけれ。反対側はお前えの家来のゆきだや。両手サ花っちゅう塩梅だべ。ゆきの隣にとくさん。済まねえどもとくさん、ゆきの世話バ頼まれでけさい。ンだバそろそろ始めっか!」
 正造は何か言いたげな北川を無視して有無を言わさず席順を指示し、さっさと彼に向かい合う位置に座った。女たちの丹精こめた献立も銘々に取り分ける広さがなくて、幾つかの大皿に盛り上げただけであった。それでも今日の料理がどこか垢抜けて見えるのは、と くの手や指図によるもののせいなのだ。望まれて石川飯場の食堂を預かったのも、こうしたところにあるのだろうと頷かせるに充分な出来栄えであった。
「オイ北川。何か挨拶せいでや」
 みんなが席に着いたところで正造は言った。半分は冷やかしのつもりだ。立ち往生でもしたら、適当なところでやめさせればいいと思っていた。
 北川はキチッと膝を揃えて座り直すと少し後ろに下がった。そのまま手を着くと深く頭を下げた。静かに頭を上げるとふさのほうを見た。
「今日は俺ラのために、ほんとに有り難えど思ってる。まンズふさちゃ! あんたにはなんぼ礼をしてもこれでいいっちゅう事はねえぐらい世話になった。親兄弟でもできねええンた面倒見でもらって、俺ラ死んでも忘れるもんでねえ。それから佳代ちゃん! あんたにもおんなじように済まねえど思ってるス。イヤとくさんにもゆきにも、みんなサ礼言わへでもらいてえのセ! 明日から何とか稼ぎサ出られるのも、ここサいるみんなのお蔭でセ。三原! 済まねえ。この通りだッ!」
 薄縁にピッタリ額をつけたまま絶句してしまった。
「オ、おい、北川。もういいんでねえか。そったに堅苦しく考えんなでバ。オイ、顔上げれでバ」
 慌てて正造は言葉をかけた。思った以上に言葉数の多い挨拶と、そのために感極まったような北川の真剣な態度のせいで、ふさや佳代子までがシュンとなってしまった。
「そうだよ北川さん。世の中は持ちつ持たれつだもの。縁あって知り合った者同士、困った時に助け合うのはお互いさまってもんじゃないのかね。さアさアそんなに畏まらないでさ、今日はパッとやって明日から又元気にいこうじゃないの。ホラホラ盃を持って……」
 言いながら燗徳利を持ち上げるとくの取りなしがなかったら、座の空気がスンナリとは切り替わらなかったかも知れない。その捌きは単に年の功だけでは片付けられない場慣れや経験を感じさせた。
「佳代子、今日は特別だから、北川さんにもタップリお酌して上げなさい」
 北川の隣に座らせられたものの、どうしていいのか迷っている佳代子にとくが声をかけた。
「いえね。普段からこの子には、気安く男にお酌なんかしちゃダメって言ってあるもんだから、困ってるんだよ。だってそうじゃないか。嫁入り前なんだもの、むやみに男の酒の相手なんかしちゃいけないよね。でも今日は特別なんだし、北川さんなら飯場で一番信用できる人だしね」
 佳代子は安心したように徳利を持ち、北川は照れながらも盃を出した。
「へえ、北川いがったなア。お前え大した信用でねえかや?……ンでも今日だけだど、忘れンな」
 正造も軽口を叩きながら北川と佳代子に水を向けた。
 普段は味もそっけもない仕事着姿しか見せない佳代子だったが、さすがに今日は娘らしくちょっぴり華やいだ装いをしている。慣れない手つきでお酌するのもいっそう初々しく、日頃より何倍かキレイに見えた。それなのに佳代子は気恥ずかしいのかふさとばかり話をしようとする。だがふさは北川の盃が空くと目で促したりすると、佳代子は慌てて徳利を持ち上げる。
「北川おじちゃん。ゆきも酒を注ぐー」
 ゆきが大人を真似て割り込もうとする。
「コラゆき。お前えはそった事さねっていい! 佳代ちゃんぐらいになったらしてもいいどもな」
わざに目を剥いて睨みつけたが、やめるどころか口をへの字にして反抗する。
「イヤ! ゆきもするのー……」
「それじゃゆきちゃん。とくさんに頂戴よ」
 とくは一気に盃を明けてゆきに差し出した。ゆきはコロッとだまされてとくのほうに向き直った。
「とくさん、嫌いでねえんだなや?」
 正造が今度は徳利を持った。
「昔は死んだ亭主とよく呑んだもんだけど、相手がいなくなってから久しく呑んだ事はないんだよ」
「死んだ?」
 正造が聞き返した。
「そう……。ちょうど三年になるわ。二十九年の四月だから、さきおととしになるかしらね……」
「病気?」
 真向かいのふさが訊いた。
「…………焼け死んだの。火事で……」
「えっ?……」
 何気なく訊いたふさだったが、箸を持つ手がピッタリ止まってしまった。正造も北川も息を呑んで次の言葉を待った。
「……佳代子、伯父さんの事はみんな話しちゃうよ。 何も悪い事をした訳じゃないんだし、話してさっぱりしたほうがいいような気がしてきたよ。みんないい人ばっかりだもの。ね?」
 佳代子が真っ直ぐとくを見ながら小さく頷いた。 「もう忘れてしまったかも知れないけど、七年前の札幌大火と三年前の小樽の大火。間は四年も空いているし場所もまるで違ってるのに、私には別々に起きた火事とはどうしても思えない……」
 札幌の中心部からは少し西に寄った所に、滝沢半次郎とく夫婦は旅館を営んでいた。旅館といっても他人を使わないで済む程度の小さな商人宿であった。客の半分以上が決まった顔触れで、地方から 札幌へ買い付けに出てくる商人が多かった。従って大して儲かりもしないが常連相手の固い商いを続けていた。
 だが二十五年五月四日の札幌市街中心部を一舐めした凄まじい大火が、直接には家を焼かれなかった人々の暮らしにも及び、巻き添えにしてしまった。何故ならこの大火のせいで取引の場を失った問屋や市場の人々が、復興までの一時期その勢力を小樽に移してしまったからだ。それから数年、札幌の街は建物の復旧はともかくひどい不景気が続いた。
 滝沢旅館でもバッタリ客の数が減った。札幌への買い付け客の定宿だっただけに、小樽まで直行する商人を呼び戻す手だてなど何もある筈はない。

 夫婦は散々考えた末に不況の札幌を見限り、小樽に一軒旅館を持つ事にした。だが中心部を外れたそれも小さな旅館であり、おまけに空き家が一,〇〇〇戸もあると言われる札幌では、中々いい買い手がつかなかった。やむなく旅館を抵当にして無理算段の金を借りたが、とても新築できるほどの額にはならなかった。それでもようようの事で小樽住之江町に売り物を見つけ、手入れを終えて何とか明日から滝沢館として開業の運びになったのが、四月二十六日つまり大火の前日の事であった。
 とくは札幌の旅館営業を休む事ができないまま、何もかも夫半次郎一人の奔走で開業にこぎ着けた滝沢館であった。世話になった人々を招いてお礼やねぎらいを兼ねた開業披露の酒は、半次郎をどれほど酔わせたのか知らないが、大火の炎を浴びても目を覚まさずに無残な焼死体となって発見された。
 一人の客も泊めず一銭の収入も上げない滝沢館は、大きな借金だけを残して灰になってしまった。
「………だからホントのところ、亭主がどんな死に方をしたのか私にはまったく分かっていないのよ。報せを聞いて夢中で駆けつけたんだけど、その真っ黒けの仏さまが、本人かどうかも正直言って分かんなかった。ただね、最後まで近くにいた人が、いろいろ警察に話しているのを聞いて、そう思うより仕方がなかった……」
「顔や身体バ見でわがんなかったのセ?」
正造が遠慮がちに訊いた。だがとくは眉をひそめながら首を左右に振った。
「そりゃアひどいもんだったのよ。火がよほど強かったのか、まる丸太棒みたいになっちゃって、顔かたちなんか残ってないの。せめて着てたものの端っこでも残っていればともかく、そんなだから跡形もありゃしない。結局は滝沢館の中で死んでたって事と、行方不明の亭主と身元不明の仏さまがくっつけられて、滝沢半次郎は酔っぱらって焼け死んだって事になった訳よ」
「そ、そったバカだ話が……」
 北川が悲痛な声で言った。
「私だって当座は信じられなくて、どっかに生きているんじゃないかと思ったりしたけど、それは残された者がそう思いたいだけなのね。だってそれっきり滝沢半次郎が私の目の前から姿を消してしまったのはホントなんだもの。あの黒焦げの仏さまは私の亭主だったのよ」
「可哀相!」
 ふさが顔を歪めて洩らした。
「そりゃア死んだ者が一番の貧乏籤よ。だけど後に残った者だって、言葉には出せないほどひどい目にあって、いっそ死んだほうがよかったって思う事もあった……」
 結局借りた金の返済に何のメドもつけられず、抵当にした札幌の滝沢旅館を諦める外はなかった。小樽の大火から僅か五ヵ月後の事である。その間長年の贔屓であった常連客の何人かには、聞かれるままに事情を打ち明けてはいた。旅館を閉める事にでもなればそれなりに迷惑がかかるからだ。
 その中の一人に夕張で小さな呉服店を営む波口仁平がいた。呉服といっても古着を多く扱うため、時々札幌へ仕入れに出て来て、品物は自分で背負って帰る程度の商いであった。
 いよいよ滝沢旅館を明け渡さなければならなくなった九月の末、最後の泊まり客が波口であった。以前から何度も聞かされていた炭山景気の町に行ってみる気になったのも、この波口を信用していたからだ。
 波口は日頃懇意にしている石川に頼まれて、飯場の賄いを任せられる人間を探していた。とくの事情を知った上で、ちょっとした料理など軽くこなし、きびきびと客に接するとくを適任と見込んで迎えにやって来たのだった。
 話の合間に正造が勧める酒を、とくは一度も断らなかった。
「宿屋のおかみから坑夫飯場の賄いだバ、まンズ、大したつらい思いしたんでねかったのセ?」
「イヤ。私はね、ぐずぐずしてるのが性分に合わないの。こうっと決めたら、もう泣き言なんか言わない。キライなの! ただね、死ぬほど考えたのはこの娘の事だった……」
 とくは佳代子に目を向けた。
 佳代子はとくの話を聞きながらも、時折北川の盃に酒を満たしていた。それもできるだけ目立たないよう音も立てずにひっそりと注いでいる。酌をしているというよりは、教わった通りを一所懸命繰り返す子供の仕草に見えない事もない。
 北川は頷きもせず目を見開き、ひたすらとくの話に耳を傾けている。一語も聞き洩らすまいとしているかのようであった。大人たちの態度に気押されたのか、さしものゆきも温和しくとくの膝に手をのせたまま、じっと顔を見つめている。
「……佳代子は子供の時から私たち夫婦と暮らしていたから、姪っていうより娘みたいなもんだったのよ。それなのに亭主が死んで家がなくなり、都合で炭山へ行く事になった。だけど女学校に入ったばっかりだったから、連れて行く訳にはいかない。あれやこれやを考えだしたら、頭がおかしくなりそうだった……」
 とくは悩んだ末、亡夫の半次郎と仲の良かった同郷の友人の所に、佳代子を預かってもらえないかを頼みにいった。その友人は子供二人を育てながら夫婦で居酒屋をしていた。そこに昼は女学校に通いながら、夜はその子たちの面倒を見る、という条件で佳代子を置いてもらえないかを打診した。もちろんその期間は女学校卒業までとし、食費や部屋代はキチンと払う事にして引き受けてもらった。
 三年経ったら何としても一緒に暮らす事を約して佳代子と別れ、この夕張にやって来たのが二十九年十月の事だ。
 前の月三番坑にガス爆発があり八人死んだとかで、ヤマは不安に怯え落ち着かない空気があった。そこへ季節とは言いながら追い討ちをかけるように雪が降り、身も心も寒々しい日が暫く続いた。さ すがのとくもこんな土地に来た事を後悔したほどであった。
 それまで黙って聞いていたゆきが突然口を開いた。
「佳代ねえちゃんは、とくさんちの子供でなかったの?」
「そうなのゆきちゃん。とく伯母さんはね、私のお母さんのお姉さんなのよ」
「フーン。そしたら、佳代ねえちゃんのとうちゃんは?」
「私が小さい時に死んじゃったのよ。東京で……」
 佳代子はゆきの質問を逸らさずに答える。
「火事で?」
今さっき聞いたばかりの話と短絡してしまっている。
「それは伯母さんの旦那さまで、私の伯父さんだったでしょ。解らない?」
 ゆきの言葉にみんなの頬がゆるみかけた。しかし一旦出だすと止めどなく続く子供の質問は、一直線に疑問の解明へと向かってしまう。
「そしたら、佳代ねえちゃんの、かあちゃんはどうしたの?」
ふっと佳代子の言葉が途切れた。
「ネエ。死んだの?……」
子供の質問は単純な代わり執拗になり、納得するまで何度でも繰り返す。声がないのを何かの意思表示と読める筈もなく、閉じた口を懸命に開かせようと躍起になる。
 だがそれには答えがなかった。佳代子の沈黙には迷いや躊躇いとは違う気配があり、どこかに拒否を示す姿勢さえ感じさせた。
 とくがゆきの肩を抱いた。
「ゆきちゃん。これはね、とっても難しい事なの。佳代子のかあちゃんは、死んだのか、それともどこかで生きているのか、今は分からないの……」
 明らかにゆきへの返答ではない。
「伯母さん!」
珍しく高い声でとくの話を遮った。その目にはありありと非難の色がある。恐らく他人には聞かれたくない内容だったのであろう。
「佳代子。お前の気持ちは解らない訳じゃない。だって子供ン時から一緒に暮らしてるんだよ。もしかしたらおっかさんよりもお前の事は解ってるかも知れない。その私からの頼みだよ。もういいじゃないか。ね、そうだろう?……。もしかしたら、もうこの世にはいないのかも知れないんだよ。それでもお前は許さないつもりなのかい?……」
 とくの切れ切れの言葉だけで、佳代子と実の母との間に何があり、それがどうなっているのかなど、三人には想像さえつかない。だがいかにも複雑な事情がありそうな事だけは窺えた。
 とくの問い掛けにも返事はなく、佳代子は頑に口を閉ざしたままだった。まるで素肌を覗き見られる羞恥やそれに抗う潔癖さまで感じさせ、容易な事では折れそうもなかった。
 若い男にも女にもそれと気づかぬまま、精一杯己を飾りたい時が必ずある。そんな時何故か自分が自分でなくなり、人の目ばかりが気になって、粧っても身構えてもまだ己が卑小に見えてくるのだ。
 周囲の大人はその変化に目をとめたとしても、多くは黙って見ている。誰もがいつかは通りすぎてゆく時間と知っているからだ。だがその時がいつやってくるのかは誰にも分からない。
 もしかしたら佳代子が、そんな季節の真っ只中にいたのかも知れない。
「この娘の言いたくない事は私からも言えないの。ただこの娘も不憫な生い立ちでね、亡くなった父親は、本来ならば前途洋々の切れ者の官員さんだった。若いのにお上の仕事で二度も外国へ行ったほ どの人なの。でもこの娘が子供の時に、ホントに突然の病気であっという間に逝っちゃった。その頃私たち夫婦はもう札幌で旅館をやってたんだけど……。ま、それからいろんな事があって、佳代子は私たちと一緒に暮らすようになった訳ね」
 大人たちの話に退屈した秋夫は、散々食べた後は隣へ遊びに行ってしまった。年は違っても男同士、鶴吉や義二が相手になってくれるからだ。
 ゆきにも大人たちの話がホントに理解できる筈はない。だがそれだからこそいっそう口を差し挟みたがる年頃とも言えた。とくの話に三人の大人たちが頷いているのを見ても、少しも納得していない。
「佳代ねえちゃん。秋みたいな弟いないの?」
 一人っ子の珍しい時代だ。ゆきの知っている大抵の家には子供が二人以上いる。
「ゆきちゃん。私には弟も妹も、それからお姉さんもいないの。でもね、お兄ちゃんはいたの……」
「お兄ちゃん? ふーん……」
「あア、しゅうちゃんかい? いえね、私の姉の子なんだけど。この娘とは九つも年が離れてるのに、妹のようにとっても佳代子を可愛がってくれてたの。旅館をやってた時、半年ぐらいは同じ屋根の下に暮らした事もあるのよ。そのうちに一人暮らしをしたくなったとみえて、出ていっちゃったけどね。とっても頭が良くて、気の優しい子だった……」
 とくは少し酔ってきたようだった。男のようにぐいぐい空ける呑み方では、回りが早いのは当然であろう。
「今、その従兄の人は?……」
 ふさは佳代子が口を開いたのに安心したらしく何気なく訊いた。だが佳代子の顔は再び曇り、とくのほうにチラッと視線を送ってから首を横に振った。
「………多分、元気でいるとは思うんだけど……」
「アラ、何でだの?」

 別にしつこく問い質そうとした訳ではない。佳代子の口調がハッキリしないまま話は自然とこんな流れになってしまう。
「黙って札幌を出てしまったから……」
「えッ、どした事なのセ?」
 誰しも首を傾げる疑問であろう。だがそれにはとくが答えた。
「実は私がそうさせたの。旅館を手放す時も、札幌を出てここへ来る時も、余計な事は一切言っちゃダメって口止めしたのはこの私なの。もちろん行く先もね。だって出世前の甥に心配かけたくなかったし、又話したところでどうにかなるって事じゃなかったしね」
 とくらしいやり方かも知れないが、それで済むとは思えない。
「他人事でも放っておけないお兄さんだったから、事情を知ったらどんなに心配するか分かっていたの。だから伯母さんが黙って夕張へ発った後、どこへ行ったのかって何度も私の所へ訊きに来たわ。 でも約束だったから教えられなかったし……。とっても苦しかった!」
「今でも知らせでないの?」
 ふさには、二人が何故そこまでこだわるのかが分からない。
「……手紙も出してない。もしかしたら、今も探しているかも知れない……」
 佳代子の話を聞いていたとくの目に、見る見る溢れてくるものがあった。
「姉にも妹にもみんないい子がいるのに、どうしてなのか私にだけは子供が授からなかった。どんな苦労をしてもいいから子供が欲しかった。その願いも叶えてくれないどころか、亭主まで連れて行くなんて、世の中神も仏もありゃアしない!そんな罰当たりな仕打ちをされる覚えなんて私には何一つないわ! それとも神仏なんて、そんなにいい加減で不公平なものなの!」
 久しぶりの酒に酔ったか思わぬ昂りを見せるとくだった。膝元で見上げるゆきも異常な気配を察している。
「とくさん。世の中悪い事ばっかり続くもんであったバ、誰だってイヤになるだどもそした事だっていつかは終わるもんでねえのかや。したからこんだはいい事がくる番だって思わねバ、なア北川。ンでねえがや?」
 悲鳴と聞こえなくもない叫びに引き込まれて、座が暗くなりそうな気配を察した正造は、とくを慰めながら、北川の力も借りるべく急いで話を振り向けた。
「ア?……。 ンだ、俺ラもそう思うでや。なんたってハア、とくさんの人柄だもの。必ずそのホラ、人徳ちゅうものは、神さんもどっかで見でるど思う。ンでねえバ、まンズ神でも仏でもねえ!」
 正造の意を察した北川は懸命に言葉を探し、何とかそれをつなぎ合わせようと図っている。
「オヤ、私がとくだから人徳かい? なんだか語呂合わせみたいだけど、ありがとよ北川さん……。そう言えばずっと昔の話なんだけどね、名前で思い出した事があるよ」
 さすがにとくだ。北川のとりなしにサラッと乗って見せる。
「私ンとこはずっと昔から商ン人だったし、先祖をたどったって侍なんか誰一人出てやしない家系だったのよ。なのに私のお父っつあんは、三人の娘になんて名前をつけたと思う? 姉がたかで私がとく妹がその。本字で書いたら、高徳園って事になりゃアしない? 笑っちゃうよね。まるで、どっかのお大名が、ご隠居様のために造ったお庭の名前みたいだねって、よく言われたもんさ……」
「まンズ姉妹揃っていい名前だネハ」
 ふさが感心したように言った。
「名前ばっかり良くったって、女は男運が悪くちゃ仕様がないよ。何の因果だか姉妹揃って連れ合いに先立たれてるんだから、ひょっとしたら名前負けかも知れない。私を見てご覧よ、四〇半ばで後家婆さんだもの。それじゃアあんまり可哀相ってもんじゃないかね……。アラ、又愚痴ンなっちゃった。ご免よね北川さん。折角のお祝いなのにさ……」
日頃は言いたい事を言っているように見えて決してそうではあるまい。女一人がいかに大声を張り上げようとも、恐れ入ったフリをするぐらいは朝飯前という奴らが飯場にはゴロゴロいる。中には世話役のいう事も聞かずに暴れたりする奴さえいるのだ。そんな手合いがとくにだけは逆らわないという話を聞く。だとすればきっと噂とは違う何かをとくに感じているからであろう。それが何かはともかくも、飯場の渇いて荒々しい空気にホッとするものを与えていたのは間違いあるまい。
 その故に時には口に出かかる言葉をぐっと呑み、なだめたりすかしたり親身さが必要な事もあったであろう。それだけでも却ってわが身の中に燻るものを残す事になる。その上佳代子をつけ狙う男どもの手出しを、絶えず気づかっていなければならぬ日々では、いつか疲れてくるのが当然だ。心許せる人々の前で時には愚痴の一つも出てきて何の不思議があろう。
 それを心利いた言葉で受け止めたり慰めてやれるほど、正造夫婦や北川が世馴れていなかったとはいうものの、まるで気付かないほど迂闊でもなかった。
「何もセとくさん。今日はずっぱり喋ってけれでや。言いたい事バサ溜めれば、呑んだって食ったってンまくも何ともねえじゃ!」
 北川も今日はいつもとは違う。遠慮がちではあったが、時には佳代子に酒を勧めたりしている。だが佳代子は盃に口をつけるだけで、ほとんど呑んではいないようだった。
 正造は先ほどからのやり取りで、今までまったく知る機会のなかったとくや佳代子の事がいくらか分かってきた。だがそのために却って妙な事が気になってきた。
 佳代子が母親の事を語りたがらないのは、思ったより以上に普通でない事情が潜んでいるようだ。まだ母親を許さないつもりかと迫ったとくの言葉は、それだけでさえ穏やかではない。それに今もってその母親の生死が不明という状態は、一体いかなる事なのか。その外卒業までいる筈だった家からとくを追って来てそのまま居ついてしまった様子も突然で、何か不自然な気がしてならない。
 恐らく誰もが似たような疑問を感じた事だろうが、それを質したり詮索するのは当分できそうに思えなかった。何故なら頑に口を噤む佳代子の表情が、一切を拒んでいるのは明らかだったからだ。
「そうだってばとくさん。北川のいう通りだね。たまには我慢さねえで、思い切ってなんもかんも吐き出したほうがいいでバ。そうやってンまくいく時もあるンでねえのかや」
 とくに顔を向けつつも、佳代子に言って聞かせた言葉であった。
 本州と違って梅雨のない北海道は、六月前後が春夏の境目になる。だがそれもきわめて曖昧なものでしかない。春がいつか知らずに過ぎていたとしてもまだ夏には程遠く、照らなければ吹く風の冷たさに思わず首をすくめ、日が射してくれば慌てて襟元をゆるめるといった程度である。だがそんな目まぐるしい日々に合わせ、北海道に咲く花は大方この五、六月頃に次々と咲き切ってしまう。
 木に咲く花はもとより名もない路傍の草花に至るまで、時季を重ねたり後を追ったりしながも、この二月足らずの間に長い冬の衣を脱ぎ捨てて咲き競う。温暖な地に咲く花々と違い、目を奪う艶やかな色彩を持たないが、寒気に耐えて発色を抑えられたかの楚々とした可憐さに、却って目を惹かれてしまう。とは言え花期の長い花は少ない。気がつけばいつかしらその色を失っている。だがそれが最果ての地を映す風情とこよなく愛し、その季節を心待ちにする人も多い。
 生まれは東京であっても、育ちをこの北国に移したい木も、いつか花開く春を夢見ているに違いない。だがそれがいつの事なのかは誰にも分からなかった。
 二〇才と言えば、花ならば最も美しく香り高い季節の真っ最中というべきであろう。だが何のため誰のために咲くかを知らなければ、ただ人目を惹くだけの徒花にすぎない。
 今日の陽気もあって北川の全快祝いの宴は、とくの腕で長屋の酒盛りとは一味違ったものになった。恐らく佳代子がこうした宴に身を置いたのは初めての事であったろうと誰もが思った。呑んだ酒のせいばかりでなく、部屋は快い熱気に満ちていた。但し佳代子の母親の話に触れさえしなければの事で、終始和やかでこれほど楽しい集まりはなかった。
 北川はとくと佳代子に聞かれるまま、自分が友子鉱夫に取り立てられた頃の話を語りだした。
 面付けによって縁を結んだ親分の橋田源蔵は、独り者だったがひどく意地の悪い男だった。仕事を終えて出坑する時、道具の置き忘れがないかどうかを確認するのは新大工の仕事である。毎度うるさく言われるので念入りに切羽を見回すのが北川の癖になっていた。だが橋田は見るだけでは気に入らないらしく、今日仕事をした場所を全部もう一度見てこいという。北川が言われた通りに歩き回っている間に、工具の中の一つを隠したりする事もあった。
 肩に食い込む道具袋を担いでようやくおかに出た時、その道具がないと騒ぎ立てる。工具は鉱夫の命なんだ見つかるまでは上がってくるな、と脅して殴りつける。まだ子供だった北川はたった一人で真っ暗な坑内に再び戻るのは怖い。だが情け容赦ない橋田の命令に逆らうのはもっと恐くて、震えながら工具を探しに切羽へと下がった事も何度かある。
「可哀相!……。 どうしてそんなひどい事を……」
 北川の顔を見ながら涙を浮かべる佳代子は、それが遠い日の出来事であるのを忘れて体を震わせた。
 橋田の言い方によれば、それは単なる悪戯でもイヤがらせでもなく、どれほど工具が大切かを体で覚える修行の一つだというのであった。
「わらしの時であったから、男はそした辛抱さねばなんねえもんだと思ってのかも知れねえ。まンズ誰だってつらい事の一つや二つはあるものセ俺ラ男だからいいども、佳代ちゃんは女だのに……」

「私なんか、北川さんに比べたら……」
 生まれ育ちや年齢も違う男と女の間に、共通する話題など中々あるものではない。だがどんな立場であれ、相手の不幸を思いやる心が失われない限り、
その絆の切れる事はないとも言える。
 楽しい時の過ぎるのはあっという間であった。まだまだ陽は高いのに時計はすでに夕餉時を指していた。とは言ってもさすがに直ぐさま夕飯などは入りそうもないほど満腹している。
 かなり酔いの回ったとくを連れて北川が一足先に帰る事になったその代わり佳代子が後片付けのために残った。足元にからまりつくゆきの相手をしながら、佳代子は手早く飯台の上から皿小鉢を運び、慣れた手つきで洗いだした。
 ふさは今日の料理で皿に盛りきれず手をつけなかったものを、うめやトミの所へ運んで行った。どちらも薄い壁一重なので、うめやトミの喜ぶ声や褒め言葉がそのまま聞こえてくる。その度にとくさんがとくさんがと説明するふさの声は、どこか自分の手柄話でもしているように聞こえてくるのも、何となく可笑しかった。
 あらまし片付けが済んで佳代子が帰ろうとした時、玄関に誰か入って来た。
「お晩です」
 聞き覚えの声はさぶだ。連れがいる気配なので見ると表には川原が立っている。
「おうさぶか。何だ? 今頃来たってうめえもんだバもうねえど。みんな食ってしまったでや」
「違うんだよ正さん! 今日は川さんの事で、どうしても正さんに聞いてもらいてえ事があって来たんだよ。川さん、ちょっと上がらしてもらうべよ」
 表にうろうろしていた川原は、さぶに促されてからのろのろと入って来た。さぶは彼が部屋に上がるのを待ちきれないように口を切った。
「正さん! 川さんがここバやめたいっちゅうんだよ。それでも、どっか行くどこあってやめるんだら俺ラ何とも言わねえし、他人が余計な口出しする事でないべさ。したけどよく訊いだら青森サ帰るっちゅうんではないし、行く先もこの先何やるかも、まだ何も決めでねえっていうんだ。それだったらここサいでも同じでねえか、って俺ラ言ったのよ。違うかい正さん? ンだのに川さんたら、どうしてもここやめるって聞かねえんだ!」
「まンズ、二人ともねまれ(座れ)でバ。そったどこサ突っ立ってだって話になるかや……」
 興奮しているさぶをまず落ち着かせようとした。
 さぶが腰を下ろしたのを見てから川原も仕方なさそうに座った。だが川原は台所にいた佳代子を目にした途端、それまでの半ばふてくさった表情が消えて、しきりに何かを考える顔になった。
「川よ。本当かや? 今さぶが喋った事……」
 正造は二人が座ったのを見届けてから、ゆっくりと口を開いた。矢継ぎ早に畳みかけたりしては相手を意固地にさせ、却って話をこじらせる事がある。
「……ウン。実はオラ、前々から頭サあった事だんだ。ロサ出したのは今日始めてだども……」
「そうかや、前々から考えでだのか? ヘバ、もうとっくに段取りはつけてるんだべも。ンでどっか行くどこ決まったンだな? あんべえ悪くねかったら喋ってみれでや。ン?」
「どこサ行くって……。 それは……」
 さぶが言っていたように、本当に当ても予定もないままやめるとは思えない。正月にふと洩らした通りの事情を抱えていたとすれば、そんな気まぐれができる筈はない。
「喋りたくねえんだバ、ムリして俺ラは訊かねえ。だども、さぶだって本気でお前えの事バ気に病んでるから黙ってられねえんでねえのか? たった一年でも同じ槌組で稼いだ仲間だべ。誰サ喋んねくても、さぶにだけはホントの腹割って、安心させでやってもいいんでねえのか。え、川よ?」
 話の腰を折って帰りの挨拶を告げる事もできず、何となく潮時を失った佳代子は、流し前に立ったふさの後を追って男たちには背を見せた。
「正さんにそこまで言われだら、オラもホントの事バ喋る。……オラ、おっかねえんだ!」
 思い切ったように川原が言い出した。
「おっかねえ? 何がよ?……」
 正造もさぶもほとんど同時に訊き返した。それに対して川原が突然洩らした離山の理由とは、意外にもそれほど単純な内容ではなかった。
 このところあちこちの飯場で独り者坑夫が相次いでやめていた。川原のいる河内飯場も例外ではない。その連中の中にこんな事をいう者がいたのだ。
 今日本国中石炭が余ってどこの炭砿もお手上げ寸前だ。あちこち石炭の投売りが始まっている。そのうちきっとつぶれる炭砿が出てくる。そうなったら稼いだ金さえもらえなくなる。現にこのヤマだって方々の現場を閉鎖するわ、切羽の合併はやるわで坑夫の採用もとっくに止まっている。そこへもってきてお上がこの炭鉄から、鉄道をムリヤリ取り上げようとしている。そのせいで、このところ炭鉄の株がどんどん売られているらしい。今炭砿が危ないんだ。特にこの炭鉄は狙われている。やめるならば早いほうがいい。来年まで会社がもつかどうか分からない。
 難しい話はともかく、折角稼いだ賃金がもらえなくなるかも知れない、というところだけ耳に残りズシンと頭に響いた。その不安は日増しに膨れ上がったが、急な話で次の仕事など考える余裕などない。だが待っていても誰かが働き口を持って来てくれる筈はないのだ。とにかくここがつぶれないうちに出たほうがいいとだけは腹をくくった。
 気になるのはさぶの事だった。年は下でもさんざん世話になったさぶに黙ってここを出て行くのはどうしても後味が悪い。一言でも話すのが義理だと思って打ち明けたところ、さぶにムリヤリここへ連れて来られた、という次第であった。
 川原の話を聞いた正造は迂闊な事も言えなくなった。新聞を読んでしたり顔に政治や景気などを解説する者はどこにでもいる。そのついでに天下国家を論ずる口調で、会社の将来に大いなる不安ありと真顔で聞かされでもしたら、うわべはともかく内心では揺れ迷う者があったとしても不思議ではない。
 そんな時、そこそこの知識や誰かに訊いてみる冷静さを持っていれば別だが、ロクに読み書きもできない川原は、会社が危ないと聞かされただけで狼狽えたのであろう。
 川原にそんな話を吹き込んだ奴がどんな風に語ったか知らないが、日本国内の石炭を取り巻く現状は、正しくその通りで当たっている部分がないとも言えない。鉄道国有の問題も、炭鉄株の買い占めもあるにはある。ただ同じ出来事でも見方が違うような気がする。かと言ってそれを川原にどうやって説明するかは、正造にも自信がなかった。
「川さん。したらこの会社もつぶれるのかい?」
 さぶが逆に訊き返した。本当ならば大問題なのだ。
「イヤ、オラにはわがんねえ。だどもそした事になってからでは遅いし、ますます帰れねくなる」
「……だども川よ、セバ何とするね。外のどこサ行けば安心して稼げるんだや? いま北海道も内地も、どこサ行ったって景気のいいどこなんてねえっちゅう話だ。聞けばいつだり景気のいがった小樽や室蘭も、バッタリだっちゅう話でねえか。それだバ一体どこサ行くつもりだや。まさかこの季節だバ、お前えの得意だ鰊場でもなかべ?」
 仕事の行き帰りや一服の時などに飛ばす冗談のつもりで区切ったのも、これから言って聞かせる小難しい話のキッカケであった。ところが鰊場と聞いた途端に川原は、驚いたように顔を上げた。
「鰊場?……あッ、思い出した! やっと思い出したじゃ!」
 川原が突然大声を出した。 正造もさぶも一瞬呆気にとられていると、声に驚いて振り向いた佳代子を川原が指差した。
「あんただ! あんた、もしかセバ、まるよしの娘さんでねかったのセ?」
「えッ!……」
 佳代子の目はいっぱいに見開かれたが、返事はなかった。しかしやがてその目が落ち着かなくなり、何かにつかまろうとしたのかふらふらと手が伸びた。ふさは急いでその手をつかんだ。
「どうしたのセ、佳代ちゃん?」
 ふさは佳代子の顔を見ながら握った手を強く振った。
「やっぱりまるよしの娘さんだったかや? 石川飯場の前で見だ時からハア、どっかで見だ顔だと思ってらだども、何としても思い出せねかったのしゃ。まンズハア、三年以上も前の事だもセ……」
「まるよしの娘さんて……。川、そりゃ何の事だや?」
 正造は川原に訊き返しながら見ると、佳代子の顔が蒼白になっている。
「うん。オラが毎年江差サ出稼ぎに行ってら事は、いつだか正さんサ喋った通りセ。その行き先はまるよし(丸吉)が屋号の吉川ずう網元のとこであった。丸吉には三年続けで行ったんだども、確か三年目の春であった。網の建て込み終わって群来バ待ってら時、丸吉の網元が見だ事もねえキレイだ娘さんバ連れで浜さ来たのセ。オラだちは網元さ挨拶するフリして、その娘さんの顔バ見に行ったのしゃ。そうだその時網元は確か、札幌の学校サ行ってる俺の娘だって喋って、そりゃアもう大した嬉しそうであった。ンだ! 今考えで見れば、網元のお内儀さんもキレイだ人であった。この娘さんとソックリであったえンた気イする……」
 佳代子は何も答えない。気のせいか肩から腕にかけての辺りが、微かに震えているように見えた。
「川さんよ、ホントなのかその話。その娘さんが間違いなくこの佳代ちゃんなのかい?」
 たまりかねたようにさぶの声が割って入った。
「オラは間違いねえど思ってるども、この人さ聞いでみでけれでや……」
 正造は混乱した。先ほどとくから聞いたばかりの身の上話と、今の話がうまく結びつかないのだ。とくの話によれば父親は官吏だったが病で急死し、その以後東京から札幌に来たとの事だった筈だ。だが川原に江差の網元の娘ではないかと訊かれた佳代子が、それを否定しないばかりか却って異様に取り乱してしまったのは何故だったのだろう。
 もちろん昼間の話を聞いていないさぶだが、佳代子の事ならすべてを知りたがっている人である。図らずもそれが今川原の口から語られようとしている。その事にさぶは奮い立ったようだ。
「佳代ちゃんのおどさんは、川さんが言った通り、江差で網元やってたのかい?」
 暫く答えはなかった。だが佳代子は小さな声で呟くように言った。
「……それにはアノ……。いろいろと訳が……」
「したけど、佳代ちゃんの名字は飯島だったよね。吉川でなかったよな……」
 さぶは訊くというより、独り言のように呟いた。
 佳代子は、こめかみの辺りに手をやったままじっと考え込むような姿勢を続けていたが、やがて顔を上げるとふさに言った。
「ふささん。話の途中で申し訳ありませんが、このまま帰らせて下さい。少し頭が痛くなってきましたので……」
「ア、帰るの? 大丈夫なのセ?」
「佳代ねえちゃん。頭痛いの?」
 目まぐるしく変わってゆく部屋内の空気に、ゆきはただ大人たちの顔を見比べていたようだったが、何があっても佳代子の言葉だけは耳に留めている。 「大丈夫よ。帰って少し休めばきっとよくなるわ。心配しないでねゆきちゃん」
「佳代ちゃん、ホントに大丈夫かい?……俺、送って行ってやるよ」
 さぶは心底気掛かりらしく腰を浮かせた。
「あア、さぶ。頼むでや。佳代ちゃん、さぶに送ってもらえばいい」
「いえ。ほんとに結構ですから、高木さん」
「イヤ、途中で何かあったら困るから俺ついで行ってやるよ。ア、心配ねえって、並んで歩いたりなんかしねえから。後ろから見張りしながらついで行く!」
 さぶは真剣に気を使っている。
 挨拶をして玄関に降り立った佳代子に、川原が言った。
「去年の暮れ、小樽で網元の姿バ見だのセ。ンだどもオラ声掛けねかった……。まったく他人の口なんか当てになるもんでねえ……」
 帰りかけていた佳代子の動きがピタッと止まって、そのまま振り返った。
「えッ……。一人でしたか?」
 やっと聞こえるぐらいの声であった。
「ン? オラが見だ時は一人だった……。お内儀さんの姿だバ、見ねがった……」
 ふさが北川から贈られた下駄を手早く風呂敷に包んで渡した。深々と一礼して佳代子は出て行った。 「飯場に入るとこまで見届けたら、俺はすぐ戻って来る。川さん、正さんとよく話して見でや」
 さぶはそれだけいうと急いで佳代子の後を追った。
 正造は更めて川原に向き直った。
「川よ。お前えの話で来たのに悪りいども、さっきの江差の話バもっと詳しく聞かへでけねかや?」
 川原が江差の丸吉こと吉川という網元の所で出稼ぎ漁夫として働いたのは、二十八年から三十年までの三年間で、その以前はその年によって決まってはいなかった。
 二十八年に行った時は、吉川に娘がいる事など知らなかった。二年目の二十九年春、網の建て込みを終えて待ちをしている時だった。活気があるといってもまだの群来を見る前の事だから、暇もあるし退屈もしていた。そこへわざわざ見てくれと言わんばかりに連れて来た娘は、あれだバ自慢にするのもムリはねえな、とみんなが認めたほど美しい少女であった。
 まだ一五、六ぐらいと見えたその娘は、怯えたような固い表情のまま父親に連れられて浜のあちこちを歩いたが、男たちの注目を浴びながらただの一度も笑顔を見せなかった。しかしそれが却って噂を高める元となったのかも知れない。とは言えその娘が浜に姿を見せたのはその時一度限りで、後に聞いたところによれば、半月も滞在しないで札幌に戻ったとの事であった。その娘についてはその後さまざまな噂が流れた。
 吉川の家内は数年前に亡くなっていたから、今の女房は後添いという事になる。だが元々は先妻が存命だった頃から札幌に囲っていた妾を後へ直したにすぎない。先日の娘はその妾に生ませた子であり吉川自慢の種でもある。何故なら亡妻との間に子はなかったからだ。
 しかし別の噂もあった。女房に何を言われようと札幌通いがやまなかった吉川の行く先は、現在後妻に納まっている女の許だった。それを恨みつつ死んだ女房の喪が明けるのを待って家に入れたのだ。あの娘は後妻の連れ子だから血のつながりなどない。それが証拠に吉川にはまるで似ていない筈。
 その外にもいろんな噂があった。それというのも吉川のお内儀さんが美人だったからだ。その噂はともかく誰もが納得した事が一つだけあった。それはお内儀さんと先日の娘の顔だちが似ていて、父親が誰であれ母と娘は紛れもなく実の親子に違いないという事だった。
 翌三十年に行った時、その娘を見た者は誰もいない。その年は散々の不漁で、雇われた漁師や人夫と吉川は大衝突した。金を払ってくれ。鰊がとれないから払えないの繰り返しで、結局もらったのは帰りの船賃程度の金額であった。
 差し迫って金のいる事情があった川原は、何としてでも金を得ようと青森へは帰らずにほかへ回った。だがそこではいくら必死になっても食うだけが精一杯だった。そのうち小樽は景気がいいという噂を聞いた。何でも三年前の手宮方面、去年の住之江町といずれも大火が続き、復興の人手はどれほどあっても足りないとの話だった。
 川原はなけなしの金をはたいて小樽へ行った。
 仕事探しに人の集まる波止場へ行って見て驚いた。船から降りる人々を宿へ勧誘する客引きの凄まじさときたら、言葉巧みにどころか有無を言わせぬ強引さで客の手荷物をむしり取ると、まるで拉致さながらに宿へ引っ張り込む。直ぐさま札幌方面に汽車で向かう予定の乗客ですら、半ば脅されて怖さのあまり一泊する者があったほどひどい光景がくり広げられていた。
 聞けばその客引きの中には、徴兵されるのを嫌って内地から逃げて来た者や犯罪者なども紛れ込んでおり、歩合を稼ぐため客の争奪にしのぎを削っていたとの事であった。
 そんな小樽には働く口こそいくらでもあったが、使わせる所も多くあり金を貯めるにはかなりの辛抱が必要だった。一月の稼ぎを一夜にして吐き出させる白粉臭い店は、ステンションや港を見下ろす坂の上に軒を連ねていた。
 川原はそこで体力にものを言わせて仲仕をやった。海上での仕事には慣れていたので、少しでも手間のいい沖仲仕もやった。だが中々青森へ帰れるほどの金はできなかった。いつか半年余りを小樽で過ごしてしまった。そのうちにうさ晴らしをする安酒の溜まり場で、江差の漁場で一緒だった男たちと出くわすようになった。
 その中には、どうしても金がもらえるまではと江差に残っていた者もいた。その男の話によると江差の網元の多くは、打ち続く不漁や周辺漁場からの情報で刺し網の不利に気付き、角網への転換を真剣に考えている。だがその金繰りがつかずに四苦八苦しているとかというのも今年の鰊漁があまりにひどかったため、網元への融通を渋る金貸しが増えたからだ。そこで利息が少々高くついても、貸してくれるところに日参している網元もいるという。
 因みに銀行が都市を中心に誕生し、営業を始めてからそんなに日はたっていない。まだまだ辺地の農業漁業関係者へ、簡単に金を貸すところまではいっていなかった。
 網元たちが例年金を借りる相手は、多くは富裕な商人が副業としている金融からであった。その辺りにいい顔をされなくなれば別な相手を探すしかない。そこでもちろん看板など上げていない、もぐりの金貸しにすがる事になる。それは地元を縄張りとしている博奕打ちの親分であった。
 豊漁の後は賭場に大金を落としてくれ、仕込み前には高利の金を借りてくれる網元たちは、親分らにとっては大事な旦那衆でもあり、お得意さんでもあった訳だ。だがこうした者の常として漁が外れた時の取り立ては普通の金融業者の比ではなく、おまけに執拗であった。
 当時北海道には函館の丸モこと上田常吉、札幌の一丁こと及川喜三郎という博徒の親分がその勢力を競っていた。北の一丁は西海岸を、南の丸モは東海岸を勢力圏としていた。続く第三勢力といったところに小樽の北沢金蔵がいた。
 行政、司法、警察と何をとっても行き届いていない当時の北海道では、これらの連中がしたい放題の事をしていたと言っていい。
「丸吉は、そこら辺りと話がついたあんべえだから、来年のニスン(鰊)時季には大博奕になるえンた気イするんだでや。どんだや、もう一回行ってみねえがや?」
 大博奕が当だらねかったらなんとする、と口まで出かかった言葉を呑み込んで別れたが、もう行く気はなかった。この半年余りいろいろ耳にした噂を元に、行くならば積丹の古平辺りと決めていた。その理由は簡単で、もし鰊がダメでも次の稼ぎ口がすぐ見つかる所がいいと思ったからだ。
 翌年早くから古平に行った。結果は又しても散々な不漁で早々に小樽へ舞い戻った。折からの募集に応じて夕張炭山へ行く気になったのは、江差から逃げ帰った男に街で出会ったからだ。
 丸吉の網元が身代張って大勝負に出た角網には、一匹の鰊もかからなかった。大金を貸した博徒の親分は厳しく借金の返済を迫った。それを知った漁師や人夫たちは、漁期の途中にも拘わらず、金になりそうなものを掠めて江差を逃げ出した。
 話を聞いた川原は、今度こそハッキリと鰊場稼ぎの当てにならない事を覚った。その男と同宿で一夜を過ごした後、夕張へやって来て河内飯場にわらじを脱いだ。
 内地からの玄関口であった小樽には、〔人夫紹介所〕を兼ねる安い宿泊所がいくらでもあり、炭山を希望するだけで直ちにヤマへ入る事ができた。
 それから数カ月後、その男は川原を追って河内飯場に姿を現した。同郷でもあったし幾分の縁も感じたので、河内の同室で過ごすようになった。
 その後の江差についてその男はこんな風に語った。
 吉川は莫大な借金が払えなくなり夫婦で行方をくらましたという。大分経ってからの話では、江差の沖で上がった男の水死体がどうやら丸吉の網元らしい、と地元で噂されているとの事であった。夫婦で心中したようだがお内儀さんの遺体は見つかっていない。美人のお内儀さんには、病死した前のお内儀さんの怨みが取り憑いていたのだろう、という人もあったそうだ。
 未払い賃金はすべて不漁のためと言い張り、一歩も譲らなかった網元のせいで故郷にも帰れなくなった川原は、当然の事ながら吉川を激しく憎んでいた。だが当の吉川が死んだと聞いていっそさっぱりと諦めがついた。
 ところがイヤな事は続くものだ。師走に入って間もなく、その男は川原が娘の名義で細々と積んでいた郵便貯金の通帳と飯場に預けていた印鑑を、言葉巧みにだまして持ち逃げしてしまった。もちろん盗難届けは出したものの再び戻ってくるとはとても思えなかった。
 ところが暫くして、小樽の警察から紛失物の受け取りにくるよう通知があった。信じられない思いながら一日かけて小樽に行った。すると逃げた同室の男が、川原の娘名義の貯金を下ろそうとしてその挙動を怪しまれ、局員に押さえられて警察に突き出された事が分かった。
 半年ぶりの小樽はやっと景気が回復したのか、年の瀬らしい賑わいを取り戻していた。日帰りでは帰れないのでどこか安宿でもとうろついている時、ふっと見覚えのある顔を人込みで見つけた。髪も髭もぼうぼうのままいかにも疲れ切った表情の吉川であった。
 確か死んだと聞いた筈の人間だったので、人違いではないかと何度も見直した。当の本人は川原の視線にはまったく気付いていないようだった。それにしても別人のようなやつれ方であった。前の年、後払いの金の事で大喧嘩した頃の吉川は、不漁で痛めつけられていた時にも拘わらず、まだまだ精悍な男であった。年の暮れ近い寒空の下で見た吉川のあまりの変わりように、川原はどうしても声をかける気も、まして詰め寄る気も起きてこなかった。それほど哀れに見えたのだ。
「そうかや。そした事があったのな……。世の中はハア、一寸先は闇だってホントだなや……」
 正造はしみじみ言った。
「他人なんか信用するもんでねえ。血の涙でやっと貯めだ金サ手ッコかけだり、生きでるのに仏さんにしてしまったり……。なんぼ切なくても歯ぎり噛んで辛抱さねバなんねえ者が、この世にはうたて(たくさん)いるっちゅうのに………」
 川原のいう通りに違いない。
 だが正造には川原の話の中で、何となく辻褄の合わないものをどこかに感じていた。帰りの船賃はもらったのに何故青森へ帰らなかったのだろう。差し迫って金のいる事情というのは何だったのか。
 そのために三年も帰れないでいるとすれば穏やかな話ではない。だが今それを問い質すべき時ではない。
「川よ。貯金通帳は無事で戻ってきたのかや?」
「あア……」
「いがったなア……。 ところでよ、お前えの娘の名前なんちゅうんだや?」
「……すず。川原すずだや」
「すずか、いい名前だなや。なんぼかめンこいべ?」
「そ、そりゃア……」
「なして、ここサ呼バって一緒に暮らさねえんだや! 炭山だバそったにイヤだか!」
 いきなり核心に切り込んだ。
「イヤ、そ、そうではねえども……。この炭山も、今につぶれるかも知ンねえって……」
 話の行方を探るような曖昧な言葉尻だ。
「誰が喋った? そったらバカだ事! この会社の株はな、天皇さんだって持ってるんだど。そした会社が簡単につぶれるど思うか? それにいいか、株は売られてるんではねえ! この会社の先行きサ見込みつけだ人らに買われてるんだ。したから値上がりしてるんでねえか。鉄道の話だってあっぺこっぺだ。この会社から鉄道バ取り上げるンでねくて、高え金バ出して国がこの会社から買う気だんだ! 第一、会社が損してまで大事だ鉄道バ売ると思うか? この炭砿鉄道は北海道で一番でっけえ会社だんだど!」
 言おうとする事に確固たる自信があった訳ではない。しかし川原のふらついた尻を落ち着かせようとして口を開いてみると、これまで断片的でしかなかった情報や知識が、頭の中で自然とつながってきた。意外なほどスラスラと口をついて出てきた言葉だが、いつの間にか受け売りだけでは語れない事を言い切っていた。
「ホ、ホントに大丈夫なのかや正さん?」
「そりゃア今は国中に炭が余っているども、そったにいつまでも余らしておく訳なかべ。そのうち必ず使い道も売り先も出でくる。それまでア一時辛抱するしかなかべ!」
「ンだバ正さん。オラ、なんとしたらいいんだや?……」
「そった事はお前えが決めるもんだ! 俺がお前えの一生なんか保証できるかや? だども川よ。これだけはハッキリ言えるども、炭砿は鰊漁場とは違うど! いつくるもんだかわかんねえ水物バ待ってる商売どはハア、根っこから違ってるンだや。一網きたらハア御殿が建つっちゅうごとはここだバ絶対ねえ! ンだども、仕事うンまくいがねえがらって、嬶や娘売らねばなんねえっちゅう事もねえ! いいがや。お前えが、本気であっぱやめらしど一緒に暮らしてえんだバ、どこサ尻(けつ)下ろすか、そこがら考えねバなんねえンでねえのか!」
 昼酒がたっぷり残っていたせいか、思わぬ正造の大演説であった。
 川原は何も言わずすっかり考え込んでしまった。
 佳代子を送って行ったさぶが帰って来た。無事に飯場へ入るのを見届けたというさぶは、約束通り一言も話しかけたりせず、つかず離れずの護衛に徹したようであった。
 佳代子に対するさぶの気持ちが並々ならぬ何よりの証拠であろう。
「さぶ、川もよ。お前えらも気イついだべ、佳代ちゃんの様子よ? 何か大した訳でもあるえンた気イさねか? まンズ今日の事は何も聞かねがったごとにして、このまんま暫く黙って見ででやる事にしねえかや。な?……」
 さぶは大きく頷いた。佳代子のためならどんな事でもする顔である。
 川原はそれどころでなく、わが身の事で精一杯の面持ちだ。それでも正造の頼みは断らなかった。 「さぶよ。川には俺ラから話す事はみんな話したつもりセ。これから先どうセばいいんだかは川が考える番だべ。川もお前えの気持ちは、きっとわがってるど思うのセ……」
 二人ともふさに礼を言いながら帰って行った。
 気がつくと長屋中が夕飯時分らしく、いろんな食べ物の匂いが開け放った玄関や窓から流れ込んできた。

 永岡が訪ねて来たのは、八月に入ってからだが珍しく暑い日の夕方であった。
 あまりのむし暑さに家から出ると、申し合わせたように長屋の住人が表で涼んでいた。玄関の油障子も窓も全部開け放っているのに、そよとも風が通らずじっとしていても汗ばんでくる。男たちのほとんどは肌脱ぎになっていたが、中にはふんどし一丁で団扇を使っている者もあった。
 普段はそうした仲間に加わる事などない白川も珍しく出ている。だが彼一人だけ袖無しの襦袢を身につけていた。どこまでも男らしさに欠けるというか、その辺りが役者くずれと言われる所なのかも 知れない。
 正造は坂本と話をしていた。そこに声をかけられた。
「三原さん。いつか話した友人を紹介したいのですが、構わんですか??」
「ア、なんも……」
 永岡の後ろにいた背の高い男は、顔の合った白川と一言二言話している。その横顔を見て正造は思い出した。
 去年のいつ頃だったか松尾の湯で坂本と一緒の時、徴兵制度より教育がどうのこうのと論じていた男だ。その折坂本は鈴木の食い扶持だと教えてくれた。 確か暮れ頃にも白川と出会った朝に顔を見た 事がある。
 その男はつい近くの百号長屋に住む南助松と名乗った。思った通り白川と同じ第一斜坑で運搬夫をしている事も分かった。
「永岡さんには、いつも三原さんの噂は聞いとりました。ぜひ一度お会いしたいと思っておったので、突然ですが今日こうやって参ったところです。若輩者ですが、何分よろしくお願いします」
 見かけ通りハッキリと、しかも言葉尻を濁さない物言いであった。
「いやア、まンズ。丁寧な挨拶でどうも……」
 正造にはちょっと苦手な相手に思えた。風呂屋で聞いた時の印象からしても相当に理屈っぽい男のようだ。濃い眉の下で光る眼が鋭く、それだけに何かぐいと迫ってくるものを感じさせてくる。
 坂本はこの二人に興味を持ったようだが、正造の客なので遠慮してか少し離れた所から見ていた。
 月遅れのお盆が過ぎると間もなく朝夕に涼風が立って、浴衣ではいられない日が多くなるこの夕張だったが、その夕方は何ともむし暑くてせまい家の中に入る気がしなかった。何となくそのまま表で立ち話の恰好になった。
「六月でしたか、札幌で二度目の集まりがありましてね、その時初めてこの南君に会ったんですよ。イヤお互いにすっかり意気投合しました」
 永岡が南の顔を見上げるようにして言った。背丈は三寸(一〇センチ)余りも違うようだが、年は多分永岡のほうが大分上であろう。
「いろいろ世話を焼いてくれる人もおりまして、この際坑夫だけの会を作ったらどうだ、いう話になった訳ですが……」
 永岡が先に話し、南がそれを補足する形で説明を加えた内容はこうだった。
 いかに何でも炭山の暮らしはひどすぎる。会社や周旋は人集めだけしておいて、坑夫を人間扱いしていない。坑内も危険ばっかりで災害は増える一方だ。ところが仕事で怪我をしたりしても、ロクな病院もなければ手当ても行き届かない。その上休業でもすれば暮らしていけなくなる。当然坑夫の気持ちは荒み酒や喧嘩に明け暮れたり、博奕に走ったりする者も出てくる。その揚げ句身動きならない借金をこしらえたり、とどのつまりはヤマから逃亡退散といったバカげた筋道をたどる。
 こういった者がいる限り、いつまでたっても坑夫は人並みの扱いをしてもらえない。さりとていきなりこれを会社に掛け合ったところで、何とかしてくれるとは思えない。それに第一今は時期が悪い。イヤならやめろで巻の終わりだ。
 そこで残されるのはわが身を守る手立てだが、一人二人でできる話ではない。坑夫みんなの知恵と力を出し合って、いざという時に頼れる仕組みを自分たちの手で生み出すしかないではないか。
 幸いにして坑夫には友子という立派な組織がある。この友子を軸にして更に大きな会を作る。その運営のために友子とは別に応分の会費を納めてもらい、会員の怪我や病気に備えて積立てをする。万一の場合にはその金を使って会員の救済を図る。
 永岡の話は段々と熱がこもって次第に声が高くなった。始めは遠巻きにしていた坂本や白川が、いつか知らず永岡や南の近くに寄って来た。釣られるように長屋の男たちも何人か集まってきた。
 永岡さんの話に水を差すわけではないが、と断って南が付け加えた事も聞けば尤もな話であった。
 友子を軸にと言ったが、そこだけに限ってしまうと人数が少なくて会は成り立たない。大体調べたところによると、今このヤマに働く人間の数は男女合わせて三,〇〇〇人を越しているが、そのうち友子会員は一割ぐらいで三〇〇人あるなしだ。その全部に入ってもらってもまだまだ足りない。従って私の如く友子の会員ではない者にも参加をしてもらい、会を大きくしてゆく事が何よりも必要だ。何故なら、会員が多ければ多いほどいざという時の援助や救済を大きく受けられ、しかも会だけの力で会員のためにいろいろな計画を立て実施もできるようになる。
 永岡以上に透る声で、筋道の立った話をする男だった。始めは正造に向かって話しかけていたのに、いつの間にか長屋の連中へも顔を向け、話の区切りごとに手を振ったりしてあたかも呼びかける口調になっている。
「この話はですな、もう幌内、歌志内、幾春別の主だった友子の親分たちにまで通じております。イヤ、そればかりではなく、炭砿以外の仕事についておられる立派な方々からも、何かとご指導を頂いております。ここまでくれば三原さん、後は会員を増やすだけなのです!」
 永岡と南の話し方にはそれなりの説得力があった。だがその話に頷いているような長屋の男たちも、あるいは夕涼みの退屈しのぎに耳を貸していたのかも知れなかった。
「永岡さんよ。話はまア何となく解ったえた気イするども、そこサ俺ラが何の役に立つんだや?」
 正造は彼らが自分を訪ねて来た訳を訊いてみた。
 永岡はちょっと言いにくそうに切り出した。「ま、この話は原田の親父さんや外の頭役のほうにも、とっくに伝わっておると思うんです。ところが話の中身がよう分かってないというのか、どうも隅々までは届いておらんような気がして……」
 金のせいではないかと正造はとっさに思った。友子の会費でさえ滞納する連中がかなりいる。どんなに立派な趣旨だろうと会費が必要となれば話は別だ。苦労して説得しても、決して長続きしない事を頭役はこれまでの経験上よく知っている。そのために口を酸っぱくして加入を勧めるほど、頭役は熱心でも賛成でもないのではないかと思った。
 それをあけすけこの二人には言えなかった。何しろ明日のために何かして置こうと考える連中などきわめて少ないのだ。そんな余裕などないと言ってしまえばそれまでだが、何でもその場限りに過ごしてしまう者が多いのは間違いなかった。
 ともすれば、つらくて苦しい毎日の鬱憤を無鉄砲な金遣いで晴らそうとする。辛抱するのは仕事だけでたくさんとばかり、命がけの稼ぎで得た金を無駄遣いしてしまうのだ。坑夫たちはそんなやり方を〔有る時の米の飯〕と言って、一瞬の豊楽を決して後悔したりはしない。
 こつこつと金を貯めて細く長く過ごす生き方もあれば、短くてもできる時にいい思いをしようとする生き方もある。そのために有り金はたいて何が悪い。明日の事などは見えないが、今日の楽しみは今日確実に分かるではないか。
 坑夫たちの中には本気でそう思っている者もいた。豊かな来世を信ずるならば現(うつ)し世の貧しさに耐えられる、と説教所の坊さんは説く。だが出坑までのわが身が定かならぬ明け暮れに、坑夫は明日や来世の夢よりも、目と肌で感じられる事以外は信じなくなる。ましてうまい話などには、裏側の何かを疑ったりして容易に耳を貸そうとしない。
「そこで、できれば三原さんの顔で人集めをしてもらえんものか、と思ってお願いに上がった次第です。もちろんその席ではわれわれが万事詳しい説明をします」
 永岡が頭を下げた。南も続いて言った。
「私も、鈴木の親父さんを通じて、いろいろ声をかけるつもりです。そこでぜひとも三原さんのお力添えもお願いしたいのです」
 そう言いながら、聞くともなしに傍に寄っていた白川に声をかけた。
「白川さん。ちょうどいい機会だから、われわれが考えている事を聞いてくれんか? 聞けばきっと納得してくれると思うんだ」
「イヤ、私なんかそんな難しい話を聞いても、何も分かりゃしないよ……」
「何も難しい事はないんだよ。いいかい? 月々一五銭か二〇銭の会費を払って入会すれば、いざ怪我だ病気だという時、それに応じ救済金を払ってくれるのはもちろん、もし万が一死んだりした場合は当然香典も出る。そればかりでなく、会は会員のためになるいろんな計画も考えているんだ」
「いろんな計画って?……」
 今度は坂本が正造の後ろから訊いた。
 暑くてうんざりしていた男たちは、単なる世間話とは違う口調の二人に何となく引き寄せられ、いつの間にか正造の近くに集まっていた。
 消防演習ではいつも先頭を切っている坂本は、こんな時自然と仲間の鼻先に立ってしまうらしい。
「たとえば、今一番みんなが困っている問題を取り上げて、そうした事に明るい人を呼んで相談に乗ってもらうとか、これだけは知っておかんけりゃ損をするといった事について、専門の先生に教えて頂くなどもあります。だがこうした事はわれわれが決めるというより、会員が増えてくれば自然と決まってくると思うのです。又そういう会にせなけりゃならんという事です!」
 南は坂本に向かうと言葉遣いも変わってきて、自信に満ちた言い方をする。
「そうやろか?……」
 坂本は、話の内容にもう一つ不満のありそうな呟きを洩らした。
「イヤご心配なく。近々この件についてわれわれは、細かいところまでハッキリと分かる内容を、必ずやみなさんの前に提示する事をここで約束してもいい! それが又きっと大方の賛同を頂けるものになる事も併せて断言する。ま、そのためにはみなさんに半歩のご足労を願うやも知れんが、その節には何分にも力を貸して頂きたい!」
 メリハリを利かせた喋り方は、いつの間にかかなりの人数を相手にする訴え方になっている。その声には独特の響きがあって、どこか人の気を惹かずには置かない迫力があった。
 その間永岡は、正造に対して札幌での集まりについてあらましの説明をした。
 この春札幌に集まったのは、炭山友子の関係者ばかりではなかった。牧師、新聞記者といったような人たちも加わって「日本坑夫同盟」を結成しようとしたが、道庁から横槍が入ってダメになった。だがその後どういう訳かその道庁役人から入れ知恵があった。それを参考にして六月に入ってから会の名称と目的の一部を変更して結成した。それが今回みんなに入会を勧めている「帝国坑夫共済会」なのだとの事であった。
「ま、どっちみちわれわれの身を守り、坑夫の生活や品位を高めようという目的から作ろうとしている訳だから、名前より中身が肝心いう事になりました。とにかく、道庁に発会を認めさせなければ、何にもならん訳ですから……」
 聞いていて正造には気になる事があった。
「永岡さんよ。その帝国坑夫何とか会は、炭山坑夫のために作る会でねかったかや?」
「そうです! 何度もいうが、今までは些か世間から不当な冷遇をうけておる坑夫の地位向上を始めとし、われわれ坑夫の暮らしを……」
「ンだども今聞けば、坑夫ど関係ねえ人らも大分入ってるちゅう話でねかったスな?」
 炭砿にしろ金属鉱山にしろ、坑夫のために作る会ならば、坑夫やその関係者以外の人間を加入させて何になるのだろう。正造はそこが腑に落ちなかった。
「その通りです。これはですね。こうした会を作ってはどうかと最初に呼びかけてくれた人が、たまたまキリスト教会関係者であったからです。だが三原さん。正直なところを言えば、こういう話を進めるのは慣れない者にとって大変な仕事ばかりです。第一実際に会を作るとなると、各方面に広く呼びかけなければならない。こうした時には、名前や顔を知られた人を中心に据えるのが何かと都合がいい。イヤそればかりではなく、そうした人たちは、本当に尊敬できる立派な人たちなのです」
「ンだバって、炭山や坑夫の事がわがんねがったら……」
 正造の危惧に対して永岡は、少し考えていたがこんな事を言った。
「三原さん。われわれが今年の初め「日本坑夫同盟」作りに失敗したのは、一体何が原因だと思いますか?」
「……俺ラにはわがんねえ」
「去年の初め頃、日本鉄道会社が同盟罷工で大騒ぎになりましたね。あれと同じ事がこの北海道にも起きやせんかと警戒してたのです。そこに坑夫同盟の申請をしたので、道庁はきっと気をとがらしたと思います。それだからこそ後になって「帝国坑夫共済会」なら認めてもいいと言ってきたのでしょう。そんなに気を昂らせている道庁の意向いうものを、われわれもまったく無視はできんと思うのです。そこで坑夫以外の人からでも名前や肩書を借りて、とにかく会を作ろういう事になったのです」
 そんな坑夫の組織にまで一々めくじらを立てていた道庁だが、実は全国各地に発生していた労働争議やその母体となる組織に、かなり手を焼いていた政府の意向をうけていただけにすぎない。
 その理由は、それから半年後に成立し永く人々を苦しめるに至った「治安警察法」の施行を見れば自ずと解る。炭山坑夫らが気付かなかっただけで、山県内閣は、結束して次第に力を増してくる労働者集団の動きにただならぬものを覚え、その対策に意を注いでいたのだ。
 名も知れない者を頭に頂くような坑夫の組織が、将来いかなる事を仕出かすかと道庁は不安を持ったに違いない。そこで既に届け出のある教会に所属する牧師や、責任のとれる知名人を頭に頂くならば、という事であったのであろう。
 その時の永岡や南がそうした背景まで見通していたかどうかは分からないが、取り敢えず会の発足を見るのが先決だと考えたのはムリもない。
 正造はその夜それ以上訊く事はしなかった。だが何となくこの会の前途に不安が残り、永岡や南の意気込みが空回りしなければいいがという気がした。 特に根拠といったものがあった訳ではなく、二〇年近い坑夫稼業のであった。
 秩序や規則を重んずる人々と、それを制約や束縛と感じてしまう人々では、農耕民族と狩猟民族の違いか、あるいは定住を望む者と放浪を好む気質の差といったものがある。
 大地に種を蒔き稔りを待つ者は、そこに根を据え収穫を繰り返してゆくのが当然と考えるだろう。だが獲物を追って転々とする者にとっては、生きてゆくに足る獲物がそこにいればいいだけで、群れる事もそのための規律なども敢えて望まない。却って、
拘束される事に衰退の不安を感じたりするかも知れない。
 開坑してからたかだか一〇年前後の炭砿とは言え、その炭脈が永遠に続くなどとは誰も思っていない。いつか掘り尽くされるものと知らされている。従って、景気不景気ですぐソワソワと落ち着かなくなる坑夫とは、己の触覚だけを頼りに生きる太陽が苦手の臆病な地虫に似ている。蜂や蟻の整然たる規律や組織を嫌う一面があったのかも知れない。
 永岡と南は、坂本や白川も含めて何となく集まった長屋の男たちを相手に、雑談口調演説口調取り混ぜて会設立の趣旨を説明した。それにしても熱心であったしよく勉強もしている二人であった。
 正造は気軽に安請け合いしたり、口先だけで返事をして置くという事ができない性分なので、今度もハッキリした意思表示はしなかった。北川のように返事より先に体を動かすほうがいいと思いながら、中々上がらない自分の腰にイヤ気がさす事もあった。

 明治三十年はある意味で特筆すべき年と言えた。日清戦争を通じて急速に発展した国内工業が、戦後不況というものを初めて経験したからだ。
 その不況が各地に労働組合を誕生させた。
 四月に城常太郎、沢田半之助によって職工義勇会が設立され、七月には高野房太郎、片山潜らによって労働組合期成会が発足した。続いて十月には鉄工組合が結成された。
 この年は天候不順が続き早くから凶作が懸念されていた。それを見越した米価の高騰にたまりかねて、九月頃から各地に米騒動が起きた。人々は日増しに高くなる米に不安を感じ、やり切れなくなると一揆のような手荒い手段に訴えた。底辺の人々は米価への反発を、そんな形でしか表現する方法を持たなかった。
 これに対して会社や工場に働く労働者職工は、たとえば同じ業種の仲間と手を結び、会社工場経営者に賃金値上げや待遇改善の要求に踏み出した。つまり労働組合を組織し会社と話し合う事で、米の値上がりによる生活苦を乗り越えようと図った。
 米価の高騰が労働組合結成を促し、その運動によって僅かずつながら目覚めていったのは、幕末や御一新頃とはまったく違う時代が到来しつつある事を、敏感に人々が感じ取ったという事であろう。
 だが労働組合の結成や組織化というものは、そうした背景や機運だけでできるものではない。直接人々の先頭に立って行動する指導者が必要であった。
 高野房太郎、片山潜らが発足させた労働組合期成会は、その傘下に鉄工組合を生み出した。同時に日本最初の労働組合機関誌となる『労働世界』を発刊した。
 この鉄工組合はやがて全国各地に次々と支部を生み、ついにはその数四二支部に達し組合員数五,〇〇〇人を擁する大組織となり、当時最も進んだ組合の代表と言われるほどに成長していった。
 翌三十一年三月になって、穏やかな組合と言われる活版工組合が生まれ、四月には最も戦闘的な組合となった日鉄矯正会が誕生した。この組合は二月に始まった日本鉄道の火夫、機関方の大罷業から生まれたものであった。その争議は上野青森間全線を巻き込む最大の規模となった上、労働者側が初めて大勝利した記録ともなったものであった。
 考えてみればこうして全国各地に労働組合が誕生し争議が続発していったのは、不況と凶作がからみ合った不安な背景がその引き金を引いたからに外ならない。だがその事は、時の隈板内閣が崩れさったため取って代わった山県内閣によって、労働組合の組織や運動を壊滅させる恰好の口実にされてゆく事になるのだった。

 さぶのお節介や正造の説得がどう響いたか、川原はひとまず退山を思い止まりともかく仕事には出てきていた。
 正造は川原が娘すずの名義で貯金していた話を聞いてから、彼をいくらか見直す気になっていた。今までは同じ槌組にいても信用できる男とは思えなくて、どこか心を許していなかったのだ。
 短い出稼ぎ期間は目一杯使って当然とばかり追い回されるため、その目を掻い潜って手抜き息抜きに明け暮れる漁場人夫上がりを知っていた。そのくせ豊漁となれば知らん顔で配当に預かる。だが一旦不漁と見るやあらん限りの悪事を働き、いち早く退散する者も大勢いたと聞かされていたからだ。
 正造は初めの頃川原の落ち着きのなさや、翳のある印象はそのせいかと漠然と思っていた。だがそれがもしかしたら青森に残した家族の影だったのかも知れないと気付いた時、ふっと彼への見方が変わってきた。
 時々は遊びにこいと声をかけたりしたが、彼一人で来る事はほとんどない。たまに顔を出すのは六つも年下のさぶと一緒の時に限られている。さぶも自分が言い出した事だけに、正造に言われるまでもなく川原の態度に気を配っているようであった。
 そのさぶは、北川の怪我が治ってからは石川飯場へ行く口実もなくなり、佳代子の顔が見られなくなったのを頻りに残念がっている。その分正造に何かと聞きたがるのだが答えられるほど北川の所に行っていなかった。
 北川には仕事の行き帰りたまに会う事もあったが、佳代子の事を話題にした事はない。そう言えば先日の全快祝い以後、佳代子がわが家へ来なくなったとふさに聞いたのは、つい二、三日前の事だ。特に確かめた事もなかったが、今まで通りゆきを送ってたまには来ているものと思っていた。
 何故急に来なくなったのだろうと、ふと考えた。
 ふさの話によるとゆきは相変わらずひまさえあれば石川飯場へ通っているようだ。だが佳代子が姿を見せなくなったのは、何か来られない事情が起きたのか、来たくない理由ができたかのどっちかであろう。もしそうだとすればそれは川原の話と無関係ではあるまい。
 あの日川原から、丸吉の娘さんではないかと聞かれたのに対して、ハッキリした返事をしなかった佳代子の態度はいかにも不自然であった。それ以来わが家へ来なくなった事が偶然だったのだろうか。
 聞けば川原の話も大部分は他人の噂にすぎない。それを佳代子にもとくにも確かめる機会はあれ以来なかった。だが気になる事はある。佳代子が川原の問い掛けをキッパリ否定しなかったにも拘わらず、たった一言だけ発した質問の意味だ。
「一人でしたか?……」
 これは誰の事を訊ねたのであろう。川原は即座に佳代子とよく似た母親の事と察したらしい返事をしていたが、本当にそうだったのだろうか。
 川原のいう通り網元の連れ歩いた娘が佳代子だったとしたら、鰊漁の失敗で行方知れずになった網元夫婦の消息が気にならない筈はない。それどころか、もしかしたら網元夫婦が心中したという噂も知っていたのではあるまいか。そうでなければ、母親の事をもうこの世にはいないのかも知れない、などととくが口走る筈がないのだ。
 だがあの日川原は、死んだと噂されるその網元を小樽で見かけたという。その話を佳代子は一体どんな思いで聞きそれをとくに伝えたのであろう。わが家へ来なくなった理由が何であるかは分からないが、あれ以来という事にこだわりを感じない訳にはいかなかった。
 もう一つ正造の頭を離れない迷いがある。
 あの日少し酔ったとくを送って行った北川は、川原がもたらした佳代子を取り巻くいろいろな事情については何も聞いていない。正造は後で言おうか言うまいか躊躇っているうちにその時期を逸してしまった。何故なら、北川と佳代子の間をつなぐか細い糸を見た気でいた正造は、もしかしたらそれを断ち切ってしまいかねない話を伝えたくはなかった。それに自分が話すよりも、いつか佳代子の口から語られるのが一番いいのでは、と思ったこともある。
 だがそんな日が簡単にやってくるとは中々思えない。そこが正造の気の重いところであった。
 ある日の午後、正造は吹き出てくる汗が目に入りそうになり、拭おうとして手を休めた一瞬耳朶を圧する僅かな風圧を感じた。同時に足裏から伝わる微かな震動に気付いた。
 フッと息を止めて横を見ると、少し離れた暗がりの向こうでわった源も手を止めた気配があった。だがさぶと川原は夢中で炭積みと炭はねを続けている。もう一人の手子は下の坑道へ石炭の積み替えに降りている。
「さぶ! 川! 待でッ! おいッ……」
わき目もふらずに手を動かしている二人に、正造は怒鳴るような大声で仕事を中断させた。
全員の手が止まると突然の静寂が訪れる。途端に一瞬耳が変になったような錯覚を起こしてしまう。
大して明るくないデビー式安全灯だけの現場では、明かりの届かない場所での出来事は耳に頼るしかない。たった今まで渾身の力を込めていただけに、どうしても弾む息をムリにこらえて全神経を耳に集中する。
 四人それぞれが離れた位置で、仕事の手を止めたままの姿勢になった。通気のくるでど(入口)向きに顔を向けて暫し塑像と化した。
地底における漆黒の闇と無音の空間は、その暗さも静寂もおかにある状態とは比較できない違いがある。地上での暗闇と無音の空間はどうしても人工的にしか作れない。だが地底の深部には常に真の闇とまったく音のない世界が存在する。その中に暫く置かれるとぞっとするような恐怖感や、耐え難い孤独感が肌をなぞってじわじわと襲いかかってくる。
 その一瞬、鈍い響きが坑道全体を揺するようにどこからともなく伝わってきた。
「おい三原! 山鳴りだ。でっけえど!」
 わった源が怒鳴りながら切羽を離れた。
「ンだなや。おお事でねバいいども……」
 正造が答えて一息吐いた直後、下の本坑道から微かにではあったが、人の叫び声が聞こえたような気がした。
「さンぶ! 行って見で来い!」
 わった源の一言を待っていたように、さぶは安全灯を土べらから外すと身軽く暗闇に吸い込まれて行った。それを見送って又仕事に戻った。
 それからおよそ三〇分余りも経ってからであろうか、遠くで呼ぶ声とやがて荒々しい足音が聞こえきた。
「おい岩田! 三原!」
 一級小頭のなべ常だ。本名は渡辺常三郎だが、誰もが蔭で「なべ」か「なべ常」と呼び捨てにしている。
 小頭とは開坑当時の職制で正式には傭員(よういん)というのだが、本社雇いの幹部社員ではなく現地雇いの職制であった。それでも直接坑夫や雑夫の上に立つ恐い実力者が多い。その上小頭にも一級二級の区別があり、坑夫たちにとっては大学出の学士社員よりはるかにうるさい存在でもあった。
 なべ常は、その中でも際立ってやり手の小頭と言われている。
「おい岩田よ! すぐ手エ貸せや。左三のでどが落ちたんだ! 大分でっかく抜けたらしい」
「誰か埋まったのかや?」
 わった源は真先に人間の事を訊いた。これが坑夫にとっては何より気になる。
「分かんねえ。坑道だから人間はやられてねえと見てるようだが、でどが埋まった以上奥に入ってる者は誰一人出られねえ!」
「何人ぐらい入ってだのセ?」
 正造が訊くとなべ常は首を傾げた。
「あすこには採炭現場だけでも三つある。少なく見ても二〇人は入ってる筈だ。とにかく急ぐんだ。ここ手仕舞ってすぐ行ってくれ!」
「何人行けばいいんだ? 俺ラだはまだ炭積みも終わってねえんだし……」
 わった源は、行く構えを見せながらも訊き返した。
「みんなだ! お前えの組の腕バ見込んでの話だ。今日の手間は、坑長に話して相当の色バつけてもらう。な? 絶対悪いようにはしねえから頼む!」
「わがった! 三原、みんなサ支度さへですぐ行くべ。まンズ現場見でからの話だべ」
 川原を呼んで持って行く工具の準備をしているところへ、息を切らしてさぶが戻って来た。
「おどよ。三片が凄え崩落だ。危なくて傍サも寄れねえ! あれッ、小頭。あすこサ行かなくてもいいのかい?」
「さぶ、オラだも行くんだ。お前えも支度せえでや!」
 正造は天盤や土べららに、一わたり安全灯をかざした。
 採炭現場なのでそれほどしっかりした支柱は施していない。それでも危ないと思われる個所には、打柱をして置く必要がある。すぐ出掛けなければならない緊急の時でも、反射的にそう思ってしまう。
 なべ常やさぶの口ぶりから推しても相当な崩落のようであり、とても今日中にここへ戻ってくる事はできそうもない。だがやりっ放しにして飛び出せないのは、身についた坑夫の習性なのか気質なのか分からない。
 正造は次第に背筋がピンと伸びてくる緊張を感じ始めていた。
 正造らの現場から本坑道に降りて、奥へ一○○メートルほど行った所から炭層走向に沿って左に入った水平坑道が、左三片盤坑道、略して左三あるいは三片と呼ばれている。分岐点からほぼ真っ直ぐの坑道沿いに一号二号と数十メートル置きに三つの切羽がある。
 本坑道はうわずった人々の声やその出入りで、入出坑時よりはるかにごった返していた。その中を材料台車を引く坑内馬が絶え間ない掛け声に追われ、口から泡を吹き眼をつり上げながら走っていった。いかに馬が暗闇に眼を利くとはいっても、坑内を行く時は決して急がないし、馬丁もやたらにあおったりしないのが普通である。
 現場近くまでたどり着くと更に大勢の人間が右往左往していた。口々に何か怒鳴っているので、何を言っているのか却って聞き取れない。すれ違うほとんどの者が殺気立ち一帯が興奮状態にあった。まだ崩落が続き手を出せないでいるらしい。片盤坑道を家の廊下に譬えて見れば、各号の切羽はその廊下に面した部屋といった所である。その廊下が人馬から炭車や資材の運搬車の通路になっているのはもちろんとして、当然の事ながら入気坑道となっている。だが近くにはもう一本の排気坑道も並行していて、ところどころに目抜きと呼ぶせまい坑道が間をつないでいた。
 技術が進んで切羽がロング(長壁)式に移行する以前の柱房式採炭では、規模が大きくならない事もあって入排気の坑道をすぐ近くに並べて掘る事も珍しくはなかった。そのほうが便利な点もいくつかあったからだ。ところがこれが災いした。
 本来は一方の坑道が崩落しても残るもう一方の坑道から人間だけは脱出できる筈である。しかし左三では両坑道があまりにも接近していたために、同時に埋まってしまったようだ。出入口をふさがれた人々がどうなっているのか皆目分からないために、いっそう混乱していたのだ。
 わった源と正造は、その騒ぎに構わず前へ出て行った。
 最前列で坑夫の動きを手で制していたのは、坑長の根本隆之であった。
 鼻下の髭を左右へ見事にピンとはね上げて中々の貫祿ではあるが、それほど年はいってない筈という噂である。大学出の工学士で、もちろん本社から派遣されて来た暦とした技師である。九州の炭砿での経験やその技量を買われて、一番坑第二斜坑と最近着手した第一新坑の坑長を兼任している。滅多に笑顔を見せたりはしないが、坑夫たちの顔や名前などは、一度聞けば覚えるという評判であった。
 近づけるギリギリの辺りで目に映ったものは、へし折られたりつぶされたりした支柱材料を呑み込んだ夥しい量の石炭とズリであった。それが道いっぱいに溢れ、もうもうと舞い上がる粉塵のせいで天盤も見えない。よほど高く抜けたのだろう。しかも不気味な響きを伴う落盤が、地層の中で間断なく続いているのが分かる。慣れているとは言っても思わず首をすくめてしまう地鳴りであった。
 根本坑長は、社員の外現場に精通しているなべ常ら小頭を集めて、直ぐさま相談を始めた。
 わった源と正造は天盤や土べらの隅々まで何度も眺めた。ごった返す騒音の中から足音や怒声以外の音を拾うべく一心に耳を澄ました。目ばかりでなく全神経を集中して崩落の模様を読む事に没頭した。さぶや川原でさえ声もかけられない緊張が暫く続いた。地盤の変動でどこかに空洞ができたすれば、その隙間に地圧がなだれ込むのは当然で、地底では絶えずこの変動が繰り返されている。その動きと圧力に支柱が耐えられなくなれば坑道は崩落する。しかし地圧のバランスがどう狂ったのかを判断するのは、きわめて難しい。だがその崩れ具合を読んで、幾分でも地圧の弱い場所や夕イミングを計って、取り明け(岩石の除去作業)にかかれればそれに越した事はない。
 それでもある程度地圧を暴れさせ、天盤や下盤の動きが収まってからでなければ、かっくち(欠口・坑道修繕の取り付き口)がつけられないのだ。
「おどよ。何間ぐらい落ちでるど思う?」
 崩落の規模が大きければ取り明けに時間がかかるのはいうまでもない。その上いつまでも崩落が止まなければ、何か方法を考えて別な仮坑道を掘らなければならなくなる。
「ウーン、大分いったんでねえかとは思うンだども、ハッキリはわがんねえ……。一丁さかんで(叫んで)みっか?」
「ンだな。やってみっか……」
「二人はロラッパを作ると、崩落の真ん前で大きく息を吸い込んだ。
「オーイ! オーイ!……」
 大声を張り上げて二声だけ叫んだ。近くにいた坑夫たちが驚いて一斉に振り向いた。同時に辺り一帯の声や物音がピタリと止まった。
 二人は申し合わせたように今度は耳に手を当てて、何か聞こえはしないかと身を乗り出した。
「何だッ! どうかしたか?」
 根本坑長が飛んで来た。 正造は黙ってくれとばかりに口の前に指を立てた。なおも耳を澄ましたが、何の物音も聞こえてはこなかった。
「向こうのあんべえためすのにさかんで見だども、何ンも聞こえねかったス。もしかセバ……。思ったよりでっかく抜けでッかも知らねえスな」
 根本坑長は正造の顔を見た。
「三原には判るのか?」
「イヤ、俺ラにも判らねえス。だどもなんぼ抜けだか知らねえども、奥の者はただ逃げでバリはいねえど思うス。必ず近くさ来て、様子見でるど思うンス。俺ラだの声聞けば、安心して何か返答するンでねえかど思ってさかんだんだども……。よっぽど長く抜けだか、一か所ばりでねえのかも知れねえ……。なアおどよ?」
「ンだ。俺ラもそう思ってらどこであった。坑長、奥サ何人ぐれえ入ってらんだべ?」
 わった源が根本坑長に訊いた。そこへ担当や他の小頭らと相談していたなべ常がやって来た。
「坑長、決まりました! さっき話した通り四組約二〇人を、先手組と後手組に分けて取っ掛かる事にしました。材料運搬や連絡の雑用なんかも含めて予備の手を少し残し、後の者は一応各現場さ戻します。それから取り敢えずここの指揮は、この渡辺にとらして下さい!」
 なべ常はかなり気負い込んでいるようであった。
「交代の手は大丈夫か? 材料や焚き出しの手配も忘れるな。岩田や三原らの感じでも、相当厚く抜けているらしいぞ。長丁場になる覚悟でいこう!」
 そういう根本坑長の確認にも自信ありげに頷いたなべ常は、わった源と正造の外少し後ろに退いていた他の組の先山も呼び集めた。
「今に崩落も少しは収まってくる筈だ。そしたら取っ掛かる。まず岩田と青木の組がかっくちつける。菊地と小林の組は材料の準備やズリハネにかかれ。さア段取りだ!」
 現場上がりらしいなべ常の口調はいつもながら威勢がいい。だが何かが抜けている。
 わった源と正造は顔を見合わせた。崩落の取り明けは、その程度や状況によってかなり難しい技術がいるのだ。
 普通の地山を掘進するのさえ岩盤や地質によって違うのは当然だが、明らかに地盤がゆるんでいるだけに後から後から崩れてくる。やり方を間違えば却って手がつけられなくなってくる事もあるのだ。指揮をとると言いながら、その方法を指示しないなべ常のやり方が何となく腑に落ちなかった。
 判断がつかないから先山たちに任せたのか、進行の状況次第で手を打とうとしているのかはよく分からない。
 根本坑長はこの辺りにもっと明かりを増やす事と、中に閉じ込められている者の名前とその人数など、至急に確認するよう誰かに指示している。
 わった源と青木は相談してまず正攻法ともいうべき差矢(さしや)でやる事にした。これは普通に地山を掘りながら立柱する事ができない時に用いる方法である。砂礫含みの崩れやすい地層や、崩落現場によく使う手であった。
 炭砿では坑道の大きさをいうのに加背(かせ)がいくらと呼ぶ七×七の加背とは高さも巾も七尺で、一○×八ならば巾一〇八に高さ八尺を指す。この加背に合わせたコの字形の支柱枠を崩落個所の前面に立てる。正確にはコの字を縦にした鳥居型の三つ枠である。その周りに細い雑木丸太や板の先端を削った矢木を、天盤や土べらに添わせるように平行に打ち込んでゆく。枠の周りを大ざっぱに囲んで打ち込み終わったら、その内側のズリや石炭を掻き出す。そこにできた一枠分の空間に、又同じような三つ枠を立てる。周りに矢を打ち込む。中を掘って進むというやり方を繰り返す。この方法を差矢とか差し込み法と呼んでいる。
 現場から少し離れた場所で、早速三つ枠の脚と笠木の切り込みを始めた。それと同時に正造はさぶに、急いでうまも作るよう指示した。これは天盤や高所作業に使う簡単な踏み台である。
 さすがに選ばれた連中だけあって仕事は早い。あっという間に一枠分の準備を終えた。だがそれを崩落個所の真ん前に立てるのが大変な作業だった。
 まず脚になる丸太をそれぞれが、崩れている場所に運んでゆく事から始めなければならないのだ。後ろの連中は安全灯をかざしたり下げたりして、天盤や足下がよく見えるよう補助した。時折降ってくる落石落炭にも気を配り、その落ち具合から崩落がくるかこないかを全身の神経で読む。
 更にその後ろでは、一メートル半前後の細い雑木丸太や板の先っぽを削って尖らし、枠の外側に打ち込む矢を山のように作っている。何しろ大量に必要なのだ。
 四人の足が突然止まった。天盤がジリッと下がったからだ。一瞬緊張が走った。だが立ち止まったままの姿勢で退いたりはしない。まだドカ落ちはないと見たのだろう。間を置いて又そろっと一歩踏み出す。その出方も動きもピッタリと息を合わせ、さながら噛み合った歯車のようだ。
 改まって特に申合せをしなくても、こんな場合での連係がどんなに大事か、自分勝手な行動や判断がどんなに危険か、熟練した坑夫なら体で覚えている。
「よし今だッ!」
 わった源か青木の声か、あるいは外の者だったか機を窺って発した合図だ。突然四人の動きが素早くなった。それまで横にしていた三つ枠の脚材を、下盤に着けたと思ったらアッという間に押し立てた。落石の合間を縫う待ったなしの早業であった。
「つなぎッ!」
 待っていたさぶが、細い丸太を縦に挽き割った矢板と釘を、川原は坑夫まさかりとツカミと呼ばれる鋏(かすがい)を持って飛んできた。それを使って隣の支柱から一メートル近く空けてつなぎの矢板をとめ、続けて上下に二、三本打ちつけて脚を固定した。青木の組もほぼ同じ手順で脚の位置を決めたようだ。だが息吐くひまもなく、今度はその脚に笠木を載せる作業に移らねばならない。
 三つ枠の切り込みと同時に、さぶに作らせたうま(天盤作業用の簡単な踏み台)二つを置き、その上に用意の歩み板を渡すだけで天盤に手の届く足場ができた。四人は慎重にしかも素早く笠木を差し上げ、切り込みを合わせて脚の上に押し込む事に成功した。
 見ている後ろの者さえ息苦しくなる緊張の連続であったが、それで終わりではないのだ。
 正造は載せたばかりの笠木と脚をツカミでしっかり固定した後、笠木の上に矢を差し込んだ。それも矢の角度が天盤と平行になるように押さえた。矢の頭をわった源が片鶴で軽く叩く。先が食いついたと見るや正造は飛び退いた。わった源が振るう片鶴の近くにいては邪魔になるし、打ち込む衝撃で落石が起きるかも知れないのだ。
 わった源は見ている者が目を剥くような速さで、正確に矢の頭を叩き込んだ。一打ちごとに天盤から落ちてくる石炭や石のかけらを全身に浴びながら、彼はたじろぐ気配すら見せなかった。だが、いざという時の身構えがしっかり身についての仕事なのだ。
 一本目の打ち込みが終わると正造は、すぐ続いて二本目を少し離して同じ角度に並べる。間を置かずにわった源が打ち込んでゆく。
 反対側を受け持った青木の組より大分早いテンポで、見る見るうちに天盤へ矢木の打ち込みを終え、今度は土べら側のところどころに、脚と土べらを固定する矢木を差し込んだ。
 青木の組が打ち終わるのを待つ間に、正造はさぶと川原に次の指示を与えた。差矢が済んだら、枠の中のうず高いズリや石炭を掻き出さなければならない。その場合にはいつも使うスコップよりは、カッチャや雁木(がんづめ)のほうが役に立つ。どちらも掻き寄せるのに都合よく作られた坑夫の道具だが、いつでも使えるように近くに準備させた。
 積み込み用のトロッコも邪魔にならない位置を指定したり、この後にかかる掻き出しと積み込みが、混乱したり無駄な手待ちも起きず、しかも仕事の流れを止めないようテキパキと指示した。
 くどくど言わなくてもさぶは打てば響くように反応する。自然に川原ともう一人の手子はさぶの追い回しになる。手順や段取り違いには遠慮なくさぶは注意を浴びせる。その様子に年の若さなど微塵も感じさせたりしなかった。わった源や正造と組んでからでももう五、六年になるさぶは、大抵の仕事の経験はあったし、何といっても勘のいい若者であった。
 一枠を二組で受け持つ事などこうした緊急時以外にほとんどない。従ってそれはまったくの偶然でしかないのだが、どうしても仕事のスピードや技術が比べられる事になってしまう。わった源も正造も、相棒となった青木の組に恥を掻かせるつもりなど毛頭ない。しかし持ち分をこなし次の段取りに入っていれば、イヤでも仕事の運びに気を揉んでいる人々の目に入ってしまうのは止むを得なかった。
 菊地や小林の組は段取りをほぼ終えて待っている。やっと青木の組の差矢に区切りがついた。恐らくいつもよりピッチを上げての仕事ぶりだったに違いない。だが一刻を争うこの場では、待つ事の何ともどかしくしかも苛立たしく感じられる事か。
 待ち構えていた後ろの掻き出し組がすぐ入れ替わった。どんなに焦れていても差矢の打ち込みが終わらないうちに足元のズリを掻き出して、もし崩落を誘うような事になれば大変なのだ。はやる心を押さえての辛抱であった。
 正造とさぶは詰とカッチャを使って崩れたズリに向かう。落石が野獣の牙を隠して今は見せ掛けの沈黙を保っているのは知りすぎるほど知っている。天盤や土べらに細心の注意を払いながら、そっとしかも手早く枠の中を掻き出さなければならない。だが一掻きするごとにズリや石炭の状態が変化し、ほとんど手元に目をやる事ができないほど崩れ落ちてくる。掻き出されたズリを積み込むのは川原と若い衆の仕事だ。わった源と青木は次に立てる二枚目の枠脚と笠木の切り込みにかかっている。
 正造は重なり合った石の一つを、雁詰の先で剥がそうとしたが中々動かなかった。それを見たさぶがカッチャでその石の下を掻き出した。途端にズシッと石が沈んだ。
「逃げろッ!」
 正造はさぶを突き飛ばした。はずみで後ろへ吹っ飛んださぶは、それでも敏捷に身を翻して向き直った。青木の後山も一っ飛びでその場から逃れた。
 正造とさぶが振り向いた目の前に、時間をかけてやっと掻き出した量の何十倍ものズリが、凄まじい音をたてて崩れ落ちてきた。もうもうと舞い上がる炭塵や石の粉ですっかり霞んだ辺りを見ると、先ほど天盤に並べて打ち込んだ差矢の半分以上が、無残にへし折られて埋まっている。
 崩れの落ち着くのを待って、今度は笠木の上にビッシリと隙間なく矢を並べて打ち込み、まるで天盤に板を並べたように補強した。それでも崩れた石の裾から取り明けを始めると、そのやり方を嘲笑うかの如く落盤が襲いかかってくる。まるで将棋の駒崩しであった。裾のどこかに手をかけたと見るやそれを咎めるように崩れだし、少しも仕事の進行を許そうとはしない。
 長めの矢木を打ち込んだり、矢木を重ねて強度を補ったりしたが一向に崩れは止まらなかった。よほど天盤の上高くいわゆる高落ちしたのか、あるいは崩れやすい条件になっていたとしか考えられない。菊地小林の組と手が代わっても状況は少しも好転せず、時間は刻々と過ぎてゆくばかりであった。
 なべ常が先山たちを呼び集めた。根本坑長の真剣な顔があった。
「差矢はダメだな。どうする?」
 なべ常が口を切った。だが誰も答えない。
「……耳欠きにするしかねえかや?」
 大分考えてからわった源が言った。どうしても崩落が止まらなければ正面からの取り明けを一時やめて、別の場所から迂回坑道を掘ってゆく。その作業を坑夫は耳欠きと呼ぶ。
 とにかく中に閉じ込められている人間を救出するため、最小限人が通れる坑道を掘らなければならない。これも非常手段で一刻を争う時の方法の一つだが、何しろ時間のかかる作業である。
 崩落によって坑道が遮断されそれが長時間続けば、当然通気は悪くなりガスの張り出しを心配しなくてはならない。だが正造はその方法に漠然とした疑問を感じた。耳欠きをやるといっても、硬い地山を新しく掘らなければならない以上、どうしてもかなり時間がかかる事は免れない。しかも事は 緊急を要するため手を惜しみ狭い坑道にならざるを得ない。従って人の出入りも制約される事になる。どんなに熟練坑夫を揃えたとしてもそんなに早く掘れるものではない。
「おどよ。口はさむようだども、耳欠きバやりながらこっちの差矢もやったらどンだべ? 両方やるだけの手はあるんだし、後々の事バ考えでも、本坑道の取り明けバやっておいだほうがいいんでねえのかや?」
 耳欠きは閉じ込められている人間救出が狙いなのだから、着手するならば早いほうがいい。しかしそればかりに集中せずに、万一に備えこの取り明けも並行する二段構えがとれないものかと思った。今も続いている崩落がある程度落ち着きさえすれば、硬く締まった地山を掘るより取り明けの進行が早いのではと踏んだのだ。ただ、崩落を食い止める手段や、自然に止まるとしてもそれがいつであるかなどハッキリ言えない以上、耳欠きをまったく否定する事はできない。
「三原。これだけやっても矢がみんなぶち折られるのは見たべ? この際時間がもったいねえ。それよりみんなで耳欠きに取っ掛かるど! いいな?」
 なべ常は正造の提案を押さえつけた。
「ちょっと待ってくれ渡辺君。三原のいう事も一理ある。そうだな。耳欠きに主力を注ぎながら、差矢のほうも進めてゆく。それはいいかも知れん。その両面でいって見ようじゃないか」
 それまで黙っていた根本坑長の発言であった。言葉は穏やかでもなべ常に反対できる筈はない。
 差矢でやる取り明けを岩田組五人が継続する事にし、残りが耳欠きに回る事になった。耳欠きは崩落の誘発を避けて大分手前の土べらから始められた。 余り崩落に近い場所からだと、互いの仕事に干渉しかねないからである。
「三原よ。何ンかうンめえ手でもめっかったかや?」
 わった源は正造の耳元で言った。
「イヤ。特別うンめえ手もねえンだども、矢はもっと太いのバぶち込んでみたらどうだべか?」
「ン?……。少しは保ちが違うか。したども……」
 こんな時、わった源のサッパリした気性が有り難かった。
 差矢を諦めて耳欠きを提案したのはわった源なのだ。しかし自分の出した案に固執せず、もしかしたら正造が別ないい案を思いついたのではないか、と素直に受け取ってくれる先山など滅多にいない。
「それからおどよ。やって見ねバわがんねえども、こうやったらどンだべ?」
 わった源とさぶや川原にふと思いついた事を説明した。差矢をした後、崩落したズリの重量や圧力を一番うけている足元からの掻き出しをやめる。下のほうはそのまま手をつけないで、まず天盤に近いところを次の三つ枠がギリギリ入る隙間分だけを盗む(透かし掘る)のだ。もちろん左右の土べらも同じ要領で、枠脚が立つ分だけしか掘らない。つまり押し(地圧)のかかっている大部分には、できるだけ触らないように二枚目の枠を押し込む。入ったらまず大雑把に差矢をしてゆく。何とか三つ枠が取りついたところで、今度は差矢を増やしてしっかり補強する。その後が眼目の一つで、今までとは逆に上のほうから少しずつズリを取り明けてみる。
「あんべえ見ながらこうやってったら、少しは違わねえかって俺ラ思ったんだ。どンだべ?」
「ウン。三原、考えだな。ンだバ一丁やってみっか?」
 わった源は正造から説明をうけた手順を頭に入れるように、暫く崩落面の辺りを睨んでいたが、半ばは納得がいったと見えて大きく二、三度頷いた。 「したら正さん! 俺ラは何やればいいんだ?」
 呑み込みのいいさぶは、恐らく次の段取りをもうあらまし描いていたのだろうが、一応正造の指示を促してきた。疲れを知らぬ年頃なのか声さえまだ張りに満ちていて、何とも頼もしい存在であった。
「今までのより、一回り太めの雑木で矢作れ!」
「長さ!」
「四尺の後先あればいかべ!」
「川さん行くど!」
 さながら喧嘩口調にも似た短いやり取りで畳みかけると、さぶは川原と共にあっという間にでどへ消えて行った。もちろん材料の調達にである。
 正造とわった源は坑道の左右に分かれて、土べら沿いに枠脚がやっと入るぐらいの巾に溝を盗み始めた。地山を掘るのと違って、それ以上を絶対に崩さないように狭い溝を盗むのは却って大変な仕事であった。いつもの如く鶴はしや雁爪の類を使ってバリバリやる訳にはいかず、半分は素手でやるような仕事になる。見ているだけで息が詰まりそうな作業を、二人は慎重にしかも可能な限り素早く進めていった。
 いつの間にかさぶは材料を抱えて戻りその先っぽを削って尖らしていた。見ると外の手も動員してテキパキと仕事を進めているようだ。
 あれこれくどくど話し合わなくても、手際よく作業を進めてゆく岩田組の仕事ぶりは、根本や社員たちの目に何となく安心を与えたようであった。
 土べらや天盤に沿って盗んだ狭い溝は、一見してすぐにも圧しつぶされそうな頼りない隙間である。だが夥しい落石には逆らわず、遠慮しいしいほんの少しだけ透かし掘ったのが山の機嫌を損ねずに済んだのか、三つ枠を押し込む間ぐらいは何とか崩れずに保ってくれた。その組み上がった笠木の上に、用意させた一回り太い丸太の杭を叩き込んだ。ここでもわった源の技と怪力は、信じられない速さで仕事を片づけた。
 だが枠付けに当たって二人は一つの申合せをした。それは取っ掛かり始めの支柱は他より丈夫な材料を選ぶ事であった。この先うまく事が運んだとしても、続く崩落がないとは言えない。そんな時どこかの支柱がそれを食い止めてくれなければ、自分たちもやられてしまう。そのための用心を取り付き始めの支柱に託したのである。誰が教えてくれた訳ではない。熟練坑夫の勘である。
 崩落を誘った圧は上からが主で横からは小さいと見た二人は、土べら側の差矢をやまの模様を見ながら少しずつ減らしていった。これが又仕事を早めるのに役立った。
 危ぶみながら見ていた小頭たちは、自分たちも材料運びに後ろへ走るようになった。 耳欠き組の仕事も何とか弾みがつきだしてきた。正造の予感通り崩落は少しずつ落ち着きつつあるようだ。しかしいつものやり方で足元から落石の取り明けをやっていたとすれば、その後も駒崩しの状態が解消されていたかどうかは分からない。崩落の足元からではなく、できる限り頭のほうからそっと掻き出しては補強してゆくやり方が、正造の思いつきにすぎなかったとは言えこの場合理に叶っていたのかも知れない。
 同じ事をするにしてもほんの少し手順を変えただけで、結果には天地の差が出る。先ほどまでは手もなくぶち折られた差矢も、吟味した中から少し太くて丈夫な材料を選んだだけで、暫くは気まぐれな地圧を支えてくれた。それは崩れによる衝撃を与えなければ、丸太がかなりの荷重に耐える事の証明でもあった。最初の一枠こそ薄氷を踏む緊張で固くなったが、一つ成功した事でそれも次第に解放され、作業のピッチも上がっていった。
 だが崩落がどこまで延びているのか見当もつかない以上、この作業がいつまで続くのかまったく分からない。少しばかり取り明けが進んだからといって決して喜べる空気ではないのだ。
 岩田組の作業の進捗ぶりを見た根本坑長は、なべ常と相談して交代人員を用意した。いかに頑健な体を持っていたとしてもそう続くものではない。取り敢えず正造だけを残してほかの四人を休息させるよう指示した。
わった源やさぶは交代の手に、注意すべき段取りや要領を繰り返し話した。
「三原。ンだバ、ちょっと一服してくっからよ。頼むでや」
「正さん。すぐ交代するからさ……」
 言いながら現場を離れて行った。
 崩落の急報をうけてここへ来てからもう既に五、六時間は経っている。片時も気を抜けない緊張の連続で相当に疲れている筈であった。しかし正造はそれほどに感じてはいない。この夥しいズリの向こうに救出を待っている連中がいると思うだけで、ほかの事を考える余裕はなかった。
 今の正造には目の前に向き合っている崩落現場が見えているだけだ。固唾を呑みながら見守っている上役の顔も、何も知らずに帰りを待っているふさや子供たちの顔も見えてはいない。ただ頭にあるのは次の段取りとその手順、それにいつ襲いかかってくるかも知れない崩落への警戒だけであった。
 差矢の打ち込みを終えてズリの取り明けにかかる時も、老練な先山がいうように「やまと相談しながら」進めていった。少し取っては補強の差矢を加え、崩れがこないと見るや思い切ってスコップでズリはねをする。正に「やまの顔色を見ながら、やまを怒らせないように」判断しながらの作業であった。甘く見たり思い違いで事を運んだりすると、地圧は必ず底知れない力を誇示するように、嵩にかかって襲ってくるのだ。
「三原。交代するど! まんまでも食って来いでや!」
 いつの間にか戻ったわった源が後ろから声をかけてきた。夢中で仕事をしていた正造は足場板から降りた。
 さぶが恐ろしく真剣な顔で正造の傍に来た。
「正さん! 三号に北川さんが入ってる!……」
「なにッ?……」
「一服してる時、担当が持ってだ紙見たんだ。左三サ入ってる者の名前が書いであった。そン中サ北川さんの名前入ってだ。三〇人ぐらいは分かってるみでえだ」
「そうか。そう言えばあいつ、最近現場替わったって喋ってだ……。三片だったか?」
 北川の名前を聞いた途端、ガツンとどやしつけられるようなショックを感じた。だが何をどうすればいいのかまったく分からない。ただ何故だったのか、反射的に佳代子の顔が浮かんできた。
「正さん。大丈夫だよ! 北川さんも、今頃はあっちから向かい掘りしてるよ。北川さんにはも少し辛抱してもらって、まんまでも食って馬力つけないバ、正さんが保たねえよ!」
 さぶは殊更明るく言って正造の背中を押した。崩落現場から五、六○メートル離れた坑道の土べらに、材料置場としていくらか広げた場所がある。そこが臨時の休憩所になっていた。途中のあちこちに安全灯を吊るして坑道を明るくしている。だが何の設備もある訳ではない。ただ丸太を脚にした台の上に、焚き出しのにぎり飯とたくあんが置いてあるだけだ。やかんの中身も多分湯冷ましでも入っているのだろう。
 正造はガクッとばかりに丸太に腰を下ろした。急ごしらえの焚き出しらしいが、一口や二口では味も何もしない。だが一つ食い終わる頃になって、始めてひどい空腹だった事に気付き、強めの塩が急に食い気をそそってきた。
 人心地ついてみると、体のあちこちが軋むような疲れを感じた。満腹すればきっと眠くなってくるに違いない。もう一個のにぎり飯を頬張りながら湯冷ましを流し込む。どうしてもゆっくり落ち着いて食う気にはなれなかった。
 耳欠き組も交代で焚き出しを食いに来ている。みんなまだ元気のようだ。だが日頃であれば絶え間なく口をつく冗談や、荒っぽい冷やかしも出ていない。
 正造がほんの一○分ほどの休憩で現場へ戻る途中、根本坑長とすれ違った。
「三原。頼むぞ!」
 軽く肩を叩かれた。何気ない口調だったが、目は笑っていなかった。
「ハア……」
 直接に言葉を交わした事など一度もない。だが正造の名前を知っている。なべ常を押さえて自分の提案を取り上げてくれたこの坑長は、噂通り不思議な人かも知れないが、今は幾分身近に感じられる。
 坑夫たちは根本の笑った顔を見た事がないという。言われて見ればそうかも知れない。ピンと反り返らせた官員髭とギョロ眼に、なるほど笑顔は似合いそうもない。かといって人前で部下を叱りつけたりもしないらしい。それにも拘わらず、叩き上げの小頭や古参の坑夫たちが一目も二目も置いているという。切れ者なのかも知れないが、言ってみれば正体不明な人であった。
 いずれにしても坑夫たちにとって大学出の工学士坑長などという存在は、近寄り難い偉いさんである事は間違いない。
「正さん、もう戻って来たのかい? もっとゆっくり休まないバ参るよ。これからなんぼかかるかわがンねえんだから……」
 すかさず正造の姿を見つけたさぶに叱られてしまった。
「あんまりいつまでも座ってれば、根っこ生えでしまうでや」
 冗談めかして言い返したが、さぶは手も休めず振り返りもせずに言った。
「焦ったって何ともなんねえベサ。今のうちに一眠りしたほうがいいって……」
 恐らくさぶのいう通りになるだろう事は正造にも分かっていた。だがこの向こうに北川が閉じ込められていると知ったせいもあるが、そろそろガスの事が気になっていた。
 空気を流通させるもう一本の排気坑道も埋まってしまった以上、鉄砲坑道(行き止まり坑道)と同じで長い時間の閉鎖状態が続けば、当然ガスの張り出しを警戒しなければならない。
 通気の上からいうならば坑道とは入気と排気の二種類に分けられ、空気の出口入口として最低二つ以上の坑口を持っていなければならない。だが坑道は石炭やズリの搬出はもちろん、人馬、資材が行き交う通路でもあり、湧き出る地下水をおかに出す役目も担って いる。
 坑内通気は人馬の呼吸になくてはならないが、もう一つの役目は地中からしみ出るメタンガスを坑外へ拡散する事にもある。空気を吹き込むか吸い出すかの方法で流通させているのに、一旦崩落が起きればそこから先の通気は途絶する事になる。従ってあちこちにガス溜まりができてしまい、長時間にわたればガスの濃度は高まり、極端な場合は酸欠状態を起こしかねない。
 軽くてガス酔い、悪ければ窒息してしまう。普通は崩落の隙間を縫って空気の出入りがあるため、よほど狭い場所に閉じ込められない限り滅多に窒息する事はない。だがメタンガスの浸出量が多いか、遮断が長く続けばそれも分からない。何故なら大人一人当たりでは毎分六リットルの空気が必要と言われているからだ。従って一つの坑内で働く最大人員を標準として、一分間三立方メートル以上の通気を保たなければならない事になっている。
 それに加えて厄介なのは爆発の危険だ。空気中のメタンガスが全体量の五%から一〇%あまりに達すると、一瞬の火花にでも反応して爆発を起こす。一旦爆発が起きればその付近だけに止まらず確実に大惨事となる。炭層内を縦横にくり抜いた坑道は爆風をそのまま走らせる管となり、火炎、熱風、そして後ガス(一酸化炭素)の地獄と化してしまう。
 とは言え、これらの保安知識が坑夫の一般常識としてゆきわたるようになるのは、この後二、三〇年もしてからの事であった。
 災害が起きるたびその経験を蓄積し、試行錯誤を繰り返していた一部技術者は別として、勘のいい坑夫だけがわが身を守るのに考えつく災害対策などは、いかにももどかしく頼りないものであった。
 炭砿を経営する者にとっては石炭を掘り出して売るのが商売である以上、口には無災害を唱えていながらも、仕事の性質上多少の犠牲は止むを得ないと考えていたかも知れない。まして変災や事故に対する処置や予防などまだまだ手探りであった。それが結果的に膨大な出費になるとも知らず、その場限りの手当てで終わる事が多かった。

 正造は矢作りにまさかりを振るいながら、居ても立ってもいられない思いに駆られていた。いかに手を増やしても今より取り明けの速度を早めるのはムリだ。それに耳欠き組が必死で取りかかっている仮坑道も、ただあおりにあおっていい結果が出るとは思えない。正直なところこれ以上やまが暴れないよう祈るぐらいしかないのだ。それを情けないとは思いながら、代わる方法がある訳ではない。
 小頭や担当の打合せが頻繁になってきた。焦ってこれ以上疵を大きくしてはならないと思いながらも、捗々しく進まない事に苛立ちが出てきたのであろう。だが根本坑長は打合せには加わらない。ただじっと作業の進行をギョロ眼で見ているだけであった。
 わった源の組全体に疲れが見えてきたのは、それからどのくらい経ってからだろう。一番元気なさぶでさえ声を出さなくなった。
 正造はどうしても手足に力が入らなくなった。背中から腰にかけて鈍い痛みを覚え、思うように体が動かなくなってきた。
「おい岩田、三原! お前ら交代せいや!」
 こちらから言い出そうと思った時、なべ常が声をかけてきた。
「お前らに倒れられだらことだからな。外の手も用意して、交代で休ませろって坑長に言われたでや……」
 坑長が言い出さなかったら、俺たちをぶっ倒れるまでこき使うつもりだったのか、と胸の中で呟きながら黙って足場を降りた。そのまま後方へ退った。
 崩落の規模がつかめない作業では、後どれだけやればめどがつくのか見当もつかない。先も見えないのに焦らなければならず、その上気の抜けない状態が続いている。これで疲れない筈はない。
 現場を離れたのに全身の緊張がほぐれず、それでいて頭の中はどこか朦朧となっていた。
 耳欠き組の仕事はどの辺りまで進んだのか、坑道からは現場が見えなかった。やはり猛烈な勢いで頑張っているのであろう。奥のほうから人声と物音だけは聞こえていた。だが正造もわった源もそこまで見に行く気力や体力が出てこなかった。
 休憩所まで僅か五、六〇メートルの距離がやけに遠く感じられ た。たどり着いてやかんの湯冷ましを呑もうとしたらまだ温かい。にぎり飯も十分に温かみが残っている。届けられたばかりなのだろう。見ると漬物や甘いお菓子まで並べられている。さっきより品数も量もかなり増えている。
「おど。こりゃア大した長くなりそうだでや……」
「そしたあんべえだなや。まンズ、わったわったどま食らって、ちょこっとでも寝るべ。な?」
 やっと十八番の口癖が出た。坑長や担当の目が背中に貼り付きっ放しのさっきまでは、いかなわった源といえども、冗談一つ出せる筈がないし又それどころではなかった。
 みんなの表情から少し険しさがとれた。てんでに食い物を頬張ると、仮眠をとれる土べらを目で探した。
 わった源が顎をしゃくった。見ると今まで腰を下ろしていた数人の坑夫が立ち上がったところだった。入れ替わりに腰を下ろして、支柱に背をもたせかけたと思う間もなく動かなくなっていった。
 坑内では長々と寝そべったり仰向けになれる場所など滅多にない。せいぜい板を一枚拾ってきてそれに背を預けるくらいが関の山だ。煙草も吸えない一服時間に坑夫はそんな姿勢で体を休める。
 さぶはあぐらの片膝を立てて腕で抱え、その膝頭に頬をつけたと思ったらすぐ寝息を立てだした。さぶの特技の一つでそのやり方は、嘗て一緒に働いたアイヌの男から教わったという。
 結婚式などの祝宴に集まるアイヌの人々は、一夜造りの強い酒を酌み交わし、持ち寄った食べ物に満腹しては何日でもその酒のあるうち祝い続けるという。その間決して横になる事はなく、立て膝に頬を預けるだけの仮眠で過ごすそうだ。獲物を追って山野に起き伏しする暮らしの中で身につけた技なのかも知れない。
 正造は今まで見た事もない場所にいた。苦しげな北川の顔が近くにある。今にも泣きだしそうな顔をした佳代子がゆきを抱いている。二人が何でそんな顔をするのか訊こうと思ったが、どうしても声が出せない。何故か体が動かず息苦しくさえなってきた。
「正さん! 正さんてば!……」
 川原の呼ぶ声で目が覚めた。隣から心配そうに覗き込んでいる。
「正さん、唸ってだハッて……。大丈夫なのセ?」
「ン? そうかや......。済まねかったな川、寝でけれ……」
 いつの間にかまどろんだものらしい。それにしても何故北川や佳代子の顔ばかり浮かんでくるのだ。何かのっぴきならない事でも起きているのか。ゆきの顔も出てきたが、不思議な事にどんな表情をしていたのか覚えていない。半睡のさ中を引き戻された頭でボンヤリ考えているうちに、今度こそどろどろの眠りに落ち込んでいった。
 どのくらい眠ったのか、正造は尻の下から伝わってくる微かな震動を感じたような気がした。頭の芯はまだ覚めきらない。だが遠くで何か怒鳴り合う人声が聞こえ、ざわめきながら次第に近づいてくる。
「何ンだ?」
 わった源も目を覚ましている。若い者二人は眠りこけたまままの姿勢だ。
「何が起きたンだや?」
 正造とわった源は揃って立ち上がった。
「さぶッ!  川ッ!」
 さぶは一声ではね起きた。川原の目はなんとか明いたが視線は定まっていない。
 正造は急いで崩落現場へ戻った。
 もうもうと立ち込める炭塵や土煙の中で、口々に何か喚いて右往左往する坑夫たちの声が入り乱れていた。
「おう三原! あいつらとっぱぐりやがって……」
 なべ常が目を血走らせ息を弾ませながら怒鳴った。
 正造の提案した取り明けの方法は、交代の者にくどいほど入念に説明した。だが次第にその慎重な運びに苛立ったのか面倒くさくなったのか、普通の差矢に戻したらしい。それでも崩れがある程度落ち着いていたのか、暫くは順調に進んだ。これならばと調子づいた交代の組が、いつものやり方で下からズリを掬って積み込みを始めたところ、一気に崩れだし、それが何度目かの崩落を呼んでしまったという。
 なべ常はそれを坑夫のせいにしているが、日頃何かと仕事に小うるさく口出しをし、逆らう者を怒鳴りつけても我が意を通している男なのだ。本当に正造のやり方を納得していたのであれば、代わった組に勝手なやり方を許す筈などない。今回の取り明けを甘く見てとっぱぐった(し損じた)のは、多分なべ常自身であったろう。
「岩田と三原は、直接手を下さなくてもいい。だが後ろから外の組に指図をしてやってくれ!」
 声を出したのは根本坑長であった。
 わった源も驚いて振り返った。些か目が落ち窪み自慢の髭も精彩を失ってはいたものの、初めて小頭や担当の頭越しに坑夫へ直接指示を出した。根本はこれまでと違って毅然たる態度を示した。なべ常の指揮ぶりも、正造らの仕事も後ろからじっと見続けた上で、自ら陣頭指揮を決意したのであろう。
 正造は直接手を出さなくてもいいと言われたところで、腕組みをして見ている訳にはいかない。それでもわった源と坑道の左右に分かれて慎重に仕事を進めた。僅かにまどろんだだけだったが体は少し楽になった。
 それから先は根本坑長の直接指揮で、わった源と正造は交代で休むように命じられ、常にどちらか一人が取り明けの指示をとるよう組み替えられた。
 入坑してから何十時間経ったのか、何日経ったのか正造にはまったく分からなかった。その頃の坑夫で時計を携えて坑内に入る者などはほとんどない。だが時折姿を見せる根本坑長の顔が、見るたび 少しずつ憔悴してゆくのはハッキリと分かった。
「大丈夫か? そろそろ交代したらどうだ?」
 根本坑長の問い掛けに首を振る程度で、声を出して答える気力もなくなってきた。
 正造は知らなかったが、崩落からもう二昼夜以上経っていたのだ。極度の疲労は時間の感覚さえも失わせてしまう。
 陸揚げされたマグロのようにゴロゴロとぶっ倒れ、危険も忘れて寝込んでいる坑夫が土べらのあちこちに見られるようになった。支柱専門の坑夫も他坑から応援に駆けつけて作業に加わったが、こんな大きな崩落は経験がないという。応援の手も必要材料も焚き出し食料もふんだんに運び込まれはしたが、それだけで片づくような生易しい事故ではなかったのである。
 結局役に立つのは、経験の外は体力と根気ぐらいのもので、後は運というしかない。
 開坑僅か一〇年のこの炭砿には、災害に対する保安技術の蓄積も進んだ機械設備もまだない。あるのは一歩先んじていた九州の炭砿からの僅かな情報と、金属鉱山から伝えられた技術を下敷きにしたものだけであった。後はこうした事故のたびに何かを身につけてゆくしかない。
 まとまった勉強もしていない正造やわった源は、自分たちの体で覚えた知識や技を、書いて伝えるのはもちろんうまく説明することさえできない。従ってそれができる偉いさんよりはるかに多くの経験を持っていながらも、それを役立てる範囲はきわめて限られた場でしかなかった。
 わった源と川原が退って仮眠をとっている時、正造とさぶは新手の交代要員の後ろで仕事を見ていた。二人ともあまり声を出さない。目もやっと明いているといった状態であった。一回の仮眠時間が知らずに伸びていた。だがこの場では誰もが時間の感覚を失っていたのかも知れない。それでも根本坑長は岩田組の出坑を許さなかった。よほど二次崩落がこたえていたのであろう。
 正造は、たとえ出坑を許されても断るつもりでいた。取り明けを終えて北川の無事が確認されるまで、何としてもこの場を去る訳にはいかないと腹に決めていた。

 作業開始からおよそ三昼夜になろうとした頃、誰かの素っ頓狂な叫び声がみんなの手を止めた。
「オイ! おかしいど……」
「何ンだ?……」
「どうした?」
「矢が、向こうサつん抜けたでア!……」
 瞬き一つほどみんなが押し黙った。だがたちまちわっとばかりの歓声が上がった。
「通ったんだア!」
「やったどう!……」
 途端に沸き返った。それまでの慎重な手つきを忘れ、崩落面目掛けて一斉に飛びついてしまった。
「待で待で、待ででや! さぶッ! 止めるんだッ!」
 正造は声を嗄らして坑夫らの間に割って入った。その剣幕に誰かが怯んだ。隙を縫って前に立ちはだかった正造のただならぬ声に、さぶも必死で手を広げた。
「オイみんな! 待ってけれ! ようやっとここまできたんだべ! 泡食って又崩れだら元も子もねくなってしまうど。ホントに抜けたんだバ、もうすぐでねえかや。これが終いのズリだど思って、までー(丁寧)に取るべ。後僅ンつかの辛抱でねえか。な?……」
 正造の必死の説得が効を奏したか、ようやくみんなは冷静さを取り戻した。
 聞こえたのか知らせたのかわった源も川原も来た。その横には目ばかり異様に光る根本坑長の顔もあった。
 はやる心を抑えるように慎重に矢を打ち、石を取りのける作業が暫く続いた。
 やがて天盤近くにポッカリ穴が明いた。ムッと生暖かくて土臭い空気が流れ込んできた。どんなに抑えても手は次第に早くなり、急に活気の戻った積み込みはたちまちトロッコを満杯にした。代わりの空車が後から後から続いた。
 ようやく人間が出入りできるほどの穴が明いた時、気の早い奴がそこをくぐり抜けようとした。
「ダメだ! 行ってはならんぞ! もう少し取り明けを続けるんだ。それからガスを調べる。その後で救出に向かうんだ!」
 根本坑長の大声だ。坑夫の動きがピタリと止まる。 正造もそう思っていた。奥の空気がある程度入れ替わるのを待ったほうがいい。そのためには、人間が楽に通り抜けられるほど取り明けを進めてゆく作業が、ガス払いの時間稼ぎになり、しかもこの後の救出作業をしやすくする筈だ。もしこの奥にガスが残っていれば、安全灯を持ち込む事すら危ない。中の人間の安否も気掛かりだが、その前に適正な手を打ってからと考えているらしい根本坑長の判断は、充分納得できるものであった。
「オーイ!……誰かいるかア!……」
 たまりかねて奥に向かって叫んだ者がある。一瞬全員が手を止めて息を殺した。誰もが同じ思いを抱いていたのだ。両方の耳に手を当てて返事を待つ者もあった。
 だがシーンとして何も答えはなかった。それどころか人の気配すら感じられない。そこにいた者たちの大半が一様に不吉な連想をした。
 三〇人もの人間が閉じ込められている筈の坑道は、森閑と静まり 返って何の物音もなく呼び掛けにも応じない。ただポッカリと口を 開けた漆黒の闇は、もしかしたら巨大な墓室と化しているのではあるまいか。
 辺りが急に重苦しい雰囲気に包まれた。
 担当の井上が安全灯を顔より高く掲げて、ソロリと崩れたズリの向こうに足を踏み入れた。続いてもう一人入って行った。腰を屈めた低い姿勢をとりながら安全灯を上に差し上げ、一歩ずつ進んで行くのが小さな灯の動きで察しられた。
 もしガスの張り出しがあった場合は、まず天盤の窪みなどから溜まりだす。目に見えないガスの有無を調べるために安全灯を高く掲げると、細かい網の目をくぐったガスで焔は大きくなり青白い光を放つ。その焔の長さでガス量が測られるのだ。目の細かい金網は中の焔を外のガスに接触させないのだと言われていた。
 一見乱暴で危険なガス検知の方法にも思えるが、この当時はこれが普通の測定方法であった。
 この安全灯を採用する時の会社の話では、中の焔が外へ抜けようとしても、金属の網によって冷やされるため火は消えるのだそうだ。冷えているガスはくぐれるが熱い焔は通さない金網だ、という触れ込みであった。
 但し一、二年前まで使われていた手提灯(カンテラ)に比べてこ のデビー式安全灯は、全周が金網で被われているため暗いのが何よりの欠点であった。だが裸火の手提灯が原因と見られる爆発が頻発したため、明るさより安全を優先させた結果このデビー式となった。そのため煤(すす)の出ない上等な油を使わなければ、金網が目詰まりして灯火の役目を果たさなくなる。
 その油を一杯に入れてあったとしても丸二日ともつ筈はない。いかに目を凝らしても灯のかけらすら見えない真の闇であった。だがその闇がどんなに恐ろしいものか、坑夫ならば知らぬ者はない。
「オーイ! オーイ!……」
 遠くから先ほど入って行った井上担当の呼ぶ声が聞こえてきた。
 手に手に安全灯を持った坑夫や小頭が一斉になだれ込んで行った。
 立っているのさえつらい正造も、われを忘れて安全灯を手にした。
「待て、三原!」
 誰かに腕を取られた。見ると根本坑長であった。
「お前たちはもう上がれ! ここまでくれば後はもう何とでもなる。ご苦労だった! 上がって休んでくれ」
 こんな混乱の最中でも隅々まで目を配ってくれる坑長の配慮は嬉しかったが、北川の姿を見ないまま上がる事はできない。
「ハイ。そうさへでもらいます。だども上がる前にちょこっとだけ奥バ覗いてから……」
 わった源には一足先に上がってくれるよう頼んだ。何といっても彼は正造より一回りも年上だ。いかに強靱な身体とは言え疲労はとうに限界を超えている。
「おど。俺ラもすぐ後バぼう(追う)から、みんなど先に上がってでけれや」
 訳を話したりすれば、俺ラも一緒に行って探してやると言い出しかねない。そこでわざとあっさり言って肩を叩いた。
 極限ともいうべき疲労は、もう重いとかだるいでは言い表せない状態にあり、背骨に張りつくような痛みのため歩くのさえつらい。だが気力を振り絞って奥へ向かった。それにしてもはやる気持ちと身体は別もので、どんなに焦っても足が思うように前へ出ていかなかった。
「正さん。俺も行く!」
 いつの間にかさぶが傍にきて腕をつかんだ。
「ここまでやって、最後の仕上げバ見ねえんだら、何のため今までけっぱったんだか分かんねえ! 正さん、二人して連れで上がるべ!」
 正造が何しに奥へ行こうとしているか、さぶはとっくに見抜いていた。

 さぶの奴、と思いながら鼻の奥がツーンと熱くなった。歩き出すと知らずに身体を預ける恰好になっていった。
「オイ! 頑張れよ! もうすぐそこに、焚き出しもお茶もあっからな!」
「ホラ、けっぱれ! もうだいじょぶだハデ!」
 気合や激励を浴びせながら、ぐったりした人間を背負って来る連中にぶつかった。本来ならば急ごしらえでも担架に乗せて運ぶのだが、それすらも間に合わない緊急の搬送は負ぶってゆくしかない。
 焚き出しとかお茶とかを口にしているからには、ガス酔いか空腹で倒れていたのであろう。とにかく生きてはいるのだ。
 さぶが安全灯を掲げて負ぶわれた坑夫の顔を覗き込んだ。そして首を振った。北川ではないという仕種だ。
 その後一人又一人と負ぶさったり抱えられたりして来る者が続いた。そのほとんどがガスで半ば朦朧となっているようだ。救助に飛び込んだ坑夫たちは、絶え間なく声をかけたり身体を揺すったりして、弱った坑夫たちを励ましながらでどへ向かって行った。
 その流れに逆行しながら一人一人の顔を確かめたが、どうしても北川を発見できなかった。
 正造とさぶの足は知らずに少しずつ早まった。そして一、二、三号と到頭一番奥の切羽付近まで来てしまった。その辺りになると温度も湿度も高くなって、空気はムッと籠もって澱んでいるのは明らかであった。二人とも自然に腰を低くして歩いた。こんな通気状態 であれば上部にガスが充満していても不思議ではなく、警戒するに越した事はない。
 いつか二人は口を利かなくなっていた。兆してくる不安を押さえてそこから引き返そうとした時、三号切羽の奥でチラッと灯が揺れた。
「オーイ! 誰かいるのかア!……」
 さぶが怒鳴った。
「オー、いるぞー。今出るとこだー」
 ガス検定で最初に入った井上担当のようだ。
「この奥には、もう誰もいないンすかア!」
 さぶは念を押して又怒鳴った。
「オー。いま調べて来たが、もう誰もいないぞー。われわれだけだー!」
「われわれ?……」
 二人は顔を見合わせた。揺れながら近づいてくる灯はどう見ても一つだ。いかに目を凝らしても暗闇の向こうに見えるのは、たった一個の灯だけであった。
 苛々するほどゆっくり出て来たのはやはり井上担当だった。だが井上の肩につかまってやっと歩いている男の姿がある。
「北川さん!……」
「北川ッ!」
 二人は期せずして同時に叫んだ。
「お前え、何で一人だけこんな奥にいたんだ?」
 正造が疑問をぶっつけた。
「イヤ三原。北川は初めからここにいた訳ではないんだ……」
 井上の説明を聞くとこうだった。救出が始まって間もなく北川は後山の一人が見えない事を訴えた。誰に聞いてもガス酔いや疲労のためか答える者もない。だが北川はどうしても探したいというので一緒に奥へ入り、到頭三号切羽 まで来たがどこにも見つからず、仕方なく戻って来たという。
「北川よ。お前え、他人事でなかべ! なしてさっさど出て来ねえ。みんな、どした思いで待ってらか、お前え、わがンねえのか!……」
 とにかく無事な姿を見た途端、今までのあれこれが一時に噴出し、カアッとなって何を言っているのか分からなくなった。嬉しいのか腹が立つのか、労ってやりたいのかそうでないのか、何がなんだかすっかり混乱してしまった。
「北川さん! 正さんは、今までロクたま寝ねえで取り明けやってきたんだ! ぶっ倒れるぐらい参ってるのに、あんたバ連れで帰りたい一心でここまで来たんだよ! それだのにあんたは、正さんの気持ちも知らねえで……」
 言っているうちに気が昂ってきたのか、さぶも言葉を詰まらせてしまった。
「さぶ、もういいでや。北川も無事であったし、まンズこれでいいとさねバ。なア?」
 今度は逆に正造がさぶをなだめる事になった。
「済まねがった! 気の毒バかけで……」
 北川が頭を下げた。
「ホラホラ、そんな事言ってないで早く上がるぞ。それこそ待ってる連中が心配しとるぞ。誰が悪いんでもなかろう。みんなこの落盤のせいだ。なアそうだろうが?」
 井上のとりなしで四人は再び歩き出した。
 正造は北川が思いの外しっかりしているのに驚いた。先ほどすれ違った連中の多くは歩くのさえやっとだった。だが北川はガス酔いさえしていないように見える。
 背負われ抱えられあるいは担架で運ばれていったとしても、三日間耐え抜いた気力体力は称賛に値するものだ。救出の坑夫たちは喜んで手を貸し背中に負ぶって、一刻も早く安全な場所へ連れて行こうとしたに違いない。それなのに後山の身を案じて探しに行く北川の事を、外の坑夫らはどう思ったろう。イヤ外の誰よりも日頃の彼を知る正造やさぶでさえ、それが度を越した行為のように受け取ったのだから、推して知るべしであろう。
 だが、そこが又北川らしいのかも知れなかった。
「北川よ。お前えだは、こっちから取り明けさねかったのな?」
 正造は訊いてみた。
「やったでや。みんなして散々やったども、全部つぶされでしまった。そのうち使える材料はハア、みんな使ってしまって、手ッコも何も出せねくなった……」
 三つの切羽分の支柱材は大分使われており、次の搬入を待っているところだったからそれほど多くは残っていなかった。そこに繰り返し襲いかかる崩落で材料はたちまち使い果たしてしまった。
「俺ラたちが何回もさかんだ(叫んだ)ども、そっちさ聞こえねかったかや?」
 北川が訊いてきた。それは正造が訊きたい事でもあった。
 結局両方で同じ事をしていたのに、声も届かないほど大規模な崩落であった事を物語っている。
 だが山鳴りの響きや崩れ方の凄まじさから並の崩落ではないと感じた北川は、取り明けに相当な時間がかかる事を覚悟した。そうなれば焦って体力や材料を使い果たさないほうがいいと考えた。
 大先山の作間与助に話してみると彼も同じような判断をしていた。作間は外の連中とも相談した上で、こっちからの取り明けをやめるという申合せをした。
 恐らく外側からは取り明けが開始されている筈だ。その連中と顔が合うまで一人の怪我人も出したくはない。全員が揃って救出されるには、ムダな力を使わずに待っていようという事に決めたのだ。
 そう決めたからには天盤の安定しない崩落現場を遠ざかり、少しでも安全と考えられる奥のほうへと移動した。だがガスの張り出しを警戒して、僅かでも風の流れが感じられる場所を探してそれぞれが腰を据えた。
 各切羽ごとに点呼をとった結果総員の無事が確認された。それによると坑夫以外に担当一人と小頭二人を含め、全部で三二人いる事が分かった。
 初めのうちはあちこちの話し声も切れなかった。だが時間が経つにつれて次第にその声も聞こえなくなった。その代わり苛立ってあちこち動き回る者が出てきた。年配の坑夫たちは何度も注意したが、一時腰を下ろしてもすぐ又立ち上がりウロウロし出す。その多くは坑内に入って日の浅い者たちのようだが、ただ待つ事だけの不安は誰の胸にも兆し、それが少しずつ膨れ上がってきた。かなりの時間が過ぎて、最も恐れていた事がやってきた。
 三〇個以上はある筈の安全灯が、一つ又一つと油切れから消えてゆき始めた。どこかの灯が一瞬ゆらめいて明るくなると、それが終わりの合図であった。フッと暗くなって闇の色が濃くなるたびに、まるで己の命の残り時間を数えられているような不気味な圧迫が増してくるのだ。それに連れて、自分の呼吸音や脈拍までが異様に大きく聞こえるような気さえしてきた。
 空きっ腹も苛々に拍車をかける。あちこちで些細な事から口論が起きた。始めのうちこそ代わる代わるなだめ役に回ったりしていたが次第にその気力も失せ、喧嘩が始まっても誰も何も言わなくなった。疲労と空腹で他人の事に構う余裕などなくなってきたのだ。
 北川は後山の市川鉄次と並んで、側溝が通っている側の土べらに体を休めていた。
 水平坑道の利点を生かすため、坑口に向かって自然に水が流れるほどの傾斜をつけている一番坑は、本坑道の左右どちらかが排水溝になっている。とは言っても本格的な工事を施している訳ではなく、ほんの一〇センチほど下盤を掘っただけのものにすぎない。
 その溝の上に残材を並べ、尻が濡れない用心をして自分たちの居場所を確保したのだ。大方の坑夫らは側溝のない乾いた土べら側に陣取った。濡れるのを嫌うのは当然で、短い時間一服するぐらいの間だったら誰でもそちら側を選ぶに違いない。
 だが北川は繰り返し襲ってくる崩落のしつこさや、山鳴りの重い響きにただならぬものを感じ、何となく勘が働いて側溝のある土べら側を選んだ。
 北川はこの一番坑の真上を、シホロカベツの源流となる沢水の一つが流れている事を知っていた。坑内排水のほとんどは飲めないとされているが、もしかしたらこの辺の地下水ならば飲めるかも知れないと考えたためだ。何故ならこの一番坑を取り囲む長屋の住人たちは、その沢水を引いて飲料にしていたからだ。今まで一度も坑内の水など飲んだ事はないが、それで済まなくなりそうな気がしたのだ。
 北川の頭の中には、自分をしごき抜いた親分橋田源蔵の言葉がいっぱい詰まっていた。その一つにこんなのがある。
〔水の通る所には、必ず風も通っている〕
 金属鉱山しか知らない橋田が、炭砿のガスについて知識があったとは思えない。多分崩落して生き埋めに遭った時の心得を言ったものであろう。だが北川は長丁場を予感して、水の流れる側溝側を選択したのもそれに従ったにすぎない。空気と水さえあれば人はかな り生きていられる。それにしても冷静な判断と経験は何よりの味方である。後は体力と運さえあれば助かると北川は思っていた。
 いくらか保ち時間に差のあった安全灯の灯も一つ残らず消えてしまった。それからは己の体がまるで土の中に塗り込められてゆくような恐ろしい闇が訪れた。
 突然喚き出す者が出てきた。その果てに泣きだす者もある。土べらを狂ったように掻き出している物音も聞こえた。レール伝いに移動しては何かにぶつかる者もいた。地底の闇はどんなに耐えようとしても平常心を掻き乱し、恐怖心だけを限りなくあおり立ててくる。
 だが動き回った連中から次々に倒れる者が出た。ガス酔いが広がり始めているのだ。通気量の不足でどこからともなく滲み出てくるガスが天盤付近に溜まり、立ち上がった者だけがそのガス溜まりに首を突っ込む事になる。そうすれば毒性がなくても一時的な酸欠状態に陥ってしまう。
 北川はチョロチョロと流れている水の近くに顔を寄せ時々深呼吸した。空腹やのどの渇きで我慢できなくなった時は少しだけ口に含んだ。決してガブ飲みしたりはしない。市川に教えてやろうと声をかけたが、隣にいた筈の若者はいつの間にかいなくなっていた。
 どこが気に入ったのか傍を離れない市川を「鉄!」と呼びつけにする代わり、何となく面倒を見てやるようになっていたこの頃であった。
「鉄!……鉄!……」
 呼んで見たが返事はない。人の気配を感じても明かりがなければ何にもできないのだ。その上声を出すだけで息切れしてくる空腹では、市川の身に何が起きてもどうしてやる事もできなかった。
 結局死んだように横たわってただ救出の手を待つしか何の方法もない。それでも三〇人もの仲間がいた事は何よりであった。泣くにしろ喚くにしろ時々上げる誰かの声が、暗黒の闇にまぎれて這い寄ろうとする死神の手から、ふっと現実を取り戻す恰好の気付け薬となったからだ。
 時には錯乱の果て土べらに身体を叩きつけてゆく者もあったが、それも気配で知るのみでその修羅場はまったく見えない。だが結局のところそれが幸いしたと言えなくもない。もし灯があってその一部始終を目の当たりしていたら、更に凄惨な地獄図絵が繰り返されたかも知れないのだ。
 取り明けの成功で坑道が貫通した後、救助に飛び込んで来た連中が口々に呼ぶ声を耳にしながら、返事をする気力もないほど疲れ切っており、まるで夢現の中にあった。
 助かったのを実感したのは、駆けつけて来た人々に手を取られ、体を揺すられ大声で名前を何回も呼ばれた時であった。
 救助の人間は倒れている者を直ちにその場から連れ出す事を急ぐ。軽いガス酔いならば何よりも新鮮な空気を吸わせるだけで、ある程度は回復してくる。

 正造とさぶは井上担当の手も借りて、ようようの思いで北川を休憩所まで連れて来た。着くや否や北川は市川の安否を尋ねた。それに対する答えは、恐らく一番先に救出されたのが市川で、もうとっくに坑外へ出た頃だろうとの事であった。
「お前え、そいつバ探しに行ったのな?……」
まず何より先に湯冷ましを与えながら正造は訊いた。
 北川は正造の問いに答えるどころか、息もせずに湯冷ましを飲んでいる。次いで焚き出しに手を伸ばした。正造は急いでその手を押さえた。そして幼児にでも与えるように、ほんの一口だけを千切って手渡した。
「いいか、ゆっくり噛んで食わねばダメだ! なんぼでもあるんだハッて、急がねくてもいい……」
 三日間何一つ口にしてないのだ。いきなり頬張ってのどを詰まらせ、死んだ者さえ過去にはあったと聞いている。心底空腹な北川には酷のようでも、もしもの事があってはなお大変である。
 言うほうも聞くほうも知識としては頭に入っている筈だが、飢えている北川は恐ろしい目で正造を睨みつけた。
 日頃は人間が乗る事が禁止されているトロッコに、今日ばかりは憚る事なく乗り込み坑口に向かった。少し落ち着いた北川は、正造と向かい合って身を屈めたトロッコの上で突然言った。
「鉄は、近えうちにあっぱもらうんだ。ンだハッて……」
 正造は一瞬呆気にとられた。次いで何故か無性に腹が立った。だからどうなんだ、独り者のお前がなんでそれを心配しなければならないのだ。自分はどうなってもいいのか。次々と頭の中では彼に浴びせかける言葉が浮かんでは消えた。
 だがまじまじと北川の顔を見ただけで溜め息しか出てこなかったのは、口を利くのも億劫な疲れと眠気が一気に襲ってきたからであった。


 今回の崩落騒ぎの後始末が、賃金になって発表された。
 取り明けの中心となった岩田、青木、小林、菊地の組には、いつもの単価の三倍支払われる事になった。それもぶっ通しの入坑なので一日が二日分となり、しかも三倍となるため、一日分がこれまでの六日分に当たった。従って三日間入坑していた者は、合計で一八日分の手取りという事になった。
 稼働日数の少ない正月一ヵ月分に相当する賃金を三日間で得た事にはなったが、文字通り死ぬほど働かされて得た金だけに、金の高だけで素直に喜べないものはあった。
 数日経ってから、岩田組五人全員が坑長に呼ばれた。
「今回はほんとにご苦労だった。お蔭で一人の怪我人も死人も出さずに済んだ。いい判断でいい仕事をしてくれた。それに組全体のまとまりが何より良かった。これからも会社のために、精一杯力を出して欲しい!」
 例のギョロ目がその日はひどく柔和に見えた。照れくさくなるほど褒められた後、一人ずつに特別下給金と書かれた袋が手渡された。
 正造はそれを封も切らずにふさに手渡した。中には二〇円入っていたという。正造の一日の稼ぎが平均で七〇銭前後であったから、これも一ヵ月分以上の稼ぎに相当した。
 崩落騒動にまつわるあれこれの話題にもやっと一段落ついた頃、正造の長屋に突然川原がやって来た。彼が一人で来たのは初めての事である。
「正さん。実は……」
 何か思い詰めたような厳しい表情のまま薄縁にキチンと膝を折り、いくら勧めても正座を崩さない。
「何とした川よ。お前え……。まさか又やめてえの何だの話でなかべな?」
 冗談めかして正造は言った。
「ち、違う! 違うんだや正さん!」
 慌てて手を振りやっと口を開いた。ようやく青森の家族を呼ぶ決心がついた。だが迎えに行くにしても、その間は仕事を休まなければならない。目下のように人減らしを図っている最中では、それだけで首を切られるのではないか。それとこんな時に会社は長屋を貸してくれるだろうか。それが心配で正造に相談に来たというのだ。
「そうか。川もやっと決めだか? 青森のあっぱやめらしもなんぼ喜ぶかや。まンズいかった、いかった……」
 正造に何の自信も成算もある訳ではなかったが、知る限りのつてを動かし頼み込んでも川原の願いを叶えてやりたいと思った。
 翌日すぐあちこちに顔出しして当たってみた。ところがその件は意外なほどあっさりと了承された。
「三原の頼みでは、断れんよなア……」
 そんな言い方をした事務所のお偉方がいた。つまり正造が保証人でなかったならば、を暗に匂わせての了解とも言えた。
 発つ前にもう一度顔を出せと言って置いた。できるだけの事はしてやりたかった。自分の帰省の時を思い出してもいろいろ物入りになるのは知っていたし、第一川原がどれだけ金を用意できたのかも心配であった。
「ふさ。川サやる餞別用意しておけでや」
 正造はふさに更めて説明はしない。一々言わなくても川原とのやり取りや、事の経緯はすべてふさが知っていると思っている。
 雪がくる前に何とか家族を連れて来たいと話していた川原が、明日発つからと挨拶に来た。
「正さんには、何からかにまですっかり世話かけで……。オラ正さんと会わねがったら、今頃はハア、どこサまくれで何してだもんだかわがんねかった! こんだの事だってハア……」
「やめれでや。そったらごと……」
「イヤ。こないだの特別金にしたって、正さんサくれだえンたもんだってさぶが喋ってらども、オラもそう思うのセ。お蔭でオラ、あじゃ(女房)やわらし(子供)バ迎えサ行ける。それ考えれば、オラなんぼ頭下げでも足りねえど思ってる!」
 本当に川原は両手をついて何度も頭を下げた。よほど嬉しかったのだろうと正造も素直にうけとった。
 だが川原はその言葉とは裏腹に、時々何とも言えぬ不安そうな表情を見せる事があった。もしかしたら金の事ではないかと、思い切って訊いてみた。
「川よ。お前え、まだ何か心配事あるンでねえのかや?」
 暫く口ごもっていた川原がようやく話した事は、身から出た錆と は言え当然の事というべきだった。かろうじて読めはするが書くほうはまったくダメな川原は、三年半前に女房への伝言を出稼ぎ仲間に託したっきり一度の連絡もしていなかった。その間に女房が川原の帰りを待ちきれず、再婚したかも知れないという不安は常にあった。便りもせず一銭の仕送りもしていないとすれば、たとえそうされても文句一つ言える訳がないのだ。娘のすずだって薄情な父親の顔などとうに忘れているかも知れない。迎えに行く日が近づくに連れて、川原の不安は止めどなく広がってきたという。
「川よ。今頃迷って何とするや! あっぱどめらしは必ずお前えの帰りバ待ってる! そう信じて帰るしかなかべ。今は余計だごとバ気にさねえこった。お前えが、娘のために貯金してだ心掛けは、きっと通じる筈だや!」
 たとえ気休めであろうとも正造にはそう言ってやるしかない。だがそれを聞いた川原はますます落ち着かなくなった。
「……正さん! 今まで隠していたども、実は……」
 鰊漁が始まると各地から男たちが集まる。その出稼ぎ漁師やヤン衆たちを相手に色を売り、漁期の終わりと共に引き揚げてゆく商売 女はどこの漁場にもいた。普段そんな女たちは漁場に近い大きな町、たとえば函館や小樽辺りにおり、時季がくると群来を狙うごめさながら、大漁に沸くあぶく銭を目当てに毎年流れ込んで来る。
 だがその外に本来は鰊加工の女出面としてやって来て、気の合う男を探してはほどほどの金で体を開く女たちもいた。どんなに馴染んでも漁期が終わればそれっ切りの縁だが、どうかすると示し合わせて翌年も又その翌年もと鰊漁の間は肌を温め合ったりする。言わば鰊場女房ともいうべき存在である。
 川原にも三年ほど馴染んだ女がいた。だが気が合うと言っても惚れ合った仲ではないから、欲得抜きで付き合える相手ではない。網元が払ってくれないからお前にも金は払えない、で済む相手ではなかった。すったもんだの揚げ句、人夫紹介を兼ねる宿屋に頼んで金を借りて女に払った。その借金のため半年の間土工飯場に縛りつけられ、死ぬほど酷使されてやっと契約を終えた。 以後は正造にも話した通りで何をやっても目が出ず、故郷青森は年ごとに遠くなりいつかしら帰る機会を失ってしまった。だが正造の家に来てゆきを見て以来、わが娘すず逢いたさの思いに責められ、苦しくもつらい日々を過ごす事になったという。

 これまで川原に何となく心を許せなかった訳が、彼の洗いざらいの告白を聞いてやっと分かった。
「オラ、ここサ来れば、イヤでも青森の事バ思い出してしまって……。ゆきちゃんの顔はハア、どうしてもすずの顔サ見えでくる……。家族だましたバチだから仕方ねえども、切なくて!……。正さんになんぼ声かけでもらっても、何としても来れなかったのしゃ……」
 川原の心にはその後ろめたさが常にあった。それが彼につきまとう暗い翳となっていたのであろう。
 聞けばバカな事をしたものだと思うし、そのだらしなさには腹が立つ。だがそれを責めたところで過ぎた日々が返るものでもない。であればそれを悔いて女房と娘に詫びるつもりの今を逸したならば、間違いなく川原の一家はバラバラのままでやり直す機会を永久に失ってしまう。
「川! 急いで帰れ! ンで自分のまなく(眼)でハッキリ見で来い。だども、万が一だ。もしかしてあっぱがよそサ片づいでだりしてだら、ぐずぐずさねえって男らしくキパッと諦めるんだど。いいか! そしてすぐ帰って来い! 俺ラ、待ってるハデ……」
 川原は黙って頷いた。正造はふさが用意した餞別を渡した。
「姐さん、済まねえッス。おどにもさぶにも気イ使わへで……。オラ、なんて喋ればいいんだか」
 目をしばたたかせながら、押し戴くようにして川原は受け取った。あご別れに一杯呑んでいけと勧めた酒も断って帰って行った。
「ふさ。川に、なんぼ包んだんだや?」
 もし万事うまく事が運んだとしても家族共々ここへ来るとなれば、相当な金が必要になる。川原がどれほど用意できたのかは分からないが、何とかなると見ての決断だったのか。それと関係なく迎えに行きたかったのか。そんな事情を知る正造だがせめて餞別を奮発するぐらいしかできない。とは言え世間並みの倍出したとしても知れたものだ。だがわが家の経済を関知しない正造は、何をするにしてもふさに任せ切りであった。
「五円入れで置いたども、少ながったネハ?」
 正造は耳を疑った。つましい一方でなんの贅沢も派手な事もしないふさが、事もなげに言い放った金額は、漠然と考えていたよりはるかに大きかったからだ。
「オラ、川原さんが急に行く気になったのは、坑長さんからもらった特別金のせいでないかって思ったの……」
 まとまった金を手にする機会などまったくない暮らしである。川原の決心を促すキッカケはそんなところにあったのだろうとは思う。今までコツコツと貯めた金と臨時の収入を胸算用した上で、思い切っての決断だったに違いない。いくら娘に逢いたい気持ちが強くても、相応の金なしにはおめおめと帰れる筈などないのだ。
 三日で一八工数と特別下給金を合わせた額といえども決して莫大な金とは言えない。その気になればあっという間に使わせてしまう場所はいくらでもある。恐らくそうした者もいただろう。だがそんな程度の金であっても、日々の暮らし以外に使える金が入ってくる事などほとんどない。
「こないだあんたがもらった二〇円の中から、オラ勝手に出したども……」
「イヤ、それでいかった。川原も少しは助かるべ」
 もしかしたら戸惑いかねない額だが、川原の決意に手を貸す気でいる正造の気持ちを、しっかりとふさがつかんでいる何よりの証拠と言えよう。
 一緒になってまだ六年足らずのふさに更めて驚かされた。だが余分な事は何一つ言わないのに意外と思い切った事のできるふさという女が、正造は又一つ解らなくなったような気もした。

 アメリカが、世界の砂糖壺と呼ばれたキューバ欲しさにその支配国スペインに戦いを仕掛け、たった四ヵ月で勝利してキューバを独立させ、更にフィリピンとグアムを手に入れたのは一八九八年(明治三十一年)の事である。同じ年にハワイ共和国も自国の領土として併合したアメリカは、そのハワイとフィリピンを足掛かりに極東進出を目指した。
 その頃ヨーロッパの列強は清王朝の弱体をついて、中国大陸の分割化を狙っていた。英露独仏伊墺に日本も加わり各国とも自国の権益獲得に鎬を削っていた。
 そこへスペインとの戦争やハワイ併合問題で遅れをとっていたアメリカは、門戸開放や機会均等を唱えて野望剥き出しにその一角へ割り込んできた。
 一方日清講和条約による巨額の賠償金をほとんどヨーロッパで調達した清国は、その代償として自国内の多くの権利を提供させられていた。鉱物資源の開掘、鉄道水運事業の建設、港湾の開設、商工業の自由化等々だ。その結果、当然の事ながら国内に数多くの問題を抱える事になった。
 まず鉄道や諸工業の開設に多くの土地を提供したため、そこで働いていた農民たちの大量失業が起きた。更に鉄道や通信事業が開かれた事で、それまで車馬で物を運んでいた人々や、飛脚、船頭らなども仕事を失った。その上開発による水路の破壊が起き、それが直接間接に作用して水害の原因を作ったとも言われた。
 その他外国から持ち込まれた数々の製品のため、失職する者が相次いだ。そうした製品は農民らが細々と続けていた副業によるものが多かったのだ。
 その事を清国人民が喜ぶ筈はない。政府の弱腰や無力を嘆くと同時に、自分の国を我が物顔に歩き回る外国人への反感憎悪を次第に強めていった。
 こうした国民感情を背景に起きたのが義和団の乱である。
 初めは清朝政府への反抗を旗印にして、農民大衆の支持を集める義和拳という徒党があった。それは独特の拳法を武器にして、ある呪文を唱えれば不思議な力が宿り、鉄砲にも刀にも傷つかない、などと教える迷信集団であった。
 ところが義和拳の集団は、いつの間にか反政府から反西洋に矛先を転じ、特にキリスト教の宣教師と教会を襲撃するようになった。宣教師を殺害し教会を焼き討ちする過激な行為はたちまち各地に飛び火し、土地を奪われた農民や失業者の恨みなどと結びついて、一挙に暴動化していった。
 やがて天津、北京の在外公館を攻撃するに至った暴挙は、各国に居留民保護の名目で連合軍を出兵させるという最悪の事態を招いた。そうなれば近代装備を持つ八カ国連合軍に対し、ロクな武器もない義和団民兵が勝てる筈もなく、三ヵ月で天津、北京から追われてしまった。
 この北清事変(義和団の乱)に参加した連合軍の総数は二万であったが、そのうち半分の一万は日本軍隊であった。その比率には、どう見ても欧州列強の仲間入りを狙う絶好の機会、と判断した日本政府の意図を感じない訳にはいかない。それは同時に中国分割化による利権獲得の姿勢を、国際的にもハッキリと意思表示した事に外ならない。
 確かにこの働きは、中国の監視役として日本の存在をある程度認めさせる事にはなった。だがそれだけで国際列強に肩を並べたものと浮かれている間に、日本はいつの間にか英露の対立と陰謀の渦中に巻き込まれてしまったのだ。
欧州列強の中で唯一中国と国境を接するロシアは、満州を軍事基 地化して露骨に中国を北から侵食する姿勢を見せていた。それを厳しく警戒するイギリスの腹の中も同じで、いずれも中国を植民地にするか、自国製品の消費市場として狙っていた事に些かも変わりはない。
 だが日本には先の日清講和条約後、三国干渉の先頭を切って遼東半島の返還を迫ったロシアに対して、深い恨みがある。その上満州から朝鮮半島を狙っている魂胆が見え見えなだけに、政治的軍事的にはもちろんの事ながら、意地にもロシアのやり方を認める訳にはいかない感情があった。
 その感情をイギリスに利用されたのかも知れない。
 利益のためには阿片を使って多くの中国人を廃人にしたイギリスは、日本に働きかけて日英同盟の締結を誘った。どちらかの国が二国以上と交戦した時、それを支援して参戦するという条約内容である。これによって南下を窺うロシアの牽制を図ったのである。
 だが日英同盟の締結は、政治、軍事以外の経済の流れからいっても、最後には日露の衝突が避けられない一本道にしてしまった。後になって思えば、むしろそうなってゆく結果を見越した上で、イギリスが企んだ深謀であったと言えなくもない。
 国内の心ある人々は、大国ロシアに向かう日本が限りなく危うい方向へ向かっている事を憂い、碧い眼に弱い外交を嘆きつつ日英同盟の不利益を予言した。
 今年は去年に続いて出水が多かった。道内のあちこちで水害騒ぎがあり、そのせいか本州からの移住者の数がぐんと減り、関係者を慌てさせた。季節で言えば秋から冬にかけての移住はほとんどないので、夏までにその年の移住人口がほぼ決まってしまう。このままであれば去年より二万人も下回るのは確実であった。その背景に北海道では去年の稲作があまり良くなかったのに、本州各県が豊作であった。それが移民の足を止めたと見る向きがあった。
 どういう訳か十月の半ばを過ぎても一向に雪の気配がない。人々は厳しい冬の到来を待っている訳ではないが、時季になって見るべきものを見ないと不安を感じてしまうようだ。それを察したかの如く去年より一〇日遅れて初雪があった。前夜から厳しく冷え込み寒気で中々寝つけないほどの明け方、音もなく降り出した雪は、その日もその翌日も降り続いた。
 雪が降るまでには必ず、と言って発った川原だがまだ帰って来ない。一月近くも経つのに何の音沙汰もない。無筆の川原が手紙をよこすとは思っていなかったが、内心少し気になってはいた。恩着せがましさからではなく、川原が本当に青森の家族の許へ帰ったのか どうかが気掛かりであった。
 たかだか三、四ヵ月の出稼ぎ中に女を作り、そのため故郷へ帰れなくなったというのは何とも情けない。だが出先で女と馴染んだ事よりもっと許し難いのは、三年余りも女房子供を捨てていた無責任さである。それだからこそ今回の反省が本物である事を彼に示して欲しかった。長い間置き去りにしていた家族に、どんな形にせよけじめをつけるべきだと正造は思っていた。
 初雪にしてはかなり降り積もった雪の朝、正造は入坑前になべ常に呼ばれた。帰りに事務所に寄れという。瞬間まだ帰って来ない川原の事で何か言われるのかも知れない、という気がした。
 この季節に始まり翌年春までの間、仕事上がりで出坑を目指す坑道は、震え上がるような風を背にしなければならない。坑口近くの扇風機が常に排気を吸い出しているからだ。そうでなくても雪の谷間を吹き抜ける風は、扇風機で加速されるためいっそう針を尖らして肌を突き刺してくる。
 もうすっかり日が暮れていた。坑口から見上げる一番坑長屋の明かりは、山腹の所々に寄るでもなく散るでもなく灯っている。それでも油障子をボンヤリ染める微かな火影は、どこか安らぎに満ちて坑夫の足を家路へと急がせる。
 約束通り坑口事務所へ顔を出した正造は、なべ常に椅子を勧められた。
「三原よ。お前えには、前々から話があったよな?」
「ハア?」
「まア会社もよ、いろいろ大変な時だからな、中々話も進まなかったんだべとは思う。それにしてもよ、俺も何だかんだ心配はしてだんだ……」
「ハア……」
「そんで……。お前えは、一体どうなんだ?」
「何が?」
「何がって、お前えの肛だ」
 妙に持って回った話し方をするなべ常の物言いに、いつもながら正造は苛々した。
「ンだから小頭よ。何の肛だや?」
「決まってるべ! お前えにその気があるんだら、俺が口利いでやってもいいっていう事よ!」
「小頭。もっとハッキリ喋ってけれでや。俺ラに何を聞きてえのセ?……」
「ン?……。イヤ、もしかしてお前えが、岩田から離れで一本立ちしてえど思ってるんだら、俺が話をつけでやってもいいっちゅう事よ……」
 やっと話の本筋が見えてきた。だがそれが分かった途端、正造のつむじがそっぽを向いた。
 正造には槌組を預かった経験はもちろんない。従って小頭や社員に付け届けや賽銭を納めた事もない。しかし二十七年の制度改革以来かなり減ったとは言え、小頭連に油を引く悪習がまったくなくなった訳ではない。むしろ表向きできなくなった分却って巧妙に裏取引が行われ、条件の良い現場獲得に鎬を削るようになったとさえ言われていた。
 一級小頭のなべ常はその点でもやり手の一級だと噂されている。 彼ならばやっているだろうと誰もが思う。だが実際には双方とも文字通り闇取引の出来事だけに、腕の悪い連中の妬みか当て推量でないとも言えないのだ。
 こんな風に持ちかけてゆくのかと、正造はなべ常の見え透いた魂胆に虫酸が走った。このまま返事もしないで背を向ける自分の姿を一瞬思い浮かべた。口を利いたらとんでもない言葉が飛び出てきそうな気がした。だがかろうじて思い止まった。
 お前の出方次第でと恩を売り、幾らかの冥加金をせしめようとするやり口は、御一新前の木っ端役人さながらで、立場を利用した小狡さが剥き出しに出ている。
「小頭よ。俺ラはそした話なんも急いでねえ! ムリして稲組割る気も、出る気も今のどこまったくねえんだや!」
 なべ常の顔にチラリと狼狽の色が走った。
「……そうか、一本立ちする気はねえって事か。だが三原よ。お前え、今なんぼ取ってる? 七、八〇銭がいいどこだべ。もしお前えが頭になれば、一円の上はいくんでねえのか? どっちが得だかは考えるまでもねえべ。まアお前えの肛次第っちゅう事だがな……」
 同じ事でも話してくれたのがなべ常でなかったら、あるいは黙って頭を下げたかも知れない。だが人間の相性というものは理屈ではないようだ。相手次第でその言葉がすんなりとは耳に届かない事もある。
「この話、岩田の親父はなんて喋ってらべ?」
「イヤ、まだ岩田には話してねえ。お前えの返事次第っちゅうとこよ。まア長年組んだお前えからは言いにくいべ。ンでも俺に任せれば、岩田にグウの音も吐かせねえ!」
 この一言で正造の何かが切れてしまった。
「折角だども小頭、俺ラこの話に乗る気はねえじゃ! いい返事できねくて悪かったども、まンズなかった事にしてけさい。だバ、これで……」
「待て、三原! 気の早え野郎だ。お前え、俺に恥かかせる気か? ガキの使いであるめえし、三原に話しました。断られましたって、どの面下げて返事するんだ!」
 やっぱりなべ常の計らいから出た話ではなかったのだ。誰に対してもお世辞一つ言った事のない自分に、突然こんな話が出てくるのさえ不思議な気がしていた。だがもしなべ常などを介さずに直接話がきていたら、という気はチラリとしないでもなかったが、今更引き受けられる事ではない。
「ンだバ小頭、どこサでも連れでってけれ! 俺ラからじかに断らへでもらうから……」
 噴き上がってきた流れはもはや止めようがない。正造は勢いよく席を立ってなべ常を促した。
 慌てて立ったなべ常が怒鳴った。
「馬鹿野郎! そんな事しなくてもいい! 上のほうには後で俺から話して置く。そんな威勢で喧嘩売りに行くみでえな断り方されたら、たまったもんでねえ。こっちの顔が丸潰れになる。まったくお前えみでえな野郎は初めてだ。いいから今日のところはこのまま帰れ!」
 一皮剥けばならず者同然の口を利くなべ常は、事実そうした連中との付き合いもあるらしい。
 数年前に移住民長屋から街へ下がって小料理屋を開き、時折は賭場も開帳している簗田郡太郎の所へも、チョクチョク出入りしているとは聞いていた。
 簗田は一番坑で支柱夫をしていた事があり、確か正造より少し年下の筈である。ほんの二、三年坑夫をしただけでどういう金づるがあったのか、サルナイ三区に新玉亭という料理屋を女房にやらせていた。だがそれは表向きの看板で、裏ではご法度の博奕渡世をしており、縄張りを巡って北海楼の越後常一家といざこざが絶えない話は、ヤマでもかなり知られていた。
 手遊びや稼業の連中などにまったく縁のない人々の間にも、性悪で評判の中村兄弟とかいうやくざ者が街にやって来て、越後常の跡目を継いだとか奪ったとかいう話は伝わっていた。それを快く思わない簗田兄弟との間で時々切った張ったの騒ぎが起き、いずれ穏やかには済むまいとの生臭い話も飛んでいた。
 そんな連中と付き合うなべ常は、それを心得て簗田の影をチラつかせ、坑夫たちを威しているのではないかと思われる節がある。叩き上げの小頭の中には、本当に仕事のできる者や頭のいい者もたくさんいた。だが実力不明だが要領は抜群にいい者や、虎の威を背に坑夫たちに君臨している者もあった。なべ常も恐らくそんな中の一人に違いない。
 むかついてくる思いをこらえて正造は坑口事務所を後にした。ムダな時を過ごした事に腹は立ったが、少し積もりだした雪道を帰るうちいつしか興奮も醒めていった。
 川原が帰って来たのはそれから四、五日してからであった。正造が仕事から帰って来るのを見計らったように、一人で姿を現した。
「正さん! 姐さん! すっかり遅くなってしまって、申し訳ねえッス。さっき帰って来たどこであったス。ホントにいろいろありがとさんでした!」
「なに他人行儀だごと喋ってるンだ。まンズよく帰って来たなア……。お前え、あっぱやめらしは何とした?」
 それが一番気になる事であった。
「ハイ。まンズ、何とか……」
 その割りにあまり嬉しそうな顔もしていない。恐らく照れているのだろうと思った。
「そうかや、一緒に来たか! いがったなア。ウン、そのうちにみんなで俺ラ家さ来いでや」
「川原さん。ホントによかった事!」
 男同士の話に滅多に口出ししないふさが、思わず洩らしたのもよほど嬉しかったのであろう。
「ハイ。なんもかんも正さんや姐さんのお蔭でなッス。そのうち必ずみんなバ連れで来るス。だどもそした事より……」
 言いながら紙包みを出して正造の手に渡した。
「何だ?……」
「正さん。オラ、なんも知らねえで受け取ったども、開けで見だらまンズ、はした金でねえんでどてんしたのセ。あったにたくさんだバ、どうしてももらう訳にはいかねえス!」
 思いがけず律儀な男である。
「川! バカだ事いうなや。これがらハア一戸構えるでバ、なんぼ金あったって足りるもんでねえ。いいがら黙って使え。俺ラだの気持ちだでや!」
「ンでも正さん。オラはなんぼ正さんの世話になってるかわがんねえのに、この上あったな大金もらったバ、バチ当たってしまうス」
 川原は真剣な顔つきで紙包みを押し返した。と突然ふさが口を開いた。
「川原さん。生意気ダ事喋るようだども、聞いでやってたンセ。実は……その金、始めから娘さんに、と思って包んだつもりであったンス……。すずちゃんて言ったネハ? どンぞそのすずちゃんのために使ってたンセ」
「えッ、すずの?……」
 川原は思いがけない事を聞いたように目を見張った。
「ハイ。オラだちおなごには、子供の事だバ何としても他人事だど思えねえのス。確かすずちゃんは、オラ家のゆきより三つぐらい上って話でねかったのセ。セバ、もう尋常科サ上がるどこでないの? どンぞ、すずちゃんの学校の支度サでも使ってけさい。ンで、そ のうちゆきの友達になってやってたンセ!」
 正造はびっくりした。人前でこんなに喋ったふさを見た事がない。
 川原も思いがけないふさの言葉に暫く考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「セバ姐さん! なんぼ考えでも虫のいい話だども、オラ家のすずのために、ホントにこの金使わへでもらってもいいんだべか?」
「どンぞ、そうしてけさい」
 紙包みを押し戴くようにして川原は帰って行った。だがふさは川原の物言いや表情に何か引っ掛かるものを感じた。心の負担の一つを下ろした筈の今、少しぐらいは前より吹っ切れた顔をしてもいいのではと思った。にも拘わらず、帰郷を伝えに来た時よりも却って暗い顔に見えたのだ。
 ふさにはそれが気になった。覚悟をした事とは言え急に増えた家族を抱え、これからの暮らしが気になっているのでもあろうか。もしそうならばできる限り手を貸してやらねばと思ったりした。
 出発前川原が訪ねて来て一切を告白した時、聞いていたふさは男の身勝手とひどい仕打ちに本気で腹を立てた。何の落ち度もない家族をそこまで裏切った川原には、どんな罰が与えられても仕方がないと思った。
 三年余りの間にもしかしたら娘を連れて誰かと再縁したかも知れないし、あるいは育てられなくて子供はよそにやったかも知れない。だがたとえどんな事になっていようとも、川原にはそれを責める資格など何一つもない筈だ。
 そう思う一方で、川原の女房は彼の帰りをひたすら待っていそうな気もしていた。根拠などありはしないがもし自分であったならば、正造にハッキリと離縁を告げられるまでは待つかも知れないと思ったからだ。自分の勘が当たっている事を願い、その時は家族のために役立つぐらいの額をと思って、正造の稼ぎの七、八日分に当たる五円の餞別を包んだのだ。
 金額の多少で出した人の心のうちを推し量るのはきわめて難しい。複雑にからみ合う他人の胸の中など判る筈がないからだ。しかしその額で、思いを伝えるしか方法のない事もある。
 ふさは正造の意を察し更に自分の思い入れを込めた餞別が、本当に役立ってくれそうな成り行きに内心ホッとするものを感じていた。

 じわじわと日を追うごとに厳しくなってくる冷え込みと共に、ふと気付いてみれば去年に比べてかなり物の値段が上がっていた。年の瀬が近づけばどうしても買い物が増えてくる。その時になってやけに出銭が多くなっている事に人々は首を傾げた。稼ぎ高は去年とほとんど変わっていないのにである。
 きまった物しか買わない毎日の暮らしでは中々気付きにくかった。だが年に一度だけ買い換える物の値段が、ざっと胸算用していたのとかなり差があるのだ。中には去年より二割以上も値上がりしているものさえある。
 滅多な事で女たちの愚痴などを話題にしたりしない男どもの間でも、この頃ではそんな噂が口の端に上る事もあった。
「三原よ、ちょっと待ででや。たまには俺らと一緒に帰ってもいかべ?」
 若い者と連れ立って帰る事の多い正造に、珍しくわった源が声をかけてきた。
 仕事では結構素早い動きをするわった源だが、短い首と分厚い胸をデンと乗せた腰から下は少々がに股気味であり、歩くのは決して早いほうではない。そのせいか若い連中とは歩調の合わないところがあり、何となく同行を敬遠される理由かも知れなかった。
 呼び止めた割りにわった源は大して話もしない。彼の歩き方に合わせているうちに、正造は次第に体が冷えてきた。
「正造さん。おしまいなさいましたか?」
 後ろから大きな声が聞こえた。振り返るまでもなくこの挨拶は坂本以外にいない。やア、と軽く会釈して見送るとわった源が訊いた。
「坂本か。あれは二斜坑の留め付け(支柱)だったなや?」
「ンだ。俺ラ家の隣だや」
 何故かわった源の話がそこで途切れた。
「……三原。お前え、留め付けやって見る気ねえかや?」
 突然わった源が言った。正造は驚いて立ち止まった。
「ン? 何でだ。おどよ!……」
「イヤ、何でっちゅう事もねえんだども……。まンズ、お前えぐらいの腕持ってれば、炭掘りでなしに、留め付けで稼いだほうが金になるんでねえかって思ったのよ」
「炭掘りだバ、俺ラには向かねえっちゅう事か?」
「違う、違う! 俺はそしたつもりで喋ったんでねえんだや」
「ンだバ、何で急にそった事いうのセ?」
「まンズ、悪くとるなでや。俺はよ、お前えど組んでればそりゃア助かるでや。何やらしたバってお前えの腕は大したものセ。けーはく(おべっか)喋ってるんでねえ。誰が見だっておんなじだべ。お前えはな、いつあだま(頭)になって後山の三人五人預かったって、立派にやっていける。そりゃアもう保証付きだや!」
「もういいっておどよ。一体俺ラサ何言いたいんだや?」
「ウン……。あのな三原よ。お前え、俺サ何ンもじぎ(遠慮)さねえで組割ってもいいんだど……。俺ア、お前えがいつ相談かけでくるか、ずっと待ってらんだ。ンだって、お前えはどこサ出したって一級の立派だ先山だもや!」
 そういうとわった源は、大きな肉厚の掌に力を込めてバンとばかりに正造の肩を叩いた。
「おど!……」
「三原。俺ア、お前えバ追い出したくてこった事喋るンでねえど! これだけは間違うなじゃ。ンだども、人間独り立ちできる時にさねバダメだ。いいか。肝心な潮時ねがし(逃がし)たら、又いつくるかわがんねえもんだ!」
 わった源の言葉の蔭に、誰とも知れぬ人の影を感じない訳にはいかない。だがたとえそうであったとしても、彼は心にもない事を言える男ではない。正造は誰よりもそれをよく知っていた。それだけにわった源の善意が痛いほど身に沁みる。
「おど、分かった! いつか俺ラにそした話がきたら本気で考える。それまではよ、今まで通りよろしく頼むでや……」
「おうおう、こっつこそだ。まンズ、わったったど稼ぐ事にすべえよ」
 厄介な話を何とか伝え終えた事にホッとしたらしいわった源に、いつもの口癖が戻ってきた。正造もいつかやってくるに違いない組分けの話が、こんなにもアッサリ済んだ事にやはりホッとした。
 後山の独立を喜ばない先山もいるし、その実力もないのに組分けを急ぎたがる後山もいる。しかしそのどちらにもその後の稼ぎがかかってくるだけに、表向きはともかくどうしても欲得抜きにはなりにくい。結局はあご別れの一杯でまさかりの飛ぶような騒ぎになってしまう。
 だがわった源ほどの腕ならば、槌組の顔ぶれが変わったとしても稼ぎが落ちる心配はまずない。その上サッパリした気性の持ち主だったから、欲にからんだいざこざを起こしたりはしないと思う。とは言えいざその場に臨んでみなければ分からない事でもあった。
 今夜の一杯は一段とハカいって、又嬶に文句言われる、と言いながらも上機嫌のわった源と別れた後、フッと正造の頭をかすめた事があった。
 わった源にこの話をさせるよう仕向けたのは一体誰なのか。まさか喧嘩別れしたなべ常ではあるまい。ではと、友子の元老で大先山の原田の顔がチラッと浮かんだ。だがそれほど肩入れしてくれるかどうかは自信がなかった。見えそうで見えない人物の存在が気になってきた。
 もう一つ思い出した事がある。先ほどわった源は、留め付けでもやって見ないかと突然言った。あれは何だったのだろう。組分けに採炭ではなく何故支柱を持ち出したのだろう。偶然出会った坂本の姿を見てにわかに思いついた事なのであろうか。
 支柱に自信がない訳ではないが、それを専門にやりたいと思った事もないし、もちろんそんな話を口にした事もない。
 採炭は出来高払いの請負仕事である。石炭を何車とか何トン掘り出したかで稼ぎが決まってくる。出来高はもちろん腕にもよるのは 当然だが、切羽の条件によっても大きく左右される。掘りやすい切羽もあれば硬くて掘りにくく成績の上がらない現場もある。条件による単価のさじ加減はあるにしても、掘った分しか賃金は支払われない。
 支柱も何枚(何枠)留めをつけたかの数量が基準になる請負作業だ。従って腕の良し悪しがそのまま稼ぎに出るという点では、採炭よりもっと厳しい部分もある。それだけに経験だけでは得られない創意や工夫が必要とされる仕事とも言える。
 この当時の炭砿では、採炭より支柱や掘進のほうが大体において稼ぎが良かった。ただ技能が必要となるだけに誰でもがやれる仕事ではない。従って、条件のいい切羽に当たれば手荒く稼げる採炭に比べ、地味な職人仕事である支柱はどうしても人気がなかった。

 今年も終わりが近づいてきた。役に従って友子の大集会の準備をしなければならない。段取りや打合せに頭役の長屋を回った後、久しぶりに北川を訪ねた。先客があった。名前は知らないが顔に見覚えがある。多分同じ一番坑に入っている若者だろうと思った。正造を見ると若者は座り直して会釈した。
「おう三原か。珍しいな」
「うん。大集会の世話で、あっちこっちサ回ったついでだや」
「これ、鉄だ……」
 ア、と思った。あの大崩落の取り明け後、北川がわが身の衰弱を押して探し回った後山の市川とはこの男だったのか。だが近々と見るのはその日が初めてであった。
 どう見ても採炭の後山のような力仕事には向きそうもない華奢な若者である。それだけに荒っぽい男たちの中では逆に目立ってしまいそうな気はした。
「あア、あん時のか…….」
「市川鉄次です。北川さんからは、三原さんの話よく聞かされています。その節は大変ご心配をかけて、申し訳ありませんでした」
 膝を揃え直すと歯切れよく挨拶をし丁寧に頭を下げた。
 散々探したら一番先に出坑していた事を知り、訳もなくカッとなったあの日以来、会った事もない市川に対しいい感じを持っていなかった。だが会って見れば、勝手な思い込みとは些か違うさっぱりした感じの男で、何となく肩透かしを食った気がした。
「それじゃ北川さん。俺はこれで……」
 正造への心遣いか持っていた新聞を北川に渡すと、会釈しながら出て行った。
 北川の話によると、市川は石川飯場の上になる移住民長屋に母親と住んでいるという。歯切れのいい言葉も道理で、一、二年前に東京からやって来たのだそうだ。年が明けたら東京からやって来る幼馴染みの娘と所帯を持つ事になっているとか。
「その娘と祝言する時、俺にもハア出てけれっていうのよ」
 北川は困ったように言ったが、しかしそれを楽しみにしているようにも見える。
「お前え、他人事でなかべ。自分の事バ何とかせいでや」
「俺ラの事はいいんだ……。それよりなんか用事あったのな?」
 話をはぐらかして北川が向き直った。
「イヤ、特別大した用事でもねえンだども……」
 暮れも近づいてきたので、今年もわが家で年越ししないかと誘いに来たと告げた。
 実はその外に、もう一つ佳代子やとくの様子をそれとなく見てみたい気もあった。だがそれは北川に直接関係のある事ではない。先ほど食堂を通り抜ける時流し場を見たが、二人の姿はなく見慣れない女が二、三人いただけであった。
 佳代子があの日以来一度もわが家に来てない事は北川に話していない。そればかりではなく、二人の仲がもっと何とかなってくれるよう秘かに願っていながら、北川に少し秘密を持ちすぎた気がしていた。適当な時を選んでさり気なく伝えておかなかった事を、この頃になって悔やんでもいる正造であった。
「そう言えば、この頃ゆきの顔も暫く見でねえな。ンだバ今年もハア厄介になって、ゆきに遊んでもらうかや」
「そうせいでや。ところで、佳代ちゃんやとくさんの顔バずっと見でねえども、元気かや?」
「あア、元気だ。なんも変わった事はねえみでえだや。あア、そう言えば今日は二人ともいねえど」
「ン?……」
「ホラ、三区の波口っちゅう呉服屋の名前聞いだ事ねえか? とくさんがここサ来る時世話になった人でねがったか? 何でもその人のお内儀さんが死んで、今晩通夜だって聞いだ。石川の親父と三人で、明るいうちに出掛けだんでねえのかや」
 そう言えばたしかとくの身の上話に波口の名があった。石川に頼まれて探していた賄いとしてとくを迎えに来たのが、旅館時代の常連客波口であったとか聞いた。三区のその店は間口の狭い小さな店で、呉服というより古着のほうが主な商いのようだ。
「暮れが近えのにじゃんぼん(葬式)だバ、大変だなや。そうか二人ともいねえのかや……」
「二人サ何か用事でもあったンだバ、後で俺ラから話して置くども……」
「イヤ、別に何の用事もある訳でねえ。ただ暫くぶりだハデ、ちょこっと挨拶していくかなと思っただけだや」
 言いながら正造も立った。その時先ほど市川が置いていった新聞が目に入った。普段見慣れた「北毎」と紙面の体裁がどこか違うように思った。
「見だ事ねえ新聞だな?」
「ウンこれか? 東京から送ってくる新聞らしいんだども、鉄が時たまこうやって俺ラどこサ持って来るんだや。見るんだバ、持ってってもいいど……」
 無造作に拾い上げてよこした新聞だが、ほとんど紙面の上段の巾いっぱいに横書きの草書体で『労働世界』と書いてある。初めて目にする新聞だ。大体新聞名などは楷書か凝っても隷書体で書くもののように思っていたが、逆らうような草書体が変に目を惹いた。
「あいつが取って読んでるのかや?」
「知らねえ。ンだ、前に持って来たのもあるから、みんな持って行けでや……」
 数部束ねて行李の下から引っ張り出した。この頃ではどんなに忙しくても丹念に新聞を読む習慣のついた正造は、何となく受け取り飯場の玄関に向かった。
 ちょうどそこへ世話役の石川が帰って来た。
「ア、親父さん、お晩でなス」
「おう正造か。暫くだな」
 着た切り雀の坑夫と違って、羽織った二重まわしや襟巻きも身についてさすがの貫禄だったが、一言受け答えるとすぐ奥に入って行った。その後へ一足遅れてとくと佳代子が入って来た。
「アラ、三原さん。久しぶりですね。ご無沙汰ばっかりで申し訳ありません」
 とくが挨拶すると佳代子も無言で頭を下げた。六月のあの日以来一度も顔を合わせてはいない。正造には本当に偶然であったが、佳代子にとってはどうだったのかは分からない。しかし何故か目を伏せたままであった。
「イヤこっちこそ。今聞いたどもお通夜であったって?……」
「そうなの。波口さんのお内儀さんは、日頃から体の丈夫な人ではなかったんだけど、こんなに急とはね……」
 その夜のとくは普段見慣れている後家ばあさんとのとくとはまったく違う人のように見えた。着物を替え髪を撫でつけただけなのに、四〇半ばすぎとはとうてい見えなかった。逆に佳代子のほうは、二〇才とは思えないほど落ち着いて見えたのも、やはり着る物のせいだったのかも知れない。
「正月には、ぜひ又俺ラ家サ来てけさい」
「ええ、有り難うございます。ふささんにもよろしく言って下さいな」
 一言二言の挨拶ぐらいでは何があろうとも心の中まで見える筈などない。それにしても終始無言で声すら出そうとしない佳代子は、どう考えても異常な気がした。
 あの日川原がもたらした吉川の消息を佳代子は否定も肯定もしなかった。だがそれ以後ふっつりと来なくなったとすれば、どうしてもあの日の事が無関係とは思えなくなる。
「だバ、これで……」
 言いつつ後ろにいた北川と、前の二人に軽く手を上げた。その時佳代子の視線は、正造の肩越しに北川へ向けられているのを見たような気がした。だがしかしただそれだけの事であった。
 数カ月ぶりに飯場を訪れた正造は、もっと二人が目にみえて間を詰めているか、それを感じさせる何かを期待していた。だがこれといって特別進展を窺わせない二人の印象に、ひどくガッカリした。
 大崩落の取り明け最中、疲れ切った仮睡の夢に現れた苦しげな北川の表情と、今にも泣き出しそうな佳代子の顔は何だったのだろう。奇禍に遭遇し生命の危険に追い込まれた事を知った時、初めて互いを呼び合う必死な祈りが、自分を奮い立たせたのではなかったのか。正造は今の今までそう信じていたような気がする。だが目の前の二人にそれを思わせるものなど何一つ見当たらないのだ。して見ればあれは極限の疲労に引き出された一瞬の悪夢か、あるいは正造の独りよがりな錯覚でもあったのか。男と女の間などはおよそ他人の窺い知れない領域だったにしても、とりわけ若い女の心の中を覗くなどは、俺の柄ではないと更めて思い知らされた。
 もうカチカチに踏み固められた雪の坂道を下り、しぐれ橋を渡りながら正造は去年の今頃を思い出した。
 父親の一周忌直前で、友子の大集会の帰りだった。月明かりの下でチラッと見かけた若い女が、思えば佳代子に出会った最初であった。それがいつの間にか彼女の過去にまで関わろうとしている。いいにせよ悪いにせよ人の付き合いの難しさを覚え、思わずため息を 洩らしてしまった。

 正造のせいではないが今年は友子の会員が減る事は確実だった。修行中の坑夫の移動は三年間御法度と決められていても昔ほどに足止めが利かず、若い者がバタバタとこのヤマを去って行った。その分頭役や元老から正造らに圧力はかかったが、会社の景気を睨んだ 坑夫の動きは抑えようがなかった。
 去年一緒に推されて新大工世話人の補佐を引き受けた西野と、何度も各所の飯場回りをした。だが弾みのついた退山の足が鈍ったのは、例年の事ながら季節のせいで止むなく足止めを余儀なくされる雪を見てからの事であった。
 坑夫の移動が物語るように世の中の景気は決して良くない。凶作とは言えないまでも不作の年であったし、鰊漁も平年をはるかに下回った。道内各地での水害は今年も頻発した。そのため内地からの移住者が激減した。それなのに物価はじりじりと上がっている。 そんな世の中をどうこう言えるほど知識がある訳はないが、このところ内地のほうに、これまでとは違う波が起きつつある事を正造は感じだした。それは一昨年あたりから急に増え始めた労働争議の 経緯が、一揆や打ち壊しの時代とは違う新しい方向を示しつつあるように思えたからだ。しかもその先頭を切る者たちが、職工やその仲間うちから出ているという事を知ったからだ。
 去年二月福島や仙台から起きた日本鉄道機関方(かた)の三日間にわたる同盟罷業は、火夫、機関方の大勝利に終わった。その争議の中心となった人物や指導者も同じ仲間と知って目を瞠った。
 京浜地帯に散らばる同業職種を結ぶ組合の先頭に立つ人々も、そのほとんどは無名の人だという。新聞は連日そうした争議やその指導者を悪者扱いに書き立てていたが、正造はその事を次第に腹立たしく感ずるようになってきた。
 何故なら再三新聞を賑わす土地や工場などの払い下げにからむ不正の一方は官吏だが、その相手は実業家、華族、大商人といった大金持ちか権力者である場合、相当キナ臭い煙が上がっていても連中が監獄にぶち込まれたという話は滅多に聞かない。だがそれに比べて自分たちの周りにいるような者たちの些細な犯罪は、目こぼしもなく咎められているような気がするのだ。
 そんな構図は今に始まった事ではないにしても、昔はそれを伝える新聞というものがなかった。ところがその新聞が初めは正義の味方として糾弾の狼煙を上げておきながら、いつしかその論調をぼやけさせてしまう。だがその一方で争議や学業などはまるで犯罪の如 くに書き立てる。
 そこが正造には腹立たしく思えてならない。もしかしたら永岡や南のような人間と知り合ったせいかも知れないと感ずる事はある。彼らの語る事全部を納得している訳ではないが、できもしない夢を語って周りを煙に巻く連中と同じに見た事は一度もない。第一そんな事を説き回っても直接には一銭の得にもならないのに、あれほど熱心になれる人間の存在を驚くと共に、彼らをそこまで駆り立てるものは一体何なのだろうとも思う。
 家族や親しい友人の前でならばいざ知らず、赤の他人を相手に堂々の弁論を張り、更に問いかけられる質問疑問に答えるなどとうてい自分にできる事ではない、と思っている。
 だが己の利害のためにしているとは思えぬこうした人々の言葉や行為を、あたかも不埒で非常識な言動の如くに非難の目を向ける世間や新聞に、不満や不信を感じ始めているのは事実であった。
 何一つぜいたくなどしていないのに食うのがやっとであり、機械や設備が少しずつ進んできた筈なのに、仕事は楽にならず依然として事故や災害が減らない。その上この頃になってハッキリ気付くのは、物の値段が上がりつつあるのに、稼ぎが下げられようとしている事などもそうであった。
 例年二月頃炭鉄の株主総会が終わった後、会社の代表である井上角五郎専務が新聞に談話を発表する。井上専務の名前はそれ以外にもよく新聞に登場する。それもその筈で帝国議会の代議士だった。しかも広島県から立って第一回から第六回まで連続当選を果している現役政治家なのだ。当時別に職業を持たない政治家が多い中で、実業家としての顔も持つ井上は珍しい存在であった。
 井上専務が新聞記者にぶち上げる談話は、いつもかなり威勢よく派手な事で知られている。今年の話でも石炭の需要は一段と伸び、遠くイギリスへも二五万トンの売約が成立し、更にその量は増えるであろうとまことに景気の良い話だった。だが社内に向かっては、 不景気不景気の念仏で厳しい態度をとり続けていたのだ。
 本気で調べればすぐ分かるような大ぼらを、何故大会社の代表たる人が新聞記者相手に吹きまくる必要があるのだろう。そうしなければならない訳でもあるのだろうかと正造は思う。一介の坑夫風情に解る事ではないが、肩書の多い人や会社というものがいかにも自分たちを欺いているように思えてならない。
 それでも炭鉄は株主に一割二分から一割五分の配当を決めたという発表であった。汗水流し命がけで働いている自分たちの手間を抑えるつもりならば、株主にも我慢してもらうというのが世の中の道理ではないかと思う。そんなもやもやした憤適を思いっきり何かに叩きつけて見たいと思った。
 それにしても今年はいろいろな事があった。何年分もの出来事や人に次々と出合い、振り回され悩んだりしたような気がする。だがそのどれにも何一つ納得のゆくけじめがついていないのだ。
 新しい年明治三十三年がもうすぐやってくるというのに、そのまま持ち越さなければならない荷物が意外と多い事に正造は苛立った。

 正月中は去年より来客が多かった。一番坑で働く仲間坑夫の外、友子関係、新大工の若者、長屋の住人に交じって、川原が女房のきわと娘すずを伴って新年の挨拶に来た。
 きわはふさより大分年上らしく亭主の川原とあまり年が違わないようだ。初対面というぎごちなさはあったろうが無口で地味な女だった。挨拶の口上もやっと聞こえるか聞こえないかの小さな声で、何故かおどおどとして落ち着かない印象があった。夫不在の三年余り相当につらい暮らしを強いられた暗い翳が、拭いようもなく身辺に漂っていた。
 その暗さは娘のすずにも見え隠れしているばかりでなく、確か七つか八つにはなる筈の体格さえなかった。痩せて目ばかりが大きく見える少女は、どちらかと言えば母親より父親似の面差しであった。そんな印象から言えば、いつか川原が話していた通り体は余り丈夫ではないのかも知れない。
 ゆきは近所に年の近い女の子がいなかったせいか、訪れたすずに強い関心を示したようだ。それと察したふさが声をかけた。
「ゆき。すずちゃんはお前より姉ちゃんだハッて、いろいろ教えでもらえばいい。ネ?」
 待っていたようにゆきは反応した。ゆきは躊躇うとか物怖じするという事がまったくない。
「一緒に外サ行ってもいい?」
「あア、ちょこっとだバね。川原さんいい?」
 ふさは川原に訊いた。
「あア。すずもここサ来たばりで、まンだ友だちもなんもねえンだハッて、よろしく頼みます。ゆきちゃん、仲良くしてやってけへ!」
 人見知りをしないゆきは、緊張と警戒で固い表情を崩さないすずに近寄るとサッと手を伸ばした。暫くはその手を見つめていたすずだが、やがておずおずと手を出した。
「いこう!」
 その手を引っ張って立ち上がらせたゆきは、まだ迷っている気配のすずを連れて表へ出て行った。
「ゆきちゃんは、元気でいいな……。」
 川原がその後ろ姿を見送りながら呟いた。
「あれはさんぱち(お転婆)だから……。すずちゃんは温順しくていいめらしだや」
「……すずも昔は今よりキパキパした子であったんだども、いつからかあアした暗い子になってしまって……。みんなオラが悪りいんだども……」
「まア川よ、いいんでねえかや。これからうんと可愛がってやれば……。さア一杯やれでや」
 ともすれば暗くなってゆきそうな川原に酒を勧めながら、何とか正月らしい気分にさせてやろうと話題を探した。
 それにしてもきわの態度は度を越えて卑屈であった。何か話を振り向けても、それに頷くというより一々お辞儀をしているようにも見え、それが変に鬱陶しくこちらの気を重くした。それもほとんど言葉らしい言葉も吐かず、口に籠もらせた返事のたびに首を上下させるだけだ。その目もほとんど相手を正視してはいない。
 気の毒なほど自分に自信が持てないか、あるいは深く殻に閉じこもっているとしか思えなかった。
「もうすっかり落ち着いたかや、川原のじゃじゃ(お内儀さん)よ?」
 正造はきわに話しかけてみた。
「ハア?……。イヤ、まだ何ンも……ハイ」
 直接声をかけられて見るも無残に狼狽えている。
「ここサ来てからなんぼ経ったべ?」
「……ハイ……。二月ぐらい……」
「そうかや。もう二月も経ったのな。まンズ、炭山ちゅうどこは大変だどこだども、慣れれば長屋も又これでいいどこもあるものセ。したども、何ンか困った事あったら、何でも俺ラ家のふさサ相談かけでけさい」
「ハ、ハイ」
 突然川原が語調を変えた。
「正さん! 実はすずの学校の事だんだども……」
 去年春から入学しなければならなかったのだが、何やかやの費用が出せなくてすずは入学していなかった。その事できわを責める事はもちろんできない。ただすずにはどうしても学校には行ってもらいたい。自分たちのような無学無筆には絶対したくない。従って一年遅れでも今年の春から行かせたいと思っているとの事であった。
「正さんや姐さんには、すずの事で大した心配かけでらのに、そした塩梅でまだ学校サやれねえでいるのしゃ。それがまンズ申し訳ねくて……」
「なに一年ぐらい遅れだってハア学校サ行げばいいんだや。何たってこれがらのわらしには、学問さへねばダメだ!」
 坑夫のガキになんで学問が要るんだ。まして女なんか、金の勘定さえできれば読み書きなんか必要ない、という者もいないではない。それほどではないが正造も、学問をする女は生意気で可愛気がなくなるという世間の言い方を信じていた。ところがわが娘ゆきの成長を目の当たりしているうちに考え方が変わってきた。
 生意気になるならないは身につけた学問をどう役立てるかによるのではあるまいか。持って生まれた賢さを磨いて更に勉強するならば、これは鬼に金棒であり女と言えどもバカにはできなくなる。
 ゆきもやがては誰かの嫁になり子を産み一家を成す事になる。世間では女房は男にとって半身上などと言ってはいるが、しっかり者でやり繰り上手でその上勉学に秀でた母親であったら半身上どころではない。亭主のためはともかく子供にとってそれ以上頼りになる後ろ楯はあるまい。
 そうなるためには女も教育をうけ学問をしたほうがいいし、その金を稼ぐのが父親の役目であってもいい筈だ。結局それは親のためばかりではなく、世の中のためになってゆくという気もする。
 親たるもの、子供が男であれ女であれ自分より賢く健やかに育ってほしいと願わぬ者はない。わが子が幼い頃、その将来に期待や夢を抱かぬ者はいない筈だ。
 正造がゆきの成長を見て、もしかしたらと考えるようになったのも親としては当たり前の事だった。
 その点三年余りもの間、親として果たすべき義務を怠った川原は、どんな事をしてでもその償いをしなければならない。だが初めて会ったきわとすずの印象が、ひどく暗い事に正造は何故か知れない不安を覚えた。それだけ川原が家族に与えた傷は大きかったとも言え、何となく気の重い先行きが感じられてくるのだった。
 どこへ行っていたのか暫くして戻って来たゆきとすずは仲良く手をつないでいた。ひいき目ではなく恐らくゆきの主導によるものだろうと思う。五つ六つの子の事だから意識的にしたとは思えない が、それがゆきの持って生まれた性格なのであろう。
 気のせいか来た時よりも、幾分表情を和ませてすずは両親と共に帰って行った。
 明治三十三年正月元旦は昨日と変わる特別な事は何も起きていない。だがこの日から、西暦一九〇〇年が始まり二〇世紀に入っていたのだ。
 ゆきとすずが初めて出会ったこの日がどんな意味を持っていたか、その時の二人にとうてい理解できる筈はない。まして新年の挨拶を兼ねて引き合わされた二人の付き合いが、これからどんな形で続いてゆくかなど、その場の誰もが予測できる事ではなかった。

 二日の昼前少し風も出てきて雪もよいの空になったが、トミがやって来て初売りになる市街地へ行こうとゆきを連れて行った。ゆきのいなくなった家の中は途端に静かになった。
 来客は多かったが新年の挨拶は門口の口上だけで済ます人も多かったし、長居の客も少なかったため結構ひまがあった。ふと思い出して、深れに北川からもらった新聞を手にして見た。
 普通の新聞の半分よりやや大きめぐらいのいわゆるタブロイド版である。明治三十一年十二月一日認可とあったが、正造の手にしたものは去年つまり三十二年の九月から十月頃のもので、月二回発行となっていた。一〇ページ建ての新聞をパラパラとめくって驚いた。最後のページは正造が見た事もない横文字で埋められていた。もちろんその外国語の部分に何が書かれているのか読める筈もないが、この新聞は外国人も読んでいるのかと思った。そのせいかどうかいつも読んでいる「北毎」などより文が難しいような気もした。
 ざっと読み流したぐらいでは意味の解らない内容もあったが、珍しさも手伝ったし何よりもひまがあった。二度三度と読み返しているうちに一つ目を惹かれる記事にぶつかった。
「労働組合期成会」は、東京馬車鉄道会社に働く駆者と車掌があまりにもひどい扱いを受けている事を知り、会社に提出する給料と待遇の改善及び勤務時間の短縮に関する趣意書を作成した。これを知った会社の言い分が何とも凄まじいものだったそうだ。
 期成会の如き団体に加入するならばするがいい。その代わり直ちに解雇する。駅者や車掌へのなり手はいくらでもある、と従業員を集めて訓示したという。
 ここから先は「萬朝報」の記事が転載されてその経緯を伝えていた。
 馬車鉄事件は会社の暴力によってもみ消された。しかし解雇された駆者と車掌の不満はそれで収まる筈もなく、遂に立って同盟会を 組織し会社に社則の改正を求め、従業員全員には檄を飛ばした。
――今や忍ぶべき秋に非ず怒るべきの時なり。泣くべきの秋に非ず憤るべきの時なり。真に決心すべきの秋なり――として会社へ要求する項目を掲げた。
 その項目を読んだ正造は驚きながらも首をひねった。

 一 勤務中誤って通行人を負傷させたり器物を破損した時は、
   会社が治療費損害の負担をする事
 一 勤務時間を一〇時間に短縮し、それ以上は一時間につき日給
   の一〇分の一を支給する事。
 一 勤務のため負傷した時は、休業中の給料はもちろん治療費も
   会社が負担する事。
 一 負傷により終身廃疾者となった場合はその程度によって救済
   する事。もし死に至った場合は会社が葬儀を営み、遺族には
   相当の手当てを支払う事。
 一 支給の馬具や器具は会社が修理又は新調する事。
 一 駅者を増員し、順番で週一回の休日を与える事。
 一 一日に一時間の食事時間を与える事。
 一 給料は一ヶ月六円以上一〇円以下の範囲で、月額で支給する
   事。

 このままスンナリ認められるとは到底思えない内容だった。要求がこんな形で出る以上現状がこれ以下なのは当然にしても、現場で働く者たちの扱いときたら、炭砿も馬車鉄もさして変わらないと思う部分もある。だがそう感ずる一方でこの要求の中身が、会社で騒ぐほど無理難題でも不当なものとも思えない。稼ぎ人の立場なら誰でもこのぐらいの事は望んで当たり前ではないかと思った。
 仕事の中身が判らないので単純に比較はできないが、賃金の額だけでいうと炭砿ならば最低に近い稼ぎではないか。それで長い時には一七、八時間も働かされるとあってはホントだろうかと思った。
 馬は一往復するとまぐさを与えられてゆっくりと食事できるが、駆者は馬具を外して馬の世話をすると僅か一〇分か一五分ほどしかないという。その間に飯も食わなければならないとすれば、正に馬以下の扱いであり、このヤマにそれほど苛酷な職場があったかどうかすぐには思いつかなかった。
 月に一七、八円以上稼いでいてもなお安いと感じている正造には信じられない話であった。
 記事の内容では、会社の経営者や株主は相応の利潤を上げていると書いてある。
 この「労働世界」は決して読みやすい新聞とは思えない。どちらかと言えば読みにくいほうであろう。だがこの馬車鉄争議を伝える記事の書き方からすれば、会社と従業員のどちらの肩を持っているのかは一目瞭然だ。その辺りが一般の新聞と違うような気がする。
 よく注意してみると正造が聞いた事もない外国の社会問題や労働事情などが載っている。その外に職工共働店なる文字があちこちにあり、その活動や今後の計画などを報じたりもしている。更にこの頃では「北毎」の紙面にもよく出てくる「社会主義」という特別の 欄があって、その考え方や外国での運動なども毎号続けて説明されているようだった。
 とは言え正造には何の事やら解らないところが多い新聞であった。だが体裁や内容が「北毎」とはまるで違うのが目新しく思えて、つい引き込まれて読んだのかも知れない。
 その時の正造には、この新聞が「労働組合期成会」の機関紙として発行されている事など知らなかったし、その会がどんな組織なのかもまったく知るところはなかった。だがこの「労働世界」を少し毛色の変わった新聞とは思ったが、読んでいて不快や反発を感じなかった。
 たった数部に目を通しただけにすぎないが、紙面のあちこちに労働者とか同盟罷工とか、組合あるいは職工共働店といった言葉が見られ、明らかに自分たちに読ませようとしている意図がある。ならばこの先も読んで見ようかという気になった。講読料は一部二銭五厘だが月二回発行で五銭、もし街の取次店で扱っていなければ、割合高くつく郵送料を入れて一五銭ぐらいかと胸算用してみた。
 このところの世の中や会社に対する不満や苛々が、決してこのヤマや北海道だけのものではないのをこの新聞は書いている。イヤ日本国内だけではなく世界中の国々が、使われる者と使う者の間におこる激しい対立で、次第に抜き差しならぬものとなる先行きを強く警告していたのかも知れない。
 客を待つ間の無聊は正造を思わぬ方向に誘う事となった。しかし 「北毎」のように芸者のお披露目や役者の消息、あるいは間男騒ぎやこそ泥御用のネタなどは一行もなく、堅苦しい記事ばかりのこの新聞に何で惹かれたのかその時にはよく解らなかった。ましてこの時このふとした思いつきが、自分たち家族の将来に深く関わってくるなど、正造自身まったく思いもしない事であった。

 さぶが姿を見せた。もう既にかなり酔っているようだ。
 堅苦しい挨拶は苦手な坑夫同士何をおいてもすぐ酒になる。ところがいつもであればのっけから出てくる冗談や軽口が今日は出てこない。何故かムッとした顔で盃を突き出した。
「正さん! 水臭くないかい? 俺には何でも話してくれると思ってたのに……」
「何だ? 何の話ださぶよ?」
 座るや否や突然切り出した言葉が詰問調である。正造は面食らった。しかも主語がないので何の事やらさっぱり分からない。
「おどが一番先なのはそりゃ分かるさ。したけどその次は俺でないのかい? イヤ今までだらそうだったよな正さん?」
「オイ、待ででやさぶよ。なに喋ってるンだかさっぱりわがんねえじゃ。まンズ一杯呑んで、それがらゆっくり説明せいでや」
 言われる通り一口湿したさぶが語り出した。
 さぶは例年の順序通りまずわった源の長屋に新年の挨拶に行った。そうでなくても休みとなれば朝から呑んでいるわった源だが、さぶの顔を見たらいっそう呑み方を早めておもむろに言った。
「さンぶ。正月だからお前えサ喋っておくども、今年は槌組入れ替えるえンたあんべえになるかもしンねえど!」
「何にッ! おど、それホントなのか?」
「ンだ。誰が出て、誰が残るかは俺ラにもわがんねえ。だども、三原が一本立ちする事だけは間違いねえ。今更いうのも何だども、あれはいい腕だ。もう立派な先山だでや!」
「正さんはその話知ってるンだべな、おどよ?」
 さぶは訊いてみた。正造には一度も聞いた事のない話だったからだ。
「大当番の原田の親父から俺ラサあった話だ。もちろん三原サも行ってるべよ。こないだ、俺ラからもあいつサは喋って置いだしな……」
 さぶは面白くなかった。誰よりも正造と気が合い、自ら弟分とも子分とも任じている俺に、一言の相談もなかった。知らずに湯呑みを取り上げる回数が多くなった。
「さぶ。その話間違いなく岩田のおどから聞いだんだな?」
 採炭切羽や坑夫の整理を図っている難しい時期である。たかが坑夫一人の組分けを巡って、本人の知らないところで話が進み根回しが行われていると聞かされても、釈然としないどころかどこか不気味でさえあった。
「さっき聞いたばりだも、間違う筈ねえよ。それより正さん、一本立ちの話はホントなのかい?」
 正造はともすれば混乱しそうになる思いをこらえて話し出した。
「イヤさぶよ。正直に喋るども、俺らにも何が何だかサッパリわがんねえ。ただこだな事はあった」
 ふさも台所に立ちながら二人の話に耳を傾けている気配がある。大体仕事がらみの話は滅多に家ではしない正造だ。女子供が聞いて面白い筈はないと思ったし、つらい危ないが日常なのを知られるのはもっと厭だった。しかし家に来た誰かが口にすれば、まさかふさを追い払う事はできない。
 正造はまずなべ常から持ちかけられた話だが、彼の見え透いた魂胆に腹を立てて断った事。次いでわった源との会話だが、いつかそうなる日のために気遣ってくれたものと今でも思っている事。それ以外にはどこからも何の話もなかった事をさぶにざっと話して聞かせた。
「さぶよ。もしかして俺ラサ正式に話があったんだバ、お前えや川に相談もさねえで決めだりする筈なかべ! 俺ラにはそった義理欠 きはできねえ。そした男に見えるかや?」
「……分かったよ正さん。正月早々おかしな事言って勘弁してけれ! 根がバカなもんだから、つい頭サ血イ上ってしまって……」
 そう言いながらさぶは思い出したようにつけ加えた。
「正さん。さっきのなべ常の話だけどよ。この話、やっぱり根本坑長から出てるんでないべか? どう考えたってなべ常の一存で決まる事でないベサ。野郎がなんぼやり手でもそこまでは力がないと思うんだ」
 もちろん正造もなべ常の力だけとは思っていなかったし、彼も相手が誰とは言わなかったが、それらしい口ぶりだった事は覚えてい る。だがもしさぶのいう通りだとしたら、何故坑長はなべ常に言わせようとしたのかが分からないのだ。
 更めてその時の事を詳しくさぶに話した。
「そうだよ正さん! 原田の親父は岩田のおどサ根回しして、正さんサ踏ん切りつけさせるつもりだったんでねえのか?」
「俺ラ、そんなに踏ん切り悪りいかや?」
 正造は自分がそんなにうじうじと迷う男に映っているとしたら心外であった。それと何であちこちと根回しする必要があるのかその 理由が分からない。
「イヤ、正さんがおどに気イ使って中々言い出さないんだべと思って、原田の親父がおどサ話したンでねえべか。だとしたら、原田の親父バそこまで動かせるっちゅうのは相当の偉いさんだど。何ってなべ常が口利いたぐらいで、尻上げるような安物でねえべよ原田のおやじは……」
「そうかも知ンねえなア……」
「そうだよ正さん! 根本坑長だよ。坑長しかいねえよ! そンだけ坑長に見込まれたっちゅう事でないかい正さん?」
「勝手に決めるなでや。 さぶ」
 さぶの推理は一直線だったが、正造の頭の中はそんな簡単に短絡するほどスッキリはしていない。もし仮にそうであったとしても、何のためにそこまでするのか見当がつかないのだ。
「イヤきっとそうだ。近いうちに必ず坑長から直々に話があると思う。そしたら正さん。俺も一緒に連れてってくれよな、頼むよ!」
「……お前え、岩田のおどが嫌いなのか?」
「ちがう、違う! そんな事でねえンだ。岩田のおどみでえなカラッとしたいい親父はいねえ。俺は自分の親父より好きなくらいだ。だけど、そのおどより俺は正さんと一緒に仕事してえ! イヤ仕事バ教えでもらいてえンだ!」
 酒のせいか思い切った事を目もそらさず言ってのけるさぶに、正造は何と返事をしたらいいのか迷った。第一まだ正式な話があった訳でもないのにそんな約束ができる筈はない。さりとてむげにも断れない真剣な態度であった。
「さぶよ。先の事は俺ラにもわがんねえ。だども何かあった時は必ずお前えサ相談かける。北川とお前えに断らねえで勝手な事は絶対さねえ! お前えは俺ラの大事ダ相棒だもセ!」
 流し前に立っていたふさの後ろ姿からフッと力が抜けたようだ。 正造の身辺にそんな動きが出ていた事などまったく知らされてはいないし、初めて耳にする話だったからだ。
「又来たでや。ゆきいるか?」
 噂をすれば影で、たった今その名前を口にしたばかりの北川がのっそり姿を現した。大晦日の夜は遅くまで一緒だったため、子供たちが中々寝なくて大騒ぎだった。そのせいでもないだろうが元旦には姿を見せなかった。
 いつも顔を見せる時は決まってゆきや秋夫の名前を口にしながら入って来る。恐らく照れ隠しなのだろうが、気付いてやっているのかどうかまでは分からない。
「アラ悪かったこと。喜八さんどこと一緒に市街サ下りで行って、今いないの……」
 ふさが気の毒そうに答えた。
「ゆきのやつ、年取りの晩約束したのになア……」
「正月早々から振られたか。可哀相によ……」
 正造が早速からかう。さぶも客が北川と知ってまずは新年の挨拶を交わしてから言った。
「北川さん。ゆきちゃんはもてるンだも、約束したら早く迎えに来ないバダメだよ。すぐ誰かに取られるンだから……」
 又膝を崩しながら北川を冷やかした。
「ンだなア、ゆきは人気者だからなや。ホントは出掛けに佳代ちゃんから頼まれて来たのセ。お前えに訊いで欲しいって。佳代ちゃん明日は休めるから、もしいかったら今晩ゆきバ泊まらしてもいいかどうかってよ……」
「まア、佳代ちゃんが……。ゆきは喜ぶべども、どしたらいい?」
 壁枚隣のトミの所以外に泊まらせた事などない。ふさは申し出を受けるかどうかを正造に訊いた。
「ウン……。とくさんもいるし、北川も傍にいるこったし……。ゆきが行くってったら一晩面倒見でもらうか。もう夜泣きするえんたわらしでもねえしな……」
「オウ、いかったいかった。これで俺ラの顔も立ったでや」
 柄にもなく北川はおどけて見せたが、ホントに嬉しそうだった。
「ところで北川さんよ……」
 さぶが急に真面目な表情になった。
「佳代ちゃんサ嫁の話が出てるって聞いてないかい?」
「嫁の話?……」
 正造夫婦のほうが驚いた。初耳である。だが訊かれた北川はさして驚いていない。
「うん。チラッとは聞いたども……」
 平然としたものだ。
「オイ、それいつ頃の話。大分進んでいるのかや?」
 正造は北川に訊いてみた。
「詳しい事はわがンねえ」
 北川の返事は素っ気なかったが、その後をさぶが続けた。
「ついこないだの事らしいのよ。何でも二区の金物屋山三(やまさん)の息子だっちゅう噂だ。話はよ、石川の親父バ通してとくさんどこサいってるんだとかって……」
 相変わらずの地獄耳だ。
「お前えは何でも詳しいなや……」
 正造が呆れてさぶの顔を見ると、彼はそれどころではないというように目を吊り上げた。
「山三の件だか何だか知らないが、野郎はとんでもねえ道楽者よ。去年だか一昨年だったか、どっかの娘サ手出しして腹ぼっけ(妊娠)にしたらしいんだ。散々親父に怒鳴りつけられたら家飛び出したんだとよ。したけどどこサ行くあてもなくて岩見沢の駅前ウロウロしてるどこバ、近所の爺様に見つかった揚げ句、新聞サまで書かれだただの種馬よ! どうせどっかで佳代ちゃんの器量バ見初めで、そっちこっち拝み倒して石川の親父バ動かしたに違いねえンだ!」
 さかりのついたふけ猫のような男どもに絶対佳代子を渡さない、と啖呵を切った時と同じさぶの表情であった。近頃はそれほど過激 な物言いをしなくなったと思っていたが、やはり諦めてなどいなかったのだ。
「それで佳代ちゃんは、その話バ承知したのかや?」
 誰にともなく正造が聞いた。それが一番の気掛かりであった。
「イヤ。一度は断ったんだども相手が諦めねえで、何回でも言ってくるってとくさん困ってだ」
 今度は北川が言った。
「何だ。知ってるンでねえかお前え……」
 正造がなじると、北川はのんびりと答えた。
「俺の知ってるのはそんなどこまでセ。相手が誰だか今さぶに聞いで初めて判ったどこだや」
「一回断られたら引っ込めればいいべや。男らしくねえ野郎だ! 親父が商売やってるからって札びらで口説く気なんだあン畜生! 行って一発ぶっ食らわしてやっか!」
 さぶは猛りに猛っている。佳代子への関心をまったく隠そうともせず、闘争心剥き出しにして吠えまくった。
「さぶ。バカだ事するんでねえど。お前えが騒ぎ起こせば、佳代ちゃんサ迷惑かかるんだや」
 佳代子のためならどんな無理難題でも引受けかねないこの二人は、それだけ彼女に一番近い位置にいるとも言える。正造にとってそれが又大いに困る事でもあった。
 佳代子ほどに美しい娘であれば、今までに縁談の一つや二つ起きて当然だ。一六、七で嫁にゆくのが珍しくはない当節佳代子はもう二〇才だ。浮いた噂はともかくとして男どもの熱い視線に囲まれて当然、それすらないとしたらそれこそ却って怪しむべきかも知れない。だがこの二人は、佳代子が現在最も信頼し心を許していると思われるにも関わらず、ある程度のところから先へは決して踏み込んでいかない。イヤ正造にはそう見えた。
 北川に限って言えば自ら佳代子への接近を避けているようでもある。早くにこの世を去った家族への義理立てや罪滅ぼしをそんな形で表そうとしているのか。
 それとももしかしたら友子の影響があるのかも知れない。
彼を一一の時から坑夫に仕込んだ親分の橋田源蔵は独り身だったが、女房を持たない代わりに子分を持ち、そいつに骨を拾ってもらうのだと常々言っていたそうだ。
 元々渡り坑夫は山例五十三ヶ条の巻物や、ヤマの吉凶を占い坑口をつける儀式や神事などを伝えるため常に身軽でなければダメで、足手まといを持たぬものと教えていた。それがしたくなければ、地(自)坑夫になって妻帯しやまに腰を下ろすものとされていた。
 己にも他人にも厳しく偏屈だった源蔵にそう言われ続けて坑夫になった北川には、今でもそれを頭のどこかに引っ掛けているのではないかと感じさせる事もある。
 江戸の昔と比べれば格段に鉱山技術が進んでいるのは間違いない。だが未だに坑夫稼業には危険がつきもので、どう考えても長生きしにくい仕事の一つだ。一瞬にして家族を不幸のどん底に突き落とす情景を、北川は何度も目撃してきた筈だ。その記憶が渡り坑夫として過ごしてきた彼を縛っていないとは言えない。
 更に彼は佳代子との年の差をかなり気にしている。根が真面目な男だけに不釣り合いを無視できないのだ。それでも佳代子が彼を他の男同様の扱いをしてきたならば、彼も高嶺の花を遠くから眺めるだけに止めていたに違いない。だがいつからかどうしてか佳代子に微妙な変化が現れている。
 それは正造夫婦にも感じられたし恐らく北川も気付いているものと思う。であれば何故目立って進展しないのか、その不可解さに苛々させられている正造であった。
 それに反してさぶが抱く佳代子への思いは単純明快しかも見事なほど直線的であった。
 今までこれほど美しい娘を見た事がない。口を利いてもらえるなら、親しくしてもらえるならどんな苦労も厭わない、という率直きわまりない思いから始まった。
 その思いが叶って近づきを得てからは嬉しさ余ってすっかり舞い上がり、揚げ句の果ては佳代子をわが手のみに独占したくなってきた。佳代子を他人の手に取られる事など考えたくもないのだ。しかしそれを直接彼女に告げるほどの勇気はない。下手な事を言って断られるのが何より恐いし、まして手を触れる事などとうていできないという矛盾した状態にあるようだ。
 さぶにとって佳代子は、至近距離にいながらも遥かに遠い存在と映っていたかも知れない。
 佳代子が気付いているかどうかは別として、正に噴火直前にある存在と言えばこのさぶであろう。それでも今佳代子が最も頼りにできる男を上げるならば、北川の次は恐らくこのさぶである事は間違いない。正造はたとえ不釣り合い身びいきと非難されようとも、彼女の相手には躊躇う事なく北川を上げるつもりだ。だがもしそれが叶わぬとなれば次にはさぶを、と本気で考える事もあった。
 しかし実のところ正造にはこうした事への経験はまったくない。渡り坑夫で各地を転々としていた頃、相手にするのは商売女にきまっていたから、おおよそは手練手管で惚れたはれたについぞ覚えのないままふさと所帯を持った。その事に何の悔いもないが、北川と 佳代子の間が一向に詰まっていかないのを見ても、どう手を貸してやればいいのか見当もつかないのが情けなかった。
「ところで三原よ。俺ラ昨日井上さんのどこサ新年の挨拶サ行ったのセ。そしたら、なんか変な事訊かれたんだや……」
 井上担当とは去年の大崩落の時、北川の頼みを聞いて三号切羽まで市川を探しに行ってくれた社員だ。なべ常らと違って本社採用の学士社員だが、どちらかと言えば目立たない温厚な人柄のようで、坑夫たちから何だかんだと陰口されるような存在ではなかった。
 非常の時とは言え世話になった北川は、キチンと新年の挨拶にも行ったのだろう。
 昨日のやり取りをこんな風に話した。
「北川と三原はよっぽど仲がいいんだな。あの崩落の時の三原の顔を見て分かったよ」
「ここサ来てすぐ知り合ったんだども、気も合うし国方もおんなじ秋田だハッて……」
「そうか。ところで妙な事を訊くようだが、三原は支柱の経験があるのかな?」
「ハア?……」
「イヤ、あの時の取り明けで見せた差矢や留め付けの思いつきは中々のものだった。坑長も感心しておったからね」
 その時の事を北川はもちろん見ていない。ただあれだけ凄まじく高落ちした大崩落を、一〇人以上の耳欠き組と競う形で取り明けを続け、しかも耳欠きより早く貫通させた話は岩田組の名を一躍有名にした。北川たち生き埋め組にただ一人の犠牲者も出なかったのは、岩田組の三原のお蔭だという者さえいたのは聞いていた。
 以来正造が試みた改良型差矢の支柱法を、三原式と呼ぶ支柱夫もいるとの事であった。
「そうであったスか。イヤ、あいつは腕もいいし仕事も熱心だハッて、何やらしてもまンズ間違いのねえ男です」
「ウン。そこなんだが、三原は採炭以外の仕事をどう思っておるだろうな?」
「ハア?……」
「イヤ。関心を持ってはおらんかな、という事なんだ」
「さア、俺には分からねえッス」
「そうか。イヤそうだろうな……」
 井上は更にこんな事を言ったそうだ。 崩落やガス爆発が起きるたびに思う事だが、採炭、掘進、運搬といった危険を伴う仕事は、なるべくならば人が手をかけずに機械や器具を使ってやれないものか。イヤきっと将来はそうなってゆくと思うし又そうならなければダメだ。しかしすべての仕事が機械任せでできるようになるとは思いにくい。どうしても人の手に頼らなければならない仕事も多くあると思う。そんな仕事は当然ながらかなりの年季や技術が必要で、誰にでもできるというものではない。更にそうした人間が常に新しいやり方を考えてゆく事が、これからの炭砿には求められてゆくだろう。
「変だなや……」
 聞き終わって正造は呟いた。先日わった源も確か支柱をやってみないかと言っていた。今聞けば井上担当も同じ事を言っていたようだ。どちらが先にしても単なる偶然だろうか。北川とさぶにその事を話してみた。
「判った、正さん!」
 突然さぶが大きな声を出した。いつの間にか座って男たちの話を聞いていたふさが、びっくりして顔を上げた。
「坑長は、正さんサ支柱やらしたいんだ! 組分けして支柱やらせるつもりなんだ。きっとそうだと思う!」
「三原。組分けの話まだ決まってねかったのな? だども何で留め付けなのセ。何で採炭でねえんだや?」
 さぶがわった源の家で聞いた話を北川は知るべくもない。だが北川には、正造の独立の話がまだハッキリしていなかった事のほうが意外であったようだ。その上、何で本職の炭掘りではなく留め付けなのか、その疑問は北川でなくても当然であろう。
「決まってるよ。あの大崩落で、本職の支柱ができなかったやり方バ考えだのは正さんだったんだも。坑長は三昼夜付きっ切りで正さんの仕事ぶりバ見でだんだ。俺が坑長でも、本式に支柱バやらせで見たいって思うさ!」
「そうかア。 さぶにそう言われてみればそうかも知れねえでや。ウン、なるほど……」
 北川はさぶの推理に納得している。だが正造にしてみればわが事なので、否定も肯定もできない面映ゆさを感じない訳にはいかない。
「さぶよ。そったに勝手に決めるなでや。まだ何一つまどまった話でねえんだハッて……」 正造はさぶを牽制した。だがさぶは待っていたように座り直した。
「正さん! 北川さんの前でもう回頼むけど、俺ア支柱でも何でもいい、正さんと組みたいんだ。この先どんな話になっても、それだけは忘れないでけれや。 この通り頼むよ!」
 これほど慕われて嬉しくない筈はないが、安請け合いできる性格ではない。
「今返事できる話でなかべさぶよ。なア北川、そう思わねえかや?」
「ン? まアそうだべどもなア。岩田のおど抜きで決められねえだって、ホントにその時がきたらっちゅう事でいいんでねえのかや」
 今朝方から暗くて重い空だったし時折うっすらと粉雪が舞ったりする模様だったが、気がついて見るといつの間にかかなりの雪になり、風まで加わって不気味なうなりが次第に高くなっていた。
 喜八夫婦に連れられて初売りの街へ行ったゆきの帰りが気になるのか、ふさは時々玄関の油障子を細めに開けては外の様子を窺って いる。そのたびに雪が吹き込んできて慌てて閉めていた。
「ふさちゃ。ゆきの帰り遅いなア……」
 気配を察した北川が声をかけた。ゆきの事になると親に劣らぬ気遣いをする北川の事だ。恐らく大分前から、長屋の前を通る酔っぱらいの高声さえ吹き消すような風の唸りを気にしていたのだろう。
 正造は読みさしの「労働世界」を手にして北川に訊いた。
「北川よ。お前え、あの新聞みんな読んだのかや?」
「ン? あアあれな。一通りは読んだども、あんまり面白い新聞でねえなや?」
「市川っちゅう奴は、どういう男なのセ?」
「どういう男って……。真面目ないい若えもンだ。結構学問もあるみでえだども、それ鼻サかけだりしねえし、頭も低い。ただ馬力はねえな。あの体格だもセ。事務所サでも使ってもらえばいいのに、嫌がって……」
「何でだ?」
「鉄は喋りたがらねえども、他人の噂だバ、鉄の母親と根本坑長は親戚だっちゅう話だ。その縁で東京からこのやまサ来たらしいども、何でだか鉄は、これ以上坑長の世話サなりたくねえって喋ってるンだと。だどもなア、俺ラから見れば坑内稼ぎはムリだど思うんだや」
「東京で何やってたのな?」
「詳しく聞いだ事はねえども、父親が商売サ失敗してからあっちこっちサ行ったらしい。その果てがこの炭砿だ。見掛けよりは苦労してるみでえだな」
「は?」
「亥年だって喋ってらから、なんぼだや?」
 話を聞いていたさぶが言った。

「なに亥? したら俺とおんなじだから二六よ。そうか鉄は俺より若いと思ってたが、結構年いってだんだな?」
「バカ。鉄がいってるちゅうんだバ、お前えだっておんなじだべ。他人の事言えるかや」
「ア、そうか。そういう事だよな」
 ふさも思わず釣り込まれて笑ってしまった。
 その時玄関の戸が開き、吹き込む雪と一緒に喜八とトミが入って来た。見ると喜八がしっかりとゆきを負ぶってトミが履物を抱いていた。夫婦とも着物の前が真っ白く雪まみれになっていたが、背中のゆきはあまり雪を被ってはいない。恐らくこの吹雪の中をゆきの 風除けに夫婦で心砕いてくれたのであろう。
「只今ア!」
 ゆきの元気な声に続けてトミが言った。
「ふさちゃん御免よ。心配したろう。まさかこんな吹雪になるなんて思わなくてさ」
「姐さん。ホントに世話かけで済まねえス。ゆき、なんていうの?」
「おじちゃん、おばちゃん。いっぱいありがとう」
 何かいろいろと買ってもらったらしく、ピョコンと頭を下げると、挨拶もなしに北川の膝に腰を下ろした。
「これはゆきの。これは秋の……」
 早速買ってもらった物の仕分けに夢中になっている。
「喜八っあん、悪かったなや。上がっていっぱいどうだい?」
 正造もふさもしきりに誘ったが喜八夫婦はそのまま帰って行った。
 暫くはゆきの独壇場になった。初売りの街がいかに混んで賑やかだったか、物売りや呼び込みの威勢のよい掛け声までそっくり真似てみんなを笑わせた。ゆきはホントに陽気な子であった。
 壁一重隔てただけの喜八とトミにも、大人の声色を仕分けるゆきの大熱演は聞こえている筈だ。恐らく二人は顔を見合せながら笑っていたに違いない。
 ふさが夕飯の支度に流し前に立った時、北川が遠慮がちに口を開いた。
「あのな、三原よ。こんな天気になってしまって言いにくいども、さっきの話、ゆきに訊いてもいいかや?」
「ン? あア、佳代ちゃんのとこサっちゅう話な……」
 佳代ちゃんという名前にゆきは耳聰く反応した。
「佳代ねえちゃん来るの?」
「イヤ。佳代ねえちゃんが、ゆきの来るのバ待ってるンだと。これから行けるかや?」
 正造が訊くとゆきの目が一瞬くるっと動いた。だが即答はなかった。家の中にいても聞こえてくる風の唸りが気になったのかも知れない。
「ゆきは俺ラが負ぶってく。ンでな、今晩は佳代ちゃんどこサ泊まるんだど。どンだやゆき?」
 今度は北川が急いで付け加えた。
「佳代ねえちゃんのとこに、泊まってもいいの? そしたらゆき、行くー!」
 泊まると聞いただけで歩いても行きそうな興奮だった。子供にとってよそに泊まるという事は未知への招待であり、ドキドキする期待もあるのだろう。裏のトミの家で遊んでいるうちに疲れて眠ってしまい、そのまま朝を迎えた秋夫の生まれた時とはまったく違う、と思ったかもしれない。
「北川さんよ。俺も一緒に行ってやるよ。この吹雪だものなんぼ近いからったって、ゆきちゃん負ぶって足元バ気にしてたら危ねえからさ。交代しながら行けば、正さんも姐さんも安心だべさ。そうだよな正さん?」
 正造は閃きのいいさぶの頭に感心した。ゆきが佳代子の所に泊まる事と吹雪になった空模様からパッと天啓を感じたのかも知れないが、さぶにとっては又とない好機であろう。長居はできないにしても立派な大義名分ができて、大威張りで佳代子の許を訪ねられる。
 正造はさぶの下心があまりに見え透いているのに呆れながら、笑いをこらえて頷いた。
 佳代子が支度している筈の夕飯に間に合わせるため、三人は大騒ぎしながら出て行った。外はもう吹き溜まりさえできるかなりの吹雪になっていた。
 この日一日の吹雪で、岩見沢を中心とする炭砿鉄道が不通になり、札樽間もたった一本の列車が走っただけで、正月の遠出を予定していた人々を大いにガッカリさせた。
 客も去り賑やかなゆきもいなくなった三原家は、秋夫だけでは炒に張り合いがなくなった。ふと気がついてみると隣の坂本から大勢の男たちの声が聞こえた。恐らく消防の連中なのだろう。
「ふささん。ちょっと子供たちを預かっておくれんやろか?」
 うめが鶴吉と義二を連れて駆け込んで来た。一時に大勢の客に押しかけられ、晩飯どころか子供たちの居場所さえなくなったという。
 ゆきがいなくなって何となく間の空いた思いをしていた正造とふさは、二つ返事で引き受けた。どうせ酒になれば遅くなるに違いない。そうなったら子供たちは泊めてもいいと請け合った。
 秋夫は年の近い義二に早速じゃれついていったが、鶴吉は落ち着かないように周りをキョロキョロと見回している。正造の存在が気になるようだ。ムリもない。この家には数え切れないほど来てはいても、相手はいつもふさとゆきと秋夫だけだ。朝早くて夜遅い正造と顔が合う事などほとんどない。正造がどんなに愛想のいい笑顔を見せても、そこにいるだけで雰囲気も情景も違って見えるのだろう。
 手持ち無沙汰にしている鶴吉に正造は訊いた。
「鶴はなんぼになった?」
 チラッと正造に視線を走らせたがすぐ又そらして答えた。
「正月きたから一〇になった」
「ホウ、そうかや。セバ、今何年生だ?」
「もうすぐ三年生になる……」
「そうか。今年三年生になるのか。早いもんだなや?」
 体はあまり大きいほうとは言えなかった。何かを言い終えるたびに口をへの字に引き結び眉を吊り上げるところなど、父親の角治にそっくりになってきた。
 義二のほうはゆきと三日違いの生まれでやっと六才になったばかりなので、まだ確かな事は言えないにしても、母親似の色白で細い目の感じはどことなくひ弱そうに見える。
「おばさん、ゆきは?」
 辺りを見回しながら鶴吉が訊いてきた。だがふさの説明を聞くと鶴吉はありありと不機嫌な表情になった。よほどゆきの不在が気に入らなかったのか、それっきり押し黙り何を聞いてもロクに返事もしなくなった。子供にしては可愛げのない態度で、正造まで何となく落ち着かない気分にさせられた。
「秋! それいじったらダメだよ。姉ちゃんが一番大事にしてるものだからね……」
 ふさの声で見ると、秋夫がゆきの筆記帳の入った袋を引っ張りだしている。
 まだ貴重品ともぜいたく品とも言われている鉛筆が二、三本と、綴じた紙の束などを入れた袋はふさが作ったものだ。三徳にでも似せたのか厚地の布を一針一針丹念に縫い上げた袋ものは、ゆきが最も気に入っているもので、その中身とともに秋夫には絶対に触らせない宝物であった。
 だからこそ姉の留守を狙って引っ張り出し、義二と一緒に悪戯書きを始めたのであろう。正造はそれを取り上げて秋夫を軽く睨んだ。秋夫は口をとんがらしたが泣きはしなかった。その様を黙ったまま鶴吉がじっと見ていた。やはり鉛筆が珍しいのだろうと正造は 思った。
 そうでなくても呑ンベえの多い坑夫たちだが、正月とあって腰を据えて呑んだのか、うめが子供たちを迎えに来た時はもうかなり遅く、二人ともぐっすりと寝入っていた。そのまま寝かせておけばと勧める正造夫婦に遠慮して、うめは寝ぼける鶴吉と義二を揺り起こして連れ帰った。
 外はまだ風が唸りを上げて雪を巻き、目も開けられないほどの烈しい吹雪であった。
 ところが一夜明けてみればいつの間にか風はピッタリと止んでおり、その静けさが却って不安を感じさせるような朝となった。あれほど日中暴れまわったいたずら者の去った後が、その痕跡にしては見事な風紋を描く雪となっている。気ままな風が美しい曲線と鋭い切り口を組み合わせて覆った辺りの風景は、昨日の朝とは違うまったく別な世界を作り上げていた。薄汚れた長屋でさえもシミ一つない純白にわれて陽に映え、キラキラと輝いていた。
 いつもであればとうにヤマは呼吸を始め、仕事に向かう人の姿が引きも切らぬ時間であった。だがさすがに正月三日の朝、起き出す人はもちろん道行く影もまばらでしかない。
 ゆきが大勢のお供を従えて帰って来たのはお昼頃で、その頃には道もかなり踏み固められて何とか通行に支障はなくなっていたよう
だ。 北川と佳代子それにとくも交じって、奇しくも半年ぶりに同じ顔ぶれが揃った。
 ゆきは矢継ぎ早に昨日からの報告である。初めての経験がよほど嬉しかったのか、間なしに喋り続けている。
 とくの話によると最初はとくと一緒に寝たが、いつの間にか佳代子の布団にもぐり込み、質問責めにして中々眠らなかったという。ふさも久しぶりの佳代子やとくを迎えて次第に陽気になり、大きな笑い声さえ立てるようになった。
 女たちが流し前でワイワイ昼飯の支度をしている時、正造は北川に訊いた。
「さぶの野郎、ゆんべどうしたや?」
「佳代ちゃんのどこサ行ったら、借りできた猫セ。ロクに口も利けねえのよ。したけど何と、しっかりゆきに喋らへたでや……」
「何の事だや?」
 飯場までゆきを負ぶって行ったのはさぶで、北川が途中で交代しようとしたがどうしても応じなかった。そして目も明けられない吹雪の中で、背中のゆきと何か大きな声で話しながら飯場にたどり着いた。
 さぶは佳代子やとくに労をねぎらわれながら、何故か普段とは打って変わって口数も少なく、ほんの一〇分余りいただけでそそくさと帰って行った。
 その後ろ姿が見えなくなって間もなくの事、突然ゆきが佳代子に向かって声を張り上げた。

「佳代ちゃん! やまさんのむすこはやめろ! あいつはダメだ! ぜったいこうかいする!」
 佳代子はもちろんとくも北川もびっくりした。
「えっ、ゆきちゃん。どういう事?」
 佳代子の問いにゆきはさぶとの約束を話したそうだ。これからいう通りの事を俺が帰った後で言ってくれ、と道々ゆきに頼んだという。風の音に切れ切れに聞こえたさぶの声はこれだったのかと北川は思った。
「ねえ、佳代ねえちゃん。やまさんのむすこって誰? こうかいってなんの事?」
 知りたがりのゆきの執拗な質問に、いつもであれば一々丁寧に答える佳代子も返事に窮し、代わってとくが助け船を出した。
「ゆきちゃん、大丈夫だよ。もうやめちゃったからね。今度さぶちゃんに会ったら、こう言ってよ。佳代子もとくさんも、こうかいしたくないからやめましたって。ついでにごしんぱいありがとう、って言って置いて……」
 始めは困ったような顔をしていた佳代子は次第に神妙な表情になり、やがてとくの言葉に頷きながらうっすらと目を潤ませていたという。
 一見鼻っ柱の強いさぶらしくないと言えば言えるが、何もかも佳代子への思いのせいなのであろう。その果てに考え出した一世一代の思いつきは、充分に佳代子へ通じたようであった。
「まったく、何考えてるンだかさぶの奴……」
 言いながらこみ上げてくる可笑しさに思わずニヤリとした。見ると北川も頷きながら笑っていた。
 半年ぶりの酒宴は賑やかに始まったが、やはり座の中心はゆきだ。いや大人たちの何とはない気まずさを和らげるのには、どうしてもゆきの存在が必要であった。
 いかなる理由があったにせよ、半年前後もこの家に姿を見せなかった佳代子にとっては、ゆきがいなかったら中々来る事などできなかったかも知れない。
 佳代子の足がフッツリ途絶えた訳について思い当たる事のない正造夫婦にとっても、正直なところその理由を知るまではどこか釈然としないものがある。
 とくだって、佳代子の頑な抵抗からその生い立ちを曖昧にしている後ろめたさがある筈だし、北川には自分の心に潜む葛藤を表現できない悩みがあるものと思われる。
 みんなそれぞれに抱えている思惑や心の揺れを忘れたように、ゆきの一挙一動に感心したり、生意気な言葉に顔を見合わせて笑ったりした。それはそれで無条件に楽しい一時でもあった。
 だが無垢なるが故に未知への好奇心と冒険心の塊となる子供は、時に峻烈きわまりない審判者となって隠された大人の秘密を暴こうとする。
 例によってとくや北川の盃に酒を注ぐ事が面白くてたまらないゆきは、口をつけると急いで一杯にしようとする。
「おう。ありがと、ありがとう」
 北川は一杯になった盃を持ち上げて片目をつぶって見せた。
「北川おじちゃん。ありがとうはサンキューだよ」
「何だ? そのさんきゅーって……」
 北川は訝しげに訊き返した。
「イギリス語だよ。お早うがグッドモーニングで、お晩ですがグッドエブニングだったよね、佳代ねえちゃん?」
「そうよ。 ゆきちゃん」
 佳代子が大きく頷いて微笑む。
「なんと。佳代ちゃんはそのイギリス語だかっちゅうものができるのかや?」
 正造は思わず反問した。そう言えばさぶが伝えた噂では、佳代子が札幌のスミス女学校にいたとか聞いた事がある。
「いいえ。私のはできるうちに入りません。幼い頃父から教わったのと、学校でほんの少し習っただけですから……」
 正造ふさはもちろん北川も、外国語を習ったなどという女と接したことはない。恥ずかしそうに答える佳代子という娘が益々解らなくなってきた。
「やっぱり佳代ちゃんのおどさんは、外国サ何回も行ったちゅう偉い官員さんだったんだねえ」
「前にも話したと思うけど……」
 とくがいっそう詳しく佳代子の生い立ちを話し出した。
 憲法発布や議会開設を前に太政官政府はヨーロッパに学ぶ事が無数にあり、英語やドイツ語のできる佳代子の父、飯島謙一郎も選ばれて派遣された。二度にわたる長期の渡欧で充分にその重責を果たし、将来の地位を約束されたかに見えた謙一郎は、ふとした風邪が 因で余病を併発しあっけなくこの世をさった。
 無残にも自らその基礎作りに身を挺した日本帝国憲法が発布された明治二十二年二月十一日、東京市中が奉祝行事に興奮して万歳を叫んでいた日に息を引き取った。まだ四〇才であった。佳代子が数えて一〇才の時であった。
 生前一人娘の佳代子をこよなく愛した父謙一郎は、欧風教育を受けた男らしく、家にくつろぐ僅かな時間を割いては娘と共に過ごし、その合間を縫って外国語を教えたりした。そのため妻のそのが嫉妬するほど仲睦まじい父と娘であった。
 だが由緒ある旗本の家柄であった飯島家と、根っからの商家育ちのそのは夫の死後うまくいかなくなり、謙一郎の三回忌を待って飯島家から暇をとり、姉であるとくを頼って札幌にやって来た。そして滝沢旅館を手伝いながら佳代子を育てた。
「ここから先は佳代子、お前が話す番だよ。いつかはお前の口から言わなくちゃいけない事なんだし、それがお前のためにも一番いい事だと私は思ってる。この一〇年お前がどんな思いで何をして生きてきたか、みんな話してご覧。ここのみなさんはきっと解ってくれると思う。イヤ解ってもらえなくても、本当の事を話すべきじゃないのかい? 口をつぐんでいるばっかりに好き放題の事を言われて、傷つくのはお前なんだよ。今度の事でよく分かったじゃないか」
「……今度の事って?」
 正造がとくの言葉を聞き咎めた。
「聞かなかった、この娘を嫁にって話? でも佳代子がどうしてもイヤだっていうもんで、世話役を通じて断ったのよ。それなのに何度もしつっこく言ってくるんでね、ついこっちも切り口上になってハッキリ言ってやったのよ。そちら様とはご縁がなかったようなので、どうぞもうこれっ切りにして下さいって。そうしたら......」
 〝少しばかり美人だ、見られる顔だのっておだてられていい気になってるのかも知れないが、元はと言えばめかけの子じゃないか。それを承知でこっちがもらってやるって言ってるんだ。有り難いと喜ばれこそすれ、断ってくるなんて思いもよらなかった。胤(たね)は何様か知らないが今はたかが飯場の飯炊きじゃないか。お高くとまってていいのかい〟
 とくが火のように怒ってその話の因を追求したところ、開拓使時代東京から赴任してきた官吏が、札幌で囲った権妻(めかけ)に生ました娘が佳代子だという噂は誰知らぬ者はない。よもやとぼけるつもりじゃないだろうね、と逆に居直られたという。
 聞いたとくと佳代子は唖然としてしまった。
「今更だけど、そんな噂を聞いた事がありますか?」
 とくに訊かれて頷いたのは、三人がそれぞれどこかで耳にしていたという事だ。
 正造はとっさに川原が聞いたという江差での噂も思い出したが、この上佳代子を辱めるような話は口にできなかった。それまで大人たちの話を黙って聞いていたゆきが突然言った。
「佳代ねえちゃんは、めかけの子なの? めかけって誰の名前?」
「ゆき! なにバカだこと喋るの!」
 ふさが慌ててゆきを引っ張ったが、間に合わなかった。
 とくが言い終わっても何も言わなかった佳代子が顔を上げた。意外に落ち着いた静かな表情だった。
「私の生まれや両親の事を隠す気なんか少しもありませんでした。ただ、亡くなった父が可哀相で、母の話はしたくなかっただけなのです。ゆきちゃんも聞いてね。伯母さんがお話した通り、私の父は 飯島謙一郎で母はそのっていうの。ホントの夫婦だからめかけの子でも何でもないのよ。でも父が早くに亡くなったのは今聞いたでしょう。三年間ぐらいは母と一緒に泣いてばかりいたわ。でも札幌の伯母さんの家に来てから、母は夢中で働き出しました。私も学校が替わって友だちもできたし、ほんの少しずつでしたが札幌に馴染んでいったのです……」
 ゆきを介して三人に語っているのは明白だった。だが誰も一言の問いも発しない。
「二十五年五月のあの大火まで、札幌はとてもいい街でした。私は 一二、三ぐらいで深くは分かりませんでしたが、あの大火を境に街も私たちも変わっていったような気がするのです。もし札幌にあの大火事がなかったならば、伯父さんが死ぬような事も、又旅館が人手に渡る事もなかった筈です。イヤもしかしたら、私が母を嫌いになるような事も起きなかったかも知れません……」
 札幌の全戸数の五分の一を灰塵に帰した大火から、かろうじて類焼を免れた滝沢旅館は本当であれば実に従幸というべきであった。だが後になってみればその事がすべての不幸の始まりであった。
 札幌は街の中心部のあらましを焼失しその復興を待つ間、一部の機能を小樽に移さざるを得なかった。だがそれに連れて商権や市場も一緒に移るという結果になった。
 本州から北海道への玄関口となる商業港小樽は、中心都市である札幌への距離からいっても室蘭より遥かに近く、内陸での鉄道が未開通の函館に比べても圧倒的な地の利を得ている。そこへ商業機能の中枢が移動したのだ。
商人は札幌を見限って小樽に集まった。札幌より東や北の人は札幌を素通りして小樽に行き、西や南の人にとってはもちろん手前の小樽で用が足りた。急速に札幌は寂れ人口さえも減った。それに連れて空き家だけはどんどん増えていった。
元々市街の中心部から少し外れた所で常連客を相手の商人宿をしていた滝沢旅館は、その影響をまともに受け一人の泊まり客さえもない日が出るようになった。女中代わりのそのがいかに献身的に働き無給で辛抱したとしても、客が来なければどうにもならない。
そんなある日、札幌に所用でやって来た江差の網元吉川が滝沢旅館に投宿した。常連の一人である同じ江差の雑貨商因幡屋の紹介であった。
札幌は不案内という吉川を、とくの許可を得て所用先へ案内したり、何くれとない世話をしたのがそのであった。こんな折なので今後もひいきにしてもらおうと努めたにすぎないのだが、吉川はすっかりそのを気に入ってしまったらしい。とても三七、八には見えないキレイなそのに惚れ込んで、その後も江差から何度か出掛けて来るようになった。
何年か前に連れ合いを亡くして独り身だった吉川は、羽振りがよかった事もありあちこちに女を何人か作っていたらしい。そのうち、女たちとはすべてキッパリと手を切るから後添いにきて欲しい、と直接そのに申込みとくにも頭を下げた。
 もちろんそのが佳代子という子持ちの寡婦である事も承知の話であった。そのは丁重に断った。だが吉川は諦めずに、それからもやって来てはそのを口説いた。
 明治二十七年佳代子が一五の秋頃であった。
 日清戦争が始まって間もなく、北海道と本州を結ぶ汽船が徴用されたとかで、輸送が停滞し物価はどんどん上がった。大火後の不況から立ち直っていない札幌の人々には、まるで追い討ちをかけられるような打撃であった。
 滝沢旅館の経営もいっそう深刻になっていた。
 そんなある夜、枕を並べて寝た母が佳代子に言った。
「佳代子……。一緒に江差へ行かない?」
 佳代子は耳を疑った。父が死んで既に五年あまり経っていたとは言え、未だにその日の悲しみを忘れてはいない。母と共に泣き暮らした日々の記憶は些かも遠くなってはいなかった。その母がもう再婚を考えていたのかと思うと、口を利くのさえ疎ましく返事もしなかった。
 佳代子にとって父謙一郎は何人にも代え難い存在なのだ。温かくて優しくてしかも大きくて逞しくて、誰からも尊敬される立派な人であった。
 当然母も同じ思いを抱いているに違いないと信じていた。ところが母は江差の吉川の許に行こうとしている。たった一度の問い掛けだった母の声が、佳代子の耳には谺のように地鳴りのようにいつまでも響いた。
「私は行かない!」
  佳代子は自分でも知らずに叫んでいた。
「……そう。やっぱり……」
 佳代子の返事を予期していたようだったが、母の声は寂しそうだった。闇の中でそれっ切り話は途絶えた。
 それからの母は毎日のように姉のとくと何か相談をしていた。何日かしてから、この頃では背を見せたまま寝返りすら打たない佳代子に、母は声をかけてきた。
「佳代子。もう一度だけ訊くけど……。どうしてもダメ?」
 佳代子は答えなかった。長い沈黙の後、母は絞り出すような声で言った。
「いつまでも佳代子と一緒にいたかった。でも母子でどうして生きていけばいいの? 私たちに何ができるっていうの? この三年間黙って面倒見てくれた姉さんや義兄さんが、今どんなに苦しいか。でもこんな事ぐらいしか……。佳代子、お願い! お前はお父様の事を忘れないでね。それにお世話になっている伯父さん伯母さんの事もね……」
 闇の中で声を殺して嗚咽している母の気配は手に取るように分かったが、佳代子は黙り続けた。
 それから間もなく母は江差へ発った。佳代子は部屋に閉じこもった切り見送りもしなかった。
 以来佳代子は二度と母の事を口にしなくなった。翌年戦争が終わって、佳代子はスミス女学校に入学した。母のいなくなった滝沢旅館を手伝いながら、父との思い出をつなぐ外国語の習得を目指して通学した。
 その頃伯父半次郎が小樽に旅館を出すため八方金策に駆け回っている事は知っていた。そんな苦しい中で自分を女学校にやってくれる伯母夫婦に、佳代子はどれほど感謝していたか知れない。
 ところが翌二十九年春、まだ雪深い頃であった。突然江差の吉川から電報が入った。そのが病で倒れた、迎えの者を出すので佳代子に来て欲しいとの事であった。
 伯母夫婦はすぐ行けという。佳代子は母を許す気にはなれなかったが、もしもの事があった時悔いが残る事を思い、江差行きを決意した。
 迎えの者の到着を待ってすぐに江差へ向かった。小樽から船で積丹半島をぐるっと回り、弁慶岬、茂津多岬を左に眺め、遥かに見える奥尻島と尾花岬の間の海峡を抜けて、延々と南に下って行かねばならぬ江差は、迷いもさる事ながらつらく苦しい行程であった。
 春とは名ばかりの深い雪に覆われた陸地の遠景は、激しく船を揺する日本海の冷たい風と波のために、しばしば視界から消え去った。そのたびに冷静になろうとする佳代子の思いは引き千切られた。だが江差が近づくに連れて何故か葛藤は次第に薄らいでいった。
 江差の海は大小の船でごった返していた。浜に隙間なく建てられた番屋、作業場、倉庫、干し場の間を縫って、さながら祭りの雑踏を思わせる大勢の人間が慌ただしく動き回っていた。
 案内された吉川の家は網元としては中以下との事だったが、それでもだだっ広い家でかなりの使用人が働いていた。その外に出稼ぎ漁夫やヤン衆も別棟にいるらしく、出面の人間も入れれば一体どのくらいの人間がいるのか、見当もつかなかった。
 一見して地の者とは違う佳代子に目引き袖引きする人々の中を、顔が引きつるほど緊張しながら奥に通った。
 一年三ヵ月ぶりに逢う母と、どんな顔で何を言えばいいのか混乱していた佳代子の前に、少し面やつれはしていたものの意外にしっかりした足取りで母が姿を現した。
「佳代子! よく来てくれたわね……」
 泣きそうな表情で佳代子の手を取った。
「……お母さん。病気じゃなかったの?」
「つい少し前までは寝込んでいたんだけど、この忙しい時期にいつまでも寝てる訳にはいかなくて」
「体は大丈夫なの?」
「鰊時には大変だから、きっと疲れたんだと思うの。お母さんまだ慣れてないから…….」
「……じゃ、あの電報はうそだったの?」
「うそじゃないわ。私が倒れたのは本当よ。でも疲れすぎで風邪を引いたのかも知れないし、どこが悪いのかホントの原因は判らないの。そしたらあの人が、佳代子に来てもらおうって電報打ってくれたのよ」
「私を、だましたのね?」
「そんな風に言わないで。私だって佳代子に来て欲しかったし、元々子供のいないあの人は、佳代子の事を本当の娘だと思いたいのよ。ほんの短い間でもいいから佳代子と一緒に暮らしたいの。仕事柄や土地柄で荒っぽい口を利いたりするけど、優しいところもあるのよ。分かってやって……」
 佳代子には吉川を弁護する母が許せなかった。もはや父の事などすっかり忘れて、新しい夫のご機嫌を取り結んでいる母の姿が、何とも嫌らしく腹立たしくてならなかった。いかなる策略を用いて私を呼び寄せたにしても、決して思い通りになどなるまいと心を決め、再び口を閉ざした。
 鰊を待つ準備のあれこれを指示して、忙しく飛び回っていた吉川が帰って来たのは大分遅くなってからだ。
 ほんの短い受け答えしかしない佳代子を、恥ずかしがっているのだと思い込んでいるらしい吉川は、イヤがる佳代子を誘って次の日に浜を連れ歩いた。
 コチコチに緊張した佳代子に好奇の視線を送っていた大勢の人々の中に、川原が交じっていた事はまったくの偶然であり、すれ違ったに等しいお互いを記憶などできる状態ではなかった。
 吉川は佳代子に欲しい物はないか、行きたい所はないか、見たいものはないかと繰り返し訊ねた。それに対して首を横に振り続ける佳代子の態度に、母はただオロオロするばかりであった。
 一〇日余りの滞在にもとうとう心を開く事なく、笑顔一つ見せない佳代子はたった一日を除いてほとんど外出もしないで過ごした。
 再び供をつけて佳代子を札幌に送り返してくれた母親とは、それっ切りの別れになってしまった。
 佳代子が帰り着いた時、小樽で滝沢旅館開業の準備に追われていた伯父半次郎はいなかった。そのため、それから少し後の四月二十七日住之江町大火で焼死した伯父とは、江差へ発つ前に顔を合わせたのが最後であった。
 いかなる因縁や悪業がもたらしたか、あるいは疫病神に取り憑かれたか、不幸不運が縒れて縄となりとくと佳代子の首をじわじわと締めつけてきた。
 小樽の滝沢館開業資金の担保にした札幌の滝沢旅館は、証文通り抵当として取られる事になった。
 九月も終わり頃、佳代子はとくに呼ばれた。
「佳代子、よく聞いておくれ。お前も知ってるだろうけど、この家は人手に渡す事に決めたよ。その上で私は思い切ってここを離れ、夕張炭山という所へ行く事にしたの。そこでお前の事なんだけど、今のところ一緒に行く訳にはいかないよね。だってお前には学校があるし……」
「伯母さん! 私、学校をやめます。そして伯母さんと一緒に行きます!」
 佳代子はそう叫んだ。
「そんな事させられる筈ないじゃないの。それより、これを機会におっ母さんの所に行かない?」
「イヤです! 死んでも行きません!」
 とくの問いを即座にはね返した。とくは溜め息を吐いた。
「やっぱりね。これだものおっ母さんが苦しむ訳だよね……。実はね、佳代子。今まで隠していたんだけど……」
 この二年近い間、佳代子にかかる学費から着るもの毎月の生活費まで、すべてそのから送られていた事を初めて明らかにした。
 江差へ発つそのが、決して佳代子には告げない約束で今日まで続けてきた仕送りであった。
 佳代子は耳をふさぎたかった。父の事を忘れ、親子の縁を切るようにして再婚した母親から、知らぬ事とは言え金をもらって生きてきたこれまでが情けなかった。その金で二年間も学校へ行っていた 自分が何とも惨めに思えて仕方がなかった。
 それを今の今まで一言も知らせてくれなかった伯母にも腹が立ったし、そうまでしても再婚したかったのかと、更めて母に対する憎しみが湧いてきた。
「お前はおっ母さんの子なんだし、親子なら誰でもする事だよ。それを受けて何の恥ずかしい事もあるもんか。それはね、吉川さんをお父さんと呼びたくないお前の気持ちとは、まったく別な事なんだよ。いいかい? せめてお前が学校を卒業するまで、おっ母さんの気持ちは受けるもんだよ。それから先の事は、その時になって決めればいい。分かったね?」
 理詰め情攻めに迫るとくの言葉に、逆らう気力も見栄もその時の佳代子にはなかった。
「それでね、信州屋さんにお願いする事にしたの……」
 信州屋というのは半次郎が生前一番懇意にしていた同郷の友だちであった。年は半次郎よりずっと下だったが中々のやり手だった。夫婦で昼は飯屋、夜は居酒屋となる店をやっていた。小さい子供が二人いたのだが子守女が中々居つかなくて困ると常々こぼしていた。通学している日中はともかく、夜居酒屋の商売をしている間だけでも、佳代子が子供の面倒を見てくれるならば助かるというのだ。
 佳代子は子供が嫌いではなかったし、信州屋ならば半次郎に連れられて何度か行った事もあり、夫婦とも顔見知りであった。ただ、子守女が居つかないという話が何となく引っ掛かった。
 とは言え、年頃の娘の預かり先を必死で探してくれたとくや、差し迫った立ち退きの事情に逆らえる筈はない。佳代子にとっては生まれて初めて暮らす他人の家であり気は進まなかったが、それを断るほどの気力も知恵も出てこないほど打ちひしがれていた。
 二十九年十月、こうしてとくは夕張炭山へ、佳代子は札幌の信州屋へと別れ別れになった。

 佳代子の語る話は長かったが、興奮したり涙を流したりする訳でもなく静かに話を続けている。だが数年間恐らく誰にも語った事のない胸の中を吐露する心情は、決して見掛けほど穏やかでも平静でもなかったに違いない。
 時々何かを思い出そうとしたり言葉を探して途切れる事はあっても、決してやめようとはしなかった。こんなに話すのは恐らく佳代子にとって初めての事であろう。それだけに、溜まった胸のつかえ を一時に吐き尽くそうとしているかにも見えた。
 とくも男たちも静かに盃を口に運んでいる。知りたがりのゆきさえも、いつもとは違う佳代子の表情や気迫に圧されるのかじっと顔を見上げている。
 だがふさは違った。佳代子の話に大きく頷き、時には痛ましそうに口を押さえる事もあった。女同士、男たちには解らない何かを共感するところもあったのであろう。
 昨日の吹雪が嘘のように晴れ上がった日中は、冬の陽も出ているらしく、街へ繰り出そうとしているらしい人々の賑やかな声や足音が聞こえてきた。
 どんなに貼っても繕っても隙間風や寒気を完全に防ぐ事などできない長屋の一間だが、これだけの人数とうっすら差し込む冬の日差しがあり、思いの外温かく感じられた。
「ここから先は、私が少し足さなくちゃいけないわね。佳代子の知らない話もあったし、そのために佳代子にイヤな思いをさせる事になったりしたからね…….」
 佳代子の話が一区切りしたところでとくが言った。

「信州屋に佳代子を預けるのには、佳代子に話してなかったもっと別な事情があってね……。実はこの娘の母親が江差へ行ってから、この娘のために送ってくるお金の受取先を、信州屋にお願いしていたの…….」
 吉川も承知で母子共にと言ってくれた再婚だったが、佳代子の烈しい抵抗でそれは叶わなかった。万感の思いを残して出発を決意したそのだが、この先佳代子にかかる費用は江差から送らせて欲しい、そうでなければ親子の縁が切れてしまいそうだと訴えた。
 とくにはそればかりではない心遣いが込められている事も気付いていた。素直にそのの申し出をうける事にしたが、この家宛ではいつ佳代子の目に触れないとも限らない。その時の佳代子の驚きや反発を考えて、半次郎と仲のいい信州屋を中継する事にした。信州屋にはあらましの事情を話して承知してもらった。
 だが半次郎の不慮の死であらゆる事情は一変した。わが身一人の事であれば何とでもする才覚はあったが、佳代子の事だけは最後まで悩んだ。散々迷った揚げ句に信州屋を預け先に選んだのは、これまでの経緯や周辺の事情をよく知っている人に頼むしかなかったからだ。だが気になったのは信州屋の商売であった。
 昼間の飯屋はともかく、夜は居酒屋になる商売だ。住まいと店が続いているだけに、どんな成り行きで佳代子が酔客と顔を合わさないとも限らない。そうすれば酔っぱらった男たちがいかなる振る舞いに及ぶかを知らない商売ではない。常に一緒だったこれまでならばいざ知らず、離れて行く身にはそれも大きな不安の一つであっ た。
 だが約束の期日も迫り、思いを残しながらもとくは信州屋に佳代子を預けるしかなかった。信州屋には、そのからの送金から食費部屋代を差し引いた残りを本人に渡してくれるよう頼んで、とくは迎えに来た波口仁平に同行して夕張へ発った。
「……ところがどういう事なんだろう。何でこうも私たちを苦しめるんだろうって叫びたくなるような事ばっかり、次から次と起きてきたの……」
 翌三十年いっぱいぐらいはそのからの送金は信州屋に届いた。だが後で知ったところによると、その年の江差はまったく鰊がとれなかったらしい。丸吉は相当な苦境にあったにも拘わらずそのは工面を続けていたのであろう。
 ところが年が改まって三十一年に入ると、送金はバッタリ止まった。だが夕張にいたとくはそれを一切知らない。その間の事情を知ったのは、佳代子がとくを追っ掛けて石川飯場にやって来てから初めて聞いたのだ。
「そうなんです。私が信州屋さんにお願いしたんです。絶対に伯母さんにはこの事を知らせないで下さいって……」
 佳代子が再び話し出した。
 二月末のある夜、信州屋の夫婦が声をひそめて言い争っているのを聞いてしまった。それは江差からの送金が今年に入って途絶えている。何でとくさんに報せないのだとお内儀さんの声。亡き半次郎への義理もあり不人情な真似はできないと答える主人の声であった。
 義理は義理、金は金。女一人遊ばして食べさせるほど裕福なのか。道楽で昼夜働いているんじゃないといきり立つお内儀さんの声を聞いて、いたたまれなかった。
 佳代子は母の身に何かの異変が起きた事を知った。とっさに、これで金でつながったような屈辱的な親子関係が断ち切れると思った。だが何故かその夜は心が落ち着かず一睡もできなかった。
 この一年ほどの間に佳代子が受け取った金は、学費その他を差し 引いても若い娘一人のためには多すぎる額であった。ムダ遣いなどしない佳代子はそのほとんどを手つかずに残していた。いつかは母にその金を返そうという思いもあったのだ。だがその中から取り敢えず送金の遅れている分をまず払うしかない。
 翌日佳代子は立ち聞きした事を詫びた上で、母からの送金の遅れについては伯母に報せないで欲しいと懇願した。その代わり部屋代食費は何としてでも自分で払う事を約束した。
「自分で払うったって佳代ちゃん。今日び男が稼ぐさえ大変なご時世だぞ。まして札幌はこの通りの不景気だ。女の働きで食っていこ うなんてとんでもない……」
 信州屋に脅かされたが佳代子は決心を変えなかった。これからは誰の負担にもならないで、自分の力で生活してみようと思った。
 それからは努めて信州屋の手伝いをするようにした。店の事はできないので家の中の雑事、皿洗いや掃除洗濯などは進んで引き受けた。もちろん子供の世話は約束なので欠かす事はできない。学校へ 行く以外の時間は骨身惜しまずに働いた。だが信州屋のお内儀は、毎月の食費部屋代はびた一文負けてはくれなかった。見る見るうちに手持ちの金は減った。入るものはなくて出てゆくばかりでは当然の事であった。心細くなった佳代子は信州屋に申し出た。
「できるだけお店の仕事も手伝います。お給金代わりに食費部屋代をなしにして頂けませんか?」
 主人は承知してくれたが、お内儀は厳しかった。
「佳代ちゃん。できるだけじゃダメなの。片手間じゃなく毎日キチンとやってくれなくちゃ。それを見た上でお給金を決めようじゃないの」
 始めのうちこそ板場での下働きで洗い物、下ごしらえ、客足の切れた合間を縫って店内の掃除などであった。だが次第にお内儀は、酒や小鉢ものを客の前に運ぶ事も命ずるようになった。
「恥ずかしさと緊張でコチコチになった娘をからかうのは酔客の常だ。だが佳代子はそんな事には一向に慣れず、ただ身を固くするば かりであった。それが面白いのか佳代子を目当てに通う客も増えてきた。その揚げ句お酌を催促するようになる。最初のうちこそ信州屋の主人は庇って酔っぱらいを捌いてくれたが、そのたびに睨みつける女房の目を気にしてか、次第に見て見ぬ振りをするようになった。その上、一月以上経っても約束の給金を決めてもくれず、そのくせ毎月のものだけは遠慮なく請求してくるのだった。
 いつの間にか八月も終わろうとしていた。この頃ではロクに学校にも行けないほど忙しく追い立てるお内儀は、ますます口うるさくもなってきた。
「酒を運んだついでにお的の一つお愛想の一つもできないのかい? もう一九にもなって、いつまでも小娘面もないもんじゃないか」
 何故そうまで言われなければならないのか佳代子にはまったく分からなかったし、手持ちの金も心配になってきた。意地ばかりでこの先を通すのが難しい事を知った。
 事情すべてを話すつもりはなかったが一度とくを訪れてみようと思い、信州屋夫婦に二日ばかりの暇を願い出た。給金を払っている訳ではないのでダメとは言えなかったのか、不承不承ながら許しが出た。そこで店の都合も見て、九月七日に行く事をとくに報せた。
 忘れもしない九月四日の夜、このところ立て続けに通って来る男がその夜も顔を出した。明らかに佳代子目当てである事は間違いない。早くからねばっていたのでかなり酔っている。
 それまで小女一人置いた事のない信州屋では、主人夫婦のどちらかが酒を運ぶだけで、たまさか機嫌次第で徳利を持ち上げる事はあっても、客の手的が通り相場の居酒屋であった。
 注文で何本目かの徳利を運んで引き下がろうとした佳代子の手を、その男はいきなりつかんだ。不意をつかれた佳代子は思わず叫び声を上げた。
「アッ!  何をするんですか!」
「酌ぐらいしてくれたっていいじゃアねえかッ!」
「イヤです。手を放して下さい!」
「放すから、一杯だけ注いでくれるかい?」
 仕方なくもう一方の手で徳利を持ち上げた。それを旨そうに呑み干した男は、握ったままの佳代子の手に猪口を押しつけた。
「おう旨え。今度は俺の盃をうけてくれ」
「お酒は否めません。許して下さい!」
 何度手を振り放そうとしても男は佳代子の手をしっかりつかんで放そうとはしない。目が据わって異様な気配がある。さすがに騒ぎを知ってお内儀が出て来た。
「オヤまア、若い子にご執心ですこと。さアさア、私でよかったら代わりに受けますから、その手を放してやって下さいよ。ホラ可哀相に、泣きそうじゃないの……」
「なにイッ! 代わって受けるウ? 冗談いうな。鏡を見てみろ鏡を……。この娘と比べられるご面相かよ。笑わせるんじゃねえ……」
 結局主人が出てその酔っぱらいを連れだしその場は何とか収まったが、客の面前でコケにされたお内儀の憤感は収まりそうもなかった。店を閉めた後も、片付けが済んで部屋に引き取ってからも、佳代子にくどくどと文句を言い続けた。
「客にあそこまで言わせるのは、みんなあんたに愛嬌がないからだよ。たかが酔っぱらい、しなの一つも作って白い歯でも見せりゃ済む事でしょ? それを大げさに騒いだりして、大人げないったらありゃしない……」
 見かねて主人が叱りつけた。
「いい加減にしろッ! いつまでもぐずぐずと。佳代ちゃんはまだ学生じゃないか。お前とは違うんだ!」
「オヤ、なんだい。随分肩を持つじゃないか。お前さんもあの助平男みたいに、この娘の器量にトチ狂ったのかい? 冗談じゃないよ。だから私はこの娘を預かる時から、心配で仕様がなかったんだ」
「バカッ! 何を寝ぼけた事言ってやがんだ、この色気違いッ!……」
 佳代子そっちのけで始まった夫婦げんかをどうする事もできず、自室に駆け込んで荷物をまとめた。
 お内儀が日増しにつらく当たるようになった訳がこれで解った。嫉妬だったのだ。亭主が佳代ちゃん佳代ちゃんと優しく扱うのが気に入らなかったのだ。子守女が居つかなかったというのも、恐らくはこの辺に理由があったのだろう。だがそう分かってみればこれ以上この家に止まる事はできそうにもなかった。
 翌朝夫婦がまだ寝入っているうちに、短い置き手紙を残して家を出た。寒い朝で霧雨模様のいやな空だった。とくに報せた日より二日早かったが、もう再びこの家に戻る気はなかった。柳行李と合財袋、それに風呂敷包みを持つのがやっとであった。だがもう欲も得もなかった。ひたすらとくに逢いたかった。
 札幌駅から空知太行きの汽車に乗り、岩見沢で室蘭行きに乗り換えた。途中追分で降り夕張炭山行きに乗り換えると教わったが、一時間余りも待つうちに空はますます暗くなり、風と雨は次第に強くなってまだ昼頃の筈なのに、追分は夕方のような暗さになってきた。
 やっと汽車は走り出したが、途中家らしいものはほとんど見当たらず、次第に山深く分け入って行くように見えて、生まれて初めての心細さのため泣きたくなった。
「その日だったンだなや? 俺ラと初めて思ったのは……」
 北川が頷きながら声を出した。
「そうです。あんなに嬉しかった事はなかったわ!」
 言葉通りホントに嬉しそうな笑顔を北川に向けた。 聞き終わって正造は大きな溜め息を吐いた。これで今までの疑問の大部分が氷解した。佳代子が母親の事を語りたがらなかった訳。 卒業前に女学校をやめた訳。預けられた所から飛び出した訳。その外網元吉川との関係なども逐一解った。
 たがたった一つ語られていないのは母親そのの消息である。確かとくはこの前の時、佳代子の母の生死は不明だと言い、それでも母親を宥さないつもりかと迫った筈だ。それにも佳代子は一言も答えないままであった。その頑な心は今も変わらないのであろうか。
 今聞いた限りでは、父親との思い出を捨て自分の反対を押し切ってまで再婚した母を、本気で憎んでいるように佳代子は語った。だが正造にはその言葉が彼女の本音とは思えなかった。心底母を憎んでいたのであれば、いかに急病の報せが届いてもはるばる江差くんだりまで出掛けてゆくものであろうか。やはり心のどこかに母恋しさの思いがあったればこそではなかったのか。
 記憶にハッキリ残っている光景がある。
 川原が暮れの小樽で吉川の姿を見たと伝えた時、突然の頭痛を訴えて帰り支度をしていた佳代子が、金縛りにでもあったように動かなくなった事だ。その上吉川の事よりも、母親の消息を知りたがっていた気配が歴然とあった。それまで母親の話をするだけで、バネ仕掛けの人形の如く拒否の姿勢を表していた佳代子が、思わず見せた本心ではなかったのか。
「一人でしたか?」
 この一言に万感の思いが籠もっていたような気がしてならない。だが正造は佳代子が川原からの話をとくに伝えていないと感じた。とくがそれを聞いていたら又違った言い方になる、と思われる節がある。何故それを話さなかったかは分からないが、何かの理由でまだ佳代子の胸の中に収められているとしか思えなかった。
「佳代子! よく話す気になったね。そうやって胸につかえていたものを一つずつ吐き出していけば、ずっと気が楽になるよ。イヤこれはね、自分にも言ってる事なんだよ。ホントをいうと、永い間お前に言えなくて、ここんとこに溜まっている事があるの。今日言わなくちゃ一生言えなくなる。聞いておくれ! その上で私を恨むなり憎むなりしておくれ!……」
 今度はとくが話し出した。それはそのの再婚にからむ経緯であった。
 大火後の札幌が不景気になり町の人口が減り、旅館商売に限らず市中は誰もが青息吐息であった。そんなさ中二十六年二月に東京から姉たかの息子つまり甥がやって来た。札幌で仕事に就くためだ。
 佳代子とは従兄妹同士なので年は離れていたがとても仲がよかった。この甥は半年ばかり滝沢旅館の一室を借りていたが、旅館の窮状を見かねたのかよそへ下宿を求めて出て行った。
 そのもこうした商売不振を目の当たり見ていて、母子二人で厄介になっている事に身の縮む思いをしていたのをとくは気付いていた。
 札幌の町は中々景気が回復しなかった。
 そんな折、そのを見初めた吉川が是非とも後添いにと言ってきた。そのに再婚の意思はなかったし佳代子の気持ちを考えれば受けられる話ではない。それでもそのを諦めなかった吉川は何度も足を運んで来た。その上、当時は羽振りのよかった吉川が、そのに滝沢旅館への援助も申し出ていたらしい。だがそんな事をあからさまに言えば、とくに一喝される事は分かり切っている。いかに苦しいとは言え商売と妹の再婚話を結びつける事など、とくにはとうていできない事であった。
 だがそのは、姉夫婦が景気のいい小樽へ移りたがっている事は知っていたし、そのための金策にどれほど走り回っているかもよく知っていた。それなのに何の力にもなれないばかりか、却って足を引っ張っている事を何よりも気にしていたらしい。
「そのは詳しい説明など一切せず再婚したいという意思を伝えてきた。とくは妹の真意を危ぶみながらも、まず何よりも佳代子の気持ちを確かめてから返事するよう求めた。
 とく夫婦は吉川という人物について特に悪い印象は持っていなかった。妹の再縁相手としてそれほど難をいうべき点も見当たらないので、反対する気はなかったがなんと言っても気掛かりは佳代子であった。
 案の定佳代子は反対した。佳代子は意に染まない事があると、逆らうよりもピッタリ口を閉ざして貝の如くになってしまう性格であった。だがその時は貝どころか石になり母親の顔すら見ようとはしなくなった。とくはそれでそのが再婚を諦めるだろうと思った。ところがそのの決心は変わらず、佳代子に掛かる費用のすべてを必ず送る事を約して、十一月江差に旅立った。
 佳代子をわが子同様に思っているとく夫婦には費用の事などどうでもよかったのだが、そのの強い希望を容れて受け取る事にした。それを信州屋経由という手の込んだやり方をしたのも、佳代子に知られたくなかったためであり、佳代子を傷つけまいとする配慮からであった。
 翌年佳代子はスミス女学校に入学した。更めて報せもしなかったのにそのから金が送られてきた。その頃滝沢旅館の経営は苦しかった。佳代子宛に送られてくる金の外に、何故かとくに送ってくる金があった。苦しいやり繰りに追われていたとくは、心ならずもその金に手をつけた。
 だが何よりも驚いた事があった。佳代子の目を盗んでたまさか出しているとくの簡単な手紙には、絶対書いた事のない滝沢旅館の内情を、遠く離れたそのが実によく知っていた事だ。
 どうやら吉川を紹介した雑貨商因幡屋から聞いているらしいと分かったのは大分後の事だ。以来とくはそのに無用の負担を負わせないために、因幡屋が投宿した時は心して窮状を覚られまいと気を使った。だが同宿の常連客同士の交わす話にまで立ち入る事はできない。因幡屋は夕張からやって来る波口仁平とは顔馴染みであり、互いに商売以外の付き合いもしていたようであった。とくは波口の人柄を信用していたので、つい心安だてに内々の苦境など洩らす事もあったりした。それが巡り巡って江差のそのに届いているとはまったく知らなかった。
 半次郎が滝沢旅館の売却を条件に小樽に旅館を建てようと奔走している事も、その買い手がつかずに苦慮している事もそのはみんな知っていた。
 やっと金を借りたが資金不足で、新築はおろか住之江町に見つけた古い旅館の改築すらできなくて立ち往生しかけた時、そのからかなりまとまった金が因幡屋を通じて届けられた。しかも貸借につきものの面倒な条件など一切なしという破格なものであった。
 半次郎は感謝したが、いくら姉妹の間柄とは言えそれでは商人道に反すると言って証文を書いた。だが因幡屋はそれを届ける事も拒んだ。よくよくそのに念を押されてきたもののようであった。
 こうして何とか改築のめどは立った。半次郎は小樽で滝沢館の開業に専念し、とくは残って滝沢旅館をやり繰りした。ちょうどその頃であった。そのが病で倒れたと電報があり迎えの者が佳代子を連れに来た。その折とくも店を休んで同行しようとしたが、迎えの者は別にとく宛の手紙を携えてきていた。それには大要こんな事が書かれてい た。
❝私の病気は心配するほどの事ではない。ただどうしても佳代子と一緒に暮らしたいので、一度は 呼び寄せて話し合いたい。その上でどうしても佳代子が不承知ならば更めてお願いする。取り敢えずこの度は江差へ来るように説得して欲しい❞
 そのの病気が大した事のないのを知って安心し、半次郎と語らって佳代子を江差に送り出した。
 だが半月ほどで戻って来た佳代子は、とくに多くの事を語りたがらなかった。しかし聞かなくてもそのが説得に失敗した事は分かったが、今は何も言わず折を見て話し合うしかないと思った。
 それから間もなくだった。今もって悪夢としか思えない恐ろしい悲劇が起きた。それによってすべてを賭けた滝沢館ばかりか、夫半次郎の命までもが奪われてしまった。気丈なとくも夢中で事後処理をした後は腑抜けのようになり、何事も手につかなくなる日が続いた。
 鰊漁期で大変であろうとは思いながら、報せない訳にもいかず江差に電報を打った。ところが返事も連絡もないまま一月近く経ってから、因幡屋がそのからの伝言と香典にしては多すぎる金を携えてやって来た。
 飛んで行きたいし行かねばならないのだが、旅はおろか家の中での身仕舞いすらままならなぬ不甲斐ない病体となり、只ただ申し訳なく明け暮れ冥福を祈っている。回復の暁には何をさて置いても駆けつける。吉川も今が正念場の鰊漁期なので一区切りつくまで暫く待って欲しい、との伝言であった。
 因幡屋から聞いて、漁場の網元が盛りの漁期ではどれほど忙しく大変かを知った。だが、その時女房が果たすべき役割をこなせないつらさは、恐らく病の苦痛を何倍にもしてそのを苦しめたに違いない事も知った。
 結局佳代子には何も知らせず、とくはそれぞれの身の振り方に頭を悩ました。
 半次郎を失った事で一時的にもせよ無気力になっていたとくは、つくづく商売をする事が嫌になり、何とか食べていければと、波口の半ばは冗談から口にした石川飯場の賄いの話に乗る気になった。
 佳代子にはそのからの仕送りがあるうちは女学校を続けさせようと思い、あれこれ思案した揚げ句信州屋に頼む事にした。あらましの事情は心得ている信州屋の主人は、亡夫半次郎が最も信頼していた友人だったからだ。
「だがとくがもう一つ気にしていたのは信州屋の若い女房の人柄であった。泊まり客の人体を見る稼業の勘で、奉公人や子守を置けない理由がその辺にありそうだとうすうす感じてはいた。
 ともあれとくと佳代子は、札幌と夕張に一〇数里を隔てて暮らす事になった。そしてほぼ二年間手紙のやり取りだけで顔を合わせたのは一度もない。
 とくは江差のそのに夕張へ行く事は報せなかった。多額の援助を受けながらすべてを灰にしてしまった申し訳のなさの外、病床の妹にこれ以上の重荷を与えたくなかった。言えばあれこれ気づかうそのの気性が分かってもいたからだ。更に下宿住まいをしている甥にも何も報せなかった。何もかも気弱くなっていたとくは、ただひっそりと札幌を去りどこか遠くへ行きたかった。
 夕張へ来てからは、世話になった波口への義理もあり時々は彼の店へ顔を出した。というのも波口の妻は体が弱くてしばしば寝込む事があったからだ。そんな時とくはできるだけの事をして手伝った。
「夕張へ来て半年余り経った三十年の五月頃、波口が札幌の路上で因幡屋とバッタリ出会った事を聞かされた。思いがけない事であったらしい。二人とも滝沢旅館がなくなった後はそれぞれ別な宿を選んでいたが、それを機に再び同宿するようになったという。
 波口がとくの現況を話すと因幡屋は驚いて、吉川夫婦のその後について語ったという。
 今年の駅は漁が薄かったばかりでなく、刺網一本槍の吉川の網にはまったく鰊が掛からなかった。一網千石の鰊景気に沸いた江差の浜だったが、近年僅かずつ漁獲が減りつつある事を気にする人々もいた。それでも文字通り水物稼業に多少のふけさめはつきものだ、とする人のほうがどうしても多い。
 だが今年は貧漁を通り越して無漁に近いひどさであった。網元と出稼ぎ漁夫、加工業者と出面の間に前約や賃金を巡ってイザコザが続出した。 病気で寝たり起きたりの女房を抱えた丸吉も大変で、ご内所は火の車になっているらしいとの噂がしきりであった。だが時々顔を出す因幡屋に吉川は決して弱音を吐く事はなかった。それでも滝沢旅館が人手に渡る事を告げた時にはさすがに驚いて、とくと佳代子の行く先への心当たりを何度も訊かれ、今後も探してくれるよう懇願されていたとの事であった。
 後になって思えば、その頃には佳代子への送金が途絶えていたのだ。だがとくはまったく知らなかった。時々ある佳代子の手紙にもそんな事は一行も書かれていなかったからだ。
「血はつながっていると言っても実の親子じゃないからか、私は佳代子の手紙を読んでも、そんなつらい思いをしているなんて少しも気がつかなかった。あの大雨の日、北川さんに連れられてやって来るまで、私は何一つ知らなかった。やっぱり子供を産んだ事のない女はダメだって、どれほど悔しく情けない思いをしたか知れやしない!」
 とくは言いながら唇を噛んだ。
「伯母さん、ごめんなさい! できもしないくせに、ただ意地を張った私が悪かったんです!」
 佳代子は、結局とくを頼ってこの地へやって来なければならなかった自分が、この上なく恥ずかしかったのだ。
「イヤ。もし私がお前の実の母親だったら、きっと気がついたかも知れない。娘の苦しみが分からないなんて親とは言えないもの。お前のおっ母さんならきっと……」
「伯母さん。母の事をいうのはやめて! イヤ、あの人は私の母親なんかじゃないわ! あの人は飯島そのではなくて、吉川そのです!……」
 佳代子が顔を強張らせて叫ぶように言った。
 だがそれを聞いたとくは、キッと背筋を伸ばして向き直った。
「佳代子、それは違う! よく聞いておくれ。そのはお前を捨てて江差へ行ったんじゃないよ!」
 キッパリ言い放った強い口調に、当の佳代子はもちろんみんなが一斉にとくの顔を見た。
「そのは、旅館の商売が苦しくなった事を誰よりも気にしていた。それが火事のせいだって事は分かっていても、その上自分たち親子がここにいていいのか悩んでいた。私には分かっていた。そんな頃だったと思う、吉川さんに江差へ来てくれって言われたのは……。そのは謙一郎さんの事を忘れてなんかいなかった! この世でたった一人の男だと思っていたろうよ。それなのに再婚すると言い出したのは、あれは私を助けるためだった! 少しでも私を楽にするため、佳代子を連れて行けばそれだけ口減らしになる筈。それにあの頃は羽振りの良かった吉川さんが、きっと手を貸してくれると思ったに違いないの。でもそれを言ったら私が反対する事は知っていた。もちろん佳代子の反対も初めっから分かっていたかも知れない。親子だもの、娘がどう出るかぐらい知らない筈はないもの。そうでなかったら、佳代子がイヤだって言った時自分の再婚を断ったと思う。初めからそれを覚悟してなけりゃ、娘と別れて暮らす事なんかできない女だもの。だから江差へ行ってもお前や私の事ばかり考えて、いくら断ってもお金を送ってきた。正直言ってどんなに助かったか知れやしない。もう一つ、そのがお前を一度だけ江差へ呼んだ事があったよね。お前はおっ母さんが仮病をつかって呼び寄せたと思ってるらしいけど、本当は相当に悪かったらしい。でもそのは病気を理由にして佳代子と一緒に暮らしたとしても、決してうまくいかない事は知っていた。あれは佳代子が母親の自分をどう見てくれているのか試したんだと思う。結果は佳代子を怒らせる事になってしまった。それが応えたのかどうか、佳代子が帰った後又寝ついてしまって、とうとう元気な体になる事はなかったって……。翌年、吉川さんはかなりの借金をして一網に賭けたけど失敗して江差にいられなくなり、二人はある日突然姿を消してしまった。地元では、病気の女房を乗せた網元が、小舟で沖へ出て行くのを見たという人もいたらしい。暫くして浜に流れ着いた男の水死体は網元ではないか、イヤきっとそうに違いないと噂はあっという間に広がったそう。でもどういう訳かそのの死体はとうとう上がらなかった……」
「伯母さん! それを誰から……」
 悲鳴に近い佳代子の声だった。
「因幡屋さんだよ。波口さんから私の居所を聞いて、詳しい手紙をくれたんだよ」
「どうして、私に話してくれなかったの?」
「後で分かったにしても、そのの遺体が上がったっていうんならば、イヤでもお前に知らせるか連れて行くかしたと思うよ。だけど見つかったのが吉川さんに似ていたというだけで、本人かどうかも判りゃしない。第一、行かないまでもお前は吉川さんを宥したかい? それに私はね……。そのが死んだなんて思いたくないもの! だからお前には何も言わなかったんだよ」
 思いがけないとくの告白を聞いて混乱してしまったのか、一旦は何かを言おうとした佳代子だったが言葉にならず、力なく目を伏せると小さくイヤイヤをするように首を振り続けた。
 誰の目にも、今佳代子は恐らく後悔に苛まれているのだろうと映った。だが誰も慰めやいたわりの言葉をかけなかった。それは佳代子が母親に与えた苦痛が、許せる範囲を越えているように感じられた事もある。更には今この場がその非に気付く何よりの機会と誰もが感じたからかも知れない。
 正造はもう少し厳しく重く考えていた。どう考えても佳代子のわがままがこのまま許されるべきではないような気がするのだ。
 いかに亡き父を慕う心が強かったとしても、それをそっくり裏返して母への反発にしていいものだろうか。まして佳代子の母は、再婚を自分のためより佳代子を含む周囲の事情とからめて考えていたというではないか。それでも吉川に金ずく腕ずくで連れ去られた訳ではあるまい。何故母親が再婚を決意したのか娘として深く考えなかったのであろう。それこそ咎められても仕方のない事のような気さえした。
 腕や手が小刻みに震えだしてきた佳代子を見ながら、ふさはふさなりに考えていた。
 どんな経緯があったにしてもそれほど望まれて縁付いた佳代子の母が、商売とは言え鰊がくるこないだけに振り回され、その果てに生き死にさえも分からなくなるなんて、どうしても信じられない。恐らく江差へ行くまでは、万が一にもそんな事になるなど思ってもみなかったに違いない。だが何よりの不幸は、若くして連れ合いに先立たれた事であろう。
 残された女が子連れで生きてゆくには再婚も止むを得ない手立ての一つだ。それをこれほどまでに反発し憎み続ける佳代子のような娘がいては、母親のつらさは倍にも三倍にもなっていたと思う。だがしかしそれにまったく気付かないほどバカな人ではない、と佳代子を見ていた。
 北川は佳代子の顔が大きく歪んでくるのを見て、彼女の心の中を心底憐れむ気になっていた。親を失い親戚や世間の庇護の下に生きてゆく事のつらさは、イヤというほど味わってきた。従ってわがままであれ頑固であれ、でき得るならば彼女の思いをそのまま受け止めてやりたいと思っていた。
 突然佳代子が顔を覆った。そのまま突っ伏して身を揉むように泣き出した。
 ゆきは一瞬目を見張ると、佳代子に取りすがって自分もワアワア 声を上げた。
「佳代ねえちゃん! 泣いたらやんだア!……」
 そのゆきを抱き上げて自分の胸に移したとくは、やはり目に涙を浮かべながら言った。
「御免ね、ゆきちゃん。だけど佳代子を泣かしてやっておくれ! この娘は父親が死んで三年間おっ母さんと泣き暮らしてからは、きっと一度も泣いた事はないんだよ。だから涙が一杯溜まっていたんだよ……」
 ふさはとくの言葉に含まれたこの場への謝罪を知り、こみ上げてくるものを押さえられなかった。
 正造や北川にしても、長い二人の話の中で様々な事実を知り、それなりに佳代子の心中が見えつつあった。永い間張り詰めていたものが堰を切って溢れ出してくるのを、ある意味では自然な事のように感じていた。
 微妙に揺れる心の襞は見えなくても、胸にわだかまる何かを吐き出した事で、頑に染みついていた母親への誤解が涙と共に洗い流され、佳代子が新しくなってゆくような予感さえ覚えた。気の済むまで泣かせておいたほうがいいとは、ゆきを除く全員の暗黙の了解であったかも知れない。
 とくの膝の上で胸元に顔を押しつけて泣いていたゆきは、しゃくり上げながらも佳代子のほうを見ている。
 ひとしきり身を揉んでいた佳代子がようやく顔を上げた。いつの間にか手にした手巾で顔を拭いながらかすれた声を出した。
「御免なさい、皆さん……。ほんとに恥ずかしいところを……。ごめんね、ゆきちゃん……」
 見ると目が真っ赤になって、瞼が腫れぼったくなっている。
「佳代ねえちゃん、もう泣かない?」
 ゆきが心配そうに訊いた。
「もう大丈夫よ、ゆきちゃん。皆さん申し訳ありません。正月早々涙なんか、ホンとに御免なさい」
「イヤ、正月だからってなんも気にさねっていい。なア北川よ?」 正造は努めて明るく北川に同意を求めた。
「……ンだ。そった事は気にするもんでねえ。したども佳代ちゃん、大した苦労したなア。よく辛抱したもんだ……」
 北川はしみじみと言った。
「いいえ、そんな事……。でも、永い間母を苦しめてきた罰かも知れない……」
 ふさととくが冷めた徳利を温めに流しへ立った。佳代子も立とうとしたがとくが押し止めた。
 正造はとくが座敷から流しの土間に下りたのを見て、声を落として佳代子に訊いた。
「佳代ちゃん。いつだったか川原から聞いだ事、とくさんにまだ喋ってねかったのかや?」
「……ハイ……」
 返事には躊躇いがあった。
「なんで?……」
 暫く答えはなかった。だが目を上げると一言ずつ区切るようにゆっくり話しだした。
「……迷ったんです。川原さんですか? あの人の話では、小樽で見かけたのは丸吉の旦那だけだったと言ってましたね。その時は、助かったのは吉川さん一人で、母はダメだったのだと思いました。でも帰る道々フッと考えたんです。吉川さんが生きているのは、母も生きているのではないかって。一緒に歩いていなかっただけで、きっとどこかにいるって……。でもそう思いながら、イヤもしかしたら母だけ死んだのでは、という不安も湧いてくるんです。死んでしまったから、私たちには何も報せがないのだ、と思ってしまいます。そうやってあれこれ迷い出すと、イヤな答えしか浮かんでこないのです。こんな事ならば今まで通り音信不通のまま、きっとどこかに生きているって、一人で信じていたほうがまだいいっていう気がしてきたんです。結局伯母にはなんにも話さなかったのです」
 その話を聞いていた北川が不審気に訊ねた。
「川原がどうだ、小樽で見かけだのがどうだって、一体何の話セ?」
 そう言えば、とくを送って先に帰った北川は川原の話を聞いていなかったのだ。正造はかいつまんで説明する事になった。
「何にッ! セバ、その網元は死んでねかったのに、人の噂で死んだ事にされでだのかや?」
 北川は目を剥いた。
「川が小樽で見だ人が、間違えなくその吉川っちゅう網元であったとセバ、そういう事になる」
 吉川はともかく、かなりの重病であったらしい佳代子の母親が、それから二年経った現在でも果して生きているのかどうか正造は危ぶんだ。佳代子の不安もきっと同じであろうと思いながら、それを否定するのは簡単でも口先だけの気休めに聞こえそうで言えなかった。
「ンだバ、佳代ちゃんのおっ母さんは生きでるな。絶対に死んでなンかいねえ!」
 北川は断定的に言い放った。大きな声であった。流しにいた二人が驚いて振り返った。
「何ンなの北川さん。誰が死んでないって?……」
 とくが温めた徳利を持って座敷に戻った。
「俺ラの勘だだども、佳代ちゃんのおっ母さんは間違いなく生きでる。して小樽か札幌かは分からねえども、必ずどっかの町場にいる筈だ!」
 更にキッパリと北川は言った。珍しい態度であった。
「オヤどうしてなの? どうして心中した筈の妹が生きているって言えるの?……」
「御免なさい伯母さん。実は……」
 佳代子は川原から聞いた話を伏せていた事を謝り、それからの経緯をとくに話した。
 とくに厳しく叱られるのを覚悟で佳代子は話したのだろうが、聞き終わってもとくは佳代子を責めなかった。
「……お互いに考えすぎたんだね。よかれと思って言わなかった事が、結局何にもならないどころか却って思い違いになっていたんだね……。佳代子がふささんの所に行かなくなったから、変だなとは思ってた。それだって、どうしてなのかを佳代子に訊けば何かしら判ったのに、なまじ問い詰めたりしないほうがいいなんて気を使ったばっかりに、今日の今日まで何も知らなかった……」
 とくの述懐には正造も耳の痛い思いがした。思い当たる事ばっかりであった。
「ホントだでや。俺ラもおんなじ事バ考えでだ……」
「それでなんだけど、北川さん。どうして妹が生きてると思うの?」
 とくは再び問い直した。それが何より気掛かりなのだ。
「イヤさっきも喋ったども、これは俺ラの勘だ。だどもいろいろ聞いでれば、佳代ちゃんのおっ母さんは娘バ残して心中するえンた人でねえど思う。そした事で死ぬンであれば、もっと早く死んだんでねえのかや? つらい事だバその前でも一杯あったんでなかべか? それに佳代ちゃんのおっ母さんだけが死んだんだバ、網元から報せがこない筈はねえ! その男がとんでもねえ野郎でねえ限り、どした手工使ってでも姉や娘に報せるもんだべ! 何の報せもねえのは、どっかに生きでる証拠でねえのか? まア生きでいたって、居所バ教えられねえ事情があるのかも知らねえ!」
 二人の話を聞いているうちに、北川はそんな事を考えていたのか力を込めて言った。
「そう言われてみればそんな気がしないでもないわね。だけど、どうして小樽か札幌なの?」
 とくの疑問は尤もだ。正造にもそこが判らない。
「これも俺ラの勘だども、間違っても浜や漁場の辺りサは近づかねえど思うのセ。借金残して夜逃げみでえな事したンだバ、そした海っぺりには人の噂も手も回ってる。人目につきたくねえと思えば、やっぱり町場でねえのか? それも誰がもぐり込んでもわがんねえ大っきダ町よ。セバ、小樽か札幌辺りでねえのか? 函館だバ江差から近すぎるし、あっちサは行ってねえど思うんだや……」
 聞いてみればなるほどと思う推測だ。
「それじゃやっぱり、誰かが見かけたっていう小樽にいるんだろうかねえ?……」
 とくは思いを巡らすように遠くを見る目つきになった。
「佳代ちゃん! 何で探さねえのな?」
 北川は怒ったように佳代子を見据えた。佳代子は一瞬驚いて北川を見たが、明らかに返事を戸惑っている。
「えッ?……。でも、どうしたらいいのか私には……」
「何ぐずぐず迷っているのセ! 自分の母親でねえのかや? 俺ラ正直に言わへでもらうども、そこまで母親バ苦しめでいいもんだかや? そりゃあんたにもいろいろ言い分はあるべども、この世でたった一人の親でねえかや。もしかしてこのまんまホントに死に別れサなったら、一体何とするや? あんたはそこまで考えだ事ねかったのか!」
 北川の声は尻上がりに高くなった。まるで妹でも叱りつけるような口調であった。
「そんな……。私だって、どんなにつらかったか……」
「それだバ訊くども、あんたは、おっ母さんに手紙の一本も書いだ事あるのかや?」
 佳代子に返事はなく、泣き出しそうな顔のままうつむいた。北川は更に語気を強めた。
「おっ母さんは、あんたに何か一つでも悪い事したのかや?……。網元の後妻サ入ったのだハッて、半分はあんたのためだったんでねえのか? 違うかや!」
「北川! なんもそした事まで……」
  正造は見かねて北川に言った。 佳代子は顔も上げずに身を震わせている。とくはじっと目を閉じたまま唇を噛んでいた。
「イヤ。俺ラは意地悪く責めでるんでねえ! 佳代ちゃんのこの先バ思って喋ってるのセ。俺ラみでえに親や妹サ死に別れで一人残されだ者には、今更何したって喜んでもらう事も、謝る事だってできねえ。それがどしたつらい事だか、佳代ちゃんにはわがってもらいてえのセ。佳代ちゃんサそした思いバさへたくねえンだや!……」
 佳代子が声を上げて泣き出した。何かが弾けたような烈しい泣き方であった。先ほどは声を抑え身を揉んでいたが、今度は人目を憚る事も忘れて号泣した。
 再びべそをかき出したゆきをふさが抱いた。佳代子の姿を見せないようにと、ゆきの頭をしっかり抱いて自分も涙ぐんだ。
「佳代ちゃん。何としてもおっ母さんを探すんだ! 俺ラにできる事があるンだバ言ってけれ。なんぼでも手は貸す。一日も早くおっ母さんバ見つけで、仲良く暮らしてけれ!」
 北川の呼び掛けに顔も上げられないでいる佳代子は、それでも何度か頷いた。
「ありがとう北川さん。よく言ってくれたね。ホントに有り難う!」
 とくは薄縁に両手をついて北川に頭を下げた。
 吹雪の去った正月三日、空は雲一つない冬晴れになっていた。正造の家では女たちの涙に包まれながらも、不思議に爽やかな一日を終わろうとしていた。
 半年ぶりの顔合わせは思わぬ展開となった。だがこの付き合いが続く限り一度は踏まねばならぬ修羅場であったかも知れない。だからといってすぐにどうなるものではないにしても、思いっ切り流した涙は、みんなの思いに微妙な変化を与えるキッカケになった事は間違いない。
 ひとしきり張り詰め揺れ動いた空気が収まりかける時、決まってやってくるあの白々しさや照れくささも今はない。溜まっていた滅(おり)が流れ出し、次第に水が透き通ってゆくあの心地よさに満たされてきた。そうなると大人たちの間に多くの言葉は必要ない。空気までが穏やかにほんのりと温かく感じられ、たわいもない会話を交わすだけで自然の笑顔が戻ってきた。
 佳代子にピッタリ寄り添っていたゆきが、何事か話していたと思ったら立って布団の蔭に手を入れた。暫くゴソゴソと探っていたが突然叫びだした。
「かあちゃん! ゆきのえんぴつがない!……。秋、使ったな?」
 かなり乱暴な口利きをするのは近所に女の子がいなくて、男の子とばかり遊んでいるせいだろう。睨みつけられた秋夫はすぐふさの陰に隠れてしまった。昨日、義二と一緒にいたずら書きした事を思い出したのかも知れない。
「秋はチョコッと使ったども、とうちゃんがすぐ取り上げてしまっておいたど……」
 正造は言いながらゆきが差し出した袋物の中を見た。確かに紙だけしか入っていない。昨日正造が取り上げてからは、秋夫も義二も手を触れてはいなかった筈だ。
「佳代ねえちゃんから、イギリス語書いてもらおうと思ったのに、えんぴつないんだも……。 秋! どこサやったア?」
 秋夫は知らないというようにイヤイヤをした。ゆきは弟の面倒はよく見るほうだったが、いう事を聞かないと手加減しない。二つしか違わないので仕方がないのかも知れない。
「おかしいな。あれから誰もいじってねえ筈だども……。ゆき。後でとうちゃん探してやる」
 暫くぐずっていたが佳代子になだめられて、ゆきはようやく諦めた。
 都会では珍しくなくなりつつあった鉛筆だが、地方ではまだ子供が日常使うほどには普及していなかった。学校では石盤に蝋石で書くのが普通であった。この頃やっと持ち歩きに便利な軽いものができたが、筆記具の石盤は学用品の中では一番重いものと言っていい。
 ふさがゆきに鉛筆や紙を与えたのは、小学校時代の思いを果たしたかったからだ。
 同級生の父親がどこかの町に出た時土産に買ってきたという鉛筆を、その子は得意気に見せびらかすだけで、誰にも手を触れさせようともしなかった。だが筆や蝋石では中々書けない細い線が何の苦もなく書ける鉛筆は、ふさにとって驚きより不思議であり神秘的であった。筆ではうまく字の書けないふさは鉛筆に憧れた。いつかは自分もあれを使って、女らしい美しい字を書きたいと思っていた。
 ゆきが字を読み指先でしきりに新聞活字をなぞり出した時、ふさは迷わずすぐに鉛筆を買い与え白い紙を探してやった。書いてもすぐ消さなければ次が書けない石盤と違って、紙に書かれた文字はいつまでも残る。
 ふさは正造に話した事はないが、ゆきが初めて紙に書いた名前は大事に蔵ってある。それには、みはらゆきとみはらふさが並べて書いてある。父親と弟の名前を書いたのは大分経ってからの事だ。
 ふさはゆきに特別勉学を志してもらいたくて紙鉛筆を与えた訳ではなかった。しかし女ながらもゆきが生涯にわたって向学心を失わなかったのは、決して偶然とばかりは言えなかったかも知れない。
 夕飯も女たちの働きで手際よく作られ、目一杯上げられたランプの灯以上に明るく賑やかな食卓となった。いつかのように席順を決めた訳でもないのに、北川と佳代子は並んで座った。正造の目からは、佳代子が憚る事なく北川に寄り添っているようにも見えた。そう思うせいか、佳代子の表情が童女のようにあどけなく、美しいというよりも可愛く見えるから不思議であった。
 恐らくいつも心に重くのしかかっていたものを、幾分なりとも軽くする事ができたに違いない佳代子は、北川のほうが狼狽えるほど真っ直ぐに彼を見つめたりしている。 歓談は尽きなかったが、正造も北川も明日から仕事に出るつもりであった。それと客がいる限りははしゃいで寝ようとしない子供たちのためにも、劇的な一日を終わらせる事にした。
 三人を送りがてら火照った頬を冷まそうと正造は、一足先に表へ 出た。月の明るい夜であった。どの家の門口にもこのところ降った雪を片寄せた小山がある。通り道だけを雪掻きするため玄関前には自然と雪の壁ができてしまう。働き者のふさがまめに片づけるためいつもはない筈の雪が、正月のせいで珍しく小高くなっている。
 陶然となった正造の目の端をフッと何かが掠めた。坂本の油障子が動いて小さな影が吸い込まれたように思った。だが心地よく酔った正造には、それが誰だったか、あるいはホントに人影だったのかは確かめられなかった。
 一緒に送って行くと言って聞かないゆきをなだめて家に残し、正造はしぐれ橋の近くまで行った。寒さはまるで感じなかった。別れ際正造は佳代子に言った。
「佳代ちゃん。俺ラにもできる事あったバ何でも喋ってけれ……。今日はホントにいい日であった。又いつでも来てけさい、とくさん……」
「ほんとに何からなにまで……」
 佳代子の言葉が途切れたのは、又しても昼間の思いが甦ったのか。
「こんなに嬉しい日はなかったわ。三原さんありがとう……」
 とくもそれ以上の言葉を口にできないようであった。もしかしたら今日の事を一番喜んでいるのはとくだったかも知れない。人一倍気丈できつい言葉も口にするとくだが、わが子同然の佳代子に対しては却って言えない事も訊けない事もあったのだ。それが一気に跳び越えられた今日の嬉しさを、とくのほうこそ一刻も早く消息不明の妹に知らせたい思いでいっぱいではなかったろうか。
 キリキリと刺すように冷え込んだ翌朝、正造は四、五日休んですっかり怠け癖のついた体に気合を入れながら、上半分が油障子で下半分が腰板張りの玄関戸を引き開けた。思わず首がすくみ足も止まるような凍れであった。
 二、三歩歩きかけた正造は、まだ暗いわが家の真ん前の雪壁に、小さな異物が突き刺さっているのを目にした。昨日ゆきがないないと大騒ぎした鉛筆であった。何度か削って三分の二ほどの長さになったものを二本、先っぽだけ雪壁に突き立てて目につくよう小細工していた。
「こんな所に何故鉛筆が、と思いながら抜き取った。戻ってふさに説明するのも面倒くさくてそのまま腹掛けにねじ込んだ。まだまだ休んでいる坑夫も多いらしく、出勤の人影は疎らであった。
 暮れ正月に限らず会社がキチンと休日を決めないため、却って坑夫たちが気分次第の勝手休みをダラダラと取り続けている。良くも悪くも休みの日やその日数を定めてしまえば、会社も坑夫も互いに得になるのではないかと正造はいつも思う。
 隣の坂本も起き出した気配はない。来客の多い家なのでまだ正月休みが続いているのであろう。
 その時ふと昨夜の光景を思い出した。あの時、月明かりの下で坂本の玄関に消えた人影は、もしかしたら鶴吉ではなかったろうか。酔眼をよぎった一瞬の残像にすぎなかったから断定はできないが、確か大人の背丈はなかったように思う。と言って義二ほどに小さくなかった気もした。それにしてもまるで人目を逃れるように敏捷な身のこなしだったのは、一体何故だったのか気になった。一昨日の夜の事を思い出したからだ。 ゆきの不在を告げられて急に不機嫌になった鶴吉の目が、秋夫と義二のいたずら書きをしている鉛筆にじっと注がれていた事だ。無言のまま粘りつくような眼差しで凝視めていた姿を妙にハッキリ思い出した。およそ子供らしからぬ目つきであった。
 だが見えなくなった鉛筆が、わが家の前の雪壁に突き立ててあった事と、鶴吉の眼差しを結びつける根拠はどこにもない。にも拘わらず何故か頭の隅に引っ掛かるものがあった。
 その日仕事から帰って来た正造は、家の中の別な場所から見つかったように装ってゆきに鉛筆を渡した。ゆきは疑いもせずに大喜びした。

 急傾斜の山腹に建つ長屋や飯場にとって厄介なものは、胸を突く急坂や大量の雪ばかりではない。大変なのは毎日欠かす事のできない水を得る事であった。
 このヤマには井戸が非常に少ない。尤も個人の所有地が一坪もない土地なので、誰も掘ろうとしなかっただけなのかも知れないが、ほとんどは沢の水か湧き水を利用していた。
 ほぼ南北に走るこの夕張渓谷には、長い東西の山腹にできた山ひだが多くの大沢小沢を形成しており、その一筋一筋にささやかな清流を迸らせてはいた。だが周囲の山々の多くは四、五〇〇メートルで、最も高い三角山でさえ七七三メートル、それに次ぐ冷水山が七一三メートルしかない。いかに深い原生林を懐に抱いているとは言え、せせらぎ程度の細流を保つのが精一杯であろう。そのためその年の雪や雨の降り方次第で水涸れする沢も出てくる。
 だが岩の間から迸る湧き水の中には、一年を通して清冽な水を溢れさせている所もあった。ヤマに暮らす人々はその水を飲み水に使った。水涸れしないよう水神の碑を建てて祀りその場所を何よりも大事にした。
 洗濯掃除に使う生活雑水は大体近くの沢水を引くか、その沢のどこかに水場を造った。汲んで家に運ぶ者、その場近くで利用する者様々あったが、水場に遠い長屋の人々にとっては毎日要るものだけに中々大変だった。
 特に冬になって雪の降った翌朝は、水場までの道が誰かに踏み固められるのを待って出掛けるという、女たちのいじましい駆け引きもあったりする。又大雨の気配を察すれば沢水の濁るのを嫌って、汲み置きしておこうとする人々で雨中にも拘わらず水場が賑わう不思議があったりした。
 明治三十三年当時、夕張の世帯総数一,五〇〇戸に約一〇,〇〇〇人の人々が住んでいた。僅か二年前に比べると倍以上の人口増加となっていたが、その大部分は炭砿関係の人間である。炭山以外の 商工業や農業に従事する人々は全部合わせても一,〇〇〇人前後で あった。つまり総人口の九〇%に当たる人々が炭山で暮らしていた事になる。従ってその人々の生活に必要な施設や資材は、当然炭鉄が建設したり調達しなければならない。だが会社は中々そこまでは手も回らずしてもくれなかった。
 まだ独自予算もその権限も与えられていない登川村としては、住民に最も必要なものが何であるにしても差し迫っての日常業務をこなすのに精一杯で、莫大な費用のかかる計画などは話の外であり、たとえ道庁に願い出たとしても裁可される状態にはなかったのだ。
 人々は会社も役場もしてくれないからといって、そこを逃げ出す事も腕をこまねいている事もできない。それぞれが知恵や力を絞って生活しなければならなかった。
 たとえば、長屋の狭い流し場の隅に酒の空き樽を買ってきて水がめ代わりに使った。だが冬場は汲んだ水が少ないと底まで凍ってしまう。そのため手桶で何度も水汲みに行かなければならず、女子供の仕事としてはかなりの大仕事となっていた。
 正造の住む斜坑の上部落と川原の住む三番坑部落の間には、プトマチャウンペと呼ばれる小さな沢がある。その底を流れる小川もやっぱりプトマチャウンペの川と言われていたが、川というほどの水量は雪解け頃か大雨の後ぐらいのもので、普段は少し多めの沢水が流れているだけであった。それでも冷水山を水源とするこの沢水は、夏でも冷たく澄んでいて美味い水と言われていた。人々がこれを見逃す筈はない。
 沢の奥に入ると突然目の前を遮る崖が切り立ち、そこを落下する沢水を誰の命名か白糸の滝と呼んでいた。落差はたかだか五、六メートルしかないが、その上流に手作りの堰を設け樋で部落内に水を引き込み、飲み水専用の水場を作った。
川ほどの水量はないといっても湧き水とは比べものならないほどタップリと水は流れている。そのためにいろんな使い方をされた。白糸の滝の下流つまり沢の出口となる辺りは、その場で洗濯もできる水場なども作られていた。
 その沢を横切って行く道に、雪解けの頃には水を冠って渡れなくなる事もある低い土橋がかかっている。ゆきがすずの所に行くためにはどうしてもその土橋を渡らなければならない。土橋の前後から沢奥の水場に通う小道があり、南側は斜坑の上部落、北側は三番坑部落の者が利用していた。とはいってもたどる道が橋の南北に別れているだけで、行き着く先は同じ水場であった。
 元旦に初めて顔を合わせたすずとよほど気が合ったのか、ゆきは正月が過ぎると正造にせがんで隣部落の川原の家まで連れて行ってもらった。
 沢一つ隔てているとは言ってもしぐれ橋を渡って石川飯場へ行くより大分近い。一度伴われて行っただけで後は一人で毎日のようにすずを迎えに出かけて行った。
 明けてやっと六つとは言え年よりしっかりしているゆきの行動について、ふさは決してあれこれ指図がましい事は言わない。だが放ったらかしというのでもない。独りで何でもできる子になって欲しくて、気にしながらも口出しを我慢した。だがゆきは、聞かれなくてもした事や行く先についてうるさいぐらい話すので、ふさはそれを聞きながら娘の毎日を隅々まで知っていた。
 三つ年上のすずがまだ読み書きできない事を知って、ゆきは字を教え始めた。自慢の鞄を持ってすずの所へ行ったり家に連れて来たりしては、飽きもせず相手になっている。そればかりかすずが帰る時はゆきが送って行くのだ。
 ふさの目から見てもすずは引っ込み思案の気弱な子であった。年下のゆきに何もかも舵取りされて言いなりになっているようだ。
 文字の読み書きを教えるゆきのやり方は、子供なだけに遠慮や手加減というものがまったくない。
「すずちゃん、違う! ンでないってば……」
 乱暴に鉛筆を引ったくって自分で書いて見せる。それにもほとんど反抗する事なくすずはただ大きく頷くだけだ。相変わらずどことなく怯えている様は母親のきわに似ている。ハラハラしながらそこでもふさは口出しをしなかった。
 新聞の拾い読みをするゆきの声はびっくりするほど大きい。一字一字を指でなぞって繰り返す読み方の練習は、佳代子にでも教わったやり方なのであろう。だがそれを復唱しているらしいすずの声は、近くにいるふさの耳にやっと聞こえるか聞こえないかの程度なのだ。始めは恥ずかしがっているのだろうと思っていたが、いつまで経っても呟くような声は大きくならない。
「すずちゃん。声出ないの?」
 ゆきが訊いているのをふさは耳にした。それにもすずは返事をせずに目を伏せたままだった。そのうちゆきはきっと佳代子の所へすずを連れて行くに違いないとふさは見ていた。教え方に困ったり、自分に読めない字がたくさん出てきたらきっと言い出しそうな気がした。
 大寒に入って一週間ほどした一月も終わりの頃だった。夜中から明け方にかけて降った雪はそれほどの量ではなかったが、やっと踏み固められた道が見えなくなるほどには積もっていた。冷え込みの厳しくなる大寒頃は雪が降らないとされているが、今年は例年に比べて降雪が多いように思えた。
 いつものようにゆきは鞄を持って出掛けて行った。寒中であっても厚着を嫌うゆきは至って身軽な恰好だ。秋夫も相手欲しさに義二の所に行ったようだ。ふさはその間にと日課の水汲みに出掛けた。
 今朝方まで降った新雪のせいで水汲み場への通り道が狭くなっている。つまごやごんべ(わらで作った雪靴)を雪の中に踏み込んで足袋を濡らしたくないため、前に通った人の足跡をそのまま踏んで歩く。従って道巾は中々広くならない。だが天秤棒に前後の手桶を担って来る人とすれ違う時は、どうしても空身のほうが道を譲る事になる。その時はイヤでも新雪に足を踏ン込まなければ、水の入った手桶を揺らして通る人を避けられない。
 こうして少しずつ雪道は広げられ踏み固められてゆく。
 ふさが一荷汲んで家に戻った時、入れ替わるように白川の女房きちが水汲みに出掛けるところであった。ロクに構わないふさと違って、化粧を済ませ身仕舞いをしてからでないと一歩も家を出ないきちは、お喋りでも金棒引きでもない割に近所では目立つ存在であった。もう四〇半ばには差しかかっていると思われるきちには、その厚化粧や拵えのせいばかりでなく、天秤での水汲み姿は似合わなかったしかなりつらそうに見えた。もしかしたらこんな水仕事などはこのヤマに来るまではした事がないのかも知れない、とその前身や 素性をいっそう詮索したがる者もあった。だが亭主の友次郎はどん な事があってもきちの手伝いなどしなかったから、子供がいないとなれば何もかも自分でやるしかないのだ。
 板敷きに荒むしろの薄縁、隅に積み上げられた布団や衣類の行李、家具代わりの僅かな箱類、それも八畳一間の中では自ずと置かれる位置は定まってしまう。座敷以外のおよそ台所とは呼べない土間の流し場でも、数少ない鍋釜茶碗類の他はただ雑多なだけで、場所をふさぐほど大きな物は水桶かたらいでもあればご立派、というのがその頃の炭山長屋であった。
 冬場の寒気を凌ぐには板敷きに直の薄縁はたまらない。やむなく厚ぼったい米俵を開いて薄縁の下に敷きつめる。だが米を俵ごと買う坑夫は明治の時代ほとんどいなかった。空き俵は米屋か会社の購買所で譲ってもらうしかない。
 長屋に住む坑夫たちは一俵丸ごと買う金はもちろんだが、買っても置く場所に困るのだ。従って貧乏くさいと嗤われる一升買いもここでは当たり前の事だった。味噌醤油の類も樽で買えば安くつくと知ってはいても、これ又思いもよらない事だ。それどころか一升一貫匁と区切りよく買える間はそうしたが、懐次第で何合何百匁の小買いも平気でする。それが割高になっている事など深く考えたりはしない。
 初めて炭山暮らしをする人々のほとんどはこんな生活を恥じるが、いつかそのやり方に馴染んでゆく。それが長屋住まいの気楽さである代わり、嵌まると抜けられなくなるその日暮らしという麻薬であったかも知れない。
 ふさは毎日の手順通り部屋中を掃除整理する。だがいくらキレイ好きのふさでもこの広さでは手のかけようがない。あっという間に 終わってしまう。後は正造の仕事着や、育ち盛りのゆき秋夫の身につけるものの繕いだ。それほど傷んだ物を継ぎ合わせるのではなくても、この仕事をボロ継ぎという。滅多に新しい物など買えない暮らしでは、このボロ継ぎが女の腕の見せどころと言っていい。
 ほころびをかがるにしても当て布を当てるにしても、出来栄えが一目で判るだけにゆるがせにできない仕事だ。従って暗いランプの下でより、できれば日中の明るいうちにと思いつつ、つい雑用に追われてしまう事が多い。
 秋夫に邪魔されない今のうちにと、洗い晒した正造の鯉口(こいぐち・筒袖の仕事着)を取り出した。ふさは取り分け正造の仕事着の繕いに気を使う。ほころびならば針目が表に出ないようにかがり、かぎ裂きならば同じような生地を探して一針一針丁寧に仕上げる。
 母親がしていた通りを真似ているにすぎないが、何よりも不細工な針仕事をして正造に恥を掻かせたくない思いは人一倍あった。
「かあちゃん! かあちゃん!」
 長屋の外れ辺りから張り上げて来るゆきの声が耳に飛び込んだ。息せき切ってという気配があった。ふさは膝上の縫い物を一気に払いのけると、足袋裸足のまま土間に下りた。
 ゆきが顔を真っ赤にして飛び込んで来た。ハアハア荒い息を吐いている。
「どしたバゆき?」
 素早く身体中に視線を走らせたが見えるところに異常はなさそうだ。
「かあちゃん! 隣のおばちゃんが……」
 言い指差すのは白川の家だ。きちならばさっき入れ替わりに水汲みに出掛ける時、朝の挨拶を交わしたばかりだ。
「隣のおばちゃんが何としたバ?」
「道で倒れてる!……」
「えッ! どこ?……」
 言いながらごんべを突っかけ急いでゆきの後に従った。
 水汲み場への入口から少し入った所であった。きちは投げ出した足首の辺りを押さえて雪の上に座っていた。それを心配そうに見ているのはすずだった。
 傍に空になった手桶が転がっていたし、天秤も投げ出されている。どうやら水の入った手桶の重みに体を振られ、そうでなくても危うい足元を新雪に取られて転んだのであろう。その際転び方が悪ければすぐ挫いたりひねったりする。雪国の者ならば説明を聞くまでもなく一目で分かる事故だ。
「大丈夫なのセ、白川の姐さん?」
「あっ。ご免よ、ふささん。足をひねったらしくて立てないのよ。すまないけど、手を貸してくれない?」
 転んだ後一旦は立ち上がったのだが、すぐに足を突いていられなくなり座ってしまった。折悪しく水場に通う人の足が途切れて、助けを求めようにも誰も通らない。そこへ聞き馴れたゆきの声がしたので思わず大声で呼んでしまった。かあちゃんに知らせておくれと頼むと、ゆきは連れの子におばちゃんを見ててというと駆け出して行ったときちは事の経過を話した。
 空になった手桶と天秤棒はゆきとすずに持たせ、肩を貸すというより背負うようにしてきちを連れ帰った。
 隣り合わせに住んで久しくなるが、きちは滅多な事で人の家には上がらないし、自分の家にも他人を入れた事はないようだった。しかしこんな場合そんな事を構ってもいられず、ふさは初めてきちの家の座敷に上がった。
 さすがに子供のいない家らしく小ざっぱりと片づいている。壁には坑夫長屋にはおよそ見かける事のない男物の唐桟半天が掛かっていた。紺地に赤の細縞が洒落者らしい友次郎の好みとは言えぜいたくな物であった。
 一足遅れてゆきとすずが手桶と天秤棒を引きずるようにして入って来た。六つや七つの子には結構大変な荷だったのだろう、二人とも真っ赤な顔をしている。
 ようやく足を伸ばして座ったきちは、痛むのか思い切り顔をしかめた。
「姐さん。すぐ冷やさねば……」
 ふさも息切れが治まらないままですぐきちの手当てにかかった。手当てといったところで濡れ手拭いを当てるぐらいしか思いつかなかった。後はせいぜい立ち居に手を貸したにすぎないが、一応傷がないかどうかを見てみた。外傷もなく折れているようにも見えないので他人事ながらホッとした。
「かあちゃん。すずちゃんと一緒に、佳代ねえちゃんのとこサ行ってもいい?」
 いつ言い出すかと思っていたが今日とは意外だった。
「行ってもいいども、あんまり遅くなんねえうちに帰ってこねバ、すずちゃんのかあちゃんが心配するよ」
 聞いていたきちがやっと気付いて礼を言った。
「ゆきちゃん有り難う。お友達すずちゃんていうの? 心配かけてご免よ。又いつでも来て頂戴ね」
 二人が出て行くのを見送ったきちが言った。
「ホントに、ゆきちゃんはしっかりした子だわねえふささん。とても五つや六つには思えないわ」
「なに、きかねえばっかしのさんぱちだハッて……」
「いや、そうじゃないわ。ゆきちゃんぐらい何でも解れば、子供でも頼りになるもの。羨ましいわ」
 幸いに医者よ薬よと騒ぐほどの怪我ではなさそうだが、それでも暫くは何かと不自由しそうだった。
「姐さん。一回だけでも水汲んで置いたほうがいいね。ついでだからオラ行ってくる……」
「ふささん。何から何までホントに済まないね」
「なに、困る時はお互い様だもセ」
 ふさは先ほどゆきとすずが空のまま引きずってきた手桶と天秤を持つと、再び水汲みに出た。二人の子持ちとはいってもまだ数えて二七ぐらいの年では、少しばかり余分な仕事をしたからといって疲れる事もない。
 水汲みから戻ってきちの戸口に立った時、ちょうどうめが表に出てきた。
「アラ、ふささん。白川の姐さんどうしたがや?」
 ふさは手短に説明した。
「そりゃ思わんことやったなア。後で顔出すいうておいて」
 長屋住まいの常として、たとえどんな些細な事でもたちまち伝わってしまう。門口での立ち話もむろん家の中へは筒抜けだ。
「ふささん、誰だったの?」
「坂本の姐さんでセ」
「こんな事あんまり知られたくないけど、今更仕方がないわね……」
 溜め息を吐くようなきちの言い方であった。ふさは何か悪い事でもしたような気になった。
 この長屋でも特に人付き合いの悪い白川だったが、長屋の住人とばかりではなく仕事仲間とさえもあまり行き来していないようだ。世間の噂はともかくとして、きちがかなり年上女房である事。友次郎の物言いが妙になよなよして男らしくない事。それを除いてもどことなく曰くのありそうな夫婦である事は間違いない。
 第一、友次郎の職種や稼ぎっぷりから見てそれほど収入がある筈はないのに、暮らしに困っている様子はまったくない。もちろん派手な金遣いはしていないようだが、夫婦揃って出無精なのか家に籠もっている事のほうが多かった。
 それだけでも噂の種になりそうなのにまだある。
 人付き合いがよくないといってもこの長屋に住んでからでも五、六年にはなるという。出入りの激しいヤマではもう古顔の部類に入る。なのにこの夫婦の素性や前歴については、憶測とやっかみ半分の噂以外ほとんど知られていないというのも謎めいていた。
 昼時になった頃ふさは、有り合わせのものでお菜を作ってきちの所へ運んだ。日頃は些か権高に振る舞うきちだったが、時が時だけに気弱くなっていたのか人が変わったような喜び方をした。
「隣がふささんで良かった。どんなに助かってるか知れないもの。ホントに有り難う!」
 そして先ほどうめを始め長屋の女たちが次々と顔を見せ、つい今し方までここにいたと話した。その口調から察する限り殊更迷惑がっている風でもなかった。
「ところでふささん。今朝ゆきちゃんと一緒だったすずちゃんて子、あんまり見かけない子だけどどこの子なの?」
「あ、あの子は隣部落の子で、川原すずっていうのセ。ゆきより三つ上の筈だども、温和しい子だハッてゆきに引っ張り回されてる の」
「アラ、ゆきちゃんよりお姉ちゃんなの? そしたら八つか九つくらいって訳ね。そうなの……。イヤ私が倒れてる時ね、心配そうに見てるだけで、いくら話しかけても何も喋ってくれないの。物を言えない訳じゃないよね?」
 きちにそう言われるまでもなく、すずが大きな声で話したり読んだりしているを聞いた事がない。
「イヤ。ゆきとは喋ってるども、オラとはあんまり口利かねえのセ……」
「そう。元々無口な子なのかね。だけどあの子、何となく気になるわ……」
 日頃は見た事のないボンヤリした表情になっている。いつ会っても気安い笑顔とか世間話を交わすキッカケさえも与えないきちに、こんな無防備な顔があったのかと思わせるほどだ。まるで幼い姪の身でも案ずる伯母といった感じであった。
 大体きちは長屋の子供たちを見ても、優しい顔どころか声すら掛けた事がない。まったく関心がないかあるいは子供嫌いのどっちかだろうと思っていた。
 あれほどどこの家にでも平気で上がり込むゆきが、一度もきちの家の話をしないところを見れば、これまできっと入った事がなかったに違いない。
「姐さん。ばんげ(夕方)の買い物でもあれば言ってたンセ。オラ家のと一緒に買って来るハデ」
 そう言ってひとまず家に戻って来たのも、きちが何かに気をとられたように黙り込んでしまったからだ。
 ふさが長屋暮らしを知ったのはこのヤマに来てからだ。故郷の笹子村では父親の代で分家したばかりの新家であったため、決して豊 かではなかったし大きな家でもなかった。それでもこの炭砿長屋に比べればかなりの広さはあった。何よりもトウモロコシの如くびっしりと部屋を並べた長屋を見たのは生まれて初めてであった。
 村の男たちが行っている院内銀山にでも行けば見る事はできたのだろうが、荒くれ者が多いと聞く鉱山へは足を運ぶ機会もないまま過ごした。そのせいか、石川飯場へはもちろんこの棟割一六戸長屋に住むようになってからも、一、二年は何かにつけて身のすくむ思いが去らなかった。咳払いからくしゃみ一つでも筒抜けになる隣人が、親兄弟や親戚でもないまったくの他人である事に中々慣れる事ができなかった。その上、水場から風呂便所に至るまですべてが共同なのだ。それがこのヤマの地形や、事業用住宅の性質上仕方がないのかと半ば諦めるには、ふさはかなりの時間がかかったような気がする。
 坑夫やその家族の思いがどうあれ、炭砿経営者の考える住居は、取り敢えず人が住めればいいという事だったとしか思えない。昔から貧乏長屋をさす言葉に九尺二間というのがある。広さで言えば全部入れて六畳である。それを坑夫長屋は棟割とは言え一戸が二間に 二間半、座敷だけ比べても昔四畳半で今は八畳、同じひと間でも天地の違いがある。ぜいたくを言えばきりがないとうそぶく会社幹部がいたのを見ても分かる。事実この当時は当たり前のようだった棟割長屋がこのヤマから姿を消したのは、それから四〇年も後の事になったのが何よりの証拠であろう。
 ざっと土地を均して地杭(じぐい)丸太を打ち込み、その頭を切り揃えて床板の根太にするやり方は、開墾地に仮小屋を建てるのと同じであった。柱や梁にしても四角に製材したものを用いるようになったのは大分後の事だ。皮つきの粗材が丸見えの造りが当たり前のにわか普請である。炭鉄が建てた坑夫長屋は、住み心地に意を払ったとはとうてい考えられなかった。
 誰一人として長屋住まいに満足している者などなかった。しかし男たちが会社に訴える不満の中身は、仕事内容についてか賃金の増額に限られていた。つまりはそれほど衣食のほうが悪かったし、住 後になったという事だ。それにしても一六戸二〇戸を一棟にして 人間を押し込めば、一戸当たりが一間に限られてしまうのは当然であった。
 坑夫の中でもこんな生活を嫌って、一日も早く炭山暮らしから脱け出ようと考える者は大勢いた。それには炭砿から出る事だと考える者、このヤマで商人になろうとする者など様々であった。
 移住転職を本気で考えるキッカケは、多くの場合爆発やその他の事故を身近に経験した後に起きるようだ。それに常に思っている事とは言え、仕事に比べて賃金が低いという事もある。だがその外に、住まいに対する不満が強かった事を経営者は見落としている。
 ふさも長屋暮らしに助けられ心強く思った事は何度もあるが、それが本当にいいものだとは今でも思っていない。後半年もすればこのヤマに住んで満六年になる。だが余りにも粗末に過ぎる長屋の造りは、まるで裸で暮らしているようだと思う事さえある。
 家ごとに日常繰り返している生活にしてもそうだ。他人に聞かれたくないのはけんか口論や借金の言い訳などの外、夫婦で睦み合う時などは尚更である。始まりは辺りを気づかっての密やかなやり取りだが、昂ってくればお互いをあらわに打ちつけ合わねば終わる事ができない。だがその時が過ぎて見れば恥ずかしく思う事もないとは言えない。
 そこが長屋暮らしのイヤなところであり、いろいろ気を使わなければならぬ事でもあった。だがそのどちらについても一部始終を面白可笑しく吹聴して歩く人がいる。それを聞くたびにわが家の事はと、思わず耳をふさぎたくなる思いを一度ならずしている。
 正造と言い合いなどした事のないふさにはその点で恥じる事はまったくない。だが夫に抱かれる夜、溢れてくるうねりを抑えるのにわれを忘れかけた事は何度もあったからだ。
 きちは常にそんな話題の真先に挙げられる。何一つ疚しい事ではないのに、長屋の女たちに限らず男どもの間でさえ何かと言えば口に上る。それは白川夫婦が余りにも近所付き合いが良くないのと、それ故に出身や生い立ちをひた隠しにしていると思われている事と関係がないとは言えない。
 この長屋では割合年嵩なきちに、恥も外聞もない声を上げさせる「狸殺し」の技も、子供がなく二人暮らしなればこそ、と奇妙な嫉妬をされたりする種にもなっている。だが亭主の白川が何をどうしているか知らないが、痴戯に狂う夜の姿など気配にも感じさせない昼のきちの表情は、長屋の者たちに却って余計な詮索をさせてしまうのかも知れない。
 ふさは自分たちの内側を覗かれたりするのはイヤだったが、他人の内側を覗き見するのはもっとイヤな事だった。だがこのヤマの長 屋はやっと雨露を凌ぐ造りでしかない以上、完全に他人の耳目を遮る事などできなかった。それでも大方の人々は、少しでも住みやすくと隣家の領域を侵さない程度に、あるいは気の合う隣人と語らって少しずつ手を加えては住み慣らすより仕方がなかった。
 夕方の食事支度で忙しい筈の佳代子がゆきを送って来た。ゆき一人ならばもうそれほど心配もしなかったのだが、一緒にやって来た すずのオドオドした態度が気になってついここまで来てしまった、佳代子はこっそりふさに打ち明けた。
「このすずちゃんは、佳代ちゃんも知ってるあの川原さんの娘さんなのセ」
 ふさが説明しかけると佳代子が頷きながら話を遮った。
「そうなんですってね。 突然ゆきちゃんたら、ゆきの友だちなの今日から勉強教えて頂戴って……」
 その言い方が可笑しかったのか、佳代子はゆきの口調や表情まで真似ながら笑った。その屈託ない明るさにほっとしながらも、ふさはゆきの舌足らずを補足した。
 事情で遅れてはいるが多分この春に入学すると思うので、できればその間に少し面倒を見てはもらえないか、と佳代子に頼んだ。子供たちの前なので川原家の事情や立ち入った話はできなかったが、ふさの顔を見た佳代子は快く引き受けると大急ぎで帰って行った。
 夕飯の買い物に出る前ふさはきちの所に顔を出した。いつものようにすずを送って行くつもりらしいゆきも一緒について来た。
「おばちゃん。足まだ痛い?」
 生意気にもいっぱし見舞い口調で言いながら、ゆきは上がり框から座敷を覗き込んだ。後ろにすずの顔もある。
「今朝はありがとうゆきちゃん、すずちゃん。お蔭でそんなに痛くなくなったわ。それよりもこっちへあがらない?」
 きちは子供たちを誘った。優しい声で目まで細くなっている。
「ううん。すずちゃんのかあちゃん心配するから、送ってゆくの」
 どっちが年上か分からない口を利いてゆきは出て行った。きちはそれをしきりに感心して見送っていたが、子供たちが喜ぶものを買って来て欲しいという。そんな事はいいからと断っても引かないきちの申し出通り、夕餉の買い物に合わせて何か駄菓子でも見つくろう事にした。
 幸いきちの足は大した事もなく、二、三日外へ出るのを控える程度で済んだようであったが、妙なキッカケで何となくきちと付き合う事になった。だが接してみるときちが意外に子供好きである事に気付いた。
 すずが来たのをゆきの話し声で知るらしく、足を引きずりながらでもやって来る。決して壁越しに呼んだりはしない。必ず自分のほうからやって来てはゆきやすずを家に誘うのだ。その様子が以前とは何となく違い、怪我をして以来妙に明るくなったような気がするのをふさは感じた。
 厳しく凍てつく朝の出掛けは、すってんてんに取られた賭場帰りそのままだと言った奴がいる。なるほどそう見れば、寒くて盗っ人被りに懐手をしながら背中を丸めて歩く坑夫の姿は、空っ尻になった軽い懐と反対に重くなる足取りを引きずる恰好と、どこか似てない事もない。
 通気のよくない地底で働く坑夫は、坑口から近い場所で働く坑夫よりも薄着で出掛ける。深くなるに従って増してくる空気の圧縮熱や地熱のせいで、どうしても温度が高くなるからだ。そのため現場までの往復には寒い思いをしなければならない。仕事着のままで通うのが当たり前なので、その上に引っかけたり羽織ったりするのは面倒であったし、第一そんなものを持っていない坑夫が多かった。
着た切り雀の坑夫たちは、寒の帷子(かたびら)だろうが土用の布子(ぬのこ)だろうが、着られりゃ結構とばかりになりふりなどはまったく気にしない。
 正造も貧しい坑夫の一人に変わりはないが、姿勢まで情けなくなるのはイヤでやせ我慢でも顔を上げ胸を張って歩く。だが指先襟元から容赦なく侵入する寒気で、思わず胴震いの出る朝であった。
 正造は、昨夜北川から受けた相談について考えていた。正月に、母親の行方を何故捜さないと厳しく佳代子に迫った北川だが、その約束を果たそうにもその手段が思いつかずに困っていたらしい。
 佳代子の母親が生きている事を疑ってはいないが、実際にはどうやって捜し出すかとなると皆目見当がつかない、と北川はいう。
 仕事帰り偶然顔が合って歩きながらの話であった。
「三原だバ何とするや?」
 訊かれてもすぐに出てくる答えはない。どこにいるかはもちろんだが、生きているのかどうかさえも定かではない人間を捜すなど、物言わぬ人の国訛りを当てるようなもんだと正造は思ってしまう。
「ンだなア……。まンズ、普通だバ一応は警察サ頼んでおくっちゅうのもあるンだべも……」
「警察?……。捕まったら監獄でねえのか。それだバなア……」
 吉川が借金を残して逃げたというのが本当ならば、彼に金を貸している側から訴えが出ているかも知れない。であればたとえ見つかったとしてもそっちの調べが先で、親を思う子の気持ちなど通じそうもない。それが釈然としない気もするし、何よりも警察が本気で人捜しなどしないだろうという。
 正造には北川が考えている事のおよそは見当がつく。彼は子が親を親が子を思うのは人として当然の事だと思っている。肉親にからむ出来事をゆるがせになどできない男なのだ。その上現在の彼はかなり佳代子を好きになっていると思う。決して口には出さないしさぶのように露骨な態度を示す事もないが、疑う余地はない。それだからこそ佳代子の母親捜しに躍起になり、その手段の見つからない事に苛立っているのだろうと見た。
 一つ思いついた事があった。
「新聞はどんだや?」
 もうとっぷり暮れた雪の夜道だったが、一瞬北川の足が止まった。
「新聞?……」
「ンだ。新聞サ広告出してみるっちゅうのはどんだべ?」
「……」
 明らかに予想もしていなかった事らしく、北川の返事はなかった。
「俺ラもやった事なんかねえども、もしかせバ人の目サ止まるんでねえかって、今思ったのセ」
 隅々まで新聞を読む事にしている正造は、たとえ広告でもチラッとぐらいは目を走らせている。
「……ンだバ考えでみる。それより、川にもう一回訊いでもらえねえか? 小樽で網元バ見だ晩の事セ。なんか言い忘れでる事ねかったか、今一回思い出して欲しいンだや。川の都合次第では、俺ラのほうからでも行くでや……」
 そんな話で別れた昨夜の事を思い出しながら坑口近くまでやって来て、自然と川原の姿を探す目つきになった。
「一番坑の坑口近くではまだ夜も明けきっていないというのに、一昨年更に二基増設したボイラーから盛んに白煙が空に吹き上げられている。そのボイラーの蒸気が去年据えつけたばかりのコンプレッサーのフライホイルを廻し、重量感のあるピストンを往復させ辺り を揺るがす轟音を立てていた。
大分前からこのコンプレッサーで作った圧搾空気を、パイプで坑内に引き込む工事が行われていた。噂では空気機関車なるものを走らせて、挽き馬による運搬をやめるとの事であった。
 機関車と言えば炭鉄の線路を走るでかい蒸気しか思い浮かばない正造は、場所によっては人の頭さえつっかえる天盤の低い坑内に、どうやって入れるのだろうと思った。ところがその機関車の姿も見ないうちに、今度はやはり圧搾空気で動く新式の採炭機械をアメリカから買ったとの事であった。その機械がこの一番坑に三台入ってもう練習採炭をしているという話だった。
 命名通りこのヤマで最初に開坑した一番坑だから入れた訳ではなく、他坑と違って水平坑道の多い坑内であったため、斜坑が多い他坑より重い機械の出し入れがしやすいので、新しい機械の実験を行う事が多かったのだ。
 正造らの近くの切羽でやっているとは聞いていたが、その現場を見た事はなく一度は見て置きたいものだと思っていた。
 その日仕事でたっぷり流した汗も引き、坑口に向かって流れる寒風に身をすくめながらの帰り道、川原に話しかけた。仕事前に気を散らすような話をしないのが正造のやり方だったからだ。
「川よ。お前えにちょこっと訊きてえ事があるんだでや。一緒に上がるべ」
 すると川原も待っていたように応じた。
「オラも正さんに話があったどこだったハデ、ちょうどいかったでや」
 借りた安全灯を返したり、預けて入坑する鑑札(入坑証)を受け取ったりの出坑手続きが済んで、二人が肩を並べた頃には朝と同じく辺りは真っ暗になっていた。
 沢一つ隔たっているとは言え二人が帰る家路は同じ方角であった。冷水山の山裾近くに建ち並ぶ長屋群は歩いて二○分余りの距離にある。山腹の深い雪の中に重なり合うように滲んで見える灯の群落は、このヤマ一番の人口が斜めく集落でもあった。
「川よ。お前えいつだか喋ってら吉川って網元の話な、あン時の事バ今一回思い出してけれでや」
「……あの娘のためかや、正さん?」
 正造の頼みに一呼吸置いてから川原は訊き返した。
「ン?……。まアそうだ。お前えが小樽で見だ時、網元のなり(服装)はどんなあんべえだった?」
「どんなって?……」
「ホラ、そこらサ住んでるもんだか、よそから来たもんだか、なりや履いでるもの見だら、分かるっちゅう事もあるんでねえかや?」
「ウーン……。一年以上も前の事だし、ハッキリは覚えでねえども……。なりも悪かったし、元気もねかったなや。ウン。もしかセバあれは、ちょっとそこらに買い物サ出だえンた恰好であったかも知れねえなや……」
 川原は考え考えしながら言葉を継いだ。
「お前え、覚えでるだけそン時の事バ喋ってけれでや」
 着た物がどんなであったかまでは定かではないものの、何よりの心覚えは自分より零落した印象であった事を川原は更めて強調した。髪や髭がぼうぼうになっていたばかりではなく、以前には体全体から溢れていた精悍な気迫のようなものがまったく感じられず、師走の寒さにも拘わらず意外な薄着に見えた事を思い出しただけであった。
「……そうかや。それだけでも何かの足しになるべ。ところで、お前えの話ってなんだや?」
「今日は、晩げにでも正さんのどこサ行く気してあったのセ。まンズ変な噂聞いだもんだハッテ」
 川原の口調から正造は例の話だろうと感じた。いつかは自分の口から川原にも話さなければと思いながら、正月以後何の動きもないままつい口に出しかねていたのだ。
「何の噂な?」
 正造は念のため訊いてみた。
「イヤこれは噂だハデ、気イ悪くさねえで聞いでもらいてえんだども。正さん、岩田のおどと何かあったんだかや?」
「何かってなんだや?」
「ン? まンズけんかしたどか……」
「そった事してねえのは、お前えが一番知ってるべ」
「ンだハテ、オラは間違いだと思ってらども……。ンでもこないだから、正さんがおどうまくいがねくて、別に組バ立てるっちゅう話はホントかって、あっちこっちから訊かれでるのセ」
「だバ、お前えなんて喋ってるのよ」
「そした事はねえ! 正さんもおども仲いいし、第一何かあればオラだちにわがんねえ筈はねえって喋ってやったども……」
 噂というものは、事実や真実の周辺をつかず離れず巡っていながら、しかもほとんど真相を伝えない事のほうが多い。それは伝え手の思い込みや好みが味付けされ、口を経るごとに少しずつ形が変わってゆくからだ。人は自分に興味のない話題を、進んで他人に伝えるなどしないものだからだろう。
「その通りだや川よ。俺ラ、岩田のおどが好きだもの、おどとけんか別れなんか絶対さねえ! ンだハッて、この先もしかして別組立てでる時がきたどしても、俺ラだちは必ずうンまくやれる筈だや。何も心配さねっていい」
「正さん。セバ組割るのはホントなんだかや?」
 川原が立ち止まって声をひそめた。秘密な話し合いでもするように顔を寄せてきた。
「まだ何の話もねえども、もしかセバそうなるかも知れねえ。そした時には、お前えやさぶにはすぐ話すつもりはしてだ。今まで喋んねかったのは、まだ俺ラどこサ話がなんもねえっちゅう事だや。その代わり話があったバすぐ相談掛ける。それはさぶにも喋ってあるし、お前えサも約束する」
「オラの頼りは正さんだけだハデ。まンズ親子してまるっと寄っ掛かってれば、重たくてイヤになるべども、この先も頼むでや正さん!」
「言葉はおどけていたがどうやら本音のようだった。
「俺ラどこのゆき、すずちゃんサ字教えでるんだってな。生意気だ事して大丈夫なんだかや…」
「親の恥背負ってるめらしだハデ、できたら何とかしてやりてえンだども、オラもあっぱもべんきょはさっぱりだね。したバッてゆきちゃんに面倒見でもらってハア、今年は何としても学校サ入れねばなんねえど思ってるのセ。お蔭さんでハア、この頃はなんぼか読み書きできるえンた塩梅えで、オラたち一番喜んでるどこなのセ」
「そうかや、それだバいかったども。ゆきがいい塩梅に引っ張り回しているんでねえかって、ふさと心配してらどこだんだ」
「なンと! ゆきちゃんさまさまだや。それにオラえのすずが喜んでやってるみだいだハッて、それがオラには何より嬉しくてなんねえのセ」
 飯場に独り暮らしをしていた頃に比べて何という変わりようであろう。妻子を連れ帰ってからの川原は働く気合からして違ってきた。ついこの間まではどこかに得体の知れない翳を引きずり、何 あるたびに動揺していた川原だったが、まるで憑きものが落ちたように明るくなり何よりも仕事を休まなくなった。
 わが子の事をこれほど案ずる男が、何故三年余りも家族を放りっぱなしにしていたのか正造には不思議でならない。単に性悪女に引っ掛かっただけであれば三年は長すぎる。何か他に理由があったのかとも思った事がある。だがいずれにしてもうまく人前を取りつくろったり、騙し通せる男とは思えない。そんな川原のあまりにもあけすけな変わり方は裏も表もなくて可笑しかったが、それだけすずが可愛いのだろうとも思った。
「なアに、この頃は二人して佳代ちゃんどこサ行ってるみでえだ。ゆきも教えるどこでねえンだべ。まンズいい仲間ができでいかったども、佳代ちゃんは大変だべ。そうだ川よ。一回顔出ししておかねえかや?」
 話しているうちに正造の頭をある考えが閃いた。佳代子の母親を捜す事は吉川の行方を知る事でもある。だがその手掛かりは小樽でプッツリと切れている。それが手繰りだすほどの糸口かどうかは別としても、今はその辺りから始めるしかない。小樽で拾い出面をしながら過ごした事のある川原ならば、もしかして吉川が潜んでいそうな場所についての心当たりがあるかも知れない。
今必死に母の居場所を尋ね当てようとしている佳代子に、川原を引き合わせて無意味である筈はないと思いついたのだ。 「あア。正さんが行くんだバ連れでってけれでや。オラもすずの事バ頼んで置きてえし……」
 家に帰るとまだ炭塵で真っ黒な正造の手を取って、ゆきが息を弾ませながら喋りだした。
「とうちゃん、とうちゃん。今日は大変だったんだよ。すずちゃんがね、熱出したの。佳代ねえちゃんに負ぶって来てもらったんだから……」
 ふさの説明も交えて聞いたところによるとこうだ。今日例によってゆきが迎えに行きすずを連れてきた。ちょうど義 二が遊びに来て子供同士長屋の前で駆け回ったらしい。声を聞きつけて表へ出たきちが、引き返して手拭いを持ち出すほどすずは汗ビッショリになったという。だが暫く遊んだ後で二人は石川飯場へ向かった。
 夕方前いつもより早くゆきが帰って来たのに続いて、すずを負ぶった佳代子が姿を表したのにふさは驚いた。ぐったりしたすずの額に触れてみるとかなり熱っぽい。厚着を嫌うゆきが手を通したがらないのでまだ新しい綿入れを羽織らせ、今度はふさが背負い念のため家にあった熱冷ましの薬を持って川原の長屋まで行った。心配だからと同行した佳代子と、ゆきを道案内にしてきわに会いすずを渡した。
 負ぶわれて帰って来たすずや付き添った佳代子の事など、即座には事情を呑み込めないらしいきわは、それだけでも動転したらしくすっかり取り乱していたとの事であった。
「そうかや。そんな事があったのな……」
 すずの最初の印象からしてどことなくひ弱そうに見えた事を思い出した。体格も三つ年下のゆきとそう変わらないのは元々小さかったのかどうかは別にしても、聞く通り生来の弱さによるものなのかも知れないと思ったりした。
 先ほど川原は親子してまるっと寄っ掛かって云々と言っていたが、何となくこの先もこの親子と係わっていきそうな予感がした。晩飯が済んでから正造は新聞を読むためランプを明るくした。それをゆきが覗き込んで読めない字を指さして訊く。これも毎日の事であった。
「鉄国派の運動」という小見出しに続いて井上角五郎の名がある。鉄国派(鉄道国有賛成派)の井上角五郎、岡崎邦輔、林有造、竹内綱その他は議会延長しても鉄国問題を通過させようと猛運動を開始した、とあり正造はその記事に目を凝らした。
 日本鉄道、北海道炭砿鉄道を始めとして、全国に散在する九つの私鉄を買収する政府提出法案は既に固まっていた。その私鉄を買い上げ官営の鉄道とつなぐ事によって、日本全国を縦横に網羅する鉄道の国営計画は、賛成派反対派入り乱れての暗躍が続いているらしい。
 賛成派つまり鉄国派の中に、炭鉄の顔でもある井上角五郎の名はとうから上がっていたが、何故か政治面以外の欄では井角とか井の 角などと書かれる事もある。もしかしたら炭鉄の小樽港埋立地独占問題や、道内の流通輸送を一手にする炭砿鉄道の在り方に批判的な人々が、彼を山師扱いにする時の呼び方だったのか。それとも嘗て記者としての経験を持つ井上が、各新聞の記者相手に打つ長広舌の せいで、いろいろ失言の多い事を揶揄する意味があったのかも知れない。
 しかし井上角五郎が山師か大法螺吹きかは分からないにしても、彼が就任前までの炭鉄を大巾に改革し、後には日本の五大優良会社の一つに数えられてゆく実績は、この頃既に着々と上げつつあったのだ。炭鉄に働く者の中にはそれに気付く者もないではなかったが、どうしても直接わが身に及ぶ利害得失から見るために、経営者としての彼を評価する者は多いとは言えなかった。
 井上が何故鉄道国有に躍起になるのか正造に難しい事は解らない。しかしそこに大きな利益を伴う背景があるのだろうとは思う。ただ、何が何でも今国会中に買い上げの決定を見ようと急ぐ理由が分からない。売り急がなければならぬ訳でも炭鉄にあるのか。会期延長してでもその確約をとろうとする猛運動の必要とは一体何なのか。一旦手放したら自社の石炭を運ぶのに今度は国に運賃を支払わなければならなくなる。それも炭砿がある限り続く事になるではないか。
 鉄道売却による利益がいかに莫大なものであろうとも、それはたった一回の事にすぎない。まさかそれに目がくらんでの話ではあるまい。
 正造は更めてその金額を見てみた。小樽空知太間・岩見沢室蘭間の買い上げ代金は一千八万一七円とある。そんな数字はどう頭をひねってもどのくらいのものか見当もつかない。
 米一俵と石炭トンがほぼ同額の約六円前後であり、自分の稼ぎが一ヶ月二〇円前後の現在、身近に比べて見る物差しが見つからないほどの巨額というしかない。そればかりではない。日本中の主な私鉄を買い上げるとしても、およそ一億四、五千万もあれば足りるとした、憲政党代議士で鉄国調査会の委員長をしている星亨の談話に至ってはただただ驚く外はなかった。
 国の歳出総額が昨年は二億四、五千万であった。日本中のすべてを賄う歳出の半分以上に当たる金を出して、何でたった九社の鉄道を買い上げなければならぬのか。それほど必要な鉄道ならば、僅か 一〇年ほど前に何故タダ同様の価格で民間に払い下げたのか。
 二二九万円もの国費を投入して敷設経営されていた官営鉄道が、たった三五万円余りでしかも一〇ヶ年の分割払いに加え利子利益保証付きという信じられない条件で払い下げられた。それが北海道炭砿鉄道であった事を誰知らぬ者はない。その会社は去年一年の営業実績で一六六万円余りの利益を計上し、しかも炭砿と鉄道を合わせ一万人以上の人員を擁する大会社になっていたのだ。
 このところ炭砿部門の景気は下降気味で坑夫の数が減っているとは言え、鉄道部門の業績が固く上昇の一途をたどっている筈である。
 北海道への移住が年ごとに増え、道内の産業はそれに連れて少しずつ活発化してゆく事で鉄道は益々発達し、従って利益の向上も見込まれる事は確実であった。それを見た政府が、再び鉄道を取り戻して国営にする事をもくろんだのだろうか、と下司の勘繰りをしたさえあった。
 それはともかく、一〇年前には鉄道一切が約二五万円、炭砿が約一〇万円として払い下げられたのを見れば、炭鉄の資産評価は鉄道が炭砿の二倍半に当たる事になる。その主な資産のほうを買い上げられるとすれば、炭鉄が激しい運動を展開しても高く売りつけようと画策するのは当然かも知れない。しかし、一〇年間で評価が四〇倍にもなるものだろうか。売るほうも売るほうならば、買うほうも買うほうだと思わずにはいられない。
 とは言え、どんな価格に評価されようとも議会でそれが承認されなければ、所詮は画に描いた餅にすぎない。従って新聞での書かれ方からすると、相当に生臭い駆け引きが今国会の会期末まで続く気配であった。
 こんな話が坑夫仲間の話題になる事は滅多にないと言っていい。だが正造はいつの間にかそんな成り行きを気にするようになっていた。自分が働いている会社の事だけに、次第によっては無縁である筈がないと思っていたからだ。

 次の日ごく当たり前のようにすずの所へ行こうとしているゆきを見て、ふさは二、三日待つように言って聞かせた。すずの発熱が一日で下がるとは思えなかったし、そうであれば尚その事だけに気を奪われてしまいそうなきわの姿が、三年前の自分の姿と重なって見えてくるのだ。
 あれは初めての経験であったし、おまけに正造は秋田へ帰って留守だった。どうしていいか分からずただ心細さに泣き出したくなるのを必死でこらえていた事を今もって忘れられない。うめやトミを始めとして長屋の女たちが次々と見舞ってくれた。
 その中に隣合わせていながら挨拶以外ほとんど言葉を交わした事のないきちの顔もあった。けんかしたりいがみ合った訳でもないのに、何故か付き合いの薄いきちについては、世間の噂以上に知っている事は何もなかった。そのきちから、町では普通でもこのヤマではあまり聞かない医者の往診を頼めと言われて、この人は本気で言ってくれているのだろうかとふさは疑った。
 炭鉄から委託を受けて診療所を開いているとは言え、稀に三人いる事はあってもほとんど一人か二人で怪我病気の両患者を診ている医師が、滅多な事で坑夫長屋に往診してくれる筈などない。そんな事は長屋に住む者の常識であった。それを知った上で気休めに言っているのか、それとも知らずに話しているのかふさはその真意を量りかねた。その次第によって判断のつくきちの人柄は、結局のところよく分からなかった。ただ一つ分かった事があった。
 子供のいない夫婦だったが、嘗てきちは子持ちであったという事であった。子供の発熱の手当てに失敗して大事に至った事をポツリと洩らしたのだ。もしかしたらその経験の故に、親しくしていた訳でもないわが家に顔を見せたのかも知れない、と後になってふさは思った。だが来たのはその時一回限りで、その後再びこの家に上がった事はない。
 あれからもう三年になる。ゆきはあれ以来熱を出すどころか咳一つしない丈夫な子に育った。秋夫は何度か発熱したり風邪を引いた事もあったが、ふさはいつしか狼狽える事もなくなった。そうした時に備えて少々の薬など常備するようになったりして、曲がりなりにも親としての経験も積んだ。その薬を昨日きわに渡してきたが、それが役立ってくれればいいがと思っていた。
 一人ではつまらないのかゆきは佳代子の所へ行く気配もない。義二と遊んでいる秋夫を眺めながらも、自分のほうから進んで駆け回る事もしない。珍しい事だ。もしかしたらとふさはさり気なくゆきの額に手を触れてみたが、熱などはまったくない。やはりすずがいない事に戸惑っているとしか思えなかった。
 正造の話によれば、すずの熱は朝になっても下がらないので川原も気にしていたという。
 翌日どうにも落ち着かないゆきが、たまりかねたように言った。
「かあちゃん。すずちゃんどこサ行ったらダメか?」
「ダメ! すずちゃんはまだ熱下がってないって、とうちゃんから聞いたネハ? すずちゃんもおがさんも今が一番せつない時だのセ。そこサゆきが行ったバどうなる。ムリしてもっと悪くなったバ何とするの? 心配だバかあちゃんが後で行って見でくるから、今暫く我慢さねバダメ。分かった?」
 ゆきは仕方ないように頷いた。
 三年前夜通しゆきに付き添っていた時の、居ても立ってもいられなかったつらさが思い出される。熱にうなされて喘ぐゆきの息づかいが、助けを求める悲鳴のように聞こえたのにどうする術もなかった。代わってやれないもどかしさに責められながら、ひたすら時の過ぎるのを待っていた時間のどれほど長く感じられた事か。
 今はきわが同じ思いをしているのかも知れないと考えれば、決して他人事には思えないのだ。
 後で行って見るとゆきに言いはしたがその日はとうとう行けなかった。夕飯の支度のために表へ出た時、買い物から帰って来るきちと顔が合った。まだ普通の歩き方に戻れず少し足を引きずっていた。
「ふささん。さっきゆきちゃんから聞いたんだけど、すずちゃんはまだ熱が下がらないんだって?」
 ふさは正造から聞いた話を伝えた。
「オラ、明日にでもチョコッと顔出しして見るつもりでいるンス」
 眉をひそめながら聞いていたきちが、ふさの顔色を窺うように切り出した。
「私もついて行っちゃいけないかね?」
「えッ。姐さんが?……」
 何で、とは口の中に呑み込んできちを見た。あまりにも突飛な気がした。
「イヤ、出過ぎた事とは思うんだけど、今度の事じゃゆきちゃんにはもちろんだけど、あのすずちゃんにも助けてもらったりしたし、この前から気になってたの。それにすずちゃんが熱出したのも、もしかしたらって少し気が咎める事もあってね……」
「何か?……」
 きちがすずの発熱に関係があったとは意外だった。
「いや私が直接どうこうしたって事じゃないんだけどね。一昨日表で遊んでたすずちゃんが、ビッショリ汗を掻いていたのは私知ってたの。あの時直ぐムリにでも家の中に入れてやれば良かったのに、拭きなさいって手拭い渡しただけだったの。なんて気の利かない事したんだろうって、昨日からずーっと気になってたのよ」
 思いがけないというより不思議な気のする言葉であった。誰の口から聞くより最も意外な人の口から聞いた思いであった。うめやトミが言ったのであれば別だが、思わずきちの顔を見てしまった。
「……まンズ、子供はどした事で熱出すかわがんねえんだハテ、姐さんが気に病まねえでも……」
 そんな風にいうしかない。
「そうかも知れないけど、折角仲良くなったすずちゃんだし、知らん顔してるのも何か気になってねえ。ふささん明日行く時に声掛けてくれない? ちょっと顔見るだけでもいいから連れてってよ」
 異常な熱心さである。
「オラは構わねえども……」
 きちと別れて買い物へ行く道々考えたが理由は分からない。結局 きちはすずが好きなのだろうと思った。どこかオドオドして気の弱そうなすずを、不憫に思っているのかも知れないと考えるしかなかった。
 その夜正造に訊くと、すずの熱は依然として下がっていないそうだとの事だった。
 次の日子供たちをうめに頼んでからきちを誘った。出て来たきちは早々と身支度を済ませ、声の掛かるのを待っていたようだった。
「何かすずちゃんが喜ぶものないかしらね」
 見舞いの品を考えているらしいのだ。だがそんな事をすれば恐らくきわが戸惑うに違いない。あの口の重いすずがきちの事を母親に詳しく話しているとは思えなかった。そこへ仰々しく見舞いの品などを携えて行ったら一体何と思うだろう。どんな説明をふさがしたとしても、恐らく尻込みしそうなきわの表情まで想像できた。
 今日は様子を見るだけにしてときちを納得させてから、川原の家に向かった。
 沢越えの坂道が恐いのかきちの歩き方は極端に慎重であった。怪我以来どうしても以前と同じ歩き方ができなくなったという。未だに日常の買い物に行くぐらいの歩行しかしていなようであった。
「私はねふささん。このヤマに来て六、七年になるけど、市街地に行く事はあっても、この沢を渡って三番坑長屋のほうに行った事はないの……」
 きちに歩調を合わせていたふさは驚いて立ち止まってしまった。
「……ここにはほとんど知り合いもいないし、出て歩くのもあまり好きじゃないしね……」
 その言い方がどことなく弁解じみて聞こえたのも、言外に別な響きを感じたからだ。
 それにしても信じられない話だ。半日もかかる遠い所ならいざ知らず、大声で怒鳴れば聞こえるぐらいの隣部落に一度も足を運んだ事がないとは、単なる出無精にしても度が過ぎるような気がした。
「姐さんの国方はどこであったスな?」
 言葉訛りから恐らく関東近辺ではないかと思ったが、立ち入った会話をした事などほとんどない。
「……生まれは武州川越。堅苦しいばっかりの父親は松平藩の元さむらい。とっくに亡くなったけど、世渡りの下手なところは血筋かも知れない……」
 一呼吸置いてからポツポツと区切るようにいう。話す事にかなりの躊躇いがあるように聞こえる。
「なしてこの炭山サ来たのセ……」
 訊きたくて発した質問ではない。きちに合わせた歩調に間が持てなくなり何となく出た言葉であった。だがきちからの返事はない。少しして振り返ると、いつか四、五歩の間が空いている。きちが立ち止まっているのだ。
 ふさはそれがたった今自分の口から出た質問のせいだとは思っていない。
「やっぱり足痛いんでないのセ?」
 急いで後戻りしたふさにきちは首を振った。
「そうじゃないの。ちょっと考え事してしまって……」
 又歩き出しながらきちは苦しそうに言った。
「今度の事じゃふささんに随分世話になってるのに、うそをついては申し訳ないし……。と言ってホントの事は中々一口じゃ言えなくて……。御免ね、ふささん」
「えッ……。イヤ、オラは何もそしたつもりで訊いたンでねかったンス。気イ悪くさねえで……」
 拓かれてまだ一〇年ほどの炭鉱だが、仕事を求めた全国各地の人々が集まっている。開坑当初は会社が飯場主らに人集めを任せていたが、今では自ら募集に応じて来る者も少なくはない。それにしても、多くの人々は何かの理由で失業を余儀なくされたか、前職をしくじったかの人々である事は間違いない。
 生え抜きの炭山坑夫などまだ育ってはいない頃の事だ。それだけに各県各地から寄り集まった坑夫の会話には、いつか必ずと言っていいほど出身地を尋ねる一言が添えられる。知らぬ者同士が会話を交わす何よりのキッカケでもあろう。大抵の人は大なり小なりお国自慢を持っている。それを話したり聞いたりするところから話が滑りだすのが普通であった。
 しかし中には知られたくない過去を抱えていればこそ、人目を避けて僻地にやって来たという人もないとは言えない。
「ふささんのせいじゃないわ。でも一つだけ話して置いたほうがいいかも知れない。実は……。ずっと昔の事だけど、私にも母親だった時期があるの……」
 やっぱりと思った。だが嘗てそれらしい事をふさに洩らした事は忘れているのかも知れない。ふさは黙って頷いた。
「一五、六年も前の事だけど、一人娘を病気で亡くしたの。その時娘は六つだった。今でも思い出したくないほどつらい出来事だった……。あの時から最近までずっと子供が恐くて、どうしても近づけなかった……」
 何の病だったのか知らないが、六才の娘はきちが怯えるほど苦しみながら死んだのだろうか。
「だけどこの前私が転んだ時、何にも言わないで、じっと私の傍についててくれたすずちゃんを見てるうちに、どうしてだか死んだ娘を思い出したの。生きてればとうに二〇才を過ぎてる私の娘も、あんな風に体も気も弱そうで頼りなかった。そんな感じが似てたのかも知れない。何かこのまま放っておけない気になって……」
 坂道は踏み固められてつるつる滑る真ん中辺りよりも、足跡がそのまま残っている道の両端のほうが安心して歩ける。だがあまり端に寄りすぎると却って雪に嵌まり込んだり、履物をとられたりするので油断はできない。
 ここでは一年中で今が一番冷え込む季節だったし、転んで怪我をする人も一番増える時季でもある。話す事に気をとられて上の空になりがちの足下に、ふさはそれとなく気を配った。
 あけすけな冗談を交えて気楽に話す近所のかみさん連中と違って、きちの口調は何を話すにしても重く深刻になりそうな感じがした。
「……私が娘を失う事になったキッカケがやはり熱だったの。いつもより少し顔が赤いなと思っていたのに額に手も当てて見なかった。そのまま使用人任せで外出してしまい、結局手遅れにしてしまった……。その時はいろんな事情があっての事とは言え、娘を取り返しのつかない事にしてしまった落ち度を責められれば、私に何の申し開きもできなくて……」
 昔は使用人を置く家の内儀か奥方だったとすれば、白川と一緒になる前の事だったのか。それにしても血を分けたわが子の死に遭遇する場面を想像しただけで身慄いが走った。通り一遍の気休めを言って慰めたり、事情の詮索などふさにはとうていできなかった。
 それっきり話が途切れて川原の家に着いた。
 不意に訪ねられたきわはかなり驚いたようだった。それもふさの見舞いだけならばともかく、一緒に来たきちを見てきわはかなり不安な表情になった。思った通りである。ふさは手早く説明しようとしたが却って言葉に詰まった。
 だが会釈をしながらふさの前に出てきたきちが、チラッと奥に目をやった後自己紹介を兼ねた挨拶を始めた。それは同行したふささえも、思わず耳を傾けたほど流暢でそつのない口上だった。人との付き合いにかなり慣れた女の態度で、初めて見たきちの一面でもあった。
「突然にお伺いしてさぞや不躾なと思われたかも知れませんが、こちら様のすずちゃんとは、このふささんやゆきちゃんを通じて仲良くさせて頂いている白川と申します。三原さんの隣に住まっておりますのでどうかお見知り置き下さい。二、三日前からすずちゃんの姿が見えないのでお聞きしたところ、具合がよくないとの事なので心配しておりました。そこで今日こちら様に伺うというふささんにお願いして、ご無礼もかえりみずついて参った次第です。いかがですか。すずちゃんの具合?……」
「ハア? それはどうも……。まンズこっちサ……」
 そうでなくても口数の少ないきわは、きちの挨拶に満足な返事もできないように見えた。
「ンだバ、ちょっと上がらへでもらって……。さア白川の姐さんも一緒に……」
 ふさはきちにも勧めながら座敷に上がった。
 長屋借りしてそれほど日の経っていない川原の住まいは、まだ物も少なくどことなくガランとした感じがある。壁紙代わりの新聞紙や目貼りも、前に住んでいた者が貼ったと思われる燻りや汚れがそのままであった。先日も感じた事だが、川原夫婦はそうした事には無頓着なほうかも知れない。
 すずは薄い布団の上に川原やきわの物らしい半纏や着物を掛けられて寝ていた。額に当てた手拭いがずり落ちないぐらい顔を向けたすずは、まだ熱っぽい目つきをしており苦しそうだった。
「どれすずちゃん。まだ寝てだかや? 可哀相にね。ゆきも寂しがってるよ。早く治して遊びにこねバね」
 ふさが話しかける傍にきちもにじり寄ってきた。
「すずちゃん、元気出してね。おばちゃん、すずちゃんが来ないんで、とっても寂しくなって来てしまったの」
 言いながら枕元に膝をずらしたきちは、手を伸ばしてすずの額に触れた。濡れ手拭いの位置を直し返す手で布団の襟を引き上げ、寝乱れた髪を撫でたりした。目は細く優しくなり、傍目には身内の誰かが見舞いに来ての仕草かと見えたかも知れない。
 更めてふさは、すずに対するきちの思い入れの並々ならない事に気付かされた。
「熱が下がらないって聞いたども、今日の塩梅はどう?……」
「ハア。僅ンつかずつは、いぐなってるようだども……」
 そうでなくてさえ陰気に見えるきわだが、介抱疲れが加わったか更に暗い顔つきで答えた。だが言葉通り少しずつでも快方に向かっているように感じられないのは、この母子の表情や態度のせいかも知れなかった。
「すずちゃん。お医者には?……」
 問い掛けはすずにしているようでも、明らかにきわへ向けられているきちの口調は、少しばかり苛立ちが籠もっているようにも聞こえた。
「イヤ……。まだ……」
 少し間があっての答えだ。きっと責められたように感じたのだろう。
 ムリな事だ。三日前佳代子と送り届けた時ですらかなりの高熱であった。それがまだ下がっていないのだ。第一子供の発熱ぐらいで医者よ病院よと大騒ぎする親はこの辺りに少ない。そんな事が知れただけで近所中の噂の種になりかねない。そうでなくても足りない医者や診療所は、怪我人の扱いだけで手一杯な事をこの人はまだ知らないのか。ゆきの時にも似たような事を言っていた。
 来る道々聞いた苦い経験が言わせる事でも、その家その土地にはそれぞれの事情というものがある。ふさは口の重いきわに代わって答えた。
「まンズ熱出してればハア、どこサも連れで行けねえものセ。医者も診療所もムリだよねえ……」
 ふさとのやり取りにしても、きわにはつらい言葉であったろう。
「どしてもダメだ時だバ、ずっぱり着せでもくるんでも連れて行くども、まンズ子供の風邪だバ、なるたけいごかさねえほうがいいんだハテ……」
「それで済んでくれれば、一番いいんだろうけどね……」
 まだ何か言いたそうな口ぶりであったが、初めて訪れた家でさすがにそれ以上言える筈がない。
 親にとってみればわが子の病気は何をさて置いても、と考えてしまうのは当然かも知れない。だがそれさえも場所とか状況によって制約をうけてしまうのも仕方のない事であった。
 とは言え医者も病院もきわめて少ないこのヤマだったが、不思議な事には近くの山にいくらでも自生する薬草などを常備する家さえ多くはなかった。それほど移動が激しく尻の落ち着かない暮らしであったし、医者に診てもらうどころか、薬の類すらよくせきの事がなければ無用のものと思っている坑夫が結構いたのだ。
 縞の着物の裾をキリッと端折り、手甲脚絆に菅笠わらじの装束で、紺無地風呂敷に包んだ薬の行李を背負い、人の住む集落があれば必ずやって来る富山の薬売りさえも、近頃になってやっと各戸に置き薬をするようになった。どうやら定着する者が増えてきたと見たのだろう。少し前までは半年一年を置いて訪ねて見れば、置き薬どころか主が変わって行方知れずという事も珍しくはなかったのだ。
 子供の発熱は親たちを慌てさせ心配させるが、何度か経験を積めばほとんどが一時的なもので、案ずるほどのものでない事を知る。そして親子でじっと耐えてやり過ごすようになる。
 それが当たり前と考えられていた頃だ。寝る事とまわりの励ましが何よりの薬だったのだ。
「すずちゃん。これバリの熱サ負けだらダメだよ。あしたかあさってサなれば、ウソみでえに元気出るからネ。ホレ、ちゃっとけっぱって……ね?」
 ふさは精一杯明るくすずを励まし、きわに向かってさり気なく話しかけた。
「子供の事だバ、いつだり親の気は休まらねえもんだども、それも一っ時のものセ。下がらねえ熱なんてないんだハテ。今度は姐さんの体バ気イつけでたンセ」
 年こそきわより下ではあっても、二人の子を持つ母親の経験が言わせる言葉なのだ。
 茶も出さねえでと恐縮するきわの言葉を背に二人は立った。すずに亡き娘の面影を偲んでいるきちとは言え、見舞いに長居は迷惑と知らぬ筈はない。
 帰り道のきわはまだ未練がましく言った。
「ここはほんとにお医者の少ない所だから、大丈夫だろうかね?……」
「風邪だバ、医者サかからねくても大丈夫セ」
「そうだといいんだけど。まだ熱もあったようだし、何だか気になって仕方がないの」
 恐らくわが子を失った時のつらい記憶は死ぬまで離れないものなのだろう。だが、どこか似ているというだけの他人の子に、そこまでのめり込むきちが少し異常な気がした。いう通り嘗ての不幸な体験から、これまでは子供が恐くて近寄れなかったという告白がうそのようなすずへの傾斜なのだ。それほど惹かれる何かを感じたのであろうか。ふさには到底理解し難いきちの態度であった。
 隣合わせていても今までは互いにまったく干渉なしで過ごせたが、これからはそうもいかなくなりそうだった。その事は別にイヤではないが、何か複雑な過去を引きずっているらしいきちとの付き合いは、少し重いような気はした。
 ふさの帰りを待ちかねていたゆきは、まだ当分すずと遊べない事を知らされてがっかりしたようだったが、さすがに諦めて翌日からは一人で佳代子の所に出掛けて行くようになった。

 気付いてみればいつの間にか節分も過ぎていた。ありったけの重ね着でもしていなければ、家の中でさえ体の芯から冷え込んでくるのを防げなかった。
 ストーブなど草葺きや柾屋根の長屋に許される筈はない。煙突から火の粉でも飛んだら一巻の終わりとなる。だが寒さ凌ぎや煮炊きにもちろん火は欠かせない。そこで坑夫は表でカンテキに石炭を燃やし、真っ赤におきたところへ水を掛けて冷し自家製のコークスを作ったりする。これだと家の中にある火床に直焚きする事もできたからだ。
 火力は強いが煤煙も多い夕張炭は家庭の燃料や炊事用に向かないとされている。それでも金がなくなって木炭を買えなくなると、背に腹は代えられぬとばかり盗炭をする者が後を絶たない。だが仕事帰り監視の目を掠めて、スコ(わらで編んだ腰当て兼用の工具袋) に隠して運ぶ塊炭の一つや二つだけでは、煮焚きと暖房の一日分をまかなう事などとうていできはしない。とは言え日ごとに会社の警戒が厳しくなり、貯炭場や輸車路付近をウロウロしただけで怪しまれてスコを覗かれたりするため、あわや殴り合い寸前までいったなどという物騒な噂も流れた。
 坑夫たちが当然のように石炭や薪にするための坑木を持ち帰るため、会社は巡視の者を増やし、その者らにかなりの権限を与えたとかいう話は去年秋頃からあった。だが稼ぎが減りいろいろ不満のある坑夫らの中には、ひるむどころか却って反抗的に盗炭盗材を堂々とやりだす者さえ出てきた。
 これまでの巡視は大体が元組長らが中心であったため、坑夫らには結構睨みが利いていた。だが巡視を増員するに当たってはそうした人間ばかりでなしに、三区に住む簗田の配下を入れた噂がヤマに広がった。
 元は一番坑で支柱夫をしていた坑夫とは言え、今は街に賭場を構える博奕打ちである。何かと言えば啖呵を切って暴れまわるやくざ者の子分を雇って、土場(貯木場)や貯炭場の警戒を強める会社に対して、気の荒い連中がいっそう反発する姿勢になったのかも知れなかった。
 博奕好きはどこの世界にもいるものだが、なまじな町より人の出入りの激しい炭山は、金の出入りも派手でそれに目をつけて集まる博徒やくざも多い。その上辺鄙な未開地であったため司直の手も薄く、彼らはいいように羽根を伸ばしていた。
 つい最近も、坑夫長屋でこっそり開帳した素人博奕の場に乗り込んだ簗田が、脅しを利かせた揚げ句テラ銭の六分を巻き上げた一件は昼休みの恰好な話題になった。
  そんな連中の手を借りれば、持ち出し注意や警告の手順など無視されるのがオチだ。直ぐさま泥棒呼ばわりから、一転して目こぼし料の強要まで一本道になってゆくのは目に見えている。
 こうした手合いは、人の寄る所金の匂いのする所に独特の鼻を利かせて割り込んでくる。その上警察の手薄をいい事に半ば公然の賭場を開いて荒稼ぎをするのだ。それでも年に一、二度は岩見沢か 何十人もの警官がやって来て、坑夫長屋での博奕開帳に大手入れをする事がある。だが不思議な事に市街地で堂々と賭場を開いている越後常や、簗田が挙げられたという話はほとんど聞いた事がない。その代わりかどうか、半可打ちの坑夫を含めた下手な横好きが、賭博常習者として数珠つなぎで引っ張られる事になる。
 そうなれば仕事に支障の出る現場もある。そんな時会社では捕まった坑夫の上役を、もらい下げと称して警察に行かせる。その外、どういう訳か簗田らを通じてもらい下げに行かせたりする事もするのだ。こうした事に手慣れているところを利用するつもりなのであろうか。
 それにしても涼しい顔でもらい下げに行く連中の厚かましさはもちろんだが、そんな連中に身元保証をさせて引き渡す警察の腹の内はもっと解らなかった。だがこの炭山ではそれがごく普通に行われていた事は間違いない。
 こうした口利きやけんかの仲裁などを買って出てやくざは貸しをつくり顔を売る。その上で頻発する火事の際には、この時とばかりに男稼業を目立たせるべく鳶口を振るい、破壊消防の先頭に立ったりする。
 夕張は水利が悪く器具が不備なため、火が出たら放水で消せるのはほんのボヤ程度でしかない。火勢が強くなったと見れば、消すより延焼を防ぐのが消防の仕事とされている。従って火の向かう方向を判断して先回りし、少々の建物は叩き壊しても火勢を削く空き地を作るのだ。そこを火止めの拠点とするのが普通のやり方であった。
 火事と聞くや本職を放り投げて現場に飛ぶ駆けつけ消防は、決して金になる仕事ではない。好きでなければとうていやっていられない。消防貧乏乱暴と言われるのもその辺にある。
 ともあれ消火に成功すれば人々に感謝され頼もしがられる。そこが消防手の生き甲斐の一つかも知れない。だが火事場につきものの野次馬や、類焼を気づかう人々の気を惹くように派手に声を出し、そこら中を壊しまくるやくざは、消火の実績以上に目立って評判になったりする事もあるのだ。
 会社は盗難警戒という名目で彼らを雇った。従業員同士で盗った盗られたと痔の明かない言い合いをするよりも、一声で坑夫を脅し慄え上がらせて手荒く再発を抑えようと図ったのであろうか。
 ヤマの長屋でストーブは許可にならなかったが、それ以外の借家に住んでいる者を制限する事はできない。その人々は従業員割引で石炭が買えた。一叺(かます)が一○銭の切り込み炭という山出し炭に限られていたが、それでも坑夫にとっては決して楽な出費ではない。山出し炭とは坑内から出たままの未選別炭の事をいうのだが、選炭の手間がかかっていない分だけ安くなっているとは言え、坑夫はその値段でも決して納得はしていなかった。
港湾渡しや店頭販売価格では種類や等級でかなりの差があり、トン当たり八円の幌内塊炭から最下等の盤炭で二円四〇銭というのがこの頃の相場であった。
      塊 炭    粉 炭    下等塊炭
 幌 内  八円〇○銭  四円五〇銭  三円五〇銭
 幾春別  六円三〇銭  四円二〇銭  三円三〇銭
 空 知  六円八〇銭  四円五○銭  三円三〇銭
 神 威  六円五〇銭  四円五〇銭  三円三〇銭
 夕 張  七円八〇銭  五円八〇銭
 この他にも中間の等級によって値段は様々であったが、幌内と夕張炭が質も価格も突出している。しかし製鉄製鋼あるいは工場船舶の原動力となるボイラー用に向いてはいても、家庭用の焚き料炭としては値段も用途も合っているとは必ずしも言えない。粘結性も火力も強いがその分ストーブの傷みを早め、煤煙と灰分が多い欠点もある。
分売する場合一八収で一トンとされていたが、切り込み炭とはいってもトン当たり一円八○銭しか取れない社内販売を、会社は破格の安売りと考えていたようだ。何しろ下等炭より更に下の未選別炭でさえ二円四〇銭で販売していたからだ。
 だが坑夫たちは会社の言い分通りに受け取ってはいない。何よりの不満はもちろん賃金の低い事にあったが、それに次いでは長屋に対する数々の不満である。馬小屋程度の造りに家族もろとも押し込められ、一円五〇銭の家賃を天引きされるのを納得している者など 一人もいなかった。
 その上坑内に働く者は安全灯の油代として約五〇銭を上げ金から差っ引かれる。それが質の悪い魚油から上質の白紋(しらしめ)油に替えたとかで、数年前より一五銭も高くなっている。その他訳の分からない救済費とか衛生費とかいう名目で、合わせて一五銭も引いてくる。更に道具工具の代金は購入修理も含めてすべて自前となっている。
 呑んだ食った着たの費用をそれぞれが払うのは当然であり、誰もそれに文句はつけられない。だが仕事に絶対必要な油や工具の費用までが各自の負担、というのが何とも合点がいかない。
 たとえば家賃一つだけをとっても、この程度の長屋ならば今の半分ぐらいが相場で、明らかに会社のぶったくりだという者が多かった。
「どんなに貧しくても百姓ならば、自分で作った物を食うのに一々金を払う者はない。なのに坑夫が自分で掘った石炭を使えないとはどういう事だ。何も掘った分全部をくれといっている訳ではなし、 冬の間だけほんの少しもらったところでバチも当たらないだろう」
 そんな屁理屈が通らないのは百も承知の憎まれ口だが、会社への当て付けも半分手伝っていたとしか思えない。従って隠れてスコ一杯の盗炭を繰り返す坑夫がなくなる筈はなかった。
 長屋の軒端に吊るされているよその家の新束からは、木っ端一本引き抜く事さえできない小心の者たちが、会社の物となるとまるでわが物の如く持ち帰ってくるのだ。その辺りが不思議でも不可解でもなく罷り通ってしまう空気が確かにこのヤマにはあった。
 だがそのうち磐箱(背負い箱)を背負って貯炭場に入り、堂々と運び出す者が出てくるようになっては会社もそれを見過ごす筈はない。折悪しく炭界の不況が始まり、各港湾貯炭場にできた在庫の山を事々しく各新聞が伝え出すと、躍起になって盗炭対策を講ずるようになった。再三の警告と注意を加えても改めない者はクビにすると脅した。それでも一向に減らない盗炭盗材に業を煮やしたか、やくざを使ってでも監視警戒を強めるという姿勢を打ち出してきたのかも知れなかった。
 そんな連中が肩を怒らして鉱業地内を歩き回っている姿は、正造も最近何度か目にした。去年の夏頃には市街地の通りを、着流しに白木綿の兵児帯を締め薩摩鉄砲の半纏を弥蔵にきめ、これ見よがしに粋がっていた三下連中であった。堅気の職人や坑夫たちが着用する半纏は、もらい物や質流れに限らずほとんどが紺木綿の印半纏 だ。だがやくざの半纏は薩摩鉄砲と呼ばれるかすりの筒袖で、その 違いは一目で判った。
ついこの間までそのなりで往来をのし歩いていた連中が、少しばかり衣裳を取り替えたぐらいで中身が変わる訳はない。それどころか会社に命ぜられた巡視以外の差し出口と、嵩にかかった物言いで各所に悶着を起こしたのも当然であった。
 その朝正造は輸車路沿いの雪道で市川に会った。顔が合ったのは暮れ以来の事だ。
 市川に出会って思い出した事があった。
「市川よ。ちょっと頼みてえ事があるンだどもな……」
「ハア。何でしょうか?」
 まだかなり暗い早朝であったが、市川の真剣な表情が見えた。
「……労働世界だっけかあの新聞? あれ、俺ラも読んで見てえと思ってるんだや。お前え、何とかしてけねえがや?」
「えッ。本当ですか? 北川さんのを読んだんですね」
「ンだ。まア、俺ラだには難しくてわがんねえどこもいっぺえあるどもな。だどもいい事も書いでらし、なんか普通の新聞と違うどこもあるべ? そこサ目エいったんだや」
「やっぱり三原さんは、よく読んでくれてるんですね。いいですよ、すぐ頼んで置きます」
 市川は嬉しそうに言った。並んで歩いてみると華奢ながら正造より上背はある。
「お前えは、ずっと前からあの新聞読んでるのな?」
「ずっと前といっても一昨年頃からです。でもあれが労働組合期成会と鉄工組合の共同機関紙として発行されたのは、その前の年の十二月だったそうですから、創刊以来の読者に近いかも知れません」
「機関紙? 新聞ではねえのかや?」
 耳慣れない言葉だ。
「どっちでもいいんです。労働世界は始まりが期成会や組合員のために発行したものですから、一般の新聞販売店では扱っていないというだけですよ。でも講読申込みをすれば誰にでも送ってくれます。但し月二回しか出ませんけどね」
「あんな新聞読んでる東京辺りの職工だバ、まンズ大した人間いるんだべも……」
「そんな事はありませんよ。そりゃア確かに去年の暮れで、期成会に加入する組合員は五,○○○名に届きそうだって言われてます。だけど組合費や労働世界の講読代金を払わない者が、二割近くもいるんだそうです」
「ホウ、何でだや?」
「理由は分かりません。でももっと悪い奴もたくさんいるそうです。二、三回の組合費を払っただけで病気になった怪我をしたと申し出て、規定の救済費を何十円もせしめ、揚げ句の果ては脱会だ滞納だと逃げ回るんだそうです。結局組合ではそんな連中を除名しない訳にはいかなくなります。そういう者のために会計がだんだん苦しくなってゆきますよね」
「どこにでもそした野郎はいるんだなや。したどもお前えは大した詳しいな?」
「俺もこのヤマへ来る前は、東京で鉄工組合に入っていた一人なんです。だから知ってるったってみんなあの労働世界の受け売りですよ」
 そうは言っても酒だ女だ博奕だでその日を過ごしている同じ年頃の若者に比べ、えらい違いだと正造は思った。もう少しこの市川と話してみたかったが、もう安全灯場が目の前だった。
「近いうちに、三原さんのところへ伺っていいですか?」
 正造の腹の中を読んだような市川の言葉だった。
「オウ。いつでもいいから来いでや。あ、それから北川サ喋っておいでけれ。近えうちに俺ラが行くからってよ」
 川原を連れて行くつもりだったが、すずの発熱で誘いにくくなっていた。北川が川原から何か手掛かりを得ようと焦れているかも知れない、と少し気になっていた。
 市川が訪ねて来たのは次の日の夜だった。
「お言葉に甘えて早速伺いました」
 手には労働世界をかなり束ねて持っている。 正造は自分への来客を一々ふさに紹介したりする事はなかったが、ふさも決して詮索がましい目を向けたりはしなかった。
「オウ上がれでや。おい、酒ッコ……」
 男の客となれば酒で挨拶はその次といった具合だ。言われなくてもふさはそのつもりでいた。
「イヤ三原さん。俺は酒呑めないんですよ。いい年をして笑われそうですが、匂いでも酔っぱらうほうなんです」
「何と珍しい坑夫だなや。セバお茶か?」
「何も構わないで下さい。俺は三原さんと話をしたくて来ただけですから……」
 ふさはこのヤマに来て酒を呑まない男に初めて会ったような気がした。いいにつけ悪いにつけ始めか終わり又は区切りや節目に酒、というのが男の付き合い方なのだろうと思っていたぐらいだ。
 ふさにはそれだけでも充分に印象的な若者であった。正造がいくら勧めても薄縁にキチンと揃えた膝をくずそうともせず、佳代子と同じ言葉訛りの若者はひたすら話す事に熱中している。
 正造と若者の間に置かれた新聞の束は、この正月正造が読む事に熱中していたのと同じもののようだ。聞くともなしに聞いていると、期成会だの組合だのと、時々やって来る永岡や南と同じように難しい事を言っている。
 ふさがお茶を出した時その若者は、両手をついてこんな事を言ったのだ。
「有り難うございます。私は去年の秋口、三原さんに命を助けてもらった市川鉄次という者です。ずっと北川さんの下で仕事を教えてもらっております。今夜は、三原さんがこの新聞を読んでみたいというんでやって来ました。もしかしたら、これをご縁に時々お邪魔するようになるかも知れませんので、どうかよろしくお願いします」
 言い終わると丁寧に一礼した。ふさはびっくりした。大方は堅苦しい挨拶や口上が苦手という客が多いのだ。それに亭主にならばともかく、女房にこれだけ筋を通して名乗る男など今まで見た事もない。
「ハア。まンズ丁寧にどうも……。 汚いどこですが、いつでも来てたンセ」
「オイ市川よ。命バ助けだなんて大袈裟だ事いうなでや。あれは仕事、仕事だもや。それより……」
 又してもふさが聞いても解らない話に戻っていった。正造は滅多に仕事や仕事仲間の名を口にしない男だったから、こうして訪ねてでも来ない限り夫の交友範囲を知る事はあまりない。特に無口というのでもないが、口に出す前にあれこれ考え過ぎるため、却って言葉が出てこないのだろうとふさは思っていた。
「イヤ三原さん、この北海道にも一昨年あたりから、鉄工組合の支部が次々結成されてますよ。この労働世界に何度かその報告が出てましたから。もしかしたら今日持ってきたものの中に入ってるかも知れません……」
 市川が一際高い声で言った。
「……始まりは東京だったかも知れないけど、こういう事はどこへだって広がっていくと思います。やがて日本国中に支部ができて、そうなれば労働者はただ会社の言いなりにはならなくなる時がくる筈です。だって国中の人間のほとんどが貧乏人で労働者じゃないですか? 雇い主や金持ちなんてほんの一握りの人にすぎません。ですから、何かにつけてお互い手をつないだほうが得だって事に、早く気がつかなきゃうそですよ!……」
 出したお茶に手もつけず話に夢中であった。時々新聞を調べるため目一杯芯を上げたランプの明かりに、市川の目がキラキラ光っているのをふさは見た。
 酒を呑まない客が珍しいのか、ゆきはまるで大人たちの話題が解るような目をして、じっと市川の顔を見ていた。
「だども、稼ぎ人ちゅうのは、そんな先の事まで考えでる奴バリはいねえもんだ。お前えがこないだ喋ってらみでえに、会費も払わねええンた野郎はいっぱいいるどもな。そうなればなんぼ大っきダ会だ組合だバッて、金続かねバつぶれでしまう。現にこのヤマの友子もよ、交際金納めねえ奴が増えできて、役付きはみんな頭かかえでるンだや」
「そうらしいですね。だけど始めっから踏み倒すつもりで加入した者はいないと思うんです。だんだん暮らし向きが悪くなってきたから払えなくなるんだ、と俺は思ってます。第一このヤマだってちょっと前から比べたら、随分景気が悪くなったですよね。そしたらやめる者も増えてきたし、そうなれば会費どころか借金さえそのままドロン、という者も中には出てくる訳です。それもこれも結局はみんな貧しいからじゃないでしょうか?」
「それはお前え、ちょっと違うでや。貧乏人だから仕方ねえっちゅう話でなかべ? そったな事するからいつまでたっても、坑夫土方はあのざまだってバカにされる事になるんだや」
「イヤ坑夫土方ばっかりじゃないですよ。悪い奴は職工にも髭の官員にもたくさんいます。だけど人間が悪事に走る大半の原因は金が欲しいからでしょう。してみると貧乏というのは諸悪の根源という事になりませんか? 尤も金持ちの悪事は桁違いに大きすぎてわれわれには分かりません。そこへきて政治と法律ってものは地主や金持ちの味方ですから、捕まってひどい目に遇うのは、いつの場合でも俺たち貧乏人だけのようです」
「ンだ。そこはお前えのいう通りかも知れねえ」
「かと言って、俺たちには彼らに対抗する力ももちろん金もありません。あるのは体だけで、外には仕事の腕だけと言っていいかも知れません。後はいかにその無力を集めて有力にしてゆくかという、つまり結束の方法じゃないでしょうか?」
「結束の方法?」
「そうだと思います。頑丈な体と身につけた仕事の技です。それを纏めるだけでも大変な力で、そこに新しい知恵も生まれてくる筈です。たとえば資本家が金を出し俺たちが体力と技術を出す。その時今までみたいに俺たちだけが損する事のないように、つまり双方損をしない方法を考えていければ、一番いい事じゃないでしょうか?」
「俺ラだがそう思ったって、向こう様が承知さねえべ。それだバ儲け薄くなって面白くねえべもの。第一、地主だの資本主だのは、小作人や稼ぎ人が強くなったり利口になるっちゅうのは、昔から喜ばねえ事に相場は決まってるもんだや」
「でも言いなりになっていたらいつまでたっても頭が上がらないし、貧乏からだって脱け出る事はできないでしょう。やっぱり相当な努力をしなくちゃダメです。この労働世界の主筆の片山潜という人は、労働者も貯えを持つべきだと言って、国民貯蓄銀行の取締役になって毎号広告してますよね。そればかりでなしに、労働者が金を出して運営する共働店の設立を強く勧めてます」
「共働店て何だや? この新聞にも時々その共働店がどうだこうだって書いでらども……」
「俺は東京にいた頃片山さんの話を聞いた事があるんですが、聞けばなるほどと思います。共働店というのは、俺たち労働者が少しずつ金を出し合って作る店の事なんです。言ってみれば俺たちが出資者で株主です。その店では俺たちが必要な品物を専門に売る。だから俺たちはその共働店から品物を買うようにする。すると利益も上がるし株主である俺たちに配当が返ってくる、という仕組みになるんだそうです。実際にそんな共働店が、北海道にもできたっていう報告を読みましたよ」
「それが、結局何の役に立つんだや?」
「自分たちの銀行を持ったり、共働店を持つという事は、いざという時資本家の言いなりにならないで済むという事になりませんか? つまりは俺たちみたいな貧乏人や労働者でも、ひとっかたまりに纏まる気になれば、もしかしたら地主や資本家と対等に近いとこまでいけるんじゃないかという事です。ちがいますか?」
 正造は目を宙に据えたまま黙ってしまった。
 若者らしい単純明快な理屈であった。時々やって来て話し込む友子の頭役たちのように、義理や面子にこだわるくぐもった話の運びをまったくしない。それだけに話の筋道と結論は、ふさにも何となく解るような気がした。
 いつもの正造と違い、間を置かずに受け答えしているのもそのせいかも知れないが、これほど多く言葉のやり取りをしているのを見た事がない。同時にこれほど物怖じもせず堂々と自説を主張しながら、思い上がりや嫌味をを感じさせない若者はふさにとって初めてであった。
 握った拳を膝の上に揃えて身を乗り出し、固唾を呑んで返事を待っている市川に、正造はまったく別な事を訊いた。
「お前え、新長屋の永岡や、松尾の長屋にいる南っちゅう坑夫の名前聞いだ事ねえかや?」
 市川の念押しに対する返事とは思えない。
「えッ。イヤ聞いた事はありません」
「そうか。お前えの話聞いてるうちに、その人らの顔思い出したんだや」
「何か?……」
「まるッと同じではなかべども、坑夫の会バ作るって去年からいろいろやってる人らだ」
「どんな会を作るって言ってるんですか?」
「……ンだなア。月々五銭か一〇銭の会費払って、怪我や病気の時に生活の保証してもらうどか、困った事の相談に乗ってもらう坑夫共済会バ作るっちゅう話だった」
「そうですか。で、その共済会はできたんですか?」
「さア、わがんねえ。暫く顔見でねえからどうなったんだか……。 だども熱心な人らだし、まンズ大した勉強してるど思う。一回会ってみねえかや?」
「そうですか、ぜひ会わせて下さい。だけどさすが三原さんだなア。そういう人たちとも付き合いがあるんですか?」
「イヤ、俺ラは何もさねえ。みんなが喋ってるのバ聞いてるだけだや」
「それだけでも充分ですよ。俺も久しぶりで自分の考えを聞いても らってさっぱりしました。嬉しかったです」
 秋夫がふさの膝にもたれて居眠りを始めたのを見ると、市川は帰り支度をしだした。
「そうだ。 北川から聞いだども、お前えかまど持つんだってなや?」
「ハ、ハイ。五月頃の予定です」
「そうか、五月か。一番いい季節だなや……」
 ふさは慌ただしかった六年前の祝言がやはり五月だった事を思い出した。正造がそれを覚えていての言葉だったのか、チラッと目を走らせたがよく見えなかった。
「初めて伺ったのに、遅くまでお邪魔しました」
 ふさに挨拶した後、ゆきに向かって言った。
「ゆきちゃん、退屈したろう。温和しく聞いてくれてありがとね」
 初対面の市川がゆきの名前を知っている事にふさはびっくりした。だがゆきは澄ましてコクンと頷いた。
 市川が帰った後ふさは訊いた。
「ゆきはあの人知ってだの?」
「ウン。鉄っていうんだよあの人。北川おじちゃんどこサいっつも来てる。東京から来たんだって。東京って佳代子ねえちゃんとおんなじだね。東京ってずーっと遠いんだよねエ……」
 又いつもの聞きたがりが出て、今までの沈黙を取り返すように質問の矢を浴びせてきた。
 正造は市川が持って来た労働世界の束をパラパラとめくりながら、先ほどまでの彼との熱っぽいやり取りを思い返した。
 いつから自分がこうした方向の話に興味を持つようになり、そういう人たちと付き合うようになったのかハッキリ覚えてはいない。 だがそんな人々の話を聞くようになったのも、後追いする新聞でさえ間に合わない世の中の動きが出てきて、自分たちもその流れに巻き込まれそうな気配を感じたからだった。 安閑としていられない大きなうねりがそこまで押し寄せているような気さえしたのだ。
 永岡を除いては、中田秋介、南助松、市川鉄次も正造より年下であった。しかしながら何かを話す時のその弁舌や知識や意気込みといったものは、正造にして見ればこれが同じ坑夫仲間であろうかと思うほどであった。ものを見る目や考え方のせいとは言え、俺とは出来が違うんだと逃げを打ったり、そっぽを向いたままではいられなくなる日がきそうな予感が次第に強くなっていた。
 そこへたまたま正月に労働世界を手にした事で、益々自分の不勉強に気付かされる事になってしまった。何をどうすればいいのかは分からなかったが、差し当たってはこの労働世界をよく読んで見る事から始めて見るのもいいかと思った。
 しかし、共済会であれ共働店であれ労働者が金を出し合って作り、その利益で組織や店舗を拡充し万一に備え蓄積を増やしてゆく、という考え方が実現されていると聞いた。理屈通りになってゆくのかどうかは分からないが、そうした運動に骨身を惜しまぬ人々が増えてきた事は間違いない。
 だがそんなにたやすく世の中が変わるものであろうか。使う者と使われる者の間柄は上下関係だろうと正造は思う。地主と小作、主人と小僧、工場主と職工といった立場は悔しいけれど身分の違いであり、どんな時代になろうともなくなる筈はない。その上下を対等の立場に近づけようなどという運動は、一歩誤れば一揆か暴動と受け取られかねない。由来そうした試みは過去の歴史をひもとくまでもなく、ほとんど成功したためしはないと思う。結局は寄ってたかって押さえつけ、 反逆の見せしめに極刑の報復を加えるのがお上のやり方というものだ。
 散髪廃刀令がゆき渡り欽定憲法を戴いた明治政府が、まさか磔や火あぶりでもあるまいが、そのまま黙って見過ごすとも思えないのだ。
 何がどうなってゆくのか正造に予測のつく明日など何一つありはしない。だが深い底冷えの前触れにも似た鈍い痛みのようなものが、一瞬体の奥を駆け抜けたような気がした。
 もしかしたらそれは、遠く近く地底を伝う微かな山鳴りの中から、いち早くわが身に迫る危険を聞き分けようとする熟練坑夫の勘であったかも知れない。

 市川が来た日、年々ひどくなる足尾銅山の鉱毒被害に泣く渡良瀬川沿岸の住民三,〇〇〇人が、又しても議会に請願する目的を掲げ中仙道を歩いて上京中と伝えられた。
 一昨年には春秋二回、更にその前年春にも必死の請願を行っていたにも拘わらず、何ら実効ある手も打たない政府国会への怒りが、徒歩上京という世間の耳目を集める示威行動となったのであろう。 憲政本党所属の栃木県選出代議士である田中正造は、繰り返しその鉱毒被害を衆議院で訴え続けていた。そのため、被害範囲は渡良瀬川が流れ込む利根川水系を含めた流域の、凡そ二〇万町歩に及んでいる事はかなり広く知れ渡っていた。
 鉱石に含まれる酸や有害物質が精錬の過程で川に流されるため、渡良瀬川の魚が死滅してまったく取れなくなった事。更にその川水 を灌漑用水として利用する沿岸農家は著しい不作に見舞われている事。同時に付近住民の健康にも影響が出ている事など、何年も前から繰り返し叫ばれていたのだ。
 三原正造が坑夫に取り立てられた院内銀山も、その後に行った阿仁鉱山も古河市兵衛の経営であり、今や日本一の鉱産額を誇る足尾銅山も古河のものであった。行った事もない足尾銅山の名は、奇妙な事に古河という名が被せられる系列鉱山というだけで何となく関心があった。その上金属鉱山出身の正造は、鉱滓、鉱毒、鉱煙が引き起こす被害について、経験上ある程度知っていただけにこの問題に無関心ではいられなかった。
 北海道と違うとは言えこの二月の寒空に、足尾から東京まで四〇里(一六〇キロ)前後もある道を歩き通してまで、その目的を貫こうとしている集団の並々ならぬ決意は、命がけの所業である事は誰の目にも明らかであった。しかしそこまでやるのはよくせきの事であろうとは思いながら、お上がそれを黙って傍観しているだろうかと正造は危ぶんだ。
 すずの熱も下がり体調も戻ってすっかり元気になったと聞いて、正造は川原を誘った。佳代子の所に行ってみるつもりだった。
 晩飯を済ませて川原を待つ間、日課の新聞を広げた。二月十二日提出済の「治安警察法」の骨子という見出しがあった。法律上の用語がそのまま使われている記事内容は、言い回しが難解で骨子の説明と言いながらさっぱり呑み込めない。要するに政治に関する結社、集会、演説を無届けでやった者を罰するという法律らしい。だが終わりのほうに書いてある数行がちょっと気になった。
 安寧秩序をし、もしくは風俗を害すと認むる文書図書詩歌の掲示、頌布、朗読等を禁止し、及び労務の条件又は報酬、同盟解雇、同盟罷業等に関し、暴行脅迫、誘惑を煽動なす者を罰するとあった。
 この部分だけ正造は二、三度読み返した。どういう意味なのかよく解らないのだが、何となく胡散臭いものを感じた。
 炭鉄の株主総会の記事もあった。 そう言えばもうそんな時期になっていたのだ。
 前季つまり上半季より利益は大分下回っているが、配当は前季並の一割二分を確保するという。数字を見ると鉄道の収益は季を追うごとに増えているのに、炭砿部門がその利益を食いつぶす下降を示しており、結局は減益となっていた。
 株主総会の後新聞記者を相手に毎回長広舌を振るって、時にはひんしゅくを買う事もある井上専務も、今回はさすがに慎んだのかいつもの談話記事は載っていなかった。但し三年間の下半季販売トン数が発表されていた。
 三十年  下半季 三五七,〇〇〇トン
 三十一年 下半季 二三六,〇〇〇トン
 三十二年 下半季 二二一,〇〇〇トン
とあり、ついでにトン当たり純益の推移も出ている。
 三十一年 下半季 二円五三銭
 三十二年 上半季 二円二四銭
 三十二年 下半季 一円六五銭
 売れ行きが落ち込むに従って値引きした事を示す急激な下落がハッキリ出ている。一年前よりトン当たりで一円近くも利益が下がっている。
 久しぶりに川原がやって来てふさにすずを見舞ってくれた礼を述べた後、ゆきに向かって言った。
「ゆきちゃんよ。又明日からでもオラ家のすずと遊んでやってけれでや。塩梅えいくなったら、ゆきちゃんの事バリ喋ってるんだってや」
「ホント?」
 ゆきは嬉しそうに目を輝かした。
 北川を訪ねる道々川原から訊かれた。
「正さん。佳代ちゃんずう人はどうした人なのセ?」
「何でだや?」
「去年、正さんから言われたハデ何も訊かなかったども、ホントに丸吉の娘さんでねかったのか?」
 正造はある程度の事を話さない訳にはいかなくなった。いつまでもひた隠しにすれば不自然さが目立ち、却って妙な勘繰りをされる因になりかねない。
「実は俺もこの正月まで、あの人の事バあんまり知らねかったんだや……」
 佳代子の本当の父親や吉川との関係。今は母親の消息を探している事など、手短に話して聞かせた。
「今晩これから行くのも、その事サ関係ねえ訳でもねえ。お前えが覚えでるだけ、その吉川っちゅう網元の事バ喋ってやってけねかや? なア川よ」
「正さんの頼みだバ断れねえし、ましてすずが世話かけてる佳代さんのためだバ尚更だや。だども、オラ丸吉の網元の事は大して知ってる訳でねえ。役に立つんだかどうだか……」
「ンでも、その網元の顔バ終いに見だのはお前えしかいねンだ。それに小樽の町バ知ってるのもお前えだけだんだや。何でもいい、思い出せることバみんな喋ってやってけれでや。佳代ちゃんは今母親捜して必死だンだや!」
「こった事になるんだったバ、あの晩、網元サ声掛けでおくんであったなア。セバなんぼか足しになったんだべも……」
 石川飯場に近づいた時ふっと迷いが出た。始めは川原を北川に引き合わせるつもりだった。その後で佳代子の所へ行けばいいと考えていた。川原に会わせてくれと言っていたのは北川だったからだ。だがそのためには川原にもっと詳しい事情を説明しなければならない。そこで北川が何故佳代子の母親捜しに力を入れるのかを問われたら、何と答えればいいのだろう。いずれは分かってくるにしても、まだ北川と佳代子の微妙な関係を誰にも知られないほうがいいのではなかろうか。それよりも、佳代子の胸の中にまだ残っていそうな迷いを吹っ切らせる意味で、先に川原を引き合わせたほうがいいような気がしてきた。そして今夜の成り行き次第で更めて北川に会わせてもいい、と思えてきた。それに北川の所に寄った後では遅くなる事に気付いた。
 予告もなしに女所帯への夜の訪問はとくを緊張させたようだが、佳代子は正造の連れが川原であるのを見ると何かを察したようだ。飯場の賄い場に続く二人の住まいは、同じ棟にいくつもある殺風景な独り者部屋と同じ造りとは思えないほど小ざっぱりと片づいていた。その上大して家具らしき物もないのに、何がなし華やぎさえ感じられるのも女二人の住まいのせいだったからだろうか。
「とくさん、それに佳代ちゃんもよ。更めで引き合わへるども、この男が同じ現場の川原だや。佳代ちゃんは顔ぐらい見だ事あるべども……」
「ア、すずちゃんのお父さんね。あの、すずちゃんの具合如何ですか?」
 佳代子はすぐ訊き返した。
「ハア、お蔭さんで熱も下がって、明日あだりからゆきちゃんと遊ぶんだって、楽しみにしてらどこです。ンだどもこないだはわざわざオラ家まで世話かけだそうで、なんぼにも申し訳ねえ事でス。ホントに済みませんでした」
「いいえ。急に熱が出たので心配しました。でも治ってよかったですね」
「ハイ。みんな三原の姐さんやこつらさんのお蔭です。ありがとさんでした。そればっかりでねく、すずが読み書きまで教えでもらってるずう話バ聞いで、まンズなんて礼喋ればいいんだか……」
「いいえ。そんな大袈裟なもんじゃ……」
「川原の娘は、今年から学校サ上がる話になってるハデ、俺ラからも一つよろしく頼みます。とくさん。ゆきと二人だバせわしない(うるさい)ベども……」
 正造も一言口添えした。
「何言ってるの。ゆきちゃんもすずちゃんもいい子だよ。飯場のロクでなしばっかり見てるから可愛くて、まるで孫が二人できたみたいだよ」
「まだそんな年でなかベサとくさんは……」
 ひとしきり雑談が続いた。だがそんな事で今夜来た訳ではない。
「ところでとくさん。 この川原の事だども……」
 とくと佳代子の背筋に少し力が入った。
「一昨年の暮れ、吉川さんの姿バ小樽で見だっちゅうのはこの川原なのセ。俺ラはその時の事はハア何回も聞いだども、とくさんや佳代ちゃんも何か訊きでえ事あるんでねえかど思って、今晩連れで来たどこであったス」
「……それはどうも、わざわざ済みませんね。私は佳代子からの又聞きだから、よく分からないところがあるの。申し訳ないけど、もう一ぺんその時の事を詳しく話してくれませんか?」
 川原はその日の事を思い出そうとするのか、暫くは目をつぶったまま口を結んだ。ややあって一語一語区切るように語りだした。小樽警察署に呼び出された経緯から、宿を探して街をうろついているうちに吉川の姿を見かけた事。その服装や疲れた様子から、未払いの金など取れそうもないと判断して、声も掛けずに見送った事などを話した。
 佳代子が去年聞いたのは、吉川を小樽で見たが一人だったという話だけだった筈だ。それを聞いただけでがっくりして帰って行った。今夜川原から詳しく聞かされて、更めて衝撃を受けたらしく暫くは声も出さなかった。
「こつらさんには申し訳ねえども、オラが聞いだのは、丸吉の旦那がお内儀さんバ連れで心中したずう話であったス。あれは一昨年の秋頃であったど思うス。死んでしまえば仏さんだし、今更恨んでも仕方ねえってオラ、取れねえ金はキパッと諦めでだのセ。したども小樽サ行ったら旦那の姿バ見だ。オラどってんして何回も見直したども間違いねかった。だども何でだべオラは声掛ける気イ起きでこねかった。きっとばかボサーッ(薄ぼんやり)と見でるだけだったんでねかったべか。今思い出してもあれは死びとの顔だ。イヤ何もかんもどっかサほろって(落として)きた脱け殻か、わが命まで借金のカタサ置いでしまった生き骸(むくろ)であったス。オラにはそした風にしか見えなかったのしゃ……。つくづく金っちゅうものはおっかねえもんだって、なんぼにも思ったス……」
 佳代子が吉川の縁筋に当たると知って、極力恨みつらみを抑えた述懐であったに違いない。それが却って川原の本音を言い当てているような気がした。
 部屋にしばしの沈黙が流れた。だがとくがそれを破った。
「……ほんとに金ってものは恐いもんです。聞けばつらい事耳の痛い事ばっかしで、とっても他人事には思えない。知ってるかどうか吉川さんの女房は私の妹です。訳あってこの娘を残して江差へ行き吉川さんと一緒になったの。でも、私たちがこちらに来た後で死んだと報せてくれる人があったわ。それも噂だけで誰もその仏さんはもちろん最期を確かめた人はいない。残された者にとってはこれほどの地獄はないわ。供養もできず、捜す手立てもない。無理して見つけ出せば、追っ掛け回す借金取りの餌食にされるかも知れない。そうかと言って放っておけないのも身内の情というものでしょう。でも、どっちにしてもハッキリした事だけは知りたかったの。川原さんのお蔭でとにかく一昨年の暮れまで、吉川さんが生きていた事だけは分かりました。ホントに有り難う」
「イヤ。オラ何の役にも立だなくて……」
 済まなさそうに頭を下げた川原から目を逸らしたとくは、やっぱりこの前と同じ事を言った。
「今でも吉川さん、小樽の町にいるんだろうか?……」
 川原が少し間を置いてから答えた。
「サア、あれからもう一年以上も経ってるから……」
 一応の挨拶と顔つなぎは済んだ。正造と川原は夜分の訪問を詫びて表へ出た。
 来る時は気がつかなかったが月の鮮やかな夜だった。こんな夜はビリッと凍れるのが普通なのにそれほどにも感じない。やはり今年の冬はおかしいのかと正造は思った。だが見上げれば一面に輝く無数の星は鋭く明滅している。もしかしたら明け方頃急に凍れてくるのかも知れない。
 並んで歩いている川原が思い出したように言った。
「今でもいるンだバ、誰か顔見だ者がいるンだべもなア……」
「誰かって誰よ?」
「イヤ丸吉で稼いでら連中セ。漁師だのヤン衆だの出面だの、網元の顔バ覚えでる者は小樽サ大分流れでだもの。金もらえねくて大げんかした奴らは、溜まりで面合わせれば必ずこぼしてだもんセ」
「溜まり?」
「仲仕だの人夫だのが集バるどこセ。二軒や三軒でなかべ。坑夫や土方の周旋も、そしたどこで声掛かるのが多いんだや」
 正造の頭を小さな稲妻が走った。
「お前え、今でも小樽にそした仲間いるのかや?」
「あア。網元の姿見だ晩も、去年青森サ帰る時も、街中や波止場で何人も見だ。口は利かねがったども、きっとまだいるべど思う」
「そした連中の名前だの居所だのわがんねえかや?」
「正さん、まンズそれだバムリだや。国バ飛び出したまま帰れねくて、溜まりで呑んだくれでる奴らが、一つどこに落ち着いでいる訳ねえもの。その場サ行けば分かるども何丁目か何番地だか知らねえ。それに正さん。みんな本名だかどうだかわがったもんでねえのしゃ」
「そしたもんだかや……」
「春は練場で夏から秋は土方稼ぎ。冬場は小樽サ戻って仲仕か拾い出面。飯と酒になるんだバどこサでも飛ぶ連中だや。今頃だバ、今年入る漁場の周旋と前金の駆け引きでハア、誰でもまンズ二、三軒は走り回ってるンでなかべかや?」
「そうか。そう言えば鰊の時期ももうすぐだなや……」
「ンだ。奴らが漁場から町サバイキして来るのは、早くて五月頃だべ。その時分溜まりサ行けば、酒食らってダハンこいでる(駄々をこねてる)奴らの中に、一人や二人は丸吉の出面取りだったのがいるんでなかべか?」
 つらい仕事を終えて出坑を急ぐ地底の闇で、どんなに遠くても坑口の明かりがチラリとでも見えれば、坑夫は文字通り生き返った思いにさせられる。
 正造はちょうどそんな気分であった。
「川よ。今晩は済まねがったな。ンでも又お前えの手エ借りねバなんねえ時がくるかも知れねえ。そん時もハア頼むでや!」
「オウ正さん。いつだり言ってけれ。オラでいかったら何でもする!」
 正造が危惧した通り、鉱毒被害を議会に訴えるべく寒風吹き抜ける中仙道を、徒歩で上京中の足尾農民三,〇〇〇名が、館林付近でその解散を命じた警官隊や憲兵隊と衝突し、六八名が検挙されてしまった。
 これに憤った議員田中正造は、所属する憲政本党を脱党したと伝えられた。
 だが二月二十四日帝国議会は三ヶ月の会期を終えて第一四国会の閉院式を行った。
 「鉄道国有法案」は衆議院を通過したものの、貴族院で通らずに流れてしまった。
 終わってみれば、鉄国案成立によって利益を得る者のみの空騒ぎが目立っただけの事にすぎない。一億数千万円もの国費支出を要する議案となれば、一〇年の歳月をかけてもよしとする反鉄国派の慎重論で長引き、貴族院に送られた時には既に会期末に近かった。従って審議未了のまま事実上の廃案に追い込まれてしまったのであった。
 鉄国案成立近しの人気で、それまで一〇〇円五〇銭であったものが、一日で一〇六円にもハネ上がった炭鉄株は、閉院式を迎えた途端に議会でのゴタゴタを嫌われて、一挙に五円近くも暴落した。
 北海道では厳冬期にも拘わらず雪の量が多く、例年に比べて寒さが一段と厳しいのを反映してか、不景気のさ中木炭と薪類の値段が異常に上がって人々をいっそう震え上がらせた。
 木炭などは去年一俵三〇銭前後だったものが、この冬は七〇銭以上と倍以上になっている。薪はそれほどでもないとは言え、一把二銭以下だったものが三銭近くするものまで出てきた。毎日使うものだけにじわじわと貧乏人の首を絞める出来事であった。
 ヤマでの盗炭盗材が更に増え、中には薪などを隠れて市街地へ売りに行く者すら出てきた。それに連れて会社の監視も益々厳しくなり、それが見つかって殴られたとかクビになったとかいう物騒な騒ぎも起きていた。

 黒田以来薩摩閥の人脈で固められた北海道庁は、鹿児島県庁支配地蝦夷村と陰口された頃と変わりなく、依然として薩閥人事が巾を利かしていた。その弊害は許認可権限を持つ官吏との癒着、情実、 請託、賄賂といった汚職事件を限りなく生み出し、議会でもしばしば問題になった。
 最も利権の発生しやすい官営事業や大土地払い下げ申請から、会社事業の設立認可に至るまで全部に長官の権限が及んでいるため、道庁内に深く根を張っている薩族の令とその影響たるや量り知れないものがあるのは事実であった。
 そこに一昨年十一月から、目に余る土地の無償貸与を咎められた熊本県人杉田長官に代わって着任したのが、又しても鹿児島県人園田安賢であった。
 薩閥の雄黒田、永山の専横は道史に特筆される数々の話題を残しているが、園田道政中における政略的な土地払い下げは、嘗てその比を見ないほど凄まじいものとなった。
 道庁内での目を憚ったとは言え、園田の部下で内務部長堀内賢郎の官舎は、利権漁りに群がる投機者山師を含め高官の縁者が列をなして、さながら土地取引所と陰口される有様であった。それも道理で、明治三十三年からたった三年間だけで、実に六九二〇〇〇町歩の国有地が処分された事を見れば、それが単なる中傷ではない事が頷ける。
 そのため園田長官は、後に譴責処分を受けて辞職する事になる。
 創立時の経緯からも炭鉄は薩摩閥と昵懇であり、道庁長官との癒着もしばしば取り沙汰されていた。特に小樽室蘭の港湾埋立申請では、早くに地元申請者らの中からは轟々たる非難が上がっていた。
 道内の鉄道の始発終点として小樽室蘭両港の果たす役割は、経済上にもあるいは軍事上にも甚だ大きなものがあった。そのため埠頭付近の土地は余す所なく利用され一坪の空き地もない。従って公有水面つまり海を埋め立てて土地を造る以外になかった。そこで地元商工業者と、鉄道施設や貯炭場桟橋の増設を申請する炭鉄との間に、限られた区域の権利を巡って対立が続いていた。
 炭鉄は現在室蘭港湾に約四〇,〇〇〇坪の埋め立て地を持ち、尚工事中であった。小樽手宮付近にも埋め立て地を含む四〇,〇〇〇坪余りの土地を所有していたが、更に二〇,〇〇〇坪の埋め立て地を宅地、倉庫、貯炭場、貨物基地として申請していた。
 昨年十月北海道に区制が施行され、函館札幌小樽の三区が誕生し都市としての自治機能を持つ事になった。それに伴う公共事業計画の一つとして、小樽は区内の埋立事業の経営はすべて小樽区で行いたいと園田長官に具申していた。そこで既に埋め立てや埠頭設計などの計画を申請していた炭鉄との間に摩擦が生ずる事となった。
 これを報ずる新聞は必ずどちらかに肩入れした。小樽新聞や北海 道毎日は地元を支持し、炭鉄との癒着や汚職の噂を匂わして園田長官を攻撃した。それは代議士でもある炭鉄代表の井上角五郎が、政府議会内の反対を押して企画した園田長官の北海道開拓十年計画を、憲政党に後押しさせる代わりに炭鉄出願の埋め立て地問題を承認する密約がある、というものであった。
 園田の土地払い下げ等の乱脈行政を烈しく追求するのは、この二紙に限らず中央紙も含めていくつもあった。だがその筆鋒を気にした園田は公式の席上で、この二紙の不買や講読中止を促す発言をしたという。そしてその言い分を支持して公然と園田側に回ったのが北海時事であった。
 道庁長官と新聞の確執は以前からない訳ではなかったが、園田ほど剥き出しに敵対した者も又ない。
 長官と組んだと言われる北海時事は、長官を難詰する他紙の排斥に全力を尽くした。だがこれは却って火に油を注ぐ事になり、北海道毎日、小樽新聞、北門新報、函館毎日等の新聞はいっそう園田攻撃の気勢を強めた。連日の新聞に園田や道庁官吏の悪口が書かれない日はなかった。そうなれば園田弾劾の筆先を、同類と見なす井上や炭鉄に向けてくるのも自然の成り行きであった。
 砂川より北の旭川方面への官線を除いてほとんどが炭鉄の独占になる道内の鉄道は、従来から本州に比べて貨物運賃が高すぎると批判されていた。
 たとえば自社石炭をトン当たり一円三五銭で輸送しているのに、他社炭は二円四〇銭前後でなければ引き受けない。実に一・八倍である。貨物の等級別運賃では、勝手に等級を決めて高額の運賃を取る。それは他社の五割増しから中には三倍に当たるものさえあると書く新聞もあった。
 炭鉄の規律を取り上げて紙上で叩いたりもした。発着時間が不正確で運休もしばしばある。あるいは上級社員の家族に出される無賃乗車券の濫用を上げて、その特権をを詰る記事もあった。
 線路に関しては、既設の橋台を本州並の石造りか煉瓦構造に改めよとか、シグナルポイントの位置や、プラットホームの改造を急げと、細部にわたる難点を指摘する声もあった。
 坊主憎けりゃ袈裟までといった論調がないでもないが、確かに炭砿鉄道には独占の奢りがないとは言えなかった。
 明治三十一年中の自社炭輸送量に比べて、他社の石炭輸送量は僅か〇・四七%に過ぎず、翌三十二年では少し増えたとはいうもののそれでもやっと三・六%にすぎない。これでは他社が北海道の石炭産業への進出に二の足を踏むのは無理からぬ事であった。もし仮に採掘コストが同じであったとしても、運搬コストで炭鉄より不利になる事が明白だったからだ。去年二月札幌区の代表二名によって貴族院に提出された炭砿鉄道買収の請願はその事を訴えていた。
 炭鉄沿線に有望な鉱区が数多く存在しながらも開発が進まないのは、輸送を独占する炭砿鉄道がこれを阻害しているからに他ならない。その上北海道のノドともいうべき小樽室蘭両港も、その機能の重要な部分を炭鉄に押さえられている現状では、公平な企業運営はなし得ない。従って国が炭鉄を買収し官線と統合して国営を行って欲しい、というのが趣旨であった。
 同じような内容は道内にできた別の団体「北海道幹線鉄道国有期成会」からも、逓信大臣宛に請願として出されていた。その結果国会で決まった事と言えば「鉄道国有法」と「私設鉄道買収法」の原案であり、鉄道国有調査委員会の設置でしかなかったのだ。
 賛成反対両派とも国益や軍事を大義名分にしてはいるものの、その実自派や自身の利益を睨んでの駆け引きに終始していたため、中々折り合いがつかないのは当然の事であった。
 中でも炭鉄代表の井上角五郎は、代議士中でも鉄道国有の急先鋒であったため、何かにつけて反対派の恰好な攻撃目標にされた。


つづく

ゆうばり物語 第二部

ゆうばり物語 第二部

  • 小説
  • 長編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-03-26

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