魔獣物語

序章

 空が赤く燃えていた。
 妙に美しく、神秘的な光景である。
 しかし、それは夕焼けではない。朝焼けでもない。今の時刻は深夜なのだから。
 村を焼く炎が、空を赤く照らしているのである。

 この場にいるのは、女子供と年寄りばかり。着の身着のまま、村から逃げ出してきた。
村の男達、つまり彼女らの夫や父や息子は、妻や子や年老いた親を村から脱出させるため、武器を取り、突如、村に襲い掛かった醜悪な敵と戦っている。
 突然の襲撃ではあったが、それでも男達が負けるとは、彼女らは考えていなかった。
村の男達は、長年の自治の間、ずっとこの村を自警してきた。武器の扱いにも、戦闘にも、慣れている。しかも、彼らを率いる2人の男は、このような小さな村に埋もれているのが不思議なくらい、有能な人物だった。

 同じ人間では右に出る者はいないと囁かれる最強の戦士。そして、‘パスツレラの大賢者’と呼ばれる魔術師。
 どの国の騎士団長でも、どの国の宰相でも、勤められる男達である。
 伝説にさえなっているこの2人の名を知らぬ者は珍しいが、この2人がこの村で暮らしている事を知る者は、村の外にはほとんどいない。
 この2人の力によって、村は幾度もの危機を乗り越えてきた。この2人の男の敗北など、想像する事さえ出来なかった。

 しかし、それは先刻までの話である。
 女子供と年寄り達は、小高い丘の上から、赤い空を、焼け落ちる村を、絶望の思いで見つめていた。

 呆然と立ち尽くす戦う術を持たない者達の中に、厳しくも強い意志を込めた瞳で、自分達が逃げ出してきた村を見つめる少女と少年がいた。
 この2人は他の者達とは違い、戦う力を持っている。
 少女の父は、戦士。少年の父は、魔術師。共に村の男達を率いて、今まさに戦っている。
 少女は、父に剣技を習っている。少年は、父に魔術を習っている。既に並みの戦士や並みの魔術師を、とうに上回る実力の持ち主である。他の村の男達より、ずっと戦力になるはずだ。
 それでも2人の父は、少女と少年に他の女子供と一緒に避難するよう命じ、2人が戦闘の場に残る事を、頑として許さなかった。
 2人の父は、娘と息子の身の安全を最優先したかった。そして、それは常識的に考えて、許される行為に思われた。何故なら、少女と少年は、まだ十にも満たない幼い子供だったのだから。

 その少女と少年の手を、1人の女性がきつく握り締めていた。
 戦士の妻タミナである。
 女性にしては心身ともに逞しく、なかなか豪胆な女性ではあるが、それでも、彼女は‘戦う術を持たない者’の1人であった。しかし、彼女は皆の避難を誘導するという役割を担い、か弱き者達をここまで連れてきた。

 彼女の右手は娘の手を、左手は夫の親友の息子の手を握り締めている。
 右を見下ろすと、同じ年頃の子供の中でも小柄な部類に入る娘が、黙って村の方角を見つめていた。
(この子の髪、本当にあの人に似ているわ。)
 非常時というのに、ふとそんな事を考えた。
 娘のカナは、緩くウェーブのかかった赤髪をしている。その鮮やかな赤色は、どう見ても父親譲りだ。夫は短く刈っているが、娘は一応、女の子なので、肩より少し下くらいの長さに伸ばしてある。女の子らしいところの少ない娘なので、髪くらい伸ばさないと、男の子にしか見えないのだ。着ている服も男の子用の物である。女の子用の可愛らしい服は、遊ぶのに邪魔になるからと、なかなか着ようとしない。この子の遊びは、お人形遊びや御飯事ではないからだ。
 カナの背には、小さな体に似合わぬ大剣が背負われている。
 それは玩具ではなく、ましてや飾りでもない。夫が今よりもっと若かった頃に、愛用していた品だ。無銘だが、数々の戦を潜り抜けてきた名刀である。カナは、それを自在に使いこなせる事を、タミナは知っていた。
 タミナは次に、左を見下ろした。黒髪の少年が、娘と同じ方角を見つめている。
 この黒髪の少年ダンは、娘と同い年。体の大きさもちょうど同じくらいで、実はカナの着ている服のほとんどは、ダンのためにタミナが縫った物である。だが、もう少し成長すれば、ダンの方が背も高くなるだろうし、体も逞しくなるだろう。
 ダンの目は、カナとよく似ている。深緑の瞳に、子供のくせに切れ長な目つき。血は繋がっていないのに、まるできょうだいのように見えて、タミナは、なんだかこの少年まで我が子であるかのように思って接してきた。実際、生まれると同時に母を失ったダンの母親代わりをずっと務めてきた。
 だから、タミナは知っている。ダンの力を。カナと違って、武器は何一つ持っていないが、彼にとって、剣は大した意味を持たない。

 2人が今、何を思っているのか、タミナにはよくわかる。だが、それを許す気にはなれない。
 2人の力を知っていても、母として、許す事ができないのだ。

 タミナの握っていた手を、カナが外そうとした。
「いけません。」
 タミナはカナの手を更にきつく握り直し、厳しい表情で言った。
「あなたはここにいるの。ダンもよ。お願いだから言う事を聞いて。」
 だが、カナは反抗的な、それでいて甘えるような瞳で母を見つめると、強引にその手を振りほどいた。
「カナ!」
 続いてダンも、カナを追うように、タミナの手を振りほどく。
「駄目よ!カナ!ダン!」
 2人は、今しがた逃げ出してきたばかりの村に向かって、駆け出した。

 しかし、2人はほんの十数メートル走ったところで、立ち止まってしまった。
 自分の必死の呼びかけが通じたのか?
 一瞬、そう思ったタミナだが、すぐにそれは間違いである事に気が付いた。
 不気味な男が1人、木々の間から、ぬっと現れたのだ。

 男の服はズタズタで、幾つかの小さな布切れが、かろうじて体に纏わりついているのみ。虚ろな目は焦点を結んでおらず、半開きの口からは涎がこぼれていた。
 まともな人間ではない。
 誰が見てもそれがわかるほど、男は全身から異様な雰囲気を醸し出していた。
 慌てふためいた村人達は、逃げ場を求めて右往左往するが、背後は切り立った崖である。逃げられるとすれば、先程、通ってきた村に続く道だけなのだが、それはこの不気味な男の背後にある。

「何なの、この男!?」
 思わず叫んだタミナの言葉に答えたのは、ダンだった。否、タミナに答えたというより、カナに話しかけたと言った方が正しい。
「魔人だ、カナ。気を付けろ。」
 落ち着いた声である。この場にいる人間の誰よりも、彼は落ち着いていた。
 魔術師は常に冷静であれという父の教えが、彼の子供らしくない冷静沈着な性格を作り上げていた。
 どうやら、父達に加勢に行くには、まずこの男を倒さねばならないようだ。
 ダンは集中し、魔法力を高めた。
「魔人!?魔人って、なんだ!?」
 ダンほど冷静ではないカナは、動揺した声でダンに訊きかえした。
 それでも抜剣し、素早く身構えるあたりは、さすがである。
「魔獣化した人間の事だ。人間だって、魔獣化する事はあるんだ。ごく稀にな!」
 ダンは空気の流れを掴み、それをコントロールするように魔法力をこめた。
 すると、風は刃となって、魔人に襲い掛かった。鎌鼬の魔法である。
 ダンの作り出した鎌鼬は、魔人の皮膚に無数の裂傷を与えた。だが、大したダメージではない。魔人の全身からは血が滴り、一見すると派手に見えるが、ひとつひとつの傷は浅い。
 魔人がその攻撃に一言の声も漏らさなかったのは、魔獣化によって恐怖を感じる神経が麻痺していたせいなのだが、そうでなかったとしても、悲鳴は起こらなかったかもしれない。
 しかし、次の瞬間、カナが大地を蹴って、魔人に飛び掛かった。

 魔術師が敵を攪乱して、戦士が仕留める。または、戦士の攻撃を魔術師が補佐する。戦士と魔術師が共に戦う際の基本戦術である。戦闘に長けた魔術師ほど、自らの攻撃魔法で敵を仕留めるより、戦士のサポート役に徹しようとする。相手が強敵であればあるほど、この戦法は有効であり、戦士にとっても魔術師にとっても、より安全なのだ。
 カナは、ダンの魔法攻撃による魔人へのダメージの大小は、はなから気にしていなかった。ただ、自分が攻撃するための隙が出来さえすれば良いのだ。
 カナは、父に習った基本の構えから、攻撃に移った。
 自分より大きな敵に出会った時は、重心を低くし、中段に構えた剣をやや斜め後ろに引いて、飛び上がりやすい体勢をとれと。その教えを忠実に守り、そして、飛び掛かった。
 大きく跳躍し、魔人の左の首筋を狙って、剣を振り下ろす。
 しかし、誤算だったのは、ダンの鎌鼬では、魔人に隙を作ることさえ出来ていなかったという点だ。
 魔人はカナの攻撃に慌てる事もなく、カナが剣を振り下ろすよりも先に、左腕でカナの小さな体を薙ぎ払った。
 カナは、凄まじい勢いで吹っ飛ばされた。

「カナぁぁー!」
 タミナが、悲痛な声で我が子の名を叫んだ。
 だが、ダンは動じなかった。
 カナは咄嗟に体をひねり、魔人の攻撃を背負っていた鉄製の鞘で受け止めていた。地面に叩き付けられる時に受け身をとったのも、確認できた。大した怪我はしていないはずである。
 吹っ飛ばされたカナにさらに攻撃をしかけようとする魔人に向かって、ダンは次の魔法を繰り出した。
 強烈な光をフラッシュのようにたいて、目くらましをかけたのである。
「ぬぉ!」
「きゃぁー!」
 魔人だけではなく、その場にいた村人達まで目がくらんでしまった。突然、視界を奪われた村人達は、パニックに陥っているが、この際、それは二の次である。
ダンは当然、その瞬間だけは目を閉じて自分の目を保護していたし、カナが顔を伏せているのも確認していたから、カナの目も無事なはずだ。
 目くらましの魔法は、鎌鼬の魔法に比べて、ずっと初歩的で簡単な魔法なのだが、こちらの方が魔人には効果があったようである。
『高等魔法を無闇に使うより、簡単な魔法を自在に使いこなす方が、はるかに有効』
 ダンは父の教えを初めて実戦で実感していた。

「グォォォー!」
 魔人が目を押さえて仰け反った。
 その最大の好機に、カナは魔人の右腕を肩から切り落とした。
 目くらましの効果が解け、視力の回復した村人達が最初に目にした光景は、片腕を失くし、ほとばしる鮮血を押さえてうめく魔人の姿であった。

 村人達は、喚声をあげた。
 しかし、ダンは驚き、叱責の声をとばした。
「何やってるんだ、カナ!」
「ごめん…。」
 カナは肩で息をしながら、小さな声で答えた。
 魔人は、腕を切断されたくらいで死にはしない。今のタイミングなら、首を刎ねる事も心臓を刺し貫く事もできたはずだ。しかし、何故かカナはそうしなかった。
(何やってるんだ、カナ。)
 ダンは心の中でもう一度、先程と同じ台詞を繰り返した。

 一刻も早くこの魔人を倒し、父達に加勢に行かなければならないのに。
 だが、今は口論している場合ではない。
 片腕を斬り落とされた怒りからか、魔人はカナに激しい攻撃を仕掛けてきた。残された左腕を振り回し、カナを追い詰める。
 身の軽いカナは、その攻撃をすべて躱していたが、魔人の攻撃は一撃一撃が重い。カナに躱された魔人の拳がぶち当たった大岩は、いとも簡単に砕け散った。まともに食らえば、一発で致命傷である。
 最初にカナを吹っ飛ばした魔人の攻撃は、うまい具合に鞘で受け止めたが、実はその時のカナのダメージも、ダンが当初、考えていたより深刻だった。肋骨に連結している肋軟骨が損傷していたのである。

 魔人が拳をハンマーのように振り上げ、カナに向かって振り下ろす。カナはそれを後ろに飛び退いて避ける。
 カナと魔人との距離が少し開いたその瞬間に、「パン」という乾いた爆発音が響いた。ダンが魔人の眼前に水素を集結させ、爆発させたのだ。
 小さな爆発だったが、魔人は驚いて後退する。
 その隙に、ダンはカナに駆け寄り、回復魔法をかけた。
 カナの動きを見ているうちに、ようやくカナの負傷に気が付いたのである。
「回復が必要な時は、早めに言え。」
 そう言って、ダンはまた後ろに下がった。戦士のような素早い身のこなしが出来ない魔術師は、敵に近付き過ぎると危険なのだ。
 カナは黙って頷いたが、その顔は蒼ざめていた。
(さっき魔人を仕留めそこなったのは、怪我の影響だろう。)
 ダンはそう考えた。
 実際に、回復魔法を受けると、防戦一方だったカナは攻撃に転じた。
「えぇぇい!」
 幼い声で気合を入れ、鋭い突きを繰り出した。それが躱されても、すぐに横薙ぎの攻撃に転じ、魔人の喉を浅く切り裂く。
 あと一歩のところで頸動脈には届かなかったが、なかなかの攻撃である。
 続けて、カナは左膝を落とした態勢から、魔人の正面を左から右に向かって、斬り上げた。これは魔人の右脇腹から左胸にかけて、決して浅くはない傷を作った。
 しかし、やはり惜しいところで致命傷には至らなかった。
 ダンは、魔法を繰り出すタイミングを計りながら、カナの戦いを見ていた。
(何故、攻めあぐねている?)
 ダンは違和感を持っていた。
 今の2回の攻撃は、どちらも致命傷になっていておかしくない気がするのだ。魔人も、見かけよりは素早い動きがとれるようだから、躱されるのも無理のない事なのだが、素早さだけで言えば、カナは自身の父にすら、引けを取らない。怪我も今さっき癒したのだから、体も万全のはずだ。
(魔法の援護を待っているのか?)
 そう思い、ダンはさらに神経を集中させた。

 カナの袈裟斬りの斬撃を躱し、魔人が僅かによろめいた瞬間、魔人の足元が弾けた。
 ダンは先程、魔人の眼前に放った爆発の魔法を、今度は魔人の足元に使ったのである。
 魔人は堪らず、仰向けにひっくり返った。
 絶好のチャンスである。
 カナは魔人の首筋めがけて、剣を突き刺した。
 ところが、驚くべき事に、カナはそれでも魔人を仕留められなかった。
 剣は魔人の首筋の横…地面に突き刺さっていた。
「カナ、お前…。」
 ダンは信じられない気持ちで、その光景を見つめていた。
「ダン…。」
 ダンのほうに振り返ったカナの顔は、今にも泣き出しそうだった。
 ダンは、ようやくわかった。何故、カナが魔人を斬れないのか。
 カナは魔人に馬乗りの体勢になっていた。魔人は左腕を伸ばし、カナの頭を片手で鷲掴みにした。
 地面に剣が突き刺さったままになっていたので、逃げるのが遅れた…というわけではなく、カナはもう半分泣きべそをかいていて、逃げるどころではなかったのである。
 魔人は上半身だけ起こした体勢で、まるで手毬でも放るかのように、カナの体を、ダンの後ろにあった大木の太い幹に向かって投げつけた。
 ドォンという轟音が響き、大木が揺れ、叩き付けられたカナは、そのまま木の根元に倒れ伏した。

「カナぁぁー!!」
 最初にカナが魔人の攻撃を受けた時と同じように、タミナが悲痛な叫び声をあげた。
 だが、今度はタミナばかりではなく、ダンも同じようにカナの名を叫んでいた。
 カナは悲鳴をあげなかった。
 即死したかもしれない。
 最悪の可能性を頭から振り払うように、ダンがカナに駆け寄り、その体を抱き起した。

 タミナも、カナのもとへ駆け寄ろうとする。
 それをダンが大声で制した。
「来るな!大丈夫!生きてるから!」
 そう叫んだダンだが、実際には、まだカナの生死は確認していない。タミナに出て来られては困るから、咄嗟にそう叫んだだけである。
 タミナを安心させるために。
 それ以上に、自分がそう信じたかったから。
 ダンに怒鳴られ、タミナは硬直したように、その場に留まった。「生きている」と言われて多少は安堵したものの、とてもではないが、無事には見えない。
 だが、ダンの言葉には逆らえない迫力があった。
 魔人は立ち上がろうとしたが、よろめいて、また尻餅をついた。
 右腕は切り落とされ、それ以外にも大小いくつもの傷を負っているのだ。あまりの出血量に、さすがの魔人の体もついていけなくなってきているのである。

 ダンは祈るような気持ちで、カナの首筋に指をあてた。
(生きてる!)
 弱々しいが、確かに脈がダンの指にふれた。
 生きてさえいれば、回復魔法が使える。ダンが最も得意とする魔法は、回復魔法なのである。
 ダンはありったけの魔法力を回復の力に変えて、カナの体に注ぎ込んだ。
 破裂した内臓を修復し、砕けた骨は大きな箇所だけ繋ぎ合わせた。
 これで、命は取り留めるだろう。
 だが、これが限界である。完全回復は到底、不可能だった。カナは戦線離脱するより他にない。意識すら戻っていないのだから。
 しかし、それはむしろ好都合とダンは考えた。
 カナに魔人は斬れない。
 それがわかったからである。
 よく考えれば、それは当然の事と言える。それに気付かなかった自分の迂闊さに、ダンは呆れた。

 魔人とは、魔獣化した人間の事である。
 生物は、特殊な瘴気に長期間さらされると、脳が変化してしまう事がある。
 そうなってしまった生物を魔獣と呼ぶ。
 魔獣化した生物は、もともとの性質に関わらず、激しい凶暴性を帯び、強い破壊衝動にかられて暴れまくる。また、通常の何倍もの力が出せる。それは、普段は脳がリミットをかけて出せないようにしている力…所謂‘火事場のくそ力’が無尽蔵に出せるようになるためらしい。
 そして、一度、魔獣化した生物は、決して元に戻る事は出来ない。

 この日、村は魔獣の大群に襲われたのである。
 村で飼われていた家畜や犬猫などの小動物、果てには小さな虫に至るまでが、突如として魔獣化したのだ。しかも、村の裏手にある森の生物達も、魔獣化して襲ってきた。その中には熊や狼などの猛獣も多数含まれていた。
 村の裏手の森は、もともと瘴気の濃い場所があり、たまに魔獣が発生する事もあったが、村までやって来た事は一度もなかった。
 森に魔獣が発生すると、森で猟をする狩人達にとっては死活問題となるため、その度にカナやダンの父が退治に出掛けた。そして、次第にそれにカナとダンも同行するようになった。最近では、カナとダンの2人だけで退治してくるように、父達に言われる事も多くなっていた。2人はお使い感覚で魔獣退治をしていたのである。
 だから、カナもダンも実戦経験がないわけではない。
 だが、魔人を、人間を相手にした事はなかった。
 どんな生き物でも魔獣化する可能性はあるが、人間の魔獣化は珍しい。が、ないわけではない。
 この魔人も、もとは普通の人間としての暮らしがあったはずである。もとは優しい性格だったかもしれない。家族もいるかもしれない。
 一度、魔人になってしまった以上、もう元に戻る事は出来ない。そして、今のこの状況では、殺らなければ殺られる。
 ならば、殺るしかないと、ダンなら割り切れるのだが、カナはそうはいかなかった。斬ろうと思っても、あと一歩のところで、剣は魔人の急所を外してしまった。
 しかし、この場合、カナのほうが正常な反応と言える。
 カナは破天荒な少女ではあるが、ちょっとヤンチャなだけで、本質的には普通の子供なのだ。
 割り切れてしまうダンのほうが、異常なのである。

 ダンは抱えていたカナの体を地面に横たえ、カナを庇うように魔人の前に立ちはだかった。
 自分ひとりでやるしかない。
 だが、ダンも先程の回復魔法で、魔法力の大部分を消費してしまった。余力はほとんど残っていない。
 しかし、魔人も既に相当、消耗している。勝機はあるはずだ。

 よろめきながら立ち上がった魔人は、ふらついた足取りで、一歩、また一歩と近づいてくる。
 一撃で仕留めなければならない。
 ダンには、カナのような戦士としての動きはとれないからだ。
 相手の攻撃を躱す事など出来ないのだ。接近戦に持ち込まれれば、魔術師は一巻の終わりである。
 やるなら、魔人との距離が開いている今しかない。
 ダンは、自分が使える最大級の攻撃魔法の準備をしていた。
 実戦では使った事のない魔法だが、今は敵に隙を作る事だけを目的とした小手先の魔法では、どうにもならない。
 魔法とはイマジネーションである。思い描いたイメージに、魔法力を付加させる事で、それは現実のものとなる。イメージが鮮明であればあるほど、魔法は強く発動される。
『燃え盛る炎。全身を焼き尽くす激しい業火。』
 ダンは‘炎’を強くイメージし、残された魔法力を振り絞って、それを一点に集中させた。
「これで終わりだ!」
 ダンは集中させた魔法力を、魔人に向けて一気に解放した。
 魔人はそれを避けようとすら、しなかった。
 ゴォォ、という爆音とともに火柱があがり、一瞬にして魔人の体は炎に包まれた。
 魔法は成功したのである。
(やったか!?)
 しかし、魔人は炎に包まれながらも、そのまま歩みを止めずに近づいてきた。
 魔法そのものは成功したものの、魔人の強大な生命力は、その魔法の炎に打ち勝ったのである。
 魔法の炎は、白煙となって消えてしまった。ダンの精神力がそれ以上、続かなかったのだ。
 白煙を纏いながらダンの目前まで迫ってきた魔人は、左腕を振り上げ、それをダンに向かって振り下ろそうとした。
(駄目だ…。)
 自分には躱しきれない。
 仮にこの一撃を躱せたとしても、あの火炎魔法が通用しなかった以上、もうどうする事も出来ない。あれ以上の威力を持つ魔法を作り出せる力は、もう残っていないのだ。
 ダンは、死を覚悟して目を閉じた。
 次の瞬間、ダンの体に強い衝撃が走った。
(痛みを感じる前に死ねると思ったのに、意外と痛いじゃないか。)
 そんな事を思いながら、ダンは魔人の斜め後方に吹っ飛ばされた。

 だが、ダンは死んでいなかった。
 ほんの一瞬、ほんの数秒間、気を失っていただけである。
 次にダンが目にしたのは、魔人の背中から突き出た1本の剣であった。
 魔人がゆっくりと、前のめりに倒れていく。
 そうして、魔人が地面に倒れ伏すと、魔人の陰に隠れて見えなかった1人の小さな少女の姿が、ダンの目に映った。
 カナである。
 意識を取り戻したカナは、ダンが火炎魔法を発動させるのを見た。それはダンにとって、最後の切り札とも言える魔法である。
 しかし、魔人はそれでも倒れなかった。
 ダンに死の影が迫っている。
 そう感じたカナは、駆け出していた。
 地面に刺さったままになっていた自分の剣を取り戻し、魔人の攻撃から逃げようともしないダンを蹴り飛ばして助け、魔人の腹に剣を突き立てた。
 今度は迷わなかった。
 目一杯の力で魔人の腹部に突き立てられた剣は、魔人の体を貫通していた。
 時が止まったように、誰一人動こうとしなかった。
 倒れた魔人の体が、ビクビクと痙攣するのみである。

「助かった…。」
 村人の1人が、ぽつりと呟く声が響いた。
 すると、張りつめていた場の空気がフッと緩み、カナは力尽きたように倒れ込んだ。
「カナ!」
 タミナが、カナに駆け寄った。
 カナを抱き上げ、膝に乗せる。
 母親の膝の上に乗せられたカナは、先程まで魔人と死闘を繰り広げていた戦士とは思えない、実年齢以上の幼い表情を見せ、母親の胸に顔をうずめた。
 他の人間から一呼吸遅れて、ダンも緊張の糸を解そうとした。
 が、その時、ダンは気付いた。
 魔人が、完全に死んではいない事を。
 そして、魔人の中に、凄まじいレベルの魔法力が高められている事を。

 普通の人間が魔人になったからと言って、魔法が使えるようになったりはしない。
 この魔人は、もとから魔術師だったのだ。
 魔獣化して理性を失い、魔法の使い方も忘れていた魔人が、死を目前にして、それを思い出したのである。
 突如、空に積乱雲が現れた。
 雷撃魔法…超高等魔法である。
 攻撃対象は、魔人の前方にいるすべての人間。
 カナ、タミナ、そして、それ以外の村人全員。
 魔人のやや後方にいたダンだけは、攻撃対象から外されている。
 そして、魔法は発動された。
 と同時に、魔人は力尽きて息絶えたが、一度、発動された魔法は、術者が死んでも効力を持つ。
 もはや、魔法は止められない。
 これを防ぐには、攻撃対象に魔法が到達するよりも先に、他の魔法を無力化する対抗魔法をかけるより他にない。

 ダンは、すぐに決断した。
 その僅かな瞬間で、時間にしてほんの1秒あるかないかの間で、実に冷静に、そして冷酷に決断した。
 自分の残された魔法力で、その場にいる全員に対抗魔法をかける事は出来ない。かけたとしても、魔法は発動せず、全くの無駄に終わる。
 だが、その中のただ1人だけを選び、その1人にだけ絞って対抗魔法をかければ、その者だけは助かる可能性がある。
 ダンは迷う事なく、1人の少女を選択した。
 そして、その少女にだけ向けて、対抗魔法を放った。
 それは、その少女以外のすべての村人、少女の母を含めたすべての人間を見捨てる事を意味していた。

 ダンの対抗魔法は、間に合った。
 しかし、そこに広がっていたのは、あまりにも凄惨な光景であった。

第1章

 あれから10年の月日が流れた。

 パスツレラ大陸の最南端に位置するレプトスピラ王国。
 その城下町。‘麦酒の宿’という看板を掲げた宿屋は、今日も多くの宿泊客で賑わっていた。
 レプトスピラ王国は、農業大国である。気候は温暖で天災も少ない。肥沃な大地と豊かな海がもたらす恵みが、この国を支えている。
 ほとんどすべての食料品が自給率100%を超え、自国民を養って、尚、余りある食糧を他国に輸出している。特にパスツレラ大陸全土で消費されている小麦・とうもろこしの、実に90%はレプトスピラ産である。
 レプトスピラ王国は、決して武力の強い国ではない。しかし、食糧を大量輸出し、各国の命綱とも言うべき‘食’を握る事で、軍隊の力なしに他国に有無を言わさぬ権力を手にしている。

 ‘麦酒の宿’は、1階が酒場、2階が宿屋になっており、宿泊客のほとんどは、1階の酒場で夕食代わりに一杯やってから、部屋で休む。
 この宿の麦酒は、レプトスピラ独自の醸造法で作られた特産品で、これを目当てに来る客も多い。
 ある1組の男女がこの宿を選んだのも、それが理由だった。男はどこでも良かったのだが、女がここにすると言ったのだ。女の方も、取り立てて麦酒が好きなわけではないが、‘特産品’という言葉に弱いのである。
「はいよ、いらっしゃい!」
 その男女が入口を開けると、恰幅の良い女将の威勢の良い声が響いた。
 男女のうち、女の方は緩いウェーブのかかった赤髪を腰まで伸ばしていた。腰に大剣を帯びている事から、戦士である事が伺える。しかし、防具は軽そうな胸当てのみで、二の腕や太腿は露出している。防御力よりも、身軽さを優先させた装備だ。
 少々、生意気そうだが、なかなか美しい顔立ちをしており、ドレスでも着せておしとやかに座らせておけば、かなりの美女であろう。しかし、残念な事に、この女はドレスなど着た事はなく、おしとやかに座っている事もない。
 男も、戦士風の出で立ちだった。女の持っている大剣よりも、やや小ぶりの剣を腰に帯び、黄土色の板金の鎧を身に着けている。鎧の上からなのではっきりとはわからないが、戦士にしては、やや細身のようだ。引き締まってはいるが、それほど太くはない手足が、鎧から伸びている。
 目にかかるかかからないか程度の長さの黒髪は、少し周りの目をひいた。パスツレラ大陸では、黒髪の人間は珍しいからである。
 女も男も、深緑の瞳に切れ長な目つきをしていた。パーツとして見れば、それはよく似ているのだが、不思議な事に、女の場合、それは生意気そうな印象を周囲に与え、男の場合、それは大人びた印象として周囲に伝わっていた。

「部屋は、まだ空いてるか?」
 カウンターの席に座りながら、男が女将に尋ねた。
「あぁ、まだ空いてるよ」
女将が答えると、今度は男の隣に座った女が、口を開いた。
「それじゃ、1部屋頼む」
 すると、女将は厭らしそうな目つきで囁いた。
「あれ、1部屋でいいのかい?」
 若い男女が、1つの部屋で休もうと言うのだから、厭らしい想像をするなという方が難しい。
 しかし、2人の関係は女将の想像したようなものではない。
 男が溜息をつきながら、答えた。
「1部屋で構わん。きょうだいだからな」
「なんだ、妹さんだったのかい。言われてみれば、目元が似てるねぇ」
 ちょっと残念そうに女将が言うと、今度は機嫌を損ねたように女が言った。
「姉と弟だ。双子の姉弟!」
 どこの宿に行っても、その度にこんなやり取りをする破目になるのだ。
 実際には、この2人は姉弟ではない。
 宿代節約のために、宿に泊まる時には1部屋しかとらないのだが、そうすると、必ず男女の仲と間違われる。2人の間に恋愛感情はなく、そう思われるのは非常に不本意であるため、そういう場合は、便宜上、きょうだいと名乗るのだ。幸いな事に、2人の瞳の色と目つきがよく似ているため、きょうだいと言って疑われた例はない。
 そこまでは別に良いのだが、‘きょうだい’と言うと、必ず‘兄妹’と思われるのだ。女はそれが、面白くないのである。
 実際、2人は同い年の上に、誕生日まで一緒なので、年上も年下もないのだが、女は昼前に生まれ、男は昼過ぎに生まれたらしいので、ほんのちょっとであるが、自分の方が年上だと、女は思っている。
 機嫌を損ねた女に代わって、男が注文を続けた。
「食事を2人前。1人前は軽めで、もう1人前は大盛り。それと麦酒のジョッキとオレンジジュース」
 注文を受けた女将は、調理場にそれを伝えると、別の客に呼ばれて、2人のそばを離れた。
「この程度の事で、いちいちむくれるな、カナ。そういう態度が子供っぽく見られるんだ」
 黒髪の男は、赤髪の女に向かって、溜息交じりに呟いた。
「ちがう!お前の背が妙に伸びたから、そう思われるんだ!昔は同じくらいだったのに……」
 カナは剥きになって、言い返す。
 ダンは呆れて、また溜息をついた。
 ダンは、特に背が高いほうではない。だが、カナよりはずっと高い。性差があるのだから、それは当然だろう。
 ダンのほうが年上に見られる理由は、勿論、背丈の問題ではない。

 女将が、飲み物を持ってきた。
 カナの前にオレンジジュースを、ダンの前に麦酒を置く。
 さらに不機嫌になるカナを横目で見ながら、ダンはそっと2人の飲み物を取り換えた。
 ダンは、アルコールを全く受け付けない体質なのである。
 もしかすると、料理も置き間違えられるかもしれない。大盛りはカナの分なのだ。
 カナは一気に麦酒を飲み干すと、すぐにおかわりを頼んだ。
「空腹時に一気に飲むな。体に悪い」
「ふん、お前と一緒にするな。麦酒程度なら、水と一緒だ」
 カナはダンとは反対に、酒には強い。いつもなら、麦酒よりもっと強い酒を好んで飲むのだ。
 しかし、酔った時の酒癖は悪いので、出来るなら程々にしてもらいたい。

 カナとダンが故郷を失って10年。2人は、パスツレラ大陸全土を旅してまわっていた。
 10年前のあの日、魔人が放った最後の魔法で、カナは母を失った。その場にいたそれ以外の村人達も、一瞬にして死体と化した。
 ダンと、ダンの対抗魔法により、魔人の魔法が無効化されたカナだけが助かった。
 その後、あまりのショックに失神してしまったカナを残し、ダンは1人で村に戻ってみた。すると、村の男達も皆殺しにされていた。
 その中には、カナの父ザガスの亡骸もあった。だが、ダンの父カルノンの亡骸は、いくら探しても見つからなかった。おそらくは肉片すら残らぬほどバラバラに吹き飛ばされたのだろう。そう結論付けた。残された遺体の損傷は、どれもあまりに酷かったからである。
 しかし、ザガスの亡骸には、違和感を抱いた。ザガスは、自らの剣で喉を切り裂いたように見えたからである。自害だったのというのだろうか?一体、何のために?
 そもそも、何故、辺境の小さな村が突然、魔獣の大群に襲われたのか?
 謎はいくつも残ったが、それらを解くすべはなく、2人は当てのない旅に出た。誰もいなくなった村に残っていても、仕方がなかったのだ。

 パスツレラ大陸には、8つの国がある。レプトスピラ王国、ヘモフィルス共和国、スピロヘータ王国、クロストリジウム帝国、パラミクソ王国、イーコリー民主主義国、ビブリオ帝国、シュードモナス王国。それ以外に、エルフが住むカリシの森。
 パスツレラ大陸の外には、いくつかの小さな島が点在しているが、世界にはそれ以外に大陸はない。新しい大陸を見つけようとして船出した探検家は数知れないが、彼らが帰って来た事はなかった。世界の最端にある「終末の滝」から地の世界に落下したのだと賢者達は人々に伝えている。
 カナとダンの故郷、ラブド村はスピロヘータ王国の北、クロストリジウム帝国の南、この2大国家の国境に位置していた。しかし、ラブド村の事情は少々特殊で、この2つの大国のどちらにも属さず、自治を行っていた。
 スピロヘータとクロストリジウムは国境線を巡って、激しい争いを繰り広げており、そのための最前線基地として、両国ともラブト村が欲しかった。両国が差し向ける兵を、幾度となく返り討ちにしていたのが、カナの父ザガスとダンの父カルノン・キャストスペイである。この2人が村の指導者だった。否、実質的にはカルノン・キャストスペイが指導者だった。
 ザガスもカルノンも、共に村人からの信頼は厚かったが、ザガスは「俺は頭が悪いから」と言って、政治的な判断は、すべてカルノンに任せていたからである。
 しかし、ラブド村の村人を全滅させたのは、スピロヘータともクロストリジウムとも思えなかった。両国とも、10年経った今も、無人となった村を手に入れられずにいるのだ。
 ラブド村へ行った者は、戻って来ないのである。
 つまりダンは、ラブド村からの最後の生還者と言える。

 結局、カナは麦酒では満足できず、ウォッカを飲んでいた。既に何本かの瓶を空にしている。
「ダン~。お前、剣の扱い、随分上手くなったよなぁ。私が戦ってるのを見て、見様見真似で覚えたらけなのに、大抵の魔獣なら、もう相手になあないもんな~」
 少々、呂律が怪しい。やっと酔ってきたようだ。
 今夜は、暴れ出す前に眠ってくれるだろうか?そう思いながら、ダンは適当に返事をする。
 ダンのグラスの中身は、今はマスカットジュースである。果樹園も多い、このレプトスピラ王国。新鮮な果実から作られた搾りたてのジュースは、どれもなかなかの物で、ダンは秘かに満足していた。
 酒場は、人もまばらになってきた。ほとんどの者が、2階の部屋に引き上げていったのである。
 そろそろ自分達も、部屋に引き上げた方が良いだろう。
 ダンがそう思った時、カナの隣に上半身裸の大男が座った。
 背丈は、2m近くあるだろうか。縦も大きいが、横も立派なもので、筋骨隆々。頭は剃っているのか、それとも禿げているのか、髪は1本もなく、背には大ぶりのバトルアックスを負っていた。こういう大男が、いかにも好みそうな武器である。
 大男は持ってきた酒瓶を傾けて、カナのグラスになみなみと注いだ。
「コイツは俺の奢りだよ、ねえちゃん。ほれ、そっちのにいちゃんも」
 ダンにも酒を勧めるが、ダンはそれを丁重に断る。
「生憎、俺は酒が飲めない体質でね。それと、そっちの女にも、それ以上、飲ませないでくれ。あとの面倒は、俺が見なけりゃならないんだからな」
「付き合いの悪い男だなぁ。なぁ、ねえちゃん?」
 そうは言うものの、大男はそれほど気を悪くした様子はない。カナのグラスに自分のグラスを合わせる。
「コイツは、いつもこんなんだぞ」
 カナは、注がれた酒を一気に飲み干し、もっと注げと言うように、男にグラスを突き出した。
「おぉ、いいねぇ、ねえちゃん。なあに心配しなくても、あとの面倒は、俺が見てやるよ。ちゃーんと、ベッドまでな」
 そう言って、大男は厭らしい笑みを浮かべる。けれど、そんな表情が不思議と様になる男だ。下品なのに、不快な印象は与えず、何故か好感を抱いてしまう。
 大男は、またカナのグラスになみなみと酒を注いだ。
「ところでよ。さっきの話、ちょっとばかし聞こえてたんだが、お前ら、魔獣を相手にどうのこうのって、言ってたよな?」
 大男が少し真顔になって、問いかける。
「だから何なんだ?」
 ダンは、大男を睨みつけながら、そう返した。
 カナは、特に聞かれて困る話をしていたわけではないが、盗み聞きされていたのは、気持ちの良いものではない。
「へへへ、そう怖い顔すんなって。お前らもしかして、‘退治屋’じゃねえかと思ってよ」
 ‘退治屋’とは、魔獣退治を専門とする戦士の事だ。
 魔獣は、パスツレラ大陸全土で、散発的に発生する。そして、それは人間が生活する上で、何かと問題になる。
 それを駆除する事を生業とする者達がいるのだ。
「退治屋と言えば、退治屋だが、それ専門じゃない。報酬次第で、人間相手の戦闘も請け負うからな」
 ダンが答える。
「なんでもいいさ。とりあえず、魔獣は倒せるんだな?」
「魔獣と一口に言っても、いろいろな種類があるだろう。それに弱い魔獣だって、群をなしたら、手強い相手になる。どんな魔獣がどれくらいの数なのかによって、答えは変わってくる」
「まぁ、普通の魔獣だ」
 ‘普通’とは、何を基準に言っているのかわからない。
 それでは、答えようがない。
 ダンがそう思っていると、カナが口を出した。
「私らに、倒せない魔獣はいないね!」
 カナはそう言ってニヤリと笑い、大男の顔面めがけて、拳を繰り出した。そして、それを寸止めしてみせる。酔っているとは思えない、鋭いパンチだ。
 大男は、一瞬、驚いた顔をしたが、次の瞬間には笑みを浮かべてカナの肩を叩いた。
「思ったより、やるじゃねぇか。これは悪くない話だぜ。いいか、よーく聞けよ」
 好奇心旺盛なカナは、酔いも冷め、興味津々と身を乗り出して、大男の話を聞き始めた。
 ダンは視線をそらしながら、それでもしっかりと話を聞いていた。

 その3日後、カナとダンは‘麦酒の宿’で知り合った大男と共に、山道を歩いていた。
 大男は、オルソと名乗った。
 カナとダンは、オルソに雇われたのである。
 オルソの依頼は、魔獣が多数出現すると言われている遺跡の探索の用心棒。
 何故、そんな遺跡に行かなければならないかと言うと、その遺跡にマジックアイテムが眠っていると言われているからである。
 オルソは、傭兵を稼業とし、戦のある国を渡り歩いている。
 魔法力が付加された武器や防具を持つというのは、戦士にとって一種のステータスだ。オルソが欲しがるのも、当然の事である。しかも、マジックアイテムというものは、金を積めば買えるという物ではない。店で売っているような代物ではないのだ。
 マジックアイテムの効力は、付加された魔法力の種類によって異なるのだが、例えば、火炎魔法の魔法力が付加された剣なら、それを振るうだけで、魔術師が火炎魔法を使ったのと同じように魔法が発動される。爆発魔法の魔法力を付加されていたとすれば、爆発魔法が発動される。

 魔術師は非常に数が少ない。ごく簡単な魔法しか使えない魔術師を数えても、一国に100人はいないだろう。実戦や実生活で通用するレベルの魔法となると、10人以下だ。
 そのため、魔術師は‘賢者’と呼ばれ、人々の尊敬を集めている。どの国でも、魔術師というだけで、国の重鎮として迎えられるのだ。

 勿論、魔法と同等の効果を示すアイテムというのも、非常に貴重である。しかも、アイテムに魔法力を付加する付加魔法が使える魔術師は、古代に滅亡したと言われている事から、マジックアイテムには、計り知れない価値があるのだ。
 オルソは傭兵経験が長く、対人間との闘いなら、遅れをとるつもりはなかったが、魔獣との戦いには慣れていない。しかも、目的とする遺跡には、かなりの数の魔獣が生息していると言われている。いくら腕に覚えがあるとは言え、1人挑むのは、あまりに危険だ。そのため、退治屋を相棒にしようと考えたのだ。
 報酬は、先日の宿に1ヶ月宿泊した場合の宿賃。それで合意した。

 目的の遺跡は、レプトスピラの中ほどにある山脈の中。
 3人は、そこを目指して歩いていた。
「もう1度、確認しておくが、遺跡でマジックアイテムが手に入っても入らなくても、報酬は支払ってもらうからな」
 傾斜のきつい山道を進むオルソに向かって、ダンが念を押した。
「わかってるって。お前もしつこい男だなぁ、ダン」
 オルソはダンを振り返って、答えた。
「遅いぞ、ダン!」
 カナも振り返り、ダンに声をかける。
 先を行くオルソとカナに、ダンは少々遅れていた。
「急ぐ必要はないだろう。遺跡は逃げないからな。無駄な体力を消費する必要はない」
「ふん、この程度の事で疲れるか!それともお前は、もう疲れたのか?」
 カナはからかうような口調で、ダンに言う。
「お前と同じ調子で歩いていたら、当然、疲れるさ。俺には、お前ほどの体力はないからな」
 ダンはあっさり認めた。
 オルソは、そんな2人のやり取りを不思議そうに眺めていた。
 ダンに体力がないわけではない。カナがあり過ぎるのだ。ダンも、並みの戦士以上の体力はある。
 この険しい山道、オルソは正直言って、カナのペースに付いていくのは辛いのだが、そこは男の意地で、涼しい顔を装って、歩いていた。
 しかし、ダンにはそのような意地はないようだ。
 戦士としての実力は、明らかにダンよりカナのほうが上である。
 オルソはこの3日間で、それがわかった。
 この3日間は野営をしていたのだが、カナとダンは起きてすぐ、早朝に実戦形式で剣の稽古をするのだ。
 戦士であれば、日頃の鍛錬は当然の事、それ自体は別に不思議ではないのだが、驚くべきは、カナは目隠しをした状態で、ダンと対戦していた事である。
 その状態で、カナとダンは互角なのだ。
 ダンが弱いわけではない。ダンも充分に実力のある戦士だ。カナが出鱈目に強いのである。
 2人の稽古を覗き見たオルソは、思わずカナに「すげえな。」と声をかけた。
 稽古を見た限り、ダンならオルソでも倒せるだろうと思った。しかし、カナは無理だ。オルソは自分の腕には自信があったが、この若い女には、まるで敵わない事を知った。世の中、広いものである。
 しかし、そう言われたカナは、意外な返答をした。
「ハンデなしなら、ダンのほうが強いよ」と。
 ハンデを負って戦っていたのは、カナのほうだろう。どういう意味なのか測り兼ねたが、カナはそれ以上、答えなかった。

 さらに数時間ほど歩くと、日も暮れてきた。
「カナ。ダン。今夜はこの辺で休もうや」
 オルソはそう宣言し、腰を下ろした。うまい具合に湧水を見つけたのだ。これなら、水の心配をする事なく休める。
 しかし、カナもダンも座ろうとはしなかった。
「オルソ」
 ダンが声をかける。
「なんだ?」
「もう1度、契約内容を確認したい」
「またかよ……。いい加減にしろよ」
「俺達は‘魔獣に対する用心棒’だったよな?」
「そうだろ」
「ならば、人間からの攻撃があった場合、俺達はお前を守る義務はあるのか?」
「は?」
 どういう意味だろうか?
 と、オルソが問おうとした瞬間、カナの剣が一閃した。
 地面に、複数の矢が叩き折られて落下する。
「へ!?は!?なんだ!!?」
 オルソは慌てて、自らの武器、バトルアックスを構えて立ち上がった。
 木々の間に姿を隠していた男達が、次々と姿を現す。
 カナとダンは、全く慌てた様子はない。
 ダンも抜剣し、右手で剣を握った。
「囲まれているな、カナ。」
「27人だな。」
「ちょうどいい。それなら3で割り切れる。」
「えぇっと、それじゃぁ1人当たり…いくつだ?」
「9人だ。カナ、10人以上斬るなよ!」
 27人の男達は、初めに放った矢が1本残らず叩き落された事で、少なからず動揺していたが、自分達が圧倒的多数である事を思い出し、「ウォォォー」という雄叫びとともに、一斉に襲い掛かってきた。
「野盗かな?コイツら」
 カナは男達の攻撃を軽くあしらいながら、ダンに話しかけた。
「まぁ、野盗以外の何者でもないだろうな」
 ダンにも余裕がある。野盗の攻撃を剣で受け流している。
「お前ら、何、呑気にくっちゃべってんだ!」
 オルソは必死でバトルアックスを振るっている。
 オルソは腕に覚えのある戦士だし、カナはさらにその上を行く凄腕の戦士だ。しかし、いくらなんでも、相手の数が多過ぎる。
「オルソ、さっきの話の続きなんだが……」
「何なんだよ!」
「俺達は対魔獣用に雇われたのであって、人間相手の戦闘は、契約範囲外だ。だが、この野盗は俺達も獲物と見なしていたようだから、全体の3分の2の18人は、こちらで引き受けよう。けれど、もしそれ以上、手を貸して欲しいなら、追加料金をいただくぞ」
「馬鹿野郎!今、そんな話してる場合じゃ!?」
 話をしている間にも、オルソは何度も野盗の槍やら剣やらで、突き刺されそうになっている。オルソのバトルアックスの大振りの攻撃は、まだ敵に一撃も与えていない。
 しかし、カナは危なげない戦いぶりで、すでに7人の男を屍に変えていた。
 ダンは器用に敵の攻撃を受け流しているが、まだ斬り倒した相手はいない。
「ダンー。私の分、終わった」
 カナは、9人目の野盗を斬り倒すと、なんと剣を納めてしまった。
「バ、何やってんだよ!?カナ!」
「だって、ダンが10人以上、斬るなって言うからさ」
 カナは涼しい顔で、残る野盗たちの攻撃を躱している。
「オルソ。自力で9人倒せるか?」
「無理に決まってんだろ!大バカヤロー!」
「それじゃ、追加料金決定だな」
 ダンはそう言うと、少しだけ笑ったようである。
 ダンは右手で剣を振るいながら、左手を軽く突き出した。
 その周りに、いくつもの小さな炎が出現し、金魚が泳ぐように、ダンの左手の周りを浮遊する。もしもよく観察していたら、その小さな炎の数は、残る野盗の数と同じ18である事がわかっただろう。
 一体、何なのだろう?
 野盗もオルソも、一瞬、動きを止めてしまった。
 だが、野盗の1人は恐怖にうわずった声でこう叫んだ。
「コイツ、魔術師だ!!」
 その恐怖が伝染していくかのように、野盗達の顔色は一瞬で蒼白になった。そして、逃げ出そうと後ずさった瞬間に、ダンは火炎魔法を野盗達の顔面に向けて叩き付けた。
「うぁぁーー!!」
「ぐぉぉーー!!」
 炎に顔面を包まれた野盗達は悲鳴をあげ、地面の上でのた打ちまわる。
 しかし、魔法の火炎が消える事はなかった。
 すぐに野盗達は屍と化して、動かなくなった。
 結局、その場には、剣で斬り伏せられた死体が9体、顔面を消し炭に変えられた死体が18体、転がっていた。

 ダンの左手が、スッと淡い光を放った。
 それを自分の額のあたりに持っていくと、自分で出した火炎魔法で僅かに焦げた前髪が、元の通りに再生した。回復魔法である。
 ダンは念のために、ちらりとカナの様子も確認したが、回復魔法の必要はなさそうだ。かすり傷ひとつない。
「ダン…あんた賢者だったのか!?」
 しばらくの間、呆然と立ち尽くしていたオルソが、やっとの事で、声をあげた。
 ‘賢者’とは、魔術師の尊称である。魔術師は一般的に‘賢者様’と呼ばれるのだ。
「‘俺は戦士だ。魔術師じゃない。’なんて、一言も言った覚えはないがな」
 ダンは、あっさりと答えた。
 しかし、オルソが驚くのも無理はない。
 なんと言っても、魔術師はごく少数なのである。
 しかも、ほとんどすべての魔術師は、誰がどう見ても魔術師だとわかる格好をしている。
 古代語が縫いこまれた賢者のロープに、魔法力を集中させるための宝玉が埋め込まれた賢者の杖。
 魔術師は自らを‘賢者’と称し、戦士は野蛮な人間、自分達が使役する人間と蔑んでいるから、魔術師が自ら戦士のような格好をする事など、まずあり得ない。ましてや魔術師が剣を振るうなど、考えられないのだ。
「なんで賢者が、そんな恰好してんだよ!?」
 賢者のロープは、高価なばかりで歩きにくいからである。だから、わざわざ着ようとは思わない。
 また、ダンは魔法力を集中させる賢者の杖がなくとも、自分の掌や指先、やろうと思えば爪先や額にだって、魔法力を集中させる事ができる。別に賢者の杖など必要ないのだ。
 そもそもダンは、たかが魔法ができるくらいで‘賢者様’とは馬鹿らしいという考え方の持ち主だ。‘賢者’と呼ばれるのは嫌いなので、自分から魔術師だとわかる格好は、あまりしたくない。
「珍しい魔術師だろ、コイツ」
 カナはおかしそうに、ダンを指さした。
「珍しすぎるだろ」
 オルソは呻くように言う。
「なんで、天下の賢者様が退治屋なんかやってんだ?賢者なら、いくらだっていい条件で仕官できるだろ?」
 オルソが、もっともな疑問を口にする。
「理由などない。宮仕えは面倒だからだ」
 それは、半分は本心だ。しかし、それ以外の別の理由もある。そちらの理由は、敢えて言おうとはしなかった。
「本当に珍しい魔術師だぜ。なんで剣技なんか、知ってんだよ?」
「カナとの付き合いは長いからな。カナの戦い方を見て、勝手に覚えた」
 見様見真似でここまで覚えてしまったとは、本職の戦士にしてみれば、頭にくる話だ。戦士と名乗る人間の過半数は、ダンの剣に敵わないだろうから。
「そうそう。こいつの剣技は完全に私の真似なんだ。だから、自分は左利きのくせに、私と同じように右手で剣を持つんだぞ」
 カナがダンの説明に付け足す。
「何!?左利き!?それじゃ、お前、利き手と反対の手で、剣を握ってんのか!?」
 さらに、信じられない事実である。
「今頃、俺が左利きだと気が付いたのか?観察力のない奴だな。そんなもの、一度、一緒に食事をすれば、わかるだろう。まあ、右手で剣を持つのは、それ以外の理由もある。俺は右手でも左手でも、足にだって、魔法力を集中させる事は出来るが、やはりやりやすい場所というものがあるんだ。俺の場合、利き手の掌。だから、利き手で剣は持たない。俺の本職は魔法だからな」
 魔法のために、利き手をあけているというわけだ。
 朝の鍛錬の後のカナの言葉の意味が、ようやくオルソにわかった。
『ハンデなしなら、ダンのほうが強いよ』
 魔法を使ったら、カナでもダンには敵わないのだろう。
「ところで、オルソ。追加料金の件だが……」
 ダンは、もうこの話には飽きたとばかりに、商談に移った。

 それから、丸1日以上、何事もなく過ぎ去った。
 今は野盗との戦闘の翌々日の朝である。
「しかしよう、いくら何でも高すぎねぇか?」
 オルソは、この1日、幾度となく繰り返した台詞を、また口にした。
「妥当な線だ。この額に不満があるなら、1人で行け」
 ダンは素っ気なく答える。
 話は‘追加料金’についてである。
 カナとダンは、もともとオルソの魔獣への対抗手段として雇われた。しかし、これに野盗等の対人間の戦闘の際の助力も追加された。これにより、当初の料金の2倍の額をオルソは支払う事になったのである。
 かなり痛い金額だが、仕方ない。1人で魔獣の巣窟に挑むのは、無謀すぎる。それに、ダンが魔術師である事を考えると、実は安すぎると言える額だ。魔術師は、本来、生半可な金額では雇えないのだ。
 それ以上に、オルソはカナとダンが気に入ってしまった。何となく、もう少し一緒に旅してみたい気分である。

 ダンは特殊な方法で、泥水を濾過しながら、オルソと話していた。
 今日は飲み水になるような水場を確保できなかったのだ。雨水の溜まった大きな水たまりのようなものは見つけたが、この水はそのまま飲めるような代物ではなかった。しかし、これで飲料水は楽に確保できる。
 これは魔法ではないが、このような技術は、膨大な知識を有する魔術師ならでは、とも言える。
 魔法とはイマジネーションであり、魔法とは科学の結集だ。
 火炎魔法であれば、酸素が発火するところを、爆発魔法であれば、水素が集結して爆発するところを、分子レベルで詳細にイメージする。
 科学的知識がなくては、魔法は行使できない。魔術師とは、どんな科学者よりも科学に精通しているのである。
 回復魔法の場合は、傷付いた組織が再生する様子、細胞分裂の様子、炎症が引いていく様子、ホルモンバランスが整えられていく様子を詳細にイメージする。そのためには当然、人体についての解剖学的、生理学的知識を完璧なまでに必要とする。
 しかも、体のどの箇所がどのように傷付いているかを正確に把握できなければ、魔法は成功しない。
 例えば、胸を強打した場合、肋骨骨折だけ気が付いて、実は外傷性気胸も起こしている事に気が付かなかった…などという場合は、当然、回復魔法をかけても、その者は助からない。
 ダンの場合、大きな負傷や病気に対して回復魔法を使う時には、回復魔法の前に透視魔法と拡大視魔法を併用し、体の内部、内臓や血管、骨の様子まで、正確に確認している。
 また、細胞分裂のイメージを違えれば、狂ったように分裂し続ける細胞を作ってしまう事がある。これは所謂ガン細胞だ。回復魔法は、ちょっと間違えると組織をガン化させてしまう事もあるのだ。
 そのため、回復魔法は魔法の中でも特に難易度が高く、他の魔法は使えても回復魔法だけは使えないという魔術師も多い。
 そんな中で、ダンが最も得意とする魔法は、回復魔法なのである。

 目的とする遺跡は、だいぶ近付いてきた。
 今日の午前中には、その入口に辿り着くだろう。
 ただ、遺跡の中に本当にマジックアイテムが眠っているのかというと、ダンはあまり期待できないと思っていた。
 オルソは、ただの噂を根拠としていたらしい。レプトスピラの酒場で、複数の冒険者や吟遊詩人から聞いたという。あの遺跡には、古代の魔術師が魔力を付加したマジックアイテムが眠っており、それには世界を制覇するほどの力が秘められていると。
 だが、古い遺跡ともなれば、この手の噂はいくらでもあるし、その噂の大部分はデマだ。
 しかし、ダンにとって、それはどうでも良い事である。マジックアイテムが手に入っても入らなくても、報酬は支払われる事になっているのだから。

「ダン、飲み水はもう作り終わったか?」
 1人で剣の素振りをしていたカナが近付いてきた。
 愛用の大剣は、鞘に納めぬまま、肩に載せている。
「ああ。これだけ作っておけば、充分にもつだろう」
 ダンは、たっぷりと水の入った水袋を見せてやった。
「それじゃ、相手しろ」
 楽しそうに、カナが言った。
 日課の剣の稽古である。
 街中に泊まった時以外は、カナとダンは毎朝、実戦形式で稽古する。ただし、ダンは魔法なし、カナは目隠しと、お互いにハンデを付けて。
 この状態で両者は互角なのだ。
 ハンデなしで勝負した事はないが、そうなれば、魔法が使えるダンの圧勝だろう。
 「わかった」
 ダンはそう答えて、立ち上がった。
 稽古は勿論、鍛錬の意味で行っている。少なくとも、ダンにとってはそうだ。
 ダンは剣を覚えたかった。別に戦士になりたいわけではないから、魔法以上に剣が上達する必要はなかったが、自分の身は自分で守れる程度の腕は欲しかった。魔術師の戦い方をしていると、どうしても、戦士であるカナにばかり危険を背負わせて、自分は後方に下がっているようになるからだ。それが嫌だった。
 ただ、カナにとって毎朝の稽古は、鍛錬の意味もあるが、遊びの延長線上でもある。ちょっと本格的なチャンバラごっこのような感覚なのだ。
 と、そこへ、いきなりオルソが割り込んできた。
 「ちょっと待った!」
 「なんだ?オルソ」
 ダンが少々、面倒くさそうにオルソを振り返る。
 「ダン、俺と1本勝負してくれねえか?」
 そう言われダンは、ちょっと驚いたように、オルソを見つめた。
 オルソの表情が、妙に真剣だったからである。
 しばらくの間、両者は無言で視線をぶつけ合っていた。オルソは額に汗すら浮かべている。
 そして、ダンはスッと笑みを浮かべて、「いいだろう」と応じた。
「えー!?それじゃ、私の相手はどうなるんだ!?」
 カナが不満を漏らす。
「今日は我慢しろ。意外に真剣勝負になりそうだ。魔法抜きでこの男と真剣勝負になれば、後からお前の相手をする体力は残らないだろうからな」
「魔法、使ってもいいんだぜ」
 オルソは挑発的にそう言った。
「何言ってんだ、オルソ。それじゃ、勝負にならないぞ」
 と、これはカナ。
「剣だけで敵わないと判断すれば、俺は魔法を出す。俺に魔法を使わせたければ、実力でそうさせるんだな」
 ダンは剣を構え、間合いをとった。

 ダンとオルソは、互いの武器を構え、対峙する。
 ようやくカナも、オルソとダンが本気でやり合おうとしている事がわかった。
 カナとダンが稽古する時は、いつも寸止めで勝負を決する。当然ながら、実際に斬りつけたりはしない。しかし、オルソの武器バトルアックスは、その重量ゆえに、寸止めが難しいのだ。実際に当たってしまったら、命に関わる。
 だからこそ、ダンのほうもいざとなれば魔法を出すと言ったのだろう。ただ、とりあえずは剣だけで対応するつもりのようだ。

(なんでコイツら、いきなり本気で勝負するんだ???)
 よく理解できないカナは、疑問符だらけになった頭で、2人を見つめていた。
 オルソは、バトルアックスを大上段に構えている。
 ダンは、少し斜めに崩した中段の構え。構え方はカナとほぼ変わらない。
 ダンの剣技は、基本的にカナの真似だ。ただ、カナほどの腕力がない分、剣はカナの物よりやや軽い物を使っている。カナの剣は、亡き父が若かりし日に愛用していた大剣で、バトルアックス程とまではいかないが、重量はかなりの物だ。カナは子供の頃から、この剣を軽々と使いこなしているのである。
「うぉぉー!」
 先に仕掛けたのは、オルソだった。
 右足を踏み込み、間合いを詰め、大きく振りかぶったバトルアックスを振り下ろした。
 ダンはそれを左に跳んで躱す。しかし、その一撃はフェイントだったようだ。オルソは間髪入れずに、回し蹴りをダンの脇腹めがけて飛ばした。
 それも上体をひねって躱したが、完全には躱しきれず、ダンの体勢が崩れる。
 そこにオルソが、バトルアックスで横薙ぎの攻撃を仕掛ける。ダンはこれを剣で受け止めたが、ダンとオルソでは、腕力が違いすぎるし、体勢も悪かった。力で強引に押しやられ、ダンは地面に転がされた。
 とどめとばかりに、オルソは再びバトルアックスを振りかぶろうとした。
 が、草に足をとられ、バランスが崩れた。その隙に、転んだままの体勢から、ダンがオルソの足を払う。
 今度はオルソが転ばされ、起き上がったダンは、オルソの心臓めがけ、剣を突き刺した。
 しかし、その剣はオルソの皮膚を一枚突き破ったところで、ピタリと止まっていた。
 勿論、わざとである。
 この勝負、ダンの勝ちという結果に終わった。
 しばらく、粗い息をついて座り込んでいた2人だが、ダンがオルソに向かって左手を伸ばした。
 ダンの剣の切っ先で僅かに傷付き、出血していたオルソの左胸に手をかざすと、その左手は淡い光を放ち、傷は跡も残さず綺麗に消え去った。
「すまねえ」
 オルソはそう言って、天を仰いだ。
「結局、魔法なしで負けちまったな」
「いや、そうでもない」
「途中で足をとられたのは、確かに俺の運がなかったがな。勝負の上では運も実力のうちだ」
 そうオルソが言うと、ダンもカナも呆れたような顔をした。
「オルソ、気付いてないのか?ダンは魔法を使ったんだぞ」
「は?」
「お前が足をとられたのは偶然じゃない。ダンが魔法で地面に生えていた草を操って、お前の足に絡めたんだ」
「へ!?」
 オルソは驚いたような顔で、ダンを見つめた。
「そうだったのか!?」
「そういう事だ」
 ダンは憮然とした声で答えた。
「なんだ、そうだったのかよ!」
 オルソは途端に機嫌よくなった。
「それにしてもオルソ、なんでわざわざこんな本気の勝負をしようと思ったんだ?」
 カナが尋ねる。
「そりゃぁ、決まってんだろ。男同士でわかり合うには、飲み明かすか、本気でやり合うかのどちらかだ。ダンは酒は飲めねえって言うから、一戦やってみようって思ったのよ」
「俺はそういう考え方はしないがな。そういうタイプの男がいる事は知っている。だから、付き合ってやったんだ」
 ダンが疲れたように答えた。
「ふ~~ん。それじゃ、私とも一勝負するか?」
 カナがオルソに尋ねる。
「お前とは、1度飲んだだろうが。それに‘男同士’って言っただろ」
「あぁ、そう言えば、私は男じゃなかったな。私を女扱いする奴は珍しいから、たまに自分でも忘れる」
 真顔でそんな台詞を口にするカナに、オルソはガハハと豪快に笑った。
「お前はいい女だぜ。自覚がないのが惜しいくらいだ」
 これはオルソの本心である。
 それを聞いたダンが、複雑な表情をした事にオルソは気付いて、内心おかしかったが、それに関しては何も言わなかった。
「さぁ、出発するとしようや。早くマジックアイテムを手に入れようぜ」
 オルソの体の疲労感は、むしろ心地良いもので、彼は元気良く立ち上がった。

 朝っぱらから余計な事をしていたので、出発は随分と遅れてしまった。
 3人は、山道をさらに分け入って、奥へ奥へと進んでいた。このくらいの高地になると、植物もほとんどなくなり、岩肌が露出した急斜面がひたすらに続いている。
「遺跡はこの方角で間違いなさそうだな」
 オルソは、うんざりといった表情で呟いた。
「そうらしいな」
 ダンの声音も、オルソと似たようなものである。
 何故、遺跡はこちらで間違いないのかというと、魔獣の出現率が半端ではなくなってきたからだ。
 初めは魔獣化ネズミ、次に魔獣化カラス、魔獣化スズメバチに魔獣化大蛇。
 次から次へと現れた。
 と言っても、これらを相手にしたのはカナ1人である。
 ダンとオルソがやり合っていたのに、自分だけ仲間外れにされたようで、面白くなかったカナは、魔獣相手に一暴れして憂さ晴らししていたのである。
 魔獣化スズメバチの時は、さすがに多勢に無勢で、ダンも援護しようとしたのだが、それもすべてカナが1人で斬り捨ててしまった。それでも1ヶ所も刺されなかったのだから、大したものである。
「お前らと一緒に来て、本当に良かったぜ」
 オルソは心底、そう漏らした。自分一人であったなら、間違えなくここまで来られなかっただろう。
「ん?ダン!オルソ!あれじゃないのか!?」
 カナが、岩肌にぽっかりと口を開けた洞穴を見つけた。しかも、ただの洞穴でない事を示すように、その入口には明らかに人工的に作られた1体の像が鎮座している。
 3人はその入口までやってきた。
「変な像だな。何だこれ?」
 石造りの像は、動物を象った物のようだ。カナが興味津々と、つつきまわす。
「これはキメラだな」
 ダンも像を眺めながら、答えた。
「キメラ?」
「よく見ろ。ライオンの頭に山羊の胴体、蛇の尻尾を持っているだろう。これをキメラと言うんだ」
「神話の中の生き物って、とこか。」
 オルソもしげしげと像を眺める。子供の頃、聞かされた物語に、こんな生き物が出てきたような気がする。
「まぁ、一般的には空想上の生き物という事になってはいるな」
 ダンが意味深な言い方をした。
「‘一般的には’って、どういう事だよ?」
 オルソが訊き返す。
「一部の魔術師の間では、キメラは実在したと言われているんだ。古代魔術師の魔法は、生物を遺伝子レベルで操作出来たと言われている。DNA配列すら、自在に組み替えたと言うから、もはや神の領域だな」
 カナとオルソは、ダンの言葉の意味が理解できない。
「イデンシ?でぃーえぬえー?何だそれ?」
「手っ取り早く言えば、古代の魔術師は、こんな奇妙な生物を作り出すような魔法も知っていたという事だ」
 長々と説明するのが面倒だったので、本当に手っ取り早く、ダンは答えた。
「ふうん、古代の魔術師ってのは、凄かったんだな」
 カナは感心したように言った。
「前にも言っただろ。現代に残っている魔法は、古代魔法の中のごく一部だけだ。古代の魔術師と同等の魔法が使える魔術師が、現代に存在したら、世界なんて簡単に征服できるさ」
 古代魔法の多くが現代までに滅びた理由には諸説あるが、今のところ定かなものはない。
「カナ!ダン!入口でくっちゃべってても、始まらねえだろ。早く中に入ろうぜ」
 オルソは遺跡を目の前にして、気が急いているようである。オルソに急かされるように、カナとダンは遺跡の中に入っていった。
 洞窟の中は、当然のように真っ暗だった。入口から数m進んだだけで、足元が見えなくなってしまう。
「しまったなぁ。松明を忘れてたぜ」
 洞窟探索というのに、松明を持ってこないとは、確かに間抜けすぎる。
 頭を抱えるオルソの横で、ダンは低い声で呟いた。
「光よ」
 すると、松明の数倍の明るさを放つまばゆい光体が出現し、3人の行く手を照らした。光体は、3人の歩く速度に合わせ、勝手に前に進んでいく。
「へー便利なもんだな。やっぱりお前はすげえぜ」
 オルソは、感嘆の声をあげた。
 一方で、カナは特に驚きもしない。日頃から当たり前のようにダンの魔法の恩恵を受けているため、あまりありがたみを感じていないのである。
(別に感謝してほしいわけじゃないけどな。)
 ダンは心の中で呟く。
 実際、カナは、ダンがどれ程レベルの高い魔術師なのか、いまいちわかっていない。ダンの強さは勿論、認めてはいるのだが、ダンがいつも簡単そうに魔法を出すから、魔法は簡単なものだと思っている。ダンほどの実力をもつ魔術師は、おそらくこの大陸に片手の指で数えられる程度しかいない。それが理解できていないあたり、カナはある意味、かなりの世間知らずなのだ。
 光体に照らし出された洞窟の内壁には、一面に壁画が描かれていた。それはどれも、キメラの絵で、古代魔術師と共に暮らすキメラの様子を表していた。
 洞窟は広く、大型のグリズリーが3頭横に並んでも、歩ける程度の幅があった。分かれ道もなく、道は真っ直ぐ奥へと続いている。
 3人は魔獣の出現に備えて、注意深く進んでいった。
 30分程度、歩いただろうか。道は相変わらず1本道で、魔獣の気配もない。
「なんでぇ。魔獣なんかいないじゃねえか」
 オルソはそう口にしたが、それでもまだ警戒心いっぱいの声である。
「まだわからんさ」
 ダンは、むしろここまで魔獣が出なかった事を不審に思っていた。この場所に入った時から、強い瘴気を感じていたからである。これなら、魔獣が出ない方がおかしい。それに、この洞窟の周辺には、確かに多数の魔獣が出現した。
 ダンはこう考えていた。魔獣はこの洞窟に踏み込めないわけがあるのではないかと。
「1匹も魔獣が出ないんじゃ、面白くない」
 カナは本気でそう言っているようだ。
 カナが先頭になり、そのあとをダンとオルソが続いて歩いていた。だが、ダンは、さりげなく自分が先頭になった。
 ただの魔獣なら、カナなら何の問題もなく処理できるだろう。だが、どうも嫌な予感がしたのである。
 ただし、本来、未知の危険に遭遇する可能性がある場合には、魔術師は戦士の後方に下がっているのが定石なのだが。
 カナは魔獣の急襲に備えて、既に抜剣していたし、オルソもバトルアックスを手にしている。一方、ダンは抜剣こそしていなかったが、魔法力を高めて、いつでも魔法が出せるように準備していた。
 ふと、道が開けた。大きな空洞になっている部分に辿り着いたのである。
「なんだここは?」
 オルソが辺りを見回す。
「ちょっと待ってろ」
 ダンは魔法の光体を更に10程作り出し、隅々に飛ばした。中は昼間の屋外と変わらない明るさになる。
 空洞は直径20m程のドーム型で、中央の台座の上に、何かが据え付けられている。
 洞窟の入口に置かれてあったキメラ像とよく似ている。ライオンの頭に山羊の胴体、蛇の尻尾。
「外にあったのと同じヤツかな?」
「下がってろ、カナ!」
 カナがそれに近付こうとするのと同時に、ダンがそれを制した。
 キメラ像が、全身に淡い光を帯びる。そして、一歩、また一歩と、台座から動き始めた。
「コイツ、生きてるのか!?」
 カナが大剣を、オルソがバトルアックスを構えた。
「ダクド ソダ ミルデ ガンザ」
 その時、抑揚のない低い声が響いた。キメラが発したのだ。
 古代語である。
 この3人の中で古代語を解するのは、ダンだけだ。
「コイツは遺跡の番人だったようだな!俺達を侵入者と見做したようだ!‘逃走か闘争か’だな!」
 ‘逃走か闘争か’とは、ダンが好んで使う慣用句である。この言葉を出す時は、ダンは出来れば‘逃走’を選びたい時だ。
 しかし、その選択肢は、カナが一緒ではなかなかとらせてもらえない。まして、今はオルソまで一緒なのである。
「「ここまで来て、引き下がれるか!」」
 2人の声が奇麗にハモった。
 カナがキメラの喉元目掛けて突きを放ち、オルソが胴を薙ぎ払う。
「危ない!」
 キメラは襲い掛かる2人の侵略者に、業火を吐いて浴びせかけた。口から火を噴いたのだ。火炎魔法の一種だ。
 ダンはすぐさま、対抗魔法を使った。それは成功し、カナとオルソはこの攻撃に対して、無傷で切り抜けた。
「キメラは魔法を使うんだ。厄介だぞ」
 この攻撃とダンの発言に、カナとオルソは同じ台詞を呟いた。
「面白い!」と。
 しかし、カナは心底、面白そうだったのに対し、オルソは額に冷や汗を浮かべていた。
 カナは再びキメラに斬りかかった。今度は魔法での攻撃はされなかった。魔法が間に合わなかったようだ。
 カナの剣はキメラの喉元をかすめる。寸でのところで、キメラが躱したのだ。
 オルソもようやく自分の仕事を思い出したかのように、キメラに襲い掛かった。しかし、大振りの一撃は、やはり実を結ばず、あっさりとキメラに躱されてしまった。
 カナとオルソの2人が攻撃している間に、ダンも攻撃魔法の準備をしていた。
「喰らえ!」
 外気温が一気に低下する。それがキメラを包み込んだ。氷結魔法である。
「うぉ!さみい!」
 オルソが思わず身震いする。
 魔法の中心部は、絶対零度に近い温度になっているはずである。
 火炎魔法を得意とする者は、得てして氷結魔法に弱い。またその反対も言える。だから、ダンは氷結魔法を選んだのだ。
 しかし、ダンの魔法が作り出した寒気の中から、キメラは無傷で現れた。
「対抗魔法だ……」
 ダンが歯噛みする。対抗魔法まで使えるとなると、自分の攻撃魔法は、かなり制限されてしまう。
「えぇぇい!」
 カナが再び斬りかかろうとした時、キメラが言葉を発した。
「無駄な事を」
 古代語ではなく、カナやオルソでも理解できる標準語である。
「どういう意味だ」
 ダンが警戒しながら、訊き返す。
「我が守りし宝は、既に先の侵入者によって持ち去られたわ。」
 キメラは台座に戻って、座りなおした。
「どういう意味だ?」
 ダンが問う。
「そのままの意味だ。宝は既に持ち去られておる。しかし、我はこの遺跡に魔法で縛られている。宝はなくなろうとも、我は動くことは出来ん」
 キメラは苦々しそうに、そう吐き捨てた。
「なんだって!?ここまで来て、マジックアイテムはねえのかよ!」
 オルソは頭を抱えて、大げさに膝をついた。
「どんなマジックアイテムだったんだよ」
 オルソがキメラに訊く。
「そうさな。使い方は難しいが、コツさえ掴めば、それを手にいれた者はこの大陸を制覇するだろう」
「大陸制覇?そこまでかよ……」
 ダンはキメラの話を興味深く聞いていた。
 おそらくキメラは、古代魔術師による魔法の制約を受けている。制約は「宝を守れ」というものだろう。
「1つ訊いていいか?」
 ダンがキメラに訊いた。
「宝の守り人のはずのあんたが生きているのに、何故、侵入者は宝を持ち去る事が出来たんだ?」
 よく考えれば、不思議な話である。
「愚かな者よ……」
 キメラは嘆息するように呟いた。
「我の肉体は、とうに失われておるわ」
「何!?」
「肉体は滅んだが、魂はいまだ制約に従わされておる。天に還る事も許されず、ここに留まっておるのだ。それに気付いておる者は、我の攻撃を受けても、何の傷も受けん」
 キメラは実態のない霊体だったのだ。霊体の攻撃は幻覚と同じである。それが幻と気付いていれば、何の効力もない。
「お前、この遺跡でどれくらい番人してたんだ?」
 カナが訊ねた。
「もはや時間の感覚はない」
 キメラは、ここからでは見えないはずの空を仰いだ。
「守るべき宝も失われ、存在する意味すら失くしても、我は滅することすら許されん」
 キメラの言葉は重く響いた。
「なんか可哀相だな、お前」
 カナはキメラに近付き、そのライオンの頭に生える鬣に触れた。
「ダン。制約は解けないのか!?」
 カナはダンを振り返って訊ねた。
「無理だな。この手の制約魔法は、かけた本人でないと解けん」
 ダンの返答は素っ気ないものだった。
 キメラに制約をかけた本人は、おそらく古代の魔術師だ。とっくにこの世からいなくなっているだろう。
「何とかならないのか?」
「無理だ」
 ダンは繰り返した。
「そうか……」
 カナはそう呟き、キメラの霊体を抱きしめた。
「ごめんな。お前を解放してやりたかったんだけど……」
「そなたが気にする事ではないだろう」
 キメラは呆れたように呟いた。
「宝が持ち去られたのは、10年ほど前だ。この大陸は、まだ制覇されていないのか?」
 キメラが訊ねた。
「今のところ、その気配は見えないな」
「ならば、まだ宝を上手く使いこなせないのだろう。あの者には、その野望があった」
「どうすれば、この大陸をソイツから守れるんだ?」
 カナが勢い込んで尋ねる。
 キメラはしばし考えた。
「そなた、魔術師だな」
 キメラはダンに向かって話しかけた。
「そうだが……」
「回復魔法は得意か?」
「比較的な」
「そうか。しかし、回復魔法では、治せないものもあろう」
 キメラの問いにダンは答えた。
「餓死と老衰だな。食うものを食ってなければ、回復魔法だけではどうしようもないし、老衰は自然の流れだから、やはりどうしようもない」
 ダンの答えに、キメラはさらに問うた。
「本当にそれだけか?」
「………」
「例えば、その女の病、お前の回復魔法で治せるか?」
 キメラの言葉に、ダンとカナとオルソが、それぞれ別の意味で驚いた。
 ダンとカナは、カナの病について、キメラに見抜かれた事にドキリとした。オルソは、どう見ても健康そうに見えるカナの体のどこが悪いのだろうかと考えた。
「………。出来ないな。もし出来たら」
 ダンは答えた。
 もし出来るものなら、とっくに治してやっている。
「もしそれが治せたら、持ち去られた宝に対抗できるかもしれん」
 キメラはそれだけ言うと、台座の上で、元の石像のように動かなくなった。
 そして、3人は遺跡を後にした。

「あぁー!ちくしょう!」
 オルソは何度目になるかわからない叫び声を発した。
「ここまで来て、マジックアイテムが手に入らないなんて、そんなのありかよぉ」
 しょんぼり項垂れるオルソに、ダンは容赦なく言い放つ。
「約束だ。マジックアイテムは手に入らなかったが、報酬はもらうぞ」
 そんな2人の様子を見ていたカナが口を挿んだ。
「なぁ、ダン」
 カナはオルソの武器のバトルアックスを指さす。
「やってやれよ。あれ」
 ダンは溜息を吐いた。
(なんでそこまでサービスしてやらなきゃならないんだ。)
 そんな事を考えて。
「あれって、なんだ?カナ?」
 オルソが不思議そうな顔をする。
「オルソ、お前のバトルアックスを貸してみろ」
「いいけど、何するんだ?」
 オルソがバトルアックスを渡しながら問う。
「お前はどんなマジックアイテムが欲しかったんだ?」
「そうだな。火炎魔法みたいな派手な攻撃魔法が自在に繰り出せるようなマジックアイテムがあったら、カッコイイよな~」
「火炎魔法か……」
 ダンはオルソのバトルアックスに手をかざし、魔法力を高め、神経を集中させる。
「何やってんだ?ダン?」
「し!」
 口を出すオルソをカナが制した。
 オルソのバトルアックスは淡い光を放ち、一瞬、ふわりと浮かんだ。
 光が消えると、ダンはオルソにバトルアックスを返した。
「これでいいだろ」
「何やったんだよ、ダン」
「‘炎’を強くイメージして、そのバトルアックスを振り上げてみろ。」
「は?」
「いいから、やってみろ」
 そう言われて、オルソは目を閉じ、‘炎’をイメージした。
「うりゃ!」
 そうして、バトルアックスを振り上げる。
 すると、大気が震えた。炎の塊が出現し、真っ直ぐ飛んで行った。障害物があれば、それに当たって、それを燃やしたのだろうが。
「なんだ!?どういう事だ!?」
 オルソは目を白黒させている。
「お前のバトルアックスに魔力を付加した。これでそのバトルアックスは、マジックアイテムになったんだ」
 これには、さすがのオルソも驚いた。
「お前、付加魔法まで使えるのかよ!」
 付加魔法が使える魔術師は、古代に滅亡したと一般には伝わっているのだ。
「魔法は一通り、何でも使える」
 ダンは素っ気なく答える。
 古代に滅亡し、現代には伝えられていないとされる魔法はまだまだ数え切れない程あるのだが、それらも使えるという事なのだろうか?
 実はカナの剣にも、ダンがある魔法を付加してあって、カナはそれを最悪の事態に陥った際の切り札として用意している。
 カナとダンとオルソの3人は山を下り、最初に3人が出会った酒場のあるレプトスピラの城下町まで戻ってきた。
 オルソは、ダンに約束の賃金を手渡した。
「お前ら、これからどうするんだ?」
 オルソが、カナとダンに尋ねた。
「行き先は特に決まっていない。しばらくはレプトスピラをうろついて、仕事を探すさ」
 ダンが答えた。
「俺はクロストリジウムかスピロヘータに行く。今、一番ドンパチやってるのはあの辺りだからな。傭兵の職は腐るほどあるだろぜ」
「それがいいだろう」
 危険な場所ではあるが、傭兵が危険を恐れていては食っていけない。危険を避けたいなら、はなから傭兵などという職は選んでいないだろう。
 オルソは、ダンとカナも一緒に来ないかと誘うつもりでいた。だが、結局は声をかけなかった。ダンは、行き先は決まっていないと言ったが、2人の旅には、何か目的があるように思えてならなかったからである。
「ところでよ、ずっと気になっていたんだが……」
 オルソがカナに聞こえないようにダンに囁いた。
「カナの奴、どこか悪いのか?」
 キメラの‘カナの病’という言葉をずっと気にしていたのである。
「あぁ、このところ天気が良かったからな」
 ダンが意味の分からない事を言った。
「どういう意味だ?」
「今日あたり崩れそうだ。その前に街に入れて、良かったと言うべきか……」
 確かにこのところ晴天続きだったが、今は雨の匂いがする。天気は崩れそうだ。
「天気が悪くなるとまずいのか?」
「雨だけなら、問題ないんだがな」
「なんだよ。わかんねえじゃねえか」
「お前には関係ない」
「なんだよ。仲間じゃねえか。教えてくれよ」
 尚も食い下がるオルソをダンはじろりと睨んだ。
「興味本位でアイツの傷に触れるんじゃない」
 それに気圧されして、オルソはそれ以上聞く事は出来なかった。
 その日の晩、3人は‘麦酒の宿’に宿をとった。
 夕食まではカナは元気で、オルソと冗談を言い合いながら飲み食いしていたが、雨が降り出すと、急に部屋へと上がっていった。それにダンも続く。1人にされたオルソも部屋に戻った。
 カナとダンは同室、オルソはその隣の部屋だった。
 初めて出会った時も、カナとダンは同室だったが、恋愛関係ではないらしい。それは、短い間ではあったが、一緒に旅したオルソにはわかる。2人は兄妹に近い間柄だ。同室で休んでも、特に何もないのだろう。
 しばらくは自分の部屋で休んでいたオルソだが、カナの様子が気になって、隣室を訪ねてみた。
 外では激しい雷雨になっていた。
「カナ、ダン」
 部屋をノックして、声をかける。
「開けるぞ」
 部屋は薄暗かった。部屋の隅に人影が見える。1人は何かに怯えて震えているようだ。もう1人はその傍に付き添っている。
「近寄るな!」
 ダンの声が響いた。震えているのがのがカナ、傍にいるのがダンのようだ。
「どうしたってんだよ?」
 ダンに制止されたので、その場でオルソが尋ねた。
「カナは雷が怖いんだ」
 ダンが答えた。
「は!?」
 オルソが素っ頓狂な声を上げる。
 雷を怖がる女性は珍しくない。しかし、普段のカナの様子からそれは想像出来ないし、それにしたって、度が過ぎる。
 カナは震えながら毛布を被り、時々、聞き取れない声で何かを呟いていた。
「ちょっとこの怖がり方は病的じゃねえか?」
「だから、これがカナの病気なんだ」
 ダンは苦しそうにそう呟いた。
「オルソ、詳しい事はあとで説明する。今は出て行ってくれ」
 ダンにそう言われて、オルソは2人の部屋を後にした。
 翌朝、今度はダンがオルソの部屋を訪ねた。その頃には嵐は止み、晴天が広がっていた。
「カナはどうした?」
 オルソが尋ねる。
「眠った。雷が止んだからな」
「昨日のあれは、なんだったんだよ?」
 オルソに問われ、ダンは少し迷いながらも打ち明けた。
 10年前に自分達を襲った惨劇。雷撃魔法で、カナの母と村人達が一瞬にして死亡した事。
 カナはそれ以来、病的なまでに雷を怖がる。所謂、PTSD(心理的外傷)の状態だ。‘カナの病’とは、この事だったのだ。
 回復魔法では治せないもの…それは、餓死と老衰、そして精神疾患なのである。
 オルソはその朝すぐ、カナと顔を合わせる事なく、旅立った。病気の事を知られたカナは、きっと自分と顔を合わせにくいだろうと考えたからである。
 目が覚めたカナは、既にケロっとしていたが、オルソの心遣いをありがたく思った。

第3章(番外)

 時は20年程、遡る。

 二大大国、クロストリジウム帝国とスピロヘータ王国に挟まれた場所に、小さな村があった。村の名はラブド。
クロストリジウム帝国は、皇帝テタニが率いる近代軍事国家。スピロヘータ王国は、パリダ王家が千年以上も君臨している同じく軍事国家である。クロストリジウム帝国もスピロヘータ王国も、共に民に圧制を強いる国家であったため、ラブド村はそのどちらにも属さず、自治の道を選んだ。
 クロストリジウム帝国とスピロヘータ王国は、国境線上を巡って諍いが絶えなかった。そのための最前線基地として、両国ともラブド村を欲しがっていた。けれども、それは敵わなかった。

 クロストリジウム帝国とスピロヘータ王国が差し向ける兵を、幾度となく返り討ちにしていたのが、2人の男である。

 1人は戦士。パスツレラ大陸最強との呼び声高い戦士ザガス。
 もう1人は魔術師。パスツレラの大賢者カルノン・キャストスペイ。

 この2人はいつの頃からか、この村に住みつき、村の女を娶り、村の自治を支えていた。
 ザガスは戦士らしく、豪放で陽気な男で、村人によく好かれていた。また、カルノンは魔術師らしく、冷静沈着な男で、人より常に3つは先の事を考えており、村人は彼を尊敬していた。ザカスもカルノンも、村人からの信頼は、共に厚かった。

 そんな2人の男の2人の妻は、同時に身籠る。そして、同じ日に出産を迎えた。しかし、その時、ザガスもカルノンも己の妻に付いていてやる事は出来なかった。
 クロストリジウム帝国が、100を超える兵をもって、ラブド村に侵攻してきたのである。ザガスとカルノンは、村の男達とそれを撃退した。

 だが、家に帰ったカルノンは泣き崩れた。カルノンの妻は昼過ぎに男の子を出産。しかし、出産時の出血が止まらず、赤ん坊は助かったものの、カルノンの妻は彼が家に辿り着いた時には、既に息を引き取っていた。
 回復魔法の使えるカルノンさえさえ傍に居れば、出産時の出血を止めるなど、造作もない事だった。どうしようもなかった事とはいえ、悔やまずにはいられなかった。
 一方、ザガスの妻は昼前に女の子を出産。こちらは安産で、母子ともに健康であったが、ザガスはとても素直に喜べる心境ではなかった。

 ザガスの娘はカナ、カルノンの息子はダルノンと名付けられた。
 カルノンは昼間、村の子供達に読み書きを教えていたため、忙しく、ダルノンの面倒はザガスの妻タミナが見ていた。
 そういう事情で、カナとダルノンは兄妹のように育った。そんな2人が、5歳になったある日の出来事である。

「タミナさん、来てくんな!コロナが産気づいてるよ!」
 コロナの家の隣の女房が、家に飛び込んできた。
 タミナは産婆になっていた。夫の親友の妻が、お産で命を落とした事は、タミナにとってもショッキングな出来事だった。
 ラブド村では、回復魔法に長けたカルノンがいたため、医療面はさほど重視されていなかった。村には医者も産婆もいなかったのである。

 それがダルノンの母の悲劇に繋がった。そう考えたタミナは産婆になった。
 以来、村のお産には必ずタミナが呼ばれるようになっていた。
「私はちょっと出かけてくるからね。2人で留守番してるんだよ。勝手に外に出たりしたらいけないからね。」
 タミナはカナとダンにそう言い残して、産気づいた妊婦の家にとんで行った。

 母親が出かけてしばらく経つと、カナはダルノンに話しかけた。
「ダン、遊びに行こう!」
 カナは、いい子でお留守番している気などさらさらない。
「駄目だ。勝手に外に行ったら、タミナおばさんに叱られる。」
 ダルノンはいい子でお留守番している気でいる。カナにはそれが面白くない。

 ちなみにダンとは、ダルノンの事で、舌足らずなカナが‘ダルノン’と発音できずに‘ダン’となってしまったわけだが、今では大人たちもダルノンの事を‘ダン’と呼ぶ。本名の‘ダルノン・キャストスペイ’の名は、すっかり忘れ去られていた。
「ふん!じゃあお前は1人で家にいろ!」
 カナはダンを置いて、1人で出掛けようとする。仕方なしに、ダンもカナについて行った。

 何だかんだ言って、ダンはカナに逆らえない所がある。
 外に出ると澄み渡るような快晴で、村は平和そのものだった。
「そうだ、ダン。森へ行こう!」
 森とは、村の裏手に広がる森である。
「何、言ってるんだ。駄目だ、カナ。森へは絶対に近付くなと、父さんもザカスおじさんも言っていた。」
 森には時折、魔獣が出現するからである。

 生物は、特殊な瘴気に長期間さらされると、脳が変化してしまう事がある。そうなってしまった生物を魔獣と呼ぶ。
 魔獣化した生物は、もともとの性質に関わらず、激しい凶暴性を帯び、強い破壊衝動にかられて暴れまくる。また、通常の何倍もの力が出せる。それは、普段は脳がリミットをかけて出せないようにしている力…所謂‘火事場のくそ力’が無尽蔵に出せるようになるためらしい。

 この森は瘴気の濃い場所が点在しているため、魔獣が出現するのだろう。
 ダンは一応、カナを止めてみたものの、無駄だった。親に禁止されている場所というのが、かえってカナの好奇心を刺激した。

 カナは一旦、家に戻って護身用に果物ナイフを持ち出した。そんなカナに、ダンはいつものように仕方なくついて行ったのである。

 森の中に一歩足を踏み入れると、そこは別世界だった。
 木漏れ日の中、青々と茂った広葉樹。その中を飛び回る美しい蝶や小動物。
 初めて森に来たカナは、いや、ダンまでもがその光景に見とれていた。
 好奇心にかられたカナは、森の奥へ奥へと進んでしまう。我に返ったダンは慌ててそれに続いた。
「なあ、カナ。もう帰ろう。ここまで来たんだから、もういいだろう?」
「やーだよ。帰りたいなら、お前1人で帰れ!」
 カナは美しい蝶を捕まえようと走り回っていた。
 
 その時である。

 森が一瞬ざわめいた。
 静かな唸り声が、ゆっくりと2人の背後から近付いてきた。

「なんだ!?」
「魔獣だ!」
 ダンが叫んだ。

「ウゥゥゥー」
 3頭の魔獣化野犬が姿を現していた。気付いた時には、大木の幹を背後に周りを取り囲まれていた。
「カナ!逃げよう!」
 再びダンが叫ぶ。
「逃げる方が無理だ!囲まれてる!」
 カナはダンを庇うように、果物ナイフを手に魔獣の前に立ちはだかった。

 カナは父の戦い方を思い出していた。直接、剣の指導を受けた事はないが、父の戦う姿は、幾度となく目にしてきている。
「ええぇぇい!!」
 左側から魔獣化野犬のうち1頭が飛び掛かってきた。それに対し、カナは正確にその喉を切り裂いた。血しぶきが上がり、その魔獣化野犬は絶命する。
 間髪入れずに襲い掛かってきたもう1頭は、カナの右肩に深く咬みついたが、それに構わず、さらに正面から飛び込んできた魔獣化野犬の右目を突き刺した。
 そして、カナの右肩に咬みついたままになっている魔獣化野犬の喉も切り裂いた。右目を貫かれ、呻いている残りの1頭にも止めをさす。

 一瞬の出来事だった。

 3頭いた魔獣化野犬は、果物ナイフを持った少女1人に全滅させられた。
 しかし、カナも無傷というわけにはいかなかった。魔獣化野犬に咬みつかれた右肩は、ざっくりと傷が開き、血が噴き出していた。

「カナ!」
 ダンがカナの体を支えた。あまりの出血に、カナは立っている事すら出来ない。
 ダンはカナを背負った。

(早く父さんに回復魔法を!)
 カルノンの回復魔法なら、こんな傷、あっという間に治す事ができる。

「カナ、頑張れ!」
「うん…。」
 カナはダンの呼びかけに力なく頷いていた。

 小さなカナの体だが、同じく5歳のダンが背負って歩くには重すぎた。何度も揺すり上げ、その度に声をかける。
 それに応えるカナの声は次第に小さくなり、ついには聞こえなくなってしまった。

「カナ?」
 ダンはカナを地面に下した。
 ダンの背中は、カナの血で真っ赤に染まっていた。それでも、出血は止まっていない。カナはもはや、ダンの呼びかけには応えなくなっていた。

 もはや、父のもとまで運ぶ時間はない。
 ダンは決心した。
 ダンは回復魔法をかける父の姿を思い出していた。父から直接魔法の指導を受けた事はないが、父が魔法をかけるところは、幾度となく目にしてきている。

 ダンは己の掌をカナの傷口にかざし、集中した。
「ハァァー!」
 ダンは見様見真似で回復魔法をかけた。
 ダンの掌は一瞬、淡い光を放ち、すぐに消えた。
 勿論、完璧には効かなかった。だが、一定の効果は発揮された。出血が止まったのである。

 ダンは再びカナを背負い、父のいる村に向かって歩き始めた。
 村に帰り着き、重傷を負ったカナを目にしたカルノンは、すぐに回復魔法をかけようとした。しかし、その傷口を見た時、一瞬たじろいだ。そこには明らかに魔法による治療の痕跡が残されていたからである。

 カルノンの回復魔法で、カナはすぐに全快した。

 カルノンはダンを問い詰めた。ダンは自らの手で回復治療を行った事を認めた。

「でも全然ダメだった。血は止まったけど、傷口はほとんど塞がらなくて。やっぱり父さんみたいにはいかないや。」
 それでも、充分に驚くべき事である。回復魔法は、魔法の中でも特に難しいのだ。この程度の効果を発揮する魔法が使えるだけで、魔術師は‘賢者’と称えられ、持てはやされる。

 カルノンも素質はあると思っていた。ある程度の年齢になり、本人にその気があれば、ダンに魔法を教えてやるつもりでいたのである。
 だが、カルノンは翌日から、ダンに本格的に魔法を教え始めた。

 驚いたのは、ザカスも同じである。魔獣化野犬は大人の戦士でも手こずる魔獣である。それが3頭。

「でも全然ダメだった。こんなケガしちゃって。やっぱりパパみたいにはいかないや。」
 ザカスはカナとダンが証言した戦闘現場に行ってみた。するとそこには、確かに果物ナイフで斬りつけられた魔獣化野犬の死骸が3つあった。
 ザカスも素質はあると思っていた。ある程度の年齢になり、本人にその気があれば、カナに剣技を教えてやるつもりでいたのである。
 だが、ザガスは翌日から、カナに本格的に剣技を教え始めた。

魔獣物語

魔獣物語

最強の戦士を父に持つ少女と最強の魔術師を父に持つ少年。 彼らの村が、突然の襲撃に襲われた。 父達が奮闘する中、少女と少年も村人を守るために戦闘の舞台に躍り出る。 戦士の少女と魔術師の少年の物語の始まり。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-14

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  1. 序章
  2. 第1章
  3. 第3章(番外)