怪文書
深夜に勢いだけで書いた怪文書
座敷わらしが何者なのか?ってのを考えたときに、はなたれ小僧(貧しいが善良な夫婦のもとに幸福を与える子どもが現れる)っていう昔話と関わりがあるんじゃないかと思いつき
前読んだときなぜかすごい面白い気がした常陸国風土記の晡時臥山の伝承もこのパターンって言えるんじゃないかと思い出した
「晡時臥山」の場合って奇妙な子供を育てる役割を果たすのが年老いた夫婦じゃなくて二人きりの兄妹なんだよな
妹が蛇を生み、その父は"正体不明"の求婚者とされる
じゃあ求婚者の正体って誰?ってなるとまぁ伝承内での通り神様とするのが穏当ではあるけど
最初読んだときからこれ正体兄じゃないの?ってクズい連想してしまったわけだが
実際近親婚の結果奇妙な子どもが生まれるってのは日本の創世神話の中にもばっちりあるじゃん?
それと山奥の閉鎖された環境ってのは近親姦などの異常行動の温床になるってのは有名な話
真実に神の子であるヒルコは葦舟で流されたけど、人間の子であるはずの晡時臥山の蛇は神の子として育成され、巨大に成長していった
やがて蛇は家の中に収まりきらなくなって、父であるとされる神様のもとへ行くことになるんだが、
そもそも兄が蛇の父親だとするなら神様なんてのは嘘方便なわけで、神様のもとへ行くっていうのは実現不可能な話である
だからなのかそれとも省略されてるだけなのか作中では神様のいるところがどこなのか語られない
本来ここから先に語られるはずの定番の冒険物語には発展せず、奇妙な方向に話が進んでいく
蛇はお供に童子を一人つけることを神様のもとへ行く条件にするんだが、兄妹はそれにこたえられない
「ここには私と兄しかいない」
ってのがその理由なんだが、それってつまり兄妹の蛇に対する信仰はあくまで兄妹の中でだけのものであって、周りの人間には受け入れられてないってことだよね?
そもそもこのテキストの中には"周りの人間"なんてものは一切登場しない
全ては兄と妹と蛇の三者の関係性の中で行われてることなんよ
話は戻って、要求にこたえてもらえなかった蛇は激怒して、旅立の時に兄を殺害してしまう
驚いた妹は盆を蛇に投げつけ、それによって蛇は神様のところに昇ることが不可能になる
兄を蛇の父親だと仮定した場合、ここで父殺しが行われたことになる
投げつけられた盆はその罰なんだが、その傷の描写は一切ない
けど昇っていくのが不可能になるほどであるからかなり重大な欠損が発生したことがわかる
それは目の傷なんじゃなかろうか?
たかが女性の投げた盆、しかも一度きりしか投げられてないもので致命傷を与えうるのは目しかなくないか?
また父殺しの罪によって目が潰れた、となると別のかなり有名な神話に話がリンクする
エディプス王の物語は「父を殺して母と寝る」っていう予言を知らず知らずの内に実現してしまい、その罰で自ら目を潰し王位を捨てて乞食となるっていう話で
転じて「父親に敵意を抱き、母親に対して愛情を求めようとする性的願望」を表すエディプス・コンプレックスの元ネタになったやつ
被ってるの父親殺し(推定)と目が潰れた(推定)しか無いやんって言われそうだが、実は母に愛情を求めてると読み取れる描写がいくつかある
一つ目が神様の元へ行くように促されるシーン
このシーンで蛇は悲しんだと書かれてる
つまりまだ親たちから別れたくないってわけだ
二つ目が別れを受け入れる代わりに一人の童子をお供に付けるよう求める話
お供が一人だけってのがどうにも不自然に思える
神話学に「三機能説」ってのがあって、簡単に言えば神様は三人組になってることがおおくて、それぞれ役割を分担してるみたいな話だった(間違ってるかも)
日本神話だとアマテラス、ツクヨミ、スサノオとか三種の神器を思い出すといいかもしれない
あるいは桃太郎の三匹のお供とかね
つまり三人ってのが集団行動する神様の最小単位で、それより少ないのは夫婦神や唯一神になっていく
だから、蛇が一人だけしかお供を求めなかったのは、旅の連れとして要求したのではなく、伴侶(それも母の分身としての伴侶、嫁)を求めたからじゃないか?
実際この伝承とかなり似通った筋書きをもつ昔話「田螺長者」では蛇の代わりに田螺が嫁を求め、結果お金持ちの娘と結婚し、めでたしめでたしということになる
母と一緒にいること、母の代わりを求めること、この二つの要求を拒絶された蛇は激怒し、父殺しの凶行におよぶってわけ
かなりエディプスコンプレックスじゃないか?
(供の字は旅のお供、連れって感じの意味ではなく供犠、お供えの供ではないかともとれるけどそれは置いとく)
結局神になれなかった蛇は山にとどまり、その後子孫たちは蛇をのせていた皿と甕をまつる社をたて、今もまつっている
で終わりなんだが
この子孫ってなにものなんだろうね?テキスト内で兄の結婚については触れられてないから、まぁ後の妹の子どもたちと見るのが妥当なんだろうけど、もっと嫌な解釈も出きる
蛇は父殺しの罰として神様のところへ行けなかったけど、それってむしろ蛇にとって母から離れたくない」っていうエディプスコンプレックス的な願望の実現だよね
マジでいろんな意味で吐きそうだからこっから先は頭んなかにとどめとくけど
何が言いたかったかと言うと、一般に子供が出来ない夫婦に神様が子供を授けると伝えられてる昔話にも、この話みたいに近親婚の比喩が隠されてるんじゃないかなってことです
そしてそれはイザナギ、イザナミとヒルコから続くモチーフの繰り返しではないかと
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