Wait a minute.

ちょ待てよ。どこか近くで声がした。
依然として止まる歩みはなかった。もしくは、止まった足に僕らが気付かないだけかもしれない。

ちょ待てよ。声は、加湿器のミストのように狭い世界に馴染んで消えた。聞く耳はどこにもなかった。或いは、あげたつもりの声が、単にかすれた喉から漏れ出た呼吸だったのかもしれない。

主がいなければ声とはいわない。声には主がいた。主は人々を恨んだ。でも主には、恨んだ人々が何者なのか、そこまでは分からなかった。
主の恨みは、無人の観客席の蜃気楼に向かって歌われた歌声のように、主の中でのみ響き渡った。
しばらく子犬のように尻尾をふっていた恨みは、疲れて、やがて眠った。

(ちょ待てよ。)・・・これは空耳で、再三声がすることはなかった。

誰かの目の前が真っ暗になった。透明の肉体は暗闇で初めて承認欲求を満たした。

暗闇を照らす光があった。救援灯かもしれない。
しかし肉体は動じなかった。暗闇に適応した瞳には、その光は余りにも眩しすぎた。
・・・しかし、それも僕らには分からない。肉体は助けを求めて、もはや余力がなかったのかもしれない。

ところで、声の主は今頃、死んでいるのかもしれない。

Wait a minute.

Wait a minute.

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-03-13

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

Public Domain