スタッフ

 島へ渡る為、高速船に乗り込んだ。高速船は高速で海原を航行する為に天候に左右される。多少の波風では出航するフェリーと違い、高速船はデリケートだ。さっきまで吹雪いていた天候は、噓みたいに穏やかな表情を浮かべている。就航が告げられ、ホッとした私たちは高速船へと乗り込んだのだった。
 乗り込んで直ぐ船内に違和感があった。その違和感が温度だと気付くまでに少し時間がかかった。何故なら、さっきまで吹雪いていたから待合室の中にも時折冷気が入ってくることがあった。きっとそういった理由で船内は暖かかった。なので心が落ち着いたというかそんな感じだったのだけど、暫くすると頭の中が整理されて状況を分析し始める。すると暖かいと言うよりも極端に暑いという事に至った。高速船は全席が指定席になっていて、本日の乗客は数も増え段々と座席が埋まっていく。その頃から乗船スタッフ達が客席通路を歩き始めた。
 高速船である為、シートベルトの指示だとか座席番号の確認、それと安全管理なんかに神経をとがらせているのが普通なのだけど、スタッフ達は、そのような感じでは無かった。その乗船スタッフたちは屈強な身体つきをしていた。目つきが鋭く、冗談のひとつも通じない感じで、涎を垂らすスタッフもいた。白目を剝いている者もいた。動きもぎこちなく、怒ったかと思うと半笑いになるものや、放屁しながら後退るもの、陰茎をチラ見せしたり、獰猛な獣の雰囲気を醸し出すものもいて、はっきり言って危ない船内へと成り果てていた。
 そんな船内は暑かった。滅茶苦茶だった。こんな感じなのに船内アナウンスが流れた。完全に前録りされたものだ。救命胴衣の使い方なんかの説明のあとに台本に書かれている最後の箇条書きのようなものが何の感情も無く言い放れた。
「その他なにかご不明な点などございましたら、お近くのスタッフへお気軽にお申し付けください」
 お気軽に申し付けられるようなスタッフは此処には居なかった。
 暑い、どうにかしてくれ、皆そう思っていた。けどスタッフの中には低い唸り声をあげる奴も現れ、ますますカオスな感じになってきた。わたしは意を決した。決して言った。
「あのう、すんません」
そう言うと、ひとりの白目を剝いていたスタッフが涎を垂らしながら振り返った。
「暑いんすけど」
それを聞いたそのスタッフの耳がピクっと動いた。白目が一回転し鋭い目つきとなり、涎も消えていた。そのスタッフが深く唸るような呼吸をしながらゆっくりと近づいてきた。その後ろには他のスタッフたちの姿もあった。わたしは危険を感じたけど、どうすることもできなかった。
 誰かが何かを床へ落した音がタンと響いた。それを合図にそのスタッフの右ストレートがわたしの左頬へと伸びてきて、鋭い爪が頬を突き破り口腔へと入ってきた。前の席に座っていた汗だくの太った初老の男の後頭部へ血が滴る。静まり返る灼熱の船内。わたしの頬に突き刺さっていた鋭い爪をした指が引き抜かれる。後頭部へ血が滴った初老の男がゆっくりと振り返ると、スタッフと目が合った。男は、その巨体で座席から立ち上がると、身体が締まってきた。ぜい肉は筋肉へと変化していき、顔つきが鋭く成った。
 スタッフの様子がおかしい。わたしに手を挙げたスタッフだけではなく、後ろに連なっていたスタッフ達までもが怯えだした。目線を落とし小刻みに身体が震え始めた。鋭い爪でえぐられたはずのわたしの頬は元に戻っていた。男は通路へ一歩踏み出すと大声を出した。
「仕事をしろ、馬鹿どもが」
それを聞いたスタッフ達は後退りながら泣きそうな声をあげた。
「す、す、す、すみませんでしたぁぁぁぁ社長ぉぉぉぉぉ」
男がまた座席に座ると、身体は重力に負けたみたいに元のだらしのない太った状態に戻った。船内の窓が一斉に開けられ、直ぐに閉められた。気温が一気に下がり、それから適切な温度へと保たれた。
 わたしは男に何か言おうとして、「はっ」とした途端に窓枠へ頭をぶつけてしまった。ゆっくりと顔をあげて窓の外へ目をやると、島がすぐそこへ迫っていた。
「およそあと十五分で到着いたします。なお到着するまでシートベルトは外さないでください」
船内放送が流れた。前の席には二人組の若い女が楽しそうにしていて、あの男の姿は無かった。スタッフ達もごく普通に乗客へ対応している。
 窓枠へぶつけてしまったわたしのおでこだけが痛かった。

                      終
 

スタッフ

スタッフ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-03-07

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