ピッツァマン

三日後

「俺も光の速度を超えてみてぇなぁ」
 僕が二日酔いで今にも昨日飲んだものを全部吐き出しそうなとき、こたつの向こうで飯田がいきなりそんなことを言いだした。
 何をいってるんだこいつは、と余計胸焼けがしてきて深呼吸すると、畳みかけるように、飯田はもう一度、光の速度を超えたいといった。

 そりゃあいいや、超えてどうするの、と聞きたかったけれど、我慢の限界がきて、口を押えながらトイレに向かい、胃の中のものを便器の中に吐き出す。自分家でよかった、と思い切り吐き出す。
 外で雀の囀りが聞こえる。電柱が黒く伸びていて、ビルの黒い窓が連なる様が、人間の肋骨みたいに見える。日は高く昇って、冷たい空気が、トイレの小さな窓から入り込んでくる。僕の胃液の臭いが、奇麗な外の空気と混ざり合って消えて、いたらいいなと思いながら、なるべく便器の中身を見ないようにして大の方にレバーを倒す。


  時間は、液体みたいなもんで、上から下に、絶えず流れていく。人が光の速度を超えた時、時間はやがて止まり、さらに加速すると、今度は逆行を始める。

 そんな速度の中で、人間が生きていられるのかというと、ほとんど絶対に無理なはずなのに、マーセルスはその光の速度を超えて現代にやってきたと豪語していた。
 そんな嘘かほんとかわからない話、たぶん九分九厘出鱈目だと思うけど、ほんとのことっぽく話すマーセルスの口調はかなりはっきりしていた。
 普段耳にするああしたとかこうしたとか、そんなものが全部ちゃちく聞こえてくるくらい、現実離れしていて面白かった。マーセルスの話すことはいつも、どこか木星じみていた。


 「光が、収束していくんだ。視界の中心に」
 一時停止の白線やら、道行く通行人も何もかもすべてが、視界の中心の赤い光に向かって収束していって、一つの光になって、やがて視界は真っ暗になる。音も届く前に自分自身が過ぎ去っているから何も聞こえない。無。重力もない。

 「それは、飲みすぎたんじゃないの、今の俺たちみたいに」

 飯田がスフィンクスの描かれたポスターの下で、ボソッと呟いた。矢吹ジョーみたいに力なくうつむきながら。
 僕は、また炬燵に潜り込んでしばらく深呼吸する。
 邪魔なマーセルスの足を無意識に蹴っ飛ばして、無理やり自分のスペースを作ると、ため息を吐き出しながらマーセルスが起きだしてタバコを吸う。
 三日後からやってきたというマーセルスは、とりあえずは落ち着いている。三日前の自分とばったり会ってしまったら、宇宙が崩壊するかもしれないというのに、なんだか妙に落ち着いていて張り合いがない。
 バックトゥザフューチャーのドクみたいにてんやわんやの大騒ぎをしてくれれば、僕も飯田ももう少し面白いのに、当の本人は、まるで他人事みたいに落ち着いている。
 その三日分の時間のずれを考えると、余計頭が痛くなる。ずっと三日前の自分がこの世のどこかに存在していて、三日後の自分がいまここにいて、ああでも、三日前の自分は三日後にタイムワープしてくるのだから、それが永遠にループして。

 訳が分からない。


  彼がどうやって光の速度を超えてここまでやってきたのか、そんなことは些細なことだった。
 今はそんなことより、この気持ちの悪さを何とかしないといけないのに、たぶん、これは、時間がたたなければ解決することはない。水を飲もうが、アイスを食べようが、何も変わらない。そもそも、何も食べたくないし、何も飲みたくない。

 「問題は、俺がどこで神の存在を感じたかなんだ」
 感慨深そうにひじを立ててそこに頭をもたれかけながら、マーセルスはまるで半分夢を見ているみたいだった。
 「神様は何もしちゃくれない。存在しないんだから。そんなことは分かってる、分かりきってる、この世の人間すべてが。そうじゃない。神様は感じるものなんだ」
 で、マーセルスさんは、どこで神様の存在を感じたの、とぼんやりテレビを見続ける飯田が何気なく聞くと、生まれかわったみたいにマーセルスが頭を上げていった。

 「俺は三日前、ママチャリで夕飯の買い出しから帰ってくるところだった。いつものように。安くなったエビフライとストロング缶三本。籠にのっけて帰ってたら、ふいに視界の景色が中心に吸い込まれていったんだ、まるで、魔法みたいに」

 だって、と飯田はたぶん僕にそういった。

 「その瞬間に神を感じたんだ」
 だって考えてみろ、とマーセルスは演説台に立ったヒトラーみたいに身振り手振りをつけて言った。
 「光の速度の速さの中で生身の人間が生きられるはずがないじゃないか」
 じゃあ仮に神を感じたとして、何で神様はわざわざ、三日後にマーセルスを送ったわけ?
 俺が知るか、とマーセルスは返した。
 「神の御業は、俺たち人間の想像を遥かに超える。それを俺たち人間が推し量ることなんてできないだろ」
 「そう考えると神様っていいよな、ミスっても全部何とかなるじゃん」
 「俺が間違えて三日後に送られてきたってのか?」
 「でも、三日後だろうが、一週間後だろうが、十年後だろうが、何も変わらないじゃん」

 テレビではちょうどタイムトラベラーの特集をしていた。白黒の記録写真の中にスマホを弄ってる人がいたとか、百年前のロンドンに見慣れない服装のやつがいたとか。
 嘘かほんとかわからないけれど、とつぶやいて、飯田はニヤニヤしながら言った。
 「神様って、結構ミスってるんだな」
 「いや、俺はもしかしたら三日前の次の日に死んでたのかもしれない。交通事故とか。もしかしたら三日前の次の次の日に……」

 また胃がむかむかしてきた僕は、のたうち回るように壁に激突し続けながら、それはさながら、アステロイドベルトの中の隕石みたいに、打ち付けられては跳ね返って、トイレに吸い込まれていった。

ピッツァマン

マーセルス。
 マーセルス・リキッドマン。
 慌てて、公開されている、住民登録データを確認すると、あった。一千と九十六年まえのここで、彼は生を受けて、一千と十七年前にこの世を去っている。
 はずなのに、彼は街のテレポート装置の前で倒れていた。
 ハッキングしたのか、たまたまそこで倒れていたのか、よくわからないが、服装はどうも一千年前ぐらいに流行した、流行したのかどうかもわからないが、パーカーに三本線の縦に入ったアディダスのスェットパンツ姿の男だった。

 トーマスエジソンはその昔、冥界と交信できる装置を開発していたというが、結局明るみに出ずに終わった。人は死んだあとどうなるのか、エジソンの最終的な興味はそこに行ったらしかった。
 それに匹敵するぐらいの、荒唐無稽で、クレイジーな発明でも、このマーセルスという男はしたのか。

 一千年前のコンピューターで国家機密とも言っていいテレポート装置の中にハッキングして、一千年前から時間旅行してきた、しかも生身で、信じられない。けれども、意識は失っているけれども、マーセルスはしっかり息をしていて、この場に存在している。心臓も動いているし、呼吸も確かにある。
 そのうち確実に目覚める。
 彼の存在が公になったら大事になってしまうから、妙なコスプレイヤーがたまたまテレポート装置の前で倒れていた、ということにしているけれど、すでに部屋の外では画像記録装置を持ったパパラッチが二三人、つまらなそうに電子煙草を吹かしている。

 無菌状態に保たれたカプセルの中で、マーセルスは寝ている。起きたらなんていうだろうか。
 発見されてから丸一日、そろそろ起きてもいいころだと思うのだけれど、全然目を覚ますどころか、しきりにマルゲリータ、マルゲリータとつぶやいている。

 女の名前か、それともピザの名前か。
 彼の好物なのかマルゲリータが。

 目が覚めたらたらふく食わせてやろ。それから、昔の話を、一千年前の、平和だったころの地球の話を、いろいろ聞かせてもらうとしよう。

 歴史の教科書の中でも、あれほど平和だった時代はない。平安時代、江戸時代。いろいろ平和を謳歌していた時代はあったが、彼が生きていた時代もなかなか、平和だったのだと思う。

 僕らが生きている一千年後の未来でも、人はだれかを憎み、媚びへつらいながら生きている。こんなに文明が進んで便利なものが増えても、やってることは本質的に原始時代と大差ない。
 相変わらず戦争はするし、宗教も捨てられない。死んだ後の世界はどうなっているのか、どうやってこの世界は誕生し、結局この世界はどこに向かって進んでいるのか、それすらも全然はっきりしない。
 今起こった奇跡みたいなこと、それが、これ、千年前から時間旅行してきた男がいて、しきりにマルゲリータとつぶやいていること。
 

 飼っているインコが反応した。人工知能が埋め込まれているから、人とほぼ大差ないくらいの知能がある。話せば会話できるし、怒ったり泣いたりする。

「また言ってますよ、マルゲリータって」
 なんなんですかね、ピザ?

 ピザのマルゲリータって、なんでマルゲリータっていうの?
 聞くと、鳥かごを自分で開けて、隣の本棚に飛び移り、イタリアの国旗と、高い声で返事した。
 「イタリアの国旗が、マルゲリータっていうの?」
 「イタリアの国旗みたいなピザができたから、それを見た王様が気に入って、その王様の名前が」

 マルゲリータ。

 地の底から湧き出るようなうめき声に、一人と一匹は茫然として、暗い顔をしながら死んだように眠る一千年前から来た男を見つめた。

 

シロナガスクジラ

マルゲリータ。
 イタリア料理のピザの種類の一つ。トマトソースの上にモッツァレラチーズとバジルの葉を載せたもの。
 ピッツァマルゲリータ。

 注文してすぐ届いたというのに、ピザはもう冷めていた。虫食いみたいに、何個か食べられていて、トマトソースが返り血みたいに、箱の中に飛び散っていた。

 「何があったんだ、これ」
 店員が食べたとは考えられない。配達員が食べたとも考えられない。日本だから。絶対。
 「マーセルスが食べたんでしょ」
 一瞬固まったマーセルスが、煙草を灰皿に押し付けていった。
 「そんな訳ねぇーだろ」
 ひょっとして、
 「神の御業か?」

 便利な言葉だと思った。それを言ってしまえば、誰も間違ってないし、誰も正しくない。

 「これ以上食うなってことだよ」
 僕は黙って、自分のおなかを見る。ちょっと出てきてしまった気がする。そのうえ、小腹がすいたからとピザを頼む強欲さ、そこらへんが、マーセルスのいう、神の逆鱗に触れたのかもしれない。
 とは言いつつ、マーセルスは、ひどく不機嫌な顔をしながら、スマホを手に取った。
 「何をするつもり?」
 「ピザ屋さんに電話してみる」

 頭上に何か浮かんでいるかのように、マーセルスはぼーっと上を見上げながら、相手が電話に出るのを待っていた。
 ちょうど忙しい時間帯だったのか、全然電話に出ない。
 長いこと、マーセルスは電話に出るのを待っていたけれど、とうとう諦めて電話を切った。

 「まだ営業してるよな?」
 「うん」

 その時、ふと思い立って、僕はテーブルの上にスマホを置いたマーセルスに言った。
 「マーセルスって、ここに来る前、何をしていたの?」
 ちょっと考えてから、おもむろにマーセルスは腕組みをしてい言った。
 「クジラだった」
 僕は、時間が止まったみたいに、固まった。

 シロナガスクジラだった。七八十年くらい、ずっと海の中を漂っていた。
 十七歳くらいの時に、でっかいイカとばったり会っちまってな、あの時は、ほんとに食い殺されるかと思ったよ。

 「それ、いつの話?」
 「前世」

 僕は、前世のことを聞いてるんじゃなくて、今世のことを聞いてるんです。
 ああ、と納得したように言って、少し言いづらそうに、マーセルスは言った。

 「ファイブレンジャーの、緑の人をやってた」
 ファイブレンジャーって五人そろって悪者を退治するあれ?
 そうそう、と嫌気に呟いて、スプライトを飲み干し、またコップにお代りを注ぐ。

 「緑は、手裏剣が得意でな、投げる練習を、四六時中してたよ。赤は武士。青は騎士。黄色が看護婦で、ピンクがSM嬢なんだ」
 ぞっとしていると、察したようにマーセルスは言った。
 「ピンクが傑作でな、武器が鞭と履いてるヒールなんだよ。ヒールでキックすると怪人が爆発してな。ピンクが主役の時はみんなで腹抱えて笑ったもんさ」
 「そんなの放送してよかったの?」
 
 「それが、日本じゃあんまりはやらなかったんだけど海外では大ウケして、引っ張りだこだったよ。今でも手裏剣があればいっちょ前に投げられるぞ」
 
 ところで緑の必殺技がなんだか知ってるか、とすごんで言われた瞬間ぐらいに、電話が鳴った。ピザ屋からだった。

 僕は黙って、マーセルスの前のスプライトの入ったコップを眺めていた。小さな泡が下から上に絶えず上っていく。
 砂時計の砂が逆に戻っていくみたいに。
 僕はその泡を眺めて、時間が逆行する瞬間を想像したりした。僕が未来の僕と、現在の僕と、過去の自分に分裂する、時間を逆行し始めた僕は底知れない海の底に沈んでいくみたいに、時間の流れの中に埋もれていく。こんなはずじゃなかったのに。幸せなはずだったのに。きれいなままのはずだった、言ったところで誰にも届かず、時間の濁流のなかに飲まれていく。たちまち時間は排水溝の中に吸い込まれていくお風呂の残り湯みたいに渦を巻いて、真っ暗な排水溝の穴みたいなところに僕を押し込んでいく。
 このアパートができる前、この道路ができる前、この町ができる前、時間はどんどん逆行して、人類がアフリカで生まれたところでハッと気づく。
 止まり方がわからない。
 そのまま地球ができる前まで時間は逆行して、広大な宇宙空間に放り出されて、それでも濁流は止まらずに、とうとう、時間さえ存在しなかった、海みたいな、宇宙ができる前の世界に流れ着く。時間もなければ光もない、空気もなければ音もない、ただ静かな真っ暗な世界を、シロナガスクジラみたいに悠々と泳ぎ続けるのも、案外悪くないのか、と思い出したときに、マーセルスの声が聞こえた。


 「新しいのと交換してくれるって」


 暫く、目をしばしばさせながら、マーセルスを見た。時計は午後三時。緑の必殺技が何だったのか、聞くタイミングもなく、僕はちょっと気まずくなって、携帯の画面に視線を落とした。

一千年後

マルゲリータ。
 このシステムの名前が、なぜマルゲリータになったのか、マーセルスにも全く分からなかった。
 これを作った張本人みたいなやつが、偶々ピザが好きだったのか、それとも、単なる偶然か、いずれにしてもマルゲリータは千年前に人間を飛ばし、生き残ったわずかな人間がその千年前の平和な世界で余生を送る、そういう計画だった。
 

 生きている人間など、片手で数えられるくらいしかいない。致命的な大気汚染で、空は火星のように赤く染まり、空気も、閉塞した地下空間の中でしかほとんど存在しない。
 

 おまけに変な指導者まで出てきて、人類を生きながらえさせている機械を、テクノロジーを崇拝しろなどと言い出す始末。
 確かに、もう神様でも機械でも何でも、信じなきゃいけない時なのかもしれないけれど、天災やら何やらでこうなったなら同情の余地もあるが、これは完全に、人間の自業自得だ。

 時間をさかのぼると、ここしかなかった世界に新しい分岐点が生まれるらしい。考えてみれば、今の自分と未来の自分、昔の自分が、一気に切り離されるわけだから、そうなってもおかしくないことだ。
 そうなってこの世界がこんな風にならなくてもよかった世界に変えたいのだろうか。たった数人しかいない、半分サイボーグになった人間もどきみたいなマーセルスたちに。

 ほかの人間は機械になって生き残る道を選んだ。
 衝撃実験で使われる人形みたいな、細い手足の鉄の塊になって、酸素がなくとも、食べものがなくとも、原子力で生きていける体に改造して、(改造してというよりも脳と脊髄以外全部別物になってしまうのだけれど)細々と生き延びている。
 マーセルスも別にそのことに抵抗はなかったし、むしろその方が効率が良かったのだけれど、一時の金欲しさに、ファイブレンジャーに志願したのがいけなかった。

 番組の前半部分は、いわばフェイクというか、機械になった人間たちの目を誤魔化すためのお膳立てだった。

 物語は徐々に敵の幹部を一人一人倒していく大詰めの段階になっていくのだけれど、そこで、幹部の一人がうっかり漏らす、大総統の正体。
 大総統は、次元を超越することができる、実体のない、力そのものなのだ、と。

 緑色の爆炎に巻き込まれて、エイリアンみたいな幹部が爆発四散するとき、五人はなぜか、無言で頷き合う。

 次元を超えるしか人類に平和はやってこないとかなんとか、赤が言って、青がワザとらしく、でもどうすればいいと絶叫する。
 私たちも時間を超えるしかないわ、云云かんぬん、適当なこじつけをつけて、大総統を倒す回は、劇場版にでもOVAにでもすればいいだろと、メタみたいな発言を、マーセルスが言った瞬間、画面は真っ白い光に包まれ、といった感じ。


 僕は結局のところ、この世界に置いてきぼりにされた、ピッツア・マルゲリータ伯爵。
 五人はそれぞれ、千年前の今日に旅立ったのだけれど、ぶっつけ本番の安全保障まるでなしの大冒険だったから、何人かワープする前に死んだかもしれない。
 でももし、一千年前の今日にタイムワープできたやつがいたとして、もしも何かの偶然で、この世界が救われる、ことはないかもしれないけれど、これが人間の正史ではなく、ありえたかもしれない一つの世界になってくれたら、この実験は大成功なわけで、僕の役目も終わったのだ。


 僕もこんな薄汚い制作ルームからようやく離れて、楽しいアンドロイドライフを送ることにしようと思ったとき、赤が突然、僕の部屋に飛び込んできた。

 「ダメでした」
 見ればわかる。ダメダメだったみたい。ヘルメットは半分粉々になって、片足のブーツが丸焦げになっている。プラスチックが焦げるにおいが、鼻を突く。

 「そもそも、時間が未来に進むと誰が決めたんだろ」
 ぽかんとする赤を尻目に、僕は外を見る。そうすると、鉄道開通のために線路を敷く工事をしているアンドロイドが何人か見えた。死んだ仲間に手を合わせている様はもう何千年も前の産業革命の時に戻ったみたいだった。

 「徐々に過去にさかのぼっている気がする」

 僕は、古い書庫の中から見つけた何千年も前の子供向け雑誌を手に取ってページを開く。
 「他のやつらは、無事なんでしょうか」
 そんなこと俺に聞かれても、と答えるしかないから、黙って雑誌のページをめくる。
 何度も見たページ、一千年後の世界を想像したイラストが載っていて、下に小さく解説文がついている。
 戦争なんて非生産的な行為はなくなり、海底に進出した人類は、シロナガスクジラと協力して新しい生活の場を海底に作る、リニアモーターカーがコロニー同士を繋ぎ、色とりどりの魚たちが泳ぐ豊かな海底都市で人々は終わりのない繁栄を謳歌する、云々。


 その結果がこれだ。


 「そのうち、アンドロイド同士が棍棒と石で殴り合う時代になるかもしれない」

 
 もうやってますよと、赤が指さす先で、数体のアンドロイド同士がスコップと鶴橋をもって殴り合っていた。やがてそれは飛び火し、その場にいたほとんどすべてのアンドロイドがガチャガチャと合戦を始めた時、その中の一体が蹲って、爆発した。
 あのアンドロイド、一体一体に原子炉が入っていて、爆発はしないと喧伝されていたけれど、いま、目の前で一体、爆発した。
 太陽が地面に落ちてきたんじゃないかと思うほど、真っ白な光が目の前を覆ったと思った瞬間、僕の意識は、一瞬で消えてしまった。

四日前

マーセルスは助手席に乗っていた。
 運転は青がしていた。一緒にタイムワープしたはいいものの、お互い全裸になっていて、シュワルツェネッガーみたいに、手に持っていた光線銃を持って、偶々脇を通っていたピザの配達員を脅した。

 脅したはいいが、持っていた光線銃があまりにもちゃちすぎて、どこのおもちゃだよ、とケタケタ笑い出したから、本物であることを証明するためにすぐ近くにあったカーブミラーに向けて光線銃を撃ったはいいが、あまりにも強力すぎて、カーブミラーはおろか、近くにあった自転車も数台巻き込んで小さなブラックホールを作り、その一瞬後には、周囲は焦げたように真っ黒になって、空間には黒いひび割れみたいなものがミミズのように広がったり縮んだりしていた。

 ピザの配達員は気の毒にもその場でおのずと素っ裸になり、服を置いてどこかに走り去っていったから都合がよかった。
 青はすかさずその服を着こんだが、マーセルスの分はなかった。

 「早いもん勝ちだ」
 とっとと乗れと言われ、ぐちゃぐちゃになったピザの箱を大事なところの上に置き、マーセルスは不機嫌そうな顔でシートベルトを締めた。



 「どこに向かってるんだ?」
 青は片手で頬をかきながら、さぁ、と呆けたように返した。
 「一千年後に世界が滅ぶなんて、だれも思ってねぇだろうな」
 ニコニコしながら青が言うと、自分のそれを隠すピザの箱を見つめながら、マーセルスが返した。


 「一千年後なんて、現実味わかないよな、この時代の千年前なんて、平安時代だし。やあやあ我こそは、なんてさ」
 「明日滅ぶかもよ」

 赤信号で止まっていた青の横で、マーセルスはピザの箱をおもむろに開けた。
 カートゥーン調の猫がピザを食べてるイラストの箱をパッと開けると、中はさっきの衝撃でぐちゃぐちゃになっていた。
 箱の横に、マルゲリータと書いてあったから、たぶん、マルゲリータだったのかもしれないけれど、真っ赤な血みたいなトマトソースが飛び散る箱の中身は、見れば見るほど人の顔みたいに見えてきた。

 適度に乾いた白いチーズの部分が顔の皮の下の脂肪で、バジルがいい感じに二つ、目玉みたいで……。


 「お前これからどうするんだ?」
 頭の中を切り替えるみたいに、小さく息を吐いて蓋を閉めてから、マーセルスは言った。
 「このままピザの配達員にでもなろうかな」

 妙にニコニコ笑いながら青は言った。

 「そんなことよりもさ、さっきの話、明日滅ぶかもって、どういうことだよ」

 「いやなんとなく、予感だよ予感」
 「お前はこれからどうすんだ?」

 そうだな、と考えてから、冷静に、服が欲しいと、マーセルスは言った。
 どうすると、ギアを変えながら青は聞いた。

 「このまま銀行でも襲撃して、金でもかっさらって、服でも買うか?」
 「いや、銀行はこの時代でもセキュリティがすごいからよした方がいいんじゃないか」

 じゃあどうするんだよ、とマーセルスからピザの箱をひったくり中のピザを頬張りながら青が聞いた。トマトソースとチーズが飛び散る様に、マーセルスは顔をしかめた。

 「服屋でも襲おう。おまけに金もかっさらえれば言うことなし」
 決まりだ、と青が車を飛ばす。パパイヤの木が等間隔に生えている、ビーチサイドの道。
 「皮肉なもんだよな、この間まで、テレビの中で正義の味方やってた男二人が、銀行強盗だなんて」
 
 「しょうがないだろ、金も服もないまま、一千年後からワープしてきたなんてふざけた話、小学生でも信じないぞ」

 「服屋の店員ってさ、俺らみたいなやつにも、気になるのありますか、なんて聞いてくんのかな」
 嬉々としながら車を走らせる青に、少し怖くなったマーセルスは、小さく、ずいぶん詳しいな、といった。

 「この時代の服屋ってさ、ルンバみたいなロボットが巡回してて、気になる服を聞いて、あったサイズを持ってきてくれんだろ?」
 そうなんだ。
 「何からの情報なんだそれは」
 「歴史の教科書に書いてなかったっけ?」

 服ぐらいゆっくり選びたい、とマーセルスは言いたかったが、言おうとした瞬間ぐらいに、配達のトラックは服屋らしき所についた。

 店先では日曜日の午後らしく楽しそうな家族やカップルが行ったり来たりしている。そこに、これから飛び込む。返り血みたいなトマトソースを浴びた男と、全裸の男が。

 騒然となるか、だれもかれも見て見ぬふりをするか、多分、のるかそるか、後者か。それなら話が早い。


 「急ごう、怪しまれる」
 マーセルスはそのまま、さっそうとトラックを降りて、顔をしかめながら光線銃を構えて、特殊部隊もさながら、後方を気にし、物影があれば隠れながら、抜き足差し足、服屋に向かう。
 
もうばれてるから意味ないよ、と青が叫んだ気がしたが、こわばった体は全然ほぐれず、奇怪なモデルが最新の服を着て写るポスターの横を、斜めに影を伸ばしながら、マーセルスはおずおず、服屋の自動ドアの中に吸い込まれていった。

ピッツァマン

ピッツァマン

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-03-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 三日後
  2. ピッツァマン
  3. シロナガスクジラ
  4. 一千年後
  5. 四日前