茜色の記憶
短いですが読んでみてください。
かつて浴びていた、カクテルライトの閃光や燃え上がるような歓声は今日はない。冷たく、刺すような雨粒を無数に浴びながら足元を見つめた。健太が立っているマウンドは、周囲より少し高いはずだが、今にも膝まで浸かってしまいそうなくらいぬかるんでいた。まるでヘドロのような不愉快な感触をスパイク越しに感じながら、なんとか立ち続けていた。
健太がその知らせを聞いたのはちょうど一ヶ月前の、まだ生き残った蝉たちが悪あがきをしていた9月の終わり頃である。球団の幹部から朝、突然電話がかかってきたときは何の驚きもなかった。所属していた球団は三十数年ぶりに優勝し、町中が沸き立っていたが、健太はこの三年は殆どの時間を二軍で過ごしており、その熱狂をただ傍観しているだけだったからだ。
その電話の後、健太は電車に揺られて二軍の球場に向かった。レールの上を滑るように走る電車は、カタンカタンと軽快なリズムを奏でていたが、健太にはただの不協和音にしか聞こえなかった。いくつかのトンネルをくぐり抜けたころ、ふと和子に言われたことを思い出した。
「あなたって変な投げ方なのね」
大学時代、一年ほど付き合っていた和子はアルバイト先で知り合った同い年の音大生だった。ピアノを専攻していたようだった。健太は音楽のことはさっぱり分からなかったが、二人とも福岡が出身という共通点があり、地元の話や上京したときの苦労話は尽きなかった。和子も野球のことは興味が無かったが、健太がサイドスローであることが可笑しかったらしい。
二軍球場のある小さな駅を降りて、少し歩くと小さな球場につく。九月の終わりなのにまだ夏のような重苦しい日差しを浴びせられ、少し汗ばんでしまった。球場につくとロビーに幹部が一人待っていた。六年間お疲れさま、来年は契約しません、と予想通りの内容を言われた後、今後について聞かれた。少し考えてみます、と歯切れの悪い答えを残して球場を後にした。
駅のホームのベンチでぼんやりと電車を待っていたとき、今和子はどうしているのだろうかと思った。
彼女は自由な人だった、と思う。大学三年生の夏、将来についてなんとなく考え始めた頃、彼女は突然留学するといい始めたのである。少し相談してくれてもいいじゃないかとも思ったが、健太自身も試合に出場する機会が増えたこともあり、いわゆる別れ話をするわけでもなく、関係は終わってしまった。その後彼女が本当に留学したのか、留学から帰ってきたのか、まだ音楽を続けているのかも分からない。健太は別の女性と結婚してしまったし、野球選手として生き残ることで必死だったこともあって連絡してみようとも思わなかった。
ベンチで各駅停車を待っていると、緊張から解放されたからか少し眠気に襲われ妙な夢を見た。裏路地を息をひそめながらひっそりと歩いていたのに、急に茜色の西日に照らされたのである。細めた目が少しずつ光に慣れてくると、徐々に太陽を見ることができるようになってきた。西日の光は和子との無数の記憶の断片が自分で光ったり、お互いに反射したりしていたが裏路地に届くまでに暖かい茜色の光となり、わずかな温もりも感じることができた。目が醒めた時にはちょうど電車が来たところで、その時には健太の決意は固まっていた。
大雨のなか、ぬかるんだマウンドの上で健太は腕を振り続けた。トライアウトが最後の舞台であっても今の自分にできることは無心で投げ続けることだけだ。結果などどうでもよかった。今、この瞬間の出来事は必ず過去になり、未来の自分を暖かく照らすと信じて。
茜色の記憶
文章を書くのは大変だと思いました。