俺は悲しき猫である。
俺は猫である。名前はマリー。城田祥太郎42歳の生まれわかり。
俺は俺は悲しき猫である。
西の茶店
俺は猫である。
名前はマリーだ。
なぜ俺が猫で、なぜマリーなのかは、俺もよくわからない。
だが、俺はどうやら、生後四か月の三毛猫のメスらしい。
どうして一人称が「俺」なのかというと、前世の記憶がしっかりと残っているからだ。
俺は城田祥太郎42歳。中堅企業勤務のサラリーマン。妻と娘がいる。
いや、いたはず、だった。
それがどうしてこうして、今はマリーと呼ばれて保護猫シェルターの世話になる毎日だ。
母猫や兄弟猫はどうしているのだろうか。
気が付けば、一人だった。
誰かに抱かれ、連れてこられたことは覚えている。
まだ小さすぎて、意識がもうろうとしていた。
自分がマリーと呼ばれて、いや俺は城田祥太郎だ、と答えようとしたら「にゃー」と声が出てびっくりしたものだ。
そして、自分の手がクリームパンのような愛らしい猫の手であり、ひげがあり、耳があり、しっぽがあり、三毛猫であると認識したのだ。
どうやら前世の記憶を持ったまま、俺は猫に転生したらしい。
異世界に転生ファンタジーなどは巷で流行っているらしいが、現世に猫に転生とはどうなのだろう?
しかも今は一体いつなのだろうか?
シェルターという限られた世界の中では、情報はほとんどなく、知る術はない。
俺は時間が来ると与えられるカリカリを食べながら、毎日を過ごしていた。
そして今日、「譲渡会」なるものに参加している。
「マリー、いい里親さんが見つかるといいわねー」
いつも世話を焼いてくれているボランティアスタッフの奈苗さんが、ケージの中の俺をのぞきこんだ。
『そうだな。いつまでも世話になってるわけにはいかんからな』
「んー、いいお返事ね、マリー」
人間には俺が何を言っても「にゃー」にしか聞こえないらしい。不便なものだ。
「この子は三毛猫の女の子でマリーでーす」
譲渡会というものは意外に盛況らしく、家族連れも多い。
「ママ、この子かわいいね」
「ほんとね。小っちゃくてかわいいわね」
…ん?この声、聞き覚えが…?
「パパもいなくなったし、この子にしちゃう?」
『いずみ!?桃花!?』
「返事したよ、かわいー」
そこには、記憶の中のまま変わらぬ姿の俺の妻と娘がいた。
『俺だ、パパだ!桃花!』
「マリーちゃん、抱っこしてみます?」
「マリーちゃんていうんですか?抱っこしてもいいんですか?」
奈苗さんがケージを開けて、じたばたする俺を抱き上げて娘の桃花の腕に俺をふわりとおろした。
『桃花、桃花!パパだよ!』
「マリーちゃん、にゃー♡」
桃花には言葉は通じず、猫の俺に頬ずりをしてくすぐったそうにきゃっきゃと笑った。
「昨年、父親が交通事故で亡くなってしまいましてね…。娘のためにも、家族を増やしてあげたいんです」
『昨年!?俺は死んでたった一年もたたずに猫に転生したのか!?』
「もー、マリーちゃん、なんでそんなに暴れてるの?」
暴れるだろう!一年もたたずに、家族を増やすって、再婚するのか!?
『いずみ!桃花はまだ9歳だろう!そんな簡単に再婚なんて!』
俺は、俺は、たった一年で忘れられてしまう程度の男だったのか…。
怒りは一瞬で、悲しみに変わった。
急にしょんぼりした俺を、桃花は心配したようによしよしと撫ぜてくれた。
「マリーちゃん、どうしたのー?」
「おやつあげてみますか?」
奈苗さんが気を利かせて、俺のお気に入りのチューブ入りのおやつをいずみに手渡した。
「桃花、抱っこしててね」
「マリーちゃん、おやつですよー」
『いずみ…』
チューブをあけて、いずみが俺におやつを差し出した。
「マリーちゃん?」
目が潤む。
俺は悲しかった。
一生懸命に働いて、桃花をかわいがっていたつもりだった。
いずみには、そんな俺では、すぐに忘れられるほど、物足りなかったのだろうか…。
「桃花、マリーちゃん、ママに抱っこさせて?」
「いいよ」
『いずみ?』
いずみは俺を優しく抱き上げ、そっと頭を撫ぜた。
「マリーちゃん、うちの子になってくれる?桃花もパパが亡くなって寂しいし、私も寂しいの。あなたが来てくれたら、きっと私たち楽しくなるわ。桃花一人だとまだ泣いちゃうこともあるから、桃花の妹になってくれる?」
『…いずみ、桃花…すまなかった…!』
俺はいずみにしがみつき、にゃーにゃーと鳴いた。
『お前たちを残して、死んでしまって、すまなかった…!』
「まあ、マリーちゃんがずいぶん懐いていますね。二週間お試しされますか?」
奈苗さんがおススメしてくれたおかげで、いずみはすんなりうなずいた。
「ぜひお願いします。できれば、そのまま飼いたいと思っています。ね、桃花」
「いいの?ママ?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて、桃花が喜んだ。
そうだ。桃花はずっと、動物が飼いたいと言っていたっけ。
まだ桃花が小さいからダメだと、俺が反対していたんだった。
それなのに、そんな桃花に俺が飼われることになるとは…。
「祥太郎さんがいなくなって、初めて気づいたの。普段、どれだけ愛してるなんて言ってなかったかって。だから、これからはいっぱい言わなきゃね。ね、マリーちゃん」
『いずみ…俺も、愛してる…生きてるときは、言えなくて、ごめんな』
「ママずるいー、桃花もー!マリーちゃん大好き!」
『桃花…なかなかパパのこと好きって言ってくれなかったのに…俺は嬉しいぞ…たとえこんな姿になっても、おまえたちの傍にいられるなら』
桃花に渡され、俺は桃花に背中をよしよしされて思わずのどを鳴らした。
「マリーちゃん、気持ちいい?」
『ああ、とても気持ちがいい。桃花は優しいなあ』
そうか、家族を増やすって、俺を飼うってことだったんだな。
早とちりをしてしまった。
いずみ…申し訳ない。
こんな俺を愛してると言ってくれて、ありがとう。
俺も、愛してるよ。
でも猫の寿命だから、またおまえたちより先に死んでしまうだろうけど。
『マリーとして、絶対絶対、幸せにするから!だから、パパとしての俺のことも、忘れないでくれ!』
「はいはい、マリーちゃん。申し込みしてくるから、桃花と待っててね」
いずみは桃花と俺の頭をポンポンして、奈苗さんとブースの方へ行ってしまった。
「マリーちゃんって名前、かわいいね。名前どうしようかって、ママと相談してたんだけど、マリーちゃんのままでいいね!」
『桃花がつけてくれるなら、何でもいいぞ!』
桃花の手に顔をスリスリすると、桃花は嬉しそうに笑った。
「今日から桃花と一緒に寝ようね、マリーちゃん」
『え、いや、一緒に寝るのはちょっと…』
「帰ったら、ママと桃花と一緒にお風呂に入ろっか」
『いやいやいや、いくらなんでもそれは無理だ!』
42歳のパパが同衾や一緒にお風呂に入るなんて、犯罪だろう!
慌てる俺をお構いなしに、桃花の妄想は膨らみ続ける。
「かわいいお洋服も着て一緒に写メも撮ろうね♡」
『猫は人形じゃないぞ、桃花』
やはり、小さいころに動物を飼って、きちんと教えておくべきだっただろうか…。
俺を抱きしめてふんふんと鼻歌を歌いながら、桃花はいずみのもとへ歩いて行った。
「ママー、終わったー?」
ブースでは奈苗さんといずみが談笑しながら手続きをしている最中だった。
「もうすぐ終わりますよ。マリーちゃんと待っててくださいね」
奈苗さんが俺と桃花に向かって言うと、桃花は「はーい」と頷いた。
世話になった奈苗さんとも、お別れか。
こんな奇妙な転生猫を世話してくれてありがとう。
いつもくれるカリカリ美味しかったよ。
そうか、俺はまたあの家に帰れるんだな。
新婚5年目で買った、35年ローンの家に…。
「桃花、マリーちゃんをキャリーケース入れてくれる?」
「はーい」
準備してきたらしいキャリーケースに俺は入れられて、いよいよ懐かしい家へ帰るカウントダウンが始まった。
「今まで使ってたケージをお貸ししますので、トライの間はお使いください。お車まで運ぶの手伝いますね」
「ありがとうございます」
奈苗さんが俺が今まで入ってケージをたたみ、会場を出て見覚えのある車のハッチを開けていずみと一緒に積み込んだ。
「お気をつけて。元気でね、マリーちゃん」
『奈苗さん、お世話になりました』
俺、猫になったけど、幸せになるよ。
桃花は助手席に乗り込み、俺が入ったキャリーケースを抱きしめた。
「20分くらいだからねー、マリーちゃん」
『そうか、その程度のものだったのか』
意外に近くに転生していたのだな。
転生しても出会うべくして出会ったんだな。
もうこれは運命だ。俺はいずみと桃花に再会する運命!
ああ、娘が成人する前に死んでしまうなんて…そんなことを思う間もなく死んでしまったけど、俺は運がよかった。
たとえ言葉が通じなくても。
桃花の腕に抱いてもらうことができる。
いずみに頬ずりすることができる。
猫でよかった。
一緒にいることができて。
「ママ、今日からマリーちゃんと一緒に寝てもいい?」
「今日はスタッフの方がケージに入れて落ち着くのを待ってあげてって言ってたわよ」
「えーそーなのー?」
おおそうか。助かったぞ、奈苗さん。
いきなり風呂や同衾は勘弁してほしいからな。
「じゃあ、何日かしたら、いいの?」
「そうね、マリーちゃんがおうちに慣れてくれたら、考えてみましょうね」
『いずみ、考えなくていいぞ!』
「お風呂も一緒に入る?ママも?」
「猫ちゃんはそんなにお風呂に入れなくていいのよ、桃花」
『ナイスだ、いずみ!』
「えーみんなでお風呂入りたいー!」
キャッキャとはしゃいでいるうちに、見覚えのある家が見えてきた。
懐かしい我が家だ。
ああ、帰ってきた。
帰ってこられた。
車が駐車場に入り、桃花がキャリーケースを抱えたまま降りた。
「桃花、先に入ってパパを呼んできて」
「はーい」
『え、パパ?』
桃花は玄関を開けずに、インターホンを押した。
「おかえりー、桃花」
玄関が開き、見知らぬ男が出てきた。
「ただいま、パパ。この子、マリーちゃん!」
『お、お、俺の35年ローンの家に、知らない男がいる!!』
しかも、パパ!?
俺が死んで、たった一年で!?
「ただいま、恭介さん。ケージ運ぶの手伝ってくれる?」
「ああもちろん。かわいい子が見つかってよかったね」
『新しい家族って、こいつのことだったのか、いずみー!!』
「マリーちゃん、おうちに着いたら、急に元気になったね」
『いやだ、入りたくない、誰だこいつは!』
ケージを運ぶ男に、いずみが俺の目の前でキスをした。
「愛してるわ、恭介さん」
「どうしたんだ?いずみ。マリーちゃんが見てるぞ?」
『そうだ、俺が見てる前でなんてことするんだ!やめろ、やめてくれ!』
「愛してるって、伝えるの、大事だなって、今日なんかすごく思ったの」
『それは俺に言うはずの台詞だろう!!』
「もうー。ママー、パパとイチャイチャする前に、早くマリーちゃんのおうち作ってよー!」
『作らんでいい!俺はもう帰る!奈苗さん、奈苗さーん!!助けてくれえぇー!!』
天国から地獄とはまさにこういうことなのだろう。
泣き叫ぶ俺に気づいてくれる者など誰もいない。
そう。俺は猫である。
名前はマリー。
城田祥太郎42歳の生まれわかり。
頼む。誰か助けてくれ。
元嫁が俺より年下のイケメンを捕まえて、イチャイチャしている日常に、俺が強制参加させられている悲しい日々を。
猫の平均寿命は12~18年。
俺は、悲しき猫である…。
了
俺は悲しき猫である。