二人のラ・カンパネラ

ラ・カンパネラ

「チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番変ロ短調 作品23 第1楽章・・・ちょっと今日は音が大きくない?五月蝿い・・・。」

とある喫茶店。古びた暗い店内。クラシックのレコードが鳴り響く。よく言えばアンティーク、悪くいえば汚い家具。
そんなものに囲まれて一人の少女が頬杖をつきながら紅茶を飲んでいる。

都内の女子校に通う、高峰まどか。
ショートカットですらりと高い背。スポーツが得意そうに見えて実は苦手。勉強もそれほど得意ではない。そのくせに容姿がいいので女子にモテる。勝手にカッコいい自分を作り上げないでほしい。まどかは常々うんざりしていた。

そんな馬鹿らしいことよりも彼女が大切にしていることがある。それはクラシック。彼女はこのクラシック喫茶カンパネラの常連。
高校に入学して帰り道にこのような喫茶店があるのを知ってからというもの通い詰めている。
彼女は根っからのクラシックオタクで、クラシックなら一日中聴いても飽きない。それが安い紅茶代だけで一日中聴ける環境ほど良いものはなかった。

「ていうか!このピアノ協奏曲は好きじゃない。それならショパンの協奏曲の方が・・・。」
今日もぶつぶつ呟く。辛抱たまらなくなった時は店長に直訴しレコードを勝手に変える始末である。

カラン・・・。

カンパネラの名を模すようにドアに吊られている鐘が鳴る。
誰か入ってきたようである。
自分で思うのもなんだが、こんな店に来る客は少ない。
見てみると、恐る恐る足を踏み入れる少女が一人。
ふわふわの長い髪。小柄で小顔。そのくせ瞳は丸くて大きい。そう。言うなれば小動物。
そして彼女は、まどかと同じ制服を着ていた。学年を表すリボンの色を見ると臙脂色、まどかと同じ高校二年生らしい。しかし、そのような子は初めて見た。
そもそも、まどかは他人にそこまで興味を持たないのだけれど。

彼女はテーブルに着くと、何やら一心不乱に書き続ける。

宿題?
よくこんな大音量の中、勉強なんてできるな・・・。

そう思いながら、まどかはまた音楽に耳を傾けそっと目を瞑ったのであった。

それから。
まどかはかなりの頻度で喫茶店に通っているつもりだが、彼女もまたずっとそこにいた。
そしていつも何かを熱心に書き込んでいる。時には頭を抱えながら。時には苛立ちを見せながら。
もしかしたら小説か何かを書いているのかしら?
まどかは次第に彼女に興味を持つようになる。しかし、今一つ近づく機会がなかった。無論、彼女が何を書き続けているのかも分からなかった。

そんなある日。彼女はいつもの位置のテーブルにつくと、ばたりと顔を伏せた。しばらく動きがない。

死んだ・・・?
と思ったが肩が上下に揺れているとこを見ると、生きてはいるらしい。
寝た・・・?

まどかは、それならばとゆっくり彼女に近づいた。
そして顔の下敷きになって半分だけ見えている紙を覗き込んだ。

それは楽譜だった。
譜面にぎっしりメモ書きされている。
そして、この楽譜は・・・。

「リストのラ・カンパネラ!?」
そう思うや否や、まどかは彼女を揺すぶって無理やり叩き起こした。
「ふぇ?ふぇ!?」
急に少女に揺さぶられて彼女は驚きを越して意味か分からない。あと、寝起きなのでここがどこでどういう状況かも分からない。

「貴女!それ、弾けるの!?ラ・カンパネラ!弾けるの!?」
「ふぇ?」
「私は!それ、弾けるかって聞いているのよ!!」
「ひ、弾ける・・・。独学だけれど。」
それを聞いて、まどかは大きく目を見開いた。
超絶技巧で有名なリストのラ・カンパネラ。プロのピアニストでも最高難度の楽曲と言われるものだ。それをこの子が、しかも独学で!
大きくなったのは目だけではない。まどかは大声で彼女に向かって言った。
「独学ですってぇぇ!?」
少女は話したこともない相手に物凄い剣幕で問い詰められ怖くて何度も無言で頷いた。
そして、まどかは他の客から睨まれ店主にも睨まれる羽目になってしまった。

まどかは小声で彼女を問いただす。
「私は高峰まどか。同じ学校みたいだけど・・・ねぇ、貴女は?」
「わ、私は・・・瀬央・・・美月。高峰さんは知ってる。多分。有名だから・・・。」
「え?クラシックオタクで有名なの?」
「違うの。その、カッコいいって有名なの。みんなすごく素敵だって言ってるの知ってたから。」
美月は下を向いてもじもじとしながらごもごもと言う。
「はぁ!?そんな有名いらないわよ!それよりラ・カンパネラが弾ける方が凄いわ。ねぇ、瀬央さん、今からうちに来ない?グランドピアノがあるの!弾いてよ!ラ・カンパネラ弾いてくれない?」
「え?え?え?」
「おじさん!これ、この子と私のお代!さぁ!いくわよ、瀬央さん!!」
飲み物代を置くと、まどかは美月の手を引いて走り出した。
美月は何が何だかわからずリストの楽譜を抱えたまま彼女に連れられていったのであった。

「ここ、入って。」
まどかの家はまさに洋館というにふさわしい立派で美しいものであった。白壁に伝う蔦。庭も広く温室のようなものまである。
中に入ると、美しい調度品や家具に囲まれていた。まるで外国のお金持ちの家に来たかのよう。

「お邪魔します。・・・あの、ご家族の方は?私が来たら迷惑では・・・?」
「いいの。私以外いないの。両親は海外を飛び回っているから。」
「は、はぁ・・・。でも、その・・・。」
まどかは恐縮する美月を尻目にある部屋へと誘うとドアを開けた。

「わぁ・・・!!」

先ほどの不安と打って変わって美月は頬を染めて感嘆の声を漏らす。
円を描く一面ガラス張りの部屋。外から差し込む光。ガラス越しに見える薔薇の花。
その中央に一台の美しいグランドピアノが置いてある。

「こ、これ・・・もしかして。」
「スタンウェイ。母がピアニストなの。だからそこそこいいピアノ置いているの。」
「高峰さんの・・・そこそこ・・・のレベルとは?」
「御託はいいから!早く座って!弾いてよ、ラ・カンパネラ!」
美月はまどかには促されるまま椅子に座る。
鍵盤を叩くと今までにない音の響きがする。

美月は深呼吸すると、ピアノに手をかけて弾き出した。

リスト ラ・カンパネラ。

ぼんやりした美月からは想像できないほどの高速に次ぐ高速の手の動き。

オクターヴ、オクターヴ。
フォルテ!フォルテ!!フォルテ!!!

速く強くメロディが流れる。途切れることなく押し寄せる音の洪水。

これが・・・
ラ・カンパネラ。

まどかの手が震える。
光の中で弾き続ける美月に一瞬も目が離せない。

そして気がつくと音が鳴り終わった。
すべて弾き切ったのである。
美月は肩で息をしてピアノを見つめた。

「凄い!凄い!!瀬央さん!!」
そう言ってまどかが駆け寄ると美月は急に立ち上がって首を振る。

「違う!違う!!こんなのラ・カンパネラじゃない!!また私は弾けない!!弾くことができない!!!」
「何を言っているの?弾けたじゃない、完璧に。」
「高峰さんは気づかなかった?私のラ・カンパネラの欠点。いえ、この曲に限ったことじゃないの。私の・・・致命的な欠点。」

欠点。
彼女の欠点。
彼女は完璧に弾いたはず。
完璧なまでに譜面通りに。
そう、完璧に譜面通りに。
完璧に譜面通り・・・?

「ねぇ、瀬央さん・・・もしかして、貴女の欠点って・・・。」
美月はゆっくりとまどかを見つめると口を開いた。虚な目で。

「そう、私の致命的な欠点。それは、譜面通りにしか弾けないということ。鍵盤を叩くだけなの。」

高峰まどかと瀬央美月の出会いは、不完全なるラ・カンパネラから始まった。

二人のラ・カンパネラ

二人のラ・カンパネラ

百合小説。 友情はいつしか恋になる。 不完全なラ・カンパネラが至高の音になるまでのお話。 高峰まどかはクラシック喫茶で瀬央美月に出会う。 美月は超絶技巧で有名な難曲ラ・カンパネラを独学で弾けるという。 しかし、彼女はメロディに感情が伴わず何を弾いても無機質な曲。 対して、まどかは情感豊かにピアノを弾くことができるが、技術が伴わずピアノの道を絶っていたのだ。 というのも、まどかは憧れのラ・カンパネラを弾きたいがために無理な練習を繰り返し、手を故障してしまっていた。彼女はもって三分程度しかピアノを弾けない。 2人は完全なラ・カンパネラを弾けるように一緒に練習を始めるが・・・。 まどかは過去を振り切りピアノに再び向き合えるのか。 美月は誰かを想って感情をピアノに乗せられるのか。 少女たちの青春と恋の物語。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2022-02-25

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