箱がない状態

 マウスをクリックする音で君だとすぐに選別できた。宇宙のどこかで小惑星同士が衝突していても絶対、気づかないのにさ。何故か君が行う小さな行動だけで分かったんだ。本当の本当にマカ不思議ってこういう時に言う言葉だと思う。
「校舎の裏に埋められているんだ。白い肉体が」
「なにそれ?」
「聞いたことないの? 人の形をしたモノが埋められているって言うウワサ」
「知らないよ。誰に聞いたのよ。そんな変なの」
「吹奏楽部のS子よ」
「ふうん」
「信じてないって顔ね」
 僕の席の後ろで二人の女生徒が会話をしている。女という生き物はウワサ話が基本的に好きらしい。僕は携帯電話の画面に映るキャラクターをタッチしていた。すると横から聞きなれた声がした。
「なにしてんだ」
 友人のRだった。
「最近、アップされたゲーム」
「クソゲーか?」
「まだ本格的にやっていないからわからん」
「そんなのやる暇があるなら、次の授業の予習でもしとけ、小テストがあるって言うウワサだ」
「お前もウワサかよ」
「なんだよ」
「いや、特に意味はないんだ」
「なら適当なこと言ってんじゃねーよ」Rは僕の後頭部をデコピンした。
 僕がふと教室の外を見ると廊下をJ美が歩いていた。
「なんだ? ああ、J美か? お前、あいつが好きなんだろ」
「ああそうだ」
「素直でつまらん」
 僕は立ち上がって「ちょっとJ美を追いかけに行く」と述べた。
「はあ? あと五分で授業が始まるぞ」
「知るか。J美の方が貴重だわ」
「単位が取れなくて泣いても知らんからな」
「はいはい」
 僕はそう言って教室から出てJ美を追う。J美はセミロングの平均的な身長に平均的横幅、平均的な顔つきだった。加えてクラスは別だ。そしてこれは半年前の出来事になる。僕は移動教室でパソコンにて授業をしている時、横でマウスをクリックするJ美の存在を知った。最初は特段何も思わなかったが、J美の奏でるそのマウスのクリック音に僕は何故か惹かれていた。理由は僕にもよく分からなかった。マウスをクリックするクリックの間隔だろうか? それともマウスを押す強さだろうか? いや、マウスを押す瞬間瞬間のタイミングだろうか? 僕はそれについて考えてノートにまとめて考察する。だがよく分からなかった。だから、これは僕がJ美のことを深層心理的に恋愛感情を抱いているのではないかと結論付けた。でなければそこまで、J美のマウスのクリック音に敏感になることはないし、わざわざ考察することはないだろう。J美は授業開始のチャイムが鳴っているがスタスタと歩いて階段を降りる。僕もチャイムにおかまいなしにJ美に続いて階段を降りた。J美は続いて靴箱に行きスリッパを脱いでローファーに履き替えた。だから僕も落書きされたスリッパを脱いで3ヶ月前に購入した靴に履き替えた。J美は校舎の裏側に向かって歩いていた。僕もJ美に気づかれないようにして引き続き背中を追った。人が近づかない、薄っすらと雑草が生えた空き地にJ美はポツンと立つ。僕は校舎の影からその姿を眺めていた。突然、J美は素手で地面を掻き分けた。両膝を付いて。一生懸命に土を搔きわける。掘るとでも言うのか? でもそれは確かに異様な光景だった。僕は少し驚いて見ていたけども、見ているだけでは個人的に進展しないと思い、意を決してJ美に近づいて「なにしてんだよ」と質問した。
 J美はビクリと平均的な驚いた表情を僕に見せた。
「何も、していないよ」
「いや、しているでしょ」
 僕の言葉に平均的に黙ってから「土を分けているだけよ」と言った。
「それは知っている」
「……」J美は再び黙る。
「掘ってどうするんだよ」
「笑わないでよ」
 僕は答える。
「笑わないよ」
「私の箱がここにあるの?」
「箱?」
「うん。箱」
「なんだよそれ? 手のひらに乗る、指輪でも入れるような箱か?」
「違う」
「もっと大きな箱か?」
「ええ。そうよ。もっと大きな箱」
「どんな箱なんだ」
 僕の問いにJ美は再び黙った。
「白い、箱」
 J美は静かに答えた。
「なんでそんなものがこんな所に埋まっているんだ?」
「星々が衝突したから。それで私の箱が此処に落下したの。そうね半年前くらいに」
 今度は僕が平均よりも長く黙った。
「聞こえなかった? 大きな衝撃音が、地球の外でよく鳴っているけど、こんなに大きな衝突音は地球が創造されてから初めてよ」
「いや、よく聞こえなかったな」
「どうして」
「車が排気ガスを出す音、ニュースのキャスターが話す音、友だちの楽しげに笑う音、公園のブランコが揺れる音、そんな様々な音の影響で君が聞こえた音は僕の鼓膜には届かなかったんだ。郵便配達員だって全てのハガキを一夜に送れるものじゃないだろ。それと一緒さ」
「違うわよ。それは貴方の言い訳にしかすぎない。だって宇宙で一番うるさい瞬間が聞こえないってある? それが聞こえないで、どうしてそれよりも小さな小さな音が聞き取れるのよ」
 J美は平均的な怒りをあらわにして僕に言った。
「それは、すまなかった。謝るよ。ごめんね」
 僕は本当に心から謝った。頭を下げてJ美のローファーをジーと見た。
「謝らないでよ。別に貴方が悪いわけじゃない」
「うん。でも僕にも君の手伝いをさせてくれないかな。その、さ。君の言う。落っことした箱、僕も一緒に探したいんだ」
 J美はやはり平均的に黙ってから「……。いいわ」とだけ返答した。
 それでJ美はしゃがみ込んで土を掻き分けた。僕もしゃがみ込んで適当に土を掻き分けた。意外にも土は柔らかくて表面だけは掘り起こすことができた。
「ねえ。特徴とかあったら教えてくれよ。どんな箱が落っこちたんだ?」
「本当の私よ」
 僕は少し考えてから「それってつまり、今の君は本当じゃないの?」と言った。
「そうよ」
「本当の君はどんな人なんだい?」
「四つの翼を持って、緑色の瞳で、おとぎ話が好きな人よ」
「それって見た目が違うのか」
「見た目も違う、性格も違うわね。本当の性格はハキハキしていて、明るくて良く笑う子よ」
「そっちの方が好きなのか?」
「どうしてそんな質問をするの?」
 J美は質問で質問を返した。
「僕は今の君も好きなんだけど」
「へえ。でも私は今の自分が嫌いなんだけど」
「どうして?」
「汗を掻いたら、臭くなるじゃない」
 J美は掻き分けた場所から自分のお目当のものがないと判断すると丁寧に土を戻していた。だから僕も真似して土を戻していた。
「ねえ。どうして貴方は今の私のことが好きなの?」
 僕は搔きわける手を止めてから答えた。
「半年前に初めて君を知ったんだ。移動教室のパソコン室でね。隣に座る君のマウスのクリック音がどうしても耳から離れなかった。何故だかは僕にも分からない。ただ、君のクリック音は言葉で、歌に近かった。それで僕はその小さな他者とは異なる君だけの異変がとても好きになっていたんだ」
 僕はありのままをゆっくりと話した。それでJ美も手を止めて僕を見ていた。
「半年前に私は箱がない状態になったわ。そしてその変化に気づいたのは貴方だけだったってことね。どうしてかしら。誰にも気づかない、分からないように、全てを隠していたのに。そんな小さな変化だけで……」
「でも僕は箱にすっぽり覆われた君を知らないんだ。これっぽっちも。顔も、表情も、シルエットも。それはきっと、箱がない、ありのままの君が良いってことじゃないかな」
 僕の言葉を聞いてJ美は平均的な速度で立ち上がり土埃が付着した膝を両手で払い落した。
「あーあ。バカみたい。貴方みたいな人がいるって。本当に調子が狂うわ。人間、誰しも箱に覆われて生きているくせに、何を知ったかのように語っているのかしら」
「そっか、なら僕は君の箱の中に入ってみたいな。多分、暖かい海水の中にいるんだろうな」
 と、僕は左足がグラ付いた。見ると白い手が地面から生えていて掴んでいた。箱が。

箱がない状態

箱がない状態

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更新日
登録日
2022-02-23

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