赤い切り株

 ちぃちゃんの夢はお母さんとお兄ちゃんと一緒にドライブスルーをしてナゲットとミルクシェイクを飲むことでした。でも、それは比較的簡単に成し遂げることはありませんでした。と言うのは、お兄ちゃんは友だちと鬼ごっこをしている最中に境界線から出てしまい、ふたつになりました。お母さんは仕事から帰る途中バスに乗っていましたがお金が足りなくなった為に追い出されました。それで境界線に追いつかれてしまい、ふたつになりました。だから、ちぃちゃんは1人でナゲットと巨峰シェイクを飲んでいます。ホント残念です。
「チイ。まーた、授業に集中していなかったでしょ?」
「そんなことないよ」
「だって、ずっと教室の窓から外を見ていたでしょ?」
「そう?」
「そうだよ。そんなんじゃ、先生に怒られるよ」
「別にいいよ。怒られても」
「ふうん。チイはドライな性格なんだね。あたしは怒られると結構、メンタルがやられるなあ」
「そっか」
「チイは教室の外を時たま見ているけど、何か気になることがあるの?」
 ごくごく一般的な教室、ごくごく平均的な机を並べてセーラー服の女の子が2人、弁当を食べ終えて談笑をしている。最近ストレートパーマをかけたらしい女生徒がボンヤリとした表情の身長が低い女生徒に話しかけている。
「青い境界線を見ていたの」
 ボンヤリとした女生徒が教室の天井を見上げて言った。
「どうして? なんか珍しい?」
「青い境界線の向こう側って誰も住んでいないのかなって?」
「住んでる? どうしてそんなのが気になるのよ。あの青い線は宙で弧を描いて空まで伸びているだけで基本的に誰も近づかないものじゃん。そうね。超えたら死んじゃうって物心がつく前から親から聞かされるけどさ。それ以上でもそれ以下じゃないじゃん。別に超えなくても普通に暮らしていけるんだから」
 ボンヤリとした女生徒は「知ってる」と言って紙パックのジュースから伸びたストローをすすって「まずっ」と呟いた。
「チイ。あんたまさか、あの線を超えることを考えているわけじゃないよね」
「一緒に行ってみる?」
「行くわけないでしょ」

「ただいま……」
 身長の低い女生徒はリビングの扉を開いて言った。
「どうした? 今日はいつもより早かったじゃないか?」
 メガネをかけた男がテレビを見ながら言った。
 すると女生徒に向かって女生徒の肩を軽く叩いて「本当にね。どうして今日はいつもよりも帰ってくるのが早いのかしらね」そう言い女生徒を引っ張って部屋に連れて行く。
 りんごの皮が鍵盤の上で打ち叩かれる。サラダの上から溢れたアヒルの肉が散る。塩岩がゼラチンのようにただれる。蟻が粉砂糖として口、まぶた、歯の上で遊ぶ。銀のキリが両目を静かに貫く。声が、声が太陽で焼けた鉄筋が喉を潤おそうとするが誰もが乾く。ねえ、ねえ、雨の日にアスファルトの上で寝る呼吸はもう流される。
 もういやだ! ちぃちゃんは! ちぃちゃんは! あそこに行きたい! 此処にはもう居たくない! ちぃちゃんは境界線を超えたい、そしたら素晴らしい『ちぃちゃん』が待っているんだ! お願いちぃちゃんを此処から出して!
 身長の低い女生徒は家を飛び出して街の一番外へと向かう。虫かごの一番縁に向かうように走った。青い境界線は美しい線で夕焼けの空を真っ二つにしていた。境界線に近づいた時、大人の腰ほどにあるコンクリートのゲートが目の前に広がっていた。
「なんで?……」
 身長の低い女生徒は言う。
「君? どうしたんだい? 此処は危ないから近づいちゃダメだよ」
 警備員の男二入が黙って立ち尽くす女生徒にゆっくりと近づいて言った。
「いつの間に? いつからこんな……。こんな! ゲートが設置されているんですか!」
 女生徒の言葉に警備員二人は顔を見合わせてから答えた。
「2週間前くらいかな。危険な境界線に一般住民が近づけないようにゲートを設置したのは」
「くっ!」
 女生徒はそれを聞いてゲートを乗り越えようとする。
「おい! 辞めろ!」
 警備員を振り切ろうとする女生徒の身体を捕まえて地面に投げつける。女生徒はゴムまりのように一度跳ねてから転がった。それから息をしない人形を真似するように空を見上げた。
「バカなことは考えないで家に帰りな。最近、お前みたいな奴が少し増えたからゲートが設置されたんだ。死体を片付ける人間のことも少しは考えろよ」
「死ぬわけないだろ」
 女生徒は立ち上がり警備員の顔を見ないで言った。
「はあ?」
「線の外には別の世界があるんだ。お前たちも、私も知らない別の世界が」
 女生徒の言葉に警備員は大声で笑って「何か新しい漫画か小説にでも影響されたのか? 近頃の若い子の考えはわからん」と言った。女生徒は悔しそうな表情で歩いてきた道の方に振り向いて静かに進み始めた。

 今日はなんだか夕焼けが長く感じる。
「もう、もういい、もう、いい」
 女生徒の影は薄く伸びていた。廃墟の公共団地、その中央にある広場には雑草と木が生い茂っていた。その木陰に女生徒は座り込み、肺の奥から「お母さん……。お兄ちゃん……。なんで、なんで居なくなったの……。ちぃは寂しいよ……」と呟いた。
 女生徒が夕焼けの空に何かを求めて見上げると線が弧を描いて降りてきていた。それに気づいた女生徒は立ち上がって両手を広げて「私を、私をそこに連れていって」とすがった。女生徒の声は震えていた。その言葉を理解したかのように青い線は突然、稲を刈る鎌を振りかざし女生徒と木々を境界線の中に取り込んだ。女生徒はとても満足そうな表情だったと思う。それで、そこには赤い切り株だけが残った。

赤い切り株

赤い切り株

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-02-23

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