優しい悲劇
みんな、生きてるし。当然だとは思うけれど、一個人の、当然の価値観が、だれかと同等、というわけではなく。ひとは、ひと、という括りのなかで、無限大なのだと、やさしいひとが諭し、やさしいひとが、いま、ぼくのまえでうごき、しゃべっていることが、とてもめずらしいなぁと感じる。さいきんは、こういう、だれにでもやさしいひとは稀少であり、めぐりあえたきみは幸運だと、ノアは云う。冬も、もう、あとすこしでおわりだからか、やけにはりきって、凍えるような寒さをもたらしてくる。星は、やさしくないひともふつうに受け入れるし、やさしいひとが、ときにはやさしくない方向へ、ころがりおちることもあって、ひと、とは、ほんとうにさまざまだと思う。
長い爪のひとが、いたずらに傷つける。
せかいの、やわなところを。
ひっかいて、えぐる。
繊維が、千切れてゆく音がして、ぼくは吐き気をおぼえる。ノアは愛でる。せかいを、傷つけるひとのことを。やさしくないひとのことも。わかっているけれど、とめられない、星の腐食。やさしいひとが泥人形になるとき、目に見える景色は果たして、どんな色に染まるだろう。こわいはずなのに。想像しているあいだはふしぎと、心が凪いで、ちいさく安堵するのだ。
(よかった、やさしいひとが、この世のすべてではない)
優しい悲劇
二月といえば「優しい悲劇」