海と、貝殻と、君の声。

君がいなくなって、何年経っただろうか。
僕の横で眠る娘の顔を見て、「もう5年ほど経ったのだな。」と思う。
規則正しい寝息が聴こえる。
今宵もとても穏やかだ。

娘は妻のことを覚えていない。
妻は娘を産んですぐに天に召されてしまったのだ。
絶望して目の前が真っ暗になってしまったが、娘がいつも僕の周りを明るく照らしてくれる。
妻に似て、明るくて元気な子に育っている。

3年前、僕と娘は海の近くへと引っ越した。
妻は海が大好きだったから、すこしでも近い場所に…と。
今日は波が穏やかだなぁ、とか、潮風が気持ちいいなぁ、とか、海を感じてしあわせな毎日を過ごした。
娘の部屋の棚の上に、キレイな貝殻がすこしずつ、すこしずつ、増えていった。

貝殻たちを見ていた僕は、あることを思い出した。
僕の机の引き出しにすごくキレイな貝殻があることを。
大きくてツヤツヤした、ピンク色の巻き貝だ。
妻が拾って大切にしていたものだったから、なんとなくお守りのように大切に引き出しにしまっていたのだけど、きっと娘に渡したら喜ぶだろうな。
そう思って、僕はそれを娘にあげることにした。

「キレイな貝殻たくさん集めてるね。お父さんからとってもキレイなのプレゼントするよ。」

娘は貝殻よりキレイな瞳を輝かせて、貝殻を受け取った。
「お父さん、ありがとう!」

とっても嬉しそうに貝殻を眺めていたが、しばらくすると、なんだか不思議そうな顔をし始める。

「お父さん…この貝殻、やっぱり受け取れないよ。」

どうしてだろうか。

「なんだかね、この貝殻の中から、お父さんのことを呼ぶ声がするの。なんだか懐かしい、女の人の声だよ。」

僕は驚いた。
貝殻から声がする?
どういうことなのだろうか。

「あのね、お父さん。貝殻を耳に当てると波の音が聴こえるってお話知ってる?この貝殻、なんだか特別な気がするの。波の音は聴こえるんだけど、なんか違うの。」

娘は何かを感じ取ったようで、そっと、貝殻を僕の掌に返してきた。

「お父さん、貝殻を耳に当ててみて。」

僕は深呼吸してから、そっと、貝殻を耳に当てた。
しかしなにも聴こえないので、しばらく当てていると…
波の音と一緒に、妻の声が聴こえてきた。

「…あなた。元気にしている?あの子も元気かしら。私は2人のことを、ずっと愛しているわ。…私はここにいる。あなたたちのそばに、ずっと、ずっと。」

僕は目頭が熱くなってきて…
気が付いたら娘に背中をさすられていた。

「お父さん、大丈夫?どうしたの?」
「大丈夫だよ、ありがとう。」
「ねぇ、貝殻から誰の声がしたの?知ってる人?」
「うん、とてもよく知っていて、大好きな人の声だったよ。」
「誰?私にだけ教えて?」
「お前によく似ている人の声だよ。」
「どういうこと?」
「もうすこし、大きくなったらきっとわかるよ。」

娘はなんとなく納得がいかないようで、「ふーん…」と言って、しばらく考えていた。
でも、すぐにいつもの明るい娘に戻って、「お父さん、おなかすいた!お昼にしようよ。」と言ってきた。

娘の明るさは、まるで海の眩しさに似ている。
きっと、これからも僕はその眩しさに照らされるだろう。

波の穏やかな、昼下がり。
僕と娘の日常は続いていく。

海と、貝殻と、君の声。

海と、貝殻と、君の声。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-02-06

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