宮茸
茸の幻想ミステリーです。縦書きでお読みください。
猪子村の猪子神社の宮司、猪子庄司は、少しばかりもつれるようになった足を引きずるようにして、境内で掃除をしていた。
猪子村に暮らす人も百人ほどになり、村議会の平均年齢は七十を越している。宮司も今度の誕生日がくると八十七になる。
神社の跡継ぎをなんとかせねばと、毎年、年の瀬が迫ると思うのだが、思うようにならず、神社どころか、村が消滅の危機にある。村がなくなりゃ神社どころではない。
猪子村は人間にいい村だった。味のよい食用茸が神社の裏から広がる山に一面と言っていいほど生える。裏山は赤網山と呼ばれている、高さは三百メートルないほどの低い山である。しかし、人が住みつくようになった頃から信仰の対象ともなっているし、秋の紅葉は見事だ。
三百メートルというのは村からの高さで、村自体が標高六百メートルほどであることから、麓の町から見ると、標高九百メイトルの高い山ということになるのであろう。さらに赤綱山に連なるのは空にそびえ立つ高い山並みを見上げることになる。
猪子神社は赤綱山の裾に建てられている猪子神社では、その昔、春は山菜祭り、夏は雨降り祭り、秋は茸祭り、冬は雪ん子祭りと、村人総出で楽しい村祭りを行ったものである。
猪子庄司は、庄屋だった村長の親戚筋にあたり、村の人たちに慕われている温厚な老人だった。妻には先立たれ、もう十数年一人暮らしで、村の手隙な女たちが、何くれとなく世話をしていた。その女性たちもとうに還暦を過ぎている。
神社はずいぶん昔にたてられ、もう三百年になると言う。猪子は代々跡を継いで神官となってきたが、今の神主、猪子庄司には子供がおらず、どこからか養子を迎えねばと、いろいろな人に相談していたのだが、なかなか神社に見合う人は見つからなかった。
猪子神社は豊穣の神様だ。昔、特に秋の茸祭りには、広い境内で村人たちが夜遅くまで騒いだそうである。猪子宮司は経験がないが、神社に伝わる出し物などがあったようだ。一時、祭りは村の中心にある村役場の前の広場で行われるようになったが、それも行えなくなった。村民の数があまりにも少ない。
神社のご神体は箱に入れられ、社殿の祭壇の真ん中におかれていた。大きな異変が起きたときに開くようにという言い伝えがあり、幸いといっていいのだろう、この村は地震など大きな災害に見舞われたことがないことから、一度も開けられていない。猪子宮司も中に入っているものを見たことがなかった。
最もその箱には開けるところがなく、中のものを見るには壊さねければならないのだ。ただ見るだけに開けることはできない。箱根細工にトリックをつかった箱があるが、そのような仕掛けはない。一見箱枕のように、ただの箱だった。
その昔はもっと大きな敷地を持つ神社だったのだが、神社の前の国道が、自衛隊が通る為に大きく広げられ、そのあおりをくって、境内の五割ほどが削られてしまった。山の麓の角にあったことから、道のカーブを緩やかにするために大きく削られたのだ。祭りが村の広場でおこなわれるようになのも、それがきっかけだった。
猪子宮司は毎日境内を綺麗に掃き清め、木の手入れを怠ることなく、お勤めをしていた。
ある夏の終わり、身綺麗な背の高い若い男が神社を訪れた。
ちょうど猪子宮司が植木の手入れをしているところだった。都会からやってきた雰囲気の青年である。
青年は賽銭箱にお金を入れ、綱を引いて鈴を鳴らすと、柏手を打った。
うつむいたまま微動だにしない姿勢が強い願いがにじみ出ている。青年は礼の後、目を上げ、社の中を見た。はっと目を見開いた。なにかしらにじいーっと見入った。その後もう一度礼をして去ろうとした。
木の手入れをしていた宮司は、好ましげに青年を見ていた。
青年は戻るために振り向いた、男の顔を見たとき、宮司はなぜかぴっときた。ちょっと猪に似てなくもない。決して崩れた顔ではなく、外人のような顔と言った方がいいだろう。むしろ美男に入る顔だが、髪型が猪を感じさせたのかもしれない。
宮司は男性に声をかけた。
「どちらから、いらしたんですかな」
男は柔らかなまなざしで、「東京です、今日、ここで目的が達成されました」
笑顔で青年は答えた。
「ほー、願い事ですかな」
「ここで、千なのです」
「なにがでしょうな」
「日本中の神社を訪ねて、ここが千番めなのです」
「あれ、そりゃあ、すごい、おめでとうございます、猪子神社が千番目とはうれしいことですな、また、どうして神社巡りをなさっているんですかな」
猪子宮司は思わぬ返事でとまどった。千という数字は簡単なものではない。
「小学校の教師をしていて、三年目に子供たちの魂は自由に教室の中を舞っているのに、大人になるにつれ、魂は縮こまって頭の上に乗っているだけになることに気がつきました。今の学校は魂を眠らせてしまっています。現代の大人の魂はしわの寄った干し柿みたいになっています。自分の魂もそうです、これではいけないと想い、魂がみずみずしく、せめて頭の上で舞ってくれるよう、日本中の神社を歩きました。社の中にあるご神体はさまざまで、もちろん祀られている神もさまざまですが、どの神社にも必ずなにものかがいます。神は違っても皆同じです。そのなにものかが魂に空気と水を注ぎ、魂に絡んだ綱をほどいてくれます」
「それで神社参りをなさっているのですな、そのなにものかはなんだかわかりましたですか」
「いえ、ただ、この神社にきて、うっすらと目の前にその影が浮かんできました」
「神ですな」
「いえ、そうではなくて、神社の社の中で時が渦巻いていて、その中に何か潜んでいるのです」
「神に仕えておりましても、わしのような年寄りにはわからんですな、それが神のような気がしますが」
「神は個性がありますが、それは個性はないと思います」
「なるほど、神の影かもしれん、神が違っても影はみな同じかもしれませんぞ」
「あそうでね、神社は時が時々ととまっているような気がするのです、時の流れが再び始まるとき、時の渦ができて、そこから何かが顔を出すのです、影とは今教わりました。確かに神の影かもしれません。千の神社をたずねたうち、八十七の神社で、時の渦から何かがのぞいたのをみました。そしてこの神社、ちょうど千件目の神社で、八十八番目の時の渦を見たのです。そこにできた影がかなりはっきりと目に焼き付きました。きっとなにかあるとおもいます」
猪子宮司は自分でも思わぬようなことをいっていた。
「どうでしょうな、この神社を守ってくださいませんかな」
青年はあまり驚いた様子をみせなかった。
「どうしたらいいのでしょうか」
「私は、この神社の宮司をしている猪子庄司ともうします、子どももおらず、跡を継いでくれる人を探しておりました」
青年は、「お話をきかせてください」
と言った。
猪子宮司は、驚いたが、顔を崩した。
彼を神社から少し離れたところの自宅に案内した。
男は鷲尾実吏(みのり)と言った。教会に生まれ、神父の父と音楽教師の母に育てられ、小学校の教師になった。行われている教育の根本に疑念を抱くようになり、日本の神をまつる神社に興味を持つようになった。こうして自分のもやもやをはらすために神社周りをはじめて十年になる。
宮司が玄関をあけると、茶虎と白の二匹の猫が待っていた。
実吏は二匹の頭をなでると、宮司に促されて、部屋にあがった。
「うちの猫はみなノラだった奴らで、茸採りに言ったとき、どこからともなく現れましてね、ついてきよりました」
「かわいいですね」
「まあ、一人ですから、こいつらがいると、気がまぎれますな」
その部屋にも三毛猫が丸まっていた。
「どうぞお座りになって」
実吏がテーブルの前に座ると、三毛猫が顔を上げて実吏を見た。
茶を入れながら宮司が話し始めた。
「この村は、ひどい過疎までにはなっていないのですが、やがてみな去っていくでしょう、多くの若い人たちは都会にいってしまい、村としてあわれな最後を迎えることになりそうなのですわ。この村にとっては大事で、そうなると、ご神体の箱を開けねばなりません、それを新しい宮司に頼みたいのですわ」
宮司は村の窮地におちいったときに、ご神体の箱を開ける言い伝えを実吏に話した。
「開けたら、村が元のようになるのでしょうか」
「どうでしょうか、天変地異を昔の人は、過疎化などとは考えてもいなかってでしょう。ただ、わしらにとっては、大事であることには違いありません、どのみち誰もいなくなるとなれば、この神社も終わりですので、開けることになるでしょう。ただ伝えられていることとして、宮司一人では開けることはできないのです」
「それはどうしてですか」
「豊穣の神は、作物だけではなく、人間が増えることも豊穣の一つとして、夫婦(めおと)が必要としたのではないでしょうかの。夫婦がそろって、開けねばなりませんのじゃ、わしゃ女房に先立たれ、その資格はないわけで、鷲尾さんのような方に宮司になっていただいて、いい嫁さんをめとってと、勝手に思ったわけですわ、勝手な妄想で申し訳ありませんね」
「私の家は教会で、父母がなんというか、資格をとるのも大変ですし」
「あ、それは、考えませんでしたな、キリストのお家でしたか、それでは無理は言えませんな」
「いや、自分は洗礼を受けているわけではありません、そのところは両親が子供には自由にさせるという考えでした。感謝しているわけです」
「そうですか、まあ、宮司になってほしいなどと勝手なことをいいましたが、それはさておいて、またこの村に訪ねてきてくだされ、赤網山は、山菜、茸がたくさんとれるところです、村には茸処があって、田舎料理だが、うまい茸料理を食わせてくれます、一軒だけだが民宿をやってる家がありますしな」
「ええ、今回は町の駅前のホテルに宿をとってありますけど、次はそうします」
猪子村には鉄道の駅からバスで一時間かかる。
「この神社の影はとても強かった、興味のあるものです、又よらせていただきます」
鷲尾実吏はバスの時刻まで宮司と話をして帰って行った。猪子神社を託したい人物だった。彼がどのように、どのくらい家族のことを考えるか、宗教をどう考えるか、それはわからない。猪子庄司はバス停に向かう実吏の後ろ姿を見送った。
それから一月ほどしたときである。猪子神社に女性の影が見えた。長い髪を後ろしばりで背にたらしている。だいだい色のカーデガンを羽織、丈の長いモスグリーンの巻きスカートをはいている。濃紺の底の低い革靴をはき、肩に掛けているのは黒いズックのザックである。
彼女は本堂の前で腰を折り、二礼すると、二拍し、また一礼をした。
そのときも、猪子庄司はその様子を境内を掃きながら見ていた。あの腰の折り方は一般の参拝客ではない。神社の知識がある。巫女の経験でもあるのだろうか。声をかけようかかけまいか迷った。
終わった彼女は後ろを振り向いて、そのまま猪子宮司のところにきた。
「いい神社ですね、豊穣の神を祀っているのですね」
猪子宮司はまさか向こうから話しかけてくるとは思わなかったので、ちょっととまどった。
「はい、三百年の歴史のある神社です」
「この村、今はすんでいる人が少ないようですね」
「そうですな、百人ほどですか、それももう老人が中心で、一番若いのが高校生です、その子が大学にいってしまうと、その両親が一番若くなりますな、それでも四十代です。その夫婦は両人ともこの村の出身で、家があったため、一時都会に降りましたが、もどってきています。高校の先生をしていて、車でかよっていますが、きりのいいときに高校の近くにいきたいようです、村長は六十九とその連れ合いが六十五になります」
「そうですの、でも、いいところですね」
「冬はちょっと雪が多いが、とても自然に恵まれています」
女性は瓜実顔の細い目で猪子宮司をみた。
「宮司さんでいらっしゃいますね」
「よくわかりましたな、作業服を着ているので、たいがい、神社の小使いですよ」
「息子さんも神主さんですか」
「いや、子供もいませんで、儂の代でおしまいになるかもしれませんな、儂も今年喜寿でしてな」
「私はこういうところで暮らしたいと考えておりました」
「だけんど、仕事はありませんぞ、国鉄の駅のある町ならば、何とかあると思うけどね」
女はとある大学の名前を言った。神主の資格がもらえる大学である。礼の所作が正式なものであったのはそのためであった。
「ほー、神主になりなさるのかね」
「ええ、今四年ですので、卒業したら修行に回りたいと思っています、一年でもここで学ばせていただけますか」
宮司が、目が飛び出さんばかりに驚いたのはわからないことではない。
「おお、そりゃうれしい、空き家があるので、そこを借りればいい」
「私、草平季野ともうします」
「どうですかな、ちょっと我が家で、神社のことなどお話ししましょう」
猪子神主は草平季野を自宅に誘った。
玄関を開けると、三毛猫と茶虎の猫がそろって待っていた。
季野は二匹の猫の頭をなでると部屋にあがった。部屋では白い猫が丸くなっていた。
猪子宮司は茶を入れながら、村の過疎化を嘆き、猪子神社に将来がないことを話した。
「でも、私はこういうところで、神社を守るのはすてきなことだと思いますわ」
「そう言う人が入るといいんだけんど、なかなか、つい昨日、神社めぐり千件めだという青年がきたんですわ、鷲尾実吏といいましてな、あとを継いでくれんかと期待しましたけんど、家が教会でした」
笑って、宮司は鷲尾実吏に話したことと同じことを季野に話した。
「ご神体を開けなくてもよいようにしなければならないのですね」
「そうですが、時代の流れですな、どうやって、この状態を止めたらいいのかわからんのです、この村にきても働く場所もありませんしな」
「この神社が要になりそうですね」
この女性はずいぶん猪子神社に興味があるようだ。
「本当にきてくださるのなら、将来この神社をお預けしてもいいですぞ」
「はい、ありがとうございます、まず、修行の場としてこさせてください」
「それは喜んで、お受けしますぞ、うちにある神社のゆわれなどか書かれた古文書をおかししますぞ」
「いえ、今読ませていただければ」
「たくさんありますので、今すぐ読むのはむりだと思いますが、どういうのがあるのかだけでもご覧ください」
猪子宮司は、書棚から、日誌のようなものと、古い木箱を季野の前に置いた。
「その日誌は父親や祖父が書いたもので、その木箱の中は、この神社が造られた頃の古文書ですよ、わしゃよう読めんので、理解しておりませんがな」
季野はまず日誌を開いた。何冊もある。特別なことがあったときに、宮司が書き記したものである。村の災害、結婚式、そのような日常のことがつづられていた。木箱をあけると、和綴じの本が何冊か入っていた。
「古いものですね」
「さっき申した通り、この神社ができた当時のもののようですな、わしゃ国文学をやったことはやったが、劣等生で、どうもな」
猪子宮司は細い目の周りにしわを寄せた。
「あ、やっぱりありました」
草平季野がうれしそうに一冊の和書をとりだした。
「源草子」と毛筆書きしてある。猪子宮司はそれをみると、「それは何でしょうかな、わしも気になって読もうとしたことはしましたがな、カタカナ書きのもので、漢字のものよりわかりにくいものでした」
「女の人が書いたお話のようです、おもしろそうですわ、わたし、神代のことを書かれた物語について、卒業研究を書いています、これ読ませていただきたいのですが、お貸し願えませんでしょうか、コピーをとってすぐお返ししますが」
「それなら、儂が役場でコピーをしたものがありますから、それを差し上げますよ」
書棚の引き出しから、宮司は茶封筒に入った源草子を季野にわたした。
「儂も読もうとは思ったんですがな、どうも続きませんでしてなお恥ずかしい、茸の話のようですわ、それが、毒茸を成敗したようなものらしいが、理解できませんでな、誰かが書いた物語かもしれませんが」
「そのようですね、おもしろそうです」
「自分が少しばかり理解したところでは、このあたりは、毒茸しか生えなくて、もっと食べられる茸が生えるようにとの願いから、この神社は建てられ、やがて、豊穣の神が祀られるようになったという話のようで、最初は毒茸封じということですな」
「おもしろい話ですこと」
「お住まいのことをお聞きしませんでしたな、どちらからいらしたのですかな」
「東京です、私の父は大学で文学を教えていました」
「そうですか」
しばらく話をした後、草平季野は、いくつかの古文書ももって帰って行った。すぐに礼の葉書がきたが、それからしばらく季野からは連絡がなかった。
次の年の春になると、草平季野から手紙が来た。
『ご無沙汰しております、どころではなく、あれから全く連絡もせず、大変失礼いたしました。大学も無事卒業し、神主としての資格もちょうだいし、見習いとして、猪子神社にいきたいと思い準備を整えましたので、連絡を差し上げた次第です。
おかしいただいた、カタカナの古文書コピーは、茸を飼い慣らした人間が、毒茸を諭し、箱に入るように促し、封じ込んだと言う逸話がかかれているものでした。箱の中には毒茸が棲んでおり、天地異変には飛び出すかわりに、その異変が人に害を及ばないようにする役目をになったということです。毒茸が人間を救います、しかし、ふたたび、その村は毒茸に覆われるようになるでしょう。そんな話でした。
お話したように、猪子神社で修行をさせていたくため、改めてご相談に伺いたいと思います、ご都合をお聞かせください』
とあった。猪子宮司はおもしろい話だと、感心もしたが他愛ない話だと少しばかり鼻じらんだ。もっと重々し話が書かれているものと期待していたからだろう。
それよりも、彼女が一時でも神社にきてくれるなら、それは喜ばしいことで、周りにも大いに宣伝になると考えていた。そこで是非きてほしい、近くの空き家を住みやすいようにしておくと返事を書いた。彼女から電話があり、下見に来るということだった。
その日、草平季野は小さな車を運転して村にやってきた。猪子宮司は知らなかったが、ミニクーパというイギリスの車で、しかも古いもの、ヴィンテージものという貴重なものだったのだ。宮司は古ぼけた車だとしか思わなかった。
季野は用意された家を見ると、ずいぶん気にいって、宮司とそれからの予定を話し合った。
その二週間後、引越荷物が季野の住む家に運び込まれ、次の日になると、季野はもう神社の掃除を始めた。Gパン姿で、砂ですすけていた柱や壁を洗い、社の中の床を磨き上げた。
「綺麗にしてもらって、たすかりますなあ」
こまめに掃除をしている季野に猪子宮司が声をかけた。
「夏祭りを再現してもよろしいでしょうか」
季野はご神体の箱を乾拭きしながら振り返って宮司を見た。考えてもいなかったことなので、しかもいきなりで驚いたが、返事をする前に、季野が「大昔は、この神社の前で、豊穣の祭りがあったとありました」と言った。
「そうですね、儂の時代には秋祭りが、役場の前で行われましたが、もうそれもなくなって何年になるか、なにせ、人がいなくなっちまったから」
季野は手を休めた。
「町や県、それに東京から人が集まります」
「こんな小さな神社じゃ無理じゃろう」
「この神社の、茸踊りを復活させ、茸万歳も行います」
「なんですか、それは」
「お借りした、古文書に茸踊りと茸万歳のことがでていました。男が茸踊りをするのです、腹踊りと似たところがありますが、ふんどし一つで踊るのです」
「そりゃまた」
「それに、毒茸と食茸に扮した女が、声を掛け合っておどるのです」
「どのような格好をするのでしょうかな」
「毒茸は頭に赤いずきんをかぶり、上半身に真っ赤な食紅を体に塗って、食茸は茶色のずきんで、茶色の粉を体に塗ります、上半身は裸です」
「うーん、昔はおうようでしたが、今はそのようなことはできませんな」
「そうですね、赤と茶色の長い布を頭からかぶるのもいいかもしれません、その辺はアレンジしないと、茸踊りもふんどしではなく、茸の絵が描かれたパンツでもはくのがいいかもしれません」
「おもしろいことはおもしろいですけどなあ」
「茸の土器、茸の土製品というのをごぞんじですか」
「縄文の遺跡などからでる茸の形をした焼き物ですな、食用茸に似ているとか」
「はい、豊穣への感謝、祈願なのだと思います」
「この神社では、豊穣だけではなく、子孫繁栄の祈りのために、茸踊りと、茸万歳が行われたのではないでしょうか、それを復活させたら、この村もまた豊かになっていきませんか」
「そうですな、だけど、この村にはもう老人しかいませんからな、演じるものがおりませんじゃ」
「こう言った、古い儀式に若い人は興味を持っています、若い人が演じて、若い人が見に来るようになれば、ここに住みたいという人も出てくるでしょう」
「そうなればうれしいことですな、あと十年もすると、本当に、ここの人たちはだれもいなくなるかもしれませんからな、わしだって、生きていれば九十近くになる、ここにはいませんな」
「誰もいなくなったときには、神社にとって大事ということです、ご神体の箱をあけることになるのですか」
「そういうことですな、それでなにも起きないなら、神社の役割も村も終わりということになります」
草平季野は本気のようだ。
「世の中変わりますからな」
それから、猪子宮司がおどろくほど、季野は動き回った。神社の仕事はもちろんだが、車を駆使して、しょっちゅう東京の方に出かけていった。時々、若い人たちが季野の家を訪ねてきて、泊まっていくこともしばしばだった。そのときは必ず神社に若者を案内し、宮司が神社にいるときは紹介をした。大学のサークルの学生だったり、時には歴史の研究者を連れてきたりしてもいた。
季野は本当に、猪子宮司をたてて、村長に話しに行き、日取りを決めたり、奉納のための茸や野菜の手配をした。
話は村にすぐに知れ渡り、老人たちは何でもすると名乗りをあげた。
このあたりでは九月になると、寒さを感じるようになる。祭りは九月の中ごろに決まった。そのころ、神社に若者たちの姿が見られるようになった。年の頃二十前後。季野は猪子庄司に、大学の演劇部の学生がきて、祭りの下準備をすると言っていた。学生たちは朝早くから、神社の境内の草むしりやら、社の脇に舞台づくりを始めた。村の老人たちも手伝い始めた。大工の心得のある老人は若者に舞台の基礎の作り方を指示した。
猪子宮司もかなりの早起きで、神社に手を合わせにいく。すると、もう二、三人の若者がきて、なにやらやっている。季野はきていない。
「おはようございます、宮司様」
とだれもがにこにこと挨拶をする。いい子たちばかりだ。話す言葉が今風ではない。神学の学部の学生のためだろうか。
「季野さんはまだきていないのじゃな」
一人の学生に尋ねると、
「いえ、もうきてますよ、仲間と一緒に山に行っています」
と裏山を指差した。
「なにしにですかな」
「茸たちを見に行っています、茸のことを知らなくては、茸踊りや、茸万歳はできないからということです、わたしたちは昨日行きました」
一人の女の子はそう答えた。
猪子宮司は季野のすることに口を挟まなかった。若い人には若い人の考えがある。大事なことは、この神社や村がいつまでも続くことだろう。
「よろしく頼みます」
宮司はすでに掃き清められている境内を見回し、自分がしていたことがもうなされていることに、ちょっぴり寂しさを感じながら、家に戻ると猫たちと朝御飯を食べた。
祭りの日になった。
いつの間にやら、境内にたこ焼きや綿飴の屋台ができていた。
村長がきて、綿菓子をもって、季野がなにやら説明をしている。
「村長さん、彼らは大学祭で、屋台をやっているので慣れているのです」
何処の大学でも、大学祭というと、たくさんの屋台が学生の手で運営される。よく知っているわけである。
「若い人はいいですな」
村長は嬉しそうに、たこ焼きの屋台に行った。
猪子宮司は関係者の座るテントの椅子に腰掛けてぼんやりと、様子を見ている。
村に残っている自分に近い人たちはほんの一握りだ。畑野のじいさんも、高橋のばあさんも、数野の夫婦も、みんな、ござを敷いて、舞台の前で始まるのを待っている。
いつの間にこの村はこうなったのだろう。
そこに神父のかっこうをした男が現れた。
「猪子宮司さん、よかったですね、いい跡継ぎができたようですね」
はじめ、猪子宮司は鷲尾実吏とわからなかった。思い出すのに、間があった。声の調子でわかったのだ。
「鷲尾さんですか、いや久しぶり、祭りにきたんかね」
鷲尾実吏の神父の格好はいたについていた。
「ええ、隣町の方の教会に越してきましてね、教会つとめと、小学校の先生をはじめたところです」
隣の町に教会があったかどうか、猪子宮司は思いださなかった。
「神父さんになられたんですか」
そう言って、彼の家は教会だったことを思い出した。
「季野さんに、祭りにきてくれといわれまして」
「ほー、知り合いでしたか」
「はい」
「それはそれは」
季野もやってきた。
「猪子先生、今日は実吏さんと万歳をやります」
季野は最近、猪子宮司のことを先生と呼ぶ。
「どこで知りおうたんですか」
「裏の森の中ですの」
猪子宮司はだいぶ耳が遠くなっている。上野森の中ときこえた。上野の駅のほうかとも思った。
「茸踊りが始まります」
そう言うと、季野は社の方に消えた。いつのまにか実吏もいない
仮ごしらえの舞台の上で、ふんどし一つの男たちが、腰を振って踊り始めた。どこからか、笛の音と太鼓が聞こえてくる。カセットテープでも回しているのだろうか。
ぴぃひゃらり、ぴひゃらり、数人の男たちはふんどし姿で前を向いて、腰を前後に揺らすと、見ている村人らが、もっと元気にやれ、とか、なんだ、もっとぴんとはれ、とかちょっと卑猥な声がかかる。これが茸の舞なのかと、猪子宮司は舞台の真ん前で見ている。
後ろにはたくさんの村人が、わさわさ揺れながら声をかけ、笑い声をあげている。
村が元気になった。
笛の音がやむと、今度は別の男たちと、女たちが舞台にあがってきた。男はやはりふんどし姿、女たちは赤い腰巻きだけだ。皆若い。劇団の人たちなのだろうか。
また、笛の音と太鼓の音が鳴り始めた。
男女二人が、向き合って、腰を突き出したり、引っ込めたりして、踊りだした。
これも、茸の舞なのだろうか。女たちは乳を揺らして、尻を前後に揺らす。次第に激しくなると、男たちを腹ででんとついて、舞台から落とした。その後、女たちは、舞台の上で輪になって踊った。
猪子宮司は女が毒茸で、男が食菌であることがわかった。赤い腰巻きの毒茸が食菌をいなくさせてしまったのだ。
巫女の格好をした女と、神父の格好をした男が舞台に上がった。季野と実吏だ。季野は赤い頭巾をかぶり、赤い袴ははいているが、上半身は裸だ。しまった小降りの乳房をみた猪子宮司は驚きのあまり、体が固くなった。神父の格好をした実吏を宮司がみた。下半身はなにも着けていない。若い陽物がそそりたっている。
「これじゃ」
季野が木の箱を実吏に渡した。
ご神体だ。
「そうか、これを壊せばいいのだな」
実吏は箱を受け取った。
「そうじゃ」
「どのように壊せばいいのじゃ」
掛け合いが始まった。
「石で割るか」
「石ではだめじゃ」
「ではどうする」
「鍵穴があるか」
実吏が箱を左右上下から眺める。
「ないなー」
「でわ、わたしが、つくろう」
季野が箱を受け取ると、右の乳首にあてた。当てたところに穴があいた。
「ほら、鍵穴があいたぞ」
「だが鍵がない」
「おまえ様の前にある」
「おお、これか」
実吏は、自分の陽物を指さした。猪子宮司の後ろから、やれーやれー、と声が聞こえた。
季野の乳首があけた木の箱の小さな穴に、実吏が陽物をふれさせると、陽物はすーっと穴の中に滑り込み、舞台の上では季野と実吏が折り重なり、木の箱から、しなびた茸がころりと、舞台の上にころがりでた。
猪子宮司はその情景が次第に小さく、黒い点になっていくのを見ながら、静かに目を閉じた。
猪子宮司が猪子神社の境内で倒れているのが発見されたのは、町の消防団員の人が猪子神社に巡回にきたときである。数日に一回は町から、猪子村に最後の一人として暮らしている猪子宮司を訪ねてきていた。
猪子宮司は病院に運ばれたが、すでに息はなかった。ただ宮司は村を守りきった安堵の顔であった。
鷲尾実吏は何年ぶりかにこの地をおとずれた。駅を降りると、猪子村に行くバス停の脇を通り過ぎ、タクシー乗り場に行った。
タクシーに乗ると町のはずれの会館に行った。猪子庄司宮司の葬儀にでるためだ。宮司が亡くなったことを、偶然に知ったのだ。この町のホームページをのぞいたら、猪子村に最後まで残っていた猪子宮司のことが書かれていた。それで、町の役場に電話を入れたのである。
会場はかなりの人で座るところがなかった。椅子席の後ろで始まるのを待っていると、女性が後からは入ってきて隣に立った。
神主の祝詞が終わり、献花をすますと外にでた。
これからどうするかと、会館の入り口付近で立っていると、先ほどの女性が会場から出てきて、実吏のところにきた。
「もしかすると、鷲尾さんではありませんでしょうか」
はじめて見る女性である。
「そうですか」
「私、草平季野と言います、神奈川の神社で神主をしております」
実吏はちょっと驚いた。なぜ自分を知っているのだろう。
「私、一年間、猪子神社で修行させていただきました、鷲尾さんが千件目にあの神社に訪れたこと、宮司さんから聞かされていました、背の高い好青年だって、ちょうど、私が訪ねた一月前にいらしたようですね」
「そうだったのですか、私はそのとき以来今日がはじめてです、もっと早く連絡すればよかったと悔やんでいます」
「私は年に一度くらいは宮司さんのところにきていました、お亡くなる二日前に電話でお話ししましたのよ、そのときはお元気でしたのに」
「ご神体のことはお聞きになっていると思いますが、私気になりますので、これから神社に参ります」
「バスですか」
「いえ、車で来ています、もしよろしかったら、どうですか」
願ったりかなったりである。実吏は季野の青いフィガロに乗った。
二人はもうだれもいなくなった猪子村に向かった。
神社はまだきれいなままであったが、茸が境内の至る所に生えていた。
「今年は茸が多いようですね」
季野が社のまえで、祝詞をあげ腰を折った。実吏が社の正面の扉を開けた。
二人が中にはいると、ご神体である箱がゆかに転がっていた。
箱は石で壊されている。中には干からびた茸が一つ残されている。
猪子宮司がこわしたのだろう。
二人は社の中を見回した。天井にも壁にも、真っ赤な茸がたくさん生えている。
「村人たちが戻ってきたのですね」
季野がつぶやくと、実吏もうなずいて季野と目を会わせた。
「裏の森に行ってみますか」
実吏が季野をさそって、茸しかいない森の奥へと入っていった。
宮茸