生け花

 せんせい。
 半身が、のっとられました。みぎがわ。なまえもしらない、植物に。朝に、花を咲かせて、夜にかけて、萎れていきます。
 いたみは、ありません。かなしいきもちだけが、あります。ああ、ぼくは、にんげんではなくなったのだと。せんせいとおなじ、にんげんでいたかったのに。にんげんでありたかったのに、ぼくはかくじつに、にんげんではなくなっている。
 恋と、愛が、融解しても、幸福にはなれないようです。
 おかあさんにおしえてもらいました。おとうさんがいなくなったので、たぶん、そういうものだろうと思うのです。だれかに恋をしても、だれかを愛しても、では、そのだれかがかならずしもぼくに、恋するわけでも、愛してくれるわけでもない。たとえば、ふたり、つうじあったとしても、その恋が、愛が、永遠につづくのでもない。ひとの心は、わりとかんたんに、うつりかわるのだと、おかあさんではないひとと手をつないで歩いているおとうさんをみて、わかったのでした。おかあさんは夜空をみあげて、母星にかえりたい日もあると言います。根か、茎か。からだのなかを、ゆっくりと、じわじわとはえてのびる、植物の感覚に、おかしくなりそうな夜が、ぼくにもあります。気が狂う、とは、こういう感じなのかもしれません。

 せんせい。
 ぼくの花を摘み取るのは、せんせいがいいです。
 せんせいしか、だめです。
 ぼくの血と、肉と、細胞と、他さまざまな、体内の、ぼくという生きものをつくっている、要素とおなじ成分を含んでいるであろう、花を、せんせいの部屋に一生、活けておいてほしいです。
 きょうも、ぼくはそんな願いを胸に、おわらない冬の街の、なみだがでそうになるくらいうつくしい夜景を、丘の上の公園から眺めています。

生け花

生け花

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-25

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