傷口

 澄んでいる。骨が、ひしゃげる音がして。亡霊がみえる。午後八時の、空想劇の閉幕に、つくられたひとびとの拍手喝采に、だれにもゆるされない恋愛に、夜ごと現れる片脚のない獣の鋭い爪が、ぷつり、と、くいこむ。
 知らないでいたかった。なにも。
 とくに、感情。厄介なものを内蔵させたものだと、ときどき、神さまをうらむ。
 すこし冷めたパンケーキのうえで、バターのかけらはむなしく、すべる。いちごジャムを、これでもかというほどのせて、ナイフではなく、フォークで切り分けるために、がたがたの断面になるのも厭わない。ノエルが、星のいけにえになった朝のことを思い出してみても、どこかフィクションめいていて、あれはやっぱり夢だったのではと疑いたくなる日もある。風船が割れるみたいに、かんたんに、こわれるのだ。透明な水のなかで、長い年月をかけて、熱を失いかけている太陽が、切なく揺らめいて。ゆらめいて。
 星の使者に手をひかれて、星の体内にとりこまれた、ノエルの代わりに、きみはやってきた。
 言語も、常識も、理性も、きみにはなく。けれども、おなじ、生きている同士、命は平等であると、ぼくは思うので、きみをうけいれて、きみの血と、肉をつくり、きみはぼくの、なによりもたいせつなひとになったね。
 だいじょうぶ。
 ぼくと、きみの、ふたりならば。
 すべてが破裂して、中身があふれだしても。

傷口

傷口

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-24

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