わたし

 もう一人の私と目が合った。まるで私のことを睨んでいるような、そんな目だった。
 
 そこで目が覚めた。よかった、夢だった。ホッとした私の鼻を、朝ご飯の良い香りが撫でた。同棲している彼が珍しく私よりも早く起きて作ってくれているのだろう。冷たい床に足を下ろしダイニングまで歩くと、彼が「おはよう」と話しかけてきた。私は「おはよう」と返し、こたつに入った。うちではこたつでご飯を食べる。
 「こたつ入ってないで、こっち手伝ってよ」
彼が笑いながら言う。私もふふ、と笑いながら
「ごめん」
と言い立ち上がった。こんなに幸せでいいのだろうか、そう考えながらキッチンに立つ彼の元へ急いだ。彼が渡してくる目玉焼きやトースト、サラダの乗ったプレートを受け取り、こたつに持っていく。おしゃれなモーニングプレートとこたつはなんだかミスマッチだ。
 朝ご飯を二人で食べる。笑いながら、話しながら、ゆっくりと時間をかけて朝の時間を過ごす。そう、今日は二人揃って仕事が休みなのだ。二人ともシフト制の仕事をしているのでなかなか休みが合わないのだが、たまにはと休みを合わせ出かけることにしていた。シフト制ならではの平日休み。まだ出かける先は決めていなかったのだが、ショッピングにでも行ってみようという話になりお互い準備を始めた。
 服を着替えメイクをしながら、私はあの夢を思い出していた。もう一人の私が私を睨んでいる夢。なんとも奇妙な夢だ。鏡があるわけでもなく、私が目の前にいた。私が恨みがましく私を睨んでいるなんてどういう意味がある夢だったんだろうな。普段はあまり夢の意味なんて気にしないのに、どうしてこんなに気になるんだろうと思いつつも、私は準備を急いだ。彼の準備はもう終わっているらしくこたつに入ってくつろいでいた。

 準備が終わり、彼に声を掛ける。さて、と腰を上げ、順番に玄関で靴を履き家を出た。今日は新宿で買い物をする予定だ。電車に乗るために駅へ向かう。新宿までは二回ほど乗り換えをしなければならないので少々面倒なのだが、道中も楽しいのであまり気にならない。二人で駅まで歩き、電車に乗った。
 新宿に着くと、いつも行く大きな本屋に向かって歩き出した。私たちは二人とも本の虫なので、ここは二人の一番のデートスポットなのだ。まず雑誌コーナーを二人で眺め、小説コーナーを物色する。漫画コーナーでわいわいと話しながら歩きまわり、洋書コーナーで独特の香りを楽しんだ。各々気になった本を買い、チェーンのカフェに入った。彼はアイスコーヒー、私はカフェラテを頼み席に着いた。これからは読書の時間だ。時々話しつつ本を読む。私は、なんとなく気になった小説を買った。読み進めていくと、あることに気がついた。
 「あの夢に似てる。」
 ぼそっとつぶやいた。彼には聞こえていなかったようだ。私は面食らっていた。今朝見たあの夢に、小説の内容が酷似していたのだ。ドッペルゲンガーが出てくる小説で、そのドッペルゲンガーと出会った主人公はもう一人の自分に睨まれる。あの夢はこの小説に出会う暗示だったのかもしれない、ただそれだけだったんだ、と少しホッとした。怖かったから。

 本を読み進めていくと、もちろんいろいろなことが起こる。ドッペルゲンガーに出会った人は死ぬと言われているが、この小説ではそんなことは今のところ起きていない。
 半分くらい読んだところで、私たちはショッピングに戻ることにした。そもそもショッピングに来たのだということをすっかり忘れていた。カフェを出て駅のファッションビルに入り今度は服を物色する。私はとあるお店にディスプレイされていたベルト付きのワンピースを気に入り試着、購入することにした。私はもう少し見たかったのだが彼は本の続きが気になって仕方がないようで、先に帰ってもらうことにした。駅の改札まで見送り、今度は百貨店のコスメフロアへ。キラキラしすぎない、職場でも使えるアイシャドウはないかと探していると素敵な色を見つけたのだが、やはり少々高い。これはまた今度にしようと思い、百貨店を後にした。

 私もそろそろ帰ろうと思い駅に向かう。すると、前に見覚えのある服を着た女性が歩いていた。そう、あれは私が昨日着ていた服だ。私はゾッとした。そっと後をつけてみると、私が乗る予定だった電車に乗り込んでいく。私も同じ車両の違うドアから乗り込み、様子を覗った。彼女は、私がいつも乗る電車に次々乗っていく。とうとう最寄りの駅に着いてしまい、恐怖に震えながら私は家に帰る道中で彼女に話しかけることにした。
 「あの、すみません」
 彼女が振り返る。そしてまたゾッとした。私だった。向こうは驚いた様子もなく、こちらを見ている。そして、なぜか一言も発さずにこちらを見ている。
「あなたは何者ですか?」
 そう聞いても、彼女は黙ったままだ。困っていると、彼女の顔が歪み始めた。睨まれている。彼女は私の顔で私を睨んでいるのだ。
 しばらく睨まれていると、逆に冷静になってきた。だって、夢と同じなのだから。私って、睨むとこんな顔してるんだ。そんなことを考える余裕まで出てきた。これからどうしようかな、そう考えていると、彼女は私から目を逸らし家の方に歩き始めようとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて止めると、彼女は一応止まってくれた。しかし、やはり私を睨んでいる。少々怯んでしまうが、ここで引くわけにはいかない。
「あの家は私の家。あなたの帰る場所じゃないでしょ。あなたは自分の家に帰って。」
そう伝えると、途端に彼女が話し始めた。
「あの家は私の家で、あなたの家じゃない。彼だって私のものだ。」
彼って、彼のことか。どうして。彼は私のものなのに。あの幸せな時間だけは奪われるわけにはいかない。
「あなたはもしかして、私の夢から出てきたの? 私が夢の途中で起きちゃったから、出てきちゃったんでしょう。ね、そうなんでしょう。それなら、また私が寝た時に夢に現れて。そこで話しましょう。」
そう説得すると、彼女は渋々といった感じで引き返していった。後ろ姿を見送っていると、彼女はふわりと消えてしまった。

 私は死んでしまうんだろうか、そう思った。ドッペルゲンガーに出会ってしまった人は死ぬ、というのは有名な話だ。出会うだけでも死んでしまうというのに、私は話までしてしまった。遺書でも書いておこうかしら。特に残したい言葉はないなあと考えながらやっとの思いで帰路についた。
 家に帰ると、彼は本を読んでいた。そうだった、私には彼がいた。遺書を書くなら、彼に言葉を残さなければ。彼が本に夢中になっている間に、私は遺書の代わりになるよう便箋に彼への言葉を並べた。愛しているよ、でも私が死んだら私のことは忘れてね。そんな月並みなことを書き並べ終えると、腹の虫が鳴った。そういえばご飯まだだったっけ。彼に声をかけてご飯にしよう。ご飯どうしようかな、と考えながら、便箋を封筒に入れ私のカバンに忍ばせた。ここなら、私が死んだとき真っ先に見つけてくれるだろう。

 夕飯はデリバリーでインドカレーにした。二人してナンをちぎりカレーにつけながら食べていると、彼が神妙な顔をしてナンを皿に置いた。彼は、
「今日、昨日着ていた服を着ている君を見たんだ」
と言う。ああ、彼も見てしまったのか、もう一人の私の姿を。
 「そりゃびっくりだねえ、人違いじゃない?」
そう言って誤魔化そうとしたが、彼は見たと言って譲らない。いくら気のせいだと言っても聞く耳を持ってくれないので、深入りはせず
「そうだったんだ、怖かったね」
と収めた。そして、やっぱり彼女は実在していた、私以外にも見えていたんだと思うとやはり怖くなってきた。

 寝る時間になっても、私はなかなか寝付けなかった。またあの夢を見たら、また彼女に出会ってしまうかもしれない。そう思うと、怖くなってなかなか眠れないのだ。隣で寝ている彼の寝顔を見ながら、ごめんね、と呟いた。先に死んでしまうかもしれないから。眠れないので寝返りを打っていると、あの小説のことを思い出した。そういえば、まだ読み終わってなかったな。そう思い、続きを読むことにした。そっと寝室を抜け出しダイニングの電気をつけ、こたつのスイッチを入れた。こたつに入ってゆっくり小説を読んでいると、とある文言が目に入った。
 『私はドッペルゲンガーに直接対決を仕掛けた。』
 え? ドッペルゲンガーに勝負仕掛けるってありなの? やってみようかな? そんなことを考えていたらだんだん恐怖心は薄まり眠くなってきた。そのままこたつで寝てしまい、気が付いたら朝だった。

 朝、私は決意した。ドッペルゲンガーにまた出会ったら、今度はもっとちゃんと立ち向かおう。今日は仕事なので、夜遅くなることは決まっている。出会うとしたら帰り道だろうか。私が昨日着ていた服を着ているんだろうか。そう考え始めると、なんだか楽しくなってきた。私は支度をしていってきます、と声をかけ家を出た。
 仕事に向かう道中で出会ったら遅刻するなあ、と考えていたが、無事職場に到着した。少し拍子抜けしたが、安心もした。多分、今日も帰る時間くらいに現れるのだろう。私は仕事に集中することにした。

 無事仕事が終わり、帰路につく。少々緊張しながら駅までの道を歩いていると、また前に見覚えのある服装の女性が現れた。間違いない、彼女だ。私はまた後をつけた。案の定彼女はまた家の最寄り駅で電車を降り、家の方向に向かっていく。私は走って追いかけ、彼女に追いついた。
 「ちょっと!」
と彼女に話しかけると、彼女はまた驚きもせずに振り返る。こちらに向き直り、また私を見つめてくる。どんどん睨んでいるような形相になってくるが、もう二回目なのであまり怖くはなかった。
「今日という今日は許さないから。」
そう彼女に宣戦布告をすると、彼女はニヤリと笑った。これには少々怯んだが、ここで引くわけにはいかない。私は着ていた昨日買ったワンピースのベルトを彼女の首にかけ、思いっきり締めた。苦しそうな彼女の顔を見ると紐を緩めてしまいそうになるので、できるだけ顔を見ずに締め続けた。しばらくすると彼女の抵抗がなくなり、ぐったりとしてきた。よかった、これで私は死なずに済む。私はそのドッペルゲンガーの死体をしばらく眺めていたが、眺めていたら昨日のように突然ふわりと消えた。

 私はカバンに入れておいた遺書をびりびりに破いた。

 もう一人の私が後ろからワンピースのベルトを持って近づいてきていることにも気付かずに。

わたし

わたし

大どんでん返し。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-21

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