桜の花が咲く頃

初めて書いた小説です。お手柔らかにお願いします。

 大きな荷物を持ってドアを開けた私の後ろから、何かが小さく聞こえた。
 「今までありがとう」
 この呟きをもって、私たちの関係は終わった。付き合って三年半、一緒に住んで二年。長いような短いような、微妙な時間だ。
 大好きだ、愛してる。そんな言葉を最後に聞いたのはいつだったろう。そんなことを考えながら、呟きには応えずに私は部屋を出た。とりあえず、急いで契約した新居に行こうと駅に向かう。思い出の詰まった家具などは引き取っても辛いだけだから、全て置いてきた。そんなものあいつが使って辛くなればいい。ならないだろうけど。
 こんな感傷的な気分になっている時に限って、空は晴れ晴れとしている。私を振ったあいつの気持ちはこれくらい晴れ晴れとしているのかもしれないけれど、こういう時くらい雨にでも濡れたかった。もう私のことを好きになってくれる人なんていないかもしれない、そんな月並みなことを考えながら歩いていくと、そういえばもうこの景色は見ないんだよなと気付いた。もうこの駅では降りないだろうし、もちろんあいつと住んだあのアパートまでの道を辿ることもない。そう思うと、今歩いている道がなんだか貴重なような気がした。

 電車に乗り、新居のある駅で降りる。もう契約は済んでいて鍵ももらっているので、まっすぐマンションに向かった。今回住むのは、オートロックのついたセキュリティのしっかりしたマンション。女一人で住むのだから、と、セキュリティ面は重視した。オートロックを開け、部屋のドアと向かい合った。ここが、今日から私の城だ。そう思うと、少しワクワクしてくる。電車に乗るまでの感傷的な気分とは大違いだ。
 とにかく、私はこれから家具家電を全て一から揃えなくてはならない。どうせなら気に入ったものばかりを揃えよう。早めにベッドが欲しいなと考えていた私は、まず家具屋を探す。この近くに素敵な家具屋さんはあるだろうか。しばらくスマホで検索してみたところ、どうやら電車で何駅か行ったところに可愛らしいお店があるようだ。早速行ってみることにした。
 
 ここが、私が気になっていた家具屋。ちょっと古そうで、でも可愛らしいものが多そうな私好みの店だ。しばらく外観を眺めていると、中からエプロンをした若い男性が出てきた。
「いらっしゃいませ。中へどうぞ。」
 いきなりのことだったので少々面食らいつつ、中に入ってみる。中もとても可愛らしい店だ。しかしあの店員は無愛想だな。
「ベッドはどこですか?」
と聞いてみると、ベッドは奥にあると教えてくれた。無愛想だ。ひとまずベッドを見るため、店の奥まで進んでみた。奥に辿り着くまでにも、テーブルやソファなど素敵な家具が揃っている。この店は大当たりかもしれない。私は素朴な家具が好きなのでそういったものを求めてベッドを物色する。すると、目に止まったベッドがあった。
「あ、これ素敵……。」
思わず声に出してしまったので、先ほどの無愛想な男性店員がこちらを見た。こちらに向かってくるわけではないのだが、少し気まずい空気が流れたので思わず目を逸らした。マスクをしていて表情もあまりよく見えないので、どう話しかけたら良いのかさっぱり分からない。そういえば、あいつと同棲を始めたときもこうやって家具を見に出かけたな。

 「私、あのベッドがいい」
あのときも、私は自分好みのベッドを見つけた。二人で一緒に寝たくて、ダブルベッドを選んだ。でもあのとき、あなたは言いましたね。
「あれじゃ大きくない? 一緒に寝るわけじゃないんだからシングルでいいじゃん。」
あれ? 一緒に寝るんじゃないんだ。そう落胆はしたもののそれを見せたくなかった私は、
「あ、そっか。じゃあ別のにしよう」
と平気なフリをした。今思えば、あのときから少しずつ、少しずつズレは生じていたのかもしれない。

 私はそんなことを思い出しながら、目の前にあるベッドに向き直る。やっぱり素敵だ。今回は、私の選んだベッドに文句を言う誰かさんはいない。そう思ったら、別れて悲しいと思っていた気持ちも少し晴れた。これが開放感というやつなのかもしれない。これにしよう、と決めた。
「あの、これください。」
あの無愛想な店員に恐る恐る声をかけると、かしこまりました、とこちらに向かってきてくれた。ちゃんと仕事はしてくれるようで、テキパキと配送の手続きまで済ませてくれた。とりあえず、今日はベッドだけでいい。素敵だと思ったテーブルやソファはまた今度にしよう。家電も見に行かないといけないし。引っ越しというのは何かとお金がかかるものだ。

 数日後、ベッドが届いた。やっぱり可愛い。ベッドは毎日体を預ける場所なのでこだわりたかったというのもあり、とても満足感のある買い物だった。この数日の間に用意しておいたマットレスや掛け布団、枕などをセッティングすると、どさっと仰向けに寝転がってみた。気に入ったベッドに気に入った布団や枕。とても気分が良かった。しかし、こんなに素敵な気分の時にもあいつと別れた事実が邪魔をしてくる。あぁ、同棲を始めたときもこうして二人でベッドメイクをして寝転がったな。そんなことを思い出したのも束の間、好きなベッドを選べなかったことや一緒に寝たいと思っていたのは自分だけだったのだということまで思い出してしまいブルーな気分になる。あの頃の私はあいつのことが全身全霊をかけて好きだったのに、あいつはそうじゃなかったんだと思うと怒りがふつふつと湧いてくるのだ。
 
 ふつふつと湧いてきた怒りも、気に入ったベッドで寝て起きた翌朝にはすっかりなくなっていた。今日からは、ここから仕事に行かないといけない。どうせ一人で住むのだからと職場から近いマンションにしたので、今までよりもゆっくりと寝ていられる。来たばかりの新居なので少し早く目覚めてしまい、それならと美味しい朝ごはんが食べたくて材料を買いに出ようとしたとき、思いとどまった。早めに準備を済ませて外で食べてしまおうかな。職場の近くでご飯を食べて同僚に見られたら少々気まずいので、電車に乗って適当な駅で降りてみることにした。
 たまたま降りたのは、あの家具屋がある駅だった。なぜこの駅で降りたのかはよくわからなかったが、あのおしゃれな家具屋があるならおしゃれなカフェもあるかもしれないと探す。あのお店の前を通ると、例の無愛想な店員が出てきた。彼は私のことを覚えていたようで、軽く会釈をしてきた。会釈を返し、今日のところはカフェ探しを続けよう。と思った途端、彼が
「朝早いですね。」
と話しかけてきた。驚きを隠せず固まっていると、
「朝ごはんですか?」
と続けて話しかけてきた。かろうじて反応し、
「そうです、けど……」
と返すと、
「この道を真っ直ぐ行ったところに、美味しいパン屋さんがありますよ。店内で食べられるので朝ごはんにおすすめです。」
と教えてくれた。この人、こんなに話すタイプだったのか。
「ありがとうございます。行ってみます。」
そう返すと、彼は会釈をして店の中に戻っていった。無愛想なのかそうではないのかがあまりに読めない人だ、と思いながらそのパン屋さんを目指して歩き始めた。

 教えてくれたパン屋さんのパンは、とてもおいしかった。パンだけではなく、一緒に頼んだカフェラテもおいしい。色々なパンがあるので全制覇したくなってしまったが、今日のところはお腹がいっぱいになったのでまたにすることにした。お気に入りのお店ランキングのかなり上位に食い込んだ。
 カフェラテを飲みながらゆっくりしていると、そろそろ出ないといけない時間になっていた。会計を済ませ外に出て会社に向かって足を進めた。

 会社では滞りなく仕事を済ませ、帰路についた。外出先から直帰だったので、早く上がれた分残りの家具を見てみようとあの店に向かった。店に着くと、もうすぐ閉店時間のようで片付けの準備をしていた。準備をしていたいつもの彼と目が合うと、彼は
「どうぞ」
と私を引き入れてくれた。私は少し申し訳ない気持ちを持ちつつ、次の休日までまだ日があることを考え入れてもらうことにした。ふと名札を見てみると、そこには「桜庭」とあった。そういう名前だったのか、そう思いながら家具を物色する。部屋にはまだベッドしかない。テーブルも椅子もほしいし、あそこにあるドレッサーも素敵だ。まずはテーブルと椅子を探す。そうして色々と見ていると、桜庭という店員がまた話しかけてきた。
「何をお探しですか?」
 私は
「テーブルと椅子を探しているんですが、どこにありますか?」
と返す。そうすると彼は、「こちらです」とテーブルと椅子があるコーナーまで連れて行ってくれた。この店は意外と広いんだな。「ありがとうございます」と会釈をし、たくさんのテーブルに向き直る。すると、ピンとくるテーブルと椅子のセットを見つけた。これにしようかな、そう思い彼の方を見るとまた気づいてこちらに向かってきてくれた。この人はすごく気のつく店員さんだ。
「お決まりですか? 早いですね、ベッドの時もそうでしたけど。」
「即決タイプなんです。よく覚えてらっしゃいますね。」
 そんな会話をしながらレジに向かい、カードで会計を済ませた。だが、あのドレッサーがやっぱり気になる。
「やっぱり、もうちょっと見ていきます。」
 そう伝えお目当てのドレッサーを見るために歩き始めると、彼もついてきた。なんでだろうな。
「このドレッサー、素敵ですよね。」
今度はなんとなくこちらから話しかけてみた。彼は
「それ、女性のお客様がよく立ち止まって見てらっしゃいます。一点ものなので、お気に召したのでしたら早めに買われた方がいいですよ。」
とためになる情報をくれた。というわけで、このドレッサーも即決。これは買うしかないだろう。ああ、こうしてお金が減っていく。

 ドレッサーの分の会計も済ませた。あと必要なものはなんだったろう。テレビはあまり見ないのでまだ買わなくても良いかと思っている。つまりテレビ台は今は必要ない。ということはこれで今のところ家具は全部揃ったわけだ。あ、本棚を買ってないな。そう思い出したので、次の休みにまた来ようと思う。
 「また来ます。本棚を買わないといけないので。」
そう伝えると彼は、
「では好きそうなものを見繕っておきますね。」
と微笑みながら返してくれた。笑った顔を初めて見た。

 帰り道、私はあいつと暮らしていたときのテーブルと椅子を買ったときのことを思い出していた。あれは確か、あいつが選んだものだった。あいつはやたらテーブルと椅子を選ぶことに張り切っていて、それならと任せておいたのだった。結果、私の好みに全く合わないものが運ばれてきた。えっ、これか、と少々落胆したが、任せた自分が悪かったと割り切るしかなかった。それはなぜか真っ黒のテーブルと椅子で、自分が作りたかった部屋の雰囲気には全く合わないものだった。これは、別れて家を出たあの日にも定位置に鎮座していたが今考えてもあれは悪趣味だったような気がする。いや、それは言い過ぎか。
 それほどまでに、私とあいつは趣味や好みが合わなかった。話していて楽しかったけれど、テレビの趣味も合わないから常にあいつの見たい番組をあたかも私も見たいと思っていたかのように楽しんでいるフリをしていた。こういった少しずつの「無理」が、どんどん溜まっていってしまったのだろうと今ゆっくり考えると分かる。
 私の好きなものを馬鹿にし、見下し、自分の好きなものは私に押し付けてきた。あれほどまでに自分勝手だったのに、私はそれに気づかずに三年もの時間を無駄にしてしまったのだ。

 次の休み、また私はあの家具屋へ赴いた。この街に来てからというもの、会社と家具屋と教えてもらったパン屋にしか行っていない。まあ、最初はそんなものだろう。これから楽しいことがきっと増えてくるに違いない。よし、今度は本棚だ。
 家具屋にたどり着き入店する。すると、またあの彼が出迎えてくれた。いつもいるな、この人。私は早速、
「本棚を探しているんですが」
と彼に話しかけた。すると、
「見繕っておきましたよ」
と微笑んでくれた。その微笑みに、少々胸が高鳴った。この感覚は久しぶりだな。
 彼が見せてくれた本棚はどれもとても素敵で、今度は別の意味で胸が高鳴った。私はその中にとても自分の部屋の雰囲気に合いそうなものがあったのでいつものごとく即決した。だが、これが多分彼に会うのは最後かもしれない。そう思うと少々寂しい気持ちになり迷っているフリをした。
 迷ったフリにも限界がある。決めておいた本棚を、あたかもたった今決めたように
「これにします。」
と言いレジに向かう。何故だか、彼と目を合わせられなかった。
 
 レジで会計をしてもらっている間、私は考えていた。家具はもう揃った。だからもうこの店にはしばらく来ることはないだろう。このまま彼と会えなくなるのは、私は嫌だった。私はこういうときにも即決派なので、すぐに決めた。
 「あの、連絡先を教えていただけませんか?」
 彼、桜庭は目を丸くしてこちらを見た。まあ、びっくりするのも無理はない。一介の客から連絡先を求められたら、私が店員だったとしても同じ反応をするだろう。だが、彼はびっくりしつつも
「ええ、いいですよ」
と承諾してくれた。これには私も驚いた。勢いに任せて聞いた連絡先。それを、こんなに簡単に渡してしまっていいのか? そう思いつつ、私たちは連絡先の交換をした。

 帰り道、私は気恥ずかしい気分になりながらスマホを眺めていた。新しい恋の始まりの予感を感じながら、彼の名前と同じ桜を眺めた。今が春でよかった、そんな思いを持っているということはきっともう、彼のことが少し好きなのかもしれない。
 そういえば、ここ数日私はもうあまりあいつのことを思い出さなくなっていた。よく考えたら、あの家から出てもう三週間くらいになるのか。
 桜庭のことを少し気になるようになって気持ちにも余裕ができたようで、あいつに抱いていた憎悪のような気持ちもだんだん薄らいでいた。
 ありがとう。大好きだったよ。いつの間にか、素直にそう思えるようになっていた。

桜の花が咲く頃

初めて書きましたが、書いていてとても楽しかったです。拙い文章を読んでいただきありがとうございました。

桜の花が咲く頃

真冬に桜の話を書きました。暖かい雰囲気のお話を書きましたので、心がちょっと寒くなったときのお供にどうぞ。

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更新日
登録日
2022-01-21

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