幸福のペリドット

アレインの瞳は、ペリドットの宝石でできている。

いっとう綺麗なものを選んだんだよ、と歌うようなテノールの声。翠色を縁取るシャンパン色の睫毛の、なんと美しいこと。その瞳が私を見る度にきらきらと輝くので、つられて私の視界も、輝かしくきらめくようだった。
「綺麗な目には綺麗なものが映るのだよ」と、魔法医学の教授が言っていた。最近は宝石瞳の移植が流行っているが、その中でも彼の瞳は、群を抜いて美しい。サファイアの瞳は思慮深くはあるが華やかさに欠けるし、ルビーはずいぶん攻撃的だ。アメジストの紫は、ちょっと情熱的すぎる。
その点彼のペリドットは、あまりに幸福的な美しさだった。その目に映る世界は、きっとさぞ美しいのだろう。シェーンも綺麗な目にすればいいのに、と彼はよく笑ったが、私は彼の目を見ているだけで、もうすっかり世界中が綺麗に見えていた。
予兆はあったのかもしれない。しかし私が異変に気付いたのは、本当に突然のことだった。

「あなたの目、とっても綺麗ね」

下心を隠そうともしない少女が、鼻にかかった声で言う。彼女はアレインにしなだれかかろうとして、しかし彼は、怪訝な顔で虚空を眺めた。

「ねえ、近くに誰かいる?」

今のシェーンじゃないよね、と。目の前の少女を認識できていないらしい彼は、私の方を振り向く。少女は呆然とした顔をして、そのまま立ち尽くしていた。そして泣き出した少女を、ガーネットの瞳の子が慰める。アクアマリンの瞳が、こちらを睨みつけていた。
誰も彼も見えている少女を、アレインだけが認識できていない。
ああ、彼の目は。
彼の目は、綺麗でないものを排除してしまったのだ!
それからきらめく瞳の友人に聞いた。けれど人が見えなくなったりしたことはないと、首をすくめた。どうにかならないかと、教授のところに駆け込んだ。そんな事例は聞いたことがないと、匙を投げた。
それから少しずつ、彼の世界から人が消えていった。彼は存外気にしていないようで、「見えなくなった人は、心が汚れていたということだよ」と笑う。私はすっかり怖くなった。
いつか私も消えてしまうのだろうか。彼の綺麗な世界から、消されてしまうのだろうか。今はまだ映っているの、私のことが、ちゃんと見えているの。恐ろしくてたまらなかった。いっそ二度と、私を見ないでいてほしいとすら思った。
ついにアレインの世界には、私と彼の二人だけになった。彼はまだ笑っている。声は聞こえるし触れるもの、生活できないほど困ってはいないよ、とまばゆい瞳を細めて言うのだ。私はすっかり怯えてしまって、その頃にはもう、彼の顔を見ることができなくなっていた。その瞳が、私を写していなかったら。
まだ大丈夫、今日も大丈夫だった、他の消えていった人よりも、私はまだ。そうやって、恐怖とほの暗い優越感をいったり来たりしている。なんと醜いことだろう。彼の幸福な瞳が私を汚いものだと認識するのも、時間の問題だった。

「シェーン、虹だよ。シェーン?」

空に虹を見つけたらしい彼が、楽しそうに微笑んだ。そうして後ろを振り返る。
ああほら、次に見えなくなるのは。
見えなくなったのは。
ねえ、アレイン。いま私、あなたの隣にいるのよ。振り向いたりして、どうしたの。
シェーン、と、耳当たりのよいテノールに、初めて不安が滲んだ。

「シェーン。シェーン、どこにいるの」

笑みの消えた顔が、あっちこっちに向けられている。私を探しているのだ。ここにいるよ、と宙をさまよう手を握る。見えないよ、声はきこえるのに、と、アレインが泣きそうな顔をした。

「本当にそこにいるの」
「いるわ」
「ねえ、ずっと手を握っていて、怖いんだ」
「ええ、ええ、ずっと握ってるわ、ずっとここにいる」
「なんで君が見えないの……」

世界で一人になってしまった。彼はうずくまって、何も映さないきらきらの宝石から、子供のように涙を流した。

幸福のペリドット

幸福のペリドット

宝石の瞳を持つ少年と、ありふれた少女の話。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-15

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