詩人の二段論法、或いは淪落の自己啓発

青津亮

 「わたしはそれをしたいのではない、それをするのだ」のごとき成功哲学や、三島めいたストイシズム、「わたしはそれをしたいのではない、それをしなければならぬ」なる様式的・禁欲的な言説、こいつらにぼく、与するつもりはないのである。
 唾棄さえしない、無関心なる視線、さっと面をすべらせて、ただただ投げるのみである。ぼくの知性は秩序の概念から転げ落ちたのだ、魂は秩序から毀れ落ちた、はや、ドロップアウトしたのである。次なる使命、それは言葉を言葉から、ついに淪落させること。DA DA DA DA DA DA DA DA DA.....

 ぼくの言説はこいつである、「わたしはそれをしたい、従って、それを絶対にしなければならぬ」。
 その自己へ課した欲心と義務の一致、この溜りに溜った白濁の重装構造を、魂の素朴な衝動に起点させ、いわく奉仕のうごきに伴わせ、波と打たせ、他者の魂の内奥へ投げ込んで──ボオドレール、このロクデナシが空へ槍を投げたごと──精を放ち、呼応させ連続させんとすること。おなじ魂の病を癒しあうということ。
 詩人はいつも、感情においてきわめてエゴイストであり、現象においてきわめて利他的であるべきで──その逆もまた然りだ──その関係性が、どうしようもなくきわめて人間的であるべきだ。

詩人の二段論法、或いは淪落の自己啓発

詩人の二段論法、或いは淪落の自己啓発

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-15

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