うさぎ小屋のかぎを、なくしたことがあった。小学生のときだ。
 おぼれたのは、風のつよい日で、きみがつくった、白いクリームチーズのパンが、すごくおいしくて、ぼくは涙をながしながら食べて、おおげさだよと、きみははにかんでいた。くじらが、感動するくらい、近くを泳いでいて、世界はひろいなって、漠然と思った。海底についたとき、うえのほうよりも寒くて、ここで暮らしているいきものは大変だと、哀れんでいるじぶんが、ちょっと傲慢かも、と感じた。学校の生物室で、先生があつめていた蝶の標本箱をながめている時間が、うまれてから二十一年という人生のなかで、いちばん安らいでいた気がした。
 きみのためなら死ねる、と言えなくて、ごめん、と思った。
 ずっと、やさしいひとでいられなくて、ごめん、とも思った。
 きょうはどうしようもなく、だれも、なにも、ゆるせない日みたいだから、ただひたすらに、ごめん、と祈るようにあやまりながら、ぼくは、きみがつくったパンを、むしゃむしゃと食べてる。
 冬の六畳間。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-14

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