小桃茸

草片文庫(くさびらぶんこ)

小桃茸

少年と茸の物語。縦書きでお読みください。


アリスは小学生の頃、殺人を犯したことがある。同級生を崖から落としたのである。誰もそのことを知らない。
 「なんだい、かばんの中にはいってるのは」
 いじめっ子のガキ大将、光男は中学の鞄をアリスから奪おうとしていた。アリスは逃げた。中学校は小高い丘の上にある。見晴らしのいいところだ。
 舗装された広い道が中学校まで整備されている。
 登校下校はそこの歩道の部分を歩く。その日はたまたま、皆より遅く学校を出て一人だった。
 後ろから「かばんをみせろよ」と声が聞こえた。振り返ると光男である。
 いつも抱えるように持っている鞄を見て、みんなが「何か大事なものでも入っているのかよ」「変な本をかくしてんじゃねええか」などと、言ってくるが、いっさい見せたことはない。
 アリスはすぐに駆けだした。道の反対側は林になっていて、木々の間を降りて行けば下の道にでられるが、危ないので通ることは禁止されている。ところどころ崖のようになっているところもある。
 アリスは急いで林の中の草の中を降りていった。光男はめんどくさがって、仲間数人と林の中を突っ切って帰ることがある。先生に知られるとしかられるが、みんな見ぬ振りをしている。ガキ大将の光男に目を付けられると、しつっこく言い寄ってくるので、だれもが敬遠している。
 アリスはこの林の中を通って家に帰ったことはないが、秋になると茸がでるので、下の方から林の中を歩くのがすきだった。日曜日など、天気がいいと、スケッチブックをもって林に入り、茸の写生をしたりしていた。それで、アリスもこの林のことはよく知っていた。ちょっと危ない急斜面の崖が何カ所かあるのも知っている。
 アリスは崖のある方にかけ降りた。光男も追いかけた。光男はいつも決まったところを降りるだけで、林の斜面のことをよく知っているわけではない。アリスの動きは敏捷だった。危ない道もうまくすり抜けた。草が生えているのでわからないが、足を取られたり、ちょっとよろけると、崖からすべりおちることになる。
 走り抜けたアリスは立ち止まって、追いかけてくる光男を見た。光男はアリスがいきなり止まって、こちらを向いたので、何事かと足を止めた。調度そこは崖の上だった。ちょっとよろけた拍子に彼は崖から落ちた。
 アリスは降りるのをやめ、崖の上を通り林を上った。また通学路にでて、いつものようにそのまましたに降りていった。途中で三人の女の子がだべりながら歩いている脇をすり抜け、振り向きもせず降りた。
 光男がどうなったか考えなかった。
 次の日、光男が崖から落ちて頭を打って、入院したことを知った。数日後、光男は帰らぬ人となった。
 これが殺人かどうか、第三者から見ると、事故であるが、アリスは光男が落ちるようにと思って、崖の上を逃げたことから、自分が殺したと思っていた。今でもそう思っているわけである。
 アリスは、本名をミルン羊一という。父親がアイルランド人、母親は日本人で、妹が一人いる。父は教会の牧師で、母は付属の保育園で保母をしている。
 羊一は中学のマジッククラブに入っていた。トランプマジックをみんなで練習をしていたのだが、持っていたトランプが、不思議な国のアリスのチシャ猫の絵が描かれたれたものだった。父親が買ってくれたのだ。それに、彼は数学が得意で、マジッククラブ顧問の数学の先生が、不思議の国のアリスを書いたルイスキャロルという人が数学者だったと言ったことから、彼はアリスと呼ばれるようになってしまった。
 そのころ、羊一は初恋をしていた。中学の一年、今の子たちはもっと早いのかもしれないが、そのころの男の子としては、もっとも正常に、異性に引かれ、勉強もそっちのでけで、そのことばかり考え、彼女のことが頭の中で渦巻いていた。
 まわりの男の子たちは、目が大きくて、マンガの中の女の子のようにきらきら輝いていて、足が細くて長くすらっとしていて、細い指で髪の毛をかき上げるような娘にあこがれを抱いていたのだ。
 だがアリスは違った。彼の彼女は、他のどの男の子も恋の相手にしようとは思わないものだった。アリスにとって、彼女ほどきれいでかわいくて、抱きしめていたいと思わせる相手はいなかった。
 アリスの彼女は、同じ中学校の子ではなかった。彼女とは日曜日にいつものように学校の下に広がる林の中で出会った。スケッチブックを持って、林にはいると、いきなり目に入ったのが、赤い傘の茸だった。赤い茸はアリスには素知らぬ顔で前を向いていた。白いふっくらとした柄が、血のように赤い傘よりももっと強く、アリスの目をつらぬいた。いかにも軽やかに動き出しそうな足、赤い茸。そう思ったとたん、茸がアリスを見た。ほほえんだ。
 それが初恋の始まりの一瞬だった。
 茸は次の日にはしおれ、数日後には消えてしまう。アリスは夢中になって鉛筆でスケッチをした。寸分違わず書き写した。色は頭の中にしまっておこう。家に帰ったら絵の具で色を付けよう。スケッチが終わると、急いで家に帰り、自分の部屋にはいった。スケッチした茸の絵に色を付けた。
 それを持って、また林に行った。茸の脇にその絵を並べた。赤い色がもう少し黒みを帯びている。家に戻ると、色を直した。また林に行き並べてみた。こんどはよさそうだ。
 改めて茸を見ると喜んでいるようだ。アリスはしばらく茸を見ていると、そうっとちょっと膨らんだ白い柄に指を触れた。体の中がうずいた。
 家に戻ると、ベッドの上に寝転がり、天井を眺めていた。赤と白の茸が天井に浮かんでいる。アリスの股間がもりあがってきた。そのままじーっとしていた。
 描いた絵は自分の机の前の壁に画鋲でとめた。
 次の日も茸を見に行った。林の中で赤い茸は静かに立っていた。そばに行くと、傘をふるっと振ってアリスの方に向け、ほほえんだようだ。
 アリスもうなずいた。
 待っててくれたんだ。うん。しばらくいるね。頭の中で会話をした。
 赤い傘から小さな水の滴がおちた。
 うれしい。
 アリスは人差し指の先で、白い柄にそおっと触れた。
 茸がぷるっとふるえた。
 座頭虫が茸に向かってやってきた。アリスは追い払った。
 ありがとう。アリスには茸の声が聞こえた。まだ自己紹介をしていない。みんなから呼ばれている名前を言った。
 僕はアリスだ。君は? 
 つけてちょうだい。
 トランプのハートのクイーンを思い描いたが、不思議な国のアリスを思いだし、誰でも首を切ってしまうクイーンはいやだと思い返した。次に浮かんだのは赤いダイヤだった。だけどあんなにきつくない。丸いルビーだ。自分の得意なトランプマジックにこだわらなくていいじゃないか。やっぱり茸の名前らしい方がいいか。サクランボみたいにかわいい、サクランボは桜桃だけど、言葉はかわいくない。桃だけのほうがいい。だけど桃のように大きくない。小さい桃だ、小桃。
 こももちゃん。
 うれしいわ。
 アリスはこももを根本からそうっともちあげた。かわいい茸だ。
 土からはなしたら、すぐ枯れてしまうのに、どうしてもそうしたかった。明日になったらしなびてしまう。それはいやだ。
 アリスは急いで家に帰ると、自分の部屋で考えていた。
 水分を保たなければ。彼は小学生の時に使っていたセルロイドの筆箱をおもいだした。中学に入ってからは使わなくなったので、机の一番下の引き出しの奥に入れたはずだ。探してみるとあった。
 筆箱の中にはちびた鉛筆と消しゴムが入っていた。それらを取り出すと、ティッシュペーパーできれいに拭いて、めがねを拭く布を敷いた。
 茸を横たえると、ティッシュペーパーを湿らせて、赤い傘の脇に入れると、蓋を閉めた。
 しかし、すぐに開けると、赤い茸を見た。かわいい。こももちゃんだ。
 赤い茸がほほえんだ。
 これでいいかい。アリスは聞いた。赤い茸がうなずいたようだ。
 中学に行くときは、寝かした茸の上にハンカチを乗せて蓋をして、鞄に入れて持って行こう。
 そう決めて、アリスの気持ちは落ち着いた。
 
 こうして、毎日、中学校に赤い茸をもっていった。不思議なことに、茸はしなびることなく、真っ赤な傘を、ぱりぱりの頬のように膨らませて元気だった。学校では気になって、鞄をのぞくことがあるが、筆箱を取り出してみたりはしなかった。誰かに見られたりすると、変な噂をたてられてしまう。ところがのぞくことだけでも、不審がられ、何がはいってんだと、多くの級友が鞄を開こうとした。
 そのまま開かせてやればよかったんだ。と今は思う。とられるのではないかと、意固地になって中を見せなかった。それがかえって、ガキ大将たちの興味を引き、変な雑誌でも持っているのではないかとうたがわれてしまったのだ。
 そこから光男の話につながるのである。光男はアリスの鞄をひったくろうとしたことが何度かあった。アリスが強く拒み、決してわたさなかった。アリスは父親がアイルランド人であることもあり、おとなしかったが背は高く力はあった。
 そうして本人は殺人と思いこんでいる事件が起きたわけである。光男は打ち所が悪くて結局死んだ。だれもが光男が自分で落ちたと思っていた。そのことはアリスの心の隅にわだかまりとして居ついてしまったのである。
 茸への恋心は消えるどころではなく、高校に入っても、林で見つけた赤い茸を大事に鞄に入れていた。高校は電車で二駅行ったところにある公立の高校だった。受験校で、みなおとなしかった。アリスはマジッククラブの部長になり、いろいろなハンドマジックを覚え、高校生のマジック大会で入賞もよくした。勉強もしたこともあり、カトリック系の大学の経済学部に合格した。末は父の跡を継ぐつもりだったのである。
 そのころになると、外人系の顔をしたアリスは女の子にもてた。ところが女性に興味を示すことなく、ただひたすら新しいハンドマジックの習得と、経済の勉強に励んだ。いつも肩に掛けていたショルダーバックには、あの赤い茸が、強化プラスチックのきれいな箱に収められていた。中学以来、その茸はしなびることなく、赤い光の透き通る張りのある傘と、ふっくらとした白い柄をみせていた。
 彼は家に帰ると、机の上に茸を立てた。夜中に話しかけ、そうっと指で赤い傘をなで、白い柄に触れ、そのまま射精をする。その毎日だった。
 心理学者は彼の目に茸が女性の姿に見えていたのだと説明するかもしれない。それはまちがっていた。あくまでも茸だった。そうでなくてはならなかった。
 大学は自宅から通えるところにあった。大学生にまでなると、自分が異性に興味を持たないのは異常だということがわかるようになる。アリスはいったい自分はなにになるのだろうと、悩みはしないが考えた。
 ホモセクシャル、トランスジェンダーはやっと世の中に理解されるようになった。違う動物の異性に興味を持つことは少しは考えられる。動物ではない場合にはどうよぶのだろう。地球上には動物界、植物界それに菌界の生き物がいる。アリスは動物界にいながら、菌界の一つに恋をしたのである。
 動物界はアニマルキングダム、植物界はプラントキングダム、菌界はフンガスキングダム、いや辞書を引くと、ミセリアとある。異界の生き物への恋い。ヘテロキングダムセクシャルか?
 そういえば般教の生命科学の先生が、遺伝子の進化を考えると、菌類は植物よりも動物に近く、動物と菌をあわせて、オピスコンタというグループになるそうだ。とすると、植物に恋をするより、菌類に恋をする方が、自然なのだろうか。
 こういった、科学のまとめから人間をみる必要性は、学問としては大事なのだろうが、恋をしている本人にとって、異性だろうが、同姓だろうが、ほかの生き物だろうが、そうなったんだからどうでもいい話だ。と思ったとたん、アリスは考えを停止した。
 こもも、小桃がそこにいる、それだけでよかった。
 ある日、小桃と一緒にハンドマジックができたらいいなと思った。カードを机の上の小桃の前に置き、それを声を出して言った。
 小桃が動いた。赤い茸がすすすと前に進むと、ひょいと積んだままになっているカードの上にのった。
 もう七年も一緒にいるのである。驚いたことはおどろいたが、すぐに冷静に茸を見た。
 ほほえんでいる。一枚、その中から選んでごらん。そんなことを茸に向かって言った。
 束になっているカードの中から、ひょんと飛び出したのはハートのクイーンだった。
 ではクラブのキングを出してごらん。
 アリスが声を出してそういうと、赤い茸はもぞもぞとカードの上で動くと、飛び上がり、カードの半分ほどが持ち上がってひっくり返り、その上に茸がおりた。それはクラブのキングだった。
 小桃が一緒にやりましょ、と言っているのだった。うれしかった。アリスは小桃の赤く透ける傘に人差し指を乗せた。小桃は傘を猫がこすりつくように、アリスの指にこすりつけた。
 小桃は人前に私を出してと言っていた。
 大学から帰ると、小桃とカードマジックの練習をした。どのような力かアリスにはわからなかったが、茸の小桃は上手にアリスが言葉に出したカードを、束の中からとりだした。自分は全く何もしなくてもいいマジックだった。もちろん、アリス自身、ハンドマジックは相当の腕前である。それだけでもプロになれるほどである。
 大学対抗のマジック大会で、個人部門でいつも三位以内にはいる。小桃のマジックを加えたら、トップは間違えがないであろう。
 全国大学対抗のマジック大会で、アリスは華麗なトランプマジックを披露した最後に、空中から小桃をとりだすと、手の上で飛び跳ねさせた。これはマジックではない。だから見ている者には見破ることは絶対できない。その最後に、トランプの束から、トランプの束の上に乗った小桃が、観客の言ったカードを引き出した。
 割れるような拍手、スタンディングオベーションで、もう一度同じマジックを見せた。当然、アリスがハンドマジック個人で優勝した。
 種がないので誰にもわかるわけはなかった。
 すぐにプロダクション会社の手が伸びて、大学生活をしながら、マジックショーにたびたび出演するようになった。
 そのころ、羊一はプロダクションの意向で、Mrポルチーニと呼ばれていた。ポルチーニのパスタがはやり始めた頃で、それに乗じて付けられた名前である。彼のルックスや仕草から、多くの若い女の子のファンがうまれた。大学の三年のときである。
 大学を卒業して就職をして、できれば教会の跡を継いで欲しいという、親の望みはかなえられそうになかった。彼は大学を辞めプロのマジシャンになってもいいかと、思うようになった。
 彼は父親の教会でも、もようしがあるときに、マジックを披露し、信者だけでなく、それを楽しみに、協会に来る者がふえた。
 彼は親も納得のうちに大学をやめ、教会を手伝いながら、マジシャンタレントとして、テレビにも出演することもたびたびになった。

 いつもでているホテルのマジックショウが終わり、車で送られ、ミスターポルチーニは家に帰ってきた。
 中学生の時から変わらない、自分の部屋に戻ると、鞄の中から箱をとりだし、机の上に置いた。
 きれいな赤い箱だ。特注の木箱で、中は湿度が保たれるように工夫がされている。蓋を開けると、小桃が机の上にとびだして、ふるっと体を揺する。
 かわいい。
 指の先でいつものように傘にふれる。茸の傘が指に吸いつく。アリスの体に電気のような快感がはしる。茸と人の交歓がこうして始まる。
 茸に快感があるかどうかわからないが、人間には性の行為に伴って、快感が生じる仕組みがある。本能行動という動物のもつ種の保存に不可欠な行動は、人間では意志によって行われる。そうなった人間は行為をしなくなってしまったら、種が滅びる。そこに生じたのが脳の中の快楽の仕組みである。人間は快楽を求め、性の行為をする。子供を残すためではない。ただその結果子供ができる。ということは、脳の快楽の部分がどのようなもので刺激されてもいいことになる。
 茸に恋したアリスの頭の中は、茸の姿が刺激になって、物語が生じ、そこに快楽のスイッチを押す仕組みができあがっているのだ。
 もうアリスは人間の女性では性の衝動が生じない。この赤い茸しかそれができないのだ
 今アリス、ミスターポルチーニは二十四、なぜ小桃と名付けられた赤い茸は十年も、生えたばかりの姿でいられるのだろう。アリスの脳が発する恋の心は茸の生を刺激し続けるのだろうか。心は脳がかもしだすものである。脳からでる微弱な電気、脳波とよばれるものを、茸が感受していないとは誰も言えない。アリスの強い恋心が脳波として赤い茸を生かし続けるのかもしれない。
 八月の誕生日を迎える少し前に、ミスターポルチーニはイギリスのマジックショーに呼ばれた。世界にマジシャンは星の数ほどいる。その中で、かなりの日本人が世界的なマジシャンとして成功している。
 そのマジックショーは、コンテストをかねているわけではないが、観客のほとんどがプロのマジシャンで、終わった後、新聞や専門誌に観客であったプロのマジシャンが感想を寄せる。それは自然とコンテストのようなものになっていた。多くのマジシャンに賞賛の声を寄せられた招待マジシャンが、称号こそつかないが、実質的にその年のマジック王になるのである。
 彼は招待状を受け取って喜んだ。彼にはマネージャーという者がいない。しかもまだ、外国で演じたことはない。知り合いのマジジャンに相談をした。もう四十に届こうというそのマジシャンは、彼の尊敬するハンドマジックのベテランで、何かと相談をし、アドバイスを受けていた。
 マネージャーがいないと大変だね、プロダクションと相談した方がいいよ、とその人は言った。その昔彼もそのイギリスのマッジックショーに呼ばれていて、評判は最高の者だった。
 「荷物はあらかじめ送っておかないと、税関でチェックされるからね、我々ハンドマジックの人間はいいけど、大がかりなマジックの人たちは、道具を送るのが一苦労だよ。現地調達をしなければならなくなることも多いしね」
 彼は今でも外国のマジックショウによばれる。ラスベガスなどは年に何回も行っている。
 「マジックの道具で、税関を通らないものなどないのでしょう」
 小桃を頭に描いて、彼にそう聞いた。
 そうね、危険物や生物じゃなきゃ問題ないけど、短剣や銃を使うような人は、前もって内容を説明して荷物として送らなきゃならないな、鳩を使う人は大変だね、ペットとして乗せたりね」
 そう聞いたミスターポルチーニは行くのをやめた。前もって道具を送るとなると、小桃も一緒に送らなければならないだろう。それだけではない、生の茸は見つかったらどうなるのだろう。捨てられるかもしれない。
 彼は家のことを理由にして、出演をことわった。それがプロダクションに知られて、ずいぶん残念がられた、というより、ちょっとまずい目で見られた。
 しかしミスターポルチーニはアリスでいつづけた。恋した小桃が生活の中心である。彼は教会の手助けをしてマジックの舞台は地方の小さなものにしかでなくなった。
 それでも、見事な手さばきは、テレビでもとりあげられることもあった。彼はトランプマジックというタイトルの、ハンドマジックの教則本を書いた。それはとてもよく売れた。彼はマジック教室も開くようになった。
 秋のある日曜日、教会で父親が信者の前で神の言葉を伝え、賛美歌を歌い終えたあと、アリスのマジックを目的に来る人たちが残った。アリスはマジックの好きな信者たちのまえで披露した。赤い茸が彼がもっている一枚のトランプの裏から現れて、縁を歩いた。突然トランプの上から消えた。
 彼らは大きな拍手で喜んだ。そこまでは一般の信者も大勢みている。
 その後は教会の会議室でレッスンである。個人個人のレベルに応じたハンドマジックの手ほどきを行う。みな自分のトランプを持ってきている。
 最近はいった高校生は自己流だが、ずいぶんハンドマジックを研究していて、アリスがみてもなかなか上手である。アリスのでた高校の二年生である。
 先生、茸のマジック教えてくださいという。茸を採ってきてやってみたのですけど、うまくいかないんですといった。アリスはこれは種明かしできないんだ、企業秘密だよ、と言って、マジシャンがよくやる、トランプの裏から物を出す方法やら、トランプの縁をものが動く方法を教えた。細い金の糸をうまく使って行う。
 高校生はそれでも喜んで、家で茸を使ってやってみますといった。
 アリスはその日、箱から小桃を採りだしたとき、小桃が少しおとなしいのに気がついた。どうした、と聞くと、林の匂いがした。という。
 あの高校生が茸の匂いをさせていたのだろう。どうしたいというと、林に行ってみたい、と言う。もう十年も中学校の下に広がる林に入っていない。小桃の産まれたところである。
 いこうか。
 赤い茸はうなずいた。
 アリスは小桃をもって林に行った。中学校にいく道は久しぶりである。十年もたつとこうも変わるのかと思うほど、町の中の道の舗装がよくなり、道の脇に並んでいる店もきれいなものに変わっていた。よく行った文房具屋はたこ焼き屋になっていた。
 街中の道からはずれ、丘の上にある中学へ向かう道にはいった。少し行くと雑木林が広がっている。林にはいり、小桃が生えていたところに向かう。林はあまり変わっていない。
 ところが小桃のいた場所について驚いた。小桃とそっくりの赤い傘で白い柄の茸が、羊歯の下一面に生えていた。見分けがつかないほどそっくりだ。いや茸は一つの菌糸の固まりから生えるのだから似ていて不思議はないわけだ。
 アリスは鞄から小桃を出して、土の上においた。
 小桃の赤い傘がふるえている。
 どうしてだろう。周りの生えたばかりの小桃茸と比べると、十歳になる小桃の傘にははりがなかった。
 小桃が帰りたがっている。
 アリスは小桃をまた鞄に戻すと、自分の部屋にもどった。
 小桃を机の上にだすと、小桃は泣いていた。泣くことはないじゃないか、といっても、小桃の気持ちが痛いほど伝わってきた。もうきれいじゃなくなったの、小桃は言った。死んじゃいたいと言った。小桃が死ぬなら僕も死ぬ。アリスはそういった。
 ほんとう。
 小桃はアリスに言った。
 ああ。
 それじゃ、私を食べて。
 小桃は食べたいくらいかわいいよ。
 本当に食べて。
 アリスは小桃の赤い傘に唇を寄せた。
 甘い。
 食べて。
 小桃の声が聞こえて、アリスは小桃を口の中に入れた。かんだのかかまないのかわからないうちに飲み込んだ。
 椅子に座っているアリスは、目の前のものが二重に見えてきた。
 小桃がのどの奥にはいっていく。
 いきなり性の衝動が生じた。
 しかしアリスはそのまま動かなくなった。
 明くる朝、アリスは白い目を開けたままこときれていた。
 林に猛毒の赤い傘の茸が繁殖しているので注意するように、中学校では注意を促しているところだった。

小桃茸

小桃茸

中学校の近くで見つけた小さな茸。その茸と共に生涯を過ごす少年

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2022-01-14

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