美少女幻想

環 和来

 このお屋敷に越してから、早いもので一週間が経つ。文句なしの立地条件に、部屋の日当たりも良好だ。
 訳あり物件としてこの物件は売り出されており、不動産会社曰く、お屋敷内での怪奇現象がこれまでに相次いだのだそうだ。
 その度に売りに出されるこの物件を、私の両親が偶然にも見つけた。
 「素敵なお家ね」
  豪邸と呼ぶに相応しい平屋造り。10部屋もあり、敷地面積は千坪を超える。日本庭園がその中にある。
 「ここにしよう」
 父親の鶴の一声で、不動産会社からこのお屋敷を買収する事が決まった。
 住んでみると、住み心地が存外良く、怪奇現象が相次いだ事実が信じられない程には快適だった。
 そう、怪奇現象の鍵を握る「少女」に出逢うまでは――。
 私はいわゆる霊媒体質だ。「見えてはならないもの」をこれまでに幾度も見た。見えるだけならばまだしも、対話までできてしまう。
 この特殊能力が開花したのは、小学生の時分だった。
 友人と話していた時に、彼女の後背に憑依する首の折れた女性の霊を見た事が全ての始まりだった。
 彼女には見えていないそれが、私には普通に見えていた。
 私のかんばせをその霊は見つめながら、懸命に何かを訴えかけていた事を未だに覚えている。
 素知らぬふりをして、友人との会話を続けた。見えていないふりをする事が得策だと直感で悟ったからだ。
 私の特異体質――霊媒体質が花開いてから、早いもので数十年にもなる。
 そうして、何事もなく終わると思っていたこの日の夜に椿事は起きた。
 「ただいまー」
 高校から無事帰宅した私は、帰宅した事を母親に知らせる。
 「あら。お帰りなさい、華子」
 台所から母親が応じた。カレーの香ばしい匂いが玄関にまで香り、食欲が刺激される。
 運動靴を玄関で脱いで母親の待つ場所に向かった。開け放たれた扉から居間に入れば、バラエティ番組がちょうど放送されていた。
 ソファに座り、スクールバッグを足許に置く。放送されているバラエティ番組を見るともなく見た。
 「今日も一日お疲れ様。今日の夕ご飯は華子の大好きなカレーライスよ」
 夕食の支度を台所で進めながら、母親が私に話しかける。
 「カレーなの!? やったー!」
 ソファからぴょこんと立ち上がり、卓子の手前に移動する。出来立てのカレーライスとスプーンをテーブルの上に母親が用意した。
 「いただきまーす!」
 熱々のカレーライスをスプーンで掬い、ぱくりとそれにありついた。
 「ご馳走様でした」
 「お粗末様でした」
 食事を済ませて食器類を流し台に運ぶ。
 「部屋に戻って勉強してくるね」と母親に伝えてから、ソファの付近に置いた通学鞄を手に自室に踵を返した。
 「無理は禁物よ」
 「うん。ありがとう」
 母親からの気遣いが身に沁みた。
 自室に戻って制服から部屋着に着替える。寒暖差が最近は殊に激しく、暖房が欠かせなかった。
 と、誰かの視線にふと気づく。部屋の扉と窓は閉め切っており、私以外には誰もいないはずだ。
 身に覚えのあるこの感覚はもしかすると――、嫌な予感が体内を駆け巡る。
 「誰かいるの?」
 見えない相手に思わず呼びかけた。
 ざっ、ざっ。
 押し入れから怪奇な物音が発生し、思わず身構える。
 押し入れの中に何者かが潜んでいると判断した私は、エアコンの電源を入れる事も忘れて押し入れの前におずおずと移動した。
 震える手で襖の戸に触れ、襖をそっと開いた。中を見ると――1人の少女がいた。
 丁寧に切り揃えられた前髪、切れ長の涼やかな二重瞼に血色の良い紅色の小ぶりな唇――。昔ながらのセーラー服。
 何かに例えるならば、女学校で用いられるような品のある薄茶色の制服を着用していた。
 少女の双眸が私を捉える。黒目がちの潤んだ双眸を前にして、我を忘れてぼうっとした。
 「……私の姿があなたには見えるのですか?」
 花びらような唇から、鈴を転がすような声が紡がれた。
 「え、えっと……」
 少女からの質問に戸惑う私を見た彼女は、
 「嗚呼……私の姿が見えるのですね……」
 涙声で喜びを表現した。
 ここまで喜ばれてしまっては、しらばっくれる事も難しい。
 少女の瞳を食い入るように見た。
 彼女は居住まいを正し「自己紹介が遅れましたね。私の名前は桃園千鶴と申します」それから、丁重にお辞儀した。
 「わ、私の名前は呉華子といいます」彼女の自己紹介につられるようにして、私も名乗り出た。
 幽霊と人間の対話――。非現実的な出来事がタイムリーにこの部屋で起こっている。
 「見えるだけに留まらず、お話まで出来るだなんて……」
 千鶴と名乗る少女は喜びもひとしおといった具合に、私との対話を心から喜んでいるようだった。
 それにしても、押し入れの中に彼女はなぜ潜んでいたのだろうか――。
 もしかすると、これが俗に言う地縛霊というものなのだろうか。
 地縛霊ですか? とダイレクトに尋ねる事はさすがに憚られた。そうして、彼女の素性をどう聞き出すかについて思案した。
 「ち、千鶴さん」
 「はい」
 「千鶴さんはどうしてここに……?」
 核心を突く質問を千鶴さんにぶつける。彼女の挙動がはたと止んだ。
 「わ、私……」
 千鶴さんは言い淀んでから、「実は……、昔からここにいるのです」そのように告白した。
 「昔から……」
 「はい……。その間に誰にも見つけていただけず……。なので、華子さんに見つけていただけて、こうしてお話までできる事がとても嬉しいのです」
 そう話す千鶴さんは心底から嬉しそうだった。
 「華子さん」
 「はい」
 勉強している私に千鶴さんが声をかけた。
 「華子さんのお好きな食べ物はなんですか?」
 「お好み焼きとか、たこ焼きとか……」
 「随分とハイカラなものがお好きなのですね。私はビフテキ、カステラなどが好きです」
 千鶴さんはそう言ってくすりと微笑んだ。千鶴さんと会話していると、彼女が幽霊である事実をつい忘れてしまう。
 勉強を中断して、傍に置いていたポテトチップスの袋を手に取る。千鶴さんがすかさず「何ですかそれは?」と尋ねた。
 「芋を揚げて塩をまぶしたお菓子、かな。名前はポテトチップスっていうんだよ」
 「そうなのですね! これまでに一度も見た事がありませんでした」
 ポテトチップスに千鶴さんは興味津々だ。
 それを微笑ましく思いながら、千鶴さんと取り留めのない話題で盛り上がったのだった。
 ピピピッ、ピピピッ――。
 七時。アラームが鳴り、その音で私は目覚めた。
 「んんっ……」
 「おはようございます、華子さん。朝ですよ」
 私の耳許で千鶴さんがそう囁く。欠伸を一つしてから、「千鶴さん……おはよう……」朝の挨拶を彼女と交わした。
 ベッドからもぞもぞと抜け出し、フックに引っかけた制服に更衣する。鏡台に置いたヘアブラシで髪を梳き、髪の毛をゴムできつく縛った。
 自室を出た私は千鶴さんと居間に行く。
 「おはよう、華子」
 「おはよう、お母さん」
 テーブルの上に置かれた狐色のトーストを口に運ぶ。
 一口それを齧ると、トーストに染み込んだバターがじゅわっと滲み出し、旨味が口内にたちまち広がった。
 テレビを見ると、ニュース番組が放送されていた。今日の株価に時事ニュース。いつもと変わらぬ光景だ。
 「華子さん」
 朝餉を食べる私に千鶴さんが声をかけた。
 この場で返事すると母親に奇異な目を向けられかねないので、トイレに行くふりをしてリビングを抜け出た。
 「どうしたの?」
「あの箱は一体何ですか? あの箱の中で人が喋り、更には動いている事にとても驚きました」
 「あれはテレビって言うんだよ」
 「へえ。華子さんとご一緒させていただくと、色々とお勉強になります」
 千鶴さんは合点がいったように、うんうんと頷いていた。
 「行ってきます」
 「気をつけて行ってくるのよ」
 「はーい」
 運動靴を履いて家を出た。
 幽霊と共に登校するのは奇妙でもあり、新鮮でもあった。
 そういえば、今日の1時限目は日本史か……。苦手科目が一時限目にある事を思い出して気鬱になった。
 学校に着く。
 「おはよう、呉さん」
 「あっ、おはよう」
 級友たちと挨拶を交えながら、自身のクラスがある二階に向かった。
 千鶴さんを尻目に見れば、瞳をきらきらと輝かせながら、きょろきょろと周囲を忙しなく観察していた。
 教室に入り自席に着く。
 一時間目の日本史に備えて教科書、筆箱やノートの一式を鞄から取り出した。
 そういえば、千鶴さんはいつの時代を生きていたのだろうか。
 カステラやビフテキなどが好きだと言っていたので、もしかすると大正時代の辺りを生きていたのかもしれない。
 「千鶴さん」
 「はい?」
 「千鶴さんはいつからあそこにいるんですか?」
 「……もう随分と昔の事のように思います。あのお屋敷が建設された大正時代から、あそこに住み続けているものですから……」
 そのように打ち明ける千鶴さんの顔に宿った微かな翳りを私は見逃さなかった。
 「千鶴さん?」
 「あっ……いえ。何もありません」
 何もないと否定し、千鶴さんは微苦笑した。
 「1918年に総理大臣に就任した首相の名前を呉、答えろ」
 教科担任から指名を受ける。平民宰相という愛称で親しまれ、日本で最も名前の短い総理大臣と言えば彼しかいない。
 「原敬ですね」
 「さすがは呉だな。正解だ」
 教科担任はにこりと笑い、原敬についての説明を始めた。
 「さすがは華子さんです。ちなみに、原敬首相が就任しておられたあの当時は大正デモクラシーの最中で、彼の愛称でもある平民宰相は、当時の流行語でもあったのですよ」
 千鶴さんの解説に耳を傾けながら、木枯らしの吹き荒ぶ外に視線を投げかける。
 二月が終われば三月がやって来る。桜の蕾が我こそはと挙って咲き誇るのだろう。
 そういえば、お屋敷の中に桜の木があったなあ。
 ……この時の私はまだ知らずにいた。お屋敷の中の桜の木にまつわる哀史を――。
 「お疲れ様です。華子さん」
 放課後を迎えて、千鶴さんと下校する。
 「千鶴さんもお疲れ様」
 「ありがとうございます」
 それから、千鶴さんは柔和に笑った。
 千鶴さんという女性には春がとても似合うと思う。柔らかな物腰に美しい佇まい――。
 彼女という人物を四字熟語で表すならば、雲中白鶴という四字熟語がぴったりだ。
 「千鶴さん」
 「どうされました?」
 「千鶴さんには春が似合うな、と思って」
 「春、ですか……」
 刹那、私たちの間を木枯らしがぴゅうっと通過した。千鶴さんの顔がたちまち曇ってゆく。
 何かまずい事を言ってしまったのだろうか。
 不安を抱く私に千鶴さんは「そ、そうですね。春は桜が素敵ですし、八重桜は特に見物だと思います」微苦笑を浮かべてそう話したのだった。
 以降の私たちは会話を交わす事なく、帰途に着いた。
 門扉を抜けて植樹された桜の木を瞥見する。改めて見ると本当に大きな木で、春がとても待ち遠しかった。
 「ただいま~」
 「お帰りなさい、華子」
 玄関を抜けてリビングにやって来る。いつものようにソファに座ってテレビを見た。
 「こちらの木をご覧ください。上野公園の桜の開花まで後少しといったところでしょうか――」
 ニュース番組が上野公園から生中継で桜の開花情報を伝えていた。
 「早いものねえ」
 夕食の支度を進めながら、母親がコメントを挟んだ。
 「そうだね。この家の桜の木も春になれば、立派な花を咲かせるんだろうなあ」
 「そうね」
 私たちのやり取りに千鶴さんが加わる事はなかった。
 夕食を済ませて入浴を終える。自室に戻り、一息ついてベッドにごろりと横臥した。
 「……華子さん」
 と、始終閉口していた千鶴さんが口を開いた。
 「千鶴さん?」
 「先程、私に春が似合うと仰ってくださいましたね。華子さんのそのお言葉が本当はとても嬉しかったのです」
 ベッドから起き上がり、千鶴さんを見つめる。
 千鶴さんは唇を再び閉ざした。彼女の双眸を見ると、綺麗な涙の粒がそこには浮かんでいた。
 「……あの桜の木を眺める事が本当に私は大好きでした。床の間から覗く夜桜は殊に麗しく、私を夜毎愉しませてくれたものです」
 千鶴さんは滔々と語る。
 「……ですが、私が女学校に通っていた自分に結核が流行し、私はそれに罹患してしまったのです」
 「結核……」
 結核は「亡国症」と称された感染症であり、1943年に開発されたストレプトマイシンによって終息に向かった国民病だ。
 「はい。あの当時は結核に有効な治療薬がまだ未開発でしたから、結核に罹患した折に私は死を覚悟いたしました」
 千鶴さんにかける適当な言葉が見つからず、私は口を噤む。
 「病状は日増しに悪化の一途を辿り、喀血を私は頻繁に起こすようになりました。そうした中で生きる希望を私に与えてくれたもの、それこそがあの桜の木だったのです。春を――春を迎えたい。必ずや春を迎えて、あの庭で立派に咲き乱れる桜の花を見るという一心だけで、闘病生活を懸命に続けてまいりました」
 千鶴さんは一粒の涙を零した。
 「……ですが、その開花を待たずして、私の体は病魔に屈したのです」
 千鶴さんに私は何をしてあげられるのだろう。
 口を一文字に結ぶ私に向かって千鶴さんが
 「……華子さん、お願いがあるのです。私と一緒にあの庭に咲く桜を見てくださいませんか?」
 そう願い出た。
 「千鶴さん……」
 桜の開花を千鶴さんはこんなにも心待ちにしている。
 そのような彼女を前にして、彼女からの申し出を断る事はできなかった。
 「……解りました。桜、一緒に観賞しましょう」
 「良いのですか?」
 私は大きく頷く。
 千鶴さんと一緒に桜を観賞する事が、私にできる彼女への唯一の弔いだった。
 二月が終わり、三月を迎えた。
 桜がちらほらと開花し始め、通学路の桜並木に至っては春爛漫という言葉がぴったりだった。
 「今日は快晴ですね」
 「そうだね」
 勉強を一時中断して、窓辺に視線を投げ掛ける。
 雲一つない空は蒼穹と呼ぶに相応しく、暖かな陽射しが部屋に差し込んでいた。
 「そうだ、千鶴さん」
 「はい」
 「庭、見に行こうよ」
 「……はい!」
 その言葉を合図に、私たちは庭に移動した。
 桜の木の前に立って、木を見上げる。視界一面に淡いピンク色が広がり、その隙間から青空が覗いていた。
 「綺麗……」
 咲き誇る桜にうっとりしていたら、千鶴さんが
 「私……私……、華子さんとご一緒に桜を観賞できて、本当に幸福です」
 そうした感想を涙声で漏らした。
 どれほど立ち尽くしていたのだろう。
 「華子さん」
 千鶴さんから名前を呼ばれて振り向けば、彼女の姿が薄らいでいた。
 「千鶴さん……?」
 「お別れの時がどうやら訪れたようです。桜を――……、華子さんと桜を見るこの日のために私はどうやら生き永らえていたようです」
 千鶴さんの姿が徐々に透明になってゆく。
 「私と一緒に桜を見てくださってありがとうございました」
 千鶴さんは私に謝意を述べて一礼した。
 はっと我に返り「千鶴さん!」千鶴さんの名を叫んだものの、彼女の姿はもう何処にもなかった。
 さあっと微風が突き抜ける。
 桜の木がそよそよと揺れて、私の足許に花弁がはらりと舞い落ちた。

美少女幻想

美少女幻想

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted