『エンターテイナー』

春のひと

正直、どうでもいいと思う。こんなものの存在は。
私は眼前のそれを見た。
私が閉じこめられている真っ白い部屋のなかに、こしらえられた簡素な装置。
装置に備えつけられたボタンを指で私が押せば、私の役目は終わるらしい。
装置の向こう側に分厚いガラスが厳然と存在感を放ち、私のいる部屋とおまえのいる部屋を分け隔てている。
ガラス越しに見える景色。
おまえの首筋に幾重にまかれたロープは天井に繋がっている。
おまえの足もとの床は、この装置の操作により開閉される仕組みになっていて、今は閉じている。
私がボタンを押せば、床が開き、おまえが……。
全ておまえの望みのまま。


ガラスの向こうでおまえは私を見てひそやかに笑っている。
おまえは私を、支配できると確信している。
私がボタンを押せば、この忌まわしい部屋から私は出ることが叶う。
しかし、私のこころが自由になることはもう無いのだろう。
おまえが用意した、箱庭。
部屋を遮るガラス越しにおまえは私の眼を射ぬくように見る。余裕を隠すことなく。


私は、簡素な装置の前で立ち尽くし考えていた。
ボタンを押すか、押さないか?
いや。そんなことはどうでもいい。
私は後ろをふりかえった。
この部屋のすみに、忘れ去られたようにぽつんと置かれている真っ白い椅子のところまで、私は足を進める。
それを簡素な装置の前までひきずっていった。
装置の前、私は椅子にゆっくりと腰かける。
ボタンには一切触れず、分厚い透明の向こうのおまえを、にこやかに観察していく。
たった今から、おまえを飼うね。
防音のせいか、ガラス越しの私の言葉をおまえは理解できない。
くちびるだけで微笑み、座る私を、ただじっと見ていることぐらいしか。
楽しもうよ。一緒に。
私に殺されることを待って、独り棒立ちになっているおまえを、誘う。
おまえの細い首筋にまきつく荒々しいロープが首輪に見えて、私は無邪気に笑った。
ここで、ずっと見ていてあげるね。
ね、じょうずにお願いするところ、見せて。
椅子の背に、ゆったりともたれて、私はおまえに笑いかけた。
箱庭をつくりかえよう。
おまえを所有するための、優しい檻に。

『エンターテイナー』

『エンターテイナー』

此処は舞台。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-05

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