信心茸
茸不思議小説です。縦書きでお読みください。
寝る前になると、左の薬指がむずむずしてくる。指の先がくすぐったいのだ。
パジャマに着替えてベッドにはいる。そのあと、時にはラジオを聞いたり、本を読んだりもする。布団を掛けて手を出して、胸のあたりにおいていると、必ず、むずむずしていた薬指の先から赤紫色の茸が生えてくる。ほんの一センチほどだが、半透明の傘に光が透けて、ひだひだが見える。とてもきれいだ。茸が生えてくるときは指がこそばったいが、生えてしまうと、痛くも痒くもない。指の先がちょっと重いだけで、どうってことはない。
眠くなってくると、指の中に少しずつ吸収されていき、寝てしまってからのことはわからないが、朝起きたときには、茸はもうない。
指に全く違和感はないし、見た目もなにもなっていない。ただ茸が生えるようになって夢を見ることが多くなった。夜中にふっと手を伸ばすと、女性の肌が指に触れてくる。ただそれだけだが、いつも違う肌の感触である。夢の中で顔を見たことはないが、違う女性のようだ。この歳まで一人でいると、気持ちの上では昔と変わりがないが、頭の中では伴侶を欲しているのかもしれない。
なかなか眠つけないときのことだ。眠ろうとして目をつぶっても眠れず、ちょっと目を開けると、指先で赤紫色の茸は輝いていた。窓が少しばかり明るくなったと思う頃、少しうとうととした。すると、指の先の茸はなくなっていた。
最初に茸が生えたときにはびっくりした。ベッドに入って、指がこそばゆいことに気づき、薬箱から副腎皮質ホルモン軟膏を取り出し塗った。かゆかったりしたときには有効である。ところが、むずむずはきえず、ベッドの中に入り、文庫本を持って読んでいたら、本を持っている左手の薬指の先から小さな紫色の茸が生えてきた。最初、寄生虫かと思った。よく見ると、茸である。茸はものを腐らす。指が腐るとあわてた。引っこ抜こうと、紫色の茸の傘を引っ張った。全く抜けなかった。
自分はどうなるのだろうと思った。ほかのところからも生えてくるのではないかと心配になり、なかなか寝付けなかった。しかしその日はウイスキーを飲んでいたこともあり、その後寝てしまった。朝起きると赤紫色の茸はなかった。
ちょっとほっとして、いつも通り、京王線に乗り、笹塚で都営地下鉄新宿線に乗り換え、神保町にでた。勤め先は小さな古本屋である。枯書屋(こしょや)という店で、あるじは七十を過ぎた小説家崩れで文を書くのが好きだ。毎月小冊子「枯書屋通信」を出している。自分の好きな本を5冊選び、カラー写真入りで、説明を加えて、紹介している。昭和四十五年に、あるじの父親が亡くなり、新書店だったのを古書店に変え、今に至っている。文学専門の古書店だが、おいてあるものは内容より、装丁で選んで取りそろえている。昔ゾッキだった、装丁の気に入った本を沢山買い、間口は狭いが三階立てのビルをもっていたので、二階以上に整理しておいておいた。それが、三十年ほど経つと、以外と高値で売れるようになった。
あるじの息子の子どもが本好きで、大学にはいると、おじいちゃんの店でアルバイトをはじめた。授業のないときには手伝いに来る。店主はたまに来る孫の手を借りて、私と一緒に、なんとか店を運営している。
私はとある出版社の編集者だったのだが、社長のやり方が気に入らなかったのでやめた。そんなとき、神田の古本屋をのぞきながら歩いていると、手伝い人募集の張り紙があり、この古本屋に入った。そのころ、主人がコンピューターを使えず、できる人がほしかったのだ。
腰掛けのつもりが、思っていたよりも、古本屋に面白味があることを知り、正式な店員になって五年経った。孫娘は大学院に入り、今でもアルバイトにきている。
枯書屋の店主は木枯聞次郎(こがれぶんじろう)という、なんだか時代劇の主人公のような名前だが、若い頃は絵も書いていたそうで、本は中身よりも外見に惹かれるほうだったそうだ。要するに装丁マニアである。装丁は本の中身にそったものでなければならず、装丁者は中味を引き立たせた上で、賞賛されるものを作らなければならない。聞次郎は確かにいい本を選ぶ目を持っている。そのときゾッキになっても、五年後に中身が再評価され、貴重な本になることはよくある。私も編集にたずさわていたことから、本には興味があるほうで、主人のセンスは尊敬に価するところがあった。
五年間、おやじさんから本についていろいろ学ばせてもらった。盲進的に一人の作家の本を追いかける人。本を装丁だけで集める人、まあそういう人は自分の好みがはっきりしている。ただひたすら賞を取った本しか見向かない人は、他人の目に頼る、すなわち賞に依存した、収集癖の強い人だろうし、新聞の書評をみて本を買う人は、自分で選ぶことできず、評者だよりだ。まあ、それでも本を読もうという気持のある人はいい。絵にしろ、写真にしろ、小説にしろ、日本人は、自分で選ぶことが苦手な人が多い。これは性格だけではなく、教育の的はずれなことから生じているのだろう。自分で学んで獲得していく力を損なうような教育をしているのが日本である。
古い本を整理していると、思わぬ新鮮な感覚になることがある。そこが五年もこの本屋「枯書屋」にいついた原因だろう。
そう、それと、指から茸が生えるようになったのも、ある本を読んでからだ。その本には、細菌やウイルスは何臆年も昔の地層でも生きていて、条件が整えば生き返ると書いてあった。茸だってそうだろう。
二年ほど前のことである。直接本を売りに来たイギリス人から、おやじさんが十冊ほど買った。1800年代から1900年初期のイギリスの本である。外国の本は扱わないのに、珍しくおやじさんは、かなりの額を出してその本を買った。八万もわたしている。親父さんはそんなに英語は得意ではない。大学院に入ったばかりの孫の密美だって古い外国の本をすらすら読めるような力はない。
その外人は日本を離れるので売りに来たようだが、なぜこの店に売りに来たのか、おやじさんが聞いていた。
「この店はいい本の匂いがします、古い本の匂いは茸の匂いです、本屋によっていろいろな茸の匂いがしますが、この店は新鮮な味のある茸の匂いです」
そんな意味のことを、上手な日本語で答えていた。背の高い、燕尾服が似合いそうな紳士だった。
「こんなにいただいてありがとうございます」
そう言って、外人さんは店を出ていった。おやじさんが、本を整理していた僕のほうを見た。
「黒ちゃん、この本どういうのか調べてよ」
机の上にある買った本を指さした。どんな本かわからないのに、八万も渡したんだ。
僕の名前は黒木玄人(くろきくろと)という。僕だって、そんなに英語が得意な訳じゃない。はいとは返事して、本を受け取り自分の机の上に積んだ。イギリスの本が多い、一部アメリカの本のようだが、価値は調べてみなければわからない。ちょっと大判の本もある。どれも年を経た汚れはあるが装丁はきれいなものばかりである。それで買ったんだな。
ドイルの本があった。といっても初版ではなさそうで大した値段じゃない。アンデルセン童話集がある。表紙が茸と蛙でさっぱりしていていい。アメリカのポーの本があるが、当時のものではない。一つ大判の目につく本があった。デラメアの子供用の本らしい。初版だ。これは相当なものだ。おやじさんはこれに値段を付けたのかもしれない。十万、二十万の可能性がある。と言うことは後のものはさほど高いものではないだろう。最後に手を取ったのは、B6判のハードカバーで、英語で書かれている本だ。もう色があせているが赤いきれいな茸が表紙に描かれている。タイトルは茶色っぽくなって、かなりはげて読みにくいが、Secrecy Roomとある。カリグラフィーで書かれている。イギリスのアイラにある出版社らしいが、聞いたことはない。1918年とあるからかなり古い。作者の名前がなく、PZと書いてある。ぱらぱらとめくると、ところどころに、白黒の茸の絵が描かれている。皆違う茸のようだ。茸の説明書かと、ちょっと読んでみると、違う。どうも茸を使った占いの本らしい。これはおもしろい。
おやじさんが自分の机にきた。
「どうだ」
そういわれても、いろいろ当たってみないと全く価格はわからない。
「まだ、調べてないんですけど、このデラメアの本は高いと思いますが、あとはどうでしょう」
「うん、俺もそう思った。それだけきちんと調べて、後は程々でいいよ、もしなんなら、その一冊を別にして、全部まとめて市にだしてもいいよ」
「ええ、その前に、値段を調べておきます」
「そうだな、もちろん、市に出さずにここで売ってもいいし」
「はい、あの、この本、作者の名前がなくて、古いものです、茸の占いの本ではないかと思います。見たことがない」
「高そうか」
「何とも、わかりません、時代はありますが、読ませてもらっていいですか」
「もちろんいいさ」
ということで、Secrecy Roomと言う本を読んでみることにした。
読む前にネット検索をした。海外の稀覯書、古書のサイトである。だが全くひっかかってこない。しょうがない。ぽつぽつと読もう。
開くと、少しだが埃が舞った。ちょっと吸い込んでしまった。普通の埃の匂ではない。なんだか茸臭い。
緒言に、「この本は茸の図鑑ではなく、採取方法でもない。食べ方の本でもなければ、食菌と毒菌を分ける本でもない。人生の先導者となる偉大な茸たちの紹介であり、出会いのための本である」とあった。茸の知識は全くないし、特に興味を持っていたわけではないので、むしろ自分にとって新鮮な内容が書かれているのではないかと期待した。
目次を見ると、地域、国、それに茸の名前が書いてある。茸はラテン語で書かれているようで、全くわからない。目次ごとに開いてみると、必ず茸の絵がでてきた。そのあと、文章がある。全部で八十の地域の名前がある。最初はイギリスで、七箇所ほどである。
開くとラテン語の茸の名前の後に、生えている場所が書かれている。絵の茸は本が出されているアイラ島のウイスキー醸造所の樽に希に生えるものとある。その茸は教会に寄進され、教会では懺悔にきた信者に、ウイスキーにその破片を入れ飲ます。茸が胃の中にいつけば、その人間は、自分の罪を償うために一生を捧げる人になり、肉親、恋人、尊敬する人に対する情が強くなるとある。
アイラには独特のウイスキーがある。どのようなウイスキー、いや酒でも飲めば悲しみは忘れるだろうに。いい加減な本なのか。どういう目的で作ったのかわからないところがある。ちょっと疑いの目でこの本を見るようになった。
目次のオーストラリアのところを開いてみる。オーストラリア大陸にすむ有袋類の、袋の中に生えるまれな茸とある。そんな茸聞いたことがない。袋の中の子供が乳を吸うと、そのこぼれた乳を栄養として育つ。教会が営む孤児院ではその茸を女の子に食させるという。すると母性が強くなり、子育てをよくする女性に育つとある。母性昂進の茸とある。本当だろうか。
最後の章はアジアである。中国、タイ、インド、おしまいが日本になっている。他を飛ばして、日本の項を見た。日本の神社に生える茸とある。色は赤く小さく、神社の境内や、時として神社の前にある鳥居というくぐり門の脇で見られることがあると書いてある。日本には出会いの神がいて、それを祀っている神社にしか生えない。という。
縁結びの神のことだろう。まあ、ずいぶんいい加減な話しだ。日本独特の「sake」という暖めて飲む酒を、鳥居に十日間、毎日かけると生えるそうだ。その茸が体に居着けば相手が見つかる。これはどのような意味なのだろう。そんな話しはきいたこともない。いったいどこから話をしいれたのだろうか。これだけ読むと、この本はきわもので、ある意味ではそういった本に興味のある人には貴重かもしれないが、科学的な根拠を求めるような人にはまず向かない。
そこまで読むのに時間がかかった。諸国の茸の伝承をまとめた本として、茸に興味のある人にはいいかもしれない。そういう意味では高い値をつけてもいいだろう。本を机の上に置いた。
それらの本が枯書店にきて五日経った。その本を売った紳士が再び店を訪れた。あわてた様子でおやじさんに何か言っている。
おやじさんが、「あの本まだありますよ」と言っている。僕にむかって「おーいあの本どうした」と声をあげた。
「ここにあります」と机の上を指した。
「買い戻したいと言うんだ」
「そうですか」
おやじさんと外人さんも僕のデスクにきた。
「この本をお願いしたい」
その人はその茸の本を指さした。
「いくらですかね」
外人が尋ねると、おやじさんは少しばかり考え込んで僕をみた。いくらつけたらいいと目で言っている。難しい。すると、
「八万でどうでしょう」とその人は言った。売った値段そのままじゃないか。
返してもらいたいのはてっきりデラメアの絵本かと思っていた僕は、ちょっと面食らった。おやじさんも同じ気持ちだったろう
おやじさんは、「いいですよ」といった。そのとたんその外人さんの顔がほころんだ。
僕はSecrecy Roomを袋に入れながら「世界の茸の伝承本ですね」と言ってその外人を見た。鷲鼻の老人で、ちょっと、ドラキュラを演じていた人に似ている。
「はいそうです、よくお分かりですね、奇妙な茸の本で、貴重なものです。真偽はわかりませんが、茸の本の仲間は私が持っていることを羨ましがっていました。ほかの本を袋に入れるときに間違えて入れて、持ってきてしまいました、これはイギリスにもって帰ります」
外人はほほえんで、おやじさんに八万を渡した。
ずいぶん価値のある本なのだ。いや、この紳士にとって価値があるのだろうか。
おやじさんはちょっと困惑した顔で、「一万でいいですよ」
と七万円をかえした。今度は外人さんのほうがびっくりしたようだ。
「いいんですか、ありがとうございました」
流ちょうな日本語でそういうと、嬉しそうに本を鞄に入れた。
「こちらこそ、気をつけてお帰りください」
外人さんはにこにこして、振り向いてまた礼を言うと店を出て行った。
おやじさんは呆気にとられている。
「驚いたね」
珍しくおやじさんが、そんなことを言った。
「でも、ずいぶんもうかりましたね」
「うん、だけどあの本は本当にそれだけの価値があったのかね」
「好事家には知られた本なのかもしれませんね」
渡してしまったら、なんだかもっと読みたくなった。
そのようなことがあり、一月もたった頃だろうか。すんでいるアパートをでて、駅に向かう途中にある神社の鳥居が目に留まった。出雲大社の系列のようで出雲神社とある。縁結び神社だ。あのSecrecy Roomに鳥居に酒を十日かけると茸が生え、それを澗酒に入れて飲むと、縁があると書かれていた神社だ。迷信を本気で考えたことがないが、信じないときめつけてもいない。やってみようかなどとちらっと思いながら、足早で駅に向かい、いつもの電車にのった。
「黒木さんお酒のみますよね」
店のデスクで仕事をしていると、おやじさんの孫の密美ちゃんが、包みをもってきた。僕はうなずいた。
「これ、友達がくれたんだけど、私は日本酒飲まないし、おじいちゃんはまったくだめでしょ、お父さんものめないの、黒木さんよかったら飲んでくれますか」
机においた酒の包みを見ると、高清水とある。秋田の銘酒である。
「いいのかな」
「うん、私はどちらかというと、ワインかな」
「それじゃ遠慮なく、日本酒はたまに飲みたくなるんですよ」
「一人で飲むのがいいんですね」
僕は頭をかいた。裏の道に入ればちょっとした飲み屋があるのだが、行ったことがない。だから蜜ちゃんにそう言われてしまったわけだ。
「そう言う訳じゃないけど、一人だから一人で呑むしかないから」
密ちゃんは笑って、「古本の方が好きなのですね」
と、本棚の整理を始めた。いや、そんなことはないけどと言いたかったのだが、いいそびれた。ふっと、理由もなく家の近くの縁結び神社の鳥居が思い出された。
あれ以来外国の本を売りにくる人はいない。残った本は、密ちゃんがおじいさんにねだって、バイト代がわりにと持っていってしまった。あのデラメアの絵本はとても価値がある。密チャンは得したなと思っていたら、密ちゃんはあのアンデルセンの童話集に興味があったようだ。おもしろいと言っていた。茸の絵のある表紙の本だ。
あれから僕も茸に興味を持った。茸の伝説に関わる本がないか探してみたが、なかなかないもので、まだ一冊も目にしていない。
秋の客のこないある日、暇を持て余して、ネットで地方の茸の本を調べていたら、岐阜の保健所がだしている食毒茸の見分け方、危険性、さらに食茸の料理の仕方がのっている冊子がでてきた。ネットでも内容を公開していた。その中で黒皮と言う松茸林に生える茸が、ちっと渋みのある男の酒の茸であるとあった。もちろん東京では売っていない。ネットで調べても売っていない。食べてみたいものだと思っているところに、偶然は重なるものである。地元につとめた信州の大学の同級生が、松茸を送ってくれた。沢山とれたそうで、そのとき一緒に黒皮もとれたといれてくれた。
塩水にちょっと入れ、虫を追い出して、ゆでても蒸しても食べるといいと言うことだったので、さっそくやってみた。日本酒に合うということなので、蜜ちゃんからもらった酒を暖めた。日本酒はあまり得意ではないが、ほろ苦い男の茸と一緒の熱燗はよかった。
そこで、またあのイギリス紳士が買い戻した。Secrecy Roomが気になった。
次の朝、日本酒を殻の小さな薬瓶に入れて、家を出た。酔狂にも縁結神社にかけようと思ったのだ。神社の前で、ちょいとかがんで鳥居にかけた。誰も見ていない。そのまま駅に向かった。九月一日関東大震災の日である。その日から毎日、十日まで酒を鳥居にかけた。今思うとなぜそんなことをしたのかよくわからない。人間の頭など謎だらけだ。十日間、あれをしなさいなどといわれたら、めんどくさくてそんなことをしたくないと思うものだが、せっせと酒を薬瓶に入れて、毎日鳥居にかけてしまったのだ。魔法にかけられたというのはこう言うことを言うのだろう。
十日間、酒をかけ終わった次の日は、くしくも日曜日、休みにも関わらず、朝早く起きると、神社の鳥居にいってみた。まだ六時である。鳥居の下を見た。茸など生えていない。頭の中でちょっとがっかりしている。いったい自分はなにを期待しているんだ。わびしくなりかけ、意を取り直して、鳥居をくぐって誰も居ない境内に入った。社に向かって歩いた。小さな神社だが、建物は二百年を過ぎていると、近くの薬屋の主人に聞いたことがある。
境内はきれいに管理されており、気持のいいところだ。ずいぶん長くこの地に住んでいるのに、じっくり見たことがない。ポケットから小銭入れをとりだして、五円玉を選び賽銭箱に投げ込んだ。直立で二礼二拍子一礼とマニュアルに乗っ取って挨拶をした。こんなこともはじめてだ。神社に賽銭をほおるという事をしたのも初めてだ。まだ魔法が解けていないということだろうか。僕がそのとき考えていたのは、ここのご神体はなにかということだった。鏡か、木彫か、それともただの木の根っこか。
「ご神体は鏡でございます」と後ろから清らかな声がした。
僕の脳の中をのぞいていたのは誰だ。振り向くと、赤い袴をきて、白い着物をまとった女性が僕の脇にいた。
「縁結びの神が祀られております、ご祈祷をお望みですか」とその女性は言った。ずいぶん整った顔をした人だ。白く塗っているので、古い時代の雛人形のようだ。
「あ、いい、いや」と、どもってしまった。
「巫女さんですか」
やっとまともに声を出すことができたが、なんて質問だ。
「いえ、神主でございます、今日はこの神社の創立の日にございます、九月十一日、これから、氏子が集まりますので、準備しに参ったのです」
「あ、おじゃまして、すみません」
「いえ、こちらこそ参拝のおじゃまをいたしました」、
そう言いながら、彼女は社殿の階段をのぼった。草履を脱いで回廊に上がり、戸を開けて中に入った。本当に小さな神社だ。人が五人も入れば満員だ。正面には鏡がおかれている。
その前にすっと立った女性の神主さんは、振り向くと、
「お名前をおきかせいただいていいですか」と言った。
「え、ええ、黒木玄人ですが」
神主の彼女は腰を深く折り曲げ、話しているときとは違う低い声でうなりはじめた。内容が僕にわかるわけはないが、くろきくろとというところだけはわかった。ほんの一分ほどだったが、腰を上げると、振り返って、
「ご縁のあるよう、祈らせていただきました」
ちょっと微笑んだ。まなざしが柔らかくなった。
たった五円しかいれていないと、変なことが気になった。
「今日という日に偶然いらっしゃいましたからには、神社にとって、大事なお方だと思いましたので、勝ってでございましたが、神に、黒木様がいらしたことを報告し、神の役目を果たしていただくべく、願いをいたしました」
「ど、どうもありがとうございましたあ」
声が上ずってしまった。
「お参りありがとうございます、いつでもおよりくださいまし、私はこれから、中を清めます」
女性の宮司は隅におかれていたバケツと雑巾をとりだした。清めるとは掃除をすることだとわかると、そのときまで全く考えてもいないことが口からでた。
「あの、お手伝いいたしましょうか」
日曜日、部屋に帰ってもなにもやることがないことはたしかだが。
「氏子さまでもないのに、そのようなことをしていただいたら、神に叱られます」
「いえ、祈祷をしていただきましたので、お礼です」
宮司さんはまたにっこり笑った。
「それでは、よろしいですか、すぐ裏に水がでているところがございます、このバケツに水をくんできていただけませんでしょうか」
宮司が雑巾バケツを持っておりてきた。大きいものではない。僕は受け取ると、ぐるりと本殿の脇を回って裏にいった。裏には広い庭園がある。このようになっているとは知らなかった。社の大きさからすると、かなり広いものである。木が茂っており、小さな池がある。
池の縁の一角に小高い石積みがあり、そこからでている竹筒から水が池におちている。地下水を汲み上げているようだ。
水をくむため、かがむと、石積みの脇に赤い茸が生えている。赤い茸に指を触れてみた。くにゃっと赤い茸の頭が曲がった。放すと赤い茸はぷるんと揺れた。
Secrecy Roomには鳥居に赤い小さな茸が生えると書いてあった。鳥居ではないが、このことなのだろうか。そう思いながらバケツに水を満たした。
社殿にバケツを届けると、神主さんが、
「もう出会いがございましたでしょう」
不思議な笑みを浮かべた。意味も分からず、
「はあ」と返事を返した。
「ありがとうございました」
彼女はバケツに雑巾をいれ、しぼって奥にいった。
鳥居をくぐって二人のおじいさんがやってきた。
「おそうなって、すまんです」
氏子たちのようだ。
「いえ、今始めるところです」
神主さんが手を動かしながら返事をしている。
僕はそこから離れ、もう一度、池にいった。水の出ている石積みの下に出ていた、赤い茸はなくなっている。池の周りを歩いてみた。茸など全く生えていなかった。不思議なことなのだが、ああ、なくなってしまった、としか思わずに、家に変えることにした。境内には氏子たちが集まり始めていた。
休日の常として、朝食後、一冊の本を選び、拾い読みをする。その日は中井英夫の本を開いた。中井英夫は短歌雑誌の編集に携わっていたことがあり、寺山修司、塚本邦男を見いだした人である。探偵小説マニアなら誰でも知っている人だが、一方で、幻想小説マニアにとって、後半の澁澤龍彦とともに、その世界の神様のような人だ。僕はさほどよくわかっていないが、文章のわかりやすさ、一貫した幻視の姿勢、そんな風に思っていた。
枯書屋にはいって一年目のとき、古書店のための入札会におやじさんが連れて行ってくれたことがある。それぞれの店のだした本が束になって積んである。一方で、一冊ごとに丁寧に並べてあるところがある。いずれも番号がふってあり、それを見て、欲しい本に古書店の人は番号と値段を書いた札を箱に入れていく。一番高い値をつけた古書店にその本がいくことになる。おやじさんは、本当の意味での古書の部分はさっと見て、束になったところをじっくりみる。束の中にお宝が混じっていることがあるからだ。古書店それぞれが顧客からたのまれてだしたもの、古書店自身がひとまとめにしてだしたもの、いろいろある。親が亡くなったので、引き取ってほしいという本はずいぶんあるようだ。その中で、色分けをして、売りに出す。
そのときおやじさんが目に留めたのは、五十冊ほどの古い本の束で、薄っぺらいもの、半分壊れそうな箱に入ったもの、背の角がなくなったもの、どれも焼けが目立つものだった。おやじさんは五千円と書いた札を箱にいれていた。
おやじさんが、いきなり、「興味のあるのがあったら、値を付けて入れてみたらいい」と言った。まだ本の価値はよくわからない。本の編集をしていただけであるから、古本の値段を知っているはずはない。そう言った顔をしていたのだろう、
「十冊を千円で買って、その中の一冊が千五百円で売れればたいしたもんだよ」
とおやじさんは言った。
そういうものなのだろう。それで、おやじさんから離れて、束になっている本の背を見て歩いた。一つ気になった、ちょっと古いが、整えられている本の束があった。十八冊あった。知っている作家がいくつかはいっている。塚本邦男、中井英夫、高橋たか子、吉田知子、泉名月、森マリ、清水邦夫、など、ざっとみると、特に目立つ本ははいってない。中井の本がそのうち八冊ある。初版ならば売るのに一冊千円から千五百円つけていいだろう。三冊売れて、三千円から四千五百円、ならば三千円いれてみるか、とおやじさんをつれてきてその束を見てもらった。
「ほほう、堅い買いもんだな、悪くないぞ、やってみな、おちるかおちないかだろうな」と言われた。
「ポケットマネーでいれます」
と言ったら、おやじさんは笑って、「うちの買いもんでやれよ」と言ってくれた。
それはうまくいき、競り落とすことにはじめて成功した。嬉しいことにほぼすべて初版だった。さてそれらに値段をつけて店頭に出したのだが、一月たって、二冊売れただけである。売れたのはやはり、帯がきちんとついているものであり、一年後にもかなり残っていた。
中井は読んでみたいこともあり、おやじさんに自分が買いますと言ったところ、二百円でいいよと言われたので、残っていた中井の本五冊を千円で買った。帯のないものである。
手に取ったのはその中の一冊である。「名なしの森」と題された本で、八つの短編からなる。装丁が野中ユリで、好きな装丁家だ。朝から読み始めて、昼には三編を読み終わった。昼は駅前通りのラーメン屋に行った。
帰りに出雲神社に行ってみると、もう誰もおらず、閑散としている。裏ににまわって、池をみたのだが、茸はやはり生えていなかった。
ぶらぶらして、家に帰り、また「名無しの森」の続きを読んだ。
それぞれの短編はやはり言葉の名手で、幻想小説の神様だけあっておもしろい。最後の一つ手前の「あるふぁべてぃく」は茸の話で、これは、と期待をしたのだが、幻想小説ではなく、茸の毒をあつかった心理小説だった。
本を読み終わって、カレーを食べ、ウイスキーを寝酒として飲んで、ベッドに入ったときに、薬指に茸が生えてきたのである。
それから毎日、寝るときには薬指から赤紫色の茸が生え、ひとしきり、自分の目の前できれいな姿をひけらかして眠りを誘い、いつの間にか朝には消えている。形はいずも神社で見たものと似てなくもないが、大きさは小さいし、色は赤ではない。
かれこれ二年以上、茸は変わりなく、寝る前に顔を出した。しかし、傘は大きく開くことはなく、そのまま指の中に入っていく。そこでつと思った。体のいろいろなところから生えるという危惧はなくなったわけではないが、今まで何もなかったので心配しなくなった。それよりもし傘が開いて胞子が舞ったらどうなるだろうと、心配になってきた。
しかしそれも杞憂なようで、茸の形はかわらないままだった。それにしても昼間茸は指の中のどこにいるだろう。懐中電灯を薬指にくっつけて光を当てても、ただ赤く透けるだけである。中に何か入っているようには見えない。
なぜ人に相談しなかったかというと、寝て起きるまでの間の出来事で、人に見せることができない。話しても頭を疑われるだけである。
神田の町を歩く人たちが、上着を着るようになった。密ちゃんが、女性を連れて、枯書屋にやってきた。アルバイトの日ではなかった。女性をおやじさん、彼女にとってはおじいさんに紹介している。
「大学の研究室に今年はいった、魅木密希(みきみつき)さん、卒業して、家業をついたのだけど、茸文学の研究をするのに大学院に入ったのよ、私いろいろ教えていただいているの」
蜜美と同級生ということのようだが、年はかなり上である。感じでは三十後半だろうか。名前が似ている。
「それは、密美がお世話になっています」
親父さんが椅子から立ち上がってにこにこしている。これも珍しい。
「それで、本のことを知りたいのでおじいちゃんに相談しにきたの」
「わしには、わからんですが、黒木なら調べてくれるでしょう」
そう言って、僕の方をみた。
みっちゃんと、その女性がきた。
顔を見たとき、ついつい、あれっ、神主さん、と声をだしてしまった。どこかで聞いたことがある声だと思っていたのだが。あの神社の出来事が思い出される。あれから指に茸が生えるようになった。
「あ、あのときの方」
魅木密希も驚いたようだ。
「神主さんって?」
密ちゃんが、と不思議そうな顔をした。
「住んでいるところの近くの神社の神主さん」
「え、魅木さんは神主さんだったの」
密ちゃんも知らなかったらしい。
「ええ、父の跡を継いだの、学生時代から、巫女をさせられていたので、神官を継ぐのはいやじゃなかったけど、もう少し文学の勉強もしたかったから、大学院に入ったのよ」
文学部出身の神主さんか。
「どのような本のことを知りたいのですか」
「熊楠は神社の統合に反対し、神社を守ることは、茸や粘菌、自然を守ることにつながると主張したわけですけど、神社が熊楠を茸に目覚めさせる何かをしたのではないかと思っています、熊楠の本はいろいろ読みましたが、神社と熊楠の関係をもっと知りたいと思っています」
「魅木さんの卒論は熊楠だったの、私も学部生の頃、ああいうすごい卒業論文書いてみたいと思っていたの」
「熊楠そのものが茸に興味を持っていて、自然とそうなったとは考えられないのですか」
「それが普通だと思います。実際ににもそうかもしれません、実は私の神社に、古い書があり、氏子たちに信心茸を配ったということがかいてありました。結束を強くする茸でもあるようです。そんなこともあって、熊楠と茸、神社のことをもっと知りたいのです」
「そうなると、熊楠が関係した神社にいって、神社の古文書をみせてもらうしかないでしょうね、本はむずかしいかもしれない」
「そうですね、文献はさがしているのですけど」
「ところで、信神茸とは面白いお話ですね」
「はい、神社開祖の日に、氏子に神社に生える茸を食べさせて、お祝い事をしたようです、茸を食べると、皆に連帯感を抱かせ、しかも体によいということです」
「そんな茸があるのですね、そういったたぐいのことが書かれた本があったら、神社の方にお知らせにいきますよ」
「私あの神社に住んではおりません、馬場にいます」
「そうですか、では密美さんに知らせます」
「お願いします」」
「黒木さん、お願いします、私たちこれから、古本屋周りするの」
「いい本がみつかるといいですね」
そういうと二人は出て行った。僕の頭の中にはあの不思議な茸の本「Secrecy Room」がちらしらしていた。
「黒ちゃん、あの女性知ってるの」おやじさんが不思議そうな顔をしている。
「偶然なんですけど、僕の住んでいるマンションの近くにある神社の宮司さんで、一度会ったことがあるのです、二年も前の話になりますけど」
「へー、かなりの美人じゃないの」
「そうですね」
「黒ちゃん、何で一人なの」
今まで、おやじさんが僕のことを聞いたことがないのに、今日は珍しい。
「うーん、運命ですよ、本の方がおもしろい」
「そうだよな、しなくてすむならしないほうがいいよな」
どういう意味なんだろう。それにしても今になっちゃ、指から茸は生えるし、相手が気味悪がるに違いない。茸は寝る前に薬指から必ず顔を出す。クスリユビの先にポチッと赤紫のシミができると、膨らんで、血が出てくるように丸く盛り上がり、傘と柄が伸びて膨らんでくる。大きくなった傘はとてもきれいに光が屈折して輝く。触ってみると冷たくて、弾力がある。そういえば、神社に生えた茸の笠の感触もこのような感じだった。
はじめ引っこ抜こうとしたとき指が抜けそうに痛くなった。切ろうとしたこともある。はさみの先で傘のところをちょっと木ったら、血がぽたぽたと垂れて、ベッドを赤く染めた。かなりの出血だった。もしちょんぎったら、体の血がなくなりそうで怖い。そんなことで、それからはなにもしないようにしている。茸は存在するだけで何も悪さをしない。疣や黒子と考えよう。
茸を思い出しながら「Secrecy Room」を探してみようと思った。
それから、イギリスの古書店のホームページを開け、「Secrecy Room]を検索した。ロンドンの名だたる古書店から始めたわけである。仕事の合間にやっていたこともあり、なかなか時間がとれないが、それでも一日に二、三件のホームページから検索をかけた。
魅木さんが密ちゃんときてから二月ほどした、初めて雪がちらついた日だった。
スコットランドの小さな古本屋がひっかかってきた。そこに茸の図鑑と一緒に「Secrecy Room」がリストの中にあった。300ポンドもする。説明書きにはかなり保存状態はいいとあった。ただ書き込み、新聞切り抜きの張り付けがあるとある。アドレスが書いてあったので、メイルを入れて、欲しい旨と、支払方法について質問をした。すぐには返事がこなかったが、次の日に、航空便の価格を上乗せした金額が示され、振込先が書いてあった。本の写真を送ってきてくれて、このような状態だがいいかという問い合わせがあった。まじめな本屋のようなので安心してよさそうだ。どこから手に入れたのか質問してみたら、近くの教会の図書室にあったものを払い下げてもらったというようなことが書いてあった。
その本は自分で購入をした。手にするまでに半月近くかかったが、ともかく本は無事マンションに届けられた。赤い茸の絵のついた紺色の表紙の、B6判ハードカバーの本である。あのイギリス人が売りに来たものより状態はいいようだ。五万円ほどかけてしまったが、いらなくなったら売りに出せばいいだろう。
表紙にははげているが赤い字で「Secrecy Room」とある。その下に薄れていて見づらいが、赤いイタリック体で、Peter Zoiaと作者の名前が小さく入っている。イギリス人がもってきた本の表紙の著者名は全く消えてしまっていた。
前は序を読んでいない。辞書を片手に読んでみる。
著者はいろいろな国を回って、宗教関係の施設を訪ね、茸と宗教の関係などを調べたようである。その当時の世界旅行というと、よほどの資産家だったのだろう。ヨーロッパはもちろん、体陸続きのインド中国などにも行って、日本にもきたことが書いてある。それぞれの国で、話を聞かせてくれた人に謝辞をのせているが、JapanのKoizumiに日本のことを教わった、感謝するとあるとある。
最後にまとめには日本の神社のことも書いてあった。寺より神社の方が茸と強い関わりがあるようで、いくつか伝承があったが、日本のことをよく知るKoizumiに聞いた話をのせたとある。それはChoufumuraにある神社の神主からKoizumiが聞いたことと記してあった。そこでふと、Koizumiとは八雲のことではないかと思った。八雲が日本にいる頃に著者は日本に来たのではないだろうか。八雲は1901年に日本に来ている。
おもしろいのは調布村である。自分がすんでいるところは調布村のはずれ、新宿よりになる。まさか、あの魅木さんの神社ではないだろうが、この本を見せると喜ぶに違いない。
数日後、密ちゃんが枯書屋にバイトにきたときに、話をしてその本を見せた。
「黒木さん、貸してください、明日魅木さん大学に来るので、見せたいけどいいですか」
「もちろん、いいですよ、もし入りようだったら、実費だけでお譲りしますよ、ただ、かなり高いですけどね」
「いくらかかったの」
「イギリスからの郵送費を入れて、六万ほど」
「ほんとに高いわね」
「読み終わるまでお貸しするのでもいいですよ、僕は日本のところをちょっと読んだだけですけど」
「それは嬉しいわ」
その数日後、魅木密希から直接店に電話があった。本を貸りたお礼と、今度の日曜日に神社に行くので、会えないかというものだった。本は欲しいと言うことで、お金を持ってくると言う。
指定された十一時に境内に行くと、魅木はすでに来ていて境内を掃いていた。白いはかまで神主の格好をしている。
「おはようございます、早いすね」
「あ、おはようございます、すみません、せっかくの日曜日、あの本と出会えて嬉しかったです」
魅木は黒木を見ると掃くのをやめた。
「いいえ、どうせいつも本を読むかDVDを見るかしているだけですから、この神社には休むところありませんけど、そのかっこうで電車に乗ってくるのですか」
「いえ、車で来ています、裏の道をちょっと歩くと、うちの社務所があって、駐車場もあります」
それで納得できた。
「神社は小さいけど、昔はこのあたりすべてがうちの敷地で、木が鬱蒼と茂っていて、茸の宝庫だったと聞きます、いろいろな事情で、神社だけになってしまったようですが、祖父の代のときに、近くの土地を買い、社務所を作ったということでした」
「そうですか、あの本は役にたちそうですか」
「もちろんです、社務所の方でお話ししませんか、掃除はもう終りにしますから、裏の方に行きましょう」
彼女はそのままの格好で、神社の裏の池のところに行った。
「この池は昔のままです、神社は明治の中頃に建て替えられています」
そういって、いきなり僕をみた。
「黒木さん、この間、この神社の開かれた記念日にいらっしゃいましたね、その時この水のでるところで赤い茸をごらんになりませんでしたか」
僕はうなずいた。
「あの茸は滅多に生えませんのよ」
曖昧にうなずいた。なにが言いたいのかわからなかったからだ。
「まいりましょう」
彼女は箒を持ったまま、神社の裏の出口から、細い通りにでた。住宅街のようだ。こちらの方には来たことがない。三分も歩かないところに社務所はあった。プレハブのような建物を想像していたのだが、桧づくりの宮大工が作ったと思われる立派なものだった。駐車場の脇にはお札を配る小屋まであった。
魅木密希は鍵を開け、引き戸をあけて、「どうぞ」と振り向いた。僕が中にはいると、鍵をかけた。そのときはなにも考えなかったが、人に入ってこられては困るわけがあったのだ。
一階は畳の集会所になっていて、給湯施設も完備していた。トイレもある。
「お二階にどうぞ」
二階は一つの部屋は巫女などが休むところ、もう一つは神官の部屋のようである。そちらに通された。洋室で、デスクと本棚、それに衣装棚があった。
椅子に座ると、魅木は「この本をごらんになってください」
本棚から、ぼろぼろになった本を取り、僕の前のテーブルに置いた。
「これは、もしかすると、Secrecy Roomではないですか」
「そうです、この神社にあった本です、この神社は創設が200年ほど前と言うことになっていますが、その前から、地元の人たちが祀っていた小さな神社があったようです、今は出雲神社の系列に入っていますが、そのころは、ここに生えていた茸のたたりを封じ込めようと作られたようです。
Secrecy Roomの作者はこの地にきたのではなく、小泉から聞いた話を書いたものと思います。黒木さんもおわかりになったでしょうけど、小泉八雲です。
「それじゃ、この本はもう読んでいらしたのですね、」
「ええ、一部は読みました、ごらんになってください、神社にあったものは、ずいぶん破れや汚れがひどく、特にうちの神社の話のところは、読めないくらいになっています、私も探したのですが、みつかりませんでした、さすがに古書店にお勤めの黒木さんです、買わせてせてください、読みとりにくかったところがはっきりしました」
「それはよかったです」
「この本の前からあった、この神社に伝わる話をいたしましょう、村人たちが建てた神社は、魔除けの神社でした。どのような魔かというと、体や心に巣食った魔で、言うなれば病除けの神社として始まったわけです。その冊子によると、やる気が起きないとき、変なことばかり考えるようになったとき、神社にきて、宮司の話をきき、薬をもらうと、まっとうな考えを持つようになり、仕事に精進することができるようになったとされています。
もちろん、宮司が話をし、相談にきた人間を鎮めます、それに、持たしたものはすぐに利く砂糖のたぐい、それに茸だったそうです。どのようなキノコだったかは書いてありませんでしたが、裏の水際に生えている茸を、その信者にそれぞれみつくろったとあります。赤い茸もあれば黄色い茸もある。小さな茸もあれば太い茸もある。茸は心の安定にとてもよく利いたとされています。神社はやがて、気の病を治すものから、かなえられない希望をかなえてくれるありがたいものに変わっていきました。
与えられた茸がいつの間にか体の中に入り、原因ともなるところにいつき、生えてきて、夢の中で望みがかないました。昭和の初めになると、戦争にかり出される者も多く、身内の戦死者が増えました。身内を元に戻して欲しいと願うのはあたりまえ、とても政府ではかなえることができない相談ですが、この神社はその夢を与えました。会いたいと思えば夢の中に必ず身内が現れたのです。会話もすることができ、夫婦なら夜の営みもできました」
「茸は体に入っただけですか、外にでてきたりしないのですか」
「黒木さん、後でお聞きするつもりでした、茸がとりつきましたね」
僕はうなずいた。
「黒木さんが、神社にきて、お手伝いくださったとき、池の縁に生えていた茸がいなくなりました。もしやと思っておりましたの」
「あのときから、寝る前に指先からきれいな茸が生え、夢を見ます」
「その夢は黒木さんの願望です、のぞみです、その茸をとらない限り、夢の中だけで満たされます、人によってはそれで十分という方もいます」
「茸をとることができるのですか」
「はい、この神社は、現実に満たされない人の為に茸を授けます、夢の中だけで満たされるだけでは満足しない方は、茸を取り除きます」
魅木は立ち上がると、本棚においてあるいくつかの木箱の中から一つ選んでもってきた。開けて中を見せてくれたが、いろいろな色の茸が、札を結びつけられて、ならべられてあった。しなびていない。
「この赤い茸は、左足の悪い女の人に生えたものです。寝る前に左足の膝から生えたのです。彼女は夢の中で、ふつうに歩き、山にも登り、彼ともデートをして、満たされていました、しかし、本当の彼氏にそのことを打ち明けると、足が悪くてもいい、夢だけで満足しないで、本当にしようと、結婚をし、氏子だった彼女は、私のところに茸を抜いて欲しいときたのです、私は祝福の言葉とともに、茸を体から追い出す祈祷をしました。その茸です」
「からだからとってしまっても、しなびないのですか」
「はい、私が養っています、私の祈祷でこの茸たちは生きています
「だけど、なぜ生かしておくのです」
「今言いましたように、現実に幸せになれた方が、再び必要になることもあるので、それまで育てているのです」
「再びというのは」
「そうなって欲しくないのですが、もし彼女の身内に不幸があったときに、夢の中ででも会いたいと思ったとき、神社にきて、この茸をまたからだに戻すのです」
「どうやって」
その質問には彼女は笑って首を横に振った。
「私もわかりません、昔からの祈祷をすると、からだにはいります」
「氏子になるのはどうしたらいいのですか」
「黒木さんは茸に出会った、もう氏子です、私にも会った。こういう形で自然と氏子が増えていきます、いったん離れた人もいますし、亡くなった人もいますが、いつも大体同じ人数、八百人ほど日本におります」
「なくなった人の茸はどうなるのですか」
「それはそのまま体に残り、亡くなった人とともに焼かれ、消滅いたします」
「神社や茸との出会いは偶然ですか」
「必然ではありませんが、偶然でもありません、出会いのきっかけは様々です、この「Secrecy Room」が出会いのきっかけで氏子になったのは、もう一人います、アンドリュー ヘステッジさん、彼はイギリスに残してきた年老いた母親の面倒を見るために国に帰りました、しかし日本にいる日本人の奥さんと子供が気になり、ジレンマに陥っていました。そのとき、この本を読み、調べたあげく、この神社にきました、そのときも私が境内にいて、池の畔の茸が彼の気持ちの中に入りました」
あの本を売りにきた紳士もこの神社の氏子だったのだ。
「そのような場合にはどこに茸がはえるのでしょう」
「気持ちの問題の時には、頭の中に茸はいます。夢の中で会いたいと願う人は、寝る前に涙の線から茸が生えてきます」
「なぜこの茸はこの神社だけに生えるのでしょう」
「計り知れない、不思議はいくらでもあるのです、この宇宙の存在のように」
「魅木さんに茸はついていないのですか」
「もちろん、茸は体にいます、頭の中と子宮の中です、いったりきたりしています」
子宮の中というのは何だろう。
「子宮と頭の中の具合がお悪いのですか」
「黒木さんはも大人の男性、はっきりお聞きしていいかしら、なぜ指に茸が生えたのかしら、どんな夢をごらんになるの」
この問いに答えるのは恥ずかしい思いもあるが、もうこの年である。
「夢の中で、手を伸ばすと、隣にだれか寝ていて、肌が指に触れるのです」
「女性の肌ですね、すてきな優しい方なのですね、指先で触れるだけですか」
「はい、それ以上には、だらしない男といったところですか」
「いや、そんなつもりで言ったのではありません、黒木さんは文学には詳しくていらっしゃる、人間は人様々であることを知っていらっしゃるから、お話ししましょう、氏子の誰も知らないことです」
彼女の目が一瞬遠くを見る、鋭い眼になった。
「今はいない両親も知らなかったことです」
彼女は袴から上着を外に出すと、合わせを解いて、前をはだけた。
きれいな体をしている。しかし程良い大きさの乳房があるところは、白い晒しが巻かれていた。
僕にはまだ意味するところがわからなかった。
「私は小学生の頃から、ズボンが好きで、短い髪が好きでした。かわいい女の子の友達がたくさんいました。中学になると、無性に、かわいい女の子の胸に触りたくなりました。親から口の効き方をもっと女の子らしくしなさいとしかられました。高校になると、うわべは女の子のような口のきき方をしましたが、自分は男だと思うようになりました。親にはそのような素振りは全く見せませんでした。カミングアウトという言葉が今では普通に使われるようになっています、しかし、高校の時、父親に「お前もいろいろ悩みがあるのだろう、今日、神社のことを話してやろう、祈祷もするぞ」
といわれ、夜、父とともに神社の社の中で話を聞きました。この神社の役割を知り、悩みをいやす茸を授かることになりました。
儀式が終わると「これでおまえも、楽に楽しく暮らしていけるのだよ、好きなことをしなさい」
と父は言いました。父はわかっていたようです。
その夜、寝る前に左の人差し指の先から、何かがでてきてきました。
見ると指の先から紫色の茸が傘をだしていました。茸が自分のからだから生えてきたのです。父が話してくれた茸が生えたんだ、と思いましたが、まさか本当にそのようなことが起こるとは思っていませんでしたので、心配になりました。ベッドにはいりましたがなかなか寝付けませんでした。それでもいつの間にか寝ていたのでしょう、夢を見ました。高校の同級生でかわいい女友達がいました。色が白くて柔らかな肌をしていて、私のあこがれでした。男として彼女を見ていたのです。夢の中で、私の茸の生えた手が肩をつかみ、唇を奪い、乳房に触れました。私の指の先の茸は固くなっていました。足を開かせて、滑り込ませました。今でもいろいろな娘と夢の中で男になって恋をします、だから、生きている私は女でいられるのです」
僕は彼女の、女性としとてもきれいな目元を見た。男の気配は全くなかった。
自分の指の茸はどうしたらいいだろう。柔らかい薬指の茸。
それよりもなぜ生えたのだろう。自分にはどのような望みがあるのだろう。自分でも分からない煮え切らないところが問題なのだろう。
「熊楠がこの茸を体に宿していたのではないかと思います」
「熊楠に悩みがあったのでしょうか」
「はい、アメリカ、イギリスとまたにかけ、有名な理系雑誌に論文を書き、しかし、日本に戻っても、なにもわかってもらえないもどかしさがあったのではないでしょうか。どこかの神社で、この茸が体に入り、この茸のことを知って、神社でしか生きられないこの茸を守ることをしなければいけないと行動にでたのではないでしょうか。彼のバイタリティーは夢の中で、茸と会話し、世の中の憂さを議論し、自分をつくりあげていったのでしょう。熊楠は心霊現象を信じていました。茸が体の中に入っていたからです。それを基盤にして、世に向かっていったのだと思います。大学院ではどこの神社に行ったのか調べ、ここの神社と同じ茸が生えているところを探そうと思います」
とてもしっかりしている。自分に欠けているものだ。
「僕は氏子として、しばらくこのままでいます」
彼女はそれを聞いてほほえんだ。
「いつか、私に生えてくる茸をごらんになっていただけるかもしれませんね」
どういうことだろう。彼女の人差し指から生えてきた紫色の茸。見たいことは見たい。
彼女の目元を見ていると、やっぱり女性にしか見えなかった。自分の指に茸が生えていなければ、作り話にしか聞こえなかっただろう。
彼女は自分に生えた茸を僕に見せると言った。僕が見たいと思うようになるということだろうか。
いや、そんなことはない。
今自分で考えついたことを否定した。
自分の声が聞こえた。いや指の中の茸が言ったのかもしれない。
彼女はあんたの女の部分を見て言ったのじゃないか。
僕は彼女を見た。
彼女の目から女性が消えて、男の目になっていた。
信心茸