年の瀬
むかえにきたね。あのひとは、黒に塗った長い爪で、わたしのワンピースの襟ぐりを弱々しく摘まんだ。宇宙では日々、どこかで、大爆発が起きているのだと、サクマがおしえてくれた。十二月三十日の水族館に、ネルが行きたがっていて、このくそいそがしいときにと文句を言いながらも、久里さんはネルを水族館に連れて行った。シャチに逢っておきたいのだろうと思うと、久里さんも鬼にはなれなかったのだ。ネルはおきにいりの、魚柄のスカートをはいていた。わたしはサクマと、ひとがごみごみしているショッピングモールのドーナツやさんで、ドーナツを買うために並びながら、なんか今年は、たくさんドーナツを食べた気がして、覚えている限りでドーナツを食べた回数を数えていた。ぼくらは神さまからみたら所詮、かんたんに踏みつけられる蟻の大群みたいなものでしょと諦念満載に呟いたのも、そういえばサクマだったか。わたしたちのなかではいちばんこどものくせに、いろんなことを知っていて、いろんなことを諦めているのが、サクマなのだ。
シャチの水槽でシャチといっしょに暮らすのが、ネルの夢である。
サクマはさいきん、別次元のサクマの話をする。別次元のサクマのことを、サクマはベータと呼び、ベータの方はさいきん、街に突如できた大穴の地底湖のなかに、おとうさんとおかあさんを見つけたのだという。いま、この次元のサクマに、わたしたちがいるように、ベータのサクマにもそういうひとたちがいて、地底湖にいますぐ飛び込みたい衝動と葛藤しているらしい。大変だねと言うと、サクマは、ベータはちょっと優柔不断で中途半端なところがあるんだと、かよわいものを慈しむような調子で答えた。
ショーケースのなかのドーナツは、どんどん売れてゆくけれど、つぎつぎと補充もされていて、わたしはとにかくチョコレートははずせないなと思いながら、そういえば久里さんはいわゆる恋敵と対峙しに行ったわけだが大丈夫だろうかと、茫洋とした想像をする。
うなじにできた爪のあとが、ときどき痛む。
年の瀬