執着心をほどほどに。

 僕は今までの人生、何かに対して執着心を抱くことがなかった。よく遊んでいたおもちゃ、よく着ていた服、よく使っていた腕時計、よくやっていたサッカー、よく一緒にいた友人。それらと別れを告げた時、僕は一切の未練を感じずに手を振っていた。追いかけようとせず、縋ろうともせず、ただ突っ立って見送っていた。自ら取り戻したり、縁を戻そうともしなかった。そういうものだと思っていたから。

 この執着心を、人は一般に「好き」という感情として認識しているのだと、僕は思う。好きなおもちゃ、好きな服、好きな腕時計、好きなスポーツ、好きな友達。つまり僕は、何かを好きだと思ったことがないのかもしれない。僕は小さい頃から、この「好き」という事柄に疑問を抱いていたような気がする。特定複数の何かを好むことに、なんの意味があるのだろうか。別に悪いことではない。確かにそうさ。でも、僕にはただ、強い気持ちをバラ撒くような変わった行為、のようにしか思えなかった。
 それに、「好き」という感情は、のちに「後悔」や「未練」といった面倒な感情を引き起こすきっかけとなる可能性だってあるんだ。僕は生憎と、それを受け止められるほどの人格者でもなければ、マゾでもない。ましてや、そんな物好きな人でもない。

 ただ、社会人になった時、この執着心の無さがちょっとした不幸をもたらした。仕事は並々で、同僚との関係もフラット。快適で過ごしやすかったけど、どこかつまらなく思えた。恋人ができたが、他の男の香りを残して、結局別れた。偶然、お店でその香りを見つけた時、なんだか癪に触った。家に帰った後は特にやることがなく、食っちゃ寝食っちゃ寝のプライベートだった。誰とも連絡を取ることもなく、出かけて何かをやりたいと思うこともなかった。
 僕は「寂しいヤツ」なのだと、気付かされた。
 ある夜、眠りにつく前、僕の脳は不思議と休むことなく思考を巡らせていた。主題は苦手な執着心について。「好き」という感情について。僕は今まで、それは必要のないものだと思っていた。あってもべらぼうに困ることはない、けど無いなら無いままでも困らない。モノは少ない方が、体も脳も使い勝手がいいだろう。そんな、考えてみればただのひん曲がった極論を、僕は抱いていたんだ。
 僕は後悔した。皮肉なことに、後悔した。

 だからといって、直そうにも根本的にこういう性格なのだから、できることは少なかった。何かしようと思っても、大抵は面倒臭がって実行しなかった。やろう、やらない、やろう、やらない。そんな毎日を送っていた。
 しかし、ある日からは、「やろう」と思うことすら無くなっていた。何かに無理矢理意識を向けて、それを繰り返し行うことは、ただの地獄のようにしか見えなくなっていた。

 気がつけば、僕の手はシワくちゃになってしまった。足元も視界も覚束なくなった。一人で車椅子のホイールを転がしながら、古びた丸い老眼鏡をかけて、ぼんやりと窓の外を眺めることが、今の僕の日課だよ。これが以外と飽きないんだ。
 今日はこんな眺めだった。生い茂る立派な木に赤い実が生り、小鳥たちが囀りながら枝に止まっている。庭に咲き誇る色鮮やかな花々が、ぼやけつつも確かに存在しているのが、なんとも心温まる。春の3時になると、大体このような朗らかな景色が見られるんだ。おかげで、彩りの良さを知れたよ。

 夏になれば、木は更に蒼く葉を膨らませ、太陽の恵をたっぷりと浴びようとする。短命なセミが日を空けずに、その声を命からがらにして、小さな身体から響かせているのだと思うと、夏の長さを強く実感させられるよ。おかげで、ゆっくりと時間をかけて、いろんなことを思慮することができたね。
 秋になれば、緩やかに木の葉が舞い散り、雲が北風にゆっくりと吹かれていく。香ばしさが空気を漂い、リスたちはつられて木から姿を現し、前を見越しながらせっせと香りの元を蓄える。ついでに、食事が少し豪勢になるね。僕もやっと、リスたちのようにいっぱい食することの楽しさを覚えられたよ。
 冬になると、木は丸裸で文字通りに寒そうだし、加えて寒風が骨の髄まで凍らせてきそうで、老体には効くものがあるよ。でも、時に見える雪景色が素晴らしくて、また新しい一年が始まるのだという印を心の中に残してくれるんだ。もう年だけど、まだ先があることの約束があることがとても心強く思えるよ。

 こうしていて、気づいたことがまた一つあった。周りからすれば当たり前だった娯楽を、僕はずっと逃していたんだ。ますます痛感したよ。僕はつまらない人間だったのだと。人生の大損失さ。
 でも、最後の最後で少し、変われたらしい。初めて、何かを待ち遠しいと思った。僕は多分、この窓から見える四季折々の景色に対して、小さいながら執着心が芽生えたんだ。最後の息をする瞬間も、できることならこれを見ていたい。そう思った。そう思えた。

 僕にとって最初にして最後の、「好きなこと」だったよ。

執着心をほどほどに。

 ツイッターにて、「第146回フリーワンライ #深夜の真剣文字書き60分一本勝負」に参加させていただいた時のものを少し加筆・修正したものです。お題は「好きになりたかった」です。
 執着心と好きって、表裏一体な関係だったりするのかな、と思いながら書きました。なんか、「好き=執着心をやさしい牛乳で割って蜂蜜をたっぷり入れたもの」って方程式が浮かび上がりました。何言ってるかわからないって?自分もわかりません。(お読みいただきありがとうございました。)

執着心をほどほどに。

執着できない僕の人生。あなたはどう思いますか。

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更新日
登録日
2021-12-21

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