畜猫談
猫が道端で死んでいた。
轢かれたのか、毒のついたものでも食べたのか、とにかく、綺麗な死体だったけれど、一面が血だらけだった。
車を運転していれば、結構良く目にする、猫の死体。免許を取ったすぐの頃は、衝撃的だったけれど、今は何も思わない。
ああ、死んでるな、と避けて通るくらいしか思わない。
猫は結構飛び出してくる。光るものに反応するとかなんとか、運転しているこっちはたまったものではなくて、猫を轢いた云々よりも、車が故障していないか、心配になるのだ。
猫を轢いたことは、とても心が苦しいけれど、もし明日車が動かなくなってしまったら、そのことを考えると、猫の命よりも、自分の明日からの生活のほうが、重さで言えば重い。
子供の頃はもっと何か、死後の世界のこととか、猫は何を思って飛び出してきたんだとか、色々考えていたと思ったけれど、大人になると、とても無機質で、冷徹になってしまうみたいだ。
道端で死んでいる猫を片付けてほしい、と、近所の人から言われて、僕はいそいそ、小麦粉が入っていた大きな紙袋と、スコップとトングを持って家を出る。
役場の人がやる仕事だとよく聞いていたし、何も僕がやらなくてもと思っていたけれど、今日はたまたま週末、で、僕が片付けることになってしまった。
いそいそ歩いて現場に向かう。
ああ嫌だ嫌だ。僕も何年か前に、あまり大声では言えないけれど、猫を轢いてしまったことがある。避けようがなかった。猫がじっと、道路の反対側を見ているなぁとは思ったんだけれど、まさかそのまま、目の前ぐらいまで差し掛かって飛び出してくるとは思わなかった。
車はそのまま、踏切の上を走る電車みたいに、ノンストップで、猫を踏み潰した。
そのことを思い出して、ますます片付けるのが嫌になった。このまま逃げようかとも思ったけれど、自分は加害者でもあるという負目から、渋々、北風が吹き抜ける二車線の道路を、山のほうに向かって歩いていった。
空は清々しく晴れ渡っていた。それでいて、清々しいくらいに寒い。雨が降った日の方が、むしろ暖かいんじゃないかというくらいに、寒い。
遠くでS Lが汽笛を鳴らす音が聞こえる。日曜日は一日、S Lが電車に代わって走る。何故かは知らない。そういうイベントだった気がする。
しばらく道を歩いて行って、山道に入るカーブに差し掛かった時、猫が道端で死んでいた。余計な話があれやこれや、僕がどうこうしただの、隣人がどうこうだの、要らない話をつべこべ並べたけれど、ようやく冒頭の話に戻ってきた。
僕はこの猫を片付けなければならない。罪滅ぼしではないけれど、一度は加害者になってしまった経験があるから、避けては通れない道を、通らなければならない、のか。嫌だ。何も見なかった事にしてこのまま帰りたい。
ちゃんと線香も持ってきた。紙袋に入れて埋めてやろう。
見ると、綺麗な真っ白の猫だった。目が半開きで、舌が飛び出ている。外傷は全くない。何かに跳ね飛ばされて、運よく傷はつかなかったけれど、肝心の命は落としてしまった、そんな感じか。
純粋に野良猫だったのか、飼い猫だったのか、首輪も何も付いていないから、きっと野良猫だったのか。
強そうな人間が来れば途端に逃げ出し、同族の猫が来ればシャーと威嚇し、罵り合い、喧嘩になれば猫パンチ、爪引っ掻き、なんでもありで、どっちかが降参するまで辞めず、こら、やめろと仲裁に入った近所のお姉さんに、文字通り猫撫で声でにゃーと擦り寄り、あらかわいい、と頭を撫で撫でされて図に乗り、
丁度ポップコーン食べてたの、お前も食べる?
なんて言われてニヤニヤし、おこぼれ頂戴、見るも無惨な畜生なんですから、と言わんばかりに貰ったものを貪り食う様、もはや畜生道に落ちた罪人そのもの。
そこまで考えて、ギョッとなって、それは、俺じゃないか。
ものの見事に、俺の本性ではないかと半開きの猫の目を見て思った。
ますます、ますます、嫌になった。ちょうど大型のダンプが、竜巻みたいな音をたてて真横を通り過ぎた時だった。
「その猫、死んじゃったの」
男の子が一人、僕の後ろで突っ立っていた。
知ってるの、と聞くと、頷いた。給食で残したパンを、猫にあげていたそうだった。次第に懐いてしまって、飼おうと決心したけれど、両親に反対されて、そのまま、猫に擦り寄られても、無視していたら、いきなり永遠のお別れになってしまった。
「死んでる、よね、生きてると思う、逆に」
この状況で、生きていたら、死より辛いだろうなぁ、と思って、スコップの取手の方を猫の腹のあたりに向けて、ツンツンする。死人の手をとって、脈を見るみたいに、死亡確認。
「この猫、どうするの」
カーブの内側のカーブミラーの下を指差して、そこに埋める、と低く言う。
嫌だ。本当に嫌だ。紙袋に入れるときの、トングから伝わる、猫の重さ。
死後硬直で、プラスチックの塊みたいになった猫は、紙袋に入れても、どことなく猫の輪郭を保っていた。まるで、美術室の中に置いてあった、誰かも分からない人の頭の石像みたいだった。
僕はいそいそ、車で通る人たちの目線を気にしがら、カーブミラーの下に小さい穴を掘る。
「父ちゃんも母ちゃんも、僕も、いつかこうなんのかな」
畜猫談。少し可笑しくなって、笑ってしまう。
猫。無駄じゃなかったよ。こんなに悲しんでくれる人が居るなんて、罪なやつだ。
来世は金持ちの家の飼い猫になって死ぬまで甘えてやる、とゴソゴソと土に埋もれていく袋の中で猫が呟いた、ような気がした。
「未来ってもっと、楽しい世の中じゃなかった?」
イルカと話ができたり、空飛ぶ車が飛んでたり、タイムマシンが出来たり。
見ると男の子は、顔を歪めていた。あまりにも僕がニコニコしすぎて、引かれてしまった。
そのまま悲鳴をあげながら走り去る男の子の後ろ姿を見て、将来あの子が大金持ちになって、猫を飼っていたら、完璧だな、と一人がっくりしながら、線香からのぼる細い煙を見つめていた。
畜猫談